Friday, November 11, 2022

Other Features in Animage 1979 - Part One

As with other posts on this blog, I will be posting the raw Japanese text with some commentary (provided by DeepL). Many thanks to Brenten958 for some scans from issues missing from my collection. Time to begin!

January

The first issue of the year goes over all of the big topics of 1978 as well as a roundtable discussion.

1. Yamato
この夏は、まさに「ヤマト」フィーバーであった。8月5日早朝から全国133館でいっせいに公開。 ヤマト最後の映画とあって、ファンたちの熱気はぐんぐんと上昇し、各地の封切り館の前は、いずれも徹夜組が長蛇の列をつくったため、早朝4時30分からの異例の上映を開始した劇場もあった。東京・渋谷の東急レックスの場合がそうで、前夜からの徹夜組はついに3000人を越したほど。上映が開始されるや場内は感激の渦! つぎつぎと倒れていくヤマト戦士たち- 土方、斉藤、真田、そして森雪・・・・・・に、あちこちですすり泣く声がもれ、場内が明るくなっても感激したファンは席を去ろうともしなかった――

Comment by Yoshinobu Nishizaki

「さらば宇宙戦艦ヤマト」のヒツトの原因は、いろんな角度から見られます。「ヤマト」はマンガではなく、SF冒険アクションドラマだということ、中・高生であるミドルティーンを中心としたアニメは画期的で前例がない。あくまでも、少年らしく可能性を追求してみようというのがテーマであり、若者の生きざま、挑戦、愛が映画を見てくれた人の共感をよんだのでしょう。松本零士さんの親しみやすいキャラクター、音楽の宮川泰さんなど一流のスタッフの起用もヒットの要因ですが、このドラマの最大のキャラクターは、空を飛ぶ旧大和であり、戦艦が空を飛ぶという企画そのものの成功だと思います。今後はミュージカル・アニメや海洋ドラマを作ってみたいと思っています。

2. Leiji Matusmoto

2日間に平均7、8時間の睡眠しかとれないという殺人的スケジュールの松本零士先生に人気の秘密やアニメについて直撃インタビューをしてみた。 時間は深夜の零時ごろ、場所 松本先生宅の応接間―「私にとってアニメとは、まだ、ひとつの修羅場をへてワンステップ階段をあがったばかりで、たまには踏みはずすこともあるという状態ですね。マンガのほうは30年近くやっていますが、アニメに関してはまだ数年しかやっておらず、自分自身、まだ、海のものとも山のものとも見当がつかないんです。 それとSFブームといわれてますが、SFといっても、いまもてはやされているのはSF風というかSFもどきであって、本来のSFではありません。ま、 やむをえないことかもしれませんがね。体ですか? こんな状態(過密スケジュール)で仕事をしていると、なんの因果でと思うこともありますよ(笑)。カゼが原因だったのか、ひどい下痢をしてブドウ糖をうちながら仕事をしたこともありますが、入院の経験はないんです。将来つくりたいアニメはメルヘンチックな過去から未来を舞台にした、心にうったえるあたたかいもの・・・・・・、をやってみたいですね。 もし、ひまがあったら世界漫遊の旅をしたい。これが、いま、最高の夢あちこちのおいしいものをくまなく食べて、地球上いたるところへ足跡を残したいですね」

3 - Theatrical Animation

Comment by Ippei Kuri

夏休み前に封切りし、早すぎたというきらいもある。 宣伝もほとんどなく条件が悪かった。 茶の間では人気が高く、ガッチャマンはテレビ向きの作品なのでしょうね。

Comment by Sōji Yoshikawa

テレビではお目にかかれないカーアクションと不二子のお色気サービス、SFチックな ストーリーと最後のあっと驚くどんでん返しなどが見もの。ルパン同様、われわれも有名映画のシーンを盗んでみました。

Comment by Atsushi Tomioka

「親子ねずみの不思議な旅」は全国で30万人を動買し、まあまあ成功であった。 (10万を越してほしいとは思っていたが)「ディズニー以来」との評価と信頼をお客さまからいただいています。4年の歳月と7億円の製作費をかけていまして、とても日本だけでは採算はとれませんからね。海外では、ほぼ全米で公開しています。同時上映の国産アニメ「チリンの鈴」(やなせたかし原作)もシンプルな味をだし、たいへん好評だったようです。来年の初春公開予定の人形ファンタジー「くるみ割り人形」は日本で初の人形アニメ。想的な愛くるみ割り人形の物語で、 親子でたのしめるファミリー作品です。

4 - Osamu Tezuka

手塚治虫 (原作・構成・演出) ぼくの場合、自分で絵コンテからシナリオまでやらないと満足がいかないんです。 で、「バンダー」でそれをやったら、放映2か月前になっ ても全体の10%も進行しない。青くなっちゃったですね。いまは、再来年初春公開予定の「火の鳥」の製作にかかっています。 フルアニメの予定なので、力が入ります。 これからは、国際的にも通用するものをどんどん製作して海外市場にも広く目を向けていきたいと考えています。

5 - Beautiful Characters

Comment By Michi Himeno

トニー・ハーケンはエリートとして、またタクマのライバルとして設定しました。 ですから、主役を越えるほどの魅力を持たせたのです。 ファンは彼の動きを身近に感じるのでしょうね。

Comment by Tadao Nagahama

善悪を単純に決めずに、敵の論理の中での人間性を描いたのが、ハイネルとリヒテルです。外見の美しさはもちろんですが、彼らの精神的な面でのドラマにファンの人気が集まったようです。

6 - Popularity

Comment by Yoshio Takami

名作ものがもてる一因は、おかあさんたちが安心してチャンネルをまわしてくれるということでしょう。「一休さん」は子どもだけではなく、おじいちゃん、おばあちゃんも見ているし、頭に両手をおマンガチックなトンチの表現などにも人気が集まっています。

7 - NHK

Comment by Yasuhiko Tan

NHKとしては初のこころみだったわけですが、「コナン」の手ごたえは、お固いNHKに親しみがわいたというファンの声もあって、それなりに成功したと思っています。「キャプテンフューチャー」は本格的なSFアニメとしてNHKでなくてはできない、おもしろいものをめざしてみました。 SFの古でスケールの大きい冒険活劇口マンですので、いままでのアニメイコール幼児層を少し年齢をあげ、中高校生を中心とした家族そろったのしめる番組にしてみたつもりですが、どうでしょうか。

8 - Sazae-san Ratings Comment by Sagisu Masayasu

原作がすばらしいということが人気の最大の原因です。お茶づけ”の香りというかフアミリードラマなので一家そろって茶の間でたのしめるのがいいんでしょうね。

Comment by Koyasu Iroko

スタートして半年後から 「サザエさん」とつきあっています。 エンの下の力持ちですから、各パートの言い分を聞いて、 まあまあとなだめたり、おこったりの毎日ですよ。

Comment by Hideshige Tsukikawa

「サザエさん」はドラマ作りですから、間のとり方、芝居の作り方に苦労しますね。 ギャグの場合でも、 おもしろくてもハメをはずすとリテークですからね。たいへんですよ。

9 - Shoujo

Comment by Akira Negoro

「若草のシャルロット」から、土曜日の夜7時はいままでにないジャンルを組んでいるんです。「はいからさんが通る」は、コミックの人気からアニメ化されたものですが、アニメでは別の世界を作ったつもりです。

Comment by Yasuo Yamaguchi

少女ものは一歩まちがえるとたいへんなんです。だから、「キャンティ」の場合、原作のよさやキャラクターの魅力もありますが、主人公がみなし子なので、女の子が喜ぶ現代的な夢やハイカラなシーンをできるだけとり入れています。

10 - Disney Kicks Ass

Comment by Kunio Kumagai
「ダンボ」が製作されたとき、日本では戦争をしていた時代ですね、なにしろ、昭和1年ですから。30年もたったいまでもディズニーの作品は鮮度がおとろえていない。動きもきれいですばらしい作品です。 声の出演なども、ディズニーの感じをだすよう心がけました。 実写ですが 「狼王ロボ」も1月1日16時30分から放映です。よろしく。

Roundtable Discussion

Panel:

Osamu Tezuka
Yutaka Fujioka
Hiroshi Sasagawa
Kenji Yokoyama
Masaharu Endo
Yoshiyuki Tomino


1『若い人にも日本人意識があるのだろうか!?』


Osamu Tezuka. きょうは、私、司会をやることになりまして、じつをいうと生まれてはじめてのことなので、うれしくてしようがないんですが(笑)、 ま、それはともかく、今年はアニメがすごく盛んになりましたね。 その原因になるものもずいぶんあると思うんですけれども、今年のアニメ界を象徴するものとして例の「ヤマト」のヒットがあります。その要因あたりから話をはじめましょうか。

Kenji Yokoyama. ひとつは、テレビ放映後、全国各地にできたファンクラブを制作者が正確に把握していたことがありますね。それと宣伝力がしつこいというか、すばらしかった。

Tezuka. そのふたつの要因だけなんでしょうか?

Yutaka Fujioka. それと、あれは“国民映画〟じゃないかという見方をしていた人も多かったですね、私をふくめまして。

Tezuka. なるほど、吉川英治ですね(笑)。

Fujioka. あの作品のモチーフは、日本人好みのセンチメントを臆せずてらわずストレートにだしている。 そのアクの強さが広く受け入れられたんじゃないでしょうか。

Masaharu Endo. ぼくも藤岡さんと同意見ですが、ただ、西崎氏がSFブームを先取りしていて、それが的中したということは見ていて拍手したいほどですね。

Tezuka. でも、それは偶然でしょう?

Hiroshi Sasagawa. ......なぜ、大人に近い人たちがアニメに興味をもちだしたかというと、彼らは子どものときからアニメを見ているわけですよね。 で、 この人たちが成長してきた。 すると、まさか「おばQ」に拍手するわけにはいかないから(笑) 「ヤマト」を見る。 ちょうど彼らにピッタリくる作品だったわけだし・・・

Tezuka. けど「ヤマト」がズバぬけてあたったというのは、小さい連中が育ってきて発言力をもってきたということだけでは、語りきれないと思うんですけど......。

Yoshiyuki Tomino. ...... 「ヤマト」の場合、女の子の支持層が圧倒的に多いんですが、 キザないい方をすれば“「ヤマト」のなかに男を見たい”という気分があったんじゃないでしょうか。

Tezuka. なるほど。逆にいうと男"を描いているということですね。

Tomino. 描いているかどうかは、また別問題ですけど。

Fujioka. 国民的英雄だから(笑)。

Tomino. そうですね、ナショナリズムとドッキングしている部分はまちがいなくありますし......。

Endo. けど、無邪気な人間の歌というのかな、そういうものはあの作品にでていますね。 西崎氏はたしか昭和8年生まれで、ぼくと同じ世代なんだけど、その時代に人格形成した人間の歌というか、郷愁みたいなものが非常に純粋に表現されていたのは印象的でしたね。

Tezuka. ということは、古いものに指向していくんですかね?。遠藤 いや、いまの複雑な時代にああいう純粋さをだせるということが一種の驚きだったんですよ。

Fujioka. でも、私は、いま手塚さんのおっしゃった古さへの指向が、潜在的にヤングのあいだにあるような気はしますね。そうとでも考えないかぎり、ああした戦争中の生き方の美学が受けるというのはほんとうによくわからないし......

Tezuka. ぼくは、あの受け方を見ていて、「明治天皇と日露大戦争」を思いだした(笑)。つまり、あれも戦争の中の男の浪花節でしょう。ま、「ヤマト」をあえて浪花節とはいわないけどね。 やはり、日本人というのはどんなに民主政治になっても、あるいは世代が若くても年老いても、ひとつぬけきれない。日本人意識” みたいなものがあるんじゃないかな。

Fujioka. そういうことになりますと、これから企画のたて方を根本的に考えなおさないといけませんね(笑)、シンケンに!!


2: 美形キャラの原点をさぐる!!>『それは敵というよりもライバルに近いんですか』

Tezuka. ところで、きょう、ボクは編集長からうかがいまして〝美形キャラ"というのをはじめて知ったんです。そういう呼び方はもう“常識”なんですか?

Tomino. 今年の傾向というのか、かなり以前からファンには浸透していますね。

Tezuka. まことに不勉強で申しわけないんですけど、たとえば「ヤマト」のデスラーのファンがものすごく多いというのはどういうことですか、悪人なんだけど。

Tomino. 美形キャラはサンライズ系のハイネルとかリヒテルとかいう部分で、すそかなり顕著に浮かびあがってきたキャ■フクターなんです。敵役が美形であったということでまずびっくりさせたのが4、5年前ですかね。

Tezuka. 美形キャラというのは完全な悪役ではないんでしょう。

Tomino. いや、完全な悪役ですね。これは特にこの3年ほどのサンライズの作品にかぎってのことなんですが「巨人」の星」のときも浪花節を持ちこんで美形キャラというものを成立させていますので、そういう意味では「ヤマト」のナショナリズムとやや通じるところはあるんじゃないですか。

Tezuka. そうすると、敵というよりもライバルですか。

Tomino. ライバルですね。「巨人の星」の花形満です。 それをひとつのロボットもの、戦闘ものという形のなかで、単に一方的な悪というとらえ方はせずに出していったんです。

Tezuka. これはいい勉強をしました。 今後おおいに参考にしましょう(笑)。

Endo. でも、それはいずれにしろあるんじゃないですか。 いわゆる、判官びいきというか......。

Tezuka. なるほどね、新撰組だと沖田総司になるわけだ。

Tomino. 最近、フファンレターを見ているとおもしろいんです。たとえば、ハイネルとかリヒテルの絵を印刷した自家製の便せんで書いてくるんですよね(笑)。

Tezuka. ウーン、すごいね。「ガッチャマ「ン」にも、そういうのはいるんですか?

Sasagawa. ベルク・カッツエなんかそうですね。それと「タイムボカン」シリーズというのがあるんですが、3人組が受けちゃいまして、悪役だけを残して「ヤッターマン」というのが2年つづいたんです。 こんど、2月から第3シリーズが、悪役はそのままで開始します。これなんか、まったく悪役が主役ですよ(笑)。

Yokoyama. ぼくが思うには、美形の悪役というのはスポ根から来ているという気がしますね。野球にしろボクシングにしろレーサーにしろ、かならずあるわけです。それをロボットの世界に持ちこんでひとつの理由づけをして、悪な悪の論理性を持たせているということですね。すると作品をつくるうえで、非常にハバができる。 また、そういう新しい息を吹き入れなくちゃ、もたなくなったということもありましたけど。

Endo. ちゃん"じゃけっしてない。 親にいつもだめだといわれることをかげでこそこそしたいというか、それがだめだと親に反抗する形ででてくる。つまり悪そうした一種のカタル役というのは、シスとしてでてきたんじゃないかな。

Sasagawa. 悪役は描きやすいですしね。

Fujioka. そうすると、送り手の側にライバルとか敵役を描くときに、ものすごいエネルギーをついやす傾向があるということになる(笑)。

Tomino. 藤岡さんのところの「ルパン」はまさしくそうですよね。なにしろ、登場人物全員がワルという作品なんだから。

Endo. それと、アニメーションを作るやつ自体が〝ワル"なんじゃないかな(笑)。

3. NHKアニメ開始と10年目を迎えた「サザエさん」『外国ものに限定する必要はないと思うんだけど』

Tezuka. NHKがはじめてアニメを放映したということは、今年のビッグニュースだと思うんですが「コナン」からはじまって「フューチャー」となり、来年にはもう1本ふえる。「マルコの冒険」ですか。

Sasagawa. 実写とアニメの合成らしいですね。

Tezuka. NHKというのは「コナン」にしても「フューチャー」にしても、ななにんで外国ものを使うんですかね。

Fujioka. このあいだ、NHKの仕事があったときに「まんが日本昔話」みたいな番組こそ、NHKがやらなければならない仕事じゃないかといったんです。かつて、NHKがアニメーションをやろうとした時期がございますね。そのときに民間放送がアニメーション映画で子ども番組のある部分を構成してまして、業界を荒らしちゃいけないみたいなことがあったという話を聞いてるんです。荒らしちゃいけないということばがどういう実態のことか知りませんが、それじゃ、手びかえましょうということになって、またしばらくして、どういう形で起こったのかわからないけど「未来少年コナン」がはじまった。

Yokoyama. ただぼくは、NHKがアニメをやるということには大賛成ですね。 しかし、作品的には日本的内容のものが、ずっとベターだろうと思います。 それに見あうものを、何人かブレーンを集めて作ったほうがもちろんいいんで、なにも外国ものに限定する必要はないと思うんですが。

Fujioka. 民間放送がこれだけ多発してますよね。NHKとしてはそれこそ聴視料を徴収しているんですから、その責任上確信を持った方向をだすべきですね。

Tezuka. この「アニメージュ」はNHKにかならず送ってくださいね(笑)。ころで「サザエさん」が10年目を迎えたんだそうです。これはアメリカでもめずらしいくらいの長期番組だと思うんですけれども、ぼくもこんなにつづくとは思わなかった。つまり「サザエさん」だってアニメだから、あるところまでくるとあきてくるんじゃないかと思っていたところが、10年目でまだベラボウな視聴率をとっている。これはたいへん、りっぱなことだと思うんですよ。

Tomino. ほんとの意味で国民映画というか、国民テレビ番組というか。

Yokoyama. 「サザエさん」というのはアニメーションなのかな(笑)。 非常におもしろいし、それでいちばんだれもなにもいわないという作品ですね。

Fujioka. 空気みたいなもんですね。

Tezuka. でも、空気になればりっぱなもんですよね。

Fujioka. これは切実な体験ですけど私のまわりの連中が「サザエさん」のウラでは、ワクどりをしないでくれというんです。つまり、視聴者は「サザエさん」を10年間見てきて、いま「サザエさん」を見ることをやめることはぜったい、ありえないというんです。 視聴習慣なんですね。その習慣も10年つづけばりっぱなもんですね。

Endo. ぼくの親戚の子どもたちは「サザエさん」のあいだ、オモチャで遊んでいるんです。で、ときたま、テレビのほうに顔を向ける。見てないんだなと思ってチャンネルをまわそうとすると、突然、怒りだすんです。不思議な現象ですね。

Tezuka. 考えたら、1年で52週、10年で520、しかも3本ずつ入っているか500本ですか、なんともは計1や、困ったなあ(笑)。

4. 名作もの花さ「テレビはおじいさんやおばあさんのかわりなんだ』

Tezuka. それから、今年の傾向として名作ものが依然として多いということがいえますね。「星の王子さま」なんかもふくめて、日本アニメのものまで。 これは、来年もまだつづきますかね。

Yokoyama. つづくんじゃないですか。というのは、ひとつには局とかスポンサー関係というのはまだまだ保守的なんですね。ぼくは自分のオリジナルでものをつくってアタックしたりしていますけど、やっぱりどうしても安定路線をねらいたいわけですよ。ただ、個人的な見解でいうと、ぼくは名作ものを映像化したくありません。というのも、名作は、子どもたちに活字で読んでもらいたいという気持ちがすごくあるので。

Tezuka. いいおとうさんだ(笑)。

Endo. ただ、名作路線を最初にやった日本アニメーションに所属するものとしてひと言いいたいのは、たとえば、「ハイジ」というだれでも知っていると思われるようなものを、当時のプロデューサーがなぜ企画したか。 これほどポピュラーなものはない。だれでも知ってるし、子どものころ読んでいる。ただ、当時のプロデューサーがいった。のは、ほんとうは知っていそうで知らないんだ、要するに読んでいそうでいて、あまりにもポピュラーなために読んでいないということはないだろうか。それでそれを映像化して見せる。それによって、名作というものをもういっぺん人々に考えさせたい。もちろん、名作の本質というものはできるだけだしたいけれども、要するにテレビ媒体というものを意識してつくろう。つまり、52本もつくろうということは、できるだけ克明に描きたかったわけですね。

Yokoyama. それは正解だと思いますね。

Endo. 最近の子どもは、字づらでものを想像できないということをよく聞きますね。それが「ハイジ」を放映してから、原作がすごく売れたわけです。ですから、名作を映像で見ることによってもう一度読むという形でもけっして悪くないんじゃないかと思うんです。たとえばあの角川の......。

Sasagawa. 『読んでから見るか、見てから読むか?』

Fujioka. 『映画は原作をしのげるか」です(笑)

Endo. その相乗性は否定できないんじゃないか。

Yokoyama. そういう形でなら、ぼくもいいと思いますけど。

Fujioka. それと、名作ものが多くなってきたという問題は、テレビの機能論に帰すべきだとも思いますね。テレビというのは、核家族化した日本人の生活構造のなかで、むかしだったらおじいさんが語り、おばあさんが耳もとでささやく物語を、テレビが語ってくれる。それはやっぱりテレビというひとつの媒体、あるいはブラウン管というもの家族構成のある大きな、人間の代替的な役割を果たしてきたと思うんです。あれはぜひ成功してもらいたいと思っていたし、また、現実に成功しましたね。

Tomino. 督としてはロボットものしかやけど、ぼくは、この2、3年監っていませんけど、ひとつ、痛感したことがあるんです。それは、日本の視聴者というのはすごくまじめなんだなあということですね。それが、ロボットもののなかでさえ、そういえる。ぼくはじつをいうと、すこし残念なんです。 というのも、ぼくは、本来、マンガやアニメは〝俗悪”であるべきだと考えていたんです。親に隠れて見るというエネルギーがあったからこそマンガの位置づけがあったような気がしていたんですがね。

5. いろんな話題『声優さん人気、ディズニーのテレビ放映そのほか』
Tezuka. あと、今年の話題としては、優さんが注目を浴びたこともありますね。

Fujioka. 浮かびあがりましたね、声優さんは。 先日、豊島園 (東京)で「ルパン三世」のファンクラブ大会をやって山田康雄さんをよんだんです。ところが、その日、雨が降りましてね。会場が屋外だったので中止にしようと思ったら、なんと朝の3、4時ごろからファンが列を作って待っているという。仕方がないので雨ガッパをかぶりながらやりましたよ(笑)。

Endo. ただ、声優さんのことでいうと、最近は「アフレコ」じゃなく「プレレコ」になってきたという問題がありますね。絵のほうがまにあわないので、声優さんが先に声を入れちゃう。ま、いいか悪いかはべつにして、ぼくはプレレコ主義なんです。というのも、予測しえなかった効果を生む場合がある。たとえば「ムーミン」のときの〝ンパッパ"は、どうのばしても口がまだ動いているので苦しまぎれにくっつけたんですよね(笑)。でも、その偶然がすごいおもしろさを生んだ。ぼくは、 それに期待するときが多いんですよね。

Fujioka. 「ルパン」は逆ですね。というのもルパンでは5人の役者のコンビネーションで、アドリブがものすごく入るんです。だから、ある程度、絵ができあがってないと、ぐあいが悪くて・・

Sasagawa. 役者は演技しようと思って頑張ってますからね。

Tezuka. でも、これだけアニメが多くなると、声優さんのかけもちもなんとかならないかと思うんです。ぼくもじつは「バンダーブック」のブラックジャックがまさか、デスラーと同じ人だとは知らなかった(笑)。ずいぶん、抗議の手紙が来ました。イメージがまったくかわるっていって(笑)。

Tezuka. それと、今年はディズニーの劇場用映画がはじめて日本のテレビにのって放映されました。これも画期的なことだと思います。「ダンボ」にはじまってどんどんでてくるわけですが、たいへん残念なことに「ダンボ」の視聴率はあんまりよくないんですね。ディズニーイズムの衰退というより、やはりテレビにのったときの評価のちがいというんですか、ちょっとさびしい気がしたんです。あと、ニュースとしては「ガッチャマン」がむこうに売れたんですか?

Sasagawa. 売れました。

Tezuka. これはたいへん明るいニュースです。こちらの人がむこうまでいって、むこうでアメリカふうになおしたんですね。

Sasagawa. アメリカで編集しなおしてダビングもしなおすんです。そのようすを見てきたんですけど、こちらは手を加える余地がぜんぜんないんですよ。

Tezuka. ハンナ・バーバラがあそこでやったとかいってたけど。

Sasagawa. 部分的に書きたしの部分がどうしてもでてくるわけです。それをハンナ・バーバラに。全体じゃなくて部分だけでしょうけどね、それを入れて。

Tezuka. これはおめでたい、いいニュースですね。私、アメリカに行っていろいろ調べると、日本のアニメーションというのはどれもおなじに見えてしまって。というのは、つまり主人公はみんな眉毛が太くて、女の子は目が大きくて目のなかに星があるということだったんですけれど、そのなかでも「ガッチャマン」は評判がたいへんよかったですからね。

Fujioka. 比較的美しいですよね。

Tezuka. あと、まったくみなさんとは関係ない時点のアニメというのもかなりあるんです。ひとつは"アニメ研〟と称する会が、かなり自主的にアニメ上映会を行なっています。たとえば「ぴあ」あたりでアニメ・フェスティバルなんてのもやっているわけです。そういうアニメを見ますと、半分ぐらいはテレビアニメの焼き直しなんですよね。そして残り半分はまったく実験アニメの形態なんです。

Fujioka. その点については、手塚先生にまたまたお願いすることがあると思います。ぜひその橋渡しを。

Tezuka. ま、それだけじゃなしに、いつだったか紀伊国屋(東京)でテレビアニと実験アニメの両方のフェスティバルをやりましたよね。これがひとつのいまいわれた橋渡しなんです。つまり、テレビアニメは人気があるからそれでお客を呼んで、こういうアニメもあるという紹介もやったわけなんです。それからアニメ界内のニュースとしては、今年4月に「日本アニメーション協会」ができました。 70人の会員がいまして、久里洋二さんとか月岡貞夫さんなんかが入っています。これはアニメーターというよりも作家ですね。この会が国際アニメーション協会とむすびついて、国際的にはそのアニメを広めていくという趣旨らしいんですが、たいへんいいことだと思いますね。

6. この1年をふりかえって「いま一番必要なのはアニメーターの養成です』

Tezuka. ところで、かなり急ぎ足に1年をふり返ってきたんですが、来年への展望ということになると、みなさん、どうお考えになりますか?

Fujioka. ちょっと視点がはずれるかもしれませんが、ぼくは「ヤマト」などでいちばん感じるのは演技”不足なんです。で、これをつきつめていくと、アニメの今日を語る場合に、やはり「アトム」をテレビにのせた手塚先生の罪の深さというのは大きいと思うんです(笑) つまり、リミテッド・アニメは、まさに世界のテレビにおいて、アニメが子ども文化として生きのびていくただひとつの手がかりであったわけですが、それが悪い方向にいくと演技不在になってしまう。

Tezuka. (笑)いや、やっぱり、それは人材不足の最たるもんだと思いますよ。わりとシロウトに近い人たちが、ま、これはみなさんの前で申しわけないけれども、会社にはいると2、3か月ですぐ起用されて、わりといいポストの原画を書かれるでしょう。これじゃ、やっぱり演技はできないでしょう。

Fujioka. ですから、やっぱりリミテッド・アニメーションという手塚先生の用語から今日の実態があるわけですから、これはひとつ手塚先生に、なにか呼びかけをしてもらわないと、罪ほろぼしはできませんな(笑)。

Tezuka. ただ、ぼくが考えてたリミテッド・アニメっていうのは〝劇画”じゃなかったんです。つまり、演技をやるとかいうんじゃなくて、リミテッドなリミテッドのおもしろさを追求してほしかったんです。つまり、人物が急に消えたり止まったり、これは演技じゃないですよね。はっきりいうと超現実的なアクションでしょう。やはりぼくたちがねらっていたものは「街角の物語」とか、わりとフルアニメに近いもので、それは芝居をやらせようと思っていましたね。当時の東映さんの、たとえば「ホルスの大冒険」とか、ああいったようなものは、これこそほんとうに演技で生きるキャラクターでしたよね。ま「巨人の星」あたりがその中間にいくんでしょうかね。つまり、演技もやってリミテッド・アニメっていうの、これは基本的にはむずかしいですよね。このあいだ、非常に驚いたのは、子どもの投書で、クチセルが動いているだけでも、止まっている絵が非常にムードをかもしだしていれば、それで私たちはアニメだと思いますという内容が書いてあって、ぼくは自分を恥じたんです。こういう世界になったのかと思って(笑)。

Fujioka. そういう意味で、きびしい訓練をみずからをふくめてやりなおさなければならんのじゃないかと、近ごろよく思います。じつはこのあいだ、アメリカへ行きまして、ウインザー・マッケイの「リトル・ニモ」の映像側の権利を買ってきたんです。ご承知のように、アメリカでいちばん最初にアニメ映画を作ったところですね。で、これは日本人の知恵だけでは作りきれないと思って、いろいろ捜したところ、ワーナー系の「バックス・バニー」を作ったチャック・ジョーンズがいいということになったんです。

Tezuka. プロダクションをもってますね。

Fujioka. で、彼と会って話したら、開口一番こういうんです。「受け手の印象度はどういう形ではかられるかわかりますか、いったい、どこにあると思いますか」と。で、つづけて「これはある場面の動きです。演技”ですよ、それを確信できないなら、私はお手伝いできません」 私はすぐさま、彼と組んでやろうと思いましたね。けど、ふとふりかえって、彼のよびかけにこたえられる仕事をほんとうにやっていけるのかと考えたら、さびしくなったんです。というのも、おそらく、日本で、彼と四つに組んでやれるというスタッフが、はたして何人いるか?!?!

Tezuka. .....

Fujioka. しかし、私は、このアニメというジャンルが、永久的に表現媒体として成長していくためには、この仕事を生涯の計画のなかにかかえこまなきゃだめだなと思うんですよ。

Tezuka. 藤岡さんの希望をかなえるには、まずフルアニメができる人をたくさん養成しなきゃだめですね。

Fujioka. ですから、その人たちが正常に育つだけの条件をつくっていかなきゃなりませんね。

Tezuka. フルアニメの人がリミテッドをやりますと、ポイントがわかるんですね。それで絵になるわけですからね。

7.'79年へむけての抱負『ぼくは日本人の神話を作ってみたいと思っている』

Tezuka. では、最後にみなさんの10年へむけての抱負をおききしたいんですが、まず、遠藤さん。

Endo. ぼくの場合、いま追求しているのは、ひとつは動物もの。それから日本の風土に根ざした日本神話を考えています。アニメの強みを発揮して、もういっぺんアニメで日本人の神話をつくってみたいと思ってたんですが「火の鳥」をやられちゃったんで、これは....。

Tezuka. 「火の鳥」はSFだから。

Endo. ま、いいんですが(笑)。つまり、そういうのがありまして、ですから、ぼくはいま、日本画を研究しているんです。つまり、海外にむけて、これは日本の作品であるといえるものを追求してみたいというのがひとつありますね。で、内容は日本の歴史がもっと豊かなものであったことを訴えてみたいと思うんです。たとえば、アメリカ人は芝生を育てるのにスプリンクラーで水をまくけど、日本人は、芝生のなかの雑草を1本1本ぬいてゆく民族だと思うんです。そのあたりをぼくは非常に感情が豊かだと思うんだけど、描いてみたいですね、笑われるかもしれないけど原日本人”を。あるいは「ヤマト」に通じるテーマかもしれませんが。

Tezuka. 横山さんのつくりたいのはどういうものですか。

Yokoyama. ぼくはまったく純粋なんですよ。いままでをふりかえって、少女ものな「魔法使いサリー」から「アッコちゃん」とかやってきて、ロボットものならバンと「マジンガーZ」というのをやったわけです。そこでぼくの考えるアニメというのは非常に極端から極端にいくんじゃなくて、もう日常でまったくいい、日常のことをやろうじゃないかという感じが、いまするんです。子どもたちのなかにはいっちゃおうじゃないかというね。自分では、いろんなひとつの路線みたいなことをやり過ぎたために散っちゃってるのかなあとは思うんですが......。

Tezuka. それだと「サザエさん」になっちゃいませんか。

Yokoyama. いや「サザエさん」にはならないでしょう。いま松本先生の「銀河鉄道999」をやっているんですが、自分なりに先を見越してるつもりなんです。「スター・ウォーズ」「クローズ・エンカウンター」、そして西崎氏の「ヤマト」もあるよという社会の流れのなかで、そのあとにくるのは、もっとゆったりした非常に経済的にゆとりのあるところへ行くはずだと......。 そしていちばんほしいのはロマンじゃないか、ゆったりした気持ちのものではないかと思ったわけです。

Tezuka. 藤岡さんはどうですか。

Fujioka. 壮大なファンタジーをアニメーションでやってみたいですね。テレビっていうのはむりでしょうけど、ファンタスティックなイメージというのはイラストなんかじゃなくて、やっぱりアニメーションだと思いたい。これが、本来のアニメーション映画の得意とする真骨頂ではないかと思います。 具体的に企画も考えていますけど......。

Tezuka. 富野さんはどうですか。

Tomino. 単純にいっちゃうと、横山さんとやや意見を異にするんですが、 人間の力というのはいつの時代でも人間にはあると思うんです。 この2、3年アニメがもてはやされている現象のなかでいちばんきらいなことは、情緒とことばだけで、人間の実態というもののエネルギーまでファッション化しているという風潮です。正直いって、そうしたものをこわしたい。そういうものをつくれれば素敵だなと思うし、そういう力を自分自身のなかに身につけたい。どんなジャンルのものでもいいんですけど。

Yokoyama. 反省しちゃってるんじゃない。

Tezuka. いや、反省というのは建設につながるからいいんですよ(笑)。

Tomino. そういう意味でぼく自身、それなりの確信があるんですけれども・・・・・・。ことばでいえるような簡単なものじゃないという部分が正直いってありますし、そうした意味で、手塚先生のやっていらっしゃる「火の鳥」の底流に流れているものにも共感します。

Tezuka. 笹川さんはどうでますか。

Sasagawa. 私はそんなむずかしいことではないんですけれども、技術的にもいまアニメーションでやっているのは、セルに線画で絵を描いていますが、これはもう限界に来てると思うんです。 極端にいえば、物語がなくても、それか絵だけじゃなくて実写とか、ぜんぶひっくるめてたのしいやつでもいいと思うんです。そういう意味で新しいアニメーションの世界をつくりあげてみたいような気がします。

Edtor. ところで、手塚先生ご自身はいかがなんですか?

Tezuka. きょうのぼくは、司会者ですから(笑)。

Yokoyama. 最後に、これはいっておきたいんですけど、ま、先生がいちばんよくわかってると思うんですけど、要するアニメにもっとお金をかけてみたいですね。

Tezuka. これは全体意見としていえますね。ここのところは五号活字ぐらいにしといてください(笑)。

June

Music Discussion Panel:

Takeo Watanabe
Yuko Kishia
Mitsuko Horie
Atsumi Tashiro
Hidetoshi Kimura


「アニメに従属する音楽はもう作りたくないんだ!!」
音楽か映像か!? いま、 アニメ音楽は80年に向けて大きく変わろうとしている。もはや、音楽なしの映像は考えられないし、同時に、映像のない音楽だって考えられない時代なのだ。 アニメージュでは、アニメ音楽の第一人者に集まってもらい、 「80年代のアニメ」 音楽について徹底討論してもらった。
アニメ界初の海外録音だった「アルプスの少女ハイジ

AM.「きょうは『アニメ音楽はどうあるべきか!?』というお話をしていただきたいと思っていますが、まず、そのとっかかりとして、みなさん、ご自分でお作りになった想い出の曲から話していただけませんか。渡辺さんの場合、ずいぶん曲が多いようですが・・・・・・」

Takeo Watanabe. 「やっぱり、ぼくの場合は『ハイジ』の『おしえて』と『まっててごらん』ですね。あの曲は、3週間かけて、スイスのチューリッヒ取材に出かけたこともあって、特に印象深いんですが、ああ、ここに自分がもう一回空気を吸える場所があると思って、心をこめた作品だったんですねえ」

Hidetoshi Kimura.「録音も、はじめて海外でやりまししね」

Watanabe. 「スタッフも向こうの人たちを使っ演奏したし、それに詩がすてきだった。じつをいうと、岸田さんと私、コンビが多いんですけど、お会いするのは、きょうがはじめてですね」

Yuko Kishida.「そうですね。『ハイジ』のとき、たしか、電話で話したくらいで・・・・・・」

Watanabe. 「それと、もうひとつは『キャンディ・キャンディ』です。これは『ハイジ』とは逆の意味で、よし、思い切って、レコードを売ってみようと思ってかいた作品なんです」

AM.「成功しましたね。けど、売れる曲のかき方というのはあるんですか?」

Watanabe. 「ありますね。ことばにはしにくい部分なんですけど」

AM.「堀江さんは、そのへんのいきさつは知っていたんですか?」

Mitsuko Horie.「ええ、もうスタジオに入る前から渡辺先生が『これ、売るからな』とおっしゃって……(笑)

AM.『キャンディ』の話がでたところで、堀江さんの想い出に残る曲というのは?!」

Horie. 「誤解されやすいいい方になるのかもしれないけど、やはり、はじめてヒット賞をいただいた『キャンディ』 ですね。舞台でも一番多く歌っていますし。それに、この曲で、私という存在が一般的になったでしょう(笑)。とても、自分にとって、センセーショナルな曲だったと思うんです。それと『まんがこども文庫』これは苦労したので印象深いです」

AM.「何に苦労したんですか?」

Horie.「作詞の岸田先生も、作曲の宇野先生も独特の感性の中で生きていらっしゃる方でしょう。おふたりのことを理解しようとすると、むずかしくて、それに、岸田先生の詩は、最初見たとき、こわかったんです」

Kishida.「どこが、こわいのかしら?」

Horie.「あまりにもナイーブというのか、とぎすまされていて、その曲を歌うまでに自分をもっていくのがとてもむずかしく、また、こわかったですね。それに録音のときは、田代さんがコワイ顔でにらんでらっしゃったし......」

Atsumi Tashiro. (笑)横から口をはさんで申しわけないんですけど、ミッチーがいったように、ぼくの中にも『とぎすましてみたい』というものがありますね。つまり、ミッチーがぼくを刺激してくれるんですよね。だから、ぼくにとってミッチーは非常にいい存在の歌い手ですね」

AM.「ところで、田代さんの場合はいかがですか?」

Tashiro.「作品としての想い出というと『ジャングル大帝』ですね。それと、いま、ミッチーがいった『まんがこども文庫』のオープニング。これは、自分の目だけを信じて、あんまり、大衆の目というものを意識せずに作った作品なんです。だから、いま、子どもたちは何をほしがっているか…なんて何も考えなかったし、ただ、こちら側から、こういうものを作って子どもに渡したいと思った作品ですからね」

何年かのちにきっといい結果をうむ『まんがこども文庫』

AM.「岸田さんの場合はいかがですか?」

Kishida.「最初に依頼された『ハイジ』は思い出というほど古くないんだけれど、書きやすかったですね。というのは、私、やっぱり山小屋に暮らしていることが長かったし、だいたい、同じような環境の中で生活していたから、ほんとうに苦労しないで書けました。それと、私、この曲を聞いたとき、これだったらぜったいみんながすきになると思ったんです」

Kimura.「背スジがゾクゾクッとしましたね。"寒け"というんですか、トリ肌が立った。あのヨーデルがでてきたとき、傑作だと思いましたね」

AM.「さっき、話題になった『まんがこども文庫』はどうでしたか?」

Kishida.「あれは、私、そのころ沼津にいて、田代さんがわざわざいらっしゃって、とても熱っぽくいろいろお話を聞いたのが印象的でしたね。田代さん、私の幼友だちの谷川俊太郎とどこか似ていらっしゃるんで、はじめはハッとしたんです(笑)。で、お話していて、こういう方向もあるんだな、と思って『売れるかどうかわからないけど、やってみたい』とおっしゃったんですけど、そういうワクをはなれて書けたのが、とってもよかっ漠然としてましたけど」

AM.「歌の題名は岸田さんがおつけになるんですか?」

Kishida.「ええ、そうですね。しゃべりことばが多いんですけど」

AM. 「木村さんのプロデュースなさった作品というと、そのままでアニメ音楽史になると思うんですけど・・・・・・」

Kimura.「でも、印象に残るというと限られてきますね。年代順にいうと、やっぱり『ジャングル大帝』です。田代ちゃんとはじめて組んだ仕事でしたね。子どものための交響詩『ジャングル大帝』当時としては、画期的なレコードでしたね。そのつぎは「紅三四郎」。これは、ミッチーが歌ったからじゃなくて(笑)はじめて子飼いの子に歌わせた曲だからなんです。それまでは、い手は、ぜんぶ借りものだったんですよ『ジャングル』も、弘田三枝子を借りたし。すごく印象的なことでしたね。そのつぎは『ハイジ』。はじめての海外録音だったし、それが大ヒットしたこと。じつをいうと、海外録音ということで、ぼくが出張する前夜までOKがでなかったんです(笑)」

AM.「どういうことだったんですか?」

Kimura.「予算的なこともあったし、いろん機材ももっていかなきゃならなかったでしょう。うちの内部では大反対でしたね(笑)」

AM. 「それじゃ、それなりの覚悟をなさってかけあったんですね」

Kimura.「クビをかけましたね。 渡辺先生にも大変な迷惑をかけてしまうわけだから」

Watanabe.「つぎの日の夕方でしたね、出発したのは」

Kimura.「そうです。 で、成功した。ぼくは、会社に『ザマアミロ』という感じでしたね。以来、会社は何もいわなくなりましたよ(笑)。で、つぎは『ヤマト』です」

AM.「大ヒットしましたね」

Kimura.「ヤマトの発火は、もともと「テレビマンガ主題歌』のレコード化にあったんです。というのも、じつは、あれは1回、ウチの会議にかけて、流れた企画なんです。「だれが、そんな古いものを買うんだ』といわれましてね。けど、私としては、どうしても、自分の作ってきた作品をまとめておきたかった。で、再度、がんばったら、これが、大ヒット。そのときに、ファンの人の手紙をよんでたら、『ヤマト』だけをだしてくれという手紙がものすごく来たんです。よし、これをいっちょう、やってみようかと思いまして、西崎義展)さんに話したら、彼も『映画でやろうと思っている」という。で、うちのを出したら、予約予約で、ものすごい予約になった。ぼくにとっては思い出深い作品になりましたね」

AM.「最近のものでなにか!?」

Kimura.「『まんがこども文庫』です。金をかけたことでは、右にでるものはないし、それもさることながら、新しい試み、これが何年かのちにきっといい結果を生むと思うんです。田代さんもライフワークだとおっしゃるし、それに100年はつづけたいという。じゃ、どうせやるなら、ひとつひとつ音楽を作品にしていこうということになって、動員した作曲家の数は4人くらいになりましたからね」

Tashiro.「15分ものをぜんぶ、1人ずつが作品を書くことになりますからね」

何度も歌っているうちに自然に湧いてくる歌い方がある

AM.「ところで、みなさんに、それぞれ想い出の曲を語っていただいたわけですが、それにのっとったうえで、アニメ音楽は今後どうあるべきかを話していただきたいと思うんですが......」

Kimura.「まず、ほかの歌とはちがって、アニメの音楽の姿勢の問題があるんじゃないですか!?」

Watanabe.「音楽性の問題ですね」

Kimura.「ぼくは2つあると思うんです。ひとつは、愛唱されてほしいということ。いまひとつは、その歌が、いつまでも残ってほしいということ、つまり、音楽独自の独立性というか。音楽は映像と密着すると同時に離れていってほしいんです」

Watanabe. 「そうですね。だから、ぼくが、いつも、ミッチーに要求するのは、変な個性じゃなくて音楽的に歌わせるのを優先させます。極端なことをいえば、顔はいらないんですよね。まあ、顔もいいけど(笑)」

Horie. 「......(笑)けど、成長してくると、どうしても自分というものがでてきますう。だから、最近の悩みは、自分をまったくださずに歌うか、それとも、自分はこうなんだというものを残しながら歌ったほうがいいのか、ということですね」

AM. 「読者の質問にも、どうして曲によって声がちがうんですかっていうのがありますね」

Horie.「私も不思議なんです。まったく作っていないのに、どうしてか、と」

Watanabe. けど、それは、もともと彼女のもっているものなんですよね。曲と詩につられて彼女が入っていったものがでてくるんですからね」

Kimura.「私が、有名タレントを使ってアニメの歌を歌わせる時代じゃないって気がして、それに気づいたのは、もう十何年前なんです。ミッチーがたしかまだ11歳でしたね。で、彼女を見て、彼女ならアニメの歌を歌うのをライフワークにしてくれるだろうと願った。それが、アニメの歌にとって一番大事なことだと思った。だから、彼女が悩んでいるのは、自分の個性をつくりたいという問題なんだけど、歌を評価するのは自分じゃないということをわかってほしいですね。つまりコード大賞をもらった人が、なぜ、ダになるかというと、自分のつまらない個性的な歌い方におぼれるからなんです」

Tashiro.「最近、われわれのあいだではやっていることばがあるんです。音楽、とくに、歌をとってるときに『トリ肌がたった』という表現を使うんです。いい歌というのは、ジーンとくるんですよね。 テクニックじゃなく、心から歌ってくれたときには、そう感じるものなんですよね」

Kimura.「だから、個性っていうのは作られるもんじゃないんだよね」

Horie.「そうですね。詩を見て、曲を聞いて、何度も何度も歌っているうちに、自然に湧いてくるという歌い方がありますからね」

Kimura.「だから、私は、10年たっても古くならない音楽を作りたいですね。歌い方も、曲も詩も」

Kishida.「話はちょっと違うかもしれませんけど、たとえば、うちも男の子と女の子がいるんで、いろんなテレビの曲を聞くんですけど、あれ? 聞いたことあるなと思う曲がときたまありますね。 それも最近、聞いたんじゃなくて、どうかすると戦争中に聞いた(笑) というようなものがありますね。そういう、日本人には受けるものっていうのは根強くあるんじゃないかしら」

Watanabe.「ヨナぬきソング”(日本的音楽トーンのこと)といって、いわゆる、日本人のブルーノート(アメリカ的音楽トーンのこと)みたいなものがありますね」

Kishida.「勇ましいものほどそうでしょう。哀調をおびてて」

Watanabe.「はい、コードをつけるととってもおかしいんですけど、日本の演歌は畑のあとGはぜったい、使っちゃいけないんですよね。ミソシとなると演歌じゃなくなるんです。ミシとかミラシってやると日本的になる。音楽的にはGを入れようと思っても弾いてみると、とっても気持ちが悪い」

Horie. 「アリスも、こうせつも、やっぱり私は演歌だと思う」

Kimura.「スローにアレンジ変えると、みんな、演歌になっちゃう」

Watanabe. 「音楽の本質は、日本人としての音楽ということがいえるんじゃないでしょうかね」

Kimura.「じつをいうと、私はいま、そのことで悩んでいるんです。近、海外へアニメが輸出されることがふえたんですが、たとえば、いま、アメリカに輸出されるのは、すべて、音楽がはずされちゃうんです。東南アジアはそのままなんですけどね。いま、フランスであたってる「グレンダイザー』も、向こうの歌に変わっていますしね。ところが、スペインでは、渡辺先生の曲がそっくり入って大ヒットになった。よく考えてみると、どうも、ラテン系民族と東南アジア民族は日本人とコミュニケートできるみたいで、北欧系のアングロサクソンとかゲルマンとはどうも感覚がちがうみたいですね」

海外にもひろく通用するアニメ音楽を作ってみたい AM.「さて、最後に、みなさん、今後はこういうものをやってみたい、というご希望がありましたら、この機会にぜひ、話していただきたいんですが、渡辺さんはどうですか?」

Watanabe. 「ぼくはまだ、宇宙ものをやっていないんで、そろそろ、どうかと思っています。われわれの土地の上には空があるということを的確にとらえた音楽ですね。それと、海。いま、ぼくはある企画で南太平洋に行くことになっているんだけど、海をかいてみたいですね」

Kimura.「紺碧の空か」

Watanabe.「じつをいうと前に一度、高2の息子を連れていったんですけれど、そのとき、息子がロックのカセットをもっていたんです。そしたら、途中でまるで聞かなくなった。 青い海を見ていると、音楽が必要でなくなるんですね。けど、ぜったい、音楽っていうのは、あると思う。いまは、まだ、それが何だかわかりませんけどね」

AM.「田代さんは!?」

Tashiro.「やはり、喜び、悩み、それから、痛い、かゆいというものを、直接、みんなといっしょに感じてもらえるような音楽をやっていきたいですね。ま、これはなにも、音楽にかぎったものじゃないですけど」

AM.「堀江さんの歌ってみたい歌は!?」

Horie.「売れる部分と歌ってみたい部分はまったくべつだと思うんですけど、やは歌い手としてやっているからには、自分の歌いたい歌を歌うために知名度を高めていきたいですね。その両方をうまくやっていくのは、ちょっと、むずかしいかもしれないけど、ぜいたくかな(笑)」

Kimura.「そんなことないよ。 11年もやっているんだから、そろそろ、真剣にミッチーにあった歌を探さなくちゃと、私も思ってるからね」

AM.「岸田さんは、メルヘン調の詩が多いんですが」

Kishida.「ちょっと傾向が似すぎているんで、変わったものをやりたいですね。たとえば、動物ものとか、 それと、私、おばけがすきだから、妖怪ものというんですか、そういうのを書きたいですね。私がそういう歌を作るのをみなさん、あまり、望まれないかもしれないけど」

Tashiro.「そんなことないですよ(笑)」

Kishida.「鬼の子とか、童話のほうでは、けっこう、そういうものを書いているんですよね」

AM.「木村さんのやりたいことというとどういうことになるんですか?」

Kimura.「2つあるんです。ひとつは、先ほどもちょっと話がでたんですが、海外に通用する音楽づくりをしたいということですね。世界でヒットさせてみたいですね。それは、歌だけじゃなくて、トータルな音楽としてね。二つ目は、やはり、アニメに従属する音楽じゃなくて、音楽とアニメが同格でありたい。音楽が作品として十二分に主張してもらいたいんです。つまり、いかにして、音楽を映像化するか、映像を音楽にするかという2つの同時進行の形で進んでいくもの、これをぜったい、やってみたいですね」

AM.「ま、アニメ音楽の方向性について語るには、2時間や3時間ではとても語りきれない部分があると思うんですが、いまの木村さんのおことばの中に、何かが見えるような気がします。きょうは、みなさん、どうもありがとうございました」

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