Friday, May 19, 2023

Other Features in "The Anime" 1980 - Part Two

July

Music Feature

音楽ファンの心をつかんでこそ本物なんだ..

音楽の役割

アニメーションの音楽を語る時、 先ず頭に浮かぶのは、ウォルト・デ ィズニーの作品でしょう。 「ファンタジア」の、あの見事なア ニメーションと音楽のドッキングは、 絵と音楽の交響詩でした。 又、この夏、公開される、ディズ ニー最初の長編アニメーション「白 雪姫」 でも、音楽を大変効果的に使 っています。森の中で七人の小人が 口笛を吹きながら、コミカルに楽し く歩くシーンがありますが、この場 面なども、登場人物の動きと、音楽 の流れがピッタリと合っていて、実 に見事な出来ばえです。 画面の動きだけでも十分に楽し いのですが、それに音楽が加わるこ とによって、一層その楽しさ、面白 さに、巾と深みが増えるので、見て いる者を、グイグイとその画面の世 界へと引き込んでしまうのです。 こ れは何もアニメーションばかりでは なく、他の、いわゆる実写と呼ばれ 俳優達の出る映画でも、音楽の 持つ効果は、大きいものがあります が、特に、アニメーションにおいて は、音楽がより重要な働きをすると 言えます。 ウォルト・ディズニーは、長編の アニメーションの作品ばかりでなく、 それ以前の、ミッキーマウスやドナ ルドダックを主人公にした短編アニ メーションの頃から、音楽を大切に していました。恐らくディズニーは、 絵を動かすとき、音楽が見る人々の 気持ちを、より夢の中へさそうのに、 大きな力があると感じていたのでは ないでしょうか......。 音楽もここまで考えて、作られれ ば、ただ単なる効果音楽としてでは なく、音楽作品として完成されたも のになると言えます。ウォルト・デ ィズニーは今から四十年以上も前に、 その事に気づき、実行していました。 それだけに偉大なプロデューサーで あったと言えるのです。 ところで、日本のアニメーション の場合はどうでしょうか。 幾つかの例をのぞいては、あまり 。 音楽を大事にしているとは言えな い様です。なる程テレビ番組のアニ メーションで作られるテーマ音楽は、 沢山ヒットしています。でも、それ はあくまでもヒットソングとしての 人気です。画面にピッタリ合った音 楽、それ以上に、画面を引き立たせ る為の音楽作り、という点に関して は、まだまだと言った感じです。 でも、近頃では音楽の効果を十分 に考えて作曲して、それを又、上手 に使いこなしている作品もボツボツ 見られるようになりました。 そのきっかけになったのは、大ヒ ットした作品、「宇宙戦艦ヤマト」 でしょう。その証拠に、アニメーシ ョンにはそれ程興味なくても、その 音楽がすばらしいといって、サウン ドトラックのレコードを買った、音 楽マニアが多くいたのです。 ですから、作品の内容を盛り上げ 音楽、そして、音楽としても、十 分に聞いて楽しめるもの・・・。 そうい う音楽を、これからはアニメーショ ンの為に作り出さなくてはいけない と思うのです。 ところで音楽の効果をはっきり とってもらう為のヒントとして、 こんな話しをしましょう。 これはある小学校高学年の少年の 話しなのです。少年がまだ幼稚園の 頃に見たアニメーションで、今では 題名も、内容もすっかり忘れてしま っているのに、その作品の一場面に 流れていた音楽を覚えていて、その メロディーを口笛で吹いてくれたの です。 この例でも解ると思いますが、い ったん感動して、聞いた音楽は、長 い月日が過ぎても、なかなか忘れな いものなのです。場合によっては、 場面さえも忘れてしまっていても、 音楽は耳の底に残っています。 ここに、音楽の持つ素晴しさと、 又、重要性があります。 言い方を変えれば、その作品を生 かすも殺すも「音楽しだい......」 なのです。 今迄、音楽といってきたものは、 いわゆる一口でゲキバン(劇の伴奏 用の音楽)と呼ばれている音楽のこ とです。が、これからは、作品の伴 奏用の為に作られた作品でも、それ が、音楽としても作品を離れて生き て行けるもの…つまり、人々に音 楽としても愛される作品を作る事が 必要だと言えます。 今迄、音楽といってきたものは、 いわゆる一口でゲキバン(劇の伴奏 用の音楽)と呼ばれている音楽のこ とです。が、これからは、作品の伴 奏用の為に作られた作品でも、それ が、音楽としても作品を離れて生き て行けるもの…つまり、人々に音 楽としても愛される作品を作る事が 必要だと言えます。 それが、又、そのアニメーション の作品としての重みや、価値といっ たものを、より大きくすると考える からです。 アニメーション音楽の現状

今、日本のテレビ番組の中で、 ア ニメーションの占める位置は、かな り大きなものです。 逆に言えば、日本のアニメーショ ンを、今日のように盛んにしたのは、 テレビであるとも言えるのです。 その結果、近頃では、劇場用アニ メーションも続々と制作され、多く のファンを楽しませています。 これは、良く言われるアニメーシ ョンブーム、という言葉ではかたづ けられないもので、今ではテレビ、 それに映画の中で重要なジャンルと して確立したと考えていいでしょう。 その上、日本のアニメーションは、 外国でも十分に通用する作品として、 沢山のロボットものやギャグもの少 女ものなど色々な種類のテレビ用ア ニメーションが、外国で買い取られ て、その国のブラウン管にのって、 子供達を楽しませています。 このように、日本のアニメーショ ンは、世界の国々で高く評価される ようになりましたが、では、アニメ ーション音楽の方はどうでしょう...。 これが残念なことに、あまり高く 評価されていないのです。 その良い例をお伝えしましょう。 日本で制作されたアニメーション を買った国々で、必ず、音楽を別に 新しく作るということです。勿論、 国によって国民性が違いますから全 部が全部、日本で作った音楽を使う というのは、無理な話です。 ですが、音楽は先ずほとんどと言 って良い位い、日本で放送する為に 作られた作品を、外国では、そのま ま受け入れてはくれないのです......。 ある外国のテレビ局のプロデュー サーは、はっきりとこう言っていま す。 「日本のアニメーションは、大変、 作品として良く出来ているが・・・・・ 一つ大きな欠点がある・・・・・・それは音 楽が全般的に、もう一つ我々にアッ ピールしないことだ!」 そしてー。尚 「もし、その音楽が気に入るものだ ったら、我々はわざわざ自分の国の 作曲家を使って、新しく音楽を作っ たりはしない……なぜなら、その が手間とお金がよけいにかかるのだ から.......」 と、言葉をつづけました。 確かに、アメリカや、ヨーロッパ は、音楽的には、日本より先進国だ ということが言えますが、それだけ が大きな理由ではありません。 はっきりしているのは、今の音楽の 作り方では私達、日本人には良くっ ても、外国の人には良いと言われな い事です。 なぜ、それでは外国の人に良いと 言われないのでしょう。 先ず第一に外国の人達に受ける、 メロディーの足りない事。 第二に、外国の人達の心をゆさぶ るハーモニー(オーケストレーショ ンとサウンズと言った方が良いかも 知れませんが••••••)が足りない事... この二つです。 これは、何も日本の作曲家の実力 が足りなくて、能力が無いというの ではありません。 実力を持った作曲家は大勢います。 では、なぜ、外国の人達に受け入 れられないのでしょうか......。 その理由の一つ......これが一番大 きな原因なのですが、アニメーショ ンが完成して、いよいよその作品に 合わせて音楽を作るということにな った時に、そのほとんどが、外国の 人達に通用するような音楽を製作し ようとして、作曲、編曲にとりかか ろうとしないからです......。 当然、 日本のテレビ、又、映画館で放送や 映写される作品ですから、日本のお 客さんに受けることが第一と考えて、 音楽を作る為です。・・・・・それはそれ で良いのですが......。 そこに、日本だけでしか通用しな い、アニメーション音楽の生れるわ けがあるのです。 一つの体験をお知らせしましょう。 日本人とアメリカやヨーロッパの 人達の感情の違いの例です。 ヨーロッパのある国と、日本との 合作アニメーションを作った時の事 です。 主人公が泣くという場面の時・・・・ 日本でしたら、泣くと言えば当然、 目から顔に涙が流れると考えます。 そして、その作品でも、日本のアニ メーターはそうしたシーンを作りま した。なかなか良く出来たシーンだ ったのですが・・・、外国のプロデュ ーサーから、リテーク(やり直し) が出されたのです。そのプロデュー サーの言うのには、泣くというのは、 目に涙をためることで十分だ、顔に 涙を流してしまっては、泣かせ過ぎ るというわけです。 同じ泣くという表現でも、日本と その国とではこれだけ違うのです。 もちろん、これはほんの一例で、 全てではありませんが、なんとなく、 その国民性による感情の違いが、解 ってもらえるのではないかと思って 紹介したエピソードなのです。 絵でさえ、これ程違うのですから、 音楽で いや、絵よりも音楽の方が、もっ と違うでしょう。 感じ方・・・・・これは国民性によって ずいぶん違うのです。 例えば、悲しいというのでも. アメリカやヨーロッパの人々は、 日本人以上に、悲しいという感情の 中に流れている美しさ、というもの に目を向けます。 美しさ、ばかりではありません。 楽しさ、喜び、淋しさ等の感情にも、 日本人とは違う受けとり方をする部 分があるのです。 ですから、音楽を作る時に、メロ ディーや、サウンズもその点を十分 に頭に置いて、外国で喜ばれるよう な作り方を初めからしなくては、い けないというわけなのです。 それでなければ、外国では、せっ かく日本で作った音楽をそのまま使 ったアニメーションを放送する事が、 なかなか出来ないでしょう。 確実に今、日本のアニメーション が、外国で高く評価され始めたので すから、その作品の為に作曲された 音楽も、外国で高く評価されて使っ てもらえたらと思うのは、誰の気特 ちも同じではないでしょうか・・・・

これからのアニメ ーションと音楽

アニメーションの為に作られた音 楽が、ポピュラーとして、いつまで も長く、人々に歌われ、聞かれるよ うになったら・・・・・・そんな事をフト考 える時があります。 今の状態は、よほどの例外でない かぎり、その音楽の生命は(テーマ ソングを中心にして) アニメーショ ンが、テレビで放送されている時だ けで、放送が終るとそのまま、 てしまうのがほとんどです。 テーマソングがそうなのですから、 ゲキバンとして作られた音楽は、全 く人々の記憶にも残らないといって もいいでしょう。 初めに音楽によって、その作品が 生きることも、死ぬこともあると言 いましたが、もう一歩、この考えを すすめて、アニメーションより、音 楽が話題になるような作品が出来て も良いのではないかと思うのです。 外国の劇場用映画においては、過 去にこの様な例はいくらでもありま した。 又、アニメーションの作品によっ て、テーマ曲のメロディーの特色は 当然ですが、テーマ曲のサウンズも、 ゲキバン用の音楽のサウンズも、そ れぞれ特色のあるものにしたら、も っと多くの人々にアニメーションを 楽しんでもらえるのではないかと考 えるのです。 今、音楽はヤングの、ファッショ ンであり、興味の一番あるものの一 つです。 ロックから始まって、ポピュラー ニューミュージック、クロスオーバ ー、フュージョンと、様々な音楽が、 それぞれにファンの心をとらえてい ます。 この感覚を、アニメーションの音 楽にもっと自由にとり入れて、音楽 作りをしたなら、音楽ファンも、ア ニメーションのファンになってもら えるのではないだろうか......そんな 夢を見るのです。 技術的な面では、日本のアニメー う。 ションは世界に通用する程です。 し かし、音楽の面では、もう一歩も、 二歩も考え方を変えて大きく前進し ないと、世界には通用しないでしょ これは全く残念なことです。 効果音楽としてだけでなく、欲を 言えば、アニメーションの音楽の中 から、新しい感覚のサウンズが生ま れ、それが音楽ファンに受け入れら れる……そうなったらどんなに素晴 しいことかと思うのです。 もう一つ、アニメーションの音楽 が、外国で認められるようにする為 に、場面につける効果音楽の選び方 があります 思いつきだけで考えれば、面白い シーンには面白い音楽、美しいシー ンには美しい音楽、淋しいシーンに は淋しい音楽を選んで、効果音楽と してつければ、その場面、場面が、 より生きると考えるものです。 もちろん、それはそれで正しいの です。 です。 ですが、そこでもうひとひねりし て、 音楽を選ぶ必要があると思うの 特に音楽的先進国といわれるヨー ロッパやアメリカでは、なかなか思 い切った効果音楽を、場面、場面に つけます。又、その音楽の選び方も、 演出をする人の評価につながり、実 力と考えられるのです。 簡単な例として上げると......、 バカバカしい位いの、ドタバタの おかしいシーンに、わざと甘く美し い音楽をたっぷりとつけたり、美し いシーンに、明るい音楽をつけたり します。 一寸考えると、まるで逆のような す。 感じがするのですが、意外とこれが 効果的だったりするのです。 ですから、場面場面にどんな音 楽をつけるかという事も、これから アニメーションの音楽を外国で認め させる為の、重要な鍵の一つとなり ます。 もし、 出来たら、次のような実験 をしてみるのも面白いでしょう。 誰かが写して来た8ミリのフィル ムを借りて来て、映写しながら、そ のフィルムに合う、合わないを考え ずに、好き勝手にレコードかテープ から音楽をかけてみるのです。そう すると、音楽によって、同じ内容の フィルムの感じが、全く違ってしま うことに気がつくでしょう・・・・・・。 クラシックのシンフォニーなら、 それなりに・・・ビレッジ・ピープルの ディスコサウンズなら、又、それな りに······感じ方が違ってしまうので これは、音楽の一つの魔力なので そして、もう一つ気づくことは、 どんな音楽を選んでかけても、それ は又、それなりに、フィルムと合っ てしまうという事です。 これが、音楽の一つの魅力なので す。 ですから、場面に合わせて音楽を 作り、選ぶ・・・・・・と言うのは、思った より大変な仕事なのです。 又、それだけやりがいのある仕事 でもあります。 今迄、もし何気なくアニメーショ ンを見ていたのでしたら、これから は次のことに注意して、音楽の方も 聞いてみて下さい。 先ず、テーマ曲とサブテーマ曲(最 後に流れる曲)のメロディーとサウ ンズ。 次に、色々な場面に流れる音楽の メロディとサウンズ。 これを良く聞きながら、アニメー ションを見ると、又、今迄と違った 見方、楽しみ方が出来るはずです...。 その気持ちをもっと広げたい人は、 こんなアイディアはどうでしょう...。 よく、アニメーションは、何ヵ月 か後に再放送がありますね。 その時 に、初めの放送の時に見て筋も音楽 も、一応耳と頭に入っているわけで すから再放送の時は、テレビをつけ ても、ボリュームは落すのです。 その後、レコードなり、カセット テープなりで、自分が選んで来た音 楽を、色んな場面に流してみます。 そうすると、初め見た時とはずい 分違った感じで、同じアニメーショ ンが見られます。 これはテレビで放送されてるアニ メーションに、見る人が参加してい るという感じになります。 こんな遊び方をして、アニメーシ ョンを楽しむと、きっと、アニメー ションの音楽の大切さや、アニメー ションの為に作る音楽のむずかしさ が、解るだろうと思います。 そして、そのことに気づいてくれ る、アニメーションのファンが多く なればなる程、アニメーションの音 楽ばかりでなく、アニメーションそ のものも、良い作品が沢山生れるこ とに、つながっていくと考えるので す。 それを又、楽しみにしているので す。

Hisayuki Toriumi Feature

演出家が一番大事にしなければ ならないことは、自分が演出する ということに対してプライドを 持つことだと思う

「ニルス―」は冒険的な作品

TA.「ニルス」、好調のようですね。

Toriumi. そうですね。予想してたよりはかなり いいようです。視聴率の方も平均一二%、最 高では一七%まで達したそうです。NHKが 同じ時間帯でこれまで放送した、例えば「キ ャプテンフューチャー」 「未来少年コナン」 など、話題になったものがありますが、それ より視聴率ではいいみたいですね。

TA. 番組の終わりに「ご意見をお寄せ下さい」 とありますが、かなり届いていますか?

Toriumi. 一日にどのくらいくるのか、くわしい 数字は聞いていませんが、とにかくすごい数 の手紙が届いていますね。本当にありがたい と思います。

TA. なるほど。ところで、今、鳥海さんは「予 想してたより……」とおっしゃいましたが、 予想を下に置かれた理由は?

Toriumi. いや、もちろん今ぐらいの視聴率を確 得する自信はありましたよ(笑)。ただ、現在 のTVアニメの状況は(いい悪いは別にして)、 ストーリー主義全盛ですよね。どんどん、ど んどん複雑にストーリーをくるんでいって、 ドンデン返して人を驚かす(笑)。そうしたや り方が受けているわけです。ところが、「二 ルス」の場合は、小人にされたニルスが 旅に出て良い子になって戻ってくる、たった それだけ(笑)。人をビックリさせるストーリ なんてどこにもない。

TA. ...ええ.....。

Toriumi. それで、それでというか”見せて行く" 方法には、そうしたストーリーを中心にクラ イマックスを目指して行くやり方も一つです が、一方ではひとつの状況の中でのキャラク ターのリアクション(対応)を主体に描いて 行くやり方もあると思うのですね。

TA. つまり、心の動きを中心にした・・・

Toriumi. そうですね。ひとつの事件(事件とい ってももちろん作為的なものでなく、あくま でも自然界の出来事ですが)があったとしま すと、それに対しニルスたちがどう考え、ど 対応して行くかという、そのプロセスを主 体に描いて行く方法です。もちろん、この場 合”見せる"要素が強くなるというか、見 せて行く"ことが中心になりますので、動き や色彩については、ひとつひとつていねいに 作ってきているわけです。説明が少し長くな りましたが(笑)、つまり、こうした方法とい うのは、現在のストーリー全盛の流れに逆行 しているということなんですよ。

TA. なるほど。そうしますと、鳥海さんはこ の「ニルス――」をお引き受けになる時、か はり躊躇されたのですか?

Toriumi. そういった意味では少し不安みたいな ものはありましたね、正直なところ。しかし、 それ以上に、いや、それだからこそ逆にチャ レンジしてみようという気持が強かった。ど こまでやれるかわからないが、自分に与えら れたのですし、とにかく一生懸命やってみよ うというね。それに「ニルス――」みたいな 作品に興味を持っていたこともあるし......

TA. ーといいますとー。

Toriumi. 実は、五一年の時でしたか、その頃僕 は「竜の子プロ」の社員だったのですが、そ の「竜の子」にフランスから合作の話が持ち 込まれ僕がそれを担当することになったんで す。日本語名を「昔、昔、人類は」というの。 人類の誕生から未来までを描いたものなんで すが、このアニメには台詞が全くないんです。 もちろん絵の意味を見る人に伝え、しかも飽 きさせない工夫をしなければならないわけで すが、それを“動き”でやったのです。台詞やナ レーションがなくても"動き"で、その意味 はもちろんスピリットまでわかるようにした。

TA. ええ......。

Toriumi. そのために一本につきセルを一万二千 枚ぐらい使いました。そんなの僕も始めての ことです。でも完成したのを見てそれが出来 ているのですね。それまでは、濃縮ストーリ もの(笑)ばっかりで、そんなことあまり考 えなかった。

TA. こんな方法もあるかという-。

Toriumi. そう、こんなやり方もあるのかと思い ましたね。それに、私はこの「昔、昔 を二年間担当し、その間、フランスにも行っ て向うのアニメ制作者と話す機会があったの ですが、アニメに対する考え方が僕ら日本人 (少なくとも僕自身を)とは全然違うのですね。 彼らは、アニメというのは楽しいものでなけ ればいけない、ワンカット、ワンカットが心 踊るようなものでなければならない。なのに、 日本のアニメはどうしてあんなに深刻に悩ん だものばかりなんだと僕に言うのですよ。 これには僕もこたえました。心当りがありま すしね(笑)。それからそのことについていろ いろ考えていたのです。

TA. なるほど、そんな時に「ニルス」の 話があったわけですね。

Toriumi. そうです。

TA. ところで、その「昔、昔――」 は、現在 もフランスで放送されているのですか。

Toriumi. フランスだけでなく、ヨーロッパのそ の他の国でも放送されていて、かなりの好評 を得ているということを聞いています。

TA. ――日本ではー

Toriumi. いえ、まだです。

印象深い「科学忍 者ガッチャマン」

TA. 次に、鳥海さんのアニメ歴について伺い たいのですが・・・・・・

Toriumi. そうですね……僕の場合はアニメが好 きで好きでということではないんですよ。 そもそも僕は、シナリオ(アニメじゃなく実 写の)を書くのが好き 中学 ど友だちと一緒に同人誌みたいなもの 書いたりしていたんです。 大学 中央大学 法学部) でもESSに入って英語劇などを っていました。それで四年生の時、なんとか シナリオライターになりたいと、「シナリオ 作家協会」のシナリオ講座を半年間受講した んです。ところが、あの頃は映画がテレビに 押されっぱなしの時でしたから、どこの映画 会社も採用者ゼロ。どうしようかなと、こま っていた時に友人の一人がアニメの会社が人 を募集しているが、と話を持ってきてくれた のです。それで大学卒業と同時に入ったので す。四一年でした。

TA. それが「竜の子プロ」なわけですね。

Toriumi. そうです。丁度その時、例の「宇宙工 ース」の最終部分をやっていた時でしたね。

TA. 入られてからは?

Toriumi. とにかくそれまでは、アニメについて は、大学の時、友人の下宿で「ジャングル大 帝」を一、二度見た程度で興味もありません でしたので何ひとつ知らないわけです。です から半年間ぐらいは何もせずに、アニメ作り を覚えました。もっとも会社の方も、「宇宙エ ース」が終わり、「マッハGO GO GO」の 準備時期でしたのでかなりヒマだったですね。 それで、三ヶ月に一本ぐらい、各演出家が「マ ッハー」を作っているうちに、自分にもそ の順番 回ってきて作ったのが最初でした。 丁度三クールめからでしたね。

TA. それからはどんな作品を

Toriumi. それ以外では、「科学忍者隊ガッチャ マン」「破裏拳ポリマー」 「宇宙の騎士テッ カマン」「ゴワッパー5ゴーダム」などです。

TA. その中で印象に残っているのはどんな作品ですか?

Toriumi. やはりいろんな意味で「ガッチャマン」 でしょうね。

TA. いろんな意味とは?

Toriumi. まず、この「ガッチャマン」が総監督 として僕がかかわった最初の作品であるとい うこと。とにかく二年間必死でやったことを 覚えています。それから、この作品が、それ までの、いわゆる、マンガマンガしたストー リーから脱却してシリアスなものにしたこと から、かなりの抵抗があったようなことです。

TA. と言いますと?

Toriumi. お前が作っているのはアニメじゃない と言うんですね。アニメは子供が見るものだ からストーリーなんかはやさしくなければい けない。難かし過ぎると言うんですよ。それ 僕もその頃はまだ若かったものですから、 子供だけでなく中には大人も見ているであろ う。アニメだって大人の眼にも十分耐えられ るものでなければいけないとそれを通し たんです。しかしそれも完全に、ということ でなく、部分的にはマンガ的なところも入っ たりしましたが......。 そういう意味では中途 半端だったのかもしれませんね。それでも二 年めに入ってかなりの反響を呼ぶことができ、 僕自身も気をよくしたのですが、それ以来、 鳥海はシリアスものが向いている、といった 評価が竜の子内で定着しまして非常にこまっ たわけです。

各作品の全責任は 各担当の演出家に

TA. それから、最後の質問ですが、総監督の やり方”についてはどんなお考えですか?

Toriumi. 今の「ニルス」の場合を話してみ ますと、演出家は僕を含めて五人いるのです が、それぞれに僕の意図を伝える方法として、 は、まず自分で演出したものを何本か先に作 りまして「こういったものを作ってほしい」 とそれを見せることをやっています。本当は 皆の前で一席ぶてばいいのですが、僕はそう したことが、どうもニガテなものでしてね。

TA. なるほど。

Toriumi. それから演出”ということですが、 僕はそれぞれの演出家に絵コンテを切らせ、 最後の処理までやってもらうようにしていま す。つまり、各一話一話はその担当の演出家 が全責任を持つ、という方法です。 最近です と、絵コンテは絵コンテマンガ、処理は処理 マンガというように役割を分担するやり方が 多いのですが基本的に僕は反対なんですね。 絵コンテというのは演出家のいわば〝演出メ モ”だと思うのです。メモですからそれは書 いた本人しかわからないわけですよね。この 絵コンテに対する考え方は僕は竜の子で教わ りました。それから、これが一番大事なこと だろうと思うのですが、演出家は自分が演出 するということに対してプライドを持つこと ですね。

TA. 最後に、これからどんなアニメをやって 行きたいですか?

Toriumi. とにかくスケールの大きいものをやっ てみたいですね。実写で言えば中、高校時代 に観た「ベンハー」とか「モーゼの十戒」と か「椿三十郎」みたいなものね。そういった ものであれば、SFだろうが時代ものであろ うが何でもいいですね。 本当にぜひやっていただきたいですね。 今日はありがとうございました。

Information Pack

スペシャル!森功至スペシャル!

バードゴォー!! 雨などものとも せずに、今月もジ・アニメ情報パ ック隊は発進! ガッチャマンは、 大鷲の健でおなじみの森功至さんが ようやくレコードを制作するという のだ。ファン待望〟というフレー ズはよっく使われるが、森さんの場 合、ホントーに待望のアルバムとい う感じがする。 それだけに制作スタッフの人たち も相当な力の入れようだ。全体の構 成について、ディレクターの高塚俊 記氏にお話をうかがった。 「A面は宇宙の旅へ"というサ ブ・タイトルのもとに、彼自身が演 じたアニメ・キャラ、例えばガッチ ヤマンの健、ドカベンの土井垣など やってらっしゃいますね、歌の合間 に、そういったキャラをコミカルに 入れて構成します。B面の方は〝は じめまして・・・あなたの部屋に"とし て、彼自身の生のキャラクターを打 ち出したものです。 彼自身の人生を フリートークで大いに語ってもらい ます。 ウワー!ダイタンな企画!ファン ならずとも楽しめるアルバムになり そう。タイトルは「森功至スペシャ と ル〜ふれあいの時流を求めて」。キン グから7月24日発売予定。 そんなに 待てないよー! と、考えていると、森功至さんが 登場。スリムで長身で、ガッチャマ ン健もブットブかっこよさ。 「生来、あがり症なので前の晩は 眠れませんでした。ともかく初めて の経験で、とても緊張しています。 上手な人はより上手に、そうでない 人はそれなりにといった心境です。 でも、全体の構想も凝っているし、 完成度の高いアルバムにしたいと思 ってます。」 森さん自身の入れ込みようもかな りのもの。「宇宙の旅へ」「君よ」「ガ ラス張りの喫茶店」「狼の証し」「ぼく とあなたと」と全10曲中、半分の5 曲を作している。作曲、アレンジ は、ガンダムでおなじみの松山祐士 氏が担当。 写真の左側の、リズムを とっていらっしゃるのが松山先生で すぞ!モチロン、右側のサングラ スの人が森功至さん。 ジャケット・ デザインは、人気漫画家であり、奥 サマである鈴賀レニさんが担当。大 大期待作といって過言なし!

この夏は、トロピカルにGO!スラップスティック!!

ジャーン!! スラップスティック の3枚目のアルバム「トロピカル/ スラップスティック」がいよいよ発 売されます。先月号でもお知らせし た通り、キャニオン・レコードから 6月21日に一斉発売されます。 海、青春、といった今までのスラ ップスティックのイメージに、夏の 明るさ、すがすがしさが加わり、ア ルバム・タイトル通り、トロピカル なムードいっぱいのゴキゲンなレコ ードです。ここで、全10曲のライン ナップとボーカルでリードをとるメ ンバーを紹介しちゃいましょう。 真夏の38度(メンバー全員) ココナッツ・エンジェル 夕陽の恋人(古谷徹) (古谷徹&古川登志夫) クリスタル・ムーン(三ツ矢雄二) 永遠の葉山(曾我部和行) 夜間飛行 (古谷徹) デッキ・チェア(古川登志夫) ピンナップ・レディー (野島昭生) テレスコープ (曾我部和行) 流星80 (三ツ矢雄二) それぞれのメンバーの 持ち味を生かしたステキ な曲ばかりです。 作詩には、宮下智さん 森雪之丞さん、さがらよ しあきさん、小林和子さ んといった顔ぶれ。作曲 は、すぎやまこういちさ ん、弾厚作(加山雄三) さん、大瀧詠一さんに、 宮下さん、森さんといっ た陣容。いけない!ガベ さんも「テレスコープ」 の作曲をしています。何 だか、発売日まで待ちき れない気がしてきません か?

神谷明、オリジナルLPを発売!! 日本橋三越でコン サートも!

「燃えろアーサー・白馬の王子」 アーサー役で、りりしい声を聞かせ てくれている神谷明さん。本誌の「人 「気投票」 男性声優部門でも、常にト ップの座を維持し、あいかわらず、 人気絶頂!といったところです。ま た、内田直哉さん、福沢良さん、中 尾隆聖さんらと始められた小劇団「ふ おーいんわん」も、軌道にのり順調 です。 さて 今度の神谷さんの新LPは タイトルを「まわり灯篭~青春の伝 説」といい、6月25日に日本コロム ビアから発売されます。歌と語りを 中心としたスタジオ録音盤で、これ までの「日劇ライブ」や詩の朗読で あった「抒情断章~青春のモノロー グ」とはひと味違った、魅力あふれ るアルバムです。 海野洋司氏が構成と作詞を担当、 音楽は田辺信一氏。全10曲で、この内 「ミス・スニーカー/まわり灯篭」 がシングル・カットされます。 この新アルバム披露ステージが左 記のように行なわれます。 日時 6月25日(日)11:30AM 場所 日本橋三越屋上ステージ 問243311 三越まで。 〔神谷明プロ フィール〕 9月18日生 まれ。「勇者 ライディーン」 「闘将ダイモ ス」など。ぷ ろだくしょん バオバブ所属。

クライマックス!! 全国縦断声優大会

4月から続いていた全国縦断声優 大会も、残りのステージはあと3回 になってしまいました。これだけの 豪華なメンバーが一堂にそろうこと は滅多にないことです。声優ファン ならずとも、一度は見ておきたいも のですね。 ヤマトフェスティ バル愛読者御招待 この夏の話題は何といっても「ヤ マトよ永遠に」です。映画封切直前 にヤマトを支えてきたファンのため に、大イベントが催されます。 80 ヤマトフェスティバル・イン・武 道館〜ヤマト誕生からヤマトよ永遠 にまで~ 出演=西崎義展氏、松本零士氏 舛田利雄氏の他、佐々木功 さんやキャラ声優さんの多 数出演が予定されています。 内容は「ヤマトよ永遠に」の部分 上映をメインに、声優さんのアテレ コ風景実演、大オーケストラによる ヤマト音楽のコンサートなど盛り沢 山の企画が用意されています。 ジ・アニメでは、この「ヤマトフ エスティバル」に、読者の皆さんを 御招待いたします。人数は、昼の部 夜の部各々100名づつです。招待希望 の方は、ハガキに、住所、氏名、年 齢と、昼と夜と どちらを希望す るか明記して、 30日までに到着 するように出し て下さい。あて 先は、〒160 東 京都港区西新橋 2の7の4 第 20森ビル 近代 映画社 「ヤマ トフェスティバ ル」招待係。

August

Ippei Kuri Feature

「海底大戦争」で 久々の現場登場!

TA. 九里さんは現在、竜の子プロの専務取締 役をなさっておられますが、最近は制作現場 のお仕事はなさらないのですか。

Kuri. 管理職としての仕事の方がけっこう忙 しいので、ひとつひとつの作品に関しては現 場に出て直接タッチするということは少なく なってますね。長年現場でやってきたので少 し淋しい気持もしますが、ま、現在は後輩を 指導するという意味を含めて、すべてに対す るアドバイザー役というところですね。

TA. でも 「海底大戦争」では総監督を・・・。

Kuri. そうなんです。久々に現場に出て、企 画の段階から先頭に立ってやりました。竜の 子プロの場合、連続アニメには長いものが多 いでしょ、例えば「ガッチャマン」とか「タ イムボカン」等のシリーズものなんかがそう ですね。ですから、時間的にどうしてもそれ にのみたずさわるということができなくって ...。 でも「海底大戦争」のようなものは単発 ですから、これからは、こういういいものを つくるためにドンドン現場に出てガンバリた いと思っています。僕だってまだまだ若い人 たちには負けたくありませんからね(笑)。

TA. たいへん心強いですね(笑)。ところでこ 「海底大戦争」は、いつ放映されるんです か、見どころなんかも教えてください。

Kuri. 放送日はまだ正式には決っていないん ですが、おそらくお子さんたちが夏休みに入 った7月か8月頃になると思います。キー局 は日本テレビで、30分もののスペシャルアニ です。 音声多重放送でオンエアされるというのも 特徴のひとつですね。見どころといいますと いろい カニックが出てくるんですが、 絵的にそれらの重量感が出せたということが あげられます。普通、色のきれいさは出せる んだが、重量感・質感といったものはなかな 出しにくいんですね。今回は「これがアニ 「メか」と驚く程に重量感のあふれる場面がた くさんでてきます。ぜひご覧になってください。

マンガのプロダクシ ヨンが竜の子の前身

TA. とても楽しみですね。ところで、九里さ んがアニメーションの世界に入られたキッカ ケは何だったんですか、そこいら辺のことを お話ししてください。

Kuri. もともと僕は雑誌にマンガを描いてい たんです。少年マガジンが創刊されてから一 年目ぐらいに連載した「マッハ三四郎」とい う作品があったんですが、これがロングラン の人気マンガになりましてね。少しおくれて 少年サンデーの「大空の誓い」とか・・・。トン トントンという感じで結構忙しくなってきた んです。 ちょうどその頃、挿絵家だった兄(編集部註・ 竜の子プロ初代社長の故・吉田竜夫氏。九里 一平さんの長兄にあたる)が、アルバイトで やはりマンガを描いていたんですが、僕が少 忙しくなってきたもんで、あい間をみて僕 の作品を手伝ってくれたりしたんですね。も ちろん当時の僕にはアシスタントを雇うよう な余裕もなかったので、たいへん助かりまし た。兄は僕よりも絵がうまかったし、絵柄も 僕の絵と似ていました。 そんなある日「ふたりで別々のマンガを描く より、絵柄をあわせて共同で作品をつくった 方が、なにかといいんじゃないか」というこ とになりましてね。そこに次兄(竜の子プロ 現社長・吉田健二氏)も加わって、三人の力 を結集し、お陰様でいろいろな作品をこなし てきたわけです。いってみれば、これが現在 の竜の子プロの前身に当るわけですね。

「鉄腕アトム」に 刺激されて・・・

TA. なるほど、今でこそ雑誌マンガのプロダ クションはめずらしくありませんが、兄弟三 人で力をあわせて作品をつくるというのは、 そのはしりだったんでしょうね。さて、雑誌 マンガからテレビアニメーションへ移られた 直接のキッカケというのは何だったのですか

Kuri. 昔からディズニーなんかは観ていたん ですが、一漫画家としては大勢の人を指揮し てアニメをつくるなどということは夢のまた 夢みたいな気がしたものです。 それが、手塚治虫さんが日本初の国産テレビ アニメをやったでしょ。昭和38年に放映され 「鉄腕アトム」ですね。その頃、雑誌では それこそ隣り同士で載っている人のテレビ・ アニメですからね。どうしても注目せざるを えないですよね。毎回そうやって観ているう ちに、段々とあこがれのまなざしで観るよう になってきたんです。相当刺激されたわけで すよ。 手塚さんは天才ですからね。しかし彼は一人、 われわれは三人いるじゃないか、ひとつアニ メをやってみようじゃないか、ということに なったわけなんです。マンガ仲間だった笹川 ひろしさんを誘いまして、いろいろ検討した 結果、宇宙ものがいいだろうということで、 さっそく「宇宙エース」のアニメ化を手がけ たんです。たしか昭和38年の10月でした。

TA. 今と違っていろいろとご苦労があったん じゃないかと思いますが・・・。

Kuri. そうなんですね。今でこそ、たとえば 竜の子から出た人たちでも比較的簡単に下請 けの子会社やプロダクションをつくっていま すが、当時としては全く新しいジャンルの事 業でしたし、今の感覚とは全然違いましたか らね。当時としてはすごく冒険でしたね。

TA. 当時のエピソードなどを。

Kuri. いま考えてみるとバカげたことなんで すが、当時の僕たちは商売感覚というよりも 作家根性みたいなものが旺盛だったんですね。 それで、作ったものはわれわれのものなんだ というような考え方を持っていたんです。と ころが作品というのは、ま、いまもそうなん ですが、買い取りの状態でしてね。そんなの ではつまらない、ということで、せっかく作 った「宇宙エース」を局側に渡さないでひき あげてきたこともありましたね。ですから「宇 宙エース」に限っていえば、でき上ってから 放映されるまで一年近く間があったことにな るんです。で、当初はアニメづくりと併行し 雑誌マンガの連載もやっていたので、今思 えば、大変忙しかったですね。

忘れられない 「みなしごハッチ」

TA. その後、竜の子プロのあゆみとともに、 たくさんの作品を手がけてこられた九里さん なんですが、いちばん印象深いものをあげる とすれば、どの作品になりますか。

Kuri. ひとつあげろといえば、やはり「みな しごハッチ」(昭和45~46年)ですね。この作 品にはのめりこみました。当時の社会性にマ ッチした作品でしたね。そのころ、ちょうど 高度成長期で子供たちもカギッ子時代。また 教育ママが出た時代だったんです。いわゆる ツメコミ教育の最たる時代だったんですよ。 子供に感情がない、涙を知らない、情操教育 的なものが欠けているんじゃないか、という ようなことが社会問題にもなったころなんで すね。あまりにも淋しいこういう情勢のなか 僕たち自身も「このままでいいわけがない」 という具合に、世の中に疑問を持っていたん です。そこで子供たちにメルヘンを与えよう という気持でもってこの作品をつくったんで す。そういう意味では、われわれのポリシー が本当に芽ばえたという印象のある作品でし たね。

TA. アニメの技術面でもいろいろと変革があ ったかと思いますが、その点で印象に残った 作品もあると思いますが・・・。

Kuri. そうですね。そういう意味からいえば 昭和46年に作った「アニメンタリー決断」と いう作品が印象深いですね。これは、太平洋 戦争のことをドキュメンタリータッチで描い アニメ作品なんですが、撮影段階でのカメ ラワーク等、超リアリズムの方法などを駆使 したりして、技術的には当時としては他社の ものよりも数段とび離れていましたね。この 時期、技術的にものすごく発展しましたね。 業界でも独走していた感じです。T社などは 恥じらいもなく教えて欲しいと申し込んでき ましたしね。

アニメは非常に 地味な仕事です

TA. 最近はどうなんですか。

Kuri. 別段、おごった意識でものをいうわけ ではありませんが、最近では当時のスタッフ も独立したりして竜の子プロの個性が流出し 技術面でのレベルはどこも平均化しています ね。それはそれで広い目でみれば大変いいこ とだと思うんです。ただ、くやしいことには そのような技術者をかかえきれない経済状態 うらめしく思いますね。アニメ制作のアレ は安いですからねぇ(笑)。

TA. そういう話を、各所で耳にしますが(笑)。

Kuri. アニメの連中はみんな非常にひたすら でしてね。本来、アニメの仕事というのは、 そういう人たちが支えてくれて成立するもの で、地味な仕事なんですね。しかし考えてみ れば非常に技術のいる仕事なんですよ。大概 の仕事だったら10年も続けていれば一人前に 認められるというのに、アニメーターの場合 10年で一人前かというとそうでもない。苦労 の割にはめぐまれていない、という職業です ね。お金だけの問題ではないけれど、もう少 報酬があってもいい仕事だと思いますね。

TA. 最近のアニメブームについてはどう思 いますか。

Kuri. ブラウン管のお陰でブームが生じたん ですがね。先程もいったように、一時、業界 自体がひどくひもじかったんですが、そうい う時期がちょ よっと 過ぎたような感じはします ね。がむしゃらに作っていた時期を経て、今 では、いい仕事をしたい、いい仕事を残した いというふうに、ものを作る責任感というか 自覚みたいなものがでてきたようですね。舞 台さえあればいい作品がつくれるという希望 がわいてきましたね。

TA. さんがアニメづくりの上で心がけて きたことというのは・・・。

Kuri. 作品的にいうと、泣かせるためにつく るというようなことをしたくない、というこ とですね。同じ泣きでも、あたたかい涙とい うか感動の涙というか、つまりハーモニーな んですが、それを心がけてきました。 涙の中に笑いが広がってくるようなものです ね。これはマンガを描いていたときから変り ません。渋くても笑わせたい、どんなに苦し いときでもニッコリ笑いたい。自分自身が常 にそう心掛けているもので、そういう気持が 分身となって絵にあらわれてくるんですね。

TA. さんの尊敬する人は?

Kuri. 目標にした人は8歳年上の兄(註・前 出の故・吉田竜夫氏を指す)ですね。絵もう まかったし、ま、僕は親を早く亡くしました ので彼に対しては兄であり、父であり、友人 であるという感じですね。迷いなくついてい けた人です。 先生といえば彼だけですね。そ の他笹川ひろしさんとか宮本貞雄さん等、 品としても人格としても尊敬できる人に僕は めぐまれましたね。

TA. 最後になりますが、 こんごどんな作品を つくっていきたいですか?

Kuri. 夢夢に近いものとは違いますからね。 夢として話せば、そうですね。 ま、世界に通用 するという意味を含めて、やはり長編をやり たいですね。スタッフが「やろうじゃないか」 と集まって、一年でもいいです。ドロドロに なってやっとあげる。はじめがあっておわり がある。そしていくらの安らぎがある、とい うような形でね、ぜいたくなはなしですが、 そういうふうな仕事をしてみたいですね。も ちろんオリジナル、あるいは名作みたいなも のを、自分なりの発想を入れて、制作・プロ デューサー・チーフディレクターというふう にスーパースターとしてやってみたいなあ(笑)。

TA. 素晴しいですね。ぜひ実現して欲しいと 思います。今日はどうもありがとうございました。

October

Kazuo Komatsubara Feature

動きの中で見せる本モノのギャグをつくりたい
絵を描いたり踊り狂ったりの 少年時代だった

TA. 子供の頃の話から聞かせていただきたい のですが、どんな少年だったんですか?

Komatsubara. そうですね、比較的家の中で黙って 絵を描いていることが多かったですね。紙と エンピツさえあれば、それで一日過ごせた。

TA. 子供の頃から絵を?

Komatsubara. ええ、幼稚園の頃から絵を描くのが 好きでしたし、子供にしては上手だったんじ ゃないですかね。僕の親父は描くのはダメだ ったんだけど、絵を見たり、批評したりする のが好きだったんですよ。ですから血のつな りというか、影響はありますよね。妹なん かも絵が上手だったんですからね。

TA. 外で遊ぶことは、ほとんどなかった?

Komatsubara. そうでもないですよ。僕は一風変っ 子供でしてね。外で遊ぶときなんか、たと えば、近所の連中を集めて、兄貴のたたくカ ンカラに合わせて、皆んなでフルチンになっ て踊りまわったりね(笑)

TA. ...!?

Komatsubara. 両極端なんですね。家の中で一人で 絵を描いているときと。今でもそういう面が ありますよ(笑)。ちょっと酒なんか入ると、 ひょっとこ踊りとか、考えられないことをや りますからね。お祭りの演芸大会にとび入り で参加したり、そういうことが好きなんです ね。ですから、もしアニメーターになってい なかったら、芸能関係にすすんでいたんじゃ ないかと思ってるぐらいです。ノド自慢大会 にもよくでましたしね。

TA. へえ、どんな歌を?

Komatsubara. えー、美空ひばりとか、三橋美智也 とか、もっと古いところでは高田浩吉とか、 年がわかるなあ(笑)。とにかく、僕の生ま れが昭和18年の12月24日で、クリスマス・イ ヴですから、人間がめでたくできてるんです よね(笑)。

TA. 子供の頃、好きだった絵に関する思い出 といいますと。

Komatsubara. そうですね、小学校のときは描けば 必ず教室に貼られたというのを覚えています ね。なにしろ絵の授業でなくとも、絵を描い て、先生のところへもっていくんです。そし てほめてもらって教室に貼ってもらったほど ですから。クラスのヤツらに嫌な顔されたり ね(笑)。

TA. そのほかには、

Komatsubara. 休みの日などは、父親によく写生に 連れてってもらいました。家が横浜でしたか 横浜とか、山下公園とか、鎌倉とかへね。 今から三十年近く前のことですけど、その当 時のことっていうのは、今でも思いだせます ね。絵っていうのは写真と違って、同じ風景 を何時間も見続けて、どういう木があって、 どんな形の屋根があって、どうのこうのって 描いていくので、色彩感覚が養われたり、も のに対する観察力が育てられたりして、今の 仕事に役立っているんじゃないかと思ってい ます。月に一、二回、あとは夏休みなんか、 弁当をもって写生へ行ったことを覚えていま す。そのほかの思い出としては、雑誌の似顔 絵コンクールに投稿して、よく掲載されたこ とかなあ......。

TA. その頃アニメについても関心がありまし たか?

Komatsubara. いえいえ、今の子供はアニメで育っ ているけど、僕らの時代は、テレビもなかっ たし、雑誌も月刊誌が数冊あったぐらいで、 今と比べると情報量が全然違いましたから、 アニメのアの字も知りませんでした。 マンガ も好きだったけど、それも人並みで、ですか らアニメーターになろうとか、マンガ家にな ろうなんて気持は全然なかったですね。

TA. 中学、高校時代は?

Komatsubara. 中学の頃は、もちろん絵も描いてい ましたけど、テニス部に入りまして三年間夢 中になっていました。 中学二、三年の頃かな 肖像画に凝りだしましてね。 その当時縁日で 肖像画を描く拡大器を売っていましてね。

TA. 拡大器?

Komatsubara. ええ、小さな顔写真を上からなぞっ て描くと、その筆と連動している木の枠の中 に写真そのままの絵が拡大されて描けるって いうヤツですよ。それにエンピツで描きたし 肖像画を描いていたわけですけど、そのう 拡大器なしで、写真を見ながら描くように なってね。とにかくもう凝ってしまって、松 竹の肖像画コンクールにだして入選したり、 両親や兄妹の肖像画を描きまくって、縁起で もない!なんて怒られたりね(笑)。 中学を卒業したあと、本当は神奈川工業高 校の図案科にいきたかったんですけど、受験・ に見事失敗しました。 神奈川にある職業訓練 所で塗装工の訓練を四ヵ月ぐらい受けたのち 三菱電機へ就職したんです。夜は横浜工業高 校の定時制へ通っていました。

TA. やはり絵に関する勉強を?

Komatsubara. いや、なぜか全然関係のない電機通 信科でしてね。今考えても何を勉強したのか 覚えてません。何しろ今だにラジオひとつ組 み立てることができないんですから(笑)。で も定時制での四年間というのは、今思えば、 すごく勉強になりましたね。 働きながら学ぶ っていう経験と、学生は、大工さんとか、い ろいろな人がきてるわけですけど、そういう 人たちと接触ができたという面ですね。

TA. 学校を退めましたね。

Komatsubara. そうです。仕事も毎日同じことの繰 り返してもの足りなかったし、ちょうど、そ の頃、新聞に虫プロの募集広告があったんで それで応募してみたんですけど、採用試 験でみごとに落ちました。四十人ぐらいの募 集に千何百人来ていましたね。僕は未経験だ ったし、専門学校も出ていませんでしたから、 そのあとも三、四回受けたけど、みんなダメ でした。

夜中にバイトした頃が いちばん苦しかった

TA. そうしますと、仕事としてのアニメの最初の仕事は?

Komatsubara. 東映動画の分室のようなものが大森 にできまして、そこの募集に応募したら受か ったんです。二十歳ぐらいだったかなその頃。

TA. 入社してまずはじめにやらされたことと いいますと?

Komatsubara. 4ヵ月間は、走りとか歩きとかいう 動きの基本の教材十種類ぐらいを毎月描かさ れました。 東映動画から先生が来ましてね。 その頃は必死でしたよ。とにかく食えるよう にならなくちゃという一心で、朝早く出勤し 掃除したりお茶を沸かして先生を待った ものでした。今の若い人たちには、そういう 精神が足りないような気がしますね。 もっと も今は、仕事もたくさんありますから、一つ のところで断られても、別のところへ行けば いけますからね、あの当時は、「狼少年ケン」 とか「鉄腕アトム」とか二、三本でしたから ね。

TA. はじめての仕事は?

Komatsubara. 東映動画の下請けですから「少年」 ケン」の動画ですよ。今考えると、夜も5時 ぐらいに終っていましたし、徹夜することも なかったし、健康的でしたね。毎日弁当持参 で通っていましたもんね。

TA. そこでは東映以外の仕事は?

Komatsubara. 今のエイケンの「鉄人28号」とか、 「宇宙少年ソラン」、虫プロの「W3」 や 「オ バQ」なんかもやってましたね。

TA. 何年間そこにいらっしゃったのですか?

Komatsubara. そうですね、四、五年ぐらいかな。 ちょうど、そこのプロダクションの企画で、 赤塚不二夫さんの「オソ松くん」をはじめた んですけど、それがブームにも乗って受けま して、会社としても多少蓄えができたんです ね。それでつぎに、アメリカの小さなプロダ クションとの合作もので「ジョニー・サイフ 「アー」というSFの5分ぐらいの短い番組を やったんですけど、これが大赤字で会社もつ ぶれて、僕も、おっぱりだされたかたちにな ってしまったんです。 そのあと、そこの会社の人の紹介で銀座の 朝日フィルムというところで六ヵ月ぐらい、 「巨人の星」の原動画をやったんですけど 給料を貰えなくて、夜中に汐留の駅で荷物下 しのアルバイトをしたりして、今考えてみる といちばん苦しかった時期ですね。 安定して 三菱電機を退社して、両親の猛反対を押 切って、自活するっていって出てきたわけ ですから、家に帰ろうにも帰れませんしね。

TA. その後は?

Komatsubara. やっぱり友達の紹介でハテナ・プロ というところへ入りました。そこは、30人ぐ らいスタッフがいて、東映を主体として「ひ みつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」「巨 人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」などをやっ てました。 僕は原画で入りまして、 「タイガ ーマスク」を担当したんですけど、 はじめて 二本でまた会社が潰れてしまったんです よ。よくよくついてなかった(笑)。そしてそ れならということでその会社の有志が集まっ て新しい会社をつくろうということになった んですね。それが三つのプロダクションに分 散しましてね。今僕のいるOHプロ、スタジ オ・ジュニオ、スタジオ・メイツの三つにね。 それぞれ麻雀の好きな同士が集ったり、酒呑 み同士が集ってね。

TA. OHプロには?

Komatsubara. もちろん酒呑み集団です(笑)。でも あれから10年過ぎたけど、三つともいまだに 健在なんですよね。

「タイガーマスク」がその後の作品の基盤になった

TA. OHプロでの初仕事は?

Komatsubara. ハテナプロから引き継いだ「タイガ ーマスク」で、僕のはじめての作監の仕事で した。四~六週間に一本の割合でやりました ね。当時OHプロは「タイガーマスク」と「ア タックNO1」を軸にして仕事してました。

TA. そうすると「タイガーマスク」は小松原 さんにとって思い出となる作品になるわけで すね。

Komatsubara. そうですね。まだ作監は早いと思っ ていたんですけど、どういうわけかなってし まいまして・・・・。それと、この作品は、今ま で僕がやってきた作品とは絵柄が全然違った もので、劇画タッチで、動きもオーバーアク ションで映画的だったので、いろいろな面で たいへんでしたからね。

TA. 具体的にいいますと、どのへんですか。

Komatsubara. 当時のテレビアニメは、ほとんど フィックス(カメラ固定)で撮ってましたけ どこの作品では、人物の動きに合わせてカ メラがついていく、いわゆるフォローがふん だんにでてくるわけです。ですから目盛りを 切って撮影したので、少々戸惑いましたね。 それと絵の角度といったものも、従来のもの より、かなり大胆なものを多用しました。ま た内容がプロレスものなので、プロレスの技 も覚えなくちゃならないですしね。よく実際 のプロレスを見にいったものですよ。とにか く番組が終了する頃になって、やっと要領が つかめるようになったほどですから......。

TA. そうしますと「タイガーマスク」がその 後の作品をやる上でも、相当にプラスになっ たということですか?

Komatsubara. そうですね。ちょうど、そのあとの 「キックの鬼」や「デビルマン」の頃から、 サイクルが早くなってきまして、「ゲッター ロボ」や「グレンダイザー」などの、いわゆ るロボット物になるんですけど、ロボット物 なんかでも、どちらかといえば劇画調に近い ですから、そのスケールの大きさとか、おと なしくない絵にする、という面で「タイガー マスク」をやったことが、ずいぶん参考にな っていましたよ。

TA. ロボット物も、はしりの頃ですね。

Komatsubara. ええ、「ゲッターロボ」の場合、そ れより前に「マジンガーZ」がありましたけ ど、「マジンガーZ」は単なるロボットでし だけど、「ゲッターロボ」は、いわゆる合体 もので、そのはしりでした。そのあと超合金 合体もののブームになるわけですからね。で も正直いって、僕はメカものはあまり得意じ ゃないんです。好みからいっても人物のほう が好きだし向いていますね。メカはとにかく 難しいですね。余談ですけど、いま日本のア ニメで戦闘シーンやメカを描かせたら、金田 伊功がいちばん上手いんじゃないかなあ・・・・・・ 彼は若いけど、そりゃあ上手いもんですよ。

TA. 松本零士さんの作品としては、まず「キ ャプテン・ハーロック」があるわけですけど はじめて松本作品に触れたときの印象はどう だったのですか?

Komatsubara. まず、松本さんの作品ていうのは独 特の絵と不思議な雰囲気がありますよね。そ の世界に馴じむことからはじめました。なか なかできませんでしたけどね。僕がそれまで やってきた仕事とは違って神秘的な魅力があ りましたからね。でも生理的にあの人の作品 が好きなんです。ですから「ハーロック」の ときも、まず松本さんのキャラを見て、これ はいいと思って、僕なりにキャラクターをつ くったんですけど、それを松本さん御自身に 見てもらって一発でOKになりました。それ もやっぱり、それまでいろいろな作品をやっ てきたことが、かなりプラスになっているん じゃないかと思いますね。今やっている「が 「んばれ元気」も絵柄が全然違いますし、それ なりに難しいんですよ。

TA. そのあとが、「999」ですね。

Komatsubara. ええ。僕の場合、劇場用がはじめて だったんですね。その前にすでにテレビ放映 がされてましたから。テレビ版が前にあると いうことで、ちょっと意識しちゃいましたね。 まあ、テレビ版からは独立した長編というこ とで、違った感じをだそうという気持はあり ました。 鉄郎なんかは、テレビのものより相 当年令が上っていましたし、メーテルにして もテレビのとは、微妙に違っていたでしょ。 松本さんに見せたら、どちらかというと僕の 描いたメーテルのほうが、松本さん好みだっ て言ってもらいましたけれどね。そのあとテ レビ版の「999」も担当することになった んですけど、今度はテレビ用のメーテルを描 かなくてはいけないんですけど、描くとどう しても前に描いた劇場用のメーテルになって しまうんで困りました。他の人に合わせなく てはいけないので、意識して変えるようにし ましたけれどね。

絵が上手でも芝居が ダメな場合もある

TA. 今までいっしょに仕事をしてきた方で印 象に残っている人は?

Komatsubara. 演出のりんたろうさんとか、美術の 椋尾(篁)さんとか、いろいろな方がいます ね。りんさんは、僕がそれまで会った人には 感じられなかった独得のムードをもっている んですね。演出的な面でも、いろいろ勉強に なりましたしね。感性が豊かなんでしょうね。 いろいろ勉強もしている方だと思いますね。 僕らは絵コンテみればわかりますよね。あの 人は絵が描ける人でしょ。だから絵コンテも きちんと描いてありますし、その一コマ一コ マに彼の感性がにじみでているんですね。 椋尾さんは技術的な面もさることながら、 あの人間性ですね。アニメーターというのは はっきりいって、仕事柄どうしても時間にル ーズになりがちなんですね。僕も含めて(笑) その点、椋尾さんはプロ意識に徹しているっ ていうのか、時間はちゃんと守りますし、仕 事もかなりつっこんできて、いいかげんなこ とはしません。単純なことかもしれませんけ ど、なかなかできないんですよ。そういう面 ですごく尊敬している人です。

TA. そのほかでは?

Komatsubara. 東映の勝間田さんは、バイタリティ があるし、言いたいことをハッキリ言ってく れますから、僕らも延びますし、勉強になる 方だと思いますね。

TA. 作画、あるいは作監の難しさについて話 して下さい。

Komatsubara. まずアニメの場合は、マンガと違っ て他人の描いたキャラを何枚も似せて描き、 かつ動きを加えるということが、いちばん難 しいですね。横を向いた顔、正面を向いた顔 後姿のキャラを統一しなくてはいけませんか らね。作監というのは、たとえば今やってい る「元気」の場合で言えば、五、六のプロダ クションからあがってきた原画を、一枚一枚 見て統一させるために修正しなくてはならな いんです。 かんたんに直せるものならいいけ プロポーションから何から全然違う絵も あるんですね。そういう場合は全面的に描き 直さなくてはなりませんよね。でも一人でや ってますとやっぱり限界があって、メインキ ャラだけは直しますけど、ゲストキャラにつ いてはノーチェックということもありますね。 また、絵が上手であっても、芝居がダメな場 合もありますよね。動きが悪かったり、タイ ミングが悪かったりね。タイミングっていう のは微妙なんですね。一コマ狂うとめちゃく ちゃになっちゃう。だから絵と同時に動きの 修正もしていくんですけど、正直いって今の ペースで全部直すということは不可能ですね。

TA. ご自身のベスト作品は?

Komatsubara. 「タイガーマスク」か「ハーロック」ですね。

TA. 他の人の作品でお好きなものは?

Komatsubara. そうですね。「未来少年コナン」は 好きですね。演出も作画もすぐれています。 話の設定なども、はじめから終りまで一貫し ていて、しっかりしたものになっていますか らすばらしいと思います。

TA. 最後に、これからやってみたい作品の傾 向を聞かせてください。

Komatsubara. 僕は、まだやったことがないんです けど、ギャグ物をぜひやりたいですね。今は ギャグ物も少ないですからね。しゃべりで笑 わせるギャグじゃなくて、動きの中で見せる ギャグをね。キャラクターもストーリーも単 純なヤツでね。そういうのを誰か企画してく れないかな(笑)。

TA. そういう企画が出てくることを期待して います。どうもありがとうございました。

November

Akira Daikubara Feature

とにかく絵の描ける仕事が したかった ≈ アニメーターの方は皆さん、そうだった と思うんですけど、子供のころから絵を描く ことが好きだったのですか?

Daikubara. ええ、当時の俳優の写真を見ながら 似顔絵を描いたり、まわりのものをスケッチ したり、よくやってましたね。それで子供っ ていうのは、描いていて、他人から〝上手だ ね”ってほめられると、うれしくなって夢中

TA. になって、どんどん描いちゃうんですね。 マンガも?

Daikubara. マンガばかりでなく、ボクはだいた い気が多いほうですから、さし絵も描きまし たし、とにかく描くことが好きで、絵を描く 仕事につきたいと、つねづね思っていました。 戦前には、よく雑誌に描いたものを投稿して ました。なんていったかな、近藤日出造さん がだしていた雑誌なんですけど・・・・・・。 その雑 誌には、現在週刊新潮の表紙を描いている谷 内六郎さんなどもよく投稿していましたよ。

TA. そうしますと、アニメの世界に入るきっ かけは?

Daikubara. とにかく当時は戦前ですし、アニメ をテレビはもちろん、劇場でも見る機会って いうのは、それほどないわけでしょ。アニメ ーションは漫画映画といったわけなんですけ ど、ボクなど、その漫画映画がどんなものか も知らなかったんですから。いまもいいまし たように、とにかく絵の描ける仕事をしたい と思っていましてね。あるとき新聞の募集広 告に漫画映画というのがあったんですよ。そ れで、どんなものなんだろうって興味をひか れて、とりあえず行ってみたんです。 そこが、ボクが初めてアニメの仕事をした 鈴木宏昌漫画映画研究所だったんですね。そ こへ行って鈴木さん―この人は芦田いわお という名前ももっているんですけど に会 って、いろいろ話をしてみたんですけど、ボ クより六つぐらい年上で、とってもいい人な んですね。それで話を聞いているうちに、こ れならやっていけるなって思ったわけです。

TA. そこでは、どんな仕事をされたわけですか?

Daikubara. 鈴木さんのところには、2年ぐらい いたのかなあ……。先輩が2人いましてね。 ボクは興味がありましたから、タイトルから 背景から撮影まで、いろんなことをやりまし たね。いまから考えると、なんとも幼稚なも のですけど、一生懸命つくっていましたね。 それで、そのうち芦田さんが戦争で兵隊にと られちゃいまして、困っているところに山本 (早苗)さんから誘いがあって、山本さんの ところへ行ったんですけど、戦争でもう漫画 映画どころじゃないわけですよ。その間、ボ クは山本さんなんかといっしょに、海軍省で 絵の仕事をしていたんです。 終戦後は、昭和20年の終りごろだったか、 山本さんが、政岡憲三さんとか村田安司さん 日本漫画映画株式会社"を雑司ヶ谷につ くったんですけど、すぐ山本さんと政岡さん が日本漫画映画”から離れて”日本動画株 式会社"をつくったんです。そこへ現在、日 本アニメーションにいる森やすじさんが入り、 遅れて僕が入ったわけなんです。

TA. そのころと現在では、製作システムでも だいぶ違っていたと思うんですけど。

Daikubara. そうですねえ。セル一枚とってみて も、いまのように使い捨ての時代じゃないで すから、使っては洗い、使っては洗いで五、 六回は使いましたよ。もちろんトレスマシン もありませんから、手でトレスするんですけ ど洗ってもトレス線の跡が残っちゃうんです。 もうセルが黄色くなるまで使ってましたよ。 動画用紙にしても、いまのようにキレイなヤ ツじゃな てワラ半紙ですから、消しゴムで ささくれちゃったりね。ひどいときは、キャ ラクターに穴があいてしまったりね(笑)。そ れからカメラにしたって、いまみたいにいい ものではなくて、ドイツ製のチャチなもので ね、トラック・バックなんていっても戸の敷 を利用して、カメラを押していくんですか ら(笑)。実に幼稚なことをやっていましたよ ね。

TA. そのときにはもう、アニメーションを一 生やっていこうと?

Daikubara. 入りたてのころは、さし絵を描くの が好きなものですから、動画よりも背景を描 くほうが好きでした。当時はカラーじゃなか ったものですから、白黒でその陰影を表わす んですけど、村田安司さんがとても上手なん ですね。だから背景は、村田さんに教わった というか、盗んだというか、とにかく影響さ れました。 本格的にアニメーションでやっていこうと 思ったのは日動に入ってからですね。でもあ のころがいちばん経済的に苦しい時で、アニ メだけでは食べていけないものですから、い ろいろな雑誌にさし絵をずいぶん描いたもの です。ほかの人もみんな、いろいろなアルバ イトをやりながらアニメをつくっていた時代 なんですよ。

TA. 日動時代の同期の方には、どんな方がい らっしゃったんですか。

Daikubara. 森さんのほかには、寺 ( 勝井) 千賀 雄さん、中村和子さん、紺野修司さんたちが いましたね。

"ライブ・アクション"で作 った「白蛇伝」

TA. そのあと、東映動画の時代になるわけで すか。

Daikubara. ええ、日動は当時、東映教育映画の 委託で作品をつくっていたんですけど、それ が評判がよかったもので、 日動を丸ごと吸収 してしまい、東映動画を設立したわけなんで す。そして新しい人の養成をはじめたんです ね。大塚康生さんも東映動画になってから入 ってきましてね。ボクは当時四十歳ぐらいで 年配の方で、あとは二〇代ぐらいの人ばかり で、とても活気がありました。 いまから考えれば、東映の大川 ( 博) 社長 が漫画映画が好きだったんですね。当時とし たらいまのようにブームじゃありませんし、 冒険だったと思いますよ。まあ東映が、実写 の劇場を確保していたから成功したんだと思 いますね。

TA. そこでの長編第1作が「白蛇伝」になる わけですね。

Daikubara. そうです。あの作品は、はじめに企 画書を見たとき、その表紙にイラストが描い てあったんですけど、ヘビのグロテスクな絵 でしたね、こんなものが漫画映画になるのか って思ったものでしたよ。スタッフは演出が 藪下泰司さんで、原画がボクと森さん、美術 岡部 (一彦)さんと橋本(潔)さんで、み んな、どういうふうにつくろうかって、手さ ぐりでやってましたね。

TA. どんなところで戸惑われたわけですか。

Daikubara. まず、中国が舞台の話ということで すね。日本人ですから日本のものは慣れてい ましたけど、中国のものははじめてで、それ こそ時代考証も調べなければなりませんから ね。話の中にパンダがでてくるんですけど、 かわいい動物だなって思ったものの、その当 時ボクもふくめて、ほとんど一般の人はパン ダなんて知りませんしね。そういうものもふ くめて、動き、コスチューム、背景など、知 らないものを、ある程度調べて、それなりに つくりだして くわけですから大変なことで した。

TA. 内容的にはどうでしたか。

Daikubara. 話しそのものが、白い蛇の妖精がで てくるファンタジックなものですから、それ ほどリアルなものを要求されるわけではあり ませんし、漫画映画の素材としては、うって つけだったと思いますね。いま考えてみても ああいう素材を選んだという企画は、素晴し いと思いますね。そのあと何本かつくりまし だけど、企画の面からいえば、ボクは「白蛇 伝」がいちばんよかったんじゃないかと思い ます。劇映画ではなくて、アニメーションと して表現するものとしてはね。 話だって、いつまでも心に残るような愛が テーマの話ですし、いまのアニメのように暴 力や殺ばつとしたものがありませんでしたし ね。白娘(パイニャン)という蛇の化身と許 仙(シューシェン)という人間の若者の恋物 語なんですけど、そのほか少青(シャオチン) という魚の精やパンダなんかの動物がでてき て本当にアニメ向けなんですね。

TA. ライブ・アクションもつかわれていまし たね。

Daikubara. ライブ・アクションでつくるという ことで、ボクと岡部さんと橋本さんの三人で 当時の東映ニューフェイスの中から、写真で 白娘のイメージに似た人を選んだわけですけ ど、それが佐久間良子なんです。許仙が水木 で、佐久間良子は「安寿と厨子王丸」 でも つかったんですけど、当時1か1でキレイで したよ。 そのころのライブ・アクションていうのは 実写で撮った動きを一コマ一コマ、まあ二コ マの場合もありましたけど、動画用紙の大き に拡大して写してもらい、それを作画した わけなんです。何コマ目の動きはどうか、と いうことは、すぐわかりますしね。ただ漫画 映画ですから、それをそのままトレースする のではなくて、顔を大きくしたり、足を短く したりデフォルメしていくわけなんです。い まは、技術的にもうまくなっていますから、 その必要もないのでしょうが、それでも動き なんか、とてもいい勉強になりましたね。ま あ、そのころはお金もかけてまして、実写を 1本つくれるぐらいのライブ・アクションを 撮ってました。いまじゃ、とてもそれだけの 手間ヒマかけてつくるということは無理でし ょうね。

はじめてのシネスコ作品 「少年猿飛佐助」

TA. そのあとの作品は?

Daikubara. つぎの年の昭和34年に「少年猿飛佐 助」をつくってます。これはアニメとしては、 はじめてのシネスコなんです。ワイドですか 動画用紙が倍になるというか、横長になる わけなんですね。それまでスタンダードばか りやってましたから、はじめはすごく描きに くかったです。ある意味では、ワイドにする ということが観客を呼ぶことにつながるんだ と思いますけど、実写なら、〝アラビアのロ レンス"などのスケールの大きな作品には、 うってつけなんでしょうけど、アニメの場合 はちょっと違いますからね。といいますのは 作画の方からいいますとね、絵っていうのは 横長に描くということはあまりなくて、ワイ ドというのは変形なんですよね。だいたいが スタンダードサイズなんです。でも横へ走っ ていくシーンなどは、それなりに臨場感がで ますし、いい面もありましたけど、だから高 い山に登るシーンなどは、たて長の画面にし たら面白いですよね(笑)。とにかく「猿飛佐 助」は横長にする必要はなかったという気が してますね。 そのあとの「西遊記」もそうですけど、「少 年猿飛佐助」以降はみんなシネスコでつくってます。

TA. 「西遊記」のあとの作品が「安寿と厨子 王丸」ですね。

Daikubara. 「安寿と厨子王丸」はとてもリアル な作品なんですね。劇映画でもできる素材で すから、劇映画に近いアニメーションだとい えると思います。写実というのは、作画にと って基本ですから、絵を描く人間にとっては デッサンなんかとても勉強になるんですよ。 写実であっても、アニメですから、デフォル メして、動きも違ったものにしていくんです けど、リアルな作品であればあるほど、デッ サンの狂いとか、動きの悪さが目立つんです。 それだけに、この作品は、時間もかかったし 難しかったという印象があります。

キャラのまとめ役が必要に なり作監のシステムができた

TA. 出版されている東映動画全集を見ますと 「西遊記」で森やすじさんといっしょに作監 ということになっていますけど。

Daikubara. そうなんですけど、たしか森さんは 作監だと思うんですけど、僕は原画だったよ うに記憶してます。

TA. そうしますと、はじめて作監をやられた 作品といいますと?

Daikubara. 「わんわん忠臣蔵」からですね。

TA. 作監を担当された感想は?

Daikubara. 原画をやっていたころと、そんなに 違わないですよ。その当時の長編は、原画や 動画のアニメーターが七〇人ぐらいいまして 原画は、七、八人いるわけなんです。もちろ んはじめに、全体を統一するためにキャラク ター設定表をつくるんですけど、原画担当者 の個性が、それぞれ違いますから、それを修 正して統一する、いわゆるまとめ役が必要に なってくるんですね。それで作監というシス テムができてきたんだと思います。

TA. それ以前は、どういうシステムでやって いたのですか?

Daikubara. 作監がなかった前は、ばらばらでや っていたのかというと、そうではなくて、そ 以前にも、作監という名称ではなかったで すけど、修正したりまとめたりすることは、 やっていたわけなんです。東映動画の場合は ボクと森さんが分担を決めて、やっていたわ けなんです。その方法は、とてもうまくいき ましたね。一人でやるよりも、二人でお互い に個性をだしあって、それぞれの得意のキャ ラクターを担当することで、いいものができ る場合があるんですね。キャラクターにそれ ぞれ個性があるように、七人だったら七人の 原画家が、各キャラクターを一人ずつ担当す るということも考えられるわけですけど。

TA. キャラクター制ということですね。

Daikubara. ええ、それもやってみようと思った ことはあるんですけど、たとえば、あるシー ンにAというキャラクターとBというキャラ クターがいたとして、そこにC、Dというキ ャラクターが入ってくるとすると、原画を描 くのに、アニメーターのところへもっていっ て、つぎのアニメーターに渡して、またつぎ に渡すというように、とても時間がかかるわ けですよね。そんなんで能率的でないために やめたわけなんです。

「技術は幼稚でものんびり 楽しくやっていた」

TA. いまは、テレビ・アニメが全盛なのです けど、大工原さんも初期のテレビ・アニメに は参加されてますね。

Daikubara. 月岡(貞夫)くんがやった「少年 「ケン」からテレビがはじまって、それからテ レビが多くなりました。ボクも、「ゲゲゲの鬼 太郎」とか「風のフジ丸」なんかをやりまし た。それと「デビルマン」もちょっと手伝い ましたね。それほどテレビはやってないんで すよ。 とにかくテレビのアニメが放映されるころ から製作本数もふえてきましたし、一つの 作品でも短い時間で多くのスタッフをつかっ てつくるようになって、だいぶそれまでとは 違ってきました。

TA. いまのブームを目のあたりにされますと 隔世の観があるでしょうね。

Daikubara. ええ、カラーひとつとってみてもね。 はじめのころのカラーっていうのは、カメラ に三色のフィルターをつけて、同じカットを 三回撮影したわけですからね。だからフィル ムが三本できるわけですよ。それをあわせて 一本のフィルムにプリントして天然色といっ てたんです。カメラもまだ手回しでしたしね。 ワンカットまちがえたら全部やり直しでしょ。 露出だってまちがうと大変だから、とても神 経をつかったものでしたよ。 まあ、いまは、むかしと違ってプロダクシ ョンの数も増えましたし、テレビの視聴率が 大きな比重を占めて作品を左右するようにな り、競争になってきていますよね。だけど、 むかしは、競争はなかったですし、一週間に 一本というペースじゃなく、長編ですから一 年に一本いいものをつくるということで、楽 しかったように思いますね。

TA. 技術的にはどうですか。

Daikubara. いまのほうが技術は上ですね。うま くて速いですよ。しいて欠点をあげるならば 物マネになりやすいということでしょうか。 「白蛇伝」でもボクらは若い人たちを教えな がらつくっていたわけですけど、動きも今の テレビ・アニメの水準からみると、たしかに 幼稚なところがあります。しかし技術的には 幼稚でも、スタッフが和気アイアイというの かな、いまのように明日の昼までに仕上げな くちゃということはなくて、のんびり、楽しく やってましたから、ボクはやっぱり、いまで も初期のころにつくった作品が好きですね。 それに劇場にかかれば、かならずもうかった という時代ですしね(笑)。

TA. 今日は、どうもありがとうございました。

December

Roundtable

Roundtable Participants:
Yasuji Mori
Ippei Kuri
Leiji Matsumoto
Shotaro Ishinomori
Osamu Tezuka

「火の鳥」の手塚治虫、 「ホルス」の森康二 「ガッチャマン」の九里一平、「銀河鉄道9 99」の松本零士、 そして 「サイボーグ00 「9」の石森章太郎が一堂に会して、アニメ界 に鋭く切りこむ!! ジ・アニメ創刊一周年記 特別座談会は、思い出話から、夢に描くア ニメーションまで、話題満載!!

何の話から始めようか!?

Tezuka. 今日は、ジ・アニメの創刊一周年と いうことで、みなさんにお集まりいただい たわけですが、ご指名により、僕が司会を つとめさせていただくことになりました。 アニメーション全般について、堅苦しくな く、少しは話をおとしてもいいと許可を得 ましたので(笑)、よろしく。 まあ、いろっ ぽい話でアニメーションを語るのは、この 座談会がはじめてでしょうけど(笑)。

Ishinomori. あまりおとしようがないのと、違い ますか(笑)。

Tezuka. アニメーション関係の方は、まじめ な方が多いですからね。

Ishinomori. しかし、外国なんかだと、名作アニ メのポルノ版というか、パロディーもある ようですね。

Matsumoto. 日本でもありましたよ。最近、東映 で見たけど「㊙劇画・浮世絵千一夜」って 作品。(レオ・プロダクション 年度作品 レオ西村演出/編注)

Tezuka. 僕も10分ぐらい見たけど、あとは疲 れてしまって見なかった。ところで、あれ、 面白かったの?

Matsumoto. うーん。

Ishinomori. あのフィルム、僕は持ってるよ(笑)。

Kuri. あれは、レオ西村さんて方の作品で すね。もともとは実写関係のプロダクショ ンですよ。

Tezuka. そういえば、日本画の和田三蔵さん が、ライフワークとしてポルノ・アニメを 作るってうわさを聞いたけど、聞いていま せんか?

Ishinomori. 聞いていますけど······ずいぶん前の 話ですよ。東映 (東映動画)の初期の頃じ ゃないですか。

Matsumoto. 当時は、よもやま話でも、そういう 話をするとしかられましたよ。描く方は純 粋なんだからって(笑)。それをポルノ化な んて、とんでもないって。

Ishinomori. その頃の新漫画党 (寺田ヒロオ、石 森章太郎、つのだじろう、藤子不二夫、森 安直也ら当時の若手漫画家の集団)のつの だじろうなんて、おこりましたよ。

Tezuka. 今は彼、描いてるんじゃない(笑)。

Ishinomori. 新漫画党は、まじめな人が多かった ですよ。少し色っぽい話といっても、せい ぜい女の子の話それで、ドキドキして たんだから。

Tezuka. いつから不まじめになったの(笑)。 しかし、ポルノ・アニメって分野が、あっ てもいいと思うけど......。

Kuri. そうですね。単にポルノっていうだ けではなくて、芸術としてもずっと残るよ うなものを手がけてみたいと思います。

Tezuka. アニメーションのロマンポルノ版 かな(笑)。

オタスケマンヌ・は誰の趣味!?

Ishinomori. 手塚さんの 「クルオバトラ」は、ボル ノじゃないですね。

Tezuka. あれは、お色気アニメ(笑)。だって、 ズバリはないですよ。

Ishinomori. そう言えばそうですね。でも、あの作 品を外国向けにする時は、 ベリもという話が...。。

Tezuka. それは、お金がたまれば(笑)。しかし あの作品を作っている時は、アニメーターの みんなが、どんどんエスカレートしまして (笑)。

Ishinomori. よくわかります(笑)。

Tezuka. ところで、 「オタスケマン」などのお 色気シーンは、誰のアイデアですか。

Kuri. あれはもう、笹川(ひろし)氏の趣味 でして(笑)。彼は普段まじめで、お酒なども 飲まない人ですから、作品の方で発散してし まう(笑)。

Ishinomori. アーシャのヌードなんか、テレビコ ードにひっかかりませんか。

Kuri. いや、見えたようで見えないから、ひ っかかりません。何しろヌードといっても、 フィルムのコマ数にして、2~3コマですか ら、アッという間に通り過ぎちゃう。

Tezuka. テレビだと気づかないけど、劇場のよ うな大画面だとわかっちゃうかな。

Kuri. そうですね。

Ishinomori. 実はね、虫プロ(旧虫プロ/編注)で 作っていただいた「佐武と市捕物控」で、 本だけクレームがつきましてね。パッと見た だけではわからなくても、写真を送ってきて 「けしからん!」 というわけで......(笑)。 だから、たまたま写真を撮っていたら、そこ が写ったというところでしょう。

Matsumoto. すると、今はビデオが普及しているか ら、すぐわかっちゃう(笑)。

Tezuka. そういう人は、かえって楽しんでいた りして(笑)。ところで、色っぽいといえば、 「白蛇伝」(東映動画 1958年度作品 藪下泰司演出/編注)などは、すごく色っぽ かったと思いますよ、あの当時、厳しいコー ドの中で、ギリギリだったんじゃなかったで すか。

Mori. たしかにそうかもしれませんねェ。

Kuri. 大人っぽい作品でしたよ。

Tezuka.「白蛇伝」では、森さんはどのあたりの 原画を担当されましたか。

Mori. だいたい動物のところですね。わりと昔 から動物が多くて、まあ、出世しませんねェ (笑)。

Tezuka. でも、「わんぱく王子の大蛇退治」(東映 動画 1963年度作品 芹川有吾演出/編 注)では、キャラクターの全部をデザインさ れたのでは。

Mori. ええ。キャラクターは、大工原(章)さ んとふたりで。

Ishinomori. ほう、おふたりだけですか。

Mori. 経験者が少なかったものですから......。

Tezuka. 古沢日出夫さんは。

Mori. の方は後からですね。たしか次の企画 の関係できていたと思いますよ。流れてしま ったけどアリババ"が何か…・・・…・・。

Matsumoto. ずっとそれ以前に、「バクダット姫」 (三幸映画社、1948年度作品 芦田巌演 出編注)というのがありませんでしたか。

Tezuka. ええ。あれは芦田巌さんの作品ですよ。

Matsumoto. あれは看板だけで、中身を見ていない のですよね(笑)。 クロのやつですね。

Mori. 昭和27~28年頃かな。(正確には製作 は昭和29年、公開は自主製作に近かったため かなり間をおいて 90年頃まであちこちで上 映された/編注)

Tezuka. そうだ。僕が芦田映画に入りたくて、 芦田さんのところをたずねた時、企画されて いた作品ですよ!

Mori. それは何年頃?

Tezuka. 昭和33年頃だったと思います。

Mori. 大学生の頃?

Tezuka. ええ。あれは、どこから頼まれたわけ 自主的に作られた作品ですよ。あの こころのアニメってのは、作って置いといたん ですね。

Matsumoto. ああ、それで地方で適当な時期に、公 開したわけですが。

日本初のアニメ関係者の集い!?

Tezuka. 森さんが最初に参加された作品は何 ですか。

Mori. 動画を描いたのは、ポッポやさんの んき駅長日本動画社 1948年度作品 演出 )でした。熊川さんの演 出でいます。その後は「トラちゃんと花嫁」 (日本社 1948年度作品 政岡憲三 演出/編)を・・・・・・。政岡先生のもとでした。

Tezuka.「トラちゃんと花嫁」 すごい力作で 背景動画がすごい!!!

Mori. やらされましたね(笑)。

Tezuka. の作品は、ご覧になってませんか。

Ishinomori. 見てないんですよね。

Tezuka.「すて猫トラちゃん」(日本動画社、1 947年度作品 政岡憲三演出/編注)の第 2作でしたね。当時は日動(日本動画社)で すか。

Mori. ええ、場所は若松町にありました。十数 人のスタッフがいたように記憶しています。

Tezuka. 大工原さんも?

Mori. いえ、大工原さんは、当時は日漫(日本 漫画映画社)で、背景を描いていたと思いますか。

Tezuka. たしか当時、アニメ関係者が大同団結 しょうと、どこかの学校の講堂に集まったこ とがありましたね。たしか村田安司さん(戦 前から戦後にかけて活躍したアニメーション 演出家)が、音頭をとられましてね。

Mori. ああ、芦田さんも行きましたよ。でも、 手塚さんも参加されたんですか。

Tezuka. 私は古いんですよ(笑)。

Ishinomori. アニメをやってたんですか。

Tezuka. あの頃、京都でアニメーションの真似 ごとをしていましたね。 ま、プライベート製 作ですが。しかし、あの会合は、一回だけで したね。50人ほど集まりましたけど、あの人 数が当時のアニメ関係者のほとんどではなか ったでしょうか。

Mori. 日本中から集めても、そんなものだった でしょう。

Tezuka. あの時来なかったのは、持永(只仁) さんぐらいかな。そうだ。持永さんと言えば 今、中国の上海で、アニメを教えているそう ですよ。 先日、漫画集団が訪中した時、 横山 隆一さんが会われたと言っていました。 「フ クちゃんの潜水艦」(朝日映画社 年度作品 関屋五十二・横山隆一演出/編注) で、横山さんと働かれた方ですから、すごく なつかしがっていたとか......。

Mori. そうですか。

Tezuka. アレ! なんか、まじめな話になっち やったなァ(笑)。

ディズニーの影響は大きかった!!

Tezuka. 九里さんが、アニメーションを始めら れたいきさつは。

Kuri. もともとディズニーが好きで、絵が好 きで、マンガが好きでした。「白雪姫」なん かは、特に感動しましたね。しかし、最初は とても自分たちだけでは、できないだろうと 思ってました。夢はありましたけど......。そ の上、当時は兄貴 (故吉田竜夫氏)とふたり、 連載マンガに追われて、夜昼逆の生活でした からね(笑)。ところが、そんな時に、手塚さ んが「鉄腕アトム」を作られたのを見て、日 本でもTVシリーズができるんだなと思いま した。その、より合理的なリミッテッド・ア ニメの方式に、すごく興味をおぼえましたね。

Tezuka. たしか、九里さんが京都に行かれた時、 笹川さんも一緒だったので、これはアニメー ション製作の準備ではないか とうわさが ありましてね。僕もてっきり、そうだと.......

Kuri. いや、アニメーション製作を本格的に 考えたのは、東京でですよ、火つけ役は笹川 さんですけどね。

Tezuka. ああ、そうだったんですか。彼のギャ グは、マンガを描いていた頃から、アニメむ きだったものね。

Kuri. 彼としては、少々マンガに疲れていた ところが、あったんじゃないでしょうか。あ まり、体力のある方でもないし。

Tezuka. アニメのギャグマンは、今の日本には 少いから、笹川さんは貴重な存在ですよ。

Kuri. ええ。すばらしいアイデアマンですね。

Tezuka. 現在の竜の子ギャグのアイデアも、 川さんが?

Kuri. 一応ギャグは笹川氏、ちょっとシリア スになってくると我々が重点的にという具合 に、うまいぐあいにやってきてますね。

Tezuka. 今でも、竜の子ファンクラブの人の ファンじゃないんですか。

Kuri. そういう人もいますよ。あとは、ガッ チャマンのファンも多いですね。

Tezuka. 今度は石森さん、あなたが最初に参加 されたアニメーションは、なんでしたか。

Ishinomori.「西遊記」(東映動画 1960年度作品 手塚治虫構成/編注) です。

Tezuka. あれですか(笑)。あれの前は、なかっ たんですか。

Ishinomori. あの前は-自分で8ミリで作ったんです。

Tezuka. そうだ!その話をしましょう。 詳し (笑)。

Ishinomori. あまり話せることもないんですが、当 時はディズニーのファンで、崇拝してました。 ま、みなさんも、そうですが......。 アニメを やりたい、いつになるかわからないけど、お 金をためて、そのうちやりましょうというわ けで、準備だけはしておいたんです。

Tezuka. ほう。

Ishinomori. 自分でマルチの撮影台を作ったり ミリを買ってきたりしましてね。

Tezuka. それは東映 (動画) が、始まってから ですか。

Ishinomori. いえ。そのちょっと前。 ときわ荘(当 時の新進漫画家が、多数住んでいた東京・豊 島区にあったアパート/編注)にいた頃です

Tezuka. 昭和30年頃かな?

Matsumoto. そうですね。我々が卒業(高校)した のが、20年だと思うから …やはり、30年頃 ですね。

Ishinomori. 東京へ出てきて、すぐに8ミリを買い ましてね。

Tezuka. そのころの8ミリって、1コマずつ撮 れたんですか?

Matsumoto. できましたよ。切り換えのレバーがつ いてましてね。

Ishinomori. 3本ぐらいついてんのね、レバーが。

Tezuka. 撮影台のワク組みは、石森さんが作ら れたわけ?

Ishinomori. そうです。

Tezuka. 日曜大工 !? (笑)

Ishinomori. ええ(笑)。ただ、セルを置く台の間隔 がわからないもんで、マルチで何段もガラス が置けるように作ってあるわけですよ。それ で、上からカメラをのぞいて......。

Tezuka. でも、あそこ (ときわ荘)で撮影する としても、石森さんの部屋は2階で、誰かが 階段を上ったりすると、アパート全体がゆれ たでしょう(笑)ああいう所で、よく撮影が できましたね(笑)。

Ishinomori. ライトをつけると、ヒューズがとぶん じゃないかって、ずいぶん心配しましたね。

Tezuka. じゃ、あそこでセルの色ぬりまでやっ たんですか。

Ishinomori. ええ、やりました。

Tezuka. うーん、すごいですね。

Ishinomori. でも、結局でき上ったのは、犬が土管 中に入って、出てきてアクビして、背伸び する(笑)その程度の短いやつしかできません でした。

Tezuka. いや、大変なもんですよ。 フルアニメ でしょう。

Ishinomori. フルアニメです。 Tezuka. で、そのフィルム、今はどこにあるんですか。

Ishinomori. どっかにあるはずなんですが(笑)。行 方不明なんですよ。

Tezuka. カラーですか。

Ishinomori. カラーですよ。

Tezuka. すごいなァ。東映より前にカラー・ア ニメだもの(笑)。 名作「黒いきこりと白いきこり」

Tezuka. 「黒いきこりと白いきこり」(日動映画 1956年度作品 藪下泰司演出/編注)は、 何年でしたか。あのあたりが公称の、日本最 初のカラー・アニメじゃないですか。

Mori. そうですね。あれは、ネガが3本ありま してね。それを重ねて焼くんですよ。

Tezuka. それじゃ、テクニカラーじゃないです か? ネガを3本作って、それを同時に焼く んでしょう。

Mori. 技術的なことは、藪下さんがやってまし たが。

Tezuka. 当時のフジカラーは、アグファカラ (アグファー・ゲバルト社で作っているフィ ルム/編注)系統でしょう。ネガ1本で焼け るんだけど、だんだん色がハゲてくるのね(笑)。 それが、まず青系統が落ちるから、しまいに 全体が赤くなっちゃう。だから、ネガが3本 あるというのは、完全にテクニカラーですよ。 ディズニーと同じじゃないかな。ところが、 そのフィルムが、今行方不明なんですよ。誰 も持っていない、幻のフィルムです。森さん も、最近ご覧になっていませんか。

Mori. 見ていませんね。

Tezuka. 上映会で森さんの特集をやっても、あ れだけは入っていないんです。あの作品は、 何分ぐらいでしたっけ。

Mori. 15分だったと思いますよ。

Tezuka. あれは本当に最高傑作ですよ。詩情が あふれてましてね。

Mori. いや、とんでもない。

Tezuka. 森さんは、今までも長編のキャラを作 ったり、一部をアニメートされてますけど、 全部おやりになったのは、「黒いきこりと白 いきこり」を含めて、3本ですか。

Mori. そうですね。

Tezuka. これと「こねこのらくがき」(東映教育 映画部 1957年度作品 藪下泰司演出 注)と「こねこのスタジオ」(東映動画 1959年度作品 森康二演出/編注)ですね。 「スタジオ」の方は、カラーで東映の人が多 参加していますけど、「らくがき」の方は 森さんでなくてはできませんね。そして、そ の前の「黒いきこりと白いきこり」 これは ねェ、宮沢賢治の世界ですね。

Mori. いや・・・・・・。

Tezuka. 宮沢賢治に、今のアニメ「日本昔ばな し」をプラスしたような、そんな感じの作品 ですよ。

Ishinomori. それは、映画館で見たんですか。

Tezuka. いや、自動で見せてもらったんです。 あの話は、雪女が出てきて、いろりであたっ ている黒いきこりを楽しちゃうんですよね。 この黒いきこりは、森の動物たちをたくさ ん殺していて、動物の幽霊というか、霊が白 いきこりのころへきて、寒いからあたらせ てくれっていうんですよね。

Mori. クマとウサギとキツネとリス・・・・・・でした か。

Tezuka. そうそう。で、白いきこりは、この動 物の霊を中に入れてやる、動物たちがいろり のまわりで、あたっているのを見て、白いき こりも凍らせてやろうと思っていた雪女が、 これはかなわんって顔をして、逃げていくん ですよ。

Ishinomori. よく覚えてますね。

Matsumoto. その話は、手塚さんから初台でうかが いましたよ。

Tezuka. で、作品は見ましたか。

Matsumoto. いや、話だけで......。

Mori. あれは浜田広介(ヒロスケ童話で有名な 童話作家)さんの作品ですよ。

Ishinomori. アニメ用に作られたものですか。

Mori. いえ、そうではないんです。

Tezuka. でも、あれは完全に森さんの世界です ね、森さん 自由に作られたという感じで。

Mori. しかし、 雪というと「西遊記」の五行 山の場面を思い出すんですよ。あと「太陽の 王子 夏の大冒険」(東映動画 1968 年度作品 高畑勲演出/編注)の吹雪ね。な んだか、吹雪ばっかり描いてる(笑)。でも、 あの「きこり」の吹雪が、勉強になってます

Tezuka. あれはよかったですよあれ、だいぶ リテークされたでしょう。

Mori. 聞いたところでは 女のところのスー がうまくいかなくて、何度もやりなおし たと言っていましたよ。

Tezuka. あんな名作が行方不明なんて、本当に ガックリしますね。そのあとが「ハヌマンの 「冒険」(東映 1957年度作品 藪下泰司 演出/編注)ですか。

Mori. いえ。あれには参加していません。あれ は大塚康生さんがやってます。

Tezuka. あれは、日本非公開のタイ向け作品で したか。

Mori. ええ、タイ国あたりでした。

Tezuka. 東映が依頼を受けましてね。叙情詩の ラーマヤーナの中の、ハヌマンというサルを 主人公にした話でしたね。

Mori. ご覧になりましたか。

Tezuka. いいえ。あれはでき上るとすぐ、送ら れてしまいましたから。あれは「白蛇伝」の 前ですか。 ええそうです。

Ishinomori. めずらしいですね。 むこうからの依頼 のも。

Mori. たしか、CIA(米国中央情報局)の依 頼でした。

Matsumoto. エア CIAですか。

Mori. いわば反共映画ですよね。

Tezuka. ひょっとすると、今でも上映してるか もしれないね。あちらの方では。

アニメ界の現状やいかに!?

Tezuka. 昔話が続きましたが、ここらで、アニメ 特に日本の現状についてのご感想な どを、歯に衣をきせずに(笑)お話ねがいた いんですが。あ、それはもちろん、ほめてい ただいてもいいんですよ(笑)。

Ishinomori. ここに集まっていらっしゃる皆さんと 同じだと思うんですが、ディズニーで育った わけですから、今のアニメは動かなすぎると いう気がしてならないんです。リミッテッド すよね。 アニメでもないんですよね。リミッテッドと いうのは、時間や効果を計算した上でのリミ ッテッドですから。手抜きという気がして、 その点が不満ですね。

Mori.「白雪姫」なんか、線がブルブルふるえて るんですよね。パッと止まっちゃうと、 なぜ かおかしな気がして、僕たちも〝止メ"であ っても、わざわざ引き写してブルブルふるわ せたものですよ。

Tezuka. 最近のファンの中では、「白雪姫」な んか、動きすぎて気味が悪いという人もいま すよ(笑)。

Ishinomori. フライシャーなんかも、よく動いてま

Mori. 止まってるところがないんですよね。

Tezuka. 昔は、アニメといえば動く楽しさ、線 の面白さだったでしょう。そのあたりまで、 今の若い人たちに目をむけてほしいですね。

Ishinomori. キャラクター・アニメというか、雑誌 のヒット作からアニメになるのが多いでしょ う。そうではなくて、アニメ独自の作品を作 らないといけないんではないですか。

Tezuka. 石森さんは、そういう企画があれば、 参加されますか。

Ishinomori. そうですね。また、自分で作るとすれ ば、そういった作品を作りたいですね。

Tezuka. 松本さんは、現状についてどうお考え ですか。

Matsumoto. それが、なにしろ自分のことで手いっ ぱいなもので(笑)、アニメの現状といっても ね......。 しかし、自分のことに目をつぶらせ てもらって、棚に上げて話させていただけれ ば、石森さんと同じです。ディズニーなんか を見ると、アニメーションに対する情熱が感 じられるんですね。ああいう情熱がほしいで すね。ところが、アニメーションに参加して みると、赤字がズラリと並んで、今まで想像 もつかなかった世界でして(笑)。現状は自分 のところで手いっぱいで(笑)。

Tezuka. うーん。では、九里さんひとつ。経営 者として、またアニメーターとしてお話くだ さい。経営者としては、どうですか。

Kuri. 大変ですよねぇ(笑)。

Tezuka. 実感ですね(笑)。

Kuri. でも、今後のアニメ界の展望は、明る いと思いますね。アニメファンも増えている ことですし、また彼らはアニメを掘り下げて 見てくれてますからね。設定とか、音楽、企 画と深いんですよね、ですから、ごまかしが きかない。そういった意味では、やりがいが あるし、アニメを本当に見てくれるファンが いるというのは、嬉しいことです。ですから、 仮にお金があったら、こういう企画でやりた いというものをリサーチして、やってのけれ ば損はしないんじゃないですかね。つまり、 いいものは残るということです。

Tezuka. では、九里さん個人としては、どうで すか。経営者としてではなしに。

Kuri. 同じく、非常にやりがいがありますよ。 これからは、自分がやりたいことを、やって のけられる時代が来ると思っています。たと えば、ジ・アニメさんのような雑誌ができて、 アニメを本当に見る目のあるファンに、宣伝 してくれているわけです。今まで、見ていた 人が、やりたい、作りたいということで入っ てきてくれていますしね。

Tezuka. 今、養成されているのは、何人くらい ですか。

Kuri. 若い人が60名くらいです。男女半々で すね。その若い人たちが育ってくれた時、 々の本当にやりたいものができるんじゃな いかと思うんです。でも、まだTV局などで アニメを選ぶ側になった若い人たちが、その 段階までいっていないんです。その人たちが 成長したら、もう少しいいアニメができると 思いますね。

Tezuka. なるほど。

Kuri. ただ、もっとインターナショナルなも のを作らないと......。外国へ行くと言われる んですが、日本のやり方はへただ、今や日本 だけで考えている時代ではないと。たとえば ヨーロッパでは、多くの国がより集まってア ニメを作っていますよね。そういうことを、 なぜ日本はやらないか。あまりにも、日本だ けで甘んじすぎている、と言われますよね。 もっともっと、インターナショナルに作って もいいんじゃないでしょうか。日本だけとい う考えではないんですよね。 手では、結局、輸出を考えるんですか。

Kuri. 輸出というか、もっと国際的にという ことです。外国にも市場が広がれば、それだ 見てくれる人も増えるわけですから、 も入って、費用も使えますしね。

Tezuka. やっぱり、経営者だ!(笑)それでは、 森さん。どんなにケチをつけてもいいですよ。 言ったあとで、これは書くなと言えばいいん ですから(笑)。 (それはひどい!"と編集部の声あり) まず、もうからないと作らないこれ は、たしかに正論なんですが、もうちょっと 幼児向けのアニメがあってもいいと思います。 たとえば「くもとちゅうりっぷ」(松竹動画研 究所 1943年度作品 政岡憲三演出/編 注)みたいな作品があってもいいんじゃない ですか。

Tezuka. 今、森さんがご覧になっている中では、 それに近いものはありますが。

Mori. 「日本昔ばなし」でしょうかね。それに 今のアニメは、動かなすぎますでしょう。

Ishinomori. そうですねェ。

Mori. 昔、アニメーションは、演技の部分が多 かったつまり、動きですよね、ところが、 今は絵の部分が多いですよ。絵ばかり大切に して、動きを考えないんじゃないですか。し かし、枚数が制限されている以上、しかたな いとは思いますけどね。

Tezuka. 当たる作品ができれば、それでもペイ すると思うんですがね。

アニメファンに望むこと

Tezuka. 今、アニメのファンの人たちは、声優 さんに憧がれたり、主題歌に憧れたり つまり、アニメをアニメとして見ないという ところがあると思うのですが。

Ishinomori. たしかに、そういうところもあります ね。

Tezuka. そんな中で、我々がファンに何を望む か。どのように、アニメを見てほしいかをう かがいたいのですか

Ishinomori. 僕は、見方は自由だと思います。ただ、 もっと視点を広げてほしい。アニメーション なに広いと知ってほしいですね。 それは、声優さんに憧がれたり、キャラに ひとつの広がりかもしれない エメーションをメディアとして見て たいですね。 今中学生あたりの人でファンになった人 が、自分で作れるくらいになるま あさないでほしいという気が

Tezuka. なるほどね。松本さんは 松本送り手側の場として、 見方は要求 できないんだ るしょうか。料理して、 だまって皿にのせて出すしかない。 だまって 出して見てもらっ まあ、マナ板の鯉 といったところですか。その中で、やはり自 分で描きたいものを描くしか方法はないと 思います。

Tezuka. う -ん。むずかしいですね。

Matsumoto. それと、現在の、特にテレビアニメは 僕たちが戦後に見てきた、あのマンガブーム というか、赤本ブームに近い状態だと思うん です。山のようにあるマンガの中から、好き 手に選んで何を見ても送り手側からの要 かった。しかし、その中で今も残って いるのは、やはり質のいいものでしたよ。そ の筆頭は手塚さんでした(笑)。今のテレビア ニメも、その中からいいものが残ると思いま す。その土台は、できつつあるんじゃないで すか。

Tezuka. 百鬼夜行ですな(笑)。

Matsumoto. 混沌としてますよ。

Tezuka. ずいぶん長いこと、混沌としてますけ どね(笑)。ところで九里さん、今は東映とか ムービー、それに竜の子さんなど、ファンク ラブがあるというのひとつの現象だと思 いますが、そういうファンを大切にされてい る立場から、身近にいるファンの気質みたい なものは、いかがですか。

Kuri. まあ、アニメというのは娯楽ですから ね。アニメで人生を語るようなのは、大げさ すぎると思いますよ。それより、今はアニメ ーターの中から、作り手としての情熱が燃え はじめているような気がします。こういう時 に、いいものができると思うんです。 特に手 塚さんが、情熱的にアニメ界をもり上げてく だされば (笑)。

Tezuka. まあ、それは別にして(笑)。森さんは 今のファンの人たちを、どう見ますか。

Mori. セルを買いにいくのに、朝行列している ような人を見ますけどね。まあ、それはそれ なりにいいんですが、できることなら、その 費用を自主製作の方にまわしたら、と思うん ですよね。アニメってのは、案外誰にでもで きるものですしね。

Tezuka. 何がセルブームのきっかけですかね。 昔は捨てていたんですがね。

Ishinomori. 見学に来た人にあげたり......。

Tezuka. 裏庭に穴を掘ってうめたり(笑)。

Kuri. 今でも、たいしたことのないような 柄のものは、埋立 手家 まだ、埋立地を探してい 人がいるらしいですよ(笑)。

Kuri. しかし、セルをほしがるか ますよ。僕もディズニーのみほ からね。結局、本物に戻したいという でしょうか。

Mori. ただセルという は、動きのほんの一級 ですからね。1枚1枚で見ると、中途とんぼ ですよ。

Tezuka. そういえば、アメリカで「ウィザーズ」 のセルを売ってましてね。これがフルアニメ の1カット -100枚近くをまとめて売ってる んです。だから、1枚1枚、少しずつ動きが 違うんですね。こんなのを、まとめて買って きたらいいですよ。

Matsumoto. それはほしいなァ。

未来へ! アニメにかける夢!

Tezuka. ここらで夢というか、今本当に心の底 から作りたい作品があったら、教えてくださ い。

Mori.「桃太郎」なんです。これを長編で。

Tezuka. ほう、長編で「桃太郎」ですか。

Mori. これは、昔からの夢なんです。

Tezuka.「日本昔ばなし」みたいなタッチで?

Mori. いえ、もうちょっと違うと思います。

Tezuka. 森さんが今までご覧になったアニメで、 一番感動したものを教えてください。

Mori. ソ連のアニメで「雪の女王」、あと「やぶ にらみの暴君」、ディズニーでは「バンビ」で すか。

Tezuka. 日本のでは?

Mori.政岡さんの「くもとちゅうりっぷ」です

Tezuka. なるほど。では、九里さん、感動したね。 アニメは何ですか。

Kuri.「白雪姫」 -これは、感動しました。 でも、今見てしまうと、違った感じを受けそ なので、なるべく見ないようにしてますが (笑)。あと「覧会の絵」(プロダクション 1965年度作品 大夫、杉山卓演出 注)「ファンタジア」もいいです ね。 「ファンタジア」は、よく動いてますね。 でも、技術的にどう作ったのかわ かりませんね。

Kuri. テクニカル・ミスがないでしょう。 一カ所だけあるんですよ(笑)。 撮影ミスか、シートの記入ミスでしょうが ほんイラッと(笑)。 でもありましたね。 ああ、あれは、長セルでパンするから、 そのあいだに見えないところで、動かしたん 事のシーンで、アライグマが子ど をくわえて川を渡るんだけど、こっちの岸 な作品ですか。 子どもがいなくなっちゃうんです さんは、今作りたいものは、どん

Kuri. やはりSFコマンです。あまりハード にならず、日本のSFを基本にしたインター ナショナルなくといったところですか。

Tezuka.「タイムボカン」?(笑)。

Kuri. もっと大河的なものですね。

Tezuka. たとえば・・・・ 「地球へ・・・」みたいな?

Kuri. そうですね。手塚さんの「火の鳥」の ような感じですか。

Tezuka. テレビアニメでは。

Kuri. やはり、SFロマンです。

Tezuka. ずいぶんSF指向ですね。

Kuri. アニメって想像の世界でしょう。SF だと、色々な制約がありませんから、思いき り作れると思うんです。

Tezuka. なるほど。では、石森さん、好きなア ニメを。

Ishinomori. うーん、むずかしいなァ。「ファンタ ジア」「やぶにらみの暴君」、それにディズ 一。 ニーの「ブカドン」なんか、わりと好きです あと「風車小屋の一日」。

Tezuka. 作るとしたら?

Ishinomori.「風車小屋」のような感じのものを。 僕 生まれた村の四季のたたずまいなんかを、 アニメで描いてみたいですね。

Tezuka. それ、SFとは関係なしですか。

Ishinomori. ええ。ただ淡々と、村の風物を......。

Tezuka. そこに、円盤が飛んで来たりして(笑)。

Mori. 石森さんにしては、こういうのはめずらしい ですね。それでは、松本さんは。

Matsumoto. 僕の好きな作品は、フライシャーの「ガ リバー旅行記」と「バッタ君町へ行く」、そ れに「不思議な国のアリス」までのディズニ 「白雪姫」「バンビ」 「ピノキオ」は文 句なしに好きです。 ましょう。

Kuri.「アリス」もよかったね。

Tezuka. 少し時代が早すぎた感がありますね。

Matsumoto.「バッタ君」なんかは、暗記しているく いです。

Tezuka. 松本さんの作りたい作品は?

Matsumoto.「蜜峰マーヤ」を死ぬまでには! マン ガ的にデフォルメした絵で。それと、24時間 ぐらいの長さで、地球の歴史をテーマに、こ れはクソリアリズムでやりたいですね。

Tezuka.「ヤマト」みたいなものは?

Matsumoto. きや、戦艦はひとつでたくさん(笑)。

Tezuka.でも以前「宇宙戦艦マーヤ」というう わさも(笑)。

Matsumoto. それはな ですよ(笑)。

Tezuka. ところで、先日”オッタワ映画祭"を 見て来たのですが、すごい力作ぞろいでして ね。全編これ背景動画、それも魚眼レンズ風 なんてのもありました。外国とくらべると、 今日本の一 界は、このままでは袋小路に 入りかねないという気がするんです。ここで やはりみなさんにがんばっていただいて、す ばらしいアニメを見せていただきたいと思い ます。今後とも、みんなでよい作品をめざし ましよう。

Yoko Asagami & Kei Tomiyama: Anime Jockey

正月映画にアニメを ぶつける映画会社まで現わ れ、アニメ人気はますます 高まり、アニメファンもグ インと増えているが、そん なアニメファンにビッグニ ュースが一つ。(会場の都 合などで)これまで、ほん の一部の人しか観ることが できなかった。世界のすば らしいアニメ作品が、なん と、テレビで観られること になったのだ!“世界の優 秀アニメをテレビで"とい う声は以前から大きかった がなかなか実現できないで いた。だが、今回、その夢 がとうとう現実のものとな ったのだ。そこで、ジ・ア ニメでは早速、この話題に 注目し、番組の内容を徹底 取材するとともに、この企 画を実現させた人たちにも お会いし抱負などをお聞き した。

すばらしい作品ばかりぜひみていただきたいね

番組名からもおわかりのように、「アニメジョッキー」の声 を担当するのが、あの“ヤマト”でおなじみの富山敬さんと 麻上洋子さん。そこで早速、アフレコが行われている「新坂 スタジオ」にお二人を訪ねた。

Q. 先ほどから見てて、お二人の息 がピッタリですし、それにとっても 楽しそうなんですが、こういうかた ちでやられるのは初めて?

Tomiyama. かなりやってるように思われ てるらしいんですけど、まったく初 めてなんですよ。

Asagami. ラジオドラマかなんかでは、 一緒にやったことはありましたけど、 テレビで、しかもアニメ番組でとい うことではなかったですね。残念で すけど(笑)。

Tomiyama. そう思われるのは、やはり”ヤ マト”のイメージが大きいんじゃな いかな。どういうわけかあれに限っ てアフレコ風景の写真があちこちの 雑誌にずいぶん紹介されたから。

Asagami. そうですね。

Q. アフレコの方、順調に進んでい るということですが、これまでやら れて、感想は?テレビのシリーズア ニメと比べていかがですか?

Asagami. シリーズアニメの場合ですと 一人のキャラクターの声だけやって いればいいわけですが、この「アニ メジョッキー」では、一人で何人も のキャラの声を出さなければならな い。それに、女性ばかりでなく、男 の子もいればおじいさんなどもいる その辺の声替りが、私自身あまりそ うした経験がないのでたいへんです ね。

Tomiyama. 時には動物の鳴き声もやらな ければならないしね(笑)。

Asagami. そう、それと、テレビシリー ズのようにつづきものでないでしょ 一本一本が独立した作品ですし、キ ャラクターもちがう(中には『今に 見てろ』などキャラクターが同じの もあるが)それで、毎回、演出の水 本さんにお聞きしながら自分なりの イメージをつかんでいくのですが、 その辺がシリーズアニメとちがって むづかしいですね。 でも逆に、今は それが、すごい励みになっています ね。私にそうした経験があまりなか っただけに作品もすばらしいも のばかりですしね。

Q. 富山さんはいかがですか

Tomiyama. 僕は以前からこうした作品を やってみたかったので、すごくうれ しいですね。相棒もすばらしいし。 (笑)とにかく、麻上さんも今いって ましたが、作品がいいんですね。 重 きが非常になめらかですし、絵も美 しくしっかりしてる。それに音楽が バツグンにいい。

Asagami. いかにも時間とお金をたっぷ りかけて作ったという感じ

Tomiyama. そう、実にキメ細かいという かていねえに作ってある。やってて 不思議なくらいイメージがわいてく るんです。

Asagami. それに、テーマ自体かなりむ づかしいものもあるんだけど、すご くわかりやすいんですよね。絵だけ 見ててもわかっちゃうというか・・・

Tomiyama. そう、その辺の構成はよく考 えているなと思いますね。僕らにと ってはそこがむづかしいわけですけ

Asagami. そうですね。ガンバラなくっ ちゃ。(笑) 富山さんが、今イメージ がわいてくるといいましたけど、実 は私もそうなんです。イメージがど んどんわき上ってきて、これまで引 っかかっていたアイディとか着想が 次々出てくるんです。

Tomiyama. 作品がそれだけ基本的な部分 を大切に作ってあるんだよね。

Q. 最後に抱負をひと言......

Tomiyama. そうですね・・・・・・やはりいつま でも心に残るような作品にできれば と思いますね。

Asagami. 私はとにかく富山さんの足手 まといにならないように(笑) ガンバ りたいと思っています。

試写会のお知らせ

ジ・アニメでは「富山敬と麻上洋 子のアニメジョッキー」のテレビ放 映に先立ち、この番組を企画推進さ れた三社、「日本海映画株式会社」「ヘ ラルドエンタープライズ株式会社」 「㈱ザック・プロモーション」のご 協力をいただき、世界の優秀アニメ 作品の試写会を行います。希望者は、 葉書に、住所・氏名、年齢を書き、 〒16東京都港区西新橋2の7の4 第20森ビル 近代映画社 ジ・アニ 編集部「富山敬と麻上洋子のアニ メジョッキ」試写係までお寄せください。 ただ、試写室がそれほど広くなく 席数も少ないので、応募多数の場合 は抽選させていただきます。 抽選結 果ならびに、場所等詳しくは当人に ハガキでお知らせいたします。 また、当日はゲストとして「アニ メジョッキー」の富山敬さんと麻上 洋子さんをお招きする予定です。 ●試写会開催日 12月3日(水 ●時間 PM3:00からと5:00から (どちらにするか明記して下さい) ●場所 ヘラルド試写室 ※なお、今回は席数も少く、それに 遠くからですと負担をかけてしまい ますので、東京近効の方に限らせて いただきます。

公開のチャンスがなく倉庫に眠った ままだった… (大森紀子氏)

当社は、ソ 連を中心に東 欧諸国から映 画(もちろん アニメも含ま れる)等を輸入しています。いちば ん最初に輸入し劇場にかけたのが、 十五~六年前の〝戦場”(ヘラルド 配給)という映画でした。アニメも そのころから輸入しているのですが そのストックが現在、三百本近くあ ると思います。 私自身、入って来たフィルムは全 部観ていますが本当に、素晴しい作 品ばかりなんです。しかし残念なこ とに今までに劇場公開のチャンスが なく、倉庫に眠ったままだったので す。それを、三年前から、せっかく の作品だし、できるだけ多くの人に 見ていただこうと、アニメ同好会や 日ソ協会の主催で年二回、都内のホ ールなどで公開するようになったの です。 これがたいへんな反響で、その年 に、今回のようにテレビでやろうと いう企画が持ち上ったのですがその 時は結局ダメになってしまった。 その意味でも、今回のテレビ放映 には大いに期待しています。ただ残 念なのは、今回は二十六本だけしか お観せできないこと。これ以外にも 素晴しいアニメ作品がたくさんある んです。チャンスがありましたらま た、ぜひご覧いただきたいと思って います。今回の中では「島」「フィ ルムフィルム」「イカルスは空を飛 んだ」「狼軍団と半軍団」が特にお すすめしたい作品ですね。

さまざまな手法の素晴しいアニメばかり (ザック・プロ) 水本 完氏

現在、アニ メ番組は、再 放送を含めて 一日四~五本 一週間に実に 三十本前後の作品が放映されている (地方によって多少本数に差がある が)といったように、たいへんなア ニメ人気。多少なりとも、アニメ制 作にたずさわっている者にとっては それ自体非常に喜ばしいことなんで すが、ただ、現在の日本のアニメ界 の情況を見た場合、必ずしも誉めら れたものばかりではないのですね。 アニメは、実写ではとても描きき れない表現方法を持っており、その 大胆な表現とファンタジックな拡が りは子供たちに限りない夢を与えま すが、現在のような情況の中ではそ れもなかなかむづかしい。 それに、日本のアニメの場合(少 くとも現在放映中のアニメについて は)手法がほとんど同じ。これでは 子供たちにアニメとはこういうも のだ"と固定した見方を植えつけて しまいます。そうでなく、アニメは 手法にしろなんにしろ、もっと自由 で素晴しいものであるはずです。(放 映されているアニメが素晴しくない ということではないが)。 そんな風に考えて、ちょっと外に 目を向けると、外国には、それこそ 時間と金と才能をたっぷりつぎ込ん だ、素晴らしい短編アニメがたくさ んあるんですね。聞いてみますと、 「日本海映画」さんの倉庫には、そ うしたアニメが三百本も眠っている というんです。そこで、早速、ヘラ ルドエンタープライズさんにも協力 していただいてぜひ、と今回の放映 にこぎつけたわけです。 今回放映するのは、三百本のうち の二十六本だけですが、機会があり ましたら、ぜひまた企画したいと考 えています。作品は、どれも素晴し いものばかりです。ご家族みんなで お楽しみください。

Akio Sugino Feature

北見で月2本マンガを描いて投稿していた

TA. 型どおりなんですけど、まず杉野さんの 生いたちあたりから話してもらえますか。

Sugino. そうですねえ……生まれたのは札幌で 昭和19年の9月19日です。小学校の3年まで そこにいまして、それから父の仕事の関係で 同じ北海道の北見へ移ったんです。そして1 の歳に上京するまで、ずっと北見で過しまし た。

TA. 多感な10代の頃をほとんど過された北見 というのは、どんなところですか。

Sugino. とにかく何もないところなんです。 盆 地でしてね。冬なんかものすごく寒い。まる 冷蔵庫の中にいるような感じですね。風が ひじょうに強く吹くものですから、雪なんか 横から降ってくるっていう感じなんです。 と にかくそういう厳しいところで、いまは、も うダメになってしまったみたいだけど、当時 は特産物としてハッカが有名でした。

TA. 子供の頃は、どういう少年だったですか?

Sugino. そうですね。どちらかといえば、あま 外に出て活発に遊びまわるという子供では なかった。それより家の中で何か描いたり、 遊んだりすることのほうが多かったです。

TA. 描くというと、マンガを?

Sugino. そうです。

TA. いくつぐらいから、またどんなものを描 いていたのですか。

Sugino. はじめは、マンガといっても手塚治虫 さんなどの模写なんですけど、小学校へ上が 前から描いてましたよ。ま、僕の場合、外 で遊ぶより、家の中のほうが好きだといって も女きょうだいが多かったもので、あまり相 手にもされず一人でボソボソと描いているし かなかったんですけどね(笑)。 当時やっぱり「鉄腕アトム」がヒットして いてね。もう「アトム」ばっかり描いていた。 だけどどういうわけか飽きちゃったんですね。 それよりも寺田ヒロオさんとか、関谷ひさし さんのものが好きになった。なんとなく暖み が伝わってくるようでね。

TA. 上級へいくにしたがって描くほうもエス カレートして?

Sugino. ええ、でも北見へ移ってからは、近所 に同じ年齢ぐらいの友だちがいましたから、 けっこう外でも遊んでいましたけどね。もち ろんマンガのほうも、より一生懸命描くよう になりました。 ちょうど中学の頃だったかな。いわゆる劇 画というのが出てきましたよね。単行本とか、 雑誌でも「影」とか「街」とか貸本向けのも のがね。そういう劇画のようなものを、月に 2本ぐらい描いていたのかなあ・・・・・・。

TA. 月に2本というと、すごいペースですね。

Sugino. 乱作だってよくいわれました(笑)。で も、その頃は、なんていうのか、どうしても 描きたい衝動にかられていたし、描きたいも ののイメージがどんどん湧いてくるんですよ。

TA. 内容は、どういう傾向のものが多かった んでしょう。

Sugino. いわゆる青春ものばかりでした。ただ 僕は、その頃劇画という言葉にとてもこだわ っていたし、反発していたんです。マンガと 劇画とかって区別する必要はないんじゃな いかってね。同人誌の集まりなんかで、その ことについて一席ぶったこともありましたよ (笑)。つまり、劇画といったって、そのスト ーリーは当時の日活アクションみたいなもの ばかりなんですよ。それを劇画なんだ、なん てオゴってはいけないってね。(笑)。

TA. なるほど、なるほど(笑)。それで描いた ものは、どこかへ投稿されたわけですか。

Sugino. ええ。今はもうありませんけど、先ほ どいった「街」というマンガ雑誌が、セント ラル文庫という出版社から出ていましてね。 そこへよく投稿してました。 二回ぐらい掲載されたのかなあ......。それ からすぐ、その雑誌は廃刊になってしまいま したけど(笑)。 アニメーターになってから知ったんですけ 当時「街」に、やっぱり僕みたいに投稿 していた人で、現在アニメーターになってい る人が何人かいるんですよ。 たとえば荒木伸吾さんとか、金山明博さん もそうですしね。

TA. やっぱりそうやって投稿するということ はマンガ家を志していたわけですか。

Sugino. ええもちろんそういう気持は、はじめ からありました。

教科書にしていた手塚治虫の虫プロへ入社

TA. そもそも、マンガを読むだけではなく、 描いてみようと思ったのは、どなたか回りの 人の影響があったのですか?

Sugino. それがないんですよね。もちろん好き で読んでいたわけですけど、絵を描いている ような友だちもいませんでしたし、家族にも そういう人間はいませんでしたし、どうして でしょうね?(笑) まったくの突然変異なん じゃないんですか(笑)。

TA. そうしますと、とくに先生について絵を 勉強したという経験はないわけですか。

Sugino. ええ全然ありません。デッサンにして も直接勉強したというわけではなくて、まっ たくの自己流なんです。勉強といえば、前に もいったように、マンガの本の模写をするこ とが、そうだったのかもしれませんね。それ 僕が小学生の頃でしたけど、手塚治虫さん が「マンガの描き方」という本を出していた んですけど、その本を買ってきて宝モノのよ うに大事にしていました。その本でいろいろ 勉強しましたね。

TA. それからどうされたわけですか。

Sugino. とにかく投稿を続けながら高校を卒業 しました。 僕の希望としては、美術学校へ進 学したいという気持があったんですけど、家 庭の事情がゆるさず、卒業して一年ぐらいは 兄貴の仕事の手伝いなんかをやっていました。 それでもやっぱりマンガ家になりたいという 気持は捨てきれませんでね。あるとき札幌に マンガを出している出版社がありまして、そ こへ原稿を送ったわけなんです。まあ、その 出版社も、僕が原稿を送ったからというわけ ではないんですけど、ほぼ同じぐらいに雑誌 が廃刊になってしまった(笑)。まあ、よっぽ どついてなかったんでしょうけど。でも、そ この出版社に、たまたま手塚治虫)さんの アシスタントをやっていたという人がいまし てね。親切にも、もしどうしてもマンガを描 いてみたいのなら、東京に手塚さんの虫プロ ダクションというアニメーションをつくって いる会社があるけどどうだってすすめてくれ たんです。そのことがキッカケになりまして 上京する決心がついたわけです。その人の名 刺をもらったんですけど、その頃はまだ若か ったもんですから、この名刺さえあれば東京 へ出ても食いっぱぐれることはない、なんて、 単純に考えていましてね(笑)。 ちょうど僕が上京するのと、いきちがいに なってしまったんですけど、当時虫プロにい 真崎守さんが、マンガ雑誌に投稿した僕の 作品を見て、 虫プロへ来ないかって北見の方 へ手紙をくれていたんです。そのころ虫プロ は忙しくて、アニメーターをずいぶん募集 していましたからね。

TA. それで上京してすぐ虫プロへ?

Sugino. いや、やっぱりはじめはアニメーター ということより、どうしてもマンガ家になり たいという気持のほうが強かったものですか ら、上京してしばらくはマンガを描いていま した。そうしているうちに、どうやらマンガでは食えそうもないなって思ったものですか ら、 その札幌の出版社の方の名刺をもって虫 プロへたずねていったわけです。 実は、上京するすこし前に、アニメのいわ ゆる動画のようなものを描いて、虫プロの手 塚さんに送っていたんです。 それを山本暎一さんなんかが見ていてくれ たらしくて、なんとか動画ぐらいなら描ける んじゃないかということで、採用されたわけ なんです。

出崎統、矢吹ジョーとの熱い出会い

TA. 入社して、すぐ動画を描かせてもらえたのですか?

Sugino. はい、どういうわけかすぐ動画を描か せてもらいました。 初めての作品が「鉄腕ア トム」だったんですけど、とにかく描くこと ができてうれしい、というよりも、もう無我 夢中で描きつづけていました。アニメの面白 さっていうのは、やっぱりだんだん慣れて要 領がわかってくるにしたがってでてきました ね。

TA.「アトム」のつぎが「ジャングル大帝」ですね。

Sugino. ええ。「ジャングル大帝」 「リボンの 騎士」で動画だけではなく、原画も描くよう になったんです。

TA. そして初めて作監を担当されたのが「わ んぱく探偵団」?

Sugino. そうですね、正式に作監という名前で やったのは「わんぱく探偵団」ですけれども その前の「進めレオ」の時にも、月に1本ぐ らいの割で、作監のようなことをしていまし た。

TA. そのあと「佐武と市捕物控」などを経て いよいよ「あしたのジョー」と出崎さんとに 出会うわけですけど、出崎さんとの出会いと いいますと?

Sugino. 出崎さんは、僕が目標にしていた人の ひとりなんです。出崎さんもやっぱり虫プロ にいたんですけど、僕が虫プロに入るのと入 れ違いに「アートフレッシュ」という会社を つくられて虫プロを退めていかれたわけです。 出崎さんもやっぱりマンガを描いていまして ね。僕も見ていまして、ああ、上手な人がい るもんだなって思っていたんです。 初めて出崎さんといっしょに仕事をしたと いうのは、たしか昭和44年だったと思います けど、アメリカとの合作で「フロスティ・ザ ・スノーマン」という作品でした。とにかく よく二人で遊び歩いてばかりいまして、なか なか仕上がらなかったっていう思い出があり ますね。

TA. いっしょに仕事をされてまして、出崎さ んという方はどういう方ですか。

Sugino. とにかくいろんな意味で僕を触発して くれる人ですね。なんでも先へ先へと考えて いく人で、僕なんか、それについていくのが 精一杯という感じ….....。

TA. その出崎さんとコンビを組まれた「あし たのジョー」が最も気にいられている作品と か?

Sugino. やっぱりそうですね。ひじょうに疲れ 作品でもあるので、とくに印象深いのかも しれませんけど。それと、虫プロを退めてフ リーになって最初に作監として手がけた作品 ですから、いろいろと思い出があります。と にかく、いい意味で気負っていました。

TA. 矢吹ジョーというキャラクターの生き様 についてはどう思いますか?

Sugino. 愛すべきキャラクターという意味では、 「ジョー」にももちろん愛着があるわけです けど、やっぱりあれは、ちばあきおさんのキ ャラであって、自分のキャラではないという 感じがあるわけです。ですから、たとえば、 「佐武と市 にでてくる飲み屋のオカミ さんのほうが、自分としては好きなキャラな んです。 しかし矢吹ジョーに接していると、ああい うふうに生きてみたいなっていう憧れがあり ますね。自分にもひょっとしたらできるんじ やないかなどと思ってみたりもしましたし、 これから先、どうなるかわからない人間。あ れほどものごとに熱くなる人間。 魅力的な 男ですね。「あしたのジョー」というのは、 オーバーにいわせてもらえば、作品に自分自 身を照らしあわせて見ることができる、僕の 青春そのもののようなものです。

アニメで黒沢明の作品に迫りたい

TA. ジョーもそうですけど、杉野さんの作品 は、何というかきめの細かさと、暖かさが特 のように思うのですが、そのへんはご自分 でも意識されてますか。

Sugino. うーん、それは僕が、というより出崎 さんの持ち味じゃないかと思いますよ。僕は どちらかというと、アニメチックというか、 アニメナイズされたキャラというのがイヤな んです。もっと生身のものを描きたいと、つ ねづね思っているわけなんです。

TA. もう少し詳しく説明していただけますか。

Sugino. そうね・・・・・・。 これは説明するのが難し いことなんですけど、 ······なんていうか、い わゆるアニメアニメしたパターンというもの がありますよね。抽象的な説明で申し訳ない んですけど、そういったものではなく、絵が 動かなくても存在感があるというか、リアリ ティがあるというか、そういったものなんで すね。

TA. 杉野さんのお好きな黒沢明の作品に通じ るものがありますか。

Sugino. 関係があるかもしれませんね。おっし やったように僕は黒沢作品が好きで、よ観 ていますし、いわば僕の教材のような存在な んです。あの人の作品の素晴しさというのは 映画の作り方がとても基本的なんです。それ に手造りの感じがある。たとえば、小道具の 花ひとつにさえ、イメージを持たせています。 そういったことは、どちらかといえばアニメ の方がやりやすいことなんですけど。

TA. 実際に、黒沢明の素晴しさを、どういう かたちで取り入れていますか。

Sugino. たとえば「ジョー」の中でも、黒沢作 品の中でよくつかわれている光と影の描写法 をうまくつかってみたつもりです。それと「武 佐と市」では、あの頃ちょうど黒沢作品 の「赤ひげ」が上映されてまして「赤ひげ」 を見にいきながら絵を描いたり、キャラクタ ーをそこから拝借したり(笑)ずいぶん遊ば せてもらいましたよ(笑)。

TA. アニメで黒沢明に迫ろうと。

Sugino. まあ無理でしょうけど(笑)ああいう理 屈ぬきに楽しいものに、できるだけ近づきた いという気持はありますね。

「ジョー」のハードなスケジュールが面白い画面をつくる

TA. 話は変りますけど、いままでやってこら れた中で、影響を受けた方といいますと、ど ういう方がいらっしゃいますか。

Sugino. 出崎さんのことはいいましたので・・・ そうですね「わんぱく探偵団」のときに原画 を担当していて、現在マンガを描かれている 村野守美さんは、とても絵が上手でね、それ 村野さんは、テレビ・アニメはこうあるべ きだという考えをもっていましたね。つまり、 テレビだと、動きなんかが映画と比べて甘く なるから、シャープな絵づくりが大切なんだ ってよく話してました。そのことが、その後 の僕の仕事に少なからず影響したと思います。 それから、ほんとにちょっとお手伝いした だけという人なんですけど、高畑勲さんがす ごく印象に残っていますね。「アルプスの少 女ハイジ」をわずか30カットほどでしたが、 手伝ったことがあるんです。そのとき2~3 時間打ち合わせをしたんですけど、人間の見 つめ方が独特なんです。たとえば”マルコ" だったら、そういうリアクションは絶対しな いとか、朝と昼と夜とでは、窓をひとつ開 けるにしても、それぞれの開け方があるとか いっしょに仕事をしたのは、後にも先にもそ のときだけなんですけど、演出家としてとて も優れた方だと思います。

TA. なるほど。他の人の作品としては、どう いうものを好まれますか。

Sugino. 外国の作品なんですけど「トムとジェ リー」が大好きなんです。僕も最終的には、 ああいった作品にいきつきたいなっていう希 望もありますね。

TA.「トムとジュリー」のどのへんがお好き なんでしょう。

Sugino. まず、とにかくおもしろいということ が第一ですね。それとあの作品にはアニメ のエッセンス"というものがすべてつめこま れているって感じがします。アニメのキャラ でなければ、絶対にあそこまではいけないっ て気がしますし、作品そのものも、キャラク ターも生きているって感じが画面から伝わっ てきますよね。近々テレビで再放映されると いうので楽しみにしているんです。

TA. 逆に自分では、とてもできないというア ニメのジャンルがありますか。

Sugino. いっぱいありすぎてわからないですね(笑) そうですね。僕はメカものはニガ手なんです よね。まあ、これまでにやったことがあるこ とはあるんですけど、どうもダメなんですね (笑)。ああいうふうにキッチリ描くことがで きないんですね。性質なんでしょうけど、あ あいった冷たい鋼鉄のイメージっていうのが どうしても好きになれないし、ダメなんです ね。もしかしたら描けないからそう感じるの かもしれませんけどね(笑)。とにかく僕とし ては暖いものが好きです。

TA. これからやってみたい作品は?

Sugino. いまは「ジョー」をやってまして満足 してますから具体的には考えていませんけど、 いつかまた「佐武と市 -」みたいな時代劇 をやってみたいという気はあります。

TA. 最後に、マッドハウスを出られたそうで すけど現在はまったくフリーで?

Sugino. ええ、出崎さんたちと新しい会社”あ んなぷる"を作ったんですけど、その事務所 ができるまでは、東京ムービーの一室で仮住 まいをさせてもらったわけです(笑)。

TA.「あしたのジョー2」のスケジュールは かなりきつそうですね。

Sugino. ええまあ・ ・作監はなにしろ僕ひとり ですから、月4本のペースは楽じゃありませ んよね。ですから今の生活っていうのは、夕 方近くから仕事を始めて、朝まで続け、それ から眠るっていう毎日です。なかなか家に帰 れない(笑)。

TA. それほどハードだと作品に影響がでるのでは?

Sugino.「ジョー」をやってるときは、かえって キツい方がフィルムの上がりの面白いものが できるんです。負け惜しみじゃないですよ(笑)。 軽い作品をやるときは、キツイ状況だとうま くいかないんですけど、「ジョー」のようなハ ードアクションはワッ!というものができる んです(笑)。だからこの間の「ユニコ」など は、かるーくかるーくやりましてね(笑)。作 画監督というのは作品全体に及ぼす影響が大 きいので、そうしたことにたえず注意をはら うことが大切なんですよ。

TA. きょうは、いろいろありがとうございま した。

Sunday, April 16, 2023

Other Features in The Anime 1980 - Part One

January

Yasuji Mori Feature


TA. 森さんがアニメーターになろうと思われたのは何歳のころですか?

Mori. 上野の美術学校を出たてのころですから、24歳くらいでしたか。それまでは漫画なんか描いたこともなかったんです。

TA. 美術学校(現芸大)ではなにを専攻されたのですか?

Mori. 建築科です。

TA. 建築科の学生がアニメーターになろうとした、その経緯をお聞きしたいですね。

Mori. たいしたことじゃあないんです。ただ在学中に、実習というか、アルバイトで歌舞伎座の復旧工事の図面を描いたのです。先生は山本五十八というひとでね。のちに文化勲章をもらった偉い先生なんです。 「おまえは細かい図面を描くのがうまいから…・・・・・」と言われてね。それで、座席のひとつひとつにいたるまで細かく描いたのですが、こんな仕事は辛いなあ、と思いました。定規で描くことはつまらないとつくづく思ったんですね。

TA. アニメーションの世界にはいったきかけは?

Mori. 同級生は皆建築の方面へすすんでいったのですが、ボクはそうしなかった。どうしようかなと思っているところへ、政岡憲三を知っている人から、「会ってみないか」という話をいただいた。

TA. 当時、山本早苗と日本動画社をやっていたはずですね。

Mori. そうです。ボクは、定規で線を引くのは芸術的ではないと思っていましたから(笑)、すぐ会いに行ったんですね。美術学校の卒業制作に、ボクは「動物園計画」という風変りな作品をつくっていましたから、それを持って。そしたら、「もったいない、この世界は徒弟制度だから、美術学校の学生がくるべきところじゃない」と言われました。 でもボクは、若かった気負いもあって、「面白術は こうあるべきだ」と、すっかりアニメーションに魅せられてね。

TA. 政岡憲三の「くもとチューリップ」はご覧になっていましたか?

Mori. 学生の時にすでに観ていました。あの作品は政岡憲三の傑作ですね。芸術の香りがしていました。アニメーションは映画よりは絵画的だし、音楽もあるし、とにかくほんとに面白い、と思ったんですね。

TA. 当時アニメーターという職業さえよく知られていなかったのでは?

Mori. そうですね。全国のアニメーターが集ま 大会があったのですが、50人もいなかったですね。「アニメーターって、何? ] 」という時代でした。

TA. すると、政岡憲三、山本早苗との出会いがアニメーターとしての出発点になったわけですね。

Mori. その会社が3年後につぶれて、ボクは西武百貨店の宣伝課にはいった。そこでは、ポスターを描いたり、大売出しという文字を描言いたり……………。

TA. 日本動画社の方は?

Mori. メインスタッフが残って、細々とアニメーションをつくっていました。ボクはそのお手伝いをしながら、雑誌の連載マンガなんかも描いたりしてましたね。

TA. そのころですね。日動が東映と合併されたのは…?

Mori. 日動が東映に買われたのですが、ボクはその直前に「白いきこり、黒いきこり」というカラーの作品をつくりましたね。それはボクにとって、はじめてのカラーで、大工原章や古沢日出夫もいっしょでした。そのあと、東映に移ったのですが、とても嬉しかった。またアニメーションがつくれるということと、そこが素晴しいスタジオだったので......。それまでのスタジオは、学校の二階と一階を借りてつくった吹きさらしの作業場でしたから。冷暖房完備に大感激しましたね。まったく夢のような気分でした。

TA. 森さんのアニメーションに強く影響を与えた人、もしくは作品をあげるとしたら?

Mori. 日動にはいる前に見た、フライシャーのガリバ旅行記にも感心しましたが、なんといってもディズニーにショックを受けました。影響を受けたとすると、絵の感じは政岡憲三、アニメーションそのものに関しては、ディズニーと言えるでしょうね。もっとも、それはボクばかりではないのですが・・・・・・。

TA. その後、「白蛇伝」をつくられていますが、これは海外も含め、多くの賞をとっていますね。

Mori. 藪下泰司の演出、大工原章とボクが原画を担当して、動画は大塚康生が頑張っていました。この作品が日本ではじめての本格長編アニメーションと言えるのでしょう。

TA. その次の作品が「少年猿飛佐助」、そして3作目に「西遊記」ですね。

Mori. 手塚治虫が構成を担当した作品です。あの時、月岡貞夫や石森章太郎をつれてこられましたね。アニメーションについて勉強もさずいぶん興味を持っているようでした。

TA. 森さんは原画をなさったわけですね。

Mori. それと、少年時代の猿やサブキャラクター メイン・ キャラクターはもちろん手塚治虫でね。この作品のほかにも、手塚治虫といっしょにすすめた企画も何点かあったのですが、流れてしまいましたね。

TA. このほかには、シンドバットの冒険も手塚治虫が構成していますね。

Mori. あの作品は手塚治虫の満足のいく作品ではなかったようですね。

TA. 当時、アニメをつくる会社としては東映1社だけだったのですか?

Mori. いえ、横山隆一のおとぎプロがありましたね。ペリーヌ物語の斉藤博や、鈴木伸一はおとぎプロ出身ですね。

TA. その後、手塚治虫の虫プロが誕生するわけですね。

Mori. そうですね。その時は東映からずいぶん人が移りましたね。

TA. いまでも一部のファンに根強い人気をもっている「太陽の王子・ホルスの大冒険」、あれはずいぶん難行したと聞きますが。

Mori. 会社側の方から、お金がかかりすぎるし、なかなかすまないので、一旦中止させられたんです。そして再開された時に、大工原章のかわりにボクが作画監督ということで......。

TA. それまでは作画監督という呼び方はなかったようですね。

Mori. キャラクターデザインという言葉もなかったようです。キャラクターをつくるにも、原画の人たちが各々持ち寄って、あれがいいこれがいい、という具合でね。でも、そうすると、キャラクターの傾向がバラバラになってしまうので、作画監督は全体の絵の傾向を統一する役目ももっていましたね。

TA. 場面設定という呼び方もあのころは なかったようですね。

Mori. とにかくあの作品には力のある人たちが多くいて、もの凄い雰囲気でしたね。宮崎駿は、絵の力でグイグイ引っぱっていくし、高・畑勲、小田部羊一、大塚康生もいましたから。宮崎駿は場面設定もむろんそうですが、絵をとおして作品そのものをつくりあげていましたね。

TA. その「ホルスの大冒険」ですが、興業的にはあまり良い成績ではなかったとか。

Mori. 良くなかったみたいですね。ボクが子供を連れて見に後った時は、子供とボクとたっ二人でね、千葉の映画館でしたが......。

TA. 傑作かならずしもヒット作にならずということですね。

Mori. ボクがつくったものは全然ヒットしないんですね。だから宇宙戦艦ヤマトとか、銀河鉄道999の話を聞くと、うらやましいというのを超えて、ただもう不思議ですね(笑)。

TA. その次の作品は長靴をはいた猫、これは前回のホルスとは対照的な作品ですね。

Mori. 前作は、肩が凝る内容だったので、今度はギャグに徹した気楽なものということで決定されたのでしょう。とにかく、スタッフが最高でしたね。

TA. その後、続編ということで、「ながぐつ三銃士」がつくられていますね。

Mori. これは良くなかったですね。良いスタッフがいなければ、面白いアニメーションは生まれない。

TA. その後、「どうぶつ宝島」、「パンダの大冒険」と続き、それからズイヨー映像へと移られたのですね。

Mori. アニメーターとして存分にうごけたのはどうぶつ宝島まででしょうか。眼を悪くしましてね。

TA. ズイヨーでは「山ねずみロッキーチャック」ですね。そのあとに、「アルプスの少女ハイジ」

Mori. ハイジはパイロットフィルムとオープニンの部分だけ参加させてもらいました。このシリーズでは「フランダースの犬」、「くまの子ジャッキー」。「草原の少女ローラ」や「リスのバナー」もこの系統の作品でしたね。

TA. キャラクターデザインの作風をおもちのようですが…

Mori. いま あったかい、ほのぼのとしたキャラクターの方が好きですが、若いころはスマートで気取ったキャラクターを志向していましたね。「わんぱく王子のおろち退治」なんかは直線的でデフォルメなんかも大胆で、握った手をマルだけ、服のシワは全部とってしまいましたもの。意欲的だったのでしょうが、いまこわくてできませんね。

TA. 自分のつくったキャラクターにも気にいったものと、そうでないものというのがありますか?

Mori. 愛着があるものというのはありますね。パンダ、いたち、ネズミの親子、ウサギといった可愛いいものが好きですね。長靴をはいたネコより、あの作品に登場してくるネズミの方がボクは好きなんです。

TA. とくに気にいっている作品は?

Mori. 自分の描いたキャラクターが自由に動きまわっているのを見ると、もう胸がいっぱいで、いまでも、「ホルスの大冒険」なんか見ると涙が出てくるシーンが何か所かあります。

TA. 森さんがつくられて、 没になったものを見せてくだかいませんか。

Mori. これは「ギザ耳ウサギ」、やっぱりシートンの作品です。小ウサギのころ、ヘビに耳をかじられたという設定です(図−A)。

TA. 3つのキャラクターがあるようです

Mori. これは案です。マンガ的なもの、リアリティのあるもの、そしてその中間のものです。

TA. これはなぜオンエアされなかったのですか?

Mori. これは「クマの子ジャッキー」の対抗馬だったのですが、エピソードが少なかったせいでしょうね。はじめ、クマの子ジャッキーが内定して、そのあとギザミミウサギに変更され、またクマの子ジャッキーに戻ったんです。

TA. こちらの絵は?

Mori. これは「星物語」で、ネズミの博士(図-B)と天文台に住むネズミの親子が狂言まわしを演じます。 そして本編のアニメーションは星の伝説を素材として構成されています。(図−E・C)

TA. 狂言まわしという発想は、子供たちにやさしく語りかけという姿勢で、いかにも森さんらしいですね。

Mori. ラッコは、アニメーションにする予定はありませんが、ボクはこういう動物が好きですね。

TA. 森さんがアニメーターとして、心掛けていることは?

Mori. アニメーターは役者でなければならないということですね。絵を描けるだけではなく、演技ができなければなりません。目パチ、ロパクも、嬉しい時、悲しい時、はずかしい時にそれぞれ違うでしょう、ただ数で絵をいれるというわけにはいきません。

TA. 感情移入ですね。

Mori. 歩く姿もパターンと考えてはつまらない。感情を持った人が歩くのですから、時にはうなだれ、興奮し、あるいはウキウキして急ぎ足になるという具合にね。

TA. いまのテレビアニメーションではそういう描き分けは無理なのでは。

Mori. 余裕がないのですね。でもアンの高畑さんなどは、それをきちっとやってるようです。

TA. 最近のアニメーションの傾向についてなにか.

Mori. たとえばロートスコーピングのように実写をコピーするのは、東映では安寿と厨子王でもやっていましたが、あまり感心できませんね。省略や誇張があって、感情の移入があってアニメーションは楽しくなるんですね。

TA. それではありがとうございました。 (文中敬称略)

February

Special Contribution by Tadao Nagahama
「勝てば官軍、負ければ賊軍」 こん な言葉は、今の若い人達に通じない のでしょうか? 視聴率だけですべてを判断される テレビの世界では、一〇〇年前のこ の不合理なことわざが、今でもまざ まざと生きています。 「ルパン三世」と云えば、ほとんど のアニメファンが、好感をもってむ かえる番組です。特に旧ルパンは評 価が高いと云うのが、アニメファン の中での通り相場と云えましょう。 所が、皆さん、意外とこの旧ルパン が、放送当時視聴率が悪くて、散々 けなされ、「賊軍」として扱われたこ 御存知ないでしょう。 アニメ「ルパン三世」は、当時の アニメでは見られない新鮮な絵づく りをし、奇抜な発想、しゃれたアイ デアで、みるものを楽しませてくれ ました。 「どう思う、長浜さん、これ成功す るでしょうか?」 試写室を出てすぐ、スポンサー筋 の一人に心配そうに聞かれた時、私 はきっぱりとこう云いました。 「これは非常にすぐれた作品です。 これが成功しないわけはありません」 しかし私は、その一週間後に、そ の言葉の責任を問われる羽目になり ました。放映されてみると、何と視 聴率7パーセント余り、裏番組に当 時大当り中のアニメがあって、その お陰で陽の当らない存在となってい たのです。当然テレビ局内では、上 を下への大騒ぎになりました。 「ど こが悪いのか」「何故失敗したのか」 散々いじくり廻されたあげく、監 督の大隅君は、責任を問われて去っ て行かざるを得ませんでした。 その大隅君に七年ぶりでばったり 出合っていろいろ話し込みました。 彼は今ではすっかりアニメから足を 洗って、今は、マジカルスペース人 形劇と云う、ぬいぐるみ劇と、特撮 映画を舞台上で合成した素晴らしい ステージを創り出し、国内は勿論、 アメリカ、ソヴィエトまで遠征し、 大変な人気を博し大いに気を吐いて いました。その彼が、こと、「ルパ ン三世」にふれると怒りをおさえか ねたように、私にしゃべってくれま した。 「まあ、聞いてくれよ、長浜君!」 (私と彼は、ともに人形畑からアニ メに入った仲で、アニメ以前からの 親友なのです)俺が、この前、ある テレビ局の喫茶室にいたら、となり で大きな声で、 何故ルパン三世が当 っているかと云うことを盛んに論じ ている人がいたんだよ。その人は理 由をいくつかあげて盛んにルパンを ほめちぎっていた。所がいいかい、 その人があげている理由のすべてが、 俺が七年前〝何故ルパンは失敗した か!"と散々いびられ、責められた 理由と全く同じなんだよ!」 このくやしさが、皆さんに解って 頂けるでしょうか。私は同じ監督業 として、彼のこの怒りが手に取るよ うに解ります。私は幸い、「巨人の 星」 「おばQ」 「ど根性がえる」と 歴代アニメ視聴率ベストテンの上位 を占める番組につくことが多く、そ んな目に合うことが少なかったので すが、誰よりも、こう云ったことの 不当さを感じるタチの人間として、 大隅君のこの怒りに深く共感したの です。 そもそも、これだけルパンがさわ がれ、もてはやされているのに、 も、最大の功労者である大隅君のこ と一言も云わないのは、おかしす ぎます。原作の発想がれているの は当然認めるとして、アニメ「ルパ ン三世」としてのスタイルを発見し、 創造して行ったのは、監督である大 君のセンスなのです。一旦創って しまえば、あとからくる人は、その 路線にのっかって行けば、いいわけ ですが、作品のとらえ方の根本的な 方向、数々のキャラクターの置き方、 作品のムード、スタイル、表現方法 の基本、これ等はみな、大隅君を中 心として開発されたものなのです。 それが狂っていなかったから、作品 は成功したのです。作画監督の大塚 さんは、勿論優れたアニメーターで、 私も尊敬している一人ですが、しか し、大塚さんが、いかに優れた絵を 描いたとしても、この最も肝心な点 で、しっかり押さえている監督の目 がなかったら、今の成功があったと は思えません。 誰 視聴率が突如再放送の時30%をこ え、「失敗作」「成功作」が突然に転じ、 今尚「新ルパン」が20%近くをとっ ていても、当時、大隅君に着せられ た「賊軍」の汚名は、まだどこでも そそがれてはいません。私は、アニ メ界から、この優れた才能を奪い去 って行くキッカケになったこの事件 を、残念なこととして、今も尚かみ しめています。それは、いつ我が身 の上に起こることかもしれないこと ともして...... ◎長浜氏は現在は「ベルサイユのば ら」総監督をお辞めになっています。 この記事はそれ以前に本誌へ寄稿い ただいたものです。(編集部)

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ルパンの花嫁が決まる!佐藤雅子さんと披露宴

なんと、ルパン三世がとびきり美 人の花嫁さんを手に入れた といっても、じつは去る1月3日、 劇場用映画「ルパン三世カリオス トロの城」の公開記念に、東京・内 幸町の帝国ホテルで行われた「ルパ ンの花嫁コンテスト」でのお話。 花嫁に選ばれたのは千葉 校・市川市に住む、語学学 校の生徒、佐藤雅子さん(20 歳)。 コンテストの応募者は、 全国から約3500名(下 は中学生から保母さんまで)。 そこから選ばれた数十名の 美女たちが、帝国ホテルのコンテス トに出場しました。 当日の審査員は、原作者のモンキ ー・パンチ氏に、花婿ルパンの山田 康雄、次元の小林清志、五右ヱ門の 井上真樹夫、銭形警部の納谷悟朗ら のルパン・ファミリー、それに「カ リオストロ・・・」の作画監督・大塚康 生氏とルパンのファンクラブ代表 の2名など。 水着審査によって、優勝、準優勝、 3位の三人が決定し、みごとルパン の花嫁の座を射留めたのが、佐藤雅 子さん。身長165cm、上から80- 56-87の佐藤さんは、モデルの経験 もあり、ルパンこと山田康雄さんは、 その美しさに、鼻の下を伸しっぱなし。 佐藤さんは当日、水着を忘れてし まい、友人に買って来てもらった水 着が超ビキニ。「もう、恥かしくっ て…」とは、優勝決定後の言葉。 会場では、花嫁が決まった後、モ ンキー・パンチ氏の仲人によって、 ルパンと佐藤さんの披露宴が行わ れました。 ウェディング・ドレスで式に登場 した佐藤さんは、これまた、なんとも言えぬあでやかさ、美しさ。 花婿ルパンの山田康雄さんは、テ レッぱなしで、こう語った。 「花嫁さんの相手は僕なのに、ルパ ンの結婚式だなんて、ルパンが結婚 するのか、僕が結婚するのか、分か らなくなっちゃった。でも、佐藤さ んのような優しい美人なら 本当に結婚したいな」 佐藤さんには、ヨーロッ パ旅行、ルパン愛用のイタ リア製自動車フィアット5 00とウェディング・ドレ スがプレゼントされました。

フリーとなって新たな活躍が期待される麻上洋子さん 「さすらいの少女ネル」の声や、D Jとして人気の麻上洋子さんが、所 属プロ「A&B」を辞め、フリーと して活躍を始めました。 「“フリー”として、がむしゃらに、 そして陽気に頑張るつもりでいます ので、今後ともよろしく」 と、麻上さんは新たな可能性に向 かって、意欲満々です。 尚、麻上さんへのファンレターの 宛先は、左記に変更されました。 〒101 東京都千代田区神田駿河台2 -1-19 アルベルゴお茶の水32 麻上洋子FC こだぬき会

歳末助け合いに、声優たちがまってチャリティサイン会 去る2月1日、歳末助け合い運動 の初日を飾って、人気声優たちが中 心となって「サンタクロースの会」 が主催した、「人気アニメ声のヒー ロー&ヒロイン・チャリティサイン 会」が行われました。 東京・銀座三越デパートの会場に は、三越開店とともに約1500人 の中学生、高校生らが詰め掛け、た いへんな盛況でした。 このチャリティサイン会は、恵ま れない子供たちに、すこしでも楽し 年を越してもらいたいという気持 ちを持つ声優たちが集まった「サン タクロースの会」が企画し、筆ペンのメーカー㈱呉竹精昇堂(本社・奈 良市)、声優の事務所「ぷろだくし ょんバオバブ」の協力を得て実施さ れました。 当日は、「ヤマト」「ドカベン (里 中智)」「アーサー」の神谷明、「バ ンダーブック」「ドカベン(高代)」 の水島裕、「ゼンダマン」「タンサ 15」の三ッ矢雄二ら 人気声優たちが、多忙 なスケジュールをぬっ て集合。 水島裕さんは最近発 表したばかりの新曲『ラ ブ・コレクション』を 歌い、また、深夜のD Jを終えたばかりの神 谷明さんは、睡眠や食 事を取らずに駆けつけ たにもかかわらず、司 会まで買って出るハリキリぶり。 その他、声優の歌や弾き語りあり、 DJありで、集まった大勢のファン を、大いに楽しませました。 当日集まったお金は、「サンタク ロースの会」から、日本赤十字社を 通して、恵まれない子供たちに寄付 されました。

「ブルーノア』フェス、川麻世も駆けつけて大盛況! 去る12月8日、SFファンに人気 抜群のテレビアニメ「宇宙空母ブル ノア」のフェスティバルが開催さ れました。 会場の渋谷・東横劇場には、大勢 のブルーノア・ファン、SFファン 等が詰め掛け、その熱気の中で、数 々の催しが行われました。 進行役の司会は、日本テレビの荻 原よう子アナウサー。第一部 「フィ ルム・コンサート」では、ブルーノ アの第7話・第8話(これは当日テ レビ放映作品)が上映されました。 スタッフ・声優への質問コーナー では、ファンの間から鋭い(?)質 問がたくさん飛び出し、ひとつひと つ丁寧に答えていた制作者や声優た ちは、ファンの熱心さに、改めてビ ックリするやら嬉しいやら。 第2部の「声優ショー」では『誰 も書かなかったブルーノア』と題し パロディ・コントが声優によって 演じられ、場内の大爆笑を誘いまし た。 さらに、第3部には、ブルーノア の主題歌を歌っている川崎麻世が応 援に駆けつけ、女の子たちの黄色い 声援を浴びながら大いに歌いまくり、 また、色紙、ポスター、双眼鏡など 抽選によるプレゼントもあって、 ブルーノアとファンの交流は大盛況 でした。尚、テレビ放映中のブルー ノアは、2月頃から新兵器が登場し ます。御期待下さい。

劇団「芸協桜台劇場」新春公演のお報せ 声優たちによる劇団「芸協桜台劇 場」が、新春に向けて、ブラック・ユ ーモア演劇公演を行います。 出演は、「デビルマン」の田中亮 一、 「赤毛のアン」の山田栄子、「天 才バカボン」の雨森雅司、「宇宙戦 艦ヤマト」の青野武ら。 出し物は岸田国士作「可兜君の面 「会日」と原田励作「大人達の時間」 の2作品。 場所/劇団芸協稽古場 日時/1月10日~20日日まで 毎夕6時30分より(13・15・20日は 2時より) 料金は一般・会員とも700円。 アニメと演劇に興味のある方は、 ぜひ、御覧下さい。

小原乃梨子の語りと歌によるLP、2月5日に発売!

「ヤッターマン」のドロンジョ、「未 来少年コナン」のコナンなどの声で おなじみの声優、小原乃梨子さんの LPが、2月5日、キング・レコー ドより発売されます。 タイトルは「INVITATIO N―小原乃梨子」。 内容は、小原さんの語りや歌など、 小原さん自身にスポットを当てて構 成されています。 小原さんの魅力がいっぱいの、す てきなLPです。

人気声優イベント公演情報!コンサート、「999」など ●アニメ・フェス「80年アニメジョ イント・コンサート」 日時/1月13日 午前11時30分/ 午後3時 場所/大阪サンケイホール 当日2500円、前売2000円 出演は、神谷明、小原乃梨子、佐々木 功、古谷徹、水木一郎、麻上洋子、 大杉久美子ら ●「テレビアニメ声優・ジョイント コンサート」 「サイボーグ009」009役の井 上和彦さんと富山敬さんの、楽しい 歌とおしゃべりのコンサートです。 日時/1月15日/昼12時より井上和 彦/午後2時より富山敬/午後4 時より2人のジョイント 場所/東京・小田急町田店2F 「レ ンガ通り」 ●声優フェス銀河鉄道999の全て ☆1月1日 帯広市民会館(午後2 時/午後6時) ☆1月20日 旭川市民会館 (午後2 時/6時) ☆1月26日 室蘭文化センター(昼 2時/午後5時) ☆1月27日 札幌道新ホール(昼12 時/午後4時) 出演は、野沢雅子、水島裕、神谷 明、井上和彦、富山敬ら。 ☆以上3つのイベントの問合わせは、 「ぷろだくしょんバオバブ」 広報 部へ 63TEL.06-404-65 問合せ受付時間 月〜金曜まで 午前10時から午後7時 (この時 間を必ず守って下さいネ)

レコードカレンダー他プレゼント

さあて、皆さんお楽しみ、「愛読 者プレゼント」のコーナーで~す。 今月のプレゼントは、 10名に。 「森は生きている」カレンダーを 3月に封切られる劇場用アニメ「森 は生きている」の美しい名場面が いっぱいの豪華なカレンダー。し かもストーリー入り。 あなたのお部屋を楽しく、美し く飾ってくれます。 ⑧「ルパン三世」のカッコいいセル 画を10名に。 今人気爆発の「スラップスティック」 の最新LP 「ウエイト・スラップ スティック/青春的恋愛論」を 5名に。 以上三点の中から、抽選で計25名 様にプレゼントします。 ☆応募要領 ハガキに、あなたが希望するプレ ゼントの品名と、住所・氏 名・年齢・学年 (職業) を、 ハッキリ書いて、下の応募 シールを貼って 〒106 東 京都港区西新橋2|7|4 第20森ビル 近代映画社 『ジ・アニメ』 編集部・愛 読者プレゼント係までお送 り下さい。〆切は1月26日 です。

東京ムービー新社がアニメーター募集中!

アニメ製作会社「東京ムービー新 社」では、アニメーターと美術要員 (背景)の募集を行っている。 この募集の特色は、東京ムービ新 社が、手当を支給しながら、アニメ ーターを養成しようというもの。 募集内容は、25歳までの男女計20 名を採用し、「ルパン三世カリオ ストロの城」の宮崎駿監督や大塚康 生作画監督などアニメ界のトップ・ スタッフが、一年間直接指導にあた 養成期間修了後は、希望によっ て東京ムービー新社の社員に登録す る道も開かれている。 応募要領は、履歴書(顔写真付) に作品2点(形式自由)と希望職種 を明記の上、 〒1 東京都千代田区麹町5-7 秀和紀尾井町TBRビル707号 ㈱東京ムービー新社「アニメーター ・美術部要員募集係」まで 〆切は、昭和55年1月31日必着 詳しい問い合わせは、TEL03- 230-0195 (代表 )

「声優・作品ベスト10」募集!

「ジ・アニメ」編集部では、『あな たの選ぶ声優・作品ベストテン』を 募集いたします。 今いちばん、どの声優に皆んなの 人気が集まっているか? どんなア ニメ作品が人気があるか? 『声優ベスト10』 『アニメ作品ベス ト10』の最新情報を、「ジ・アニメ ファンクラブ・アニメプラザ」で、 毎月発表します。 さて、あなたの好きな声優は? 作品は?それぞれを応援するつも りになって、どんどん応募して下 いネ。 ☆応募要領 一枚のハガキに、あなたの一番好 きな声優とアニメ作品(テレビでも 劇場用でも)を、各々ひとつずつ書 き、住所、氏名、年齢、学年(職業) を明記の上、〒150東京都港区西新橋 2|7|4第20森ビル 近代映画社 『ジ・アニメ』編集部 「声優・作 品ベストテン係」までお送り下さ

Kimio Yabuki Interview
つくる側の気持ちと見る側の気持ちが通じあえば最高! 矢吹公郎といえば、あのロングラン・アニ メ、「一休さん」のチーフ・ディレクター。 「タイガーマスク」や「風のフジ丸」、さら には、そのキャラクターが東映のマークにな っている「長靴をはいた猫」の演出を手掛け た大ベテランである。現在は、今春公開を予定されている「森は 「生きている」の制作にかかりっきりの毎日で ある。

一休さんとトンチ較べ

TA. 「一休さん」はずいぶん長く続いて いますが、いまは何話目を......。

Yabuki. 正確にはわかりませんが、190話ぐ らいでしょう。とにかく息の長い作品ですか らね。

TA. 長い間子供たちに愛されている秘密 はなんだとお思いですか。

Yabuki. ウーン、実はわからない(笑)

TA. 演出上の工夫など、作品の魅力づく りに、とくに気をつけている点などは。

Yabuki. 一休さんは、ハテナ? という具合に すくモノを考えるでしょう。座禅を組んで、 ジッと考えこむこともある。もちろん、スト ーリーの流れから出てくるワンシーンなんで すけど、それを見ている子供たちも、つられ て考えてしまう。時には、一休さんよりも先 に答をみつけて、「一休さんに勝った!」と 喜ぶ。時々、わざと答を遅く出してやると、 大抵の子供たちは、一休さんより先に答を見 つけるのです。これは、子供たちにとって、 新鮮な体験なんですね。自分で答をみつける ということが、今の子供たちには少なすぎる でしょう。考えなくても、次から次へと与え られるから。

TA. 一休さんと智恵くらべですね。

Yabuki. 選ぶこと、考えて結論を出すことって いうのはとても大切なことだと思います。テ レビのチャンネルなんていうのは、選ぶこと には含まれないわけです。だって、テレビの スイッチをいれないという選び方だってある のですから......。そういう与えられた選択で はなく、積極的に自分の頭で考えてみるとい うこと、これは、すべての行動の大前提なん ですね。つまり考える時間を与えてやること が、ひとつのリズムになっている。

TA. 190話も続くと、ストーリーやエ ピソードをつくるのも大変ですね。アイディ アづくりには苦労しますか。

Yabuki. ネタ本があるわけではないですから、 日常生活の中からもヒントを探します。 もっ とも、一番苦労しているのはシナリオライタ ーでしょうが・・

「やさしさ」がテーマ

TA. ところで現在制作中の作品は「森は 生きている」ですね。

Yabuki. オフレコ・ダビングが進行中です。そ うしているうちに、リテイクが出ますから、 いま一番緊張する時期です。

TA. 音楽はレニングラードフィルハーモ ニー、合唱はグリンカ合唱団と聞いています が、この起用の狙いは?

Yabuki. 原作が向こうのものですから、音楽性 もそれにピッタリするものということで、レ ニングラードを選んだわけです。となると作 曲やコーラスも、それに合ったものにしなけ ればならない。ロシアの風土や風景にもね。

TA. 作曲は、どういうかたちで依頼され たのですか。

Yabuki. タイムシートと演出メモを一緒にした ノートをつくりましてね。それでイメージを つかんでもらったわけです。演出メモには、 たとえば花びらが散るシーンの様子がこまか く表現されています。そして、その横には、 秒単位で時間が刻んであります。

TA. そうすると、花びらが揺れて何秒、 風にとばされて何秒、空中に舞って何秒とい う具合にですか。

Yabuki. そうです。しかし、そのタイミングは 非常に微妙ですから、今度は逆に、その音楽 に合わせて、こちらが動画をつくる番です。 指示を出して音楽をつくらせ、その音楽に合 わせて演出をつめてゆく、いわば一種のキャ ッチボール。

TA. すると、音楽のウエイトはずいぶん 大きくなりますね。

Yabuki. むろんそうです。それはアンデルセン 物語でもそうでしたが、映像と音楽の合体に 対してはボク自身もおおいに興味を持ってい ます。

TA.「森は生きている」はロシアの民話を もとにしているということですが、ファンタ ジックな作品になりそうですか。

Yabuki. 原作では、主人公はどうやら「わがま まなお姫さま」なのですね。そのお姫さまが 貧しくともやさしさを失わない少女や、各月 の天使、心の貧しい人の醜い姿に触れて、自 分のわがままさに気がつくという筋書きです。 しかし、今度のアニメーションでは、あくま でも主人公は心やさしい少女、アーニャ。そ ういう意味ではキャラクターやストーリーは ドラマ仕立てです。

TA. 原作との違いは主人公の設定部分だ けですか。

Yabuki. この作品は、ある意味ではヨーロッパ 的ですね。最後に、継母といじわるな姉が犬 にされてしまう。邪悪なものは犬になれ、と いうニュアンス。 今度の作品は、そういうこ とではなく、1月の天使が「そのやさしさが、 真冬の森にマツユキ草を咲かせたのです」と いうセリフが物語るとおり、やさしさがテー マになっているのです。

TA. そのためには、やさしい少女、アー ニャが主人公でなければならなかった。

Yabuki. はじめの部分で、アーニヤがこういう んです。 「雪が降ったら、動物たちの食べるものがな くなってしまう」 と。これが、真冬にマツユキ草を咲かせる 奇蹟の伏線になっているのですね。

「やさしさ」の関係をつくること

TA. 以前は演出の仕事が多かったと思い ますが、現在はディレクターとして・・・・・・。

Yabuki. 私はディレクターなのだと思っていま す。少なくともディレクター志向ですね。ア ニメーターの力量を生かし、ひとりひとりの オーケストラのひろがりをつくりあげること によろこびを感じますね。

TA. 個人プレーを全体の作品にまとめ上 げていくという......。

Yabuki. ひとりひとりの持ち味を生かすことが ボクにとっては大切です。

TA. 作品の傾向としては「やさしさ」が テーマになっているものが多いような気がす るのですが。

Yabuki. 内容がやさしいこと、それを見る子供 たちへやさしいこと、そして自分自身のやさ しさを維持すること。そういう考えでやって きたつもりです。 そしてそれは、アニメづくりの中で、ボク自 身がもっとも大切にしているものです。

TA. その「やさしさ」は具体的にいうと...。

Yabuki. 豊かさにつながる「やさしさ」、自分 と、それを見る側との関係がそうでありたい ということです。ものをつくるということは、 結局、自分自身との葛藤です。子供のためと か、やさしさをテーマにとかいう考えのはい りこむ余地のない、自分自身との問題なので すから。そうすると、自分自身の原点に、何 かがなくてはならない。そういう意味で、相 手につたえられる「やさしさ」が問題になる のですね。

TA. 自分自身をみつめてしまう、という ことですか。

Yabuki. ボクはディレクターですから、ひとつ の世界をつくらなくてはならない。その世界 をつくりあげている側のやさしさや豊かさは、 当然その作品の持ち味にならなければならな いわけです。こうやったらやさしさが相手に つたわるという技法的なことではなく、見て いる側と、いわば「やさしさの関係」が成立 することを願う、ということですね。

TA. つくる側と見る側の関係というと、 たとえばテレビなんかは、完全にワンウェイ だと思うのですが。

Yabuki. さっきの話に戻っちゃうのですが、だ からテレビを見ないことも積極的な選択なの です。それも、自分の考えでそうできればね。 つくる側と見る側の関係は、時間が経つと逆 転したり、結局、同じところにゆきついたり するものだと思ってはいるのですが、こんな にテレビの番組が氾濫してくると、いま見て いる側にいる人が、時間が経って、いくら待 っていても、こっち側にはきてくれないのじ ゃないかと思ったりもするのです。ボクらは、 飢えてガツガツと見て、つくる側にまわった。 す。 今の子供たちは満腹して、一日に何本ものア ニメーションを漫然と眺めている。そうだと したら、異人類があらわれてくるのではない かと........

TA. それは、アニメーション文化にかか わってくる問題だと思うのですが、矢吹さん はアニメーションに何をお求めになっていら っしゃいますか。

Yabuki. やさしさの関係を、つくる側と見る側 感知しあえたら、それ以上になにも望みは ないのですが・・・・・・。 アニメーションのように、 人の手によってつくられる映像というものは、 そこに投影する。つくる側の気持と、それを 見る側の気持は、とても近いような気がしま

TA. 矢吹さんはディレクターだといわれ ましたが、アニメーションの中で、ディレク ターというのは、どういう仕事なのですか。

Yabuki. 私は絵をかくでもないし、曲をつくる でもない。でも、作品に対するイメージはも っているわけです。そのイメージを豊かにつ くりあげるのは、アニメーターや作曲家なの ですが、ディレクターの指示、構想がなけれ ば、前に進めないでしょう。

TA. オーケストラの指揮者みたいなもの ですか。

Yabuki. 旅に行く場合、天気予報や時刻表を見 るでしょう。何時に出発して、どこで昼メシ を食べて、午後には、こんなきれいな山陵に めぐり逢えるはずだ。って、それに似てます ね。

TA. そうすると、晴れるかも知れないし、 雨が降るかも知れないという、ハプニングも 含んでいるわけですか。

Yabuki. トンネルを越えると、秋に出くわす、 というイメージを、絵を描く人は、紅葉とい う絵ではっきり示してくれるわけです。

TA. ところで、こんごの展望は?

Yabuki. いわゆるアニメブームがきていますね 今はひじょうに量が多いですね。それ自体 は非常に歓迎されることですが、あいにく量 と質は比例しないようで......。

TA. といいますと。

Yabuki. どうしても全体の量が多いと質が低下 していく傾向がありますね。すると、せっか くのブームも立ち切れる恐れがある。その辺 をふまえて、質の上でキッコーしていって欲 しいと思いますね。

TA. いろいろと有難とうございました。 (敬称略)

March

Yoshiyuki Tomino Feature
日本中のアニメファンの心を根こそぎ揺 るがし、熱狂的なもりあがりをみせた「ガン ダム」が、1月26日の「ガンダムよ永遠に・・・」 で、ついに、その幕を閉じた。 この希世の名作を生み、総監督として、最 後まで、ガンダムの戦士たちを暖かい目で見 守りつづけたのが、富野喜幸氏である。 この機会に、富野氏にお会いし、「ガンダ ム」を中心に、アニメに対する、氏のその熱 い心をうかがった。

初めての作品が鉄腕アトム

TA. まず、アニメとのかかわりあいあたりか ら入っていきたいと思うのですが、富野さん はどういったキッカケでこの道に入られたの ですか。

Tomino. ちょうど16年前になりますか、あと4 ヵ月で大学(日大芸術学部)を卒業、という ときになっても就職が決まらずどうしようか とこまっていたんです。そんなとき、虫プロ が新規採用を募集していることを知りまして 申し込んだんです(虫プロが新規採用試験を 行ったのは後にも先にもこれ一回きり) そ のとき何人合格したのか、よく覚えていませ んが私も運よくパスしまして、翌年3月、卒 業と同時に入社しました。それ以来アニメか ら足を洗えなくなってしまって(笑)..。

TA. それまでアニメのご経験は?

Tomino. 全くありません。せいぜい大学の授業 でディズニー映画を2~3本観たぐらいですよ。

TA. 虫プロに入られて一番最初は何を担当されたのですか。

Tomino. 例の"鉄腕アトム"です。私が虫プロ に入ったときは、テレビ放映が始まって2年 目に入るときでした。最初は、制作進行を半 年ほど行い、この間に演出のノウハウを身に つけ、その年の後半から演出をまかされたの です。結局3年あまりやることになったので すが、最初の作品ということで、いまでも印 象に残っていますね。

TA. その後はずっと虫プロに?

Tomino. いや、4年ほどして、つまり”鉄腕ア トム"が終った時点で、少し考えるところが ありまして、虫プロを辞め、畑違いのCM制 作プロダクションに入ったのです......しかし ダメだったですね。器用じゃないというか、 アニメしかやってない私には外回りなんかで きない。結局そこを一年ほどで辞め、またア ニメの仕事をするようになりました。今度は フリーの演出家としてです。

TA. フリーになられて最初に演出されたのは どんな作品ー。

Tomino. 当時はまだ現在のように、アニメ番組 が多くありませんでしたし、「フリーに ました、よろしく」といっても、すぐに仕事 (演出)が見つかる状況ではなかった。だか らといって私は絵は描けませんので作画もで きない。そこで”鉄腕アトム"のときに覚え 絵コンテを切ることをしました。ちょうど そのころから、制作の敏速化ということから "絵コンテマン"という職種が別に発生しだ していたんです。私の個人的な考え方からす れば、絵コンテはあくまでも演出家自身が切 るべきであると思いますが・・・・・・しかし、まあ、 そういったように作業が分割したことで飢え 死にしなくて済んだわけですが(笑)。

TA. 絵コンテだけを担当した作品にはどんな ものがありますか。

Tomino. それはもう膨大でして(笑)、一つづつ 上げることなんかとてもできない・・・・・・ 思い出 すままに上げてみますと、東京ムービーの「ム ーミン」「巨人の星」「新作おばけのQ太郎」 「ド根性ガエル」・・・・・・とにかくたいへんな数 になります。

TA. 演出の方はいかがですか。

Tomino. もちろん演出を手掛けた作品もかなり あります。私の場合はその辺が非常に錯綜し ているんですよ。

TA. 演出された作品のなかで、節目になった ような作品はありますか。

Tomino. 2つほどあります。一つは4年10月か ら44年3月まで日本テレビからオンエアさ れた「夕やけ番長」という作品。原作は梶原 一騎さん、製作は東京テレビ動画でした。 これは毎日10分づつオン・エアするいわゆ る〝帯番組"でしたが、これがシリーズ番組 の総監督として私が始めて担当したものでし た。そのときの日本テレビの担当プロデュー サーだった藤井さんには、シリーズ番組制作 のノウハウを教えていただき、いろんな意味 で参考になりましたね。

TA. もう一つは。

Tomino. 手塚治虫氏原作の「海のトリトン」と いう、4年にTBSからオンエアされた30 分ものの作品です。製作はアニメーション・ スタッフルームでしたね。この作品は私が総 監督という立場でまとめたはじめての30分も のアニメでした。この作品を通して30分もの のノウハウを身につけ、その後、日本サンラ イズさんに所属し、この前の「ガンダム」ま で何本か演出させていただきましたが、いろ んな意味でこの2作品にタッチしたことが役 立っています。

スタート時に自信を失ってしまった

TA. なるほど。いまもお話しに出てきました が、富野さんといえば、やはりどうしても「ガ ンダム」ということになる。いろいろお聞か せください。

Tomino. どうぞ、なんでも。

TA. 放映時間が夕方の5時30分というハンデ があるにもかかわらず、たいへんな人気だっ たわけですが、こういった情況になることを 最初から予想してましたか。

Tomino. 一つのハッキリした姿勢で作っていけ ば、ある程度の人気は獲得できる、という確 信はありました。でもあれほどまでの反応が あるとは、正直思ってもみませんでした。そ れだけ、うれしいですし、ありがたかった。

TA. "ハッキリした姿勢"ということを、 う少し具体的に話していただけませんか。

Tomino. これは"人気のヒミツ”ということに もつながることだと思うのですが。私はこの 作品を単なる“ロボットもの""戦争もの" にしたくなかった。たしかに、たくさんのロ ボットが登場してきて、それこそ華々しい戦 闘を展開するわけですが、ただそれだけでな く、そのなかに、ドラマ性というか〝人のか らみ"を盛り込んだ。むしろその方を重点的 というか優先して描いた。ロボットはあくま でも兵器の一つとして、キチンと仕訳しまし た。

TA. アニメの手法としてはかなりユニークでは..。

Tomino. いままでのものと比較するとユニーク といえるかもしれません。ただ、これは私個 人の意見ですが、私たち作り手側は、これま で、視聴者であるミドルティーン、ハイティ ーンに対して、これはアニメーションだから、 マンガだから、こういったような作り方をし て観せてあげなければいけない、といった固 定観念にしばられ過ぎていたんじゃないでし ょうか。もっと自由であっていいと思います。

TA. ドラマ性を優先された理由は・・・・・・。

Tomino. ミドルティーン、ハイティーンが何を 求めているのか、といった場合、単なるロボ ットものや戦闘もの、あるいは絵柄のきれい さやカッコよさだけでは受けるはずがない。 やはりその中に”人と人とのカラミのおもし ろさ"つまり“ドラマ性”が必要だと思った。 「ロボットものでも"ドラマ世界"を構築す ることができる」ことは長浜忠夫氏のいくつ かの作品から学んでいましたね。

TA. なるほど、すると”人とのカラミ"つま り、人間関係が発生する部分では嘘があって はならないわけですし、そのへんシンドカッ タのではないですか。

Tomino. それはもう死ぬ思いでした(笑)。スタ ートし2~3話目に、そのプレッシャーが重 くのしかかってきた。これはエライものを背 負いこんでしまった、と正直そのとき思いま したね。ドラマ性を盛り込むことがこれほど までにツライものか、とショックでした。そ してこの先、何十本かをこなして最終回まで もち込むことができるかと自信を失くしまし たね。これは、ころがせないと思った。

TA. しかし、最終的には4話まで達し、無事 終了した......

Tomino. 全てスタッフのおかげです。みなそれ こそ、その日持っている力の全てをはき出し てやってくれた。本当にうれしかったですね。

TA. キャラクターについてお聞きしたいので すが「ガンダム」を観ていますと、原作者で ある富野さんの「アムロ」に対する、強い思 い入れ”を感じるのですが。

Tomino. もちろんそれはあります。これは少年 に対する私の願望みたいなものですが「アム ロ」のなかに、姑見でない大きな少年の形を 作ってみたかったということです。

TA. だが実際の「アムロ」はウジウジした感 じに写りますが・・・・・・

Tomino. よくその点を聞かれることがあるんで すが、しかし、我々自身のあの年代のころを 思いうかべてみますと、けしてスーパーヒー ローみたいに美しくなかったはずです。どこ かきたならしくていじけた感じだった。「ア ムロ」もまさに、その年代を生きていたので す。いうなれば「アムロ」は、ある時期の我 々自身であったわけです。きれいごとでは、 そうした真の少年の姿を描くことなんかでき っこない。

好きなのは「未来少年コナン」

TA. 同同年代の男の子から共感"の声が多い のは、自分の内に「アムロ」を見つけるから でしょうね。ところで「ガンダム」制作過程 で苦労された点は......。

Tomino. 先ほど話したように一人歩き”して しまったキャラクターをどう操縦していけば よいのか、ということが私自身(スタッフも もちろん同様だったが)一番苦しんだ点です が、それ以外では、共同作業をしていくなか で、人間関係のバランスをどうもたせるかと いうこと。それに、限られた時間の中でどこ までクリアーに仕上げられるかといったこと でしたね。

TA. で、仕上りには満足できた?

Tomino. 想いの6割がたといったところでしょ うか。もちろん、私たちは全力を尽くした、 ということには自信を持っていますが、しか し同時に私たちの力の無さを感じたことも事 実です。ときにはひどい絵のときもありまし た。ここをお借りして、おわびいたしたい と思います。

TA. ところで、富野さんはアニメはどんなも のでなければいけないと思いますか。

Tomino. かんたんに言っちゃえば、「ガンダム」 のようなものであってはならないと思います (笑)。アニメは、もっと自由で、楽しくて、 ステキなものでなくてはいけない。たしか 「ガンダム」にも、実写で決してできない! 由な気分”といったものを盛り込むように努 めました。 しかし、絵のあらわれ方としてアニメかと いうと、少し違うように思います。

TA. では、どんなものが富野さんの考えるアニメですか。

Tomino. 私の個人的趣味として上げれば、たと えば・・・「未来少年コナン」「ファンタジア」 「やぶにらみの暴君」などです。とくに「未 来少年コナン」はすばらしい。ただ、私に関 していえば「ガンダム」みたいなものしか作 れませんので、そうしたアニメもあることを 知っていただきたいということです。

TA. 最後に「総監督」というものについてお 話しいただけますか。

Tomino. 「ガンダム」制作に総監督としてタッ チしたことのなかから、私なりの意見を述べ させてもらえば、まず私はこの「ガンダム」 に関してはかなり自分の主張というものを通 させていただいた。そうでないと、良いにつ け悪しきにつけ責任がとれないし、また、作 品の顔というか主張といったものも出てこな いと思ったからです。ただそれが、集団作業 で行う場合、けっしていいことだとは思って いませんが。

TA. お忙しいところありがとうございまし た。

April

Masaki Tsuji Feature
今回は、いわゆるアニメーターでなく、脚本 家の辻真先さんにご登場願いました。 辻真先 さんといえば、まず、あの「鉄腕アトム」を 思い浮かべますが、あれから7年、辻さんが 生み出したアニメ作品は実に三千本あまりに 達するといいます。まさに、スーパーマンと いえる人。 いつもお仕事をされているという銀座の喫 茶店でお会いし、脚本家の立場からアニメに ついて語っていただきました。

映像関係の仕映事像がしたかった

TA. これまでに書かれたアニメの脚本数はど のくらいになりますか。

Tsuji. 正確に数えたことはありませんが、三千 本ほどになると思います。サザエさんだけで も千本近く書いていますし・・・・・・

TA. すごい本数ですが、辻さんがそもそも脚 本を書き始めたのはおいくつぐらいからなの ですか。

Tsuji. これがかなり早くて、中学校のときでし た。もちろん誰も教えてくれませんし、みよ うみマネで始めたんです。

TA. それでは独学で?

Tsuji. いや、実は最初、私のいる名古屋にそう した学校がないかと探したのです。しかしど こにもなかった。 丁度そんなとき、飯島正先 生や岡部冬彦さんなどの「シナリオ十人会」 が脚本の通信教育を始めたんですね。それで 私も早速申し込んだわけです。それから必死 に勉強しました。

TA. では、脚本家として仕事をされるように なったのはかなり早い?

Tsuji. いや、それはずっと後なんです。脚本を 書くことには尽きない興味があって、ずっと 勉強は続けていましたが、だからといって、 即、脚本家になろうとはあまり考えていなか った。それよりは映像を作るような、 漫画家 とか映画の演出といった仕事をしてみたかっ た。しかし、残念なことに私には絵はうまく 描けないし近くに映画会社もなかった。

TA. 最初はどんなお仕事を?

Tsuji. 大学を出る段になって漫画家も映画もダ メだったのですが、それでも映像に関した仕 事の夢は捨てきれない。それじゃ紙芝居でも やろうかと考えていたとき、名古屋NHKが テレビの制作部員を募っていまして、テレビ も映像の仕事だと入った。その頃はやはり、 映画 ラジオが中心で、テレビをやりたいな どという人はいませんでしたのでスンナリス れたんです。昭和二九年の四月でした。

TA. NHKには何年ぐらいおられたのですか。

Tsuji. 退社したのが三七年の夏でしたから約八 年いたことになりますね。

TA. NHKでテレビ番組の制作はどんなもの だったのですか。確か、辻さんがNHKに入 られた前の年に日本で初めてNHKからテレ ビの電波が流れたのですね。

Tsuji. そうですね。全くテレビの創成期でした。 私が入ったときはスタッフも総勢で五人しか いない。現在のように役割分担なんてことも ありませんし、カメラから照明から演出から 小道具集めからもう何でもやった。いま思う とメチャクチャな状態だったわけです。まあ、 何んにもないところから始まったのですから しかたのないことですが。

TA. その間、脚本の方は——

Tsuji. 好きでしたし会社(NHK)には内緒で 書いていました。内緒で書いた作品に「ジャ ズ娘誕生」というのがあります。 日活の友に 頼まれて書いたのですが、これが私の最初の 作品です。23歳のときでした。

「エイトマン」が 最初のアニメ作品

TA. 番最初に書かれたアニメの脚本は。

Tsuji. 三八年にTCJ(テレビ・カンパニー・ オブ・ジャパン)の「エイトマン」が一番最 初です。 TCJの平井和正さんが、ぜひにと 私を指名してくださったのです。

TA. どういったキッカケで「エイトマン」を 書くことに—。

Tsuji. もともと私は漫画(中でもSF漫画) 気 違いで、とくに手塚治虫さんのものなどむさ ぼり読んでいました。そこで何とかテレビで もSFものをやってみたいと「時間よ止まれ」 という番組を企画したんです。これが通りま して始ったのですが、その頃は、タイムパラ ドックスとか「タイム・マシン」などという ことそれこそ気違い扱いにされた時代ですか ら、しかたなく、ごまかしごまかしやってい たんです。あとでこのことを「SFマガジン」 に投稿したところ平井和正さんが読んでくだ さって、ぜひ会いたいということでお知り合 いになった。 丁度その頃、「エイトマン」がテ レビアニメ化されるということで、やってみ ないかと平井さんにすすめられたのです。

TA. で、やることになり、同時にNHKの方 も辞められているわけですね。末練はなかっ たですか。NHKに—。

Tsuji. 以前から活字の仕事はやってみたいと思 っていましたので、それほどの未練はなかっ たですね。

TA.「エイトマン」のためにTCJにはどん な人が集ったのですか。

Tsuji. 一番最初に平井さんにひっぱってこられ たのが豊田有恒さんだったんです。それから 半村良さん、眉村卓さん、筒井康隆などが加 わってきた。

TA. そうそうたるメンバーですね。

Tsuji. いま思うとね。しかしその当時はまだ皆、 二十代前半の無名の青年でした。それに、そ の頃は土農工商SF作家(笑)といわれた時代 でしたしね。

みんなよく勉強していた

TA. しかし、これだけの才能が集ったことで触発されたものもあったのでは。

Tsuji. それはたくさんありましたね。まず一番 感心したのは、皆さんアニメに対して偏見が なかったことなんです。当時の風潮は、やは り実写ドラマが中心で、アニメはくだらない、 といったことでしたしね。ところがそれが全 くないんですよ。本当にうれしかったですね。

TA. それから......。

Tsuji. それにビックリしたのは皆さんよく勉強 していて、また実にいろんなことを知ってい るということ。私もNHKでは”映画通" して知られ、自分でもいささかの自負があっ たのですが、彼らも映画について話すと私が 知らないことが次々と飛び出してくるんです。 上には上がいるものだとつくづく思いました。 そのすぐ後、虫プロでも同じ経験をしました

TA. 虫プロでは「鉄腕アトム」を

Tsuji. そうです。 手塚治虫先生とはNHKから のお知り合いで、誘っていただいたのです。 三九年七月一八日放映の七九話「ドクター脳」 が私の書いた最初のアトムでした。

TA. 手塚治虫さんはどんな方ですか。

Tsuji. 先ほどもいいましたが初期の手塚プロの 人たちは勉強家が多かったのですが、その代 表格が手塚先生だったんです。とにかく、そ の学ぼうという姿勢はすごかった。どんなに 仕事が忙しくてもよさそうな映画は時間を 見つけて観に行くんですね。もちろん先生は 現在もこれを実行しておられる。見習いたい と思いますね、私も。

TA. いつまでもハングリーな心情を持っておられるわけですね。

Tsuji. そうですね。これまで活字の人たちを含 めてたくさんの人とおつき合いさせていただ きましたが、そこまでの人は少なかったです ね。

ライバルは豊田有恒さん

TA. なるほど。ところで、これまでの作品で ご自分で気に入られている作品はどんなもの ですか。

Tsuji. それは難かしい質問ですね・・・どれか一本 といわれると「旧サイボーグ009」の中の一 本をあげますが、シリーズということであれ ば「デビルマン」をあげたい。この作品は四本 を除いてあとは全て私が書いたんです。です から、シリーズのイメージをある程度自分で 作ることができた。ファンレターの数もこの 作品をキッカケに増えてきましたしね。

TA. 印象に残っている作品は。

Tsuji. たいへんだったということで印象に残っ ているのは「ジャングル大帝」演出の方は六 人いて、それぞれ分担してやっていたのです がこちらは私一人だけでした。しかしこの作 品では、最後に絵コンテができてから、秒数 計算して、もう一度セリフを書き直すとか、 ラッシュフィルムができた後、またディテー クするとか、その土俵の中ではとことん納得 いくまでやりました。悔いのない作品でした ね。 ですが先日、ある場所でこの「ジャング ル大帝」を観る機会があったのですが、いま 観るとヒドイもんですね(笑)。セリフが本当 に舌足らず(笑)・・・・・・。

TA. 辻さんのライバルと言うと。

Tsuji. 初期の頃はずっと豊田有恒)さんで した。豊田さんとは「エイトマン」「鉄腕ア トム」「スーパー・ジェッター」 「宇宙少年 ソラン」「冒険ガボテン島」まで一緒だった んですが、とにかくあのアイディアというの はすごかった。いつもギョッとさせられつづ けた。チクショウと思って私もアイディアを 出すのですが、彼の方が先に行くんですよ。 本当にくやしかった。しかし豊田さんと一緒 に仕事できたことで励みになったことも事実 です。

TA. 演出の方でギョッとさせられたのはどんな人ー

Tsuji. そうですねたくさんいましたが、たとえ ば、永島慎二さん、北野英明さん、りんたろ うさん、山本英一さん、富野喜幸さん、とい った人たちですね。

TA. 逆にニガ手なものというのはありますか。

Tsuji. いわゆる"人情もの"は、本来の私の芸 域に入らないものですので(笑)これには正直 まいりますね。ですから、ササエさんの雪室 俊一さんには、くやしいかなかなわない。

TA. 辻さんの場合、脚本のヒントはどんなも のから得るのですか。

Tsuji. とくにはないです。ただ私の場合は「そ んなバカナ!」といったことの中からヒント を得ていることが多いですね。ですから普段 から、それこそ、アホなことを、しっかりと 見たり聞いたりするようにしているんです。 映画などもA級よりB級の映画の方を観た方 が参考になりますね。

TA. それから辻さんは筆の早さでスーパーマ ンなどといわれていますが、たとえば30分も ののアニメはどのくらいで書かれるのですか。

Tsuji. 本当に慣れたもので、調子がよければ2 時間30分ぐらいでしょうか。二百字詰めの原 稿用紙で時速二十枚といったところです。

TA. 最後に、辻さんのアニメに対する姿勢み たいなものをお聞きしたいのですが。

Tsuji. アニメとか漫画というものは、過去の財 産を食いつぶすというのでなく、常に前進し なければいけない。つまり、タブーといわれ るものを破っていくことに値打ちがあると思 うのです。現にこれまでの名作といわれる、 例えば「鉄腕アトム」。日本で毎週テレビアニ メができるわけがない、バカバカしい、とい われた。「巨人の星」なんかも、あんな劇画は アニメでは無理だ、とさんざんコキおろされ た。しかしいずれも結果的には大ヒットして いる。私は、これからも冒険心を持って、少 しづつでもいいからタブーを破るアニメを書 いて行きたいと思います。

TA. ありがとうございました。

Otasukeman Roundtable


Roundtable Particpants:
Noriko Ohara
Kazuya Tatekabe
Jōji Yanami

スタッフは大変な頭脳集団だ

Tatekabe. たてかべ 今度の「オタスケマン」 は、シリーズの中でも特別面白いで すねえ。

Ohara. そうね。役柄も、相変わらず だけど、やはり面白くなってるなあ って、演じてて感じるわね。

Tatekabe. 前のも勿論面白かったけ ど、「オタスケマン」は僕の好みに 合ってるんだな。トンマノマントが 歴史をなんとか歪めてやろうとする。 その着想が、とっても面白い。

Yanami. しかし、我々も長いこと、 よく同じ役ばかり続けて来たなあ・・・。

Ohara. もう5年ですよ。5年も・・・・・・ タイムボカン・シリーズが始まっ てから……信じられます?

Tatekabe. ほんとですねえ・・ 5年 って、やっぱり長いですよ。毎週だ もの。もう、吹込みやる月曜日にな ると、なんとなくスタジオへ足が向 いちゃうんだなあ・・・・・・。

Ohara. 条件反射ね。月曜日、即タイ ムボカンという感じで。

Yanami. 5年間てのは恐ろしいね、 考えてみたら。普通の神経で出来る もんじゃないな。(小原さんの方を 見て)まあ、指導者のおネエさんが 素晴らしい人だから、ここまでやっ て来れたんだろう。

Ohara. いえ、お父さんがいいからですよ。

Yanami. 僕が、お父さん?

Ohara. で、カベやんがお兄さん。 (三人、笑)

Tatekabe. とにかく、お二人の才能 の賜物ですよ。僕はそれにくっつい て行ってるだけで。

Ohara. これじゃ、よいしょ大会にな っちゃうわよ。(笑)でも、八奈見 さんという大先輩のお力で、うまく スタート出来たわけですよ。

Yanami. いや、途中からはおネエさ んがバッチシ、リードしてってくれ たじゃないですか。昔はここまでム チャクチャな芝居しなかったもの。 僕はノンコを尊敬してきちゃった。 これぐらいクズせる女優さんっての は、ザラにいないね。

Ohara. それはないでしょう。

Yanami. 全く偉大な女優さんだって ことだよ。(笑) 昔はそうは思わな かったけどなあ・・・・・・。

Tatekabe. 小原さんって、昔はちょ っと、とっつきにくかったな。洋画 のアテレコで、ブリジッド・バルド ーとかジェーン・フォンダとか、雲 上人のようなイイ女ばかり演じてた ものねえ。

Ohara. いい女の声ばっかりやってた から、本人もいい女だと思っちゃっ たわけね。

Yanami. 今のほうが天下って、人間 的で......。

Ohara. どういうこと、それ? (三人、笑)

Tatekabe. ところで、よく訊かれる んですよ。キミたち三人は画面の中 では大変仲がいいけれど、プライベ ートな面でも仲が良いんですかって。

Yanami. それは訊かれるまでもなく、 当然のことでしょう。仲が良いって いうか、気が合うんだよねえ。 小原 仕事で集まれば、パッと仲の 良い三人組が出来てしまうわけね。 スタジオへ入ったら、ひとりひとり がピシッと持ち場をやっている。そ うすると、もうトリオになっている のね。まるで、三人は一緒に住んで いるのではなかろうか、と言われる ぐらいで......。 (笑)

Yanami. 我々の世界では、誰もがプ ライベートでも仲良くつき合ってる ものだからね。そこに、仕事に対す る責任というのが加わってくるんだ な。

Tatekabe. そう、仕事の時間を守る ことは勿論だけど、スタジオ入りす る月曜日は、我々は勝手なことをし てちゃいけないし、どんなことがあ っても他人に迷惑をかけてはいけな い。そうやって5年間やって来まし たからね。

Yanami. 我々ひとりひとりがそう思 っているところに、三人のチームワ ークの原点がある んじゃないかな。

Tatekabe. 僕はと くに小原さんと会 うことが多いです ね。「ドラえもん」 でジャイアン役や ってるから、そこ でも小原さん(の び太役)と一緒で すし...。

Ohara. 土曜が「ド ラえもん」で月曜 が「オタスケマン」 でしょう。うちの ダンナ様より、カ べやんに会う回数 の方が多いみたい ね。(笑)

Tatekabe. そうい えば、この前「ド ラえもん」のスタッフの人がボヤい てましたよ。いつも視聴率がいいん だけど、土曜になるとストンと落ち るんだって。

Ohara. そうそう、 「敵はタイム・ボ カン・シリーズだ」って、私とカベ やんの方を睨むのよ。丁度、メカ戦 の一番面白いところとぶつかるでしょう。

Tatekabe. 両方としては、辛い立場 ということですな。(笑)

Yanami. でも、このシリーズのよう ナンセンス・パロディが5年も続 くっていうのは、初めてじゃないか な。「サザエさん」のような日常的 なものなら分かるけど......。それは、 スタッフのもの凄いエネルギーの投 入があるからだろうね。

Ohara. ナマハンカな力じゃ出来ない わよ。このシリーズは、マンネリを 逆手にとって、マンネリであること をかざしている番組ですから。この スタッフは大変な頭脳集団だと思う わ。パジャマ党に優るとも劣らない ギャグの勉強をなさっていますよ。 よくネタがつきないと思うくらい・・・

Yanami. 普通の頭じゃ、こんなに長 いこともたないな。

Tatekabe. 僕らがこうしてやって来 れたのは、スタッフの皆さんのおか げですよ。企画から制作まで常に情 熱をかけて作ってくれた。番組が長 続きしているのは、そのおかげです。 僕らの側から言えば、音響監督に本 当に御苦労様って言いたいですね。 僕らとスタッフのパイプ役になって 番組を創造して行くっていうのは、 一番大変な仕事じゃないかな。

Yanami. うん、そういう人たちの力 があって5年もの間やって来れたっ ていうことを、忘れちゃいけないな。

Tatekabe. ええ、そして、その中に 僕らも居られるってことは、本当に 幸せだなって感じますね。

Ohara. やはり演じてる方も面白いん ですよ。とくにこの悪玉トリオね。 この三人がいたら、5年も続くのは 当然のことのように思えてくるわね。

Yanami. かなりズーズーしいところ があるからね。それが楽しい。

Ohara. このトリオはもう、番組の以 前からいたんじゃないか、世の中が なくなっても三人だけ生き延びてい るのではなかろうかって、そんな気 がするのよ。

Tatekabe. そこが、この三人組のキ ャラクターの唯一の取り柄というか、 ウケているゆえんというか・・・・・・もは 当然のことのように、デンと居す わってる感じだものね。

Ohara. 例えタイムボカンシリー ズが終わったとしても、このトリオ だけ、違うところで生き残ってしま うわよ、きっと。 (笑)

Yanami. とにかく、シブトイからね え......。(笑)

女ボスは世の男性共の憧れね

Ohara. 私たち三人は気が合うって話 が出ましたけど、そういう心許し合 っちゃうようなところが、長い間一 緒にやって来て、出来上がってしま ったようね。

Yanami. ノンコは優しい人だから。

Ohara. ボスとしては、適任ですか。

Yanami. いや、ほんと、まったく...。

Ohara. でも、マージョ、ドロンジョ、 ムージョ、そして今回のアターシャ と一連の女ボスをやって来ましたが、 唯ワルの女というと強いみたいです けど、私がひとつ狙ったところは、 女って偉そうなこと言っても、やっ ぱり男性がいないとダメなんですよ ねえ。その部分を、二人に甘えとし て助けてもらっている。もしかした ら、そんなところがウケたのかも知 れませんね。

Tatekabe. この女ボスっていうのは、 僕らから見ても、例え悪女であって も魅力のある、どこか可愛い女なん ですよ。小原さんとダブってきちゃ うわけ。

Ohara. まあ。でも私、あんまり意識 的にやってるわけではないのよ。

Yanami. ノンコの持ってるいい所が、 逆に、あのキャラクターの中に出て 来てるんだと思うよ。

Ohara. 私は単なるワルッていうのは 全く興味がないし、出来ないわね。 最初のマージョ様の段階では、スゴ イ女でしたよ。私自身、とても立ち うち出来なくて・・・・・・。 それで、演じ ているうちに“ダメさ"をどんどん 自分の方へ引き寄せて来て、ドジな ようにもってったところが、皆さん の好いてくれる魅力かなって思って います。

Yanami. 小悪魔的っていうのかな。 あんまり賢い女や出来過ぎてる女よ り、ちょっとヌケてる方が可愛いか らね。

Ohara. 女はいくつになっても、可愛 い女でいたいと思うものなんですよ。 これは60歳になろうと70歳になろう と変わらない、男性から見て魅力的 な女でいたいと思う、そんな女の心 理を表現したのが、このシリーズの 美女たちなんですが、お分かりいた だけますでしょうか

Tatekabe. 男ってのは、いい女が悪 いことしても許せちゃうんだな。あ の女ボスたちは、男の全ての願望を 満たしてるんですよ。ボインも含め て、あのグラマラスな体のラインは、 男性が常に憧れるものだから。(笑)

Ohara. そういう世の男性共の憧れの 象徴が、このシリーズの一連の美女 たちね。ですから、それを演じさせ て戴いている私めは、無上の光栄と いうわけで......。その永久不変の女 性像に、今現在の一番新しいフィー リングをプラスして行くのが、5年 間の人気の秘訣じゃないかしら。

Tatekabe. 僕は小原さんって、ツキ を持ってる人のような気がするんだ なあ。小原さんがやると、番組が長 続きするんだよね。

Ohara. あら、ほんと。そう言われて みると長いですねえ…………あまり簡単 に消えちゃったっていうのは、あり ませんねぇ.....。

Tatekabe. そうでしょう。このシリ ーズも「ドラえもん」も僕なん か、小原さんにくっついてりゃ、一 生食いっぱぐれがないんじゃないか と思って......。 (笑)

Ohara. 強運っていうか、比較的長続 きするようなキャラクターに出会い ますねえ。コナンも爆発的人気でし たし、「ハイジ」のペーターも割合 人気があって、私のやったキャラク ターで潜ってしまったキャラクター はいませんね。

Yanami. ノンコ自身が、そういう雰 囲気を運んで来るんじゃないのかな。

Ohara. 私は嫌いな役に出会ったこと がないのよ。演じる役はみんな好き になれて、その役にノレるから、キ ャラクターを愛せるのね。「こんな 役?」って思うような役には、一度 も会ったことないわ。そして、その 役を皆さんが好いて下さるし、支持 して下さって・・・・・・改めて考えてみる と、不思議なことねえ・・・・・・。

Tatekabe. 代表作って言われると困 るぐらいでしょう。

Yanami. あえて言うなら、どれにな るのかなあ?

Ohara. そうですねえ……男の子の役 では、やっぱりコナン。女の役は、 この一連の女ボス。もうひとつミス テリアスなところで、「キャプテン ・ハーロック」のミイメね。

Tatekabe. 全部違ったキャラクター だね。

Ohara. まあ、キャッチフレーズは、 美女から男の子”ってところね。 その他に犬の役もありましたから、 人畜いっさい・・・・・・。 (三人、笑)

Tatekabe. 洋画のアテレコも含めて これまで小原さんは数々の女性を演 じて来ていますが、そういういろい ろな女たちのパロディとして、女ボ スを演じているような感じだね。

Ohara. そう、アターシャ様の中には、 鉄火肌の女やイロッぽい部分もある し、またヤンチャな男の子の部分も ありますからね。勿論、悪役も十分 満足出来ますし、この女ボスの役を 演じられるのは本当に幸せというか、 楽しいというか・・・・・・ キャラクターの 中にいろんなニュアンスを表現出来 る役を演じられるのがステキね。

Yanami. 我々も月曜日の吹込みが楽 しみだからね。

Ohara. 一週間の間、洋画のしっとり した美女などをやって来るでしょ、 で一週間経って「ただいま」って感 じでこのスタジオに戻って来ると、 なぜかホッとするわ。

絶妙の"間"がキメ手なんだ

Tatekabe. それにしても、タイム・ ボカンシリーズのアフレコのスタ ジオっていうのは、いつも明るい雰 囲気でいいねえ。

Ohara. 他の声優さんたちも、皆さん 楽しんで芝居しているようね。

Tatekabe. やはり、ディレクターが 才能ある人を集めてるんだろうね。 ユニークな人たちが集まってるから、 自然にアドリブがポンポン飛び出し て来て、僕なんかオタオタしちゃう。

Yanami. 脚本もよく出来てるよね。 アドリブが普通のセリフの中に隠れ ているんだから……そういう、脚本 を書く人との密着度も大きいね。

Tatekabe. 脚本の笹川先生もそうで すが、足かけ5年もやって来ると、 スタッフの人が我々のことをすっか り分かっちゃっているんだね。毎回 アドリブが自由に使えるようになっ ているもの。

Ohara. そうね。普段食事などしなが らいろんな話が出るのを、すぐネタ に使ったり、知っている人の名前を 作品の中で怒鳴ってみたり・・・。だか ら、このシリーズは、公私混同の最 たるものね。

Yanami. その辺が、荒唐無稽であり ながら、非常に親近感の感じられる ゆえんだろうね。

Tatekabe. そういえば、笹川先生が、 八奈見さんは声優のチャップリンだ って激賞していましたよ。ペーソス もあるし…...。

Ohara. 八奈見さんって、恐ろしい天 才だと思うわ。

Yanami. そんな......。

Ohara. 私のセリフやアドリブを八奈 見さんが受け手に回ってくれますけ ど、ストーンとお見事というか、絶 妙のうまさですよ。これは計画した ものでも、書かれたものでもなく、 八奈見さん御自身の持っている味な んですね。

Tatekabe. 普段は別におかしいこと するわけでも、なんでもないけど、 どこか傑出したユニークなものを持 ってるんですよ。

Yanami. いやあ······二人にそんなこ と言われると、やりづらくなっちゃ うなあ......。

Ohara. 飄々としてたくまざるテクニ ックの恐ろしさね。普通5年も一緒 にやってますと、こう言ったらこう 返ってくるだろう、という計算が立 つものですけど、八奈見さんの場合 は、どこからどう受けて来るか、全 く分からないもの。 たてかべ そう、どこから弾が飛ん で来るか分からないだけに、常に三 人とも緊張してやってられるわけで すよ。

Ohara. こちらも弾を投げるけど、ロ ングで投げてたのが、突然ショート ボールになって返って来るような面 白さがありますね。

Tatekabe. 八奈見さんって、ああい う演技の栄養源を、どこでどう蓄え て来て、スタジオで出すんでしょう かねえ……つかまえ所がないんだな ......。

Ohara. まるでウナギね。(笑)

Yanami. いや、蓄えなんてものはな いよ。スタジオへ入って、パッと絵 を見て、それからアドリブなどを考 える。と言っても、行き当たりバッ タリだけど....。

Ohara. 全て直感ね。

Yanami.直感というものでもなくて、 僕がこういうコミカルなもので、一 番大切にしてるのは、タイミングの 感覚なんですよ。お互いのセリフが ポンとキマリさえすれば、あとは、 そんなに真剣にやることもないしね。

Ohara. いわゆる”絶妙の間”という やつね。 八奈見その“間”さえうまく取れ れば、いいんですよ。

Ohara. その〝間”でも、ラジオドラ マなどは自分の”間”で出来ますけ ど、アニメーションは絵の口の動き に合わせなければならないのに、そ れでも絶妙の間”が出て来るとこ ろに、八奈見さんの真価があるのよ。

Yanami. いやあ、結構いい加減なん だけどなあ・・・・・・

Tatekabe. いい加減であんなに面白 いのなら、僕らだっていい加減でや りたいものだなあ。

Yanami. 僕だけじゃなくて、カベや んもノンコも、いい加減になって来 てるんじゃない。それが、僕にはと っても嬉しくって……こういう作品 は、肩をイカらせてやっても、観て る方は疲れてしまうよ。

Ohara. 決まりきった、セリフに書か れたことを喋るだけじゃない、とい う意味。

Yanami. そうそう。二人とも遊べる ようになったってこと。その辺でキ ャッチボールやってるような気軽さ で、演技にも余裕が出て来たね。

我々トリオをラジオで使って

Ohara. でもね、八奈見さんには泣か されましたね。いじめるんですもの。 笑わせて、笑わせて・・・・・・何回泣かさ れたか……本当に涙を流して笑い泣 きしましたよ。

Tatekabe. とにかく、よく笑ったね え。本番では、おかしいの我慢しな きゃならないのは辛かったなあ。と くに最初の頃は、よく笑いこけたも んだなあ。

Ohara. 次のセリフ、言えなかったも のね、涙ながらで......。

Tatekabe. 八奈見さんの次に喋る人 はタマンないよ。いかに八奈見さん の言葉を聞かないようにするかとい うのが問題でして・・・・・・(笑)聞かな きゃやれないし、この苦しみたるや 大変なものでしたよ。

Ohara. 八奈見さんって、女を泣かせ る悪い人ね。(笑)

Yanami. そりゃないよ。(笑)

Tatekabe. 僕に言わせれば、男も泣 かせるイジメッ子ですよ。でも、最 初は、どうしてあんなに笑いこけた んだろう? 新鮮だったんでしょう ねえ。

Ohara. そういえば、最近あまり笑い 泣きしなくなったわね。

Tatekabe. 新鮮味がなくなったかな ? こりゃ、ちょっと考えなきゃい けないな。(笑)

Yanami. でも我々、よく考えながら やったよね。こういう番組はマンネ リになって飽きられてしまいがちだ けど、ひとりひとりが何かを出して やろうと努力して来たから、どこか しら新しい面白さが加わってるんじ やないかな。

Tatekabe. 番組全体がマンネリに陥 りそうになって、スタッフの人たち と相談しながら、気合を入れ直した こともあったっけねえ。

Yanami. うん、また新しい気持ちで やり直そうってね。

Tatekabe. それから、番組やってて、 若い人たちが一所懸命やってるから、 常に新鮮でいられるっていうのはい いですね。僕らは、もしかしたら遊 んでるみたいな所があるかも知れま せんが......。

Ohara. 若い人たちも大変ですよ。こ ういう既に出来上がっている番組の 中にスッと入って来るっていうのは、 一所懸命でなければやれないですよ。 ただ書いてあるものを読めばいいと いうものではありませんし、そうい う必死さのようなもの見てると、可 哀そうに思えるときがあるわ。

Yanami.これから、新しい人たち、 新しい才能にもどんどん出て来て欲 しいね。

Ohara. それにしても、こんな長い間 ほんとに何事もなくやってこれて、 幸せでしたね。たまに私が、病気で アナを開けてしまったこともありま したけど......。

Yanami. 二回ほどあったかな。そう いうとき、一番心配になるんだよな あ、風邪が流行ってたりすると。 小原 私などは、一年に一度、盛大 に風邪ひきますものねえ。

Tatekabe. でも、前より強くなった んじゃないの。 小原 そうね。アナを開けないよう、 最近は頑張ってますよ。 八奈見 ひとり欠けたらやりにくい しね。まあ、やりにくいというより、 もう出来ないと思っちゃうから......。 小原 私の声が出なくって、仕方な 私なしでやって貰ったときなど、 申し訳なくて…私は後で吹込んだ りしても、オンエアを観るとどこと なく、いつもと感じが違うんですよ ね。そういうとき、本当にすまない なあって気持ちになります。 お二人 の恩義に報いるためには、只々健康 あるのみです。 ましょう。

Tatekabe.病気になれないから、怖 い仕事だね。ひとりひとりが居なけ ればならない存在になってるからね え......。 とにかく健康には気をつけ

Ohara. 話は変わりますけど、私は、 ラジオで三人一緒にやりたいなあっ て思ってるんですよ。中年パワーで、 いかがなものでしょう。

Tatekabe.そう、一緒にやれたら面 白いだろうね。

Ohara. この企画、どこかのラジオ局 でやってくれないかしら。別にこの キャラクターでなくてもいいんです けど、ラジオで一時間ぐらい、この 三人にフリートーキングやらせたら オッカシイんじゃなかろうかと思う わ。

Yanami. 喋り始めたら、終わらなく なっちゃうよ。 (笑)

Tatekabe. 僕なんかは、ウン、ウン、 って言ってるだけの無口な役で・・・・ 何時間でももちますよ。

Ohara. よく言いますよ。(笑)

Yanami. 最近のカベやんは、結構自 己主張が強くなって来たから、マイ クを独占するんじゃないかな。

Ohara. 八奈見さんは大先輩で、 ラジ オしかない時代から仕事してますか ら、ラジオへの思い入れというか、 ラジオでやりたい気持ちがあるんじ ないかしら。

Yanami. 今、ラジオでそういう番組 やってないの?

Ohara. やってないですよ。もう一度 私たちをラジオで使って欲しいわ。

Yanami. 絵から離れて会話だけでも 相当おかしいよ、きっと。

Tatekabe. 是非やってみたい気がし て来たね。悪玉トリオはラジオにも オジャマムシ、てな具合になったら、 楽しいだろうなあ。ラジオ界は我々 を見逃がしている手はないよ。(笑)

Yanami. まあ、何はともあれ、今後 も我ら三人組、これまでにも増して 頑張って、トリオの意気が上がるよ うに…唯それのみだね。

Hiroshi Sasagawa Feature
できればいつでも笑い 顔で暮したいみたいな ところがあるんです。

皆と一緒に楽しんでアニメを作る

TA. 現在、笹川さんは「タイムボカンシリー ズ オタスケマン」(竜の子プロ)と「メー テルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険 旅行」(アカデミー製作)の総監督をなさっ ていますが、両作品の反響などを聞かせて下 さい。

Sasagawa. 「タイムボカンシリーズ」はもう5年 にもなりますが、こんなに長い間一本の作品 にたずさわるというのは、めずらしいですね。 私は、あの30分間を視聴者の皆さんと一緒に 遊ぼう、という気持でやってきました。ナマ 番組じゃないから視聴者の皆さんが参加する というのも限度がありますけど、いわば解放 区とでもいうんでしょうか、皆さんと一緒に なって楽しむというふうに作ってきたんです。

TA.「タイムボカン」「ヤッターマン」「ゼ ンダマン」そして「オタスケマン」と続いて るわけですね。

Sasagawa. もう5年もやりますとね、マンネリだ とかワンパターンだとか・・・(笑) ま、それ はそれでいいんですが、ある意味で視聴者の 方々に、いくらか不満が出てきたんでしょう かね。といって180度変えてしまうと、逆に皆 さんに違和感を与えやしないかっていうこと もありますしね。

TA. そこで、いろいろ工夫を凝らすわけですね

Sasagawa. ええ、そうなんです。で、今度のは、 敵も味方も同じ指令官のもとで、同じ制服を 着ている同じパトロール隊の隊員という設定 をしたわけです。その辺が喜ばれているみた いですね。

TA. ゲキガスキーがいいですね。

Sasagawa. そうなんです。三悪人がいるんですが その中の半人前の隊員であるゲキガスキー、 劇画調のイイ顔してるんですが、この頃、主 役を食っているんですね。人気が出てきたん ですよ。それで今、ゲキガスキーの歌をつく ってるところなんですが、近々できあがりま すから、楽しみにしていて下さい。

勝太郎さんの浪曲も出てきますよ

TA. もうひとつの「青い鳥」の方は、いかがですか。

Sasagawa. この物語は有名な割には原作は読まれ ていないんじゃないかな。実にいい話でね。 内容はとても哲学的なんですよ。人間愛につ いてとか幸福についてじっくり語っているん ですね。もともと非常に地味な話なんです。

TA. なるほど、そういう意味ではアニメ向き じゃないような感じがしますけど・・・。

Sasagawa. 原作をそのままアニメ化するわけには いきませんね。第一、シリーズ26話になんか とても延ばせませんしね。それに、今のTV を見なれている子供には、内容がいささか重 くて楽しくないかもしれないんですね。ま、 そういうことをふまえて西崎プロデューサー と話合ったんですが、風景と原作の底に流れ るテーマだけはきちっと生かして、あとはも オモシロオカシくやろう、ということにな ったんですね。

TA. 笹川さんの手にかかったわけですね。ギ ャグ仕立ての…(笑)

Sasagawa. 現代っ子もいっしょについていけるよ うに、ということですね。ギャグもふんだん に入ってますしね。基調としてはアドベンチ ャー色を強くしました。保守的な人には非難 されたりしましたが、なるべく多くの人に見 てもらおうということで・・・。西崎さんが私を 起用したのもそのへんのねらいがあったんだ と思いますね。

TA. そういえば「ヤマト」の西崎さんとギャ グの笹川さんの結びつきというのも素晴しい ですね。

Sasagawa. 私は18~19年ぐらいずうっと竜の子プ ロでやっていたんですが、去年の2月頃、西 崎さんに「一緒にやってみないか」と誘われ たわけなんです。私も興味があったんですよ ね、「ヤマト」の西崎さんが次に何をやるのか ってね。そして、一緒に作ったのがこの「青 い鳥」なんです。

TA.「青い鳥」のこんごの見せ場はどんなところなんですか。

Sasagawa. 話はいまいったようにオモシロオカシ く、さらに楽しく作っていますが、もうひと 画面的にとてもきれいなファンタジックな シーンがあるんです。その場面を、毎回、ミ ュージカル的にやるんですね。そのあたりが 喜ばれているようです。 曲も毎回一曲一曲新しいものを作るんです よ。劇中人物がうたったり、情景の歌だった りするんですが。制作側もこのシーンにはこ とのほか力を入れていましてね、田村丸さん や日高仁さんなどを中心に音楽構成班をつく っているんです。 いろんな歌があって楽しいですね。 この先ですか、そうですね、玉川勝太郎さん の浪曲があったり、コンピュータの歌が出て きたり、だんだんエスカレートしてきますよ (笑)。

血を見るのが イヤなんですねぇ

TA. アニメの仕事に入られたキッカケは?

Sasagawa. 私はもともと雑誌にマンガを描いてい たんです(編集部註・代表作に「魔犬ゴロー」 「ワンワン刑事」などがある)。手塚治虫先生 のところにもアシスタントとして2年ぐらい いました。そこでいちばん影響を受けました ね。もともと動くものというか立体的なもの に魅かれていましたしね。で、ひととおりア ニメの技術を覚えるために東映動画養成所に 入りました。それ以後ですね。亡くなられた 竜の子プロの吉田竜夫さんから「アニメーシ ョンをやってみないか」ということになりま して、竜の子プロに入ったわけです。昭和30 年頃でしたかね。「鉄腕アトム」が放映され た、翌年だったと思います。

TA. それから今まで、笹川さんがアニメづく りで心がけてきたことは、どういうところで すか?

Sasagawa. まず、大勢の人に観てもらわなければ いけないという点ですね。若い人にもこの辺 りのことをよくいうんですがね。「気取るなよ !」って(笑)。なるべく多くの人に楽しんで もらおう、と思って作ってます。ところがそ れがなかなかうまくいかないんですね。なか なか当らないんですよ(笑)

TA. 笑いに対するお考えを...。

Sasagawa. たとえば小さな子供がマンガを見てボ ロボロ泣かされていたとしますね。すると親 御さんは「うちの子が涙を流して・・・、うちの 子にもこんな気持があったのか」なんて驚い たりしますね。そして、いつのまにか、そう いうマンガはいいマンガだなどといわれるよ うになりますよね。ところが泣かせるという のは、仲のいい人を殺したり、あるいは別れ の場面をつくったりすれば、大概泣くと思う んです。ですから、泣かせるよりも笑わせる 方のが私としては好きですね、むずかしいで すけど・・・。第一、笑い顔っていいじゃないで すか、好きですね。

TA. なるほど。しかし笑わせるというのはむ ずかしいですね。

Sasagawa. そうですね。ただ笑わせればいいとい うことでもないですからね。下品なことをや ったり、くすぐったりしてまで、やることは ないですね。…仕事柄、アクションものなど もくるんですが、戦いのシーンになるとどう しても止まるんですよ、戦いができないんで すね。たとえば「オタスケマン」でメカに斧 ッとささるようなシーンがあるとします ね、鉄だからいいようなもんですが、それで も、なんか、そこがやりたくないんですよね。 臆病なんでしょうかねぇ。ま、できたらいつ でも笑い顔で暮したい、みたいなところが私 にはあるんです。

TA. こんご手がけてみたい作品は?

Sasagawa....今までとちょっと違うもので〝恐怖 もの"なんかやってみたいですね。反動みた いなもんですがね。それと、実写、撮ってみ たいですね。アニメの限界みたいなものをみ てますしね、現在のようなアニメの制作状況 は良くないですからね。実写ですか、そうで すね、たとえば〝宇宙ギャグ"というか”ス ペースギャグ"というか、そういったものを 撮ってみたいですね。夢みたいな話ですが。

このままではアニメは飽きられる!

TA. 笹川さんの尊敬している人は? あるい は、もっとも影響を受けたという人は?

Sasagawa. 影響を受けているし尊敬もしているの は、手塚治虫先生ですね。先生の場合、私だ けではなくてね、大変偉大な人ですよ。私の 場合は先程もいいましたが、先生のアシスタ ントを2年程やっておりましたから、もう、 直接影響を受けていますね。それと、アニメ ーターの人では二宮常雄さんと田中 さんで すね。この人たちはギャグを描かせたら天下 一品でしてね、いまは、なかなか機会がない んですが、いずれは一緒に仕事をしてみたい と思っています。

TA. 昨今、外部からも"アニメ・ブーム”と かいわれていますが、そこらへん、関係者と してどうお考えですか?

Sasagawa. はっきりいって、アニメの社会的地位 は、まだまだ低いですね。たとえば、劇場用 アニメを作る場合など必ず実写の有名な監督 さんをたよるようになりますね。アニメの監 督なりアニメにたずさわっている連中が単に 工場で働いてるような、そんなイメージがま だまだありますね。本当は、そんなことない んですがね、素晴しい人たちが大勢いるんで すけどね。それに、作品にしても雑誌などで 人気のあるものとか・・・ね。そうではなくアニ メーター側から出る作品が当然あっていいと 思うんですがね。

TA. そのあたりを、もう少しくわしく話して ください。

Sasagawa. いまの状況をみてますと、ますます安 全商品が売れて、やってみなきゃわからない という不安定な商品が出にくいんですね。 名作ものや、人気マンガ、あるいはパートⅡ とか、そういうものしか出てこないんですね。 そこに問題があるような気がしますね。

TA. たしかにそうですね。

Sasagawa. 竜の子プロの場合、一連のオリジナル ギャグアニメの路線を作っていたので、その 点で、非常にめぐまれていましたね。ま、し かし、買う方にしてみれば当るか当らないか わからないですから、心配ですよね、そりゃ (笑)。従って誰でも知っているパートⅡもの とか、そういうものになるんですね。そうい うのもあってもいいと思います。が、ここで いいたいことはこのあたりでアニメにたずさ わっている人たちが、もっともっと独創的な ものを、オリジナルで出していかないと視聴 者に次第にアニメそのものが飽きられてしま う、ということですね。安全商品である名作 ものウンヌンもそろそろ底のつく頃合いです し、アニメにとってこれからが大事な時期じ やないかと思いますね。これからは作り手側 の方からの自主制作みたいなものが出てくる 可能性もありますね、そういう動きに期待し ていきたい気持があります。いろいろな制約 のなかで自己主張していくのは大変なことと 思いますが頑張ってみたいと思ってます。

TA. どうもありがとうございました。

June

Osamu Dezaki Feature
菜種梅雨が満開の桜を無残にも散らして いる4月にしては少し肌寒いある日、仕事 場のマッド・ハウス(東京・南阿佐谷)の すぐ近くの喫茶店でひとり黙々と「ベルば ら」の絵コンテを描いていた出崎統監督。 ムム…なにやら近寄りがたい雰囲気だ ぞ(?)"と思いながら「こんにちわ! お じゃまします」と声をかけてみると「わ! 忙しいもんで、こんなところで描いてるん ですよ。ま、どうぞどうぞ」と人なつっこ い笑顔でニッコリ迎えてくれました。 さっそく、現在手がけている「ベルばら」 や、あの名作「あしたのジョー」「家なき子」 等、出崎作品を中心に、そのアニメ観や製 作裏ばなし、あるいは出崎演出の秘密など を、ざっくばらんにうかがってみることに しました。

僕なりの演出方法で

いま手がけているのは「ベルばら」のほ かに 「坊っちゃん」があります。これは例 の日生スペシャルの番組で6月13日にフジテ レビでオン・エアの予定です。竹内啓雄さん と共同演出でやっているんですが、そんなわ けで現在、ちょっと忙しいんですよ。 「ベルばら」は第1話から演出を担当しまし た。それ以前の演出と変わっているかどうか ということは、僕は僕なりのやり方でやるし かないですからね。ただ原作にはできるだけ 添おうという意識でやっていま すけど・・・。なかなかむずかしい 原作ですからね。変わってしま ったりするんですよ。そんなと き、視聴者の皆さんからお叱り を受けたりするんですけど···· (笑)。まあ、劇画とテレビでは 基本的に違うものですから、と いうことでおゆるしを願うわけ ですがね。 途中から演出を交代した件に ついては、ちょっといえない ですが、実ははじめからやって 欲しいということだったんです けれど、僕の方の都合でだめだ ったんです。少しわがままで申 し訳けないと思っているんですけれど・・・・・・。 再度要請がありましたとき、ちょうど僕の方 も一段落したところでしたのでお引き受けし たわけなんですが、途中からというのは、そ れなりにやはりむずかしいですね。

小さい頃からマンガ家志望

ディズニーなんかは知っていたんですが、 アニメそのものには全く興味をもってなかっ たんですね、僕は(笑)。でも、もともと映画 やマンガは大好きだったんです。とくにマン ガはもうとても好きでね、小さいころから“将 来はマンガ家になりたいな”って思ってたく らいなんです。 僕らが高校時代の頃、貸し本マンガという のがはやっていましてね。高校2年生ぐらい のとき、何かにつけて僕に目をかけてくれて いた松本正彦さんという方と一緒に貸し本マ ンガを描いていたんです。劇画でいうと、白 家志望の高校生だったもんで、授業中、ノー トや教科書にマンガばっかり描いていたんで すよ、 勉強そっちのけで(笑)。そんなわけで 卒業が危なっかしくなっちゃいまして…(笑)。 でも一応、卒業だけはしなくては…、と思い まして、先に就職を決めておこうという作戦 に出たんですね(笑)。兄のコネを使いまして 土三平さんの「忍者武芸帖」 や、さいとうたかをさんが 出ていた頃ですね。本当は できればそのままマンガ家 になりたいと思っていたん ですけど、卒業する頃にな ると、どういうわけか、そ の貸し本マンガが次第に下 火になってきたんですね。 それで僕もなんとなく描か なくなっちゃいまして・・・。 ところが、なにしろマンガ 川崎市の溝の口にある東芝・玉川工場へ就職 を決めて、なんとか卒業できたんです。 その会社に一年半ぐらいいたんです。もち ろん新しい生活に入ったんですから、そこで 一生懸命仕事をしようとは思っていたんです が、やはり忘れられないんですね、マンガが。 仕事中、いたずら描きしたり、ろくすっぽ仕 事をしなかったりで…、大変な社員だったと 思いますね(笑)。一年半いて3時間ぐらいし か残業をしなかったんじゃないかな。とんで もない社員ですね。これは(笑)。

とにかく絵が描きたくって...

僕は会社の寮に泊っていたんですが、 就職 して一年半ぐらいたったときの夏休みに、久 しぶりに実家に帰ってのんびりしてたんです。 暑いもんだから家の中でゴロゴロしながら 新聞を読んでいたら、求人欄の隅っこの方に 載っていた虫プロの社員募集の広告が目に入 ったわけなんですよ。 虫プロダクションといえば手塚治虫さんの プロダクションで、僕はもう手塚さんにあこ がれていましたし、とにかく虫プロに 行けば絵を描くことができるんじゃ ないかなって思いましてね、受けて みたんです。そしたら受かったん です。 その頃、西牧秀雄さんや 真崎守さん、乳井さんなど がほぼ同期でいました し、先輩には村野守美 さんたちがいましたね。 どういう仕事をする のかなと思っていたら 「鉄腕アトム」の動画部に 配属されて、絵を描いていま した。いわゆるアニメーターですね。 結構、楽しかったですね。そんなところが、 この世界に入ったキッカケですね。 こんなに 長くやるとは思っていなかったですが......。 でも僕は、虫 プロには1年ぐ らいしかいなかった んですよ。動画部で原 画を描いたり、第二原画をやったりしてとて も楽しかったんですけど・・・。 その内、東京ム ービーができて「ビッグX」というのを始め たんですね。で、バイトでその作品の絵コン テを切ったんです。第6話だったかな。

次第に演出を手がける もともと、自分でストーリーをつくってマ ンガを描いてたもんで、なんとなくこっちの 方が面白いのね。比較的簡単にできるんです ね。 そういうバイトをやっていた頃、 ょうど虫プロで僕の先生格にあたる杉井ギサ ブロウさんが虫プロを辞めて〝アート・フレ ッシュ"というプロダクションをつくるとい うことで、誘われましてね、僕も一緒に辞め たんです。 アート・フレッシュに移ってからは、虫プ 口の下請けというかたちで、月1本の割合で 「アトム」をやることになり、高木厚さんを 含めて3人で交代 で演出・作画なん かを担当すること になったんです。 そういうことで徐 々に絵コンテを描 いて演出を手掛け るようになったわ けなんです。 その時のメンバ ーには作画では吉 川惚司さん、奥田 誠治さん、杉井興 治さん、宇田川一 彦さん、それに社 長として福島信行さんがいました。 その後、出崎統さんは「悟空の大冒険」 「わんぱく探偵団」「どろろ」等の演出を順 調に手がけてきて、いよいよテレビアニメ 史上名作とうたわれる「あしたのジョー」 と出合うことになる。

「ジョー」との出合い

そうですね、作画を全然やらなくなったと いうのは、やはり「あしたのジョー」あたり からかな。それまでは、ちょこちょこと演出 と作画を兼ねていたわけなんですが、 演出一 本に絞ったのは、やはり「あしたのジョー」 からですね。もっとも間に合わなくって作画 をやったこともありますがね(笑)。そういえ ば、もう10年も描いていないんだなあ。 演出するにあたって心掛けてきたことです か。そうですね、今、はっきりいえることは、 自分自身を含めて”人間とは何か"というこ アニメを通してつかんでいきたい、人間 に対する興味を絶えず失なわないでやってい きたい、ということですね。 いわゆる絵で動くキャラクターなんだけど それは何かの象徴、人間のある部分の象徴で あるという考え方ね。人間の持つあるリアリ ティがそこに投影されれば、アニメだからと いうだけにとどまらず、人間性そのものを表 現できるのではないか、と思うんですね。 例えば、いかにもアニメ・アニメしたよう な、幻想的な作品でも、それはいえるんじゃ ないかと思うんですよ。アニメを観る人が面 白いと思ったり、笑ったり泣いたり、美しい と思ったりするのは、結局作り手と受け手と の人間性を媒体にしたつながりがあって、そ うできるのであってね。単に泣かせたり笑わ せたりするというのならテクニックでできる んですが、やはり、いまいったようなところ でなんとか表現してゆきたいなと思っていま す。 そういう意味では、僕にとって「あしたの ジョー」が印象深い作品ですね。「ジョー」 をやっていたとき僕はスケジュールもなにも ギリギリの状況の中にいたんです、作品をつ くる上でね。こうなったら、 もう自分自身をぶつけるほか ない、そうしないと作れない、 そう思いました。「ジョー」で 裸にされました。裸にされて、 やるしかなくって、それには 自分のものを出すしかなくっ て、という状況の中で、僕は 人間のリアリティというもの に徐々に興味を憑かれていっ たんだと思います。 ということで、その体験は、すごくよかったと 思ってるんですよ。出来、不出来はあったと思 うけれどね。特に、その時の仲間がすごくい い仲間だったんですね。みんなからいろいろ と触発されたところもあったしね。いろんな 意味で「ジョー」は僕にとって原点だったよ うな気がしますね。それ以前にいろいろ作品 をつくってきましたが、その頃は漠然と、そ ういうものを感じてはいたけど、自分 自身でハッキリと意識したのは「ジョ ー」をやったときだった んです。

もう一つ のテーマ

作品の内容に関するテ ーマとは別に、演出家に とって、もうひとつのテ ーマというのがあるんで す。それはスタッフとの テーマですね。演出家とスタッフの関係とい うのは、アニメーションを作る上で非常に重 要な部分だと思います。 スタッフが作品といかにまじめにとりくめ るか。または楽しんでとりくめるか。そして そこから何を得ることができるか、というよ うなことを考えます。何かを必ず得ることの できるようなスタッフと一緒に僕は仕事をし たいんですよ。 ですから、時間に追われながら絵コンテを 描いていても、スタッフの人たちの 顔が浮かんでくるんですね。彼だっ たらこの部分をどう思うだろうかと か、どんなふうに描くだろうかとい う具合にね。 ワンカット・ワンカット、ワンシ ヨット・ワンショット、構図から色 から、何から何まで人が作るような ところがアニメにはありますね。 そういったひとつひとつがスタッフ の内面の意識の産物である、といっ ても言い過ぎでないところがあるの ね。だからスタッフ抜きにしてはア ニメーションを語れないと思うし、 同時に演出の仕事というのは、彼ら の内側にどれだけ入りこめるかとい ったところがあるんですよ。

仲間たちと新しいものを

作品ごとにスタッフを組み変えるというの は、ひとつの正論だろうと思いますが、アニ メーションの場合は、というより僕の場合は 今まで一緒にやってきた仲間同志で新しいこ とをやっていきたいという意識がすごく強い ですね。 こういう絵はこの人が得意だから、という ようなとき、いや待てよ、この絵を例えば杉 野昭夫に描かせたらどうな るかなって思っちゃいます ね。それは、テクニックの 問題ではなくって、信頼関 係の上でのことなんですが そういうものを保ちながら 新しいものを作っていく方 のがいいと僕は思っていま す。 切って棄ててゆくという ような、ビジネス・ライク なやり方には僕はかなり抵 抗を覚えますね。すべてが 意識の産物だとしたら、自分自身)たちが、 どう変革を遂げるかということで作品を新し く生み出していく方のが、僕は好きなんだ。 そういう意味では、よくいわれるんですが 杉野さんといういい仲間が僕にはいますね。 いつも迷惑ばかりかけてるんですけど・・・(笑)。 よしあしは別として杉野さんとは個人的な ほとん つき合いは、殆どしていませんね。例えば、 一緒に飲みに行ったり遊びにいったりとか。 彼自身、そういったことをあまりしない人で すがね。ま、それはそれとして、こちらが絵 コンテを描く。彼はそれをみて作画監督をや る。互いに仕事上での意識のぶつけ合いみた いなもので、つながっているという手応えみ たいなもんがあるんですね。そういうのって 大事じゃないかなって思うしね。僕らの仕事 っていうのは、たえず、自分の意識を仕事に 出しちゃうみたいな、いわば日常会話と同じ ようなもんだなあ、という気がしますね。

出合いを大切に

本来、僕は現実的なのかもしれないけど、 作品との出会いを大切にしたいなあ、と思っ てます。あれをやってみたい、というものも いくつかあるんですが、そういうものはまあ、 出会ったときにやればいいんだという気持が ありますね。あれをやりたいということも重 要ですが、今、我々は、どんな素材がきても やれるんだ、素晴しいものが作れるんだ、と いう方のが先じゃないかという気がしますね。 つまり「宝島」と出会えば「宝島」がいち ばんいいと思うし…、というふうに感情移入 していかないことには出来ないわけです。そ のてんでは先程いったように「ベルばら」を 最初お断りしたのは僕にとって初めてのこと だったんです。体力的なこともあって・・・。 アニメーションをやってきて、とくにテレ ビアニメなんかはそうだと思うんですが、絵 コンテで決っちゃうというところがあります ね。そこからさらに良くなるか、悪くなるか は、これは、その絵コンテによって作画の力 をひき出せるか出せないかということになっ ちゃうのね。ですから、絵コンテを自分で描 くということが大切じゃないかと思いますね。 よくも悪くも自分の責任の中で処理ができま すからね。それで、皆に迷惑かけちゃうんだ な、僕は、絵コンテがおくれたりして(笑)。 でも絵コンテを描くということが、僕にと っては作品と対話するような部分があるもん で、他人に描かせられないんですよ。逆に他 人のものを直せないという性格なのかもしれ ませんけどね、痛みを感 じちゃって。で、ま あ、そういうわけ で「家なき子」で も「宝島」にして も、僕の場合はほ とんど自分で絵コ ンテを切って いるわけです。

ギリギリまで追いつめる

よく"アニメ・ブーム”についてきかれる んですが、僕にとってはあまり関係ないと思 っています。今までやってきたことをやれば いいんだ、というふうに思っています。なん か、あまりにもつれない答え方みたいですが、 でも、うれしいことはうれしいですね、やっ ぱり(笑)。それこそ、僕らはみんな黙々とや ってるんですが、そういうことがひとつの刺 激剤みたくなって作品そのものがある種の高 揚をみて、 もっといいものをつくろうという ことになってきていると思います。それは嬉 しいことですね。 アニメーションは子供むけだ、というよう な観念がズーっとあったと思うんですが、 っとハイブローなアニメをつくっていっても いいんじゃないかと思うんですがね。ハイブ ローというのは子供にはちょっとわかりにく いという程度の意味なんですがね。 例えば、ひとつのキャラクターを追ってい って、ま、それは自分自身であるかもしれな いんですが、その行動が個性的であればある ほど、あるいはまた、個性的な体験であれば あるほど彼を見る人に広がりをもたせること ができると思うんですよね、意識とかこころ とかの。いわば、人間のもつリアリティが感 じられると思うんですね。はじめから観念で パターンどおりに押しつけるのとは違って。 例えば目の光り方ひとつでもいい。こいつ は一体どういう人間なんだろう、というふう にギリギリまで追っていくときにフト出てく るシーンや絵柄が、実に素晴しかったりする もんなんですね。 頭の中で考えていてもつまらないな、と思 うことでも、そうやって追っていったりする と発見があったり、面白いものがでてきたり するんです。 僕は、そんなふうにしてこんども作品をつ くっていきたいと思いますね。もちろん、そ の上にある程度のテクニックでもって面白さ を加えて、作品を見せていく力がないとだめ なんですがね。10年前「ジョー」を作ってい たとき、本当にそう思いましたね。

Q&A Session

Q. マンガは読みますか? 誰のマンガが好 きですか?

Dezaki. もともとマンガ家を志望してたくらい ですからマンガは大好きです。僕らの世代は もう手塚治虫さんのマンガで育ったようなも のですから、好き嫌いではなく、恐れ多い という感じですね。そうですね、あとは、ち ばてつやさんの作品が好きですね。やっぱり...

Q. 最近どんな映画を観ましたか?

Dezaki. 映画は大好きなんですが、この頃、あ んまり観てないなあ。でも黒沢明の「影武者」 コッポラ監督の「地獄の黙示録」は観に 行こうと思ってます。 もう券を買ってるんで すが、ちょっと忙しさに追われちゃいまして ね。好きな監督ですか。邦画だと黒沢明、洋 画ではフェデリコ・フェリーニですね。

Q. 趣味は何ですか?

Dezaki. 趣味というか息抜きというか、ま、体 を動かすことかな。ありきたりだけど、ゴル フとかスキーとか。といってもスキーは虫プ 口にいた頃やっていたんだけどその後ズーッ とやっていなくてね、去年ぐらいからまた、 やり出したんですよ。今年はお正月に行った んですが雪が少なくって…。ゴルフは去年の 10月から全然行ってないなあ。これで趣味と いえるのかな(笑)。

Q. もしアニメのお仕事にかかわってなかっ たとしたら、現在、何をやっていたと思いま すか。

Dezaki. 弱ったなあ、そういう質問は・・・。そう だなあ、何やってたかなあ。 恐らく、僕が虫 プロに入らなかったら、もう一度マンガを描 こうと思ってやってたでしょうね。

Q. 最近嬉しかったことは? また逆に腹の 立ったことは何ですか?

Dezaki. 嬉しかったことねえ、ウーム・・・。考え なきゃ出てこないようじゃ・・・(笑)。そうで すね、むすめがいるんですが、今年中学生な んですよ。中学の制服なんか着ているのをみ るともう子供じゃないな、なんて、嬉しいと いうか哀しいというか…やはり嬉しいこと ですね、すごく。逆のアレは、そうですね、 お正月スキーに行って雪が少なかったことか な。ホントに腹立しかったですよ、せっかく 行ったのに…。

Taku Sugiyama Feature
作品の全ての責任は監督が負っていくという体制がこれからは必要じゃないか はじめての作品は「白蛇伝」

TA. 杉山さんはいつ頃からアニメーションを始めたのですか?

Sugiyama. 昭和三二年に東映動画に入ったのです が、そのときがはじめてです。

TA. おいくつのときですか。

Sugiyama. 二十歳でした。

TA. やはり、アニメをやりたいということで..?

Sugiyama.いや、そうじゃないんですよ。実はそ の頃僕は油絵がやりたくて、美術大学に入ろ うと浪人していたんですが、お金にこまって きて、どうしようかというときに、東映動画 が何か絵を描く人を募集しているというのを 聞いて応募したんです。聞いた話ですと、こ のときの応募者が八百名近くで採用されたの はわずか十数名らしい。どういったことから 僕もその十数名の中に入れまして......

TA. その頃はアニメに対して興味みたいなも のは持っていなかったのですか。

Sugiyama. ディズニーは観たことはありました。 でも、その程度ですね。とにかく、その頃、 日本にアニメがあるなんて知りませんでした から。

TA. 東映動画に入ってからのことを聞かして くださいませんか。

Sugiyama. 入ってまず六ヵ月間アニメ制作の養成 を受けさせられましたね。とにかく、これま で描いてきた絵とはかってが違うので最初随 分まごつきましたが、それでも六ヵ月目頃に は一通りのことはできるようになっていまし たね。

TA. で、はじめて担当されたのは?

Sugiyama. 「白蛇伝」という作品でした。作画担当です。

TA. それ以外では、東映動画ではどんな作品なーー

Sugiyama. 結局僕は東映動画に四年いたのですが この間担当したのは「白蛇伝」を含めて計四 本でした。制作順に「少年猿飛佐助」 「西遊 記」 そして、「安寿と寿子王丸」です。

TA. 本数的には少いですね。

Sugiyama. 現在と比較しますとね。先ほどもちょ っと言いましたように、その当時は実写中心 でアニメと言っても、ほとんど注目されない 時代でしたし…そんなもんだったんですよ。

TA. なるほど。ところで、杉山さんは油絵を やりたいということで浪人までされてたわけ ですが、そちらの方はあきらめてしまった?

Sugiyama. いや続けていました。実は会社(東映 動画)でアニメの仕事をしながら、武蔵野美 術大学の夜間部に通っていたんですよ。

TA. では、東映動画を辞められたのは油絵で やっていくということで?

Sugiyama. いや、そういうことじゃなくて、大学 (武蔵野美術大学)を卒業したかったという ことなんです。今はどうか知りませんが、 あ の頃の武蔵美大は夜間部だけの単位では卒業 できなかったんです。昼間部の単位が必要だ という。それで四年生になったときに会社を 辞めて、また学生に戻っちゃったんですよ。

TA. 武蔵美大を卒業されてからはどうされた のですか。

Sugiyama. ええ、実はあの時、何をしようかいろ いろ迷ったんです。東映動画の方からも"ま たこないか”と声をかけていただきましたが、 せっかく辞めたのだし、別のところでやって みようと、岩波映画に入ったのです。昭和三 七年でした。

TA. 岩波映画でアニメを?

Sugiyama. そのつもりで入ったのです。しかし行 ってみるとアニメの仕事なんかほとんどなか った。そこで、記録映画やPR映画の美術監 督をやりました。一年半ほどそんなことをや ってましたね。

TA. たしか、その後「テレビ動画」に移られる?

Sugiyama. そうです。 この会社はフジテレビがテ レビアニメ時代を見越してつくったのですが、 「プライド博士」「ドルフィン王子」それに「怪 「盗プライド」の三本を作ったところで資金が 続かなくなり、打ち切りになってしまったん ですね。ホント、 ついてない(笑)

TA. 手塚治虫さんの「ワンダースリー」をや られるのは丁度その頃だったんでは?

Sugiyama. そのすぐ後でした。作り続けられない んなら雑誌に漫画でも描こうかと思っていた ときに、こんなアニメをやりたいんだがディ レクターがいないので、ぜひ、と声をかけら れたんです。

TA. 手手塚さんとは親しかった?

Sugiyama. いや、「西遊記」で来られたときに二、 三度お会いしただけです。ただ、虫プロの人 たちとは、東映動画にいたころから交友はあ りましたが・・・めぐり合わせだと思いましたね。

TA. その後手塚さんとは?

Sugiyama. 手塚さんが「展覧会の絵」という劇場 用の作品を作ることになって、その作画と演 出のお手伝いしました。それから虫プロでか なりの作品を演出し、手塚さんとも一緒に仕 事をすることが多くなって行きました。

常にハングリーな 手塚治虫

TA. ところで、杉山さんは、お話のように手 塚治虫さんと仕事を組まれたりする機会が多 いのですが、杉山さんが見た手塚治虫とはど ういう人ですか。

Sugiyama. どんな人って......とにかくすごい人で すね。

TA. すごいと言いますと――

Sugiyama. 常に実験精神でチャレンジしていると こです。同じパターンで同じものをくり返し 作ることは絶対になさらない。最後の最後ま で独創性を追い求めるんですね。あれだけの 方であるし、自分の守備範囲で作っていれば、 評価も下がらないし安全だと思うのですが絶 対そうしない。常に自分でそうした、ハング リーな状態、最前線に追い込んでいるんです ね。

TA. それに、たいへんな勉強家であるともき きますが。

Sugiyama. 虫プロの人たち自体が昔から非常に勉 強する人が多いのですが、手塚さんはそれに 輪をかけたような人ですね。 映画なんかも、 いつ観るのか、と思うほどよく観てますよ。

TA. なるほどね。ところで次にアニメ全般に ついていろいろお聞きしたいと思うのですが まず、最近「火の鳥」もそうですが、声優 にかわって俳優を使うというのが一種のブー ムになっていますが杉山さんご自身はどう考 えているんですか。

Sugiyama. たしかに最近多くなってきていますね。 しかし、考えてみると、私が東映動画の監督 だったころは、声優さんなんていませんで したから、“声”は全て俳優さんがやっていた わけです。ですから、"声"を俳優がやるとい うのは、決して〝新しいこと”でもなんでも ない。ただ声優というプロフェッショナルな 人にかわって、あえて俳優を起用するという のは監督のそれなりの考えがなくてはね。

TA. 杉山さんの場合、「火の鳥」で竹下景子を つかったのはどうしてですか。

Sugiyama. 僕の場合は、一つには、〝広がり”をつ けたいということがありましたね。声優には 良し悪しは別にして一つのカラーがあります。 広がりをつけるには、このカラーからはみだ した人でなくてはいけない。 しかし、彼女に声優として〝口合わせ"を させたのでは意味がない。〝口合わせ”なら 声優の方がうまいに決っているわけです。「火 の鳥」の中で彼女が口を合わせるシーンは一 つもなかった。

TA.「監督」と言う場合、たとえば映画です と、どんな役割なのか素人の私でもよくわか るのですが、これがアニメになると実にわか りづらいのですが。

Sugiyama. おっしゃるとおり、立場というのがハ ッキリしていないし、それに呼び名も実にい ろいろある。あるときは演出家だったり、あ るときはディレクターだったり、またあると きは、チーフ・ディレクターだったりする。 映画の場合の監督は、作り手のカナメとして の権限と責任の体制が確立されているが、ア ニメ監督にはない。だからいくらでも責任が 分散してしまう。そうでなく作品の全ての責 任は監督が負っていくということでなければ、 これからはいけないと思う。私自身もそうし た体制になっていくように努力して行きたい。

Coverage of "Urusei Yatsura" in 1982 (Animage, The Anime, My Anime, Animedia)

This post will consist of the coverage in various magazines for "Urusei Yatsura" and preliminary coverage for the first movie, ...