Sunday, April 16, 2023

Other Features in The Anime 1980 - Part One

January

Yasuji Mori Feature


TA. 森さんがアニメーターになろうと思われたのは何歳のころですか?

Mori. 上野の美術学校を出たてのころですから、24歳くらいでしたか。それまでは漫画なんか描いたこともなかったんです。

TA. 美術学校(現芸大)ではなにを専攻されたのですか?

Mori. 建築科です。

TA. 建築科の学生がアニメーターになろうとした、その経緯をお聞きしたいですね。

Mori. たいしたことじゃあないんです。ただ在学中に、実習というか、アルバイトで歌舞伎座の復旧工事の図面を描いたのです。先生は山本五十八というひとでね。のちに文化勲章をもらった偉い先生なんです。 「おまえは細かい図面を描くのがうまいから…・・・・・」と言われてね。それで、座席のひとつひとつにいたるまで細かく描いたのですが、こんな仕事は辛いなあ、と思いました。定規で描くことはつまらないとつくづく思ったんですね。

TA. アニメーションの世界にはいったきかけは?

Mori. 同級生は皆建築の方面へすすんでいったのですが、ボクはそうしなかった。どうしようかなと思っているところへ、政岡憲三を知っている人から、「会ってみないか」という話をいただいた。

TA. 当時、山本早苗と日本動画社をやっていたはずですね。

Mori. そうです。ボクは、定規で線を引くのは芸術的ではないと思っていましたから(笑)、すぐ会いに行ったんですね。美術学校の卒業制作に、ボクは「動物園計画」という風変りな作品をつくっていましたから、それを持って。そしたら、「もったいない、この世界は徒弟制度だから、美術学校の学生がくるべきところじゃない」と言われました。 でもボクは、若かった気負いもあって、「面白術は こうあるべきだ」と、すっかりアニメーションに魅せられてね。

TA. 政岡憲三の「くもとチューリップ」はご覧になっていましたか?

Mori. 学生の時にすでに観ていました。あの作品は政岡憲三の傑作ですね。芸術の香りがしていました。アニメーションは映画よりは絵画的だし、音楽もあるし、とにかくほんとに面白い、と思ったんですね。

TA. 当時アニメーターという職業さえよく知られていなかったのでは?

Mori. そうですね。全国のアニメーターが集ま 大会があったのですが、50人もいなかったですね。「アニメーターって、何? ] 」という時代でした。

TA. すると、政岡憲三、山本早苗との出会いがアニメーターとしての出発点になったわけですね。

Mori. その会社が3年後につぶれて、ボクは西武百貨店の宣伝課にはいった。そこでは、ポスターを描いたり、大売出しという文字を描言いたり……………。

TA. 日本動画社の方は?

Mori. メインスタッフが残って、細々とアニメーションをつくっていました。ボクはそのお手伝いをしながら、雑誌の連載マンガなんかも描いたりしてましたね。

TA. そのころですね。日動が東映と合併されたのは…?

Mori. 日動が東映に買われたのですが、ボクはその直前に「白いきこり、黒いきこり」というカラーの作品をつくりましたね。それはボクにとって、はじめてのカラーで、大工原章や古沢日出夫もいっしょでした。そのあと、東映に移ったのですが、とても嬉しかった。またアニメーションがつくれるということと、そこが素晴しいスタジオだったので......。それまでのスタジオは、学校の二階と一階を借りてつくった吹きさらしの作業場でしたから。冷暖房完備に大感激しましたね。まったく夢のような気分でした。

TA. 森さんのアニメーションに強く影響を与えた人、もしくは作品をあげるとしたら?

Mori. 日動にはいる前に見た、フライシャーのガリバ旅行記にも感心しましたが、なんといってもディズニーにショックを受けました。影響を受けたとすると、絵の感じは政岡憲三、アニメーションそのものに関しては、ディズニーと言えるでしょうね。もっとも、それはボクばかりではないのですが・・・・・・。

TA. その後、「白蛇伝」をつくられていますが、これは海外も含め、多くの賞をとっていますね。

Mori. 藪下泰司の演出、大工原章とボクが原画を担当して、動画は大塚康生が頑張っていました。この作品が日本ではじめての本格長編アニメーションと言えるのでしょう。

TA. その次の作品が「少年猿飛佐助」、そして3作目に「西遊記」ですね。

Mori. 手塚治虫が構成を担当した作品です。あの時、月岡貞夫や石森章太郎をつれてこられましたね。アニメーションについて勉強もさずいぶん興味を持っているようでした。

TA. 森さんは原画をなさったわけですね。

Mori. それと、少年時代の猿やサブキャラクター メイン・ キャラクターはもちろん手塚治虫でね。この作品のほかにも、手塚治虫といっしょにすすめた企画も何点かあったのですが、流れてしまいましたね。

TA. このほかには、シンドバットの冒険も手塚治虫が構成していますね。

Mori. あの作品は手塚治虫の満足のいく作品ではなかったようですね。

TA. 当時、アニメをつくる会社としては東映1社だけだったのですか?

Mori. いえ、横山隆一のおとぎプロがありましたね。ペリーヌ物語の斉藤博や、鈴木伸一はおとぎプロ出身ですね。

TA. その後、手塚治虫の虫プロが誕生するわけですね。

Mori. そうですね。その時は東映からずいぶん人が移りましたね。

TA. いまでも一部のファンに根強い人気をもっている「太陽の王子・ホルスの大冒険」、あれはずいぶん難行したと聞きますが。

Mori. 会社側の方から、お金がかかりすぎるし、なかなかすまないので、一旦中止させられたんです。そして再開された時に、大工原章のかわりにボクが作画監督ということで......。

TA. それまでは作画監督という呼び方はなかったようですね。

Mori. キャラクターデザインという言葉もなかったようです。キャラクターをつくるにも、原画の人たちが各々持ち寄って、あれがいいこれがいい、という具合でね。でも、そうすると、キャラクターの傾向がバラバラになってしまうので、作画監督は全体の絵の傾向を統一する役目ももっていましたね。

TA. 場面設定という呼び方もあのころは なかったようですね。

Mori. とにかくあの作品には力のある人たちが多くいて、もの凄い雰囲気でしたね。宮崎駿は、絵の力でグイグイ引っぱっていくし、高・畑勲、小田部羊一、大塚康生もいましたから。宮崎駿は場面設定もむろんそうですが、絵をとおして作品そのものをつくりあげていましたね。

TA. その「ホルスの大冒険」ですが、興業的にはあまり良い成績ではなかったとか。

Mori. 良くなかったみたいですね。ボクが子供を連れて見に後った時は、子供とボクとたっ二人でね、千葉の映画館でしたが......。

TA. 傑作かならずしもヒット作にならずということですね。

Mori. ボクがつくったものは全然ヒットしないんですね。だから宇宙戦艦ヤマトとか、銀河鉄道999の話を聞くと、うらやましいというのを超えて、ただもう不思議ですね(笑)。

TA. その次の作品は長靴をはいた猫、これは前回のホルスとは対照的な作品ですね。

Mori. 前作は、肩が凝る内容だったので、今度はギャグに徹した気楽なものということで決定されたのでしょう。とにかく、スタッフが最高でしたね。

TA. その後、続編ということで、「ながぐつ三銃士」がつくられていますね。

Mori. これは良くなかったですね。良いスタッフがいなければ、面白いアニメーションは生まれない。

TA. その後、「どうぶつ宝島」、「パンダの大冒険」と続き、それからズイヨー映像へと移られたのですね。

Mori. アニメーターとして存分にうごけたのはどうぶつ宝島まででしょうか。眼を悪くしましてね。

TA. ズイヨーでは「山ねずみロッキーチャック」ですね。そのあとに、「アルプスの少女ハイジ」

Mori. ハイジはパイロットフィルムとオープニンの部分だけ参加させてもらいました。このシリーズでは「フランダースの犬」、「くまの子ジャッキー」。「草原の少女ローラ」や「リスのバナー」もこの系統の作品でしたね。

TA. キャラクターデザインの作風をおもちのようですが…

Mori. いま あったかい、ほのぼのとしたキャラクターの方が好きですが、若いころはスマートで気取ったキャラクターを志向していましたね。「わんぱく王子のおろち退治」なんかは直線的でデフォルメなんかも大胆で、握った手をマルだけ、服のシワは全部とってしまいましたもの。意欲的だったのでしょうが、いまこわくてできませんね。

TA. 自分のつくったキャラクターにも気にいったものと、そうでないものというのがありますか?

Mori. 愛着があるものというのはありますね。パンダ、いたち、ネズミの親子、ウサギといった可愛いいものが好きですね。長靴をはいたネコより、あの作品に登場してくるネズミの方がボクは好きなんです。

TA. とくに気にいっている作品は?

Mori. 自分の描いたキャラクターが自由に動きまわっているのを見ると、もう胸がいっぱいで、いまでも、「ホルスの大冒険」なんか見ると涙が出てくるシーンが何か所かあります。

TA. 森さんがつくられて、 没になったものを見せてくだかいませんか。

Mori. これは「ギザ耳ウサギ」、やっぱりシートンの作品です。小ウサギのころ、ヘビに耳をかじられたという設定です(図−A)。

TA. 3つのキャラクターがあるようです

Mori. これは案です。マンガ的なもの、リアリティのあるもの、そしてその中間のものです。

TA. これはなぜオンエアされなかったのですか?

Mori. これは「クマの子ジャッキー」の対抗馬だったのですが、エピソードが少なかったせいでしょうね。はじめ、クマの子ジャッキーが内定して、そのあとギザミミウサギに変更され、またクマの子ジャッキーに戻ったんです。

TA. こちらの絵は?

Mori. これは「星物語」で、ネズミの博士(図-B)と天文台に住むネズミの親子が狂言まわしを演じます。 そして本編のアニメーションは星の伝説を素材として構成されています。(図−E・C)

TA. 狂言まわしという発想は、子供たちにやさしく語りかけという姿勢で、いかにも森さんらしいですね。

Mori. ラッコは、アニメーションにする予定はありませんが、ボクはこういう動物が好きですね。

TA. 森さんがアニメーターとして、心掛けていることは?

Mori. アニメーターは役者でなければならないということですね。絵を描けるだけではなく、演技ができなければなりません。目パチ、ロパクも、嬉しい時、悲しい時、はずかしい時にそれぞれ違うでしょう、ただ数で絵をいれるというわけにはいきません。

TA. 感情移入ですね。

Mori. 歩く姿もパターンと考えてはつまらない。感情を持った人が歩くのですから、時にはうなだれ、興奮し、あるいはウキウキして急ぎ足になるという具合にね。

TA. いまのテレビアニメーションではそういう描き分けは無理なのでは。

Mori. 余裕がないのですね。でもアンの高畑さんなどは、それをきちっとやってるようです。

TA. 最近のアニメーションの傾向についてなにか.

Mori. たとえばロートスコーピングのように実写をコピーするのは、東映では安寿と厨子王でもやっていましたが、あまり感心できませんね。省略や誇張があって、感情の移入があってアニメーションは楽しくなるんですね。

TA. それではありがとうございました。 (文中敬称略)

February

Special Contribution by Tadao Nagahama
「勝てば官軍、負ければ賊軍」 こん な言葉は、今の若い人達に通じない のでしょうか? 視聴率だけですべてを判断される テレビの世界では、一〇〇年前のこ の不合理なことわざが、今でもまざ まざと生きています。 「ルパン三世」と云えば、ほとんど のアニメファンが、好感をもってむ かえる番組です。特に旧ルパンは評 価が高いと云うのが、アニメファン の中での通り相場と云えましょう。 所が、皆さん、意外とこの旧ルパン が、放送当時視聴率が悪くて、散々 けなされ、「賊軍」として扱われたこ 御存知ないでしょう。 アニメ「ルパン三世」は、当時の アニメでは見られない新鮮な絵づく りをし、奇抜な発想、しゃれたアイ デアで、みるものを楽しませてくれ ました。 「どう思う、長浜さん、これ成功す るでしょうか?」 試写室を出てすぐ、スポンサー筋 の一人に心配そうに聞かれた時、私 はきっぱりとこう云いました。 「これは非常にすぐれた作品です。 これが成功しないわけはありません」 しかし私は、その一週間後に、そ の言葉の責任を問われる羽目になり ました。放映されてみると、何と視 聴率7パーセント余り、裏番組に当 時大当り中のアニメがあって、その お陰で陽の当らない存在となってい たのです。当然テレビ局内では、上 を下への大騒ぎになりました。 「ど こが悪いのか」「何故失敗したのか」 散々いじくり廻されたあげく、監 督の大隅君は、責任を問われて去っ て行かざるを得ませんでした。 その大隅君に七年ぶりでばったり 出合っていろいろ話し込みました。 彼は今ではすっかりアニメから足を 洗って、今は、マジカルスペース人 形劇と云う、ぬいぐるみ劇と、特撮 映画を舞台上で合成した素晴らしい ステージを創り出し、国内は勿論、 アメリカ、ソヴィエトまで遠征し、 大変な人気を博し大いに気を吐いて いました。その彼が、こと、「ルパ ン三世」にふれると怒りをおさえか ねたように、私にしゃべってくれま した。 「まあ、聞いてくれよ、長浜君!」 (私と彼は、ともに人形畑からアニ メに入った仲で、アニメ以前からの 親友なのです)俺が、この前、ある テレビ局の喫茶室にいたら、となり で大きな声で、 何故ルパン三世が当 っているかと云うことを盛んに論じ ている人がいたんだよ。その人は理 由をいくつかあげて盛んにルパンを ほめちぎっていた。所がいいかい、 その人があげている理由のすべてが、 俺が七年前〝何故ルパンは失敗した か!"と散々いびられ、責められた 理由と全く同じなんだよ!」 このくやしさが、皆さんに解って 頂けるでしょうか。私は同じ監督業 として、彼のこの怒りが手に取るよ うに解ります。私は幸い、「巨人の 星」 「おばQ」 「ど根性がえる」と 歴代アニメ視聴率ベストテンの上位 を占める番組につくことが多く、そ んな目に合うことが少なかったので すが、誰よりも、こう云ったことの 不当さを感じるタチの人間として、 大隅君のこの怒りに深く共感したの です。 そもそも、これだけルパンがさわ がれ、もてはやされているのに、 も、最大の功労者である大隅君のこ と一言も云わないのは、おかしす ぎます。原作の発想がれているの は当然認めるとして、アニメ「ルパ ン三世」としてのスタイルを発見し、 創造して行ったのは、監督である大 君のセンスなのです。一旦創って しまえば、あとからくる人は、その 路線にのっかって行けば、いいわけ ですが、作品のとらえ方の根本的な 方向、数々のキャラクターの置き方、 作品のムード、スタイル、表現方法 の基本、これ等はみな、大隅君を中 心として開発されたものなのです。 それが狂っていなかったから、作品 は成功したのです。作画監督の大塚 さんは、勿論優れたアニメーターで、 私も尊敬している一人ですが、しか し、大塚さんが、いかに優れた絵を 描いたとしても、この最も肝心な点 で、しっかり押さえている監督の目 がなかったら、今の成功があったと は思えません。 誰 視聴率が突如再放送の時30%をこ え、「失敗作」「成功作」が突然に転じ、 今尚「新ルパン」が20%近くをとっ ていても、当時、大隅君に着せられ た「賊軍」の汚名は、まだどこでも そそがれてはいません。私は、アニ メ界から、この優れた才能を奪い去 って行くキッカケになったこの事件 を、残念なこととして、今も尚かみ しめています。それは、いつ我が身 の上に起こることかもしれないこと ともして...... ◎長浜氏は現在は「ベルサイユのば ら」総監督をお辞めになっています。 この記事はそれ以前に本誌へ寄稿い ただいたものです。(編集部)

Event Information
ルパンの花嫁が決まる!佐藤雅子さんと披露宴

なんと、ルパン三世がとびきり美 人の花嫁さんを手に入れた といっても、じつは去る1月3日、 劇場用映画「ルパン三世カリオス トロの城」の公開記念に、東京・内 幸町の帝国ホテルで行われた「ルパ ンの花嫁コンテスト」でのお話。 花嫁に選ばれたのは千葉 校・市川市に住む、語学学 校の生徒、佐藤雅子さん(20 歳)。 コンテストの応募者は、 全国から約3500名(下 は中学生から保母さんまで)。 そこから選ばれた数十名の 美女たちが、帝国ホテルのコンテス トに出場しました。 当日の審査員は、原作者のモンキ ー・パンチ氏に、花婿ルパンの山田 康雄、次元の小林清志、五右ヱ門の 井上真樹夫、銭形警部の納谷悟朗ら のルパン・ファミリー、それに「カ リオストロ・・・」の作画監督・大塚康 生氏とルパンのファンクラブ代表 の2名など。 水着審査によって、優勝、準優勝、 3位の三人が決定し、みごとルパン の花嫁の座を射留めたのが、佐藤雅 子さん。身長165cm、上から80- 56-87の佐藤さんは、モデルの経験 もあり、ルパンこと山田康雄さんは、 その美しさに、鼻の下を伸しっぱなし。 佐藤さんは当日、水着を忘れてし まい、友人に買って来てもらった水 着が超ビキニ。「もう、恥かしくっ て…」とは、優勝決定後の言葉。 会場では、花嫁が決まった後、モ ンキー・パンチ氏の仲人によって、 ルパンと佐藤さんの披露宴が行わ れました。 ウェディング・ドレスで式に登場 した佐藤さんは、これまた、なんとも言えぬあでやかさ、美しさ。 花婿ルパンの山田康雄さんは、テ レッぱなしで、こう語った。 「花嫁さんの相手は僕なのに、ルパ ンの結婚式だなんて、ルパンが結婚 するのか、僕が結婚するのか、分か らなくなっちゃった。でも、佐藤さ んのような優しい美人なら 本当に結婚したいな」 佐藤さんには、ヨーロッ パ旅行、ルパン愛用のイタ リア製自動車フィアット5 00とウェディング・ドレ スがプレゼントされました。

フリーとなって新たな活躍が期待される麻上洋子さん 「さすらいの少女ネル」の声や、D Jとして人気の麻上洋子さんが、所 属プロ「A&B」を辞め、フリーと して活躍を始めました。 「“フリー”として、がむしゃらに、 そして陽気に頑張るつもりでいます ので、今後ともよろしく」 と、麻上さんは新たな可能性に向 かって、意欲満々です。 尚、麻上さんへのファンレターの 宛先は、左記に変更されました。 〒101 東京都千代田区神田駿河台2 -1-19 アルベルゴお茶の水32 麻上洋子FC こだぬき会

歳末助け合いに、声優たちがまってチャリティサイン会 去る2月1日、歳末助け合い運動 の初日を飾って、人気声優たちが中 心となって「サンタクロースの会」 が主催した、「人気アニメ声のヒー ロー&ヒロイン・チャリティサイン 会」が行われました。 東京・銀座三越デパートの会場に は、三越開店とともに約1500人 の中学生、高校生らが詰め掛け、た いへんな盛況でした。 このチャリティサイン会は、恵ま れない子供たちに、すこしでも楽し 年を越してもらいたいという気持 ちを持つ声優たちが集まった「サン タクロースの会」が企画し、筆ペンのメーカー㈱呉竹精昇堂(本社・奈 良市)、声優の事務所「ぷろだくし ょんバオバブ」の協力を得て実施さ れました。 当日は、「ヤマト」「ドカベン (里 中智)」「アーサー」の神谷明、「バ ンダーブック」「ドカベン(高代)」 の水島裕、「ゼンダマン」「タンサ 15」の三ッ矢雄二ら 人気声優たちが、多忙 なスケジュールをぬっ て集合。 水島裕さんは最近発 表したばかりの新曲『ラ ブ・コレクション』を 歌い、また、深夜のD Jを終えたばかりの神 谷明さんは、睡眠や食 事を取らずに駆けつけ たにもかかわらず、司 会まで買って出るハリキリぶり。 その他、声優の歌や弾き語りあり、 DJありで、集まった大勢のファン を、大いに楽しませました。 当日集まったお金は、「サンタク ロースの会」から、日本赤十字社を 通して、恵まれない子供たちに寄付 されました。

「ブルーノア』フェス、川麻世も駆けつけて大盛況! 去る12月8日、SFファンに人気 抜群のテレビアニメ「宇宙空母ブル ノア」のフェスティバルが開催さ れました。 会場の渋谷・東横劇場には、大勢 のブルーノア・ファン、SFファン 等が詰め掛け、その熱気の中で、数 々の催しが行われました。 進行役の司会は、日本テレビの荻 原よう子アナウサー。第一部 「フィ ルム・コンサート」では、ブルーノ アの第7話・第8話(これは当日テ レビ放映作品)が上映されました。 スタッフ・声優への質問コーナー では、ファンの間から鋭い(?)質 問がたくさん飛び出し、ひとつひと つ丁寧に答えていた制作者や声優た ちは、ファンの熱心さに、改めてビ ックリするやら嬉しいやら。 第2部の「声優ショー」では『誰 も書かなかったブルーノア』と題し パロディ・コントが声優によって 演じられ、場内の大爆笑を誘いまし た。 さらに、第3部には、ブルーノア の主題歌を歌っている川崎麻世が応 援に駆けつけ、女の子たちの黄色い 声援を浴びながら大いに歌いまくり、 また、色紙、ポスター、双眼鏡など 抽選によるプレゼントもあって、 ブルーノアとファンの交流は大盛況 でした。尚、テレビ放映中のブルー ノアは、2月頃から新兵器が登場し ます。御期待下さい。

劇団「芸協桜台劇場」新春公演のお報せ 声優たちによる劇団「芸協桜台劇 場」が、新春に向けて、ブラック・ユ ーモア演劇公演を行います。 出演は、「デビルマン」の田中亮 一、 「赤毛のアン」の山田栄子、「天 才バカボン」の雨森雅司、「宇宙戦 艦ヤマト」の青野武ら。 出し物は岸田国士作「可兜君の面 「会日」と原田励作「大人達の時間」 の2作品。 場所/劇団芸協稽古場 日時/1月10日~20日日まで 毎夕6時30分より(13・15・20日は 2時より) 料金は一般・会員とも700円。 アニメと演劇に興味のある方は、 ぜひ、御覧下さい。

小原乃梨子の語りと歌によるLP、2月5日に発売!

「ヤッターマン」のドロンジョ、「未 来少年コナン」のコナンなどの声で おなじみの声優、小原乃梨子さんの LPが、2月5日、キング・レコー ドより発売されます。 タイトルは「INVITATIO N―小原乃梨子」。 内容は、小原さんの語りや歌など、 小原さん自身にスポットを当てて構 成されています。 小原さんの魅力がいっぱいの、す てきなLPです。

人気声優イベント公演情報!コンサート、「999」など ●アニメ・フェス「80年アニメジョ イント・コンサート」 日時/1月13日 午前11時30分/ 午後3時 場所/大阪サンケイホール 当日2500円、前売2000円 出演は、神谷明、小原乃梨子、佐々木 功、古谷徹、水木一郎、麻上洋子、 大杉久美子ら ●「テレビアニメ声優・ジョイント コンサート」 「サイボーグ009」009役の井 上和彦さんと富山敬さんの、楽しい 歌とおしゃべりのコンサートです。 日時/1月15日/昼12時より井上和 彦/午後2時より富山敬/午後4 時より2人のジョイント 場所/東京・小田急町田店2F 「レ ンガ通り」 ●声優フェス銀河鉄道999の全て ☆1月1日 帯広市民会館(午後2 時/午後6時) ☆1月20日 旭川市民会館 (午後2 時/6時) ☆1月26日 室蘭文化センター(昼 2時/午後5時) ☆1月27日 札幌道新ホール(昼12 時/午後4時) 出演は、野沢雅子、水島裕、神谷 明、井上和彦、富山敬ら。 ☆以上3つのイベントの問合わせは、 「ぷろだくしょんバオバブ」 広報 部へ 63TEL.06-404-65 問合せ受付時間 月〜金曜まで 午前10時から午後7時 (この時 間を必ず守って下さいネ)

レコードカレンダー他プレゼント

さあて、皆さんお楽しみ、「愛読 者プレゼント」のコーナーで~す。 今月のプレゼントは、 10名に。 「森は生きている」カレンダーを 3月に封切られる劇場用アニメ「森 は生きている」の美しい名場面が いっぱいの豪華なカレンダー。し かもストーリー入り。 あなたのお部屋を楽しく、美し く飾ってくれます。 ⑧「ルパン三世」のカッコいいセル 画を10名に。 今人気爆発の「スラップスティック」 の最新LP 「ウエイト・スラップ スティック/青春的恋愛論」を 5名に。 以上三点の中から、抽選で計25名 様にプレゼントします。 ☆応募要領 ハガキに、あなたが希望するプレ ゼントの品名と、住所・氏 名・年齢・学年 (職業) を、 ハッキリ書いて、下の応募 シールを貼って 〒106 東 京都港区西新橋2|7|4 第20森ビル 近代映画社 『ジ・アニメ』 編集部・愛 読者プレゼント係までお送 り下さい。〆切は1月26日 です。

東京ムービー新社がアニメーター募集中!

アニメ製作会社「東京ムービー新 社」では、アニメーターと美術要員 (背景)の募集を行っている。 この募集の特色は、東京ムービ新 社が、手当を支給しながら、アニメ ーターを養成しようというもの。 募集内容は、25歳までの男女計20 名を採用し、「ルパン三世カリオ ストロの城」の宮崎駿監督や大塚康 生作画監督などアニメ界のトップ・ スタッフが、一年間直接指導にあた 養成期間修了後は、希望によっ て東京ムービー新社の社員に登録す る道も開かれている。 応募要領は、履歴書(顔写真付) に作品2点(形式自由)と希望職種 を明記の上、 〒1 東京都千代田区麹町5-7 秀和紀尾井町TBRビル707号 ㈱東京ムービー新社「アニメーター ・美術部要員募集係」まで 〆切は、昭和55年1月31日必着 詳しい問い合わせは、TEL03- 230-0195 (代表 )

「声優・作品ベスト10」募集!

「ジ・アニメ」編集部では、『あな たの選ぶ声優・作品ベストテン』を 募集いたします。 今いちばん、どの声優に皆んなの 人気が集まっているか? どんなア ニメ作品が人気があるか? 『声優ベスト10』 『アニメ作品ベス ト10』の最新情報を、「ジ・アニメ ファンクラブ・アニメプラザ」で、 毎月発表します。 さて、あなたの好きな声優は? 作品は?それぞれを応援するつも りになって、どんどん応募して下 いネ。 ☆応募要領 一枚のハガキに、あなたの一番好 きな声優とアニメ作品(テレビでも 劇場用でも)を、各々ひとつずつ書 き、住所、氏名、年齢、学年(職業) を明記の上、〒150東京都港区西新橋 2|7|4第20森ビル 近代映画社 『ジ・アニメ』編集部 「声優・作 品ベストテン係」までお送り下さ

Kimio Yabuki Interview
つくる側の気持ちと見る側の気持ちが通じあえば最高! 矢吹公郎といえば、あのロングラン・アニ メ、「一休さん」のチーフ・ディレクター。 「タイガーマスク」や「風のフジ丸」、さら には、そのキャラクターが東映のマークにな っている「長靴をはいた猫」の演出を手掛け た大ベテランである。現在は、今春公開を予定されている「森は 「生きている」の制作にかかりっきりの毎日で ある。

一休さんとトンチ較べ

TA. 「一休さん」はずいぶん長く続いて いますが、いまは何話目を......。

Yabuki. 正確にはわかりませんが、190話ぐ らいでしょう。とにかく息の長い作品ですか らね。

TA. 長い間子供たちに愛されている秘密 はなんだとお思いですか。

Yabuki. ウーン、実はわからない(笑)

TA. 演出上の工夫など、作品の魅力づく りに、とくに気をつけている点などは。

Yabuki. 一休さんは、ハテナ? という具合に すくモノを考えるでしょう。座禅を組んで、 ジッと考えこむこともある。もちろん、スト ーリーの流れから出てくるワンシーンなんで すけど、それを見ている子供たちも、つられ て考えてしまう。時には、一休さんよりも先 に答をみつけて、「一休さんに勝った!」と 喜ぶ。時々、わざと答を遅く出してやると、 大抵の子供たちは、一休さんより先に答を見 つけるのです。これは、子供たちにとって、 新鮮な体験なんですね。自分で答をみつける ということが、今の子供たちには少なすぎる でしょう。考えなくても、次から次へと与え られるから。

TA. 一休さんと智恵くらべですね。

Yabuki. 選ぶこと、考えて結論を出すことって いうのはとても大切なことだと思います。テ レビのチャンネルなんていうのは、選ぶこと には含まれないわけです。だって、テレビの スイッチをいれないという選び方だってある のですから......。そういう与えられた選択で はなく、積極的に自分の頭で考えてみるとい うこと、これは、すべての行動の大前提なん ですね。つまり考える時間を与えてやること が、ひとつのリズムになっている。

TA. 190話も続くと、ストーリーやエ ピソードをつくるのも大変ですね。アイディ アづくりには苦労しますか。

Yabuki. ネタ本があるわけではないですから、 日常生活の中からもヒントを探します。 もっ とも、一番苦労しているのはシナリオライタ ーでしょうが・・

「やさしさ」がテーマ

TA. ところで現在制作中の作品は「森は 生きている」ですね。

Yabuki. オフレコ・ダビングが進行中です。そ うしているうちに、リテイクが出ますから、 いま一番緊張する時期です。

TA. 音楽はレニングラードフィルハーモ ニー、合唱はグリンカ合唱団と聞いています が、この起用の狙いは?

Yabuki. 原作が向こうのものですから、音楽性 もそれにピッタリするものということで、レ ニングラードを選んだわけです。となると作 曲やコーラスも、それに合ったものにしなけ ればならない。ロシアの風土や風景にもね。

TA. 作曲は、どういうかたちで依頼され たのですか。

Yabuki. タイムシートと演出メモを一緒にした ノートをつくりましてね。それでイメージを つかんでもらったわけです。演出メモには、 たとえば花びらが散るシーンの様子がこまか く表現されています。そして、その横には、 秒単位で時間が刻んであります。

TA. そうすると、花びらが揺れて何秒、 風にとばされて何秒、空中に舞って何秒とい う具合にですか。

Yabuki. そうです。しかし、そのタイミングは 非常に微妙ですから、今度は逆に、その音楽 に合わせて、こちらが動画をつくる番です。 指示を出して音楽をつくらせ、その音楽に合 わせて演出をつめてゆく、いわば一種のキャ ッチボール。

TA. すると、音楽のウエイトはずいぶん 大きくなりますね。

Yabuki. むろんそうです。それはアンデルセン 物語でもそうでしたが、映像と音楽の合体に 対してはボク自身もおおいに興味を持ってい ます。

TA.「森は生きている」はロシアの民話を もとにしているということですが、ファンタ ジックな作品になりそうですか。

Yabuki. 原作では、主人公はどうやら「わがま まなお姫さま」なのですね。そのお姫さまが 貧しくともやさしさを失わない少女や、各月 の天使、心の貧しい人の醜い姿に触れて、自 分のわがままさに気がつくという筋書きです。 しかし、今度のアニメーションでは、あくま でも主人公は心やさしい少女、アーニャ。そ ういう意味ではキャラクターやストーリーは ドラマ仕立てです。

TA. 原作との違いは主人公の設定部分だ けですか。

Yabuki. この作品は、ある意味ではヨーロッパ 的ですね。最後に、継母といじわるな姉が犬 にされてしまう。邪悪なものは犬になれ、と いうニュアンス。 今度の作品は、そういうこ とではなく、1月の天使が「そのやさしさが、 真冬の森にマツユキ草を咲かせたのです」と いうセリフが物語るとおり、やさしさがテー マになっているのです。

TA. そのためには、やさしい少女、アー ニャが主人公でなければならなかった。

Yabuki. はじめの部分で、アーニヤがこういう んです。 「雪が降ったら、動物たちの食べるものがな くなってしまう」 と。これが、真冬にマツユキ草を咲かせる 奇蹟の伏線になっているのですね。

「やさしさ」の関係をつくること

TA. 以前は演出の仕事が多かったと思い ますが、現在はディレクターとして・・・・・・。

Yabuki. 私はディレクターなのだと思っていま す。少なくともディレクター志向ですね。ア ニメーターの力量を生かし、ひとりひとりの オーケストラのひろがりをつくりあげること によろこびを感じますね。

TA. 個人プレーを全体の作品にまとめ上 げていくという......。

Yabuki. ひとりひとりの持ち味を生かすことが ボクにとっては大切です。

TA. 作品の傾向としては「やさしさ」が テーマになっているものが多いような気がす るのですが。

Yabuki. 内容がやさしいこと、それを見る子供 たちへやさしいこと、そして自分自身のやさ しさを維持すること。そういう考えでやって きたつもりです。 そしてそれは、アニメづくりの中で、ボク自 身がもっとも大切にしているものです。

TA. その「やさしさ」は具体的にいうと...。

Yabuki. 豊かさにつながる「やさしさ」、自分 と、それを見る側との関係がそうでありたい ということです。ものをつくるということは、 結局、自分自身との葛藤です。子供のためと か、やさしさをテーマにとかいう考えのはい りこむ余地のない、自分自身との問題なので すから。そうすると、自分自身の原点に、何 かがなくてはならない。そういう意味で、相 手につたえられる「やさしさ」が問題になる のですね。

TA. 自分自身をみつめてしまう、という ことですか。

Yabuki. ボクはディレクターですから、ひとつ の世界をつくらなくてはならない。その世界 をつくりあげている側のやさしさや豊かさは、 当然その作品の持ち味にならなければならな いわけです。こうやったらやさしさが相手に つたわるという技法的なことではなく、見て いる側と、いわば「やさしさの関係」が成立 することを願う、ということですね。

TA. つくる側と見る側の関係というと、 たとえばテレビなんかは、完全にワンウェイ だと思うのですが。

Yabuki. さっきの話に戻っちゃうのですが、だ からテレビを見ないことも積極的な選択なの です。それも、自分の考えでそうできればね。 つくる側と見る側の関係は、時間が経つと逆 転したり、結局、同じところにゆきついたり するものだと思ってはいるのですが、こんな にテレビの番組が氾濫してくると、いま見て いる側にいる人が、時間が経って、いくら待 っていても、こっち側にはきてくれないのじ ゃないかと思ったりもするのです。ボクらは、 飢えてガツガツと見て、つくる側にまわった。 す。 今の子供たちは満腹して、一日に何本ものア ニメーションを漫然と眺めている。そうだと したら、異人類があらわれてくるのではない かと........

TA. それは、アニメーション文化にかか わってくる問題だと思うのですが、矢吹さん はアニメーションに何をお求めになっていら っしゃいますか。

Yabuki. やさしさの関係を、つくる側と見る側 感知しあえたら、それ以上になにも望みは ないのですが・・・・・・。 アニメーションのように、 人の手によってつくられる映像というものは、 そこに投影する。つくる側の気持と、それを 見る側の気持は、とても近いような気がしま

TA. 矢吹さんはディレクターだといわれ ましたが、アニメーションの中で、ディレク ターというのは、どういう仕事なのですか。

Yabuki. 私は絵をかくでもないし、曲をつくる でもない。でも、作品に対するイメージはも っているわけです。そのイメージを豊かにつ くりあげるのは、アニメーターや作曲家なの ですが、ディレクターの指示、構想がなけれ ば、前に進めないでしょう。

TA. オーケストラの指揮者みたいなもの ですか。

Yabuki. 旅に行く場合、天気予報や時刻表を見 るでしょう。何時に出発して、どこで昼メシ を食べて、午後には、こんなきれいな山陵に めぐり逢えるはずだ。って、それに似てます ね。

TA. そうすると、晴れるかも知れないし、 雨が降るかも知れないという、ハプニングも 含んでいるわけですか。

Yabuki. トンネルを越えると、秋に出くわす、 というイメージを、絵を描く人は、紅葉とい う絵ではっきり示してくれるわけです。

TA. ところで、こんごの展望は?

Yabuki. いわゆるアニメブームがきていますね 今はひじょうに量が多いですね。それ自体 は非常に歓迎されることですが、あいにく量 と質は比例しないようで......。

TA. といいますと。

Yabuki. どうしても全体の量が多いと質が低下 していく傾向がありますね。すると、せっか くのブームも立ち切れる恐れがある。その辺 をふまえて、質の上でキッコーしていって欲 しいと思いますね。

TA. いろいろと有難とうございました。 (敬称略)

March

Yoshiyuki Tomino Feature
日本中のアニメファンの心を根こそぎ揺 るがし、熱狂的なもりあがりをみせた「ガン ダム」が、1月26日の「ガンダムよ永遠に・・・」 で、ついに、その幕を閉じた。 この希世の名作を生み、総監督として、最 後まで、ガンダムの戦士たちを暖かい目で見 守りつづけたのが、富野喜幸氏である。 この機会に、富野氏にお会いし、「ガンダ ム」を中心に、アニメに対する、氏のその熱 い心をうかがった。

初めての作品が鉄腕アトム

TA. まず、アニメとのかかわりあいあたりか ら入っていきたいと思うのですが、富野さん はどういったキッカケでこの道に入られたの ですか。

Tomino. ちょうど16年前になりますか、あと4 ヵ月で大学(日大芸術学部)を卒業、という ときになっても就職が決まらずどうしようか とこまっていたんです。そんなとき、虫プロ が新規採用を募集していることを知りまして 申し込んだんです(虫プロが新規採用試験を 行ったのは後にも先にもこれ一回きり) そ のとき何人合格したのか、よく覚えていませ んが私も運よくパスしまして、翌年3月、卒 業と同時に入社しました。それ以来アニメか ら足を洗えなくなってしまって(笑)..。

TA. それまでアニメのご経験は?

Tomino. 全くありません。せいぜい大学の授業 でディズニー映画を2~3本観たぐらいですよ。

TA. 虫プロに入られて一番最初は何を担当されたのですか。

Tomino. 例の"鉄腕アトム"です。私が虫プロ に入ったときは、テレビ放映が始まって2年 目に入るときでした。最初は、制作進行を半 年ほど行い、この間に演出のノウハウを身に つけ、その年の後半から演出をまかされたの です。結局3年あまりやることになったので すが、最初の作品ということで、いまでも印 象に残っていますね。

TA. その後はずっと虫プロに?

Tomino. いや、4年ほどして、つまり”鉄腕ア トム"が終った時点で、少し考えるところが ありまして、虫プロを辞め、畑違いのCM制 作プロダクションに入ったのです......しかし ダメだったですね。器用じゃないというか、 アニメしかやってない私には外回りなんかで きない。結局そこを一年ほどで辞め、またア ニメの仕事をするようになりました。今度は フリーの演出家としてです。

TA. フリーになられて最初に演出されたのは どんな作品ー。

Tomino. 当時はまだ現在のように、アニメ番組 が多くありませんでしたし、「フリーに ました、よろしく」といっても、すぐに仕事 (演出)が見つかる状況ではなかった。だか らといって私は絵は描けませんので作画もで きない。そこで”鉄腕アトム"のときに覚え 絵コンテを切ることをしました。ちょうど そのころから、制作の敏速化ということから "絵コンテマン"という職種が別に発生しだ していたんです。私の個人的な考え方からす れば、絵コンテはあくまでも演出家自身が切 るべきであると思いますが・・・・・・しかし、まあ、 そういったように作業が分割したことで飢え 死にしなくて済んだわけですが(笑)。

TA. 絵コンテだけを担当した作品にはどんな ものがありますか。

Tomino. それはもう膨大でして(笑)、一つづつ 上げることなんかとてもできない・・・・・・ 思い出 すままに上げてみますと、東京ムービーの「ム ーミン」「巨人の星」「新作おばけのQ太郎」 「ド根性ガエル」・・・・・・とにかくたいへんな数 になります。

TA. 演出の方はいかがですか。

Tomino. もちろん演出を手掛けた作品もかなり あります。私の場合はその辺が非常に錯綜し ているんですよ。

TA. 演出された作品のなかで、節目になった ような作品はありますか。

Tomino. 2つほどあります。一つは4年10月か ら44年3月まで日本テレビからオンエアさ れた「夕やけ番長」という作品。原作は梶原 一騎さん、製作は東京テレビ動画でした。 これは毎日10分づつオン・エアするいわゆ る〝帯番組"でしたが、これがシリーズ番組 の総監督として私が始めて担当したものでし た。そのときの日本テレビの担当プロデュー サーだった藤井さんには、シリーズ番組制作 のノウハウを教えていただき、いろんな意味 で参考になりましたね。

TA. もう一つは。

Tomino. 手塚治虫氏原作の「海のトリトン」と いう、4年にTBSからオンエアされた30 分ものの作品です。製作はアニメーション・ スタッフルームでしたね。この作品は私が総 監督という立場でまとめたはじめての30分も のアニメでした。この作品を通して30分もの のノウハウを身につけ、その後、日本サンラ イズさんに所属し、この前の「ガンダム」ま で何本か演出させていただきましたが、いろ んな意味でこの2作品にタッチしたことが役 立っています。

スタート時に自信を失ってしまった

TA. なるほど。いまもお話しに出てきました が、富野さんといえば、やはりどうしても「ガ ンダム」ということになる。いろいろお聞か せください。

Tomino. どうぞ、なんでも。

TA. 放映時間が夕方の5時30分というハンデ があるにもかかわらず、たいへんな人気だっ たわけですが、こういった情況になることを 最初から予想してましたか。

Tomino. 一つのハッキリした姿勢で作っていけ ば、ある程度の人気は獲得できる、という確 信はありました。でもあれほどまでの反応が あるとは、正直思ってもみませんでした。そ れだけ、うれしいですし、ありがたかった。

TA. "ハッキリした姿勢"ということを、 う少し具体的に話していただけませんか。

Tomino. これは"人気のヒミツ”ということに もつながることだと思うのですが。私はこの 作品を単なる“ロボットもの""戦争もの" にしたくなかった。たしかに、たくさんのロ ボットが登場してきて、それこそ華々しい戦 闘を展開するわけですが、ただそれだけでな く、そのなかに、ドラマ性というか〝人のか らみ"を盛り込んだ。むしろその方を重点的 というか優先して描いた。ロボットはあくま でも兵器の一つとして、キチンと仕訳しまし た。

TA. アニメの手法としてはかなりユニークでは..。

Tomino. いままでのものと比較するとユニーク といえるかもしれません。ただ、これは私個 人の意見ですが、私たち作り手側は、これま で、視聴者であるミドルティーン、ハイティ ーンに対して、これはアニメーションだから、 マンガだから、こういったような作り方をし て観せてあげなければいけない、といった固 定観念にしばられ過ぎていたんじゃないでし ょうか。もっと自由であっていいと思います。

TA. ドラマ性を優先された理由は・・・・・・。

Tomino. ミドルティーン、ハイティーンが何を 求めているのか、といった場合、単なるロボ ットものや戦闘もの、あるいは絵柄のきれい さやカッコよさだけでは受けるはずがない。 やはりその中に”人と人とのカラミのおもし ろさ"つまり“ドラマ性”が必要だと思った。 「ロボットものでも"ドラマ世界"を構築す ることができる」ことは長浜忠夫氏のいくつ かの作品から学んでいましたね。

TA. なるほど、すると”人とのカラミ"つま り、人間関係が発生する部分では嘘があって はならないわけですし、そのへんシンドカッ タのではないですか。

Tomino. それはもう死ぬ思いでした(笑)。スタ ートし2~3話目に、そのプレッシャーが重 くのしかかってきた。これはエライものを背 負いこんでしまった、と正直そのとき思いま したね。ドラマ性を盛り込むことがこれほど までにツライものか、とショックでした。そ してこの先、何十本かをこなして最終回まで もち込むことができるかと自信を失くしまし たね。これは、ころがせないと思った。

TA. しかし、最終的には4話まで達し、無事 終了した......

Tomino. 全てスタッフのおかげです。みなそれ こそ、その日持っている力の全てをはき出し てやってくれた。本当にうれしかったですね。

TA. キャラクターについてお聞きしたいので すが「ガンダム」を観ていますと、原作者で ある富野さんの「アムロ」に対する、強い思 い入れ”を感じるのですが。

Tomino. もちろんそれはあります。これは少年 に対する私の願望みたいなものですが「アム ロ」のなかに、姑見でない大きな少年の形を 作ってみたかったということです。

TA. だが実際の「アムロ」はウジウジした感 じに写りますが・・・・・・

Tomino. よくその点を聞かれることがあるんで すが、しかし、我々自身のあの年代のころを 思いうかべてみますと、けしてスーパーヒー ローみたいに美しくなかったはずです。どこ かきたならしくていじけた感じだった。「ア ムロ」もまさに、その年代を生きていたので す。いうなれば「アムロ」は、ある時期の我 々自身であったわけです。きれいごとでは、 そうした真の少年の姿を描くことなんかでき っこない。

好きなのは「未来少年コナン」

TA. 同同年代の男の子から共感"の声が多い のは、自分の内に「アムロ」を見つけるから でしょうね。ところで「ガンダム」制作過程 で苦労された点は......。

Tomino. 先ほど話したように一人歩き”して しまったキャラクターをどう操縦していけば よいのか、ということが私自身(スタッフも もちろん同様だったが)一番苦しんだ点です が、それ以外では、共同作業をしていくなか で、人間関係のバランスをどうもたせるかと いうこと。それに、限られた時間の中でどこ までクリアーに仕上げられるかといったこと でしたね。

TA. で、仕上りには満足できた?

Tomino. 想いの6割がたといったところでしょ うか。もちろん、私たちは全力を尽くした、 ということには自信を持っていますが、しか し同時に私たちの力の無さを感じたことも事 実です。ときにはひどい絵のときもありまし た。ここをお借りして、おわびいたしたい と思います。

TA. ところで、富野さんはアニメはどんなも のでなければいけないと思いますか。

Tomino. かんたんに言っちゃえば、「ガンダム」 のようなものであってはならないと思います (笑)。アニメは、もっと自由で、楽しくて、 ステキなものでなくてはいけない。たしか 「ガンダム」にも、実写で決してできない! 由な気分”といったものを盛り込むように努 めました。 しかし、絵のあらわれ方としてアニメかと いうと、少し違うように思います。

TA. では、どんなものが富野さんの考えるアニメですか。

Tomino. 私の個人的趣味として上げれば、たと えば・・・「未来少年コナン」「ファンタジア」 「やぶにらみの暴君」などです。とくに「未 来少年コナン」はすばらしい。ただ、私に関 していえば「ガンダム」みたいなものしか作 れませんので、そうしたアニメもあることを 知っていただきたいということです。

TA. 最後に「総監督」というものについてお 話しいただけますか。

Tomino. 「ガンダム」制作に総監督としてタッ チしたことのなかから、私なりの意見を述べ させてもらえば、まず私はこの「ガンダム」 に関してはかなり自分の主張というものを通 させていただいた。そうでないと、良いにつ け悪しきにつけ責任がとれないし、また、作 品の顔というか主張といったものも出てこな いと思ったからです。ただそれが、集団作業 で行う場合、けっしていいことだとは思って いませんが。

TA. お忙しいところありがとうございまし た。

April

Masaki Tsuji Feature
今回は、いわゆるアニメーターでなく、脚本 家の辻真先さんにご登場願いました。 辻真先 さんといえば、まず、あの「鉄腕アトム」を 思い浮かべますが、あれから7年、辻さんが 生み出したアニメ作品は実に三千本あまりに 達するといいます。まさに、スーパーマンと いえる人。 いつもお仕事をされているという銀座の喫 茶店でお会いし、脚本家の立場からアニメに ついて語っていただきました。

映像関係の仕映事像がしたかった

TA. これまでに書かれたアニメの脚本数はど のくらいになりますか。

Tsuji. 正確に数えたことはありませんが、三千 本ほどになると思います。サザエさんだけで も千本近く書いていますし・・・・・・

TA. すごい本数ですが、辻さんがそもそも脚 本を書き始めたのはおいくつぐらいからなの ですか。

Tsuji. これがかなり早くて、中学校のときでし た。もちろん誰も教えてくれませんし、みよ うみマネで始めたんです。

TA. それでは独学で?

Tsuji. いや、実は最初、私のいる名古屋にそう した学校がないかと探したのです。しかしど こにもなかった。 丁度そんなとき、飯島正先 生や岡部冬彦さんなどの「シナリオ十人会」 が脚本の通信教育を始めたんですね。それで 私も早速申し込んだわけです。それから必死 に勉強しました。

TA. では、脚本家として仕事をされるように なったのはかなり早い?

Tsuji. いや、それはずっと後なんです。脚本を 書くことには尽きない興味があって、ずっと 勉強は続けていましたが、だからといって、 即、脚本家になろうとはあまり考えていなか った。それよりは映像を作るような、 漫画家 とか映画の演出といった仕事をしてみたかっ た。しかし、残念なことに私には絵はうまく 描けないし近くに映画会社もなかった。

TA. 最初はどんなお仕事を?

Tsuji. 大学を出る段になって漫画家も映画もダ メだったのですが、それでも映像に関した仕 事の夢は捨てきれない。それじゃ紙芝居でも やろうかと考えていたとき、名古屋NHKが テレビの制作部員を募っていまして、テレビ も映像の仕事だと入った。その頃はやはり、 映画 ラジオが中心で、テレビをやりたいな どという人はいませんでしたのでスンナリス れたんです。昭和二九年の四月でした。

TA. NHKには何年ぐらいおられたのですか。

Tsuji. 退社したのが三七年の夏でしたから約八 年いたことになりますね。

TA. NHKでテレビ番組の制作はどんなもの だったのですか。確か、辻さんがNHKに入 られた前の年に日本で初めてNHKからテレ ビの電波が流れたのですね。

Tsuji. そうですね。全くテレビの創成期でした。 私が入ったときはスタッフも総勢で五人しか いない。現在のように役割分担なんてことも ありませんし、カメラから照明から演出から 小道具集めからもう何でもやった。いま思う とメチャクチャな状態だったわけです。まあ、 何んにもないところから始まったのですから しかたのないことですが。

TA. その間、脚本の方は——

Tsuji. 好きでしたし会社(NHK)には内緒で 書いていました。内緒で書いた作品に「ジャ ズ娘誕生」というのがあります。 日活の友に 頼まれて書いたのですが、これが私の最初の 作品です。23歳のときでした。

「エイトマン」が 最初のアニメ作品

TA. 番最初に書かれたアニメの脚本は。

Tsuji. 三八年にTCJ(テレビ・カンパニー・ オブ・ジャパン)の「エイトマン」が一番最 初です。 TCJの平井和正さんが、ぜひにと 私を指名してくださったのです。

TA. どういったキッカケで「エイトマン」を 書くことに—。

Tsuji. もともと私は漫画(中でもSF漫画) 気 違いで、とくに手塚治虫さんのものなどむさ ぼり読んでいました。そこで何とかテレビで もSFものをやってみたいと「時間よ止まれ」 という番組を企画したんです。これが通りま して始ったのですが、その頃は、タイムパラ ドックスとか「タイム・マシン」などという ことそれこそ気違い扱いにされた時代ですか ら、しかたなく、ごまかしごまかしやってい たんです。あとでこのことを「SFマガジン」 に投稿したところ平井和正さんが読んでくだ さって、ぜひ会いたいということでお知り合 いになった。 丁度その頃、「エイトマン」がテ レビアニメ化されるということで、やってみ ないかと平井さんにすすめられたのです。

TA. で、やることになり、同時にNHKの方 も辞められているわけですね。末練はなかっ たですか。NHKに—。

Tsuji. 以前から活字の仕事はやってみたいと思 っていましたので、それほどの未練はなかっ たですね。

TA.「エイトマン」のためにTCJにはどん な人が集ったのですか。

Tsuji. 一番最初に平井さんにひっぱってこられ たのが豊田有恒さんだったんです。それから 半村良さん、眉村卓さん、筒井康隆などが加 わってきた。

TA. そうそうたるメンバーですね。

Tsuji. いま思うとね。しかしその当時はまだ皆、 二十代前半の無名の青年でした。それに、そ の頃は土農工商SF作家(笑)といわれた時代 でしたしね。

みんなよく勉強していた

TA. しかし、これだけの才能が集ったことで触発されたものもあったのでは。

Tsuji. それはたくさんありましたね。まず一番 感心したのは、皆さんアニメに対して偏見が なかったことなんです。当時の風潮は、やは り実写ドラマが中心で、アニメはくだらない、 といったことでしたしね。ところがそれが全 くないんですよ。本当にうれしかったですね。

TA. それから......。

Tsuji. それにビックリしたのは皆さんよく勉強 していて、また実にいろんなことを知ってい るということ。私もNHKでは”映画通" して知られ、自分でもいささかの自負があっ たのですが、彼らも映画について話すと私が 知らないことが次々と飛び出してくるんです。 上には上がいるものだとつくづく思いました。 そのすぐ後、虫プロでも同じ経験をしました

TA. 虫プロでは「鉄腕アトム」を

Tsuji. そうです。 手塚治虫先生とはNHKから のお知り合いで、誘っていただいたのです。 三九年七月一八日放映の七九話「ドクター脳」 が私の書いた最初のアトムでした。

TA. 手塚治虫さんはどんな方ですか。

Tsuji. 先ほどもいいましたが初期の手塚プロの 人たちは勉強家が多かったのですが、その代 表格が手塚先生だったんです。とにかく、そ の学ぼうという姿勢はすごかった。どんなに 仕事が忙しくてもよさそうな映画は時間を 見つけて観に行くんですね。もちろん先生は 現在もこれを実行しておられる。見習いたい と思いますね、私も。

TA. いつまでもハングリーな心情を持っておられるわけですね。

Tsuji. そうですね。これまで活字の人たちを含 めてたくさんの人とおつき合いさせていただ きましたが、そこまでの人は少なかったです ね。

ライバルは豊田有恒さん

TA. なるほど。ところで、これまでの作品で ご自分で気に入られている作品はどんなもの ですか。

Tsuji. それは難かしい質問ですね・・・どれか一本 といわれると「旧サイボーグ009」の中の一 本をあげますが、シリーズということであれ ば「デビルマン」をあげたい。この作品は四本 を除いてあとは全て私が書いたんです。です から、シリーズのイメージをある程度自分で 作ることができた。ファンレターの数もこの 作品をキッカケに増えてきましたしね。

TA. 印象に残っている作品は。

Tsuji. たいへんだったということで印象に残っ ているのは「ジャングル大帝」演出の方は六 人いて、それぞれ分担してやっていたのです がこちらは私一人だけでした。しかしこの作 品では、最後に絵コンテができてから、秒数 計算して、もう一度セリフを書き直すとか、 ラッシュフィルムができた後、またディテー クするとか、その土俵の中ではとことん納得 いくまでやりました。悔いのない作品でした ね。 ですが先日、ある場所でこの「ジャング ル大帝」を観る機会があったのですが、いま 観るとヒドイもんですね(笑)。セリフが本当 に舌足らず(笑)・・・・・・。

TA. 辻さんのライバルと言うと。

Tsuji. 初期の頃はずっと豊田有恒)さんで した。豊田さんとは「エイトマン」「鉄腕ア トム」「スーパー・ジェッター」 「宇宙少年 ソラン」「冒険ガボテン島」まで一緒だった んですが、とにかくあのアイディアというの はすごかった。いつもギョッとさせられつづ けた。チクショウと思って私もアイディアを 出すのですが、彼の方が先に行くんですよ。 本当にくやしかった。しかし豊田さんと一緒 に仕事できたことで励みになったことも事実 です。

TA. 演出の方でギョッとさせられたのはどんな人ー

Tsuji. そうですねたくさんいましたが、たとえ ば、永島慎二さん、北野英明さん、りんたろ うさん、山本英一さん、富野喜幸さん、とい った人たちですね。

TA. 逆にニガ手なものというのはありますか。

Tsuji. いわゆる"人情もの"は、本来の私の芸 域に入らないものですので(笑)これには正直 まいりますね。ですから、ササエさんの雪室 俊一さんには、くやしいかなかなわない。

TA. 辻さんの場合、脚本のヒントはどんなも のから得るのですか。

Tsuji. とくにはないです。ただ私の場合は「そ んなバカナ!」といったことの中からヒント を得ていることが多いですね。ですから普段 から、それこそ、アホなことを、しっかりと 見たり聞いたりするようにしているんです。 映画などもA級よりB級の映画の方を観た方 が参考になりますね。

TA. それから辻さんは筆の早さでスーパーマ ンなどといわれていますが、たとえば30分も ののアニメはどのくらいで書かれるのですか。

Tsuji. 本当に慣れたもので、調子がよければ2 時間30分ぐらいでしょうか。二百字詰めの原 稿用紙で時速二十枚といったところです。

TA. 最後に、辻さんのアニメに対する姿勢み たいなものをお聞きしたいのですが。

Tsuji. アニメとか漫画というものは、過去の財 産を食いつぶすというのでなく、常に前進し なければいけない。つまり、タブーといわれ るものを破っていくことに値打ちがあると思 うのです。現にこれまでの名作といわれる、 例えば「鉄腕アトム」。日本で毎週テレビアニ メができるわけがない、バカバカしい、とい われた。「巨人の星」なんかも、あんな劇画は アニメでは無理だ、とさんざんコキおろされ た。しかしいずれも結果的には大ヒットして いる。私は、これからも冒険心を持って、少 しづつでもいいからタブーを破るアニメを書 いて行きたいと思います。

TA. ありがとうございました。

Otasukeman Roundtable


Roundtable Particpants:
Noriko Ohara
Kazuya Tatekabe
Jōji Yanami

スタッフは大変な頭脳集団だ

Tatekabe. たてかべ 今度の「オタスケマン」 は、シリーズの中でも特別面白いで すねえ。

Ohara. そうね。役柄も、相変わらず だけど、やはり面白くなってるなあ って、演じてて感じるわね。

Tatekabe. 前のも勿論面白かったけ ど、「オタスケマン」は僕の好みに 合ってるんだな。トンマノマントが 歴史をなんとか歪めてやろうとする。 その着想が、とっても面白い。

Yanami. しかし、我々も長いこと、 よく同じ役ばかり続けて来たなあ・・・。

Ohara. もう5年ですよ。5年も・・・・・・ タイムボカン・シリーズが始まっ てから……信じられます?

Tatekabe. ほんとですねえ・・ 5年 って、やっぱり長いですよ。毎週だ もの。もう、吹込みやる月曜日にな ると、なんとなくスタジオへ足が向 いちゃうんだなあ・・・・・・。

Ohara. 条件反射ね。月曜日、即タイ ムボカンという感じで。

Yanami. 5年間てのは恐ろしいね、 考えてみたら。普通の神経で出来る もんじゃないな。(小原さんの方を 見て)まあ、指導者のおネエさんが 素晴らしい人だから、ここまでやっ て来れたんだろう。

Ohara. いえ、お父さんがいいからですよ。

Yanami. 僕が、お父さん?

Ohara. で、カベやんがお兄さん。 (三人、笑)

Tatekabe. とにかく、お二人の才能 の賜物ですよ。僕はそれにくっつい て行ってるだけで。

Ohara. これじゃ、よいしょ大会にな っちゃうわよ。(笑)でも、八奈見 さんという大先輩のお力で、うまく スタート出来たわけですよ。

Yanami. いや、途中からはおネエさ んがバッチシ、リードしてってくれ たじゃないですか。昔はここまでム チャクチャな芝居しなかったもの。 僕はノンコを尊敬してきちゃった。 これぐらいクズせる女優さんっての は、ザラにいないね。

Ohara. それはないでしょう。

Yanami. 全く偉大な女優さんだって ことだよ。(笑) 昔はそうは思わな かったけどなあ・・・・・・。

Tatekabe. 小原さんって、昔はちょ っと、とっつきにくかったな。洋画 のアテレコで、ブリジッド・バルド ーとかジェーン・フォンダとか、雲 上人のようなイイ女ばかり演じてた ものねえ。

Ohara. いい女の声ばっかりやってた から、本人もいい女だと思っちゃっ たわけね。

Yanami. 今のほうが天下って、人間 的で......。

Ohara. どういうこと、それ? (三人、笑)

Tatekabe. ところで、よく訊かれる んですよ。キミたち三人は画面の中 では大変仲がいいけれど、プライベ ートな面でも仲が良いんですかって。

Yanami. それは訊かれるまでもなく、 当然のことでしょう。仲が良いって いうか、気が合うんだよねえ。 小原 仕事で集まれば、パッと仲の 良い三人組が出来てしまうわけね。 スタジオへ入ったら、ひとりひとり がピシッと持ち場をやっている。そ うすると、もうトリオになっている のね。まるで、三人は一緒に住んで いるのではなかろうか、と言われる ぐらいで......。 (笑)

Yanami. 我々の世界では、誰もがプ ライベートでも仲良くつき合ってる ものだからね。そこに、仕事に対す る責任というのが加わってくるんだ な。

Tatekabe. そう、仕事の時間を守る ことは勿論だけど、スタジオ入りす る月曜日は、我々は勝手なことをし てちゃいけないし、どんなことがあ っても他人に迷惑をかけてはいけな い。そうやって5年間やって来まし たからね。

Yanami. 我々ひとりひとりがそう思 っているところに、三人のチームワ ークの原点がある んじゃないかな。

Tatekabe. 僕はと くに小原さんと会 うことが多いです ね。「ドラえもん」 でジャイアン役や ってるから、そこ でも小原さん(の び太役)と一緒で すし...。

Ohara. 土曜が「ド ラえもん」で月曜 が「オタスケマン」 でしょう。うちの ダンナ様より、カ べやんに会う回数 の方が多いみたい ね。(笑)

Tatekabe. そうい えば、この前「ド ラえもん」のスタッフの人がボヤい てましたよ。いつも視聴率がいいん だけど、土曜になるとストンと落ち るんだって。

Ohara. そうそう、 「敵はタイム・ボ カン・シリーズだ」って、私とカベ やんの方を睨むのよ。丁度、メカ戦 の一番面白いところとぶつかるでしょう。

Tatekabe. 両方としては、辛い立場 ということですな。(笑)

Yanami. でも、このシリーズのよう ナンセンス・パロディが5年も続 くっていうのは、初めてじゃないか な。「サザエさん」のような日常的 なものなら分かるけど......。それは、 スタッフのもの凄いエネルギーの投 入があるからだろうね。

Ohara. ナマハンカな力じゃ出来ない わよ。このシリーズは、マンネリを 逆手にとって、マンネリであること をかざしている番組ですから。この スタッフは大変な頭脳集団だと思う わ。パジャマ党に優るとも劣らない ギャグの勉強をなさっていますよ。 よくネタがつきないと思うくらい・・・

Yanami. 普通の頭じゃ、こんなに長 いこともたないな。

Tatekabe. 僕らがこうしてやって来 れたのは、スタッフの皆さんのおか げですよ。企画から制作まで常に情 熱をかけて作ってくれた。番組が長 続きしているのは、そのおかげです。 僕らの側から言えば、音響監督に本 当に御苦労様って言いたいですね。 僕らとスタッフのパイプ役になって 番組を創造して行くっていうのは、 一番大変な仕事じゃないかな。

Yanami. うん、そういう人たちの力 があって5年もの間やって来れたっ ていうことを、忘れちゃいけないな。

Tatekabe. ええ、そして、その中に 僕らも居られるってことは、本当に 幸せだなって感じますね。

Ohara. やはり演じてる方も面白いん ですよ。とくにこの悪玉トリオね。 この三人がいたら、5年も続くのは 当然のことのように思えてくるわね。

Yanami. かなりズーズーしいところ があるからね。それが楽しい。

Ohara. このトリオはもう、番組の以 前からいたんじゃないか、世の中が なくなっても三人だけ生き延びてい るのではなかろうかって、そんな気 がするのよ。

Tatekabe. そこが、この三人組のキ ャラクターの唯一の取り柄というか、 ウケているゆえんというか・・・・・・もは 当然のことのように、デンと居す わってる感じだものね。

Ohara. 例えタイムボカンシリー ズが終わったとしても、このトリオ だけ、違うところで生き残ってしま うわよ、きっと。 (笑)

Yanami. とにかく、シブトイからね え......。(笑)

女ボスは世の男性共の憧れね

Ohara. 私たち三人は気が合うって話 が出ましたけど、そういう心許し合 っちゃうようなところが、長い間一 緒にやって来て、出来上がってしま ったようね。

Yanami. ノンコは優しい人だから。

Ohara. ボスとしては、適任ですか。

Yanami. いや、ほんと、まったく...。

Ohara. でも、マージョ、ドロンジョ、 ムージョ、そして今回のアターシャ と一連の女ボスをやって来ましたが、 唯ワルの女というと強いみたいです けど、私がひとつ狙ったところは、 女って偉そうなこと言っても、やっ ぱり男性がいないとダメなんですよ ねえ。その部分を、二人に甘えとし て助けてもらっている。もしかした ら、そんなところがウケたのかも知 れませんね。

Tatekabe. この女ボスっていうのは、 僕らから見ても、例え悪女であって も魅力のある、どこか可愛い女なん ですよ。小原さんとダブってきちゃ うわけ。

Ohara. まあ。でも私、あんまり意識 的にやってるわけではないのよ。

Yanami. ノンコの持ってるいい所が、 逆に、あのキャラクターの中に出て 来てるんだと思うよ。

Ohara. 私は単なるワルッていうのは 全く興味がないし、出来ないわね。 最初のマージョ様の段階では、スゴ イ女でしたよ。私自身、とても立ち うち出来なくて・・・・・・。 それで、演じ ているうちに“ダメさ"をどんどん 自分の方へ引き寄せて来て、ドジな ようにもってったところが、皆さん の好いてくれる魅力かなって思って います。

Yanami. 小悪魔的っていうのかな。 あんまり賢い女や出来過ぎてる女よ り、ちょっとヌケてる方が可愛いか らね。

Ohara. 女はいくつになっても、可愛 い女でいたいと思うものなんですよ。 これは60歳になろうと70歳になろう と変わらない、男性から見て魅力的 な女でいたいと思う、そんな女の心 理を表現したのが、このシリーズの 美女たちなんですが、お分かりいた だけますでしょうか

Tatekabe. 男ってのは、いい女が悪 いことしても許せちゃうんだな。あ の女ボスたちは、男の全ての願望を 満たしてるんですよ。ボインも含め て、あのグラマラスな体のラインは、 男性が常に憧れるものだから。(笑)

Ohara. そういう世の男性共の憧れの 象徴が、このシリーズの一連の美女 たちね。ですから、それを演じさせ て戴いている私めは、無上の光栄と いうわけで......。その永久不変の女 性像に、今現在の一番新しいフィー リングをプラスして行くのが、5年 間の人気の秘訣じゃないかしら。

Tatekabe. 僕は小原さんって、ツキ を持ってる人のような気がするんだ なあ。小原さんがやると、番組が長 続きするんだよね。

Ohara. あら、ほんと。そう言われて みると長いですねえ…………あまり簡単 に消えちゃったっていうのは、あり ませんねぇ.....。

Tatekabe. そうでしょう。このシリ ーズも「ドラえもん」も僕なん か、小原さんにくっついてりゃ、一 生食いっぱぐれがないんじゃないか と思って......。 (笑)

Ohara. 強運っていうか、比較的長続 きするようなキャラクターに出会い ますねえ。コナンも爆発的人気でし たし、「ハイジ」のペーターも割合 人気があって、私のやったキャラク ターで潜ってしまったキャラクター はいませんね。

Yanami. ノンコ自身が、そういう雰 囲気を運んで来るんじゃないのかな。

Ohara. 私は嫌いな役に出会ったこと がないのよ。演じる役はみんな好き になれて、その役にノレるから、キ ャラクターを愛せるのね。「こんな 役?」って思うような役には、一度 も会ったことないわ。そして、その 役を皆さんが好いて下さるし、支持 して下さって・・・・・・改めて考えてみる と、不思議なことねえ・・・・・・。

Tatekabe. 代表作って言われると困 るぐらいでしょう。

Yanami. あえて言うなら、どれにな るのかなあ?

Ohara. そうですねえ……男の子の役 では、やっぱりコナン。女の役は、 この一連の女ボス。もうひとつミス テリアスなところで、「キャプテン ・ハーロック」のミイメね。

Tatekabe. 全部違ったキャラクター だね。

Ohara. まあ、キャッチフレーズは、 美女から男の子”ってところね。 その他に犬の役もありましたから、 人畜いっさい・・・・・・。 (三人、笑)

Tatekabe. 洋画のアテレコも含めて これまで小原さんは数々の女性を演 じて来ていますが、そういういろい ろな女たちのパロディとして、女ボ スを演じているような感じだね。

Ohara. そう、アターシャ様の中には、 鉄火肌の女やイロッぽい部分もある し、またヤンチャな男の子の部分も ありますからね。勿論、悪役も十分 満足出来ますし、この女ボスの役を 演じられるのは本当に幸せというか、 楽しいというか・・・・・・ キャラクターの 中にいろんなニュアンスを表現出来 る役を演じられるのがステキね。

Yanami. 我々も月曜日の吹込みが楽 しみだからね。

Ohara. 一週間の間、洋画のしっとり した美女などをやって来るでしょ、 で一週間経って「ただいま」って感 じでこのスタジオに戻って来ると、 なぜかホッとするわ。

絶妙の"間"がキメ手なんだ

Tatekabe. それにしても、タイム・ ボカンシリーズのアフレコのスタ ジオっていうのは、いつも明るい雰 囲気でいいねえ。

Ohara. 他の声優さんたちも、皆さん 楽しんで芝居しているようね。

Tatekabe. やはり、ディレクターが 才能ある人を集めてるんだろうね。 ユニークな人たちが集まってるから、 自然にアドリブがポンポン飛び出し て来て、僕なんかオタオタしちゃう。

Yanami. 脚本もよく出来てるよね。 アドリブが普通のセリフの中に隠れ ているんだから……そういう、脚本 を書く人との密着度も大きいね。

Tatekabe. 脚本の笹川先生もそうで すが、足かけ5年もやって来ると、 スタッフの人が我々のことをすっか り分かっちゃっているんだね。毎回 アドリブが自由に使えるようになっ ているもの。

Ohara. そうね。普段食事などしなが らいろんな話が出るのを、すぐネタ に使ったり、知っている人の名前を 作品の中で怒鳴ってみたり・・・。だか ら、このシリーズは、公私混同の最 たるものね。

Yanami. その辺が、荒唐無稽であり ながら、非常に親近感の感じられる ゆえんだろうね。

Tatekabe. そういえば、笹川先生が、 八奈見さんは声優のチャップリンだ って激賞していましたよ。ペーソス もあるし…...。

Ohara. 八奈見さんって、恐ろしい天 才だと思うわ。

Yanami. そんな......。

Ohara. 私のセリフやアドリブを八奈 見さんが受け手に回ってくれますけ ど、ストーンとお見事というか、絶 妙のうまさですよ。これは計画した ものでも、書かれたものでもなく、 八奈見さん御自身の持っている味な んですね。

Tatekabe. 普段は別におかしいこと するわけでも、なんでもないけど、 どこか傑出したユニークなものを持 ってるんですよ。

Yanami. いやあ······二人にそんなこ と言われると、やりづらくなっちゃ うなあ......。

Ohara. 飄々としてたくまざるテクニ ックの恐ろしさね。普通5年も一緒 にやってますと、こう言ったらこう 返ってくるだろう、という計算が立 つものですけど、八奈見さんの場合 は、どこからどう受けて来るか、全 く分からないもの。 たてかべ そう、どこから弾が飛ん で来るか分からないだけに、常に三 人とも緊張してやってられるわけで すよ。

Ohara. こちらも弾を投げるけど、ロ ングで投げてたのが、突然ショート ボールになって返って来るような面 白さがありますね。

Tatekabe. 八奈見さんって、ああい う演技の栄養源を、どこでどう蓄え て来て、スタジオで出すんでしょう かねえ……つかまえ所がないんだな ......。

Ohara. まるでウナギね。(笑)

Yanami. いや、蓄えなんてものはな いよ。スタジオへ入って、パッと絵 を見て、それからアドリブなどを考 える。と言っても、行き当たりバッ タリだけど....。

Ohara. 全て直感ね。

Yanami.直感というものでもなくて、 僕がこういうコミカルなもので、一 番大切にしてるのは、タイミングの 感覚なんですよ。お互いのセリフが ポンとキマリさえすれば、あとは、 そんなに真剣にやることもないしね。

Ohara. いわゆる”絶妙の間”という やつね。 八奈見その“間”さえうまく取れ れば、いいんですよ。

Ohara. その〝間”でも、ラジオドラ マなどは自分の”間”で出来ますけ ど、アニメーションは絵の口の動き に合わせなければならないのに、そ れでも絶妙の間”が出て来るとこ ろに、八奈見さんの真価があるのよ。

Yanami. いやあ、結構いい加減なん だけどなあ・・・・・・

Tatekabe. いい加減であんなに面白 いのなら、僕らだっていい加減でや りたいものだなあ。

Yanami. 僕だけじゃなくて、カベや んもノンコも、いい加減になって来 てるんじゃない。それが、僕にはと っても嬉しくって……こういう作品 は、肩をイカらせてやっても、観て る方は疲れてしまうよ。

Ohara. 決まりきった、セリフに書か れたことを喋るだけじゃない、とい う意味。

Yanami. そうそう。二人とも遊べる ようになったってこと。その辺でキ ャッチボールやってるような気軽さ で、演技にも余裕が出て来たね。

我々トリオをラジオで使って

Ohara. でもね、八奈見さんには泣か されましたね。いじめるんですもの。 笑わせて、笑わせて・・・・・・何回泣かさ れたか……本当に涙を流して笑い泣 きしましたよ。

Tatekabe. とにかく、よく笑ったね え。本番では、おかしいの我慢しな きゃならないのは辛かったなあ。と くに最初の頃は、よく笑いこけたも んだなあ。

Ohara. 次のセリフ、言えなかったも のね、涙ながらで......。

Tatekabe. 八奈見さんの次に喋る人 はタマンないよ。いかに八奈見さん の言葉を聞かないようにするかとい うのが問題でして・・・・・・(笑)聞かな きゃやれないし、この苦しみたるや 大変なものでしたよ。

Ohara. 八奈見さんって、女を泣かせ る悪い人ね。(笑)

Yanami. そりゃないよ。(笑)

Tatekabe. 僕に言わせれば、男も泣 かせるイジメッ子ですよ。でも、最 初は、どうしてあんなに笑いこけた んだろう? 新鮮だったんでしょう ねえ。

Ohara. そういえば、最近あまり笑い 泣きしなくなったわね。

Tatekabe. 新鮮味がなくなったかな ? こりゃ、ちょっと考えなきゃい けないな。(笑)

Yanami. でも我々、よく考えながら やったよね。こういう番組はマンネ リになって飽きられてしまいがちだ けど、ひとりひとりが何かを出して やろうと努力して来たから、どこか しら新しい面白さが加わってるんじ やないかな。

Tatekabe. 番組全体がマンネリに陥 りそうになって、スタッフの人たち と相談しながら、気合を入れ直した こともあったっけねえ。

Yanami. うん、また新しい気持ちで やり直そうってね。

Tatekabe. それから、番組やってて、 若い人たちが一所懸命やってるから、 常に新鮮でいられるっていうのはい いですね。僕らは、もしかしたら遊 んでるみたいな所があるかも知れま せんが......。

Ohara. 若い人たちも大変ですよ。こ ういう既に出来上がっている番組の 中にスッと入って来るっていうのは、 一所懸命でなければやれないですよ。 ただ書いてあるものを読めばいいと いうものではありませんし、そうい う必死さのようなもの見てると、可 哀そうに思えるときがあるわ。

Yanami.これから、新しい人たち、 新しい才能にもどんどん出て来て欲 しいね。

Ohara. それにしても、こんな長い間 ほんとに何事もなくやってこれて、 幸せでしたね。たまに私が、病気で アナを開けてしまったこともありま したけど......。

Yanami. 二回ほどあったかな。そう いうとき、一番心配になるんだよな あ、風邪が流行ってたりすると。 小原 私などは、一年に一度、盛大 に風邪ひきますものねえ。

Tatekabe. でも、前より強くなった んじゃないの。 小原 そうね。アナを開けないよう、 最近は頑張ってますよ。 八奈見 ひとり欠けたらやりにくい しね。まあ、やりにくいというより、 もう出来ないと思っちゃうから......。 小原 私の声が出なくって、仕方な 私なしでやって貰ったときなど、 申し訳なくて…私は後で吹込んだ りしても、オンエアを観るとどこと なく、いつもと感じが違うんですよ ね。そういうとき、本当にすまない なあって気持ちになります。 お二人 の恩義に報いるためには、只々健康 あるのみです。 ましょう。

Tatekabe.病気になれないから、怖 い仕事だね。ひとりひとりが居なけ ればならない存在になってるからね え......。 とにかく健康には気をつけ

Ohara. 話は変わりますけど、私は、 ラジオで三人一緒にやりたいなあっ て思ってるんですよ。中年パワーで、 いかがなものでしょう。

Tatekabe.そう、一緒にやれたら面 白いだろうね。

Ohara. この企画、どこかのラジオ局 でやってくれないかしら。別にこの キャラクターでなくてもいいんです けど、ラジオで一時間ぐらい、この 三人にフリートーキングやらせたら オッカシイんじゃなかろうかと思う わ。

Yanami. 喋り始めたら、終わらなく なっちゃうよ。 (笑)

Tatekabe. 僕なんかは、ウン、ウン、 って言ってるだけの無口な役で・・・・ 何時間でももちますよ。

Ohara. よく言いますよ。(笑)

Yanami. 最近のカベやんは、結構自 己主張が強くなって来たから、マイ クを独占するんじゃないかな。

Ohara. 八奈見さんは大先輩で、 ラジ オしかない時代から仕事してますか ら、ラジオへの思い入れというか、 ラジオでやりたい気持ちがあるんじ ないかしら。

Yanami. 今、ラジオでそういう番組 やってないの?

Ohara. やってないですよ。もう一度 私たちをラジオで使って欲しいわ。

Yanami. 絵から離れて会話だけでも 相当おかしいよ、きっと。

Tatekabe. 是非やってみたい気がし て来たね。悪玉トリオはラジオにも オジャマムシ、てな具合になったら、 楽しいだろうなあ。ラジオ界は我々 を見逃がしている手はないよ。(笑)

Yanami. まあ、何はともあれ、今後 も我ら三人組、これまでにも増して 頑張って、トリオの意気が上がるよ うに…唯それのみだね。

Hiroshi Sasagawa Feature
できればいつでも笑い 顔で暮したいみたいな ところがあるんです。

皆と一緒に楽しんでアニメを作る

TA. 現在、笹川さんは「タイムボカンシリー ズ オタスケマン」(竜の子プロ)と「メー テルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険 旅行」(アカデミー製作)の総監督をなさっ ていますが、両作品の反響などを聞かせて下 さい。

Sasagawa. 「タイムボカンシリーズ」はもう5年 にもなりますが、こんなに長い間一本の作品 にたずさわるというのは、めずらしいですね。 私は、あの30分間を視聴者の皆さんと一緒に 遊ぼう、という気持でやってきました。ナマ 番組じゃないから視聴者の皆さんが参加する というのも限度がありますけど、いわば解放 区とでもいうんでしょうか、皆さんと一緒に なって楽しむというふうに作ってきたんです。

TA.「タイムボカン」「ヤッターマン」「ゼ ンダマン」そして「オタスケマン」と続いて るわけですね。

Sasagawa. もう5年もやりますとね、マンネリだ とかワンパターンだとか・・・(笑) ま、それ はそれでいいんですが、ある意味で視聴者の 方々に、いくらか不満が出てきたんでしょう かね。といって180度変えてしまうと、逆に皆 さんに違和感を与えやしないかっていうこと もありますしね。

TA. そこで、いろいろ工夫を凝らすわけですね

Sasagawa. ええ、そうなんです。で、今度のは、 敵も味方も同じ指令官のもとで、同じ制服を 着ている同じパトロール隊の隊員という設定 をしたわけです。その辺が喜ばれているみた いですね。

TA. ゲキガスキーがいいですね。

Sasagawa. そうなんです。三悪人がいるんですが その中の半人前の隊員であるゲキガスキー、 劇画調のイイ顔してるんですが、この頃、主 役を食っているんですね。人気が出てきたん ですよ。それで今、ゲキガスキーの歌をつく ってるところなんですが、近々できあがりま すから、楽しみにしていて下さい。

勝太郎さんの浪曲も出てきますよ

TA. もうひとつの「青い鳥」の方は、いかがですか。

Sasagawa. この物語は有名な割には原作は読まれ ていないんじゃないかな。実にいい話でね。 内容はとても哲学的なんですよ。人間愛につ いてとか幸福についてじっくり語っているん ですね。もともと非常に地味な話なんです。

TA. なるほど、そういう意味ではアニメ向き じゃないような感じがしますけど・・・。

Sasagawa. 原作をそのままアニメ化するわけには いきませんね。第一、シリーズ26話になんか とても延ばせませんしね。それに、今のTV を見なれている子供には、内容がいささか重 くて楽しくないかもしれないんですね。ま、 そういうことをふまえて西崎プロデューサー と話合ったんですが、風景と原作の底に流れ るテーマだけはきちっと生かして、あとはも オモシロオカシくやろう、ということにな ったんですね。

TA. 笹川さんの手にかかったわけですね。ギ ャグ仕立ての…(笑)

Sasagawa. 現代っ子もいっしょについていけるよ うに、ということですね。ギャグもふんだん に入ってますしね。基調としてはアドベンチ ャー色を強くしました。保守的な人には非難 されたりしましたが、なるべく多くの人に見 てもらおうということで・・・。西崎さんが私を 起用したのもそのへんのねらいがあったんだ と思いますね。

TA. そういえば「ヤマト」の西崎さんとギャ グの笹川さんの結びつきというのも素晴しい ですね。

Sasagawa. 私は18~19年ぐらいずうっと竜の子プ ロでやっていたんですが、去年の2月頃、西 崎さんに「一緒にやってみないか」と誘われ たわけなんです。私も興味があったんですよ ね、「ヤマト」の西崎さんが次に何をやるのか ってね。そして、一緒に作ったのがこの「青 い鳥」なんです。

TA.「青い鳥」のこんごの見せ場はどんなところなんですか。

Sasagawa. 話はいまいったようにオモシロオカシ く、さらに楽しく作っていますが、もうひと 画面的にとてもきれいなファンタジックな シーンがあるんです。その場面を、毎回、ミ ュージカル的にやるんですね。そのあたりが 喜ばれているようです。 曲も毎回一曲一曲新しいものを作るんです よ。劇中人物がうたったり、情景の歌だった りするんですが。制作側もこのシーンにはこ とのほか力を入れていましてね、田村丸さん や日高仁さんなどを中心に音楽構成班をつく っているんです。 いろんな歌があって楽しいですね。 この先ですか、そうですね、玉川勝太郎さん の浪曲があったり、コンピュータの歌が出て きたり、だんだんエスカレートしてきますよ (笑)。

血を見るのが イヤなんですねぇ

TA. アニメの仕事に入られたキッカケは?

Sasagawa. 私はもともと雑誌にマンガを描いてい たんです(編集部註・代表作に「魔犬ゴロー」 「ワンワン刑事」などがある)。手塚治虫先生 のところにもアシスタントとして2年ぐらい いました。そこでいちばん影響を受けました ね。もともと動くものというか立体的なもの に魅かれていましたしね。で、ひととおりア ニメの技術を覚えるために東映動画養成所に 入りました。それ以後ですね。亡くなられた 竜の子プロの吉田竜夫さんから「アニメーシ ョンをやってみないか」ということになりま して、竜の子プロに入ったわけです。昭和30 年頃でしたかね。「鉄腕アトム」が放映され た、翌年だったと思います。

TA. それから今まで、笹川さんがアニメづく りで心がけてきたことは、どういうところで すか?

Sasagawa. まず、大勢の人に観てもらわなければ いけないという点ですね。若い人にもこの辺 りのことをよくいうんですがね。「気取るなよ !」って(笑)。なるべく多くの人に楽しんで もらおう、と思って作ってます。ところがそ れがなかなかうまくいかないんですね。なか なか当らないんですよ(笑)

TA. 笑いに対するお考えを...。

Sasagawa. たとえば小さな子供がマンガを見てボ ロボロ泣かされていたとしますね。すると親 御さんは「うちの子が涙を流して・・・、うちの 子にもこんな気持があったのか」なんて驚い たりしますね。そして、いつのまにか、そう いうマンガはいいマンガだなどといわれるよ うになりますよね。ところが泣かせるという のは、仲のいい人を殺したり、あるいは別れ の場面をつくったりすれば、大概泣くと思う んです。ですから、泣かせるよりも笑わせる 方のが私としては好きですね、むずかしいで すけど・・・。第一、笑い顔っていいじゃないで すか、好きですね。

TA. なるほど。しかし笑わせるというのはむ ずかしいですね。

Sasagawa. そうですね。ただ笑わせればいいとい うことでもないですからね。下品なことをや ったり、くすぐったりしてまで、やることは ないですね。…仕事柄、アクションものなど もくるんですが、戦いのシーンになるとどう しても止まるんですよ、戦いができないんで すね。たとえば「オタスケマン」でメカに斧 ッとささるようなシーンがあるとします ね、鉄だからいいようなもんですが、それで も、なんか、そこがやりたくないんですよね。 臆病なんでしょうかねぇ。ま、できたらいつ でも笑い顔で暮したい、みたいなところが私 にはあるんです。

TA. こんご手がけてみたい作品は?

Sasagawa....今までとちょっと違うもので〝恐怖 もの"なんかやってみたいですね。反動みた いなもんですがね。それと、実写、撮ってみ たいですね。アニメの限界みたいなものをみ てますしね、現在のようなアニメの制作状況 は良くないですからね。実写ですか、そうで すね、たとえば〝宇宙ギャグ"というか”ス ペースギャグ"というか、そういったものを 撮ってみたいですね。夢みたいな話ですが。

このままではアニメは飽きられる!

TA. 笹川さんの尊敬している人は? あるい は、もっとも影響を受けたという人は?

Sasagawa. 影響を受けているし尊敬もしているの は、手塚治虫先生ですね。先生の場合、私だ けではなくてね、大変偉大な人ですよ。私の 場合は先程もいいましたが、先生のアシスタ ントを2年程やっておりましたから、もう、 直接影響を受けていますね。それと、アニメ ーターの人では二宮常雄さんと田中 さんで すね。この人たちはギャグを描かせたら天下 一品でしてね、いまは、なかなか機会がない んですが、いずれは一緒に仕事をしてみたい と思っています。

TA. 昨今、外部からも"アニメ・ブーム”と かいわれていますが、そこらへん、関係者と してどうお考えですか?

Sasagawa. はっきりいって、アニメの社会的地位 は、まだまだ低いですね。たとえば、劇場用 アニメを作る場合など必ず実写の有名な監督 さんをたよるようになりますね。アニメの監 督なりアニメにたずさわっている連中が単に 工場で働いてるような、そんなイメージがま だまだありますね。本当は、そんなことない んですがね、素晴しい人たちが大勢いるんで すけどね。それに、作品にしても雑誌などで 人気のあるものとか・・・ね。そうではなくアニ メーター側から出る作品が当然あっていいと 思うんですがね。

TA. そのあたりを、もう少しくわしく話して ください。

Sasagawa. いまの状況をみてますと、ますます安 全商品が売れて、やってみなきゃわからない という不安定な商品が出にくいんですね。 名作ものや、人気マンガ、あるいはパートⅡ とか、そういうものしか出てこないんですね。 そこに問題があるような気がしますね。

TA. たしかにそうですね。

Sasagawa. 竜の子プロの場合、一連のオリジナル ギャグアニメの路線を作っていたので、その 点で、非常にめぐまれていましたね。ま、し かし、買う方にしてみれば当るか当らないか わからないですから、心配ですよね、そりゃ (笑)。従って誰でも知っているパートⅡもの とか、そういうものになるんですね。そうい うのもあってもいいと思います。が、ここで いいたいことはこのあたりでアニメにたずさ わっている人たちが、もっともっと独創的な ものを、オリジナルで出していかないと視聴 者に次第にアニメそのものが飽きられてしま う、ということですね。安全商品である名作 ものウンヌンもそろそろ底のつく頃合いです し、アニメにとってこれからが大事な時期じ やないかと思いますね。これからは作り手側 の方からの自主制作みたいなものが出てくる 可能性もありますね、そういう動きに期待し ていきたい気持があります。いろいろな制約 のなかで自己主張していくのは大変なことと 思いますが頑張ってみたいと思ってます。

TA. どうもありがとうございました。

June

Osamu Dezaki Feature
菜種梅雨が満開の桜を無残にも散らして いる4月にしては少し肌寒いある日、仕事 場のマッド・ハウス(東京・南阿佐谷)の すぐ近くの喫茶店でひとり黙々と「ベルば ら」の絵コンテを描いていた出崎統監督。 ムム…なにやら近寄りがたい雰囲気だ ぞ(?)"と思いながら「こんにちわ! お じゃまします」と声をかけてみると「わ! 忙しいもんで、こんなところで描いてるん ですよ。ま、どうぞどうぞ」と人なつっこ い笑顔でニッコリ迎えてくれました。 さっそく、現在手がけている「ベルばら」 や、あの名作「あしたのジョー」「家なき子」 等、出崎作品を中心に、そのアニメ観や製 作裏ばなし、あるいは出崎演出の秘密など を、ざっくばらんにうかがってみることに しました。

僕なりの演出方法で

いま手がけているのは「ベルばら」のほ かに 「坊っちゃん」があります。これは例 の日生スペシャルの番組で6月13日にフジテ レビでオン・エアの予定です。竹内啓雄さん と共同演出でやっているんですが、そんなわ けで現在、ちょっと忙しいんですよ。 「ベルばら」は第1話から演出を担当しまし た。それ以前の演出と変わっているかどうか ということは、僕は僕なりのやり方でやるし かないですからね。ただ原作にはできるだけ 添おうという意識でやっていま すけど・・・。なかなかむずかしい 原作ですからね。変わってしま ったりするんですよ。そんなと き、視聴者の皆さんからお叱り を受けたりするんですけど···· (笑)。まあ、劇画とテレビでは 基本的に違うものですから、と いうことでおゆるしを願うわけ ですがね。 途中から演出を交代した件に ついては、ちょっといえない ですが、実ははじめからやって 欲しいということだったんです けれど、僕の方の都合でだめだ ったんです。少しわがままで申 し訳けないと思っているんですけれど・・・・・・。 再度要請がありましたとき、ちょうど僕の方 も一段落したところでしたのでお引き受けし たわけなんですが、途中からというのは、そ れなりにやはりむずかしいですね。

小さい頃からマンガ家志望

ディズニーなんかは知っていたんですが、 アニメそのものには全く興味をもってなかっ たんですね、僕は(笑)。でも、もともと映画 やマンガは大好きだったんです。とくにマン ガはもうとても好きでね、小さいころから“将 来はマンガ家になりたいな”って思ってたく らいなんです。 僕らが高校時代の頃、貸し本マンガという のがはやっていましてね。高校2年生ぐらい のとき、何かにつけて僕に目をかけてくれて いた松本正彦さんという方と一緒に貸し本マ ンガを描いていたんです。劇画でいうと、白 家志望の高校生だったもんで、授業中、ノー トや教科書にマンガばっかり描いていたんで すよ、 勉強そっちのけで(笑)。そんなわけで 卒業が危なっかしくなっちゃいまして…(笑)。 でも一応、卒業だけはしなくては…、と思い まして、先に就職を決めておこうという作戦 に出たんですね(笑)。兄のコネを使いまして 土三平さんの「忍者武芸帖」 や、さいとうたかをさんが 出ていた頃ですね。本当は できればそのままマンガ家 になりたいと思っていたん ですけど、卒業する頃にな ると、どういうわけか、そ の貸し本マンガが次第に下 火になってきたんですね。 それで僕もなんとなく描か なくなっちゃいまして・・・。 ところが、なにしろマンガ 川崎市の溝の口にある東芝・玉川工場へ就職 を決めて、なんとか卒業できたんです。 その会社に一年半ぐらいいたんです。もち ろん新しい生活に入ったんですから、そこで 一生懸命仕事をしようとは思っていたんです が、やはり忘れられないんですね、マンガが。 仕事中、いたずら描きしたり、ろくすっぽ仕 事をしなかったりで…、大変な社員だったと 思いますね(笑)。一年半いて3時間ぐらいし か残業をしなかったんじゃないかな。とんで もない社員ですね。これは(笑)。

とにかく絵が描きたくって...

僕は会社の寮に泊っていたんですが、 就職 して一年半ぐらいたったときの夏休みに、久 しぶりに実家に帰ってのんびりしてたんです。 暑いもんだから家の中でゴロゴロしながら 新聞を読んでいたら、求人欄の隅っこの方に 載っていた虫プロの社員募集の広告が目に入 ったわけなんですよ。 虫プロダクションといえば手塚治虫さんの プロダクションで、僕はもう手塚さんにあこ がれていましたし、とにかく虫プロに 行けば絵を描くことができるんじゃ ないかなって思いましてね、受けて みたんです。そしたら受かったん です。 その頃、西牧秀雄さんや 真崎守さん、乳井さんなど がほぼ同期でいました し、先輩には村野守美 さんたちがいましたね。 どういう仕事をする のかなと思っていたら 「鉄腕アトム」の動画部に 配属されて、絵を描いていま した。いわゆるアニメーターですね。 結構、楽しかったですね。そんなところが、 この世界に入ったキッカケですね。 こんなに 長くやるとは思っていなかったですが......。 でも僕は、虫 プロには1年ぐ らいしかいなかった んですよ。動画部で原 画を描いたり、第二原画をやったりしてとて も楽しかったんですけど・・・。 その内、東京ム ービーができて「ビッグX」というのを始め たんですね。で、バイトでその作品の絵コン テを切ったんです。第6話だったかな。

次第に演出を手がける もともと、自分でストーリーをつくってマ ンガを描いてたもんで、なんとなくこっちの 方が面白いのね。比較的簡単にできるんです ね。 そういうバイトをやっていた頃、 ょうど虫プロで僕の先生格にあたる杉井ギサ ブロウさんが虫プロを辞めて〝アート・フレ ッシュ"というプロダクションをつくるとい うことで、誘われましてね、僕も一緒に辞め たんです。 アート・フレッシュに移ってからは、虫プ 口の下請けというかたちで、月1本の割合で 「アトム」をやることになり、高木厚さんを 含めて3人で交代 で演出・作画なん かを担当すること になったんです。 そういうことで徐 々に絵コンテを描 いて演出を手掛け るようになったわ けなんです。 その時のメンバ ーには作画では吉 川惚司さん、奥田 誠治さん、杉井興 治さん、宇田川一 彦さん、それに社 長として福島信行さんがいました。 その後、出崎統さんは「悟空の大冒険」 「わんぱく探偵団」「どろろ」等の演出を順 調に手がけてきて、いよいよテレビアニメ 史上名作とうたわれる「あしたのジョー」 と出合うことになる。

「ジョー」との出合い

そうですね、作画を全然やらなくなったと いうのは、やはり「あしたのジョー」あたり からかな。それまでは、ちょこちょこと演出 と作画を兼ねていたわけなんですが、 演出一 本に絞ったのは、やはり「あしたのジョー」 からですね。もっとも間に合わなくって作画 をやったこともありますがね(笑)。そういえ ば、もう10年も描いていないんだなあ。 演出するにあたって心掛けてきたことです か。そうですね、今、はっきりいえることは、 自分自身を含めて”人間とは何か"というこ アニメを通してつかんでいきたい、人間 に対する興味を絶えず失なわないでやってい きたい、ということですね。 いわゆる絵で動くキャラクターなんだけど それは何かの象徴、人間のある部分の象徴で あるという考え方ね。人間の持つあるリアリ ティがそこに投影されれば、アニメだからと いうだけにとどまらず、人間性そのものを表 現できるのではないか、と思うんですね。 例えば、いかにもアニメ・アニメしたよう な、幻想的な作品でも、それはいえるんじゃ ないかと思うんですよ。アニメを観る人が面 白いと思ったり、笑ったり泣いたり、美しい と思ったりするのは、結局作り手と受け手と の人間性を媒体にしたつながりがあって、そ うできるのであってね。単に泣かせたり笑わ せたりするというのならテクニックでできる んですが、やはり、いまいったようなところ でなんとか表現してゆきたいなと思っていま す。 そういう意味では、僕にとって「あしたの ジョー」が印象深い作品ですね。「ジョー」 をやっていたとき僕はスケジュールもなにも ギリギリの状況の中にいたんです、作品をつ くる上でね。こうなったら、 もう自分自身をぶつけるほか ない、そうしないと作れない、 そう思いました。「ジョー」で 裸にされました。裸にされて、 やるしかなくって、それには 自分のものを出すしかなくっ て、という状況の中で、僕は 人間のリアリティというもの に徐々に興味を憑かれていっ たんだと思います。 ということで、その体験は、すごくよかったと 思ってるんですよ。出来、不出来はあったと思 うけれどね。特に、その時の仲間がすごくい い仲間だったんですね。みんなからいろいろ と触発されたところもあったしね。いろんな 意味で「ジョー」は僕にとって原点だったよ うな気がしますね。それ以前にいろいろ作品 をつくってきましたが、その頃は漠然と、そ ういうものを感じてはいたけど、自分 自身でハッキリと意識したのは「ジョ ー」をやったときだった んです。

もう一つ のテーマ

作品の内容に関するテ ーマとは別に、演出家に とって、もうひとつのテ ーマというのがあるんで す。それはスタッフとの テーマですね。演出家とスタッフの関係とい うのは、アニメーションを作る上で非常に重 要な部分だと思います。 スタッフが作品といかにまじめにとりくめ るか。または楽しんでとりくめるか。そして そこから何を得ることができるか、というよ うなことを考えます。何かを必ず得ることの できるようなスタッフと一緒に僕は仕事をし たいんですよ。 ですから、時間に追われながら絵コンテを 描いていても、スタッフの人たちの 顔が浮かんでくるんですね。彼だっ たらこの部分をどう思うだろうかと か、どんなふうに描くだろうかとい う具合にね。 ワンカット・ワンカット、ワンシ ヨット・ワンショット、構図から色 から、何から何まで人が作るような ところがアニメにはありますね。 そういったひとつひとつがスタッフ の内面の意識の産物である、といっ ても言い過ぎでないところがあるの ね。だからスタッフ抜きにしてはア ニメーションを語れないと思うし、 同時に演出の仕事というのは、彼ら の内側にどれだけ入りこめるかとい ったところがあるんですよ。

仲間たちと新しいものを

作品ごとにスタッフを組み変えるというの は、ひとつの正論だろうと思いますが、アニ メーションの場合は、というより僕の場合は 今まで一緒にやってきた仲間同志で新しいこ とをやっていきたいという意識がすごく強い ですね。 こういう絵はこの人が得意だから、という ようなとき、いや待てよ、この絵を例えば杉 野昭夫に描かせたらどうな るかなって思っちゃいます ね。それは、テクニックの 問題ではなくって、信頼関 係の上でのことなんですが そういうものを保ちながら 新しいものを作っていく方 のがいいと僕は思っていま す。 切って棄ててゆくという ような、ビジネス・ライク なやり方には僕はかなり抵 抗を覚えますね。すべてが 意識の産物だとしたら、自分自身)たちが、 どう変革を遂げるかということで作品を新し く生み出していく方のが、僕は好きなんだ。 そういう意味では、よくいわれるんですが 杉野さんといういい仲間が僕にはいますね。 いつも迷惑ばかりかけてるんですけど・・・(笑)。 よしあしは別として杉野さんとは個人的な ほとん つき合いは、殆どしていませんね。例えば、 一緒に飲みに行ったり遊びにいったりとか。 彼自身、そういったことをあまりしない人で すがね。ま、それはそれとして、こちらが絵 コンテを描く。彼はそれをみて作画監督をや る。互いに仕事上での意識のぶつけ合いみた いなもので、つながっているという手応えみ たいなもんがあるんですね。そういうのって 大事じゃないかなって思うしね。僕らの仕事 っていうのは、たえず、自分の意識を仕事に 出しちゃうみたいな、いわば日常会話と同じ ようなもんだなあ、という気がしますね。

出合いを大切に

本来、僕は現実的なのかもしれないけど、 作品との出会いを大切にしたいなあ、と思っ てます。あれをやってみたい、というものも いくつかあるんですが、そういうものはまあ、 出会ったときにやればいいんだという気持が ありますね。あれをやりたいということも重 要ですが、今、我々は、どんな素材がきても やれるんだ、素晴しいものが作れるんだ、と いう方のが先じゃないかという気がしますね。 つまり「宝島」と出会えば「宝島」がいち ばんいいと思うし…、というふうに感情移入 していかないことには出来ないわけです。そ のてんでは先程いったように「ベルばら」を 最初お断りしたのは僕にとって初めてのこと だったんです。体力的なこともあって・・・。 アニメーションをやってきて、とくにテレ ビアニメなんかはそうだと思うんですが、絵 コンテで決っちゃうというところがあります ね。そこからさらに良くなるか、悪くなるか は、これは、その絵コンテによって作画の力 をひき出せるか出せないかということになっ ちゃうのね。ですから、絵コンテを自分で描 くということが大切じゃないかと思いますね。 よくも悪くも自分の責任の中で処理ができま すからね。それで、皆に迷惑かけちゃうんだ な、僕は、絵コンテがおくれたりして(笑)。 でも絵コンテを描くということが、僕にと っては作品と対話するような部分があるもん で、他人に描かせられないんですよ。逆に他 人のものを直せないという性格なのかもしれ ませんけどね、痛みを感 じちゃって。で、ま あ、そういうわけ で「家なき子」で も「宝島」にして も、僕の場合はほ とんど自分で絵コ ンテを切って いるわけです。

ギリギリまで追いつめる

よく"アニメ・ブーム”についてきかれる んですが、僕にとってはあまり関係ないと思 っています。今までやってきたことをやれば いいんだ、というふうに思っています。なん か、あまりにもつれない答え方みたいですが、 でも、うれしいことはうれしいですね、やっ ぱり(笑)。それこそ、僕らはみんな黙々とや ってるんですが、そういうことがひとつの刺 激剤みたくなって作品そのものがある種の高 揚をみて、 もっといいものをつくろうという ことになってきていると思います。それは嬉 しいことですね。 アニメーションは子供むけだ、というよう な観念がズーっとあったと思うんですが、 っとハイブローなアニメをつくっていっても いいんじゃないかと思うんですがね。ハイブ ローというのは子供にはちょっとわかりにく いという程度の意味なんですがね。 例えば、ひとつのキャラクターを追ってい って、ま、それは自分自身であるかもしれな いんですが、その行動が個性的であればある ほど、あるいはまた、個性的な体験であれば あるほど彼を見る人に広がりをもたせること ができると思うんですよね、意識とかこころ とかの。いわば、人間のもつリアリティが感 じられると思うんですね。はじめから観念で パターンどおりに押しつけるのとは違って。 例えば目の光り方ひとつでもいい。こいつ は一体どういう人間なんだろう、というふう にギリギリまで追っていくときにフト出てく るシーンや絵柄が、実に素晴しかったりする もんなんですね。 頭の中で考えていてもつまらないな、と思 うことでも、そうやって追っていったりする と発見があったり、面白いものがでてきたり するんです。 僕は、そんなふうにしてこんども作品をつ くっていきたいと思いますね。もちろん、そ の上にある程度のテクニックでもって面白さ を加えて、作品を見せていく力がないとだめ なんですがね。10年前「ジョー」を作ってい たとき、本当にそう思いましたね。

Q&A Session

Q. マンガは読みますか? 誰のマンガが好 きですか?

Dezaki. もともとマンガ家を志望してたくらい ですからマンガは大好きです。僕らの世代は もう手塚治虫さんのマンガで育ったようなも のですから、好き嫌いではなく、恐れ多い という感じですね。そうですね、あとは、ち ばてつやさんの作品が好きですね。やっぱり...

Q. 最近どんな映画を観ましたか?

Dezaki. 映画は大好きなんですが、この頃、あ んまり観てないなあ。でも黒沢明の「影武者」 コッポラ監督の「地獄の黙示録」は観に 行こうと思ってます。 もう券を買ってるんで すが、ちょっと忙しさに追われちゃいまして ね。好きな監督ですか。邦画だと黒沢明、洋 画ではフェデリコ・フェリーニですね。

Q. 趣味は何ですか?

Dezaki. 趣味というか息抜きというか、ま、体 を動かすことかな。ありきたりだけど、ゴル フとかスキーとか。といってもスキーは虫プ 口にいた頃やっていたんだけどその後ズーッ とやっていなくてね、去年ぐらいからまた、 やり出したんですよ。今年はお正月に行った んですが雪が少なくって…。ゴルフは去年の 10月から全然行ってないなあ。これで趣味と いえるのかな(笑)。

Q. もしアニメのお仕事にかかわってなかっ たとしたら、現在、何をやっていたと思いま すか。

Dezaki. 弱ったなあ、そういう質問は・・・。そう だなあ、何やってたかなあ。 恐らく、僕が虫 プロに入らなかったら、もう一度マンガを描 こうと思ってやってたでしょうね。

Q. 最近嬉しかったことは? また逆に腹の 立ったことは何ですか?

Dezaki. 嬉しかったことねえ、ウーム・・・。考え なきゃ出てこないようじゃ・・・(笑)。そうで すね、むすめがいるんですが、今年中学生な んですよ。中学の制服なんか着ているのをみ るともう子供じゃないな、なんて、嬉しいと いうか哀しいというか…やはり嬉しいこと ですね、すごく。逆のアレは、そうですね、 お正月スキーに行って雪が少なかったことか な。ホントに腹立しかったですよ、せっかく 行ったのに…。

Taku Sugiyama Feature
作品の全ての責任は監督が負っていくという体制がこれからは必要じゃないか はじめての作品は「白蛇伝」

TA. 杉山さんはいつ頃からアニメーションを始めたのですか?

Sugiyama. 昭和三二年に東映動画に入ったのです が、そのときがはじめてです。

TA. おいくつのときですか。

Sugiyama. 二十歳でした。

TA. やはり、アニメをやりたいということで..?

Sugiyama.いや、そうじゃないんですよ。実はそ の頃僕は油絵がやりたくて、美術大学に入ろ うと浪人していたんですが、お金にこまって きて、どうしようかというときに、東映動画 が何か絵を描く人を募集しているというのを 聞いて応募したんです。聞いた話ですと、こ のときの応募者が八百名近くで採用されたの はわずか十数名らしい。どういったことから 僕もその十数名の中に入れまして......

TA. その頃はアニメに対して興味みたいなも のは持っていなかったのですか。

Sugiyama. ディズニーは観たことはありました。 でも、その程度ですね。とにかく、その頃、 日本にアニメがあるなんて知りませんでした から。

TA. 東映動画に入ってからのことを聞かして くださいませんか。

Sugiyama. 入ってまず六ヵ月間アニメ制作の養成 を受けさせられましたね。とにかく、これま で描いてきた絵とはかってが違うので最初随 分まごつきましたが、それでも六ヵ月目頃に は一通りのことはできるようになっていまし たね。

TA. で、はじめて担当されたのは?

Sugiyama. 「白蛇伝」という作品でした。作画担当です。

TA. それ以外では、東映動画ではどんな作品なーー

Sugiyama. 結局僕は東映動画に四年いたのですが この間担当したのは「白蛇伝」を含めて計四 本でした。制作順に「少年猿飛佐助」 「西遊 記」 そして、「安寿と寿子王丸」です。

TA. 本数的には少いですね。

Sugiyama. 現在と比較しますとね。先ほどもちょ っと言いましたように、その当時は実写中心 でアニメと言っても、ほとんど注目されない 時代でしたし…そんなもんだったんですよ。

TA. なるほど。ところで、杉山さんは油絵を やりたいということで浪人までされてたわけ ですが、そちらの方はあきらめてしまった?

Sugiyama. いや続けていました。実は会社(東映 動画)でアニメの仕事をしながら、武蔵野美 術大学の夜間部に通っていたんですよ。

TA. では、東映動画を辞められたのは油絵で やっていくということで?

Sugiyama. いや、そういうことじゃなくて、大学 (武蔵野美術大学)を卒業したかったという ことなんです。今はどうか知りませんが、 あ の頃の武蔵美大は夜間部だけの単位では卒業 できなかったんです。昼間部の単位が必要だ という。それで四年生になったときに会社を 辞めて、また学生に戻っちゃったんですよ。

TA. 武蔵美大を卒業されてからはどうされた のですか。

Sugiyama. ええ、実はあの時、何をしようかいろ いろ迷ったんです。東映動画の方からも"ま たこないか”と声をかけていただきましたが、 せっかく辞めたのだし、別のところでやって みようと、岩波映画に入ったのです。昭和三 七年でした。

TA. 岩波映画でアニメを?

Sugiyama. そのつもりで入ったのです。しかし行 ってみるとアニメの仕事なんかほとんどなか った。そこで、記録映画やPR映画の美術監 督をやりました。一年半ほどそんなことをや ってましたね。

TA. たしか、その後「テレビ動画」に移られる?

Sugiyama. そうです。 この会社はフジテレビがテ レビアニメ時代を見越してつくったのですが、 「プライド博士」「ドルフィン王子」それに「怪 「盗プライド」の三本を作ったところで資金が 続かなくなり、打ち切りになってしまったん ですね。ホント、 ついてない(笑)

TA. 手塚治虫さんの「ワンダースリー」をや られるのは丁度その頃だったんでは?

Sugiyama. そのすぐ後でした。作り続けられない んなら雑誌に漫画でも描こうかと思っていた ときに、こんなアニメをやりたいんだがディ レクターがいないので、ぜひ、と声をかけら れたんです。

TA. 手手塚さんとは親しかった?

Sugiyama. いや、「西遊記」で来られたときに二、 三度お会いしただけです。ただ、虫プロの人 たちとは、東映動画にいたころから交友はあ りましたが・・・めぐり合わせだと思いましたね。

TA. その後手塚さんとは?

Sugiyama. 手塚さんが「展覧会の絵」という劇場 用の作品を作ることになって、その作画と演 出のお手伝いしました。それから虫プロでか なりの作品を演出し、手塚さんとも一緒に仕 事をすることが多くなって行きました。

常にハングリーな 手塚治虫

TA. ところで、杉山さんは、お話のように手 塚治虫さんと仕事を組まれたりする機会が多 いのですが、杉山さんが見た手塚治虫とはど ういう人ですか。

Sugiyama. どんな人って......とにかくすごい人で すね。

TA. すごいと言いますと――

Sugiyama. 常に実験精神でチャレンジしていると こです。同じパターンで同じものをくり返し 作ることは絶対になさらない。最後の最後ま で独創性を追い求めるんですね。あれだけの 方であるし、自分の守備範囲で作っていれば、 評価も下がらないし安全だと思うのですが絶 対そうしない。常に自分でそうした、ハング リーな状態、最前線に追い込んでいるんです ね。

TA. それに、たいへんな勉強家であるともき きますが。

Sugiyama. 虫プロの人たち自体が昔から非常に勉 強する人が多いのですが、手塚さんはそれに 輪をかけたような人ですね。 映画なんかも、 いつ観るのか、と思うほどよく観てますよ。

TA. なるほどね。ところで次にアニメ全般に ついていろいろお聞きしたいと思うのですが まず、最近「火の鳥」もそうですが、声優 にかわって俳優を使うというのが一種のブー ムになっていますが杉山さんご自身はどう考 えているんですか。

Sugiyama. たしかに最近多くなってきていますね。 しかし、考えてみると、私が東映動画の監督 だったころは、声優さんなんていませんで したから、“声”は全て俳優さんがやっていた わけです。ですから、"声"を俳優がやるとい うのは、決して〝新しいこと”でもなんでも ない。ただ声優というプロフェッショナルな 人にかわって、あえて俳優を起用するという のは監督のそれなりの考えがなくてはね。

TA. 杉山さんの場合、「火の鳥」で竹下景子を つかったのはどうしてですか。

Sugiyama. 僕の場合は、一つには、〝広がり”をつ けたいということがありましたね。声優には 良し悪しは別にして一つのカラーがあります。 広がりをつけるには、このカラーからはみだ した人でなくてはいけない。 しかし、彼女に声優として〝口合わせ"を させたのでは意味がない。〝口合わせ”なら 声優の方がうまいに決っているわけです。「火 の鳥」の中で彼女が口を合わせるシーンは一 つもなかった。

TA.「監督」と言う場合、たとえば映画です と、どんな役割なのか素人の私でもよくわか るのですが、これがアニメになると実にわか りづらいのですが。

Sugiyama. おっしゃるとおり、立場というのがハ ッキリしていないし、それに呼び名も実にい ろいろある。あるときは演出家だったり、あ るときはディレクターだったり、またあると きは、チーフ・ディレクターだったりする。 映画の場合の監督は、作り手のカナメとして の権限と責任の体制が確立されているが、ア ニメ監督にはない。だからいくらでも責任が 分散してしまう。そうでなく作品の全ての責 任は監督が負っていくということでなければ、 これからはいけないと思う。私自身もそうし た体制になっていくように努力して行きたい。

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