Saturday, November 12, 2022

Other Features in Animage 1979 - Part Two

July

Shingo Araki Feature

まんが家をめざしていたころ

「ぼくが「街」に投稿していたころ、荒木伸吾という、毎回上位入選のすごくいいもの描くやつがいたんだよね。さっそく、編集部で住所きいて彼の作品の批評なんか書いて送ったりしてたんだが、それがいつのまにかファンレターになっちゃって・・・・・・」(真崎守氏/まんが家)昭和30年。荒木伸吾、17歳。当時、名古屋に「セントラル文庫という出版社があり『街』という月刊のまんが誌を発行していた。彼は、この『街』での新人コンクールに難なく入賞するや、翌3年、はやくもプロのまんが家として『街』を舞台に作品を発表していく。だが『街』は、大手出版社のまんが誌とちがい、貸本屋向けの単行本だったため、原稿料も1ページ50~1000円という安さだった。そのうえ、ページ数も限られていて、1か月4~50ページしか与えられなかった。まんが家とは名ばかり。月、5000円ほどの原稿料では、とても生活をうるおすことはできない。しかし、彼のもって生まれた才能と忍耐力は、その後5年間で、約600本の作品を『街』から発表することになる。それから4年後の昭和38年、彼の手元に一通の手紙が舞いこんできた。差出人は森柾氏(真崎守)であった。

悩み、苦しみ、そして決意!!!

「虫プロで絵を描いてみたら…!!!」森柾氏からの誘いの手紙だった。森氏は当時、すでに雑誌まんがに見切りをつけ、手塚治虫の主宰する虫プロダクションでアニメーションの仕事に携わっていた。「いや、じつは荒木さんと同じところに住みたくて・・・」(真崎守/前出)荒木伸吾は、そのころ、まんがのカベにぶつかり、ペンが思うように進まず、苦しみとあせりの毎日を送ていた。そんな彼をじつは森氏は知っていたのである。こうした森氏のさりげなくも温かい思いやりが、仲間としての荒木に通じぬはずはなかった。「よし、東京へ行こう!手塚先生のもとで好きな絵が描けるなら、また新しい道がひらけるかもしれない」と、彼は一瞬思った。

アニメとの出会いは"レオ"

こうして荒木伸吾は翌昭和40年の6月はじめ、虫プロダクションの一社員として入社した。まんが家を断念するとき、少々とまどいはあったが、絵を描いて生きていけるならとわりきり、そのことにさほど抵抗は感じなかった。当時、虫プロはテレビアニメのメッカとして隆盛を誇り、社員30人におよぶ大世帯だった。ちょうどそのころ、日本初のカラーテレビまんが『ジャングル大帝』の製作が着々進められ、スタジオの中の熱気は、ともすると殺気に変わってしまうほどのムードだった。そんな中で彼がアニメーターとしての第一歩をふみだしたのが、なんとその後の虫プロの運命をかけたこの『ジャングル大帝』だったのである。アニメーターとしての初仕事にはあまりにも責任が重すぎる。が、それだけにやりがいがあると彼は思った。最初から、こんな重要な場に組み込まれた裏には、じつは荒木伸吾の才能をだれよりもよく知っている森柾氏(艦嘴製作担当当時「ジャング)の力があったのだろう。彼の最初の仕事は動画だった。絵を描くことには多少の自信はあったが、その時点では、アニメのアの字も知らなかった。銃の撃ち方も知らないで、兵士として前線に加わるようなものであった。まず、動画用紙にセットするタップの穴あけから教わらなければならない始末だった。そんな彼に一つ一つアニメの基礎を指導していったのが、斎藤博氏(現作画監督)であり、彦根範夫(蛎)赤堀幹治(永島慎二氏(現が家)などである。

追いつき、追いこせ!!

いざ実践に入った荒木伸吾だったが、そこであらためて手塚キャラクターのむずかしさを知らされた。そして、ただひたすら「線」をマスタすることのみに追われる毎日だった。こんなひたむきな努力が功を奏してか、彼は「ジャングル大帝」の後半で原画を数本担当するまでになっている。「荒木さんで驚いたのは〝黒ヒョウトットの逆襲〟の巻で、西部劇調の場面があり、何人かの人は時間をかけてもあまりいいものが上がらない。それをうけて荒木さんはいとも簡単に描き上げちゃった。それも、いままでに見たこともないアングルで。遠くから、レオの投げたテンガロンハットが輪を描いて画面いっぱいに飛んできたのには驚いたですね」(上梨一也氏/現行)アニメの世界に入り約1スタジオ・ゼロ作品「パーマン」年、はやくも彼の筆さばきは、アニメーターのあいだで注目をあびていた。そして『ジャングル大帝』の第2部である「進め!レオ」では、アニメーターとしての大先輩、山本暎一氏の班で原画を担当することになった。「彼は絵描きとして最初からすぐれていた。「進め!レオ」の第1話を見るとわかるが、雨の中でライヤをかばうレオのシーンで、ふつうは雨だけ流線で描くのだが、荒木氏はキャラクターまで流線で描いその斬新さがいまでも印家に残っている」劇調の間をからない。簡単いまルで。てんてこ舞いの中で作られた「リボンの騎士」遠くから、レオの投げたテンガロンハットが輪を描いて画面いっぱいに飛んできたのには驚いたですね」(上梨一也氏/現行)アニメの世界に入り約メーターとしての大先輩、山本暎一氏の班で原画を担当することになった。「彼は絵描きとして最初からすぐれていた。「進め!レオ」の第1話を見るとわかるが、雨の中でライヤをかばうレオのシーンで、ふつうは雨だけ流線で描くのだが、荒木氏はキャラクターまで流線で描いその斬新さがいまでも印に残っている」(仙本蝶咲)もはやこの時期、第一線のアニメーターとして台頭してきた彼は「進め!レオ」が終わると、山本暎一、斎藤博氏らとともに、アニメの下請けグループジャガード"メーターとしての大先輩山本暎一氏の班で原画を担当することになった。「彼は絵描きとして最初からすぐれていた。「進め!レオ」の第1話を見るとわかるが、雨の中でライヤをかばうレオのシーンで、ふつうは雨だけ流線で描くのだが、荒木氏はキャラクターまで流線で描いた。その斬新さがいまでも印に残っている」手塚調をはずして作られた「わスタジオ・ゼロ作品「パーマン」年、はやくも彼の筆さばきは、アニメーターのあいだで注目をあびていた。そして『ジャングル大帝』の第2部である「進め!レオ』では、アニ荒木アニメ〟開眼!!!いまでの手から一変しに取り組久々の大型作品だけにスタッフ間の熱気はものすごく、それぞれが新しい見せ方を競いあった。そして、荒木伸吾のタッチにますますさえが見られはじめた。スタッフは多少の彼の描く大胆にしてシャープな線まんが本来の線熱血ものの中で何と、いままでのアニメを無視した奇抜なアングルは、東映動画の人たちから「これはアニメではない」といわれたが、当時の新しい時代の新しやりたいアニメとしての方向性からいえばバツグンのできであった。製作は開始「飛雄馬の魔球を花形のバットが捕える場面があったが、そのスイングたるや、画面から飛びだしてくるのではないかと思うほどの迫力がありは、月1てきた。を結成「わなどを作画しいよいきがかかってくる。騎士」「ダイナミッビファンもはやこの時期、第一線のアニメーターとして台頭してきた彼は「進め!レオ』が終わると、山本暎一斎藤博氏らとともに、アニメの下請けグループジャガード”を結成し『マリンキッド』『リボンの騎士』『パーマン』『わんぱく探偵団』などを作画しいよいよ彼の腕にみがきがかかってくる。

"オーバーリアリズム" 出現!!

虫プロを離れたといっても、当時ジャガードの仕事のほとんどが虫プロ作品だった。そんな中に、突然飛びこんできたのが、雑誌まんがで大ヒットしていた『巨人の星』だった。いままでの手塚調のまんがっぽい作品から一変して、リアルな劇画調の作品に取り組まなければならない。それはジャガードの内部スタッフを一瞬悩ませたが、荒木には多少の自信があった。というのは、まんが家の川崎のぼるの線に自分本来の線が近いということ、それに熱血もの過去の自分のまんが作品の中で何本か手がけてきて、自分がやりたいジャンルでもあったからだ。そして、昭和42年秋、製作は開始された。『巨人の星』の作画と動画は、月1本の割でジャガードに入ってきた。久々の大型作品だけにスタッフ間の熱気はものすごく、それぞれが新しい見せ方を競いあった。そして、荒木伸吾のタッチにますますさえが見られはじめた。彼の描く大胆にしてシャープな線と、いままでのアニメを無視した奇抜なアングルは、東映動画の人たちから「これはアニメではない」といわれたが、当時の新しい時代の新しアニメとしての方向性からいえばバツグンのできであった。「飛雄馬の魔球を花形のバットが捕える場面があったが、そのスイングたるや、画面から飛びだしてくるのではないかと思うほどの迫力がありみんなをギョッとさせたものだ。それまでのアニメでも、リアルな手法を使ったものは何本か知っているが荒木氏のあのリアル+劇画調のデフォルメは、おそらくはじめてであろう。それ以来、その手法をぼくは、オーバーリアリズム"といっている。この話は視聴率も最高だったし、ぼく自身一本とられたという感があり、荒木氏に賞を与えるべきだと製作会社にかけあったが、受け入れてもらえず、ぼく個人で賞状と賞金をだして荒木氏の功績をたたえた」(長浜忠夫氏/シライス)仕事としての『巨人の星』はきびしかったが、荒木伸吾の持ち味を100パーセント表現できた作品として、その後の作品に大きく影響をおよぼしたといってよい。

劇画調アニメ大流行

センセーションを巻き起こし、その渦中にあった荒木伸吾にも、一方では暖かい春があった。昭和4年、彼は結婚し、そして、名古屋から母と弟もよびよせ、いっしょに暮らすことになったのだ。「『街』のころ、すばらしい作品を描いていたので名まえは知っていたが、そんな荒木氏が虫プロに入ったのだから驚いた。仕事の面ではぼくなど足もとにもおよばないが、遊びのほうではぼくが一枚上だったので、よ誘惑したが、まったくダメ。重傷のかたぶつでしたね。仕事の虫というか鬼だった。そんな荒木氏も、たまにぼくにはプライベートなつきあいをしてくれた。だから、奥さんと彼とのつきあいも、ぼくはよく知っいた」その後『巨人の星』にややおくれて、同じ川崎のぼるの「アニマル1』の作画に入った。この作品ではじめて、彼はジャガードの作画監督として製作にあたった。4年春、はじめての時代もの、石森章太郎の「佐武と市捕物控』に入った。この作品も絵劇画調に仕上げるというねらいから、原画をかなり克明に描かなければならなかった。ミ佐武と市〟の作画監督杉野昭夫氏(鶴:独ットパウス)だった。この作品を通して、杉野氏のもつ荒木伸吾にないデッサンと構図のとり方を学んだのだ。そして一方では山本映一氏が着々と企画を進めていた「かっぱのさら丸伝』(パイロットフィルム)のキャラ設定に入り、ここでは山本氏から荒木伸吾独自のオリジナル性を強要され、何回かの作り直しの末、やっと完成したが、ついに日の目を見るにいたらなかった。その後「どろろ」までをジャガードで過ごし、4年のはじめ彼はフリーとして一本立ちしていった。独立後の荒木は、本宮ひろ志の、『男一匹ガキ大将』浦野千賀子の『アタック11』の作画を手がけていく。

『ジョー』の魅力にひかれて...

が、ちょうどそのころ、梶原一騎、ちばてつやの『あしたのジョー』をジャガードで製作するという話を聞きこんだのだ。彼はその作品を描きたい一心から、またもやジャガードに舞いもどることになった。この「あしたのジョー」は、虫プロ側の作画監督が杉野昭夫、金山明博の両氏だった。そしてジャガード側の作画監督に荒木伸吾が選ばれた。3人は「街」以来の旧知の仲、気心と技量は十分すぎるほど知りつくしていたので、おたがい、紙の上での真剣勝負となった。そんな熱のこもった作品に失敗作は出るはずもなく、予想どおりすばらしい作品となった。『ジョー」の成功を見とどけた彼は、再び、ジャガードを出てフリーとなり「キックの鬼」「魔法のマコちゃん」『国松さまのお通りだい』『原始少リュウ」と作品の幅を広げていった。そして4年、自宅の2階を使ってスタジオ"というアニメグループを作り『月光仮面」「魔法使いチャッピー」などをはじめた。"チャッピー"でSLが登場する場面があったが、荒木氏は、ピストンや煙の動きをほくのねらい以上にだしてくれ、さすがに、すごい人だと感心した」(芹川有吾氏/東映動画)昭和44年春『デビルマン』で永井豪の作品に出会った。それは彼の出くわしたいままでの作品の中でもっとも異色なものだった。デビルマンのあのリアルさと脇役のまんがチックなアンバランスをどううめていくかに泣かされた。しかし、結果的には、この作品にかかわったため、彼はアニメーターとしての線の幅を大きく広げていったといえる。そしてその夏彼のアニメ史に残る『バビル2世」の準備に入った。

『バビル』で初のキャラ設定

当時、荒木伸吾はもう押しも押されもしないアニメーターとして、その感覚や線、動きや創造性を高く評価されていた。そんな彼を東映動画も見逃がしてはいなかった。荒木氏に『バビル』のキャラ設定をたのもう"「かっぱのさら丸伝』では、キャラクター設定をしたものの、その作品は、ついにおくら入りになってしまっていた。彼にとって、自分の力を試す絶好のチャンスだった。この作品では、基本的には原作のまんがにそうものだが、ほとんどの面では彼の才能にゆだねられていた。"バビル"で、ぼくたち背景の上にのせる”あたり原画”を見ると、パースがしっかりして、そのデッサン力と基礎の確かさにびっくりした。それから判断すると、荒木さんはたいへん熱っぽく、仕事にきびしい感じがした」(土田勇氏/現・東映動画)はじめてのキャラクター設定だったが、内容を盛り上げるにピッタリのできだったため、関係者の期待にじゅうぶんこたえることができたのだ。「ぼくもいっしょに仕事をしていたので、荒木さんのことはくわしく知っている。仕事に対してムダがなく、たいへんきびしい人だった。東映か荒木さんのグループ"Z"に入ったときは原画やレイアウトのとり方、など、ずいぶん教わり、ぼく自身、荒木さんの弟子だと思っている。そんな荒木さんの作品の中で『バビル2世」がいちばんすばらしいと思う。それは口ではうまくいえないが『巨人の星』にはないもう一つの魅力を感じる」(金田伊功氏現・スタジオ)このころスタジオZ"は、荒木伸吾の自宅から練馬のマンションに移転した。荒木伸吾の趣味に西部劇がある。完全なるマニアといってよい。その後手がけた『荒野の少年イサム」で、その西部劇に対する博識ぶりを発揮し、みんなをうならせた。

キャラ作り繁盛記

その時期。スタジオ”の6人のメンバーはそれぞれが1本の作品を作っていける力を持ちあわせていた。そんな中で、4年春、荒木は"Z"を後にフリーに返ったのだ。その第一作が『キューティ・ハニ―』のキャラ設定だった。この作品で、永井豪のもつ明るいお色気に苦労したが、やっと自分の絵との接点を見つけだすことができた。それまでに荒木伸吾が手がけて話題をよんだ作品は、おもにハードな作品が多かった。そんな中で一変し"ハニー"で打ちだした荒木タッチは大いに評価され、彼自身の代表作にあげられる。その後『魔女っ子メグちゃん」でファンタスティックな作品に挑戦し、返す刀で『柔道讃歌』を斬っている。昭和49年の末、山岡荘八原作のベストセラー、徳川家康の少年版として企画された『少年徳」川家康」のキャラクター設定にとりくんでいった。時代もこのとして「佐武と市』以来の作品だったが佐武市"とはまたちがい戦国もの、演出の田宮武氏から、時代考証の指導を受け、まとめていったのだ。

脇役が売れる原因!?

ともあれ、練馬区石神井の一室で荒木プロダクションは「明日」に向かって出発した。新生荒木プロは第1作として、永井豪の「グレンダイザー』を手がけることになった。仕事内容は、キャラクター設定、作画、作画監督までをまかされ、プ設立第1作だけに大いに意気が上がった。しかし「グレンダイザー」はメカニック作品であり、彼自身はじめてとりくむものだけに多少の不安をかくすことはできなかった。原画、動画、総勢5人のスタッフでは、たいへんな重荷でもあった。「グレンダイザー』では脇役、あるいはゲストキャラにポイントを置き、魅力的なキャラ作りに専念していった。そのため、荒木伸吾自身の好みやスタッフの好みが自由に生かされた。そんな中で生まれたのが、じつは"ナイーダ"や"ケイン"であり、のちに「美形キャラ」といわれるようになった。これらのキャラクターは、あるときは主人公の人気を食い、逆にゲストキャラにあわせて作品が作られるほどだった。荒木伸吾として、荒木プロとしてたしかな手ごたえを感じた第1作であった。と同時にそれは「明日」への希望をも感じさせた。「私は昭和50年9月に荒木プロへ入社し、最初動画の勉強をしました。そして、つぎの年の春『グレンダイザー』の“ナイーダ”というゲストキャラのラフデッサンをやらしてもらい、それが意外と荒木さんに認められたんです。それ以降、キャラ設定に参加させてもらっています」(姫野美智さん/荒木プロ)プロダクションとしてやっていくにはすぐれた人材が必要だった。また、それらを生みだす場を作らなけった。アニメは組織でつくりあげられるものだという過去15年間の経験で荒木は、誰よりもよく知っていた。荒木プロはそれに向け今一歩前進しているのだった。「ぼくは高校のころ、アニメ同好会に入っていて、将来アニメを目ざしていたんです。ちょうどそのころ、荒木さんに絵を見てもらう機会があり、運よく荒木プロに入ることができました。いま、メカ専門に原画を描いていますが、当時からロボットアニメが好きだったので、たいへんやりがいを感じています」(本橋秀之氏/荒木プロ)こうして、美形キャラを生むがごとく貴重な人材を生み、育てながら、5年秋『惑星ロボダンガードA」のキャラクター設定に入った。荒木伸吾はこの作品を『巨人の星』(親子もの)のロボット版というイメージでとらえ、そこに出てくる美形キャラを姫野美智さんにゆだね、メカニック部門を本橋秀之氏の線で押し通すことをきめた。それぞれの部門荒木伸吾から責任を与えられた二人は、あたかも戦場に出た二人の武将でもあった。そこでも美形キャラがついに主役を押しきる状態になったのだ。「世界のアニメを見わたしたとき、いまや日本のテレビアニメは世界の一流品だ。それからいっても、荒木氏は世界の一流アニメーターといえるでしょうね」(山本暎一氏/前出)まんが誌『街』の中の作品で見られ荒木伸吾のあのテーマが、あのムードが、あのタッチが、いまアニメーションという形に変えられ、表現されていく―

Interview Portion (Mori Masaki and Shingo Araki)

1. 真崎守さんは荒木劇画の熱烈なファンだった!

Mori Masaki. いそがしいの? いま・・・。

Shingo Araki. あいかわらずですね。

Masaki. 荒木さんは「アトム」はまったくやってないの?

Araki. 「ジャングル」からですね。ャングル」の4話あたりを作画しているとき、虫プロに入れてもらったんですけ。

Masaki. 何年くらいになるんだっけ。4年に入ったんだっけ。

Araki. 東京オリンピックのあくる年くらいかな?

Masaki. もう15年か。ずいぶんやったね。

Araki. だから、いまから思うと虫プロ時代が一番充実していたんだけど、期間としては短かかったね。1年半弱ですか。

Masaki. 崎そうすると「ジャングル」のあいだだけか。

Araki. 「ジャガード」へ飛び出ちゃったからね......。

Masaki. ぼくは荒木さんがジャガードへ入ったあとというのはずっと知らないんだよね。だから、知らない期間のほうがうんと長いわけ。きょうは知ってることから話をはじめようと思うんだけど......。荒木さんと最初に会ったのはいつごろ? 昭和34、35年ごろかな!?

Araki. そんなものですね。守ちゃんにこんな大きい封筒のぶあつい手紙をもらったんですよ。名古屋に住んでいるときねはげましの手紙とか......。

Masaki. ファンレターだよね。

Araki. 守ちゃんのぼくのまんがに対する意見みたいなものとか、まんがのこきおろしとか......。

Masaki. 何やってたんだろうね、ぼくは。そういうものが残ってたら燃やしてくださいね(笑)。貸本でずっとまんが描いてたでしょう。何本くらい描いてた?

Araki. 本数にしたら60何本あるんですよ。でも、こんな半ペラなものもありますしね。あのころ、手紙をもらうたびに新しい意欲がわいて仕事ができたんですよ。

Masaki. そうとう失礼なこと書いたね。恥ずかしいな。荒木さんは「漫画少年」 にも投稿してましたね。名まえ載ってますよね。

Araki. ええ。「漫画少年」は葉書まんがね。

Masaki. そうとう古いな。ぼくは荒木さんとつきあってから20年越えてるわけだ。すごいな、お久しぶりです(笑)。

Masaki. 虫プロというのは「街」に投稿していた人がわりあい集まってたんだよね。

Araki. いましたね。「街」と「漫画少年」。 彦根(範夫・フリー)さんは「漫画少年」でね。 虫プロ時代、アニメーターめざして入ってくる人はほとんどそういう人だったんじゃないですか......。

Masaki. 絵の好きな人ね。

Araki.「街」とか「影」に投稿していた人、金山明博・サンライズ)さんもそうですね。

Masaki. 出崎統さんも投稿していた。ところで、アニメヘパッと入ってくるときの感じというのはどういうものだろう。すごく異和感あったの?

Araki. ええ。虫プロへ来たとき、とにかくまんがとはまったく別とは思ってなかったんですよね。まんがの延長線上で仕事ができるようなつもりで入ったんだけど、要するに、まんがを描いてたときに絵のことを勉強していなかったのがはっきり出ちゃったわけです。デッサンのとり方ひとつにしてもまったく自己流で、だから基本的なところで非常に戸惑いましたね。そのへんの指導をうまくしてくださったのが斎藤(博)さんでした。

Masaki. 「ジャングル」のときは斎藤さんの隣にすわったわけ??

Araki. たぶん、守ちゃんのはからいじゃあないかと思うんですよね。なにしろ、あのころは若い人ばかりで、十代の原画家がいっぱいいました。 そんな中で年配で非常に落ちついてた人が、斎藤さんでした・・・・・・?

Masaki. 斎藤さんと彦根さんがいたから「ジャングル」の現場が非常にまとまっていたような気がする。荒木だから、虫プロへは26歳で入ったんですよね。そうしたらもう”ご老体。荒木さんが入ったとき、平均年齢真崎が35歳だったものね。そういうギャップみたいなものはなかった??

Araki. アニメーターはとくに若かったですね。?

Masaki. それ以来ずっと、いまだにご老体年々若くなってるんじゃあないか?

Araki. と思ってるんだけど(笑)。

2 ディズニー以前にポパで感 動した荒木伸吾さん。

Masaki. ところで、荒木さんは何年生まれだっけ?

Araki. 14年1月1日。

Masaki. おめでたい日だ。 14年生まれならちょうど大台? 子どものころ見て好きになったものというのはやっぱりあるでしょう。 何が一等好きなの? やっぱりディズニーなんか通ったほう?

Araki. ディズニー以前に、田舎 (名古屋)にいて神社の境内にポパイなんか来るわけですね。しかもカラーで。だから、ディズニーに会ったときにはまったくけたはずれにすばらしくて。

Masaki. ポパイのほうが体験が古いわけ?

Araki. そうですね。 アニメーションは個人ではつくれないものだから、もうひとつアニメーションそのものを自分でやろうという気持ちはなかったですね。

Masaki. そうすると「ジャングル」でやってたのは何ですか?

Araki. 「ジャングル」でやったのははじめ動画なんですよね。動画をたしか半年くらいやっていたと思うんですよ。

Masaki. 永島慎二さんなんかとつきあいあったんですか?

Araki. 永島さんとは「ジャングル」で1年ぐらいいっしょでしたよね。永島さんは演出で、こっちは動画でしたし・・・。徹夜してたら、永島さんがスポーツカーで絵コンテがあがったといって夜中に持ってこられたんです。そのとき、まったくびっくりしました。絵コンテとはいえないですね。まんがの原稿、下描きも何もないところにきれいな線で・・・・・・。その絵コンテ見ているだけでたのしいものだった。

Masaki. ジャングル」の絵コンテはみんなこってたね。永島さんとか、北野英明さんとか、絵にうるさい人ばかりいたよね……………。「ジャングル」で1年半ほどいて、ジャガードは3年ほど?

Araki. ジャガードは一度外へ出てるんですよ。1年ぐらいいてもうやる気なくしちゃって。斎藤さんにもう会社をやめたいのです”というような話もしてたんです。そしたら「巨人の星」がはじまって、斎藤さんとコンビになってやってみたら非常におもしろくなってきたんですよ。やっぱり、あの「巨人の星」そのものがやりやすかった。自分たちが過去にまんがを描いてて、川崎のぼるさんとひとつの共鳴するところがあったと思うんですよ。

Masaki. そういう意味では劇画調だよね。

Araki. だから、アニメの出発点は「ジャングル」なんだけど、これでいけるかなというような気持ちになったのは「巨人の星」ですね。

3. 劇画調のアニメにのりにのった「巨人の星」

Masaki. 具体的にはどういうところ? 「ジャングル」のころは、やっぱ

Araki. り動物ものだったでしょう。もうひとつ感情移入ができなかったんですね。のれない部分があった。それから、演技ひとつにしても非常にパターン化が目立ってましたよね、くりかえしが。「巨人の星」になると、自分が飛雄馬になるわけじゃあないんだけど、飛雄馬とか伴なんかの気持ちがそっくりわかる。アニメーターというのはそういうものが頭に入らないと絵は描けない人種だと思うんですね。そうでないとウソを描いてしまう。ところが「巨人の星」やってて気がついたんだけど、アニメーターが演技をつける場合に、自分が映画なり芝居のことを勉強してないと、非常にオーバーな芝居をしてしまうんですね。喜怒哀楽がオーバーで、たまたま「巨人の星」の作品の内容にそれがある程度あうことができたんだけど......。

Masaki. コンテはだれ?

Araki. コンテはほとんど斎藤さんでした。彼はこっちのクセなんかをのみこんで、荒木だったらこうするだろうというよう絵コンテを作ってくれてたんですよね(笑)。

Masaki. それはいいね。そこでようやく、アニメに会えたという感じなのかな?

Araki. でも「巨人の星」やってるときも、これがアニメーションだとは思ってなかったですね。ジャガード時代に斎藤さんにしごかれて、かなり仕事の段取りのつけ方が手ぎわよくなったんですよ。虫プロ時代もたもたしてたんですけども。だから、原画にしても一部分をやるんじゃなくして、全体をまとめることができるようになったんですね。いまにいたっては1か月に1本の原画を描くことができるようになった。そうすると、まったく絵コンテというものを土台にして、その上である程度、自分のものが出せるようになったんです。

Masaki. うれしいときだね。自分がそういうふうに、 すうーっと出せるようになるというのは。

Araki. やっぱり、どうしてもキャラクターは、自分のものでないとだめなんですね。フリーになって「あしたのジョー」あたりもそういう気配はあったんですけど、その後も東映の「バビル2世」 あたりから、結局、むかし自分が描いていたのと同じような気持ちで線を引きましたね。

Masaki. ひとりで1本やれるというのは、ある意味ではものすごく気分がいいということなのかな......? でも、ひとりで月に1本というのはものすごいスケジュールでもないの?

Araki. もう少し若いころは軽々こなしていたんですけどね。いまは原画を3人でチームを組み若い人たちと描いているんです。そうすると、1か月が20日くらいのペースであがります。ポイントはぜんぶこっちの頭に入れちゃってるから、できあがったものをチェックするわけですが、やっぱり自分のものだという意識はありますね。

4. 魅力的な絵だったら止まっていてもいいじゃない!

Masaki. 荒木プロというのは何人くらいいるの?

Araki. 総勢7人いるんですよ。常時スタジオにいるのは3人。キャラクターをつくったり、スタッフが「アニメージュ」のイラストなんか描いたり、はじめはまったく原画だけだった。動画はべつなところでやってもらったり、いろいろしてたんだけど。それだから、段階としてはそれがひとつまとまってきたけれども、こういうものをどこまでまとめていっても、その先がある話じゃないですから...。

Masaki. ところで荒木さんの現在アニメフアンにウケテル部分の美形キャラなんだけど、あれは荒木さんがぜんぶ作っちゃうの?

Araki. ぜんぶを作ってたんですけれども、プロダクションになってスタッフがふえひとりではできないのと、たとえば美形キャラなら美形キャラの得意な人がいるわけです。少女まんが家を目ざしていてアニメーターになったような人もいる。そういう人に美形キャラを描かせたら、すばらしいものを描くわけです。萩尾望都、竹宮恵子などのまんがにあこがれて勉強した人たちがアニメ界に入ってきてるんですよ。非常に華麗な絵が描けるんですね。むかしはたぶんアニメーターになろうとした人たちは、絵が動かしたくって入ってきたと思うんですけどね。

Masaki. そうだね。むかしはアニメというのは動かすことに興味を持ったり、夢を持ったりして、アニメーターになった。いまは1枚の絵としても入ってこられる時代になったということだね......。

Araki. いいものだったら、使ったあとのものを部屋に飾ったりして。だから、古いセルなんか1枚何千円という値段もどこかでいわれているようです......。

Masaki. そうか、そういう時代になってきたのか......。

Araki. スクリーンやテレビのブラウン管の中で、すばらしい絵だったら止まってたって抵抗を感じないんですよね。

Masaki. 荒木さんが美形キャラを作ったときというのは、どこから持ってきたの?

Araki. やっぱり、少女まんがですね。へアースタイルひとつにしても、いろいろむかしから知っている女性像みたいなものを描いたってはじまらないんですよ。ファッションひとつにしても、少女まんから勉強しているんです。

Masaki. 少女まんがにそう抵抗はない?

Araki. 読んだことはないんですよ、じっくりと。ただ、そのキャラクターを作るときなどにどうしても必要にせまられて読むくらいです......。

Masaki. いま少女まんが家でがんばってる人ってみんな10年選手でしょう。アニメーターとほぼ同じときにはじめているんですね。会って話すと両方とも同じこといいますよ。ところで荒木さん自身が作画して、売りどころにしているのはやっぱりいくつかあるの?特徴といったほうが楽なのかな......。

Araki. はじめはジャガード時代にどうしても早くあげなければいけないというので、一番簡単な手法で強烈なことを探してたんですよね。人間の感情表現ひとつにしても。それがいまはあんまり使ってないんですけれどもブレ”ですね。ブレの荒木"というぐらいだか......

Masaki. あれは、1枚の絵を描けばもう1枚複製みたいな形で作るでしょう。それで何秒間かもってるんですね。今後、どういうふうに持っていくとおもしろいものができるのかな?

Araki. アニメーションでは自分で演出もやりたいですね。もしほかに余力があって、別の仕事ができるんだったら、もう少しメルヘンぽいもの。それがイラストでもいいし、絵本でもいいと思うんですよ。せめて5分くらいでもいいから、フィルムを作りたいと思っているんですよ......

Masaki. 荒木さんは演出がやれるものが1本あるといいな。 自分で企画たてたりしないの? オリジナルということじゃあないけど、何人か集まって、こんなのどうだろうかと......。

Araki. そういうのをぜひやってみたいですね。

Masaki. 一度、荒木さんに企画持ちこもうかな。

Araki. それはぜひとも、やりましょう。将来の合作アニメを誓って堅い握手を交す荒木伸吾さんと真崎守さん。

(おわり)

Fan Club President Roundtable

Panel:

Yasuyo Morimura (Kazuko Sugiyama Fan Club)
Tomoko Miyata (Noriko Ohara Fan Club)
Kumiko Mizumoto (Kei Tomiyama Fan Club)
Yukie Nakajima (Makio Inoue Fan Club)

AM. きょうは、FC活動の現状や今後への夢など、いろいろ語りあっていただきたいのですが。まず、FC活動のたのしさの1つ”声優さんとのコミュニケーション”について聞かせてください。声優さんとはどんなふうにつきあっているのかしら?

Kumiko Mizumoto. (富山敬FC会長)おとうさんみたい(笑)。

Tomoko Miyata. 小原乃梨子FC会長) ―私は週に1度、連絡もかねてスタジオでお会いします。それで、そのあと夕食をいっしょに食べたりして...。

Mizumoto.富山さんと小原さんは仕事が同じときが多いんです。で、私も宮田さんと同じスタジオに週に1度行きます。 それで、その番組の出演者の方々と夕食を食べに行くわけです。

AM. 楽しいでしょう?

Mizumoto. ―え、まあ。悩みとまではいかないけど大学で単位2つ落としちゃった!"とか話すし...。

Yasuyo Morimura. (杉山佳寿子FC会長代理)杉山さんと私はショッピングによく行きますよ。好きなんだなあ、あの人、買い物が(笑)。リボンを買ったり、服買ったり......。よく、東京の三越やパルコなんかへ行きます(笑)。でも、用事がなければおたがいいそがしいんで、ぜんぜん会いません。このあいだも2ヵ月ぐらい電話もしなかったし…..。必要があれば毎日でも電話しますけど。つきあい方に無理がないんです。

Yukie Nakajima. (井上真樹夫FC会長)私の場合、会誌に予定を載せる都合上、最低週に1度は電話をします。私にとって井上真樹夫という人は、最良の友人であり、人生の先生でもあり、また兄でもあるんです。ただ、井上さんのほうは、私の話すことを単なるFC会長の発言と思っているのか、それとも友だちの発言として聞いてくださっているのかわからないけど......。

Mizumoto.ほんとうにそうですね。私も富山さんのことすごく信頼していますけど、富山さんがこちらをどう受けとめてくださっているのか、わからない。だからやっぱり、ほんとのおにいさんみたいには近よっていくことはできませんね。ただ"富山さんがそばにいるんだなあと思うだけで安心できるところがあるんだよね。それが富山さんの魅力かな...。

AM. 恋人みたいね?

Mizumoto. 恋してるとか恋人とかいうんじゃないんです、私の場合は!!!! ファンということをすごく意識しているんです。

Morimura. しっかりしてる!!!!!(笑)。

Mizumoto. 富山さんもよく聞きますよ。 「まだ、恋人できないの?』なんて。

Nakajima. あなた、富山さんに恋愛感情ないんですか? 私、ありますよ。男性FCに女性が多いのも、みんな恋愛感情があるからだと思います。

Mizumoto. 私はもうなくなっちゃった(笑)。

アニメのキャラが好きになって "ワァあの声はいったい誰なんだろう"と思うところから "FC作り”が始まる

AM. みなさんそれぞれ、声優さんと楽しいコミュニケーションをもっていらっしゃるようですね。ところで、そのコミュニケーションの基盤ともいえるFCですが、 どんないきさつで結成されたんですか?

Miyata. むかし『ハリスの旋風」のメガふくん"やら『海底少年マリン』が好きで”ワァ、だれが声をやってるのかな?"興味をもちまして......。

Mizumoto. 私は「タイガーマスク』の主人公の声で富山さんをしったんだわ。

Miyata. そのうちアルプスの少女ハイジ"が始まってペーターが登場した。それで、完全に小原さんファンになりました。で、新番の情報も知りたかったし、FCに入れば小原さんが遠くにいても身近な人に感じられるんじゃないかと思って。だけど、まだなかったんですね、FCが。それて、スタジオに行き、直接、小原さんに“FCを作りたいんですけど”とお願いしたら、ちょうど青二プロダクションのほうで、ファンのつどいも計画されていて、チケットの配布上もFCがあったほうがいいということもあり、その場でオーケーでした。

AM. いつのことですか?

Miyata. .おととしの12月のことでした。

Mizumoto. 私は1976年でした。そのころはFCっていえば、ささきいさおさんと神谷明さんのぐらいしかなくってね...。でも、FC活動ができるんならやりたいということで、スタジオに通いだしました。そして、富山さんに"FC作りましたから”って報告したら、その場で公認してくださいました。

AM.ということは、みなさん、アニメキャラの声がきっかけでFC結成ですか?

Mizumoto. 最初はみんなそうなんじゃない?

Morimura. うちの場合は、ちょっと変わってたわ(笑)。去年の1月に、会長さんに、杉山さんから突然、話があって"FC作りたいんだけれど手伝ってくれない?費用と責任は私が全部持つから"ということなんです。

Nakajima. 以前から、おしりあいだったの?

Morimura. いいえ、全然。 アフレコスタジオを見学中に、お目にかかってお茶をごちそうになったことはあるそうですが。

AM. では、べつに杉山さんのファンでもなかった?

Morimura. 声にほれているということはなかったみたい。ただハスキーボイスなのに、お姫さま役をやれっていわれれば、ちゃんとそれを演じられるっていう、いわゆ杉山さんの芝居ですね。それはスゴイなと話していました。

AM. たしかに、変わったFC結成の経過ですね。杉山さんに事情を取材しなくちゃ。ところで、中島さんのケースは?

Nakajima. そうですね。私の場合も、アニメキャラから井上さんのファンになったわけではないんです。テレビ洋画陽のあたる場所〟のモンゴメリ・クリフトの声を、井上さんが演じていらした。その声が青春期に悩む青年の弱さをとてもよく表現していて、印象的でした。そして、あるアニメFCの会誌の編集の取材で井上さんとお話をしたら、人間的にもとてもすばらしい方だって感じまして......。それで、ご本人の大ファンになりました。

Mizumoto. すぐFCを?

Nakajima. なんどか、井上さんの自宅にお手紙をだしてコミットしました。 それから、スタジオに行ってFC結成をお願いしました。井上さんは、会の方針や期間のことや会誌の作り方を質問なさって、それにお答えして......。 それでオーケーでした。

FCの評判はそのまま声優さんの評判となるという重々しい事実がある!!

AM. みなさん、さまざまなケースでFCを結成されたんですね。ところで、実際の活動はどんなふうなんでしょう?いろいろ苦心なさっていることもあると思うのですけど?

Nakajima. やっぱり、手紙の発送なんかたいへんですよね。ひとりでやっていますし、100名もいるんだし・・・。でも、迷惑ってことはないです。大好きな井上さんのためなんだから…。それにFCは、完全にバックアップ軍団だと思っていますから......。

Morimura. ほんとにそうでね。ぜったいに、役者さんに迷惑になることは、できません。完全なバックアップですね。たとえば、杉山さんは”自分は声優じゃない。女優なんだ"という考え方ですよね。そしたら会誌の中で”声優”という表現はぜったいに避けるし...。

Miyata. 小原さんの場合もそうですね。小原さんのインタビュー記事を会誌に載せるときなんか、気を使いますよ。活字化されるとその場のふんいきが伝わりにくい”っていうのが小原さんの持論ですから、なるべく正確に伝えないと......。

Mizumoto. 結局、FCの評判がそのまま声優さんの評判になるから、慎重になる。

AM.どういう意味?

Mizumoto. たとえば、アフレコスタジオでフアンが騒いだりすると、演出家やスタッフにあの役者のファンはだめだって......。

Morimura. そうそう、まえにある役者さんに一度そんなことがあったわね。

Mizumoto. うん。ファンが騒いだら、ある演出家があの役者はだめだ。もう使わないって...。 そのファンがFCの会員でなくても、FCが悪い。だから役者も悪いと思われてしまう。

Morimura. それは役者さんの人柄によるんじゃない?富山さんはヤマトでワーッと売れたけど、ファンに対してはクールだし、役者さんの間でもすごく評判がいいでしょ。だからたとえ水本さんのところのファンがスタジオで騒いでも、富山さんはつかっていただけるんじゃない!?!?! AM.そういう心ないファンにFCは、どう対処してるの?

Mizumoto. うちは会誌を通じて、マナーについてなどのメッセージをだしています。

Nakajima. うちではしませんね。会員の自主性にまかせることだと思うし…..。 それに、そんなことで左右されるようならほんとうの役者じゃないと思うし、またそんなことで役者を評価する演出家ならほんとうの演出家じゃないと思います。

AM. FC活動の中に、将来こんなことをしてみたいというのはあるかしら?

Nakajima. 以前、FM東京の「音の本棚」っていう番組に井上さんがでてらっしゃった。ところが、いまはプロダクション側の事情ででられなくなってしまった……………。それで考えたことなんですが、わりとこのごろファンやFCが力をもつようになってきたでしょ。その結果、ファンの力が番組のキャスティングなりに影響を与えられるんじゃないかしらって…。それがほんとのバックアップだと思うし...。

Miyata. うーん。それはまだ、むずかしいんじゃないかな。私も劇場用の『アルプスの少女」のとき、小原さんがやってい役を丸山裕子さんに変わって、とってもくやしかったけど...。でも、まだキャスティングにまで口ははさめない......。

Mizumoto. まだ、考えたことがないなあ。

Morimura. FCとして、どこまで口をはさめるかというと自信がないですね。

AM.そのへんの判断が今後の活動のポイントになっていく気がしますね。みなさんがこれからどう活動なさっていくかが、声優さんやアニメの人気を本物にするかどうかに大きく影響していくと思います。がんばってください。 Comment by Noriko Ohara

宮田さんは1年以上、黙ってスタジオに通ってらして、そのあとで突然”FCを作りたい”っていっていらした。一年もようすを見ていれば、彼女がどんな人間かわかるでしょう。彼女を信頼して会長をお願いしました。情報も的確だし、見てもたのしめる会誌を創ってもらって感謝しています。FC会員への要望としては、より積極的な意見、こんな本がおもしろいよ”というようなものを聞かせてほしいな。

Comment by Kei Tomiyama

スタジオに訪ねてきて、夜遅くまでぼくを待っていてくれるFCのみなさん、応えんありがとう。でも、あまり熱中しないでほしい。ぼくがきみたちのパパだったら、とてもきみたちの行動を心配するだろうな。きみたちにはうんと勉強してほしい。そしてその合い間、ぼくについての意見や批判の手紙をかいてくれればいい。これがぼくの理想のファン像です。

Comment by Makio Inoue

長いあいだ、FC結成は断わっていました。でも、ファンのフラストレーションが募ってきたようにも感じられたし、ぼくもみなさんとのパイプがほしくなったので、最初に申しでてくれた中島さんに会長をお願いしました。テレビ文化は一方的です。受け手の意識をぼくはしりたいと思うし、ファンの方にも送り手の側に働きかけていくセンスがもう出はじめてもいいと思います。みなさんはどう思いますか?

Comment by Kazuko Sugiyama

地方のファンからお手紙をいただいたりしても、なんにもできない。それで一つのまとまりを作って、そこで私の新しい仕事のこととか、仕事についての考え方とかを知っていただこうと思いました。これがFCを私のほうからお願いして結成した理由です。シャープな女性だと信頼して会長をお願いしている森村さんとは、お友だちづきあいです。ファンの方と対等にお話していきたいと思っています。

September

Akio Sugino Feature Roundtable

Panel:

Osamu Dezaki
Masao Maruyama
Mitsuru Kaneko
Akio Sugino

1「あしたのジョー」で最高のシーンは?」(丸山)「力石が死んで、ジョーが雪の降る街を歩く時、プツッと切れるところが好きだね」(杉野)



Masao Maruyama. 杉野ちゃんは、虫プロのとき「アトム」の動画をやったのがアニメの最初なんだって?

Akio Sugino. そう、ぼくは38年に入社したんだけど、そのときちょうど「アトム」のピークで、いきなり動画やったんだよね。

Maruyama. そのあと「ジャングル」や「リボンの騎士」で原画をやり「わんぱく探偵団」ではじめて作監やったんじゃなかった?

Sugino. そう、たぶん「わんぱく」の10話以降だったと思うんだけど・・・・・・そのあと例の「佐武市」 ね......。

Maruyama. だけど、ぼくがはっきり杉野ちゃんの作監を意識しだしたのは、やっぱり「あしたのジョー」 からだねー。あんときは、どうして作監をやるってきまったの。

Sugino. どうしてだろうねー。

Osamu Dezaki. やっぱり絵が抜群にうまかったんだと思うよ。だいいち、杉野ちゃんの絵は緻密だし、それ以上にシャープだったもの。だけど最初は、ちばてつやの絵には、ちょっとほど遠かったけど、後半にいくと、ちばさん以上っていう感じをうけたね。

Maruyama. そういえば、1話のときのジョーの顔と最後のほうのジョーの顔は、ぜんぜんちがってたね。

Sugino. 終わりのころになるとだんだんなれてきたんじゃないの......。

Dezaki. それはたしかにいえる。ぼ「くも「ジョー」の演出で杉野ちゃんと組んだのだけど、彼の絵はすごく情感がでそうだったので、そのまま押しちゃったんだよね。

Mitsuru Kaneko. そのころから二人はコンビ組んでたの? 意見が合わないということはなかったんですか。

Sugino. けっこう、あったよね。ジョーはこういうリアクションはとらないんじゃないかとか、こまかいところでね。

Dezaki. そうだっけ? そんなことがあったかなあ。おれはあんまりそういうことは、おぼえてないんだよね。ただ、杉野ちゃんには、もうちゃんとした世界があったので安心してたところはあったけど。

Maruyama. そうかもしれないね。 彼に関していえば、「佐武市」で形をつかんだとするならば、「ジョー」では心をつかんだといえるんじゃないかな。

Dezaki. スタミナをつけたんじゃないの?(笑)

Sugino. スタミナはなかったと思うよ。かなりバテバテだったもの。

Maruyama. なんといってもぼくがおどろいたのは、彼は統ちゃんの絵コンテをいちいち見ないで画面割りをやったり絵を描いていく。頭の中で、もう映像が組みたてられてるんだよね。

Dezaki. そうだね。ぼくの演出的な意図をよくわかってくれるというか、表現しようとしていることを、ちゃんとわかっているという・・・・・・、ぼくはすごい人だと思ったね。 いまはもうぼくなんかの絵コンテを超えてる部分があるわけなんだけども......。

Maruyama. そういう意味からいうと統 ちゃんは、絵コンテをきるとき、 杉野ちゃんだったら、ここをこう してくれるだろうという期待感は かなり持ってたの?

Dezaki. そうしてもらう、だよね。 死んでもこうやってもらう、みた いな(笑)。

Sugino. かなり、そうしろなんてい ってなかったっけ?

Dezaki. そんなこともあったような 気もするなあ(笑)。

Maruyama. ところで二人で組んだとき 「ジョー」で最高のシーンという のはどこ?

Sugino. ・・・・・・ぼくは、力石が死んで ジョーが雪が降る街を歩いていて、 おもちゃ屋さんの戸が閉まりかけ ていて、そこでプツッと切れるん だよね。あれが好きだね。

Dezaki. ぼくは、石がジョーをた おして、ライトを背にうけて、 汗 ボタッとたらしてこれで終わ った"という、あそこらへんの力 石の顔がすごくよかったね。

Maruyama. そういう意味でも二人にと って愛着のある作品だったわけね。 杉野ちゃんは、そのあと「国松さ まのお通りだい」 をやって、 虫プ 口をでて、東京ムービーの仕事を 手伝うというか、マッドハウスの 仕事をはじめたんだよね。

2「杉野ちゃんの欠点といえばまじめすぎる部分だね」(丸山)「とくべつ意識してないんだけどねえ」(杉野)

Maruyama. マッドハウスで最初「ド根 性ガエル」とか「ジャングル黒べ エ」とか、要するに東京ムービー のタッチというか、大塚康生さん の流れをくむ、わりといままでの 虫プロアニメとちがうスタイルの ものを手がけたんだが、そのとき 杉野ちゃんの気持ちの中に、と まどいみたいなものはあった?

Sugino. 虫プロで「あしたのジョー」 をやって、まだその余韻が残って いたような気もするし「ジョー」 自体、話がおもかったよね。 それ が「黒ベエ」になって、急に軽く なったんで、ちょっと考えちゃった。 出崎 あれは、柴山達雄(亜細亜 堂代表)さんがやっぱりそうとう すぐれていたんで、大塚さんとい うより柴山さんの一つの形だよね。 だからあれでは、杉野ちゃんのス タイルがはっきり現われなかった んじゃないかな。

Maruyama. だけど、逆にいうと杉野ち ゃんて、こういう絵もこなすんだ な、というイメージを持った人も いるんじゃないの。

Dezaki. たしかにそう見た人もいる かもしれないね。 一般的には杉野 ちゃんは、劇画タッチのものが得 意なんじゃないかという思いこみ がたしかにあるわけ。だけどほん とうはそれだけじゃなくて、もっ とやわらかいものやリアルじゃな いものも描けるんだよ。

Maruyama. そういう意味でも、ちょう どこの時期、金子さんとは「ウリ 「クペン救助隊」のキャラづくりな どでおつきあいがあったわけです が、そのへんはどうですか?

Kaneko. そうですね。あれはたしか 48年か4年ですね「ウリクペン」 はそれが杉野さんとの最初の仕 事なんですが。その当時から、非 常に完成された緻密な絵だったで すね。もう、スタイルができあが っていたみたいに......。

Maruyama. きちんとしてなきゃいやな のね、杉野ちゃんの欠点といえば まじめすぎる部分なのね。 手ぬき じゃなくて、軽く遊んでやろうと いうことができないのね。遊びを 本気で考えるような人だから......。

Sugino. ぼく個人は特別、意識して ないのになあ。どうしても、そう なっちゃうんだよね。

Kaneko. ぼくがもう一つ杉野さんで いえば、すごくあたたかい絵を描 くんで、性格もとてもあたたかい と感じているんですが、劇画タッ チの絵を描くとき、ときたまクー ルな冷たい線を描くことがあるん です。ぼくは出崎さんがさっきい ったように、開発されていないち がう面がまだまだ彼にはあると思 うんですよね。

Maruyama. たしかに金子さんのいうと おりかもしれませんね。一応、彼 は虫プロからこっち、いろんなパ ターンを経験してきてるわけです からね。

Kaneko. だから「ウリクペン」でい うと、あれは完全に動物ものでし 動物に表情があるというのは 非常にむずかしいわけで、杉野さ んは、それができるんです。 丸山 それ以来、金子さんは杉野 ちゃんに惚れてるところがあるみ たいに見うけられるんですが・・・・・・。

Kaneko. そうですね。

Maruyama. ぼくは金子さんのところに キャラ設計を持っていくときに、 かならず3人の作品を持っていく んだよね。もちろん作者の名まえ はふせてあるんだけど、金子さん は必ず杉野ちゃんのを選んじゃう。

Sugino. えっ、そんなことあんの。

Maruyama. 杉野ちゃんにはいわなかっ たけど、営業としてはそうしてん だよね。

Kaneko. たしかにそうですね。杉野 さんの絵は完成度が高いし、ただ 単に絵じゃない、そのうしろにあ るものの把握力の仕方”がぜん ぜんちがうんです。それは表面的 につかむのと、内面からつかむ差 みたいなもので、彼の絵を手にす ると背景のストーリーが動くよう にわかるんです。なんというか、 1枚の絵に物語性があるんですね。

3.「出崎さんの演出で迷うことあったの?」(金子)「たしかに迷うけど、絵コンテの世界ができてるから、それを追っかけるだけだね」(杉野)

Maruyama. 杉野ちゃんは「黒ベエ」の あとは「エースをねらえ!」には いったよね。これは統ちゃんとの コンビで、もう一つ別の世界って いう気がするんだけども。

Dezaki. そうね。「エース」というの は少女雑誌の絵なんだけれども、 「ジョー」のスタイルをもう少し ぜい肉をとったらどうなるか、と いう形でやろうか、杉野ちゃん。 と、いうことになったんだけれど も、いろいろ問題はあったね(笑)。

Sugino. たしかに問題はあったけど あれはあれで、やっててたのしか ったよ。ただ、はじめてのジャン ルなんで、それこそ「黒ベエ」を やったときのような不安が多少あ ったけどね。

Maruyama. ぼくが「エース」ですごー くおもしろいな、と感じたことは そこから、ぜんぜんちがう世界と いうものが生まれてきたことだね。 女の子が主人公であるということ が一つあるし、それなりのおもさ はあったが、絵のスタイルもちゃ んとしていたね。それに、いまま で見たこともない大胆な省略もき いていて、最近のフィルムの中で はいちばん新しかったんじゃない かな。それに感情にのめりこんで いく杉野昭夫の世界があるとすれ ば、ハートはつぎこんではあるが、 どっぷりのめりこんでない数少な い作品という気がするんだけども。

Kaneko. 形のすごくでている作品だ という感じをうけたね。 出崎 あれは演出的に、そうとう 細工してあったから、杉野ちゃん にぼくが求めたのは、たとえば思 いきった省略法をやってみてくれ ということだったと思うんだ。

Maruyama. 絵のスタイリングもふくめ てかなり大胆にやってたよね。

Sugino. そうねえ。 出崎さんのコン テもすごかったもの。

Dezaki. たとえば、主人公以外の人 物をぜんぶシルエットにしちゃっ たり、それも黒いシルエットじゃ なく、白ぬきのシルエットにして ね。それが、えらく評判わるくて なんだ、あの白い人間は なん ていわれたけど、アニメだからな んでもベタベタぬってやらなきゃ あいけないというきまりはないわ けだし、動かなくってもいいんだ ...... 金子それは杉野さんにも抵抗は なかったの?

Sugino. 抵抗っていうか、やっぱり おもしろがってやってたんだけど も、セルだから無理なんだよね。

Dezaki. 残念だけどやめたね。おか しかったのは、主人公の顔のあた りはノーマルにぬって、だんだん 下にいくにしたがって白に変わっ ていく。そうやれば顔にポイント がいくと思ったら、逆にめずらし いもんだから、みんな足元に目線 がいっちゃって……………(笑)。

Kaneko. そういうとき、出崎さんの 演出で迷うことはあったの、杉野 さんは......。

Sugino. そうねえ。たしかに迷うけ ど、もう絵コンテの世界ができて るわけだから、それをただ追っか けるだけね。

Kaneko. 出崎さんと同じようにチャ レンジ意欲はわかなかったの。

Sugino. というより、ぼくはなんで もすぐ信じちゃうから(笑)。 出崎 じゃ、おれがウソばっかり みたいじゃない(笑)。

4「昔ばなしをやって、なにか収穫はあった?」(丸山)「タッチを変えて動かすとおもしろかったし、それが現在につづいてきた気がするね」(杉野)

Maruyama. そして、杉野ちゃんのその あとの作監というと?

Sugino.「まんが世界昔ばなし」だね。

Maruyama. ああ、そうか。ところで、 この特集で、杉野作品の代表作と いうことで「昔ばなし」の中の「7 ランダースのいぬ」を選んだって いうのは、なにか理由あるの?

Sugino. うん…。やっぱり絵描きの 少年の話だからな。それに雪が降 って、北海道を思い出させるし。

Maruyama. 北海道出身ということで、 やっぱり雪のイメージが......。

Sugino. そうだなあ・・・・・・。 それに昔 からの物語は好きだったしね。

Maruyama. 毛布にくるまってて、窓か 雪がチラチラッとはいってくる ところの絵なんか描いてたの、す ごくおぼえてるね。雪のフォルム 指定なんていうのも......。

Sugino. 短冊のね。

Kaneko. ぼくは「フランダースのい 「ぬ」というのを見たとき、少しし んどさを感じましたね。

Maruyama. それは、声の役者ののりぐ あいとか、いろんな要素がふくま れていると思うんだけども。

Dezaki. こういっちゃなんだけど、 ぼくは「難破船」が好きだったね。

Sugino. うん、たしかに「難破船」 も考えたんだけど、「フランダー ス」は一本の中にいろんな要素が はいっているしね。

Kaneko. そう、たしかに10分ちょっ との中に、あれだけのものが凝縮 されているというのは、すばらし い作品だと思いますね。

Maruyama. 横から口をはさむようだけ ど、ぼくが個人的に好ききらいみ たいなことをいうと「昔ばなし」 の中では「鐘を鳴らしたきじ」だ とか「エミリーの赤い手袋」が好 きだね。なぜかというと、杉野ち ゃんの絵として、いままで出てき ているタッチと、またちがったタ ッチだから興味があるというか、 おもしろかったね。

Sugino.「昔ばなし」では、いろんな ことやったもんね。

Maruyama. 切り絵のキャラクターを描 いたり、かき絵のキャラクターな んかもやったね。そういう意味か らいっても「昔ばなし」をやって、 なにか収穫はあった?

Sugino. タッチをいろいろ変えて動 かすとおもしろかったし、それが 現在につづいてきた気がするね。

Maruyama. そうすると「家なき子」「宝 たん 島」の一つの原点といえるわけね。

Dezaki. そういえば「家なき子」な んだけど、ぼくはあれをやるとき に、いわゆる昔話シリーズと いう15分もののあの密度の濃さと かおもさとか香りを1年間の作品 の中でなんとか生かそうと考えた んだよね。短編というのは15分だ からおもしろいんだ、という部分 がかなりあるんだけど、そういう おもしろさというものを1年間一 つの企画でひきずっていけないも のだろうかと思ったわけ。 けっき よく「家なき子」は、最悪の視聴 率だったけれども、いわゆる少年 の内面というものをできるだけ追 ってみようとしたんだよね。

Maruyama. ただ、さっきの「昔ばなし」 でも、いまの「家なき子」でも、 杉野出崎コンビの作品は、とも すると年齢層が上のような感じが するね。「マルコ」もそうなんだけ れども、ある程度、高学年の子で ないと伝わってこないときがある んですよね。

Dezaki. ぼくはそれでもいいんじゃ ないかというのがある。

Sugino. ぼくもそうなんだけど、親 切におしえてやることないような 気がする。こわいものはこわいん だと。

Maruyama. なるほどわかった。ところ で「マルコポーロの冒険」なんだ けど、あれはキャラクターをかた めるのに、ずいぶん時間がかかっ たんだよね。いろんな人の意見を きいて、3稿、4稿でだいたいき まったんだよね。

Kaneko. あれは局サイドの要望で7 アンダメンタリーとマッチさせる ところがあるから、おとなっぽく ありながら、少年のよさを出さな きゃならなかったんですよね。 ふ つうアニメの常識でいうと17歳と いうと年齢を低く描くことが多い でしょ。そのへんをもうちょっと ということで時間がかかったんで すよね。

Maruyama. もう一つ、もう一つという 感じで、たいへんだったよね。た だぼくなんかあまり心配していな かったのは、キャラ設定がだいた いオーケーになると、放映回数を 追うごとにキャラクターに感情移 入していって、ぜったいいい顔に なってくるんだよね、杉野ちゃん というのは…。 だから「宝島」で も「家なき子」でも、最初のキャラ 設定で紙に描かれたものより、フ ィルムになって、最終話の顔を見 ると、はっきりなにかちがうね。

Dezaki. 杉野ちゃんというのは、子 ども子どもしたキャラクターより 「宝島」のシルバーとか「あした のジョー」の力石とか、青年から おとなという、意志のはっきりし 成人を描くときのほうが、やっ ぱりいいものがでてくるね。

Maruyama. じゃあ最後に杉野ちゃんの 今後への希望みたいなものを・・・・・・。

Kaneko. ぼくはさっきもいったよう に、杉野さんにはもっとちがった よさがあると思っているので、い ままでとまったく別のジャンルに 挑戦してみてほしいですね。

Dezaki. ぼくも同意見なんだが、そ のためには時間をもっとあげなく てはいけないね。描きこむほど味 が出るんだから、杉野ちゃんの場 合は......。 (おわり)

Festival Feature


7月4日、会長の中村啓くん(18歳)を先頭 漫画研究会 「キャンディ&メロディ」のス タッフが総勢7名、ドーッというかんじで編 集部を訪ねてくれた。8月1日~3日、東京 四谷公会堂で、第4回アニ メ上映会 無敵超人ザンボ ット3" を開催するというの で、取材をしたいと頼んだら、 さっそく来てくれたというわ けだ。(デモ、なぜ、7人も来て くれたのかな?人数負けして、ち ょっとこわかった......) まず、この「キャンディ&メロディ」(略 称キャンメロ)の概略を説明 しておこう。 会を作ろうという話が中 村くんからでたのが“宇宙 戦艦ヤマト〟が公開された 1977年の7月。正式結 成が9月1日。会員数約10 名。活動内容は、毎月1 回の会誌(ファンシーボ ックス)と連絡紙 (AST EROID〟の発行。漫 画、アニメファンの資料 交換会の開催など。 こう書いてくると、ご 平均的な漫研というかんじ なのだが、その平均的漫研が、 もうすでに3回のアニメフェス を成功させ、いままた4回目 に挑戦しつつあることに注目してほしい。 (この本が発売されるころには、4回目も成功させて いるだろう) そのうえ今回は、オリジナル超合金人形ア ニメフィルム 超合金ボルテスV”とオリジ ナル実写 スパイダーマン"も上映するのだ という。 もうこうなったら平均的漫研”という形 容詞はあてはまらない。ひどく、バイタリテ イとユニークさが感じられるのだ。 では、さっそくインタビューで、ここまで アニメフェスを成功させてきた力はどこにあ るのかを、聞いてみよう。 浅田裕二 Yuji Asada 細野由紀雄 Yukio Hosono 藤尾由理 Yuri Fujio 中村哲 Kei Nakamura 村井広宣 三橋哲史

AM. オリジナル「超合金ボルテスV」って いったいどんなアニメなの?

Kei Nakamura. 超合金ですよ。ほら、ポピーのあの人形と大根に目と鼻をつけただけの敵・分身メカダイコーンとを戦わせてつくった18分の人形アニメね。

AM.人形アニメというからには、1コマず つコマどりを?

Nakamura. もちろん。スタッフに写真に強いやつ がいるんですよねえ。なんたって、ほら、 スタッフの中心がみんな写真科もある"東 京デザイナー学院〟の学生なもんで。

AM. じゃ、学校でも会うし〝キャンメロ"の活動でも会うし、チームワークはバッチりなわけだ!?

Yuji Asada. まあそういってまちがいないな。このあいだだって”スパイダーマンの映画とるのに女がいない。おまえ、女になれ"なんて突然電話がかかってきて、おれ、お化粧なんかさせられちゃったしなあー。(笑)

Nakamura. ぼくたちの会は、とても開放的なのが 特徴だと思います。 たとえば、キャラ設定書のコピーなんて、 はじめてやってきた人にも、スイスイやら せてあげちゃう......。

Yukio Hosono. そう。和気あいあいってわけ(笑)

Nakamura. それに、恥をしらないっていうか、め だちたいっていうか、そういう気持ちがす ごーく旺盛なわけです。 だからこれはおもしろそうじゃない"と 思えばすぐ全員のっちゃうし、えらく凝る。

Satoshi Mitsuhashi. スパイダーマンの洋服なんて、すごか ったよなあ。 まず、体操服の青いの買って きて、それに赤い布をぬいつけて、その上 に黒のマジックで線描いて......。

Nakamura. うん。だから、スパイダーマンもテレ ビ見て、おもしろかったから、おれたちも やっちゃおうってなった。

AM. アニメフェスも?

Nakamura. うーん、たぶんそうだと思う。自分た ちがやってて、すごく楽しいもの。

Hosono. ようは、やっぱりアニメフェスなんか 開いたりして、メダッたりすることがいい んだよね。(笑)

AM. でも〝めだちたい精神〟だけじゃ、フ エスを3回も成功させてこれなかったと思 うけど?

Nakamura. しいていえば“遊びだけど、遊びじゃ ないんだ”っていう気持ちかな。 会誌づくりでいえば、会誌の中味は、スタ ッフの好きなようにできるから、これは遊 び。でも、会誌の発行日にまにあわせて、 月1回発行しつづけるっていうのは“遊び じゃない”わけ。やっぱり、会費を払って ぼくたちについてきてくれた会員の人たち は、裏切れないよ。 責任あるもんね。 なるほど、なるほど。この遊びじゃない" という部分、いってみれば責任〟これが「キ ャンメロ」のフェス成功の大きなポイントに なっていたのですね。 ナットク!!

TV Special Feature
Panel

Yasuhiko Tan
Akira Yoshikawa
Yasuhiko Yamaguchi
Shun'ichi Yukimuro (Moderator)



新しいファンをつかむ

Shun'ichi Yukimuro. アニメのスペシャル番組というの は、昨年8月27日の日本テレビ『バンダ ーブック』からはじまったといっていい と思いますが、まず、それを企画された 背景といったものをお聞きしたいんです が。

Akira Yoshikawa. スペシャルというのは、要するに、 15分ものとか30分ものじゃなく、1時間、 1時間半、あるいは2時間という非常に 長いアニメが、特に、ゴールデンタイム でも放送できるようになってきたという ことだと思います。 『バンダー』に関し ていえば、うちの開局25周年記念番組の、 例の24時間テレソンの一環で、一つの目 玉としてもってきた。この24時間”の つづき 企画をやりました都築というプロデュー サーが、以前から手塚先生とアニメの話 をしているうちにでき上ってきたものな んです。そのへんはフジテレビさんの場 合とは違うと思います。ただ、日本テレ ビの場合、今度の"スーパー・アニメ・ スペシャル”の導火線になっていること はたしかです。

Yukimuro. そのあと、フジテレビの『牙王』 (5年9月23日)ですね。

Yasuhiko Yamaguchi. 実は『牙王』を計画したのが5年 の7月だったんです。 子供たちのため健 娯楽を提供したいというスポンサー さん(日本生命)の意向だったわけですが、 日本で一番の生命保険会社がやるんだか ら、何か新しいものをつくってほしい、 ということがあった。それではというの で、いままでで一番長いアニメを作ろう ということになった。ところが8月27日 に『バンダーブック』をやられてしまっ て(笑)いままでで一番長いアニメという ものがダメになってしまった。しかし、 『牙王』は、それなりの視聴率と反響が ありましたけどね。

Yukimuro.『バンダーブック』の反響というの はどうでしたか?

Yoshikawa. 『24時間テレソン』がはじまって、 ちょっとしまったかなと思ったのは、あ れは、あくまでも、欽ちゃんのチャリテ ィーショーとしてのナマの魅力みたいな ものがあったわけで、そこへナマじゃな い、でき上ったものをポツンと置いては たしていけるかな、という心配があった。 しかし、見終ったあとでは〝愛は地球を 救う"という24時間テレソンのテーマを 一番よく表現していたという視聴者の反 響が多かった。どうせやるなら、24時間 アニメをやれという、ひどい意見もあっ たりしましたよ(笑)。

Yukimuro. いわゆるアニメファンじゃない、 新しいお客さんをつかんだということで すね。

Yoshikawa. だろうと思います。 お年寄りの方 が見てもおもしろかったという意見もあ ったので、もっとゴールデンでやっても よかったんじゃないかと思ったりしまし たけど。

Yukimuro. NHKの場合、まだ本格的なスペ シャルものはないけど、以前見向きもし なかったアニメにかなり力を入れてきて いますね。

Yamaguchi. これは脅威なんですよ(笑)。

Tan. いや、しばらく聞き役でいますよ、 (笑)。いろいろ勉強になりますから。

Yoshikawa. しかし、まともに取り組まれたら、 民放としてはかなわないですね。スケジ ュールも簡単に組めますからね。

Yukimuro. いまアニメスペシャルの企画は?

Yasuhiko Tan. まだありません。私はスペシャル班 青少年番組班を兼務していますので、 会やはり、スペシャル番組ということは考 えますが、いまは、火曜日(キャプテン・ フューチャー)と土曜日(マルコポーロの冒 険)を定着させるということが先行で、 ずいぶん立ち遅れていますね。 じつは、日本テレビさんの『バンダー ブック』を私も拝見しましたが、以前に ボクはスペシャル番組班でこの企画を売 り込まれたことがあるんです。でも〝N HK特集〟でそれはできないといって、 お断わりしたのですが、あの視聴率を見 ガックリしました。 やっぱり、若い人 の世の中を先取りしていく感覚みたいな ものに、脅威を感じましたね。 スペシャルのシリーズ

Yukimuro. こんど、スペシャルが日本テレビ プロデューサー座談会」 さんでたてつづけにでるわけですけど、 その企画された意図みたいなものは?

Yoshikawa. やっぱり去年『バンダー』をやっ て、あれだけのものができたという自信 ですね。営業的にも非常にバックアップ してくれたということも大きい。それで はというので、外のプロダクションに企 画を発注した。50本以上集まったものの 中から、とりあえずこの5本はやってみ よう、よければエンドレスでやろうとい うところまできた。しかし、またつまら ないものをやっちゃったら、これまた一 時のブームで消えちゃうんじゃないかと 思う。ほんとうはジャンルをSFならS Fに区切って、ブームに乗ってるやつで いこうと思ったんですが、こんなものも 売れる、いやこんなものも・・と、やや バラエティに富んだところがある。その へんやや不安なんですが、結果を見て、 強いものがあったらその傾向をつかんで、 新しいものが考えられるんじゃないかと 思っていますけどね。

Yukimuro. 『キャプテン』はかなり長いもので すから、へたするとダイジェストになる 危険もありますね。

Yoshikawa. そうです。あの大長編をどうやっ て一時間半にするか…… いまのところ、 谷口くんが青葉学院に勝つまでを描こう と思っているんですが。

Yukimuro. ということは、当然、反響によっ ては続編を?

Yoshikawa. そうですね。丸井くん、五十嵐く んと…………….うまくいけば、スペシャルのシ リーズができるという夢まで持っている んです。

Yukimuro. フジの場合は、今後も日生ライン でやっていくつもりですか?

Yamaguchi. そういうことではないんですけど …………。たとえば『怪盗ルパン』は違いま したね。ただ、かかる費用といただくお 金ということといろいろ考えると、やは りあのワクでやるのが、フジテレビとし ても、いちばん製作にも配慮できるとい うことがありますね。

Yukimuro. 日本テレビの場合は、やはりゴー ルデンタイムですか?

Yoshikawa. いや、そう決まったわけじゃない んですが、いちおう、10月7日 (大恐竜時 代)はゴールデンでやりますが、そのあ とはまだ・・・・・・。 冬休みとか春休みとか、子供たちがい ちばん見やすいところへ編成して、さら にいいスポンサーがつけばと思うんです が。フジさんの場合、日生さんという非 常に理解のあるスポンサーがついていて とても恵まれている。超一流のスポンサ ーがガバッと一時間半めんどう見てくれ るような傾向になればいいですね。 ターゲットはどこだ??

Yukimuro. ターゲットの問題なんですが、い まのアニメブームが中高生中心という ことで、何となくそちらのほうを向いて いる感じですが。

Yamaguchi. 私どもとしては、4歳以上。それ が建前でもあるし、本音でもある。そう しないと、視聴率はおっつかないわけで す。ただその中で、いったい、どのお客 さんがもっとも熱心かということはある。 でも、そこだけに焦点をピタッと合わせ てしまうと、先ほど、雑談のときに申し 上げた『西城秀樹ショー』のように、反 響は大きかったが、視聴率は上がらない ということになっちゃう。 そのへん、む ずかしいんですよ。

Yoshikawa. こういうことばで分けちゃいけな いかもしれないけど『バンダー』の場合 に手塚先生にはじめ話したのは、やはり、 子供80、大人20ということでした。絶対 忘れちゃいけないのは、4歳からの人じ ゃないんですか。ただ、どのくらい上ま で引っ張り上げられるかというのは、作 品によって違うでしょうね。

Yukimuro. NHKの場合、レギュラー番組の ターゲットは高い感じですが・・・・・。

Tan. 『マルコポーロ』など、ちょっと気 取り過ぎかなということは十分わかって いるんです、NHKの体質として、非常 にくだけたつもりでも、説教くさかった りね。ただ、こわいもの知らずというか、 民放さんほど視聴率を意識しなくてもい いという、いいことか悪いことかわかり ませんが、そういうことがあって、ター ゲットをちょっと上げたんです。 これだけ漫画で育った映像世代がいて、 彼らが十分鑑賞できるようなものがあっ てもいいんではないかという意識がどこ かにあった。 ボクなんか、だいたいドキュメンタリ 出身で、アニメというとほんとうにど 素人で、たまたまNHKではじめるとき に、なぜか、私が一番バッターになった わけですが、三塁向いて走ればいいのか、 一塁向いて走るのかわからない状態でし た。そんなボクがいままでのアニメを見 ていて、アニメがもっている、ドラマは 作りやすいがリアリティーがないという ことに対して、ドキュメンタリーみたい なものでカバーできないか、という発想 があった。そのとき、ターゲットを中学 生から高校生に置いてみようと思った。 しかし、数字は取れないだろうと......。 でも、いまほど悪いとは思いませんでし けど。 そのへんで、そういうターゲットの絞 り方というのはどこが間違っているのか 逆に教えていただきたい。 小学校の低学 年を切るというのは、ぼくらの思い上り なのかな、ということですけど......。

Yukimuro. いま、中高生とおっしゃいました。 けど、日本テレビの『ルパン三世』は...

Yoshikawa. 中高生が主ですね。

Yukimuro. それでも数字は出ている......。

Yamaguchi. でもあれは、4歳以上で、焦点が そこということじゃないですか。

Yoshikawa. つまり『ルパン三世』はわりと平 均なんですよ。4歳以上も見るけど、上 もということで平均しているんです。

Yamaguchi. 『サザエさん』には山が2つでき る。低学年と、あれをホームドラマと見 る大人がいるんですよ。それで、私が思 いますのに、たいへん失礼な言い分かも しれないですけれども、日本テレビさん もわれわれも、15分とか30分のアニメと いうのは、過去においてさんざんやって きた。ある程度、本能的に当たるとか当 たらないというのがわかっているわけで す。 いま、NHKさんは授業料を払って いる段階なんですね。 同じように、われわれはいま、長編ア ニメーションに授業料を払っている段階 なんです。ですから、こういうとおこら れるかもしれないけど、NHKさんもこ の授業料払いに参加していただいたら、 その差はあっというまになくなっちゃう 気がして、かえって恐ろしいですね。

Yoshikawa. 実際にNHKさんがこわいなと思 ったのは『コナン』ですね。ある時期 ったとき、異様にフィーバーしたじゃな いですか。もっとも、それをあそこでお やめになった(笑)。なぜもっと続けない んだろうということはあったんですけど、 こういうことNHKさんがやるようにな っちゃ、もうオレたちと同じじゃないか と思った。だから、スペシャルにしても やってこられたら、あっというまに並ん じゃうんじゃないかと......。

Yamaguchi. ただ、吉川さん。あそこでおやめ になったというのは、やはり授業料の段 階じゃないんですか(笑)。

Tan. 『コナン』でいえば、私たちがやっ と何かよくわからないけど手ごたえがあ ったという感想をもったときには、すで につぎの企画になっていた。それに、特 番が入るといままで昇ってきてたのがガ クッと落ちて、回復するのに一、二週間 かかるみなさんは、とっくにご存じ でしょうけどそういうことをボツボ ツ授業料を払いながら、いまやっている 最中ですね。

Yukimuro. ただ、NHKの場合、いちばん困 るのは、NHK的ではないという批判が くることですよね。フジテレビ的ではな いとか、日本テレビ的ではないというの はあまり聞かないけど。 このNHK的で はないというのが、いちばんアニメの伸 びない原因じゃないかと思いますけど。

Tan. ある種の人たちは、非常に逆説的な いい方だけど、あんまりおもしろくしな いでくれ、ある知的レベルを保ってくれ というんですが、それは大人の考えで、 やっぱり、子供にどうやったら受けるん だろうというのがわからなくて、頭をか きむしっている状態なんです。

Yoshikawa. 子供にどうやったらわかるんだろ うというのは、いちばんむずかしいです ね。つくる側が若くないといけないのか もしれませんね。去年、新入社員で採用 した男で、何をやりたいと面接のとき聞 いたら、アニメをやりたいと・・・・・・。 そう いうこといったヤツもはじめてだそうで すが、こりゃあめずらしいと採用したと いう話がある(笑)。

Yamaguchi. 私たちがつくる場合、まず理屈が 先に出てしまう。私も40歳過ぎています からね。「とんでもネズミ』をやったと き、日本アニメの斎藤監督に、あなたの ように、そうなんでもかんでも理論的に、 みんな手取り足取りストーリーを作って しまうと、ああそうですか、ということ で終わってしまうといわれましたね。 むずかしい番宣

Yukimuro. スペシャルは一発勝負ですから、 局の番宣体制などむずかしいと思います けど......。

Tan. 民放は番宣がすばらしいですよね。 おざなりな番宣では、いま、どこも飛び ついてくれない。

Yamaguchi. しかし、アニメの長編番組の番宣 ほど材料がなくてやりにくいものはない んですよ。 たとえば、私が手がけたものを申しま 先ほども すと、たとえば『牙王』 出ましたけど、本邦初のテレビ長編アニ メでやろうといっていたら『バンダー』 に先を越されてはかなく消えてしまった (笑)。

Tan. フジさんにも影響を与えたんですね。

Yamaguchi. あとは俳優さん。 でも、これは表 だって俳優さん中心に集めて、いろいろ スペシャルをするというものならいい んですけど、アニメの場合は大変困る。 まさか、モデルのイヌがワンワンという わけにはいかない(笑)。 『ヒットエンドラン』の場合は、原作が 掲載されている雑誌を通じて、非常にう まくいったんじゃないかと思いますが、 これは特殊な例であり、テレビが広くあ まねくやる形の番宣ではなかったわけで すよね。 『まえがみ太郎』、これはある意味で非常 1 に困ってしまった。『竜の子太郎』をや ってるんですね(笑)。同じ太郎でも片っ ぼうは2年の歳月と何億円ですよね。そ して『怪盗ルパン』 これは私の担 当ではありませんでしたが、中村嘉葎雄 さん、島田陽子さんといった人たちに声 をお願いしたというようなことがあった。 このようにアニメの番宣活動は、一見、 絵があってキャラクターがあってやりや すそうだけど、じつは、やりにくいとい うことがありますね。

Tan. 「とんでもネズミ』のときのモナコ の王女さまを使った番宣というのは、ち ょっとこれを見る人とは結びつかないん ですが......。

Yamaguchi. はい。「とんでもネズミ』はまった く知られていないわけです。本屋へいく と、岩波の本が一冊あるかないかぐらい なものです。で、たまたまこの作品、グ レース・ケリー王女に捧げられていたわ けです。私どもとしては一生懸命考えま して、子供のうしろには母親がある。母 親のうしろには子供がいる、だから母親 をつかまえようということで、グレース ・ケリーの引っ張り出しになった。

Yoshikawa. 山口さんのおっしゃるように、素 材がないんですよね。だから、今度の石 森章太郎さんを使おうということは、つ まり活字媒体との両面作戦ですね。アニ メファンには非常に強い部分がある。 毎月スペシャルを!!

Yukimuro. スペシャルもののむずかしさで、 放映日がはっきりしないということがあ りますね・

Yamaguchi. そう、いちばんつらいのは、もう 一度お願いしますという時間がなくなっ たときですね。やはりこれだけの長編ア ニメなんだから。もっと前から、ちゃん と計画してやったらどうだと、私自身思 うんですけど、しかし、スペシャルの悲 しさで、計画があまり立てられないわけ ですよね。いま10月10日(足ながおじさん) が、次の次のターゲットとして決まって いるわけですが、10月10日というとあま り時間がないですね。そのつぎに、たぶ 2月3日ぐらいだとすると、そろそろ かからないといけない。

Yoshikawa. よく、聞いとかなくちゃ(笑)。

Yukimuro. 放送ワクがなかなか決まらないと いうことは、スペシャル同士のぶつかり 合いもあり得るわけですね。

Yamaguchi. そう、ドーンとやられる(笑)。

Yukimuro. まあ、ぶつけることはないと思い ますけど…むしろ避けるでしょうね。

Yoshikawa. 避けるでしょうね。

Tan. 夏場だったら、江川くんに出てもら ったりして(笑)。ところで、スペシャル の場合、音楽の要素というのは レギ ュラーの場合だと、ゴダイゴがテーマ曲 で引っ張ったとかありますね。単発だと そういうのはないんですか?

Yamaguchi. これがまた、悲しさのきわまりみ たいなもので……………。「とんでもネズミ』の 場合には「紙ふうせん」にやってもらっ たんですが、非常にすばらしい曲なんで す。でも、終わってしまうと、はかなく 消えてしまう。ですから、私はうちの音 楽プロデューサーにお願いして「私は生 まれてきました」というあのすばらしい 音楽を、何とかもう一度、再生させたい と思っているんですよ。

Yoshikawa. そうですね。シリーズの場合には だんだん浸透していくということなんで すが……………。ただ、ぼくは今度のスペシャ ルの場合には、少なくともシングル盤を 出していきたいんです。一つの文庫本的 なものにして、まとまったら、LPにし てみたいという構想をもっているんです。

Yamaguchi. それは、じつは私たちもあるんで す。ただ、その場合問題なのは、プロダ クションによって、それぞれ懇意にされ ているレコード会社がちがうということ がありましてね。

Yukimuro. 最後に、アニメスペシャルものに 関する夢みたいなものを、語っていただ けませんか。

Yoshikawa. そう、海外にも売れて、また映画 にもなるような作品をつくっていきたい。

Yukimuro. 毎月、必ずスペシャルの放映ワク があるというようなことは?

Yoshikawa. それもいいですね。大変でしょう けどね(笑)。バクゼンといつやるんだろ うかなんていうのは困りますよね。

Yamaguchi. ましてや、やるとなったら急です からね。大変です。

Yukimuro. 話は少しそれますが、だいたい決 めるのは番組改編期のときですか?

Yoshikawa. 特番つぶしというのがありますね。

Yamaguchi. あります。大砲の撃ち合いってヤ ツです。

Yoshikawa. たとえば、10月の1週は特番でく るだろうから、うちもいくか、というよ うなね、もしくは何かで逃げちゃう。

Yukimuro. 読みくらべがあるわけですね。

Yoshikawa. そうです。TBSのドリフは、 年は何日に来る、とかね。

Tan. NHKで特番ふうにやったアニメは 『紅白』の前で『キャプテン・フューチ -』の長編をやったのが一度だけです が、結局あれも、レコード大賞がウラに あるから、一種の逃げかもしれませんね。

Yamaguchi. 夢の話でいうと、私にも一つある んです。一週間ぶっつづけで、ゴールデ ンウイークのゴールデンタイムで、こう いう長編アニメをやってみたい。また、 それに耐え得るアニメというのは、絶対 あるはずなんです。それと、吉川さんも おっしゃった、関与した番組が世界的な 話題になるというのは、こたえられない 魅力ですね。

Tan. ぼくは、民放さんがこれだけ子供の 番組を与えているときに、NHKがどこ で生き伸びていくんだという部分で、こ れだけのアニメファンが成長して大人に なっていくとすれば、やはりその連中が、 きっと子供の番組ではもの足りなくなる。 大人のアニメを、という時期がくるんじ ゃないかと思うんです。そのためにも、 そのへんにターゲットをしぼって、いま が苦しくても、やりつづけたい。

November

Yoshikazu Yasuhiko Feature

Comment by Rintaro

「クムクム」は、安彦氏のオリジナルということで、ぼくもよろこんで演出として参加させてもらった。当時「クムクム」のようなファンタジー調のホームドラマはアニメでは皆無に近く、ぼく自身どうまとめていいか、たいへんまよった。しかも、原始時代という、見たこともない生活をどうとらえるかということでたいへん苦労し、その結果、少年クムクムと自分の少年時代をダブらせて演出してみた。そんな意味から、いま思うと、この作品は半分成功したような、半分やり残したような、なんとも妙な気がしてならない。それにしても安彦良和というアニメーターには、はかりしれぬ才能を感じさせられた。というのも「クムクム」は叙情的で、ほんわかしたストーリーをテーマにしてきたため、ぼく自身もうつしぼりきれなかったところがある。しかし、安彦氏はそれをみごとに絵と動きでカバーしてくれた。ただいえることは、キャラ設定の段階でもう少し煮つめたかった。というのは一体一体のキャラは、それなりに魅力があり完成度が高いのだが、それら全体のバランスを見たときに、そこにややキャラのもつムードのちぐはぐさを感じさせた。

Comment by Tadao Nagahama

安彦くんとは「ライディーン」や「コンバトラー」でいっしょに仕事をしました。彼はとても無口でおとなしく、心のやさしい人ですが、どこからあれほどの絵が出てくるのか不思議ですね。きっと、内に激しさを秘めているのだと思います。安彦くんのデザインしたキャラには気品があります。彼独特のものですが丸っこさがあり、そのなかに色気があるんです。これは男の子にもいえますね。換言するとチャーミングで、親しみを与えて不快感を与えないんです。たとえばシャーキンは、敵=悪=醜いというパターンを崩し、悪にも魅力を与えた好例です。訴求力のあるキャラなんです。それから、メカも忘れてはなりません。ライディーンはじつに流麗で魅力的でした。最初の検討段階でのコンVはひどかったのですが、安彦くんはそれをじつにうまく処理しました。5つのメカそれぞれがよく、合体した姿もみごとでした。ただ、見たものの心を震えさせるようなこわいキャラは、彼には描けないかもしれません。甘さを振り切って、そこを描くのが彼の絵の幅を拡げることになるのだと思います。そのとき、彼の絵は新しい形になるでしょう。

Yoshiyuki Tomino Comment

私と安彦氏の出会いは、そもそも「ライディーン」からである。当時、まだあまり深いつきあいはなかったが、彼の絵を見て、まず最初に感じたことは、たっしゃだなあ”ということだった。その後、なぜかサンライズ関係の仕事でいっしょになり「ザンボット3」では、キャラデザインをやってもらった。そこで私も無条件に安彦氏の絵を信頼していたし、事実、それ以上のキャラができ上がったので、たいへんうれしかった。現在、机を並べて「ガンダム」に取りくんでいるが、彼の絵に対する姿勢には敬服する。まず、いかなるものをも、子定規でとらえない、つまり、きまりきった方法論を用いないことである。それをいいかえれば、いま彼は、一作一作のなかで動き方論とキャラクター論をためしているといえる。これは彼の迷いではなく、アニメに対する探求とはいえないだろうか。彼の絵には、人をひきつける魔力がある。が、一つ苦言を呈すればデッサンの狂いが目につくことがある。これは線を強要した虫プロが、彼にとってアニメの出発点だったことから起きた不幸な現象でもある。だが、彼はいまそれに気づいている。だから今後がたのしみでもある。

しばしばこんなお手紙をちょうだいすることがある。「アニメーターになりたいのです。自分のつくったキャラクターが自由に動きまわる、とてもすばらしいと思うのです・・・・・・」どうも少々誤解されているらしい。アニメーターの仕事の中で、いわゆるキャラクター創りの分野などというのは、きわめて特殊な小部分でしかない。その主な部分は膨大な作業量そのものであ「作画」というブロックに、あたかもアリンコのように群がって「不自由」きわまりない条件下に日夜(文字どおり)苦闘することにつくされる。だからこんな誤解は、とりわけこれから花も実もあろう...という青春期入口の少年少女たちにとってなんとかしなければならない。そうなのだ。たとえばぼくなどがこうしてキャラマンなぞをやっている。こんなのも、まったくの成り行きで偶然でしかないのだ。(それに、なによりもキャラマン専業では学生諸君のアルバイト程度の稼ぎにしかならない)―しかし、誤解を生むにはそれなりの理由もまたあるにちがいない。さしずめそれは、アニメというたいへんに楽しい表現エリアに対する期待の大きさの現われであるのかもしれない。たしかに、キャラマンという仕事は成り行きでぼくのいるあたりへ転がりこんできたものだった。より具体的にいえば、虫プロが倒産後、ぼくがお世話になった創映社(日本サンライズの前身)という会社がオリジナル志向の強い会社であり、加えて新進プロの悲しさでアニメーターの分野でも慢性的な人手難にあえいでいたという事情による。「オリジナル志向」だって、いってみればあやしいものだ。金がなくて高名な原作モノにツバをつけることがかなわなかったというのが、案外の真相かもしれない・・社長さん、ごめんなさい)とにかく、そんなこんなで今日までにいくつかのサンライズ作品に関わり、いくつかのシリーズキャラを手がけ、創りだして来た。想い返してみればそれぞれに状況の反映もあり、思惑の違いもあって、なかなかに興味深い。大別してみれば、もっぱら注文に応じて描いたライディーン・コンVと、相当に気ままに描いたザンボット・ガンダム、そしてクムクムがあるということになろうか。それぞれ、その時々には十分に気合いもこめ、いとおしいキャラとして創ってはみたはずなのだが、いまにしてみるとシラケる部分も相当にある。「よしてくれ、もう!!!!」という感じもときとしてないではない。だが、縁あってこんな仕事とこれからも関わりを持っていけるのなら、それなりに指針としたい一線もまた厳としてある。生意気にも吐露してしまえば、それはキャラクターをその名のとおりキャラクター(性格)として描きたいということである。リアルであれ、カリカチュアライズされたキャラであれ、単なる「造形」の感覚で創りたくはないということである。創りだしてみて、なにかしらその人、その人物に、絵として生まれ出る以前の「前生」があったように感じられる......。そんなふうな仕事ができればそれはもう最高である。

以上、安彦良和のキャラクター制作時のイメージをさぐってきたが、ここでは、それらを参考にし、また、彼と彼の作品に関わった人たちの意見を紹介しながら、暫定的は総論としてまとめてみよう。まずなによりも彼のもつ絵の特徴を長所から拾ってみると、1-絵にやさしさや暖かさを感じさせる。「年に似あわず、キャラクターにやさしさを感じますネ。それに、とても暖かさがある。それはたぶんに彼のもつ人間性からきていると思います。つまり、彼の人に対する願望がアニメという具体的な形となって現われているんですネ」(富野喜幸)安彦良和には、人間の性格や心理を分析する力がある。その能力がキャラクター作りや動きにも大きく反映し、彼自身のアニメに対する理念でもある実在感”につながっているといえよう。2-美学を持っている。「安彦くんの絵には、カッコよさ、つまり美学がある。これは人にはまねのできない彼独特の資質である。絵には、形よく見せる一つの方法論があり、歪曲遠近法といっている。アルタミラの洞穴にあるシカの絵は、真横から描かれ、見えないはずの反対側のツノがなぜ描かれている。これは理屈としては合わないが、絵としてのカッコよさがある。つまり物のとらえ方、見せ方で、これを安彦くんは先天的に持ち合わせている」おもちゃの開発の仕事に従事。と、物を絵としてとらえていく確かな才能を認めている。3-訴求力がある。「安彦くんの絵は、なんといっても気品があり、線がきれいだ。それに人の目を引きこんでしまうふしぎな魅力をもっている」(長浜忠夫)人を引きつけ、そしてはなさない魅力的な絵、つまり訴求力をもつアニメーターが安彦良和である。アニメーター・安彦良和の強味は、じつはここにつきるといってよい。つまり、絵として具体的に現われる先天的な安彦美学と、その絵にふくまれた心がバランスよく保たれ、訴求力のある魅力をかもしだしている。では、つぎに彼の絵および姿勢についての弱点をあげてみよう。1-デッサンカにやや欠ける。「彼の絵は魅力があるのだが、デッサンが狂ってるときがあるんです。これは、彼だけにいえることではなく、日本のテレビアニメには往々にしてよく見られるケースです。総体的な技術は日本のアニメはすぐれていますが、確実なデッサンにもとづくデフォルメは、外国がまだ上です」(富野喜幸)と、手きびしく指摘している。たしかに安彦良和の絵の中には、ときに不自然さを感じさせるものがある。だが、これとは反対に沼本氏は、デッサン力の弱さを認めながらも、「安彦くんには、デッサンの狂いというマイナス部分を、はるかに上まわる美学”があるのです。この美学こそ彼の個性であって、あまりデッサンに気をとられすぎると、かえってそれをも失ってしまう。いまのままで、より美学をみがいていったほうがいいと思いますと、いいきる。2-女性が苦手である。「ほんとのところ、女性をもっと知ってもらいたい。彼は女性に関して頭のなかに一つの理想像があり、それは形態的には美しいのだが、そのキャラの心情にまでは迫っていない。たとえば、処女の女性と処女でない女性の描き分けができればいいですね」(富野喜幸)これと類似した意見がもう一つある。「彼には、見た人の心を冷たくするような悪人が描けない。どんなキャラを描いても甘さが出ちゃうんです」(長浜忠夫)ということは、安彦良和の目ざ実在感のあるキャラ作り”にも影響してきそうである。才能がありすぎて······「ぼくの見ているかぎり、彼はここ3年ほど勉強をしていない。それば彼の持ち合わせている才能に起因するところで、勉強あるいは努力を怠ると、その才能までも自然消滅してしまう。そのあたりに気づいてくれるといいですね」(沼本清海)以上、おおまかに安彦良和の強味と弱味をあげてきた。これらに万人が認める、長所でもあり短所でもある器用さ"を加え、はかりにかけてみると、現在やや強味が勝っているように感じる。また、その強味を側面的にカバーしているものに、彼の“現代感覚”がある。その線が「ライディーン」か「ガンダム」にいたる彼のキャラ作りのなかに生かされ、現在のアニメファンのあいだでのあこがれのファッションとなっている。また、それに加え彼特有の創造癖もある。安彦良和自身他人の作ったものには興味がない”という。これは、いいかえれば人まねを好まず、つねに自分のものを見つけだしていく探求心につながっているのである。これらが上のせされて、現在、安彦良和は大きくはばたいている。そしてこの灯を絶やすことなく、大きく育てていくには、前記の弱点の部分を克服し、いつの時代にも人々に感動を与える、アニメ界のロートレックであり、マチスを目ざしていくことであるといえそうだ。

「絵は小学校時代の校長先生の影響をうけているんです」

安彦良和昭和22年12月9日北海道紋別郡遠軽町東社名淵で農家の7人兄弟の6番目として生まれる。えんがる遠軽といえば、北見市から50キロほど石北本線を北にいったところで、流氷で有名なオホーツク海は、そこからさらに25キロほどいったところにある、人口2万ほどの小さな町である。しゃなぶち安彦氏の生まれ育った東社名淵は、さらに遠軽から10キロほど入った山間にある戸数わずか30戸ほどの集落だった。子どものころの彼はとくにめだったわけでもなく、どちらかというと、もの静かな少年であった。この集落のほとんどが農家で、子どもたちの娯楽といえば、外での鬼ごっこやかくれんぼだった。そんな時期、たまたま安彦氏がマンガ好きな少年だということを知っていたのが、1日に一度やってくる村の郵便屋さんで、ある日どっさり古本の『冒険王』や『少年』を彼にプレゼントしてくれた。だから学校から帰ると安彦少年の家には、その本見たさに近所の友だちがどっと集まってくる始末だった。そんなことから、身近にマンガ本があったせいか、彼は自然にマンガに興味をもち”マンガ家になれたらいいなあ”と、いつしか思うようになった。とくに当時のマンガは鈴木光明の「織田信長」が好きで、その絵をまねて古ノートに「川中島の戦い」なる作品を描いたこともあった。小学校といっても、生徒数わず50人たらずの学校である。むろ校長先生ひとりが、算数や国語の先生をもかねていた。そして安彦少年が小学校6年のとき、新しい先生がやってきた。古賀先生という中年の先生だった。もちろん校長先生でもあったのだが、絵が専門で、とくに水彩の静物画や風景画が得意だった。だから、とくに絵に興味があった安彦少年は、当然といえ、古賀先生の正確な絵を身につけていった。そしてある日、先生から絵画展に出品してみないか"といわれその地方で開かれた子どもだけの絵のコンクールに風景画を出品した。だが、結果は佳作だった。子どもらしさがない”というのがその評だった。これはよくいえば完成されすぎているということで、子どものもつ独特な目やひらめきに欠けていたということである。というのも、古賀先生の絵に対す考えや持ち味が、この時期の安彦少年に大きく影響していたといえる。昭和38年、社名淵中学へ入学。中学校のある社名淵は、安彦少年の住む東社名淵から4キロほど先の山の向こうにあった。彼は雨の日も雪の日も淋しい峠をこえて登校した。中学時代の安彦少年の夢もマンガ家になれたら・・・・・"ということにかわりはなかった。だからこの当時も劇画は欠かさず描いていた。だがそれは、どこに投稿するというほどのものではなかったようだ。

「高校時代、友だちにさそわれ、政治に興味が移ってしまって・・・・」

昭和37年、遠軽高校に入学。高校は中学とは反対方向の10キ先にある遠軽にあった。高校生活1年目までの彼は、まだマンガ家への夢はたちきってはいなかったが、高校2年のころからは、しだいにその夢を方向転換していくのだった。というのは、小学校、中学校時代とちがって、高校では友だちも多く、年齢的にもまわりの環境の影響をうけやすい時期でもある。そんななかで、彼のまわりにたまたま政治活動をしている友だちがいて、ついに彼は、その道に引きこまれてしまった。そして彼は、そんな影響をうけてか、高3のとき、生徒会長にまつり上げられてしまった。もうマンガのことなど頭の片すみにしか残っていない。彼は、できれば大学へ行って、将来、高校の教師になろうと考えていたのだ。

「大学時代はとにかく貧乏、アルバイトに明けくれてました」

昭和41年、弘前大学人文学部に入学。高校の先生になろう”という一心から、やっとの思いで大学に入った彼だが、現実はもっと深刻だった。十分に親のスネをかじって大学に通えるほどの余裕はないのだ。さっそくアルバイトをしなければ、月謝も払えないし生活もできないありさま。さっそく、アルバイトロを見つけなければならない。北海道の片田舎で育った彼としては、手っとり早く金につなげる仕事としては力仕事しか思いつかなかった。そんな中で授業のあいだをぬっては土木工事など、重労働をかさねる毎日だった。ちょうどそのころ、70年安保のまっただ中、彼もその波をさけては通れなかった。彼は疲れはてた。そんなとき友人からある人を紹介された。中西高之氏である。中西氏は、しばらくして、PR誌「Q都」を発刊するが、じつはそのPR誌の中で彼はイラストやカットの仕事にありつくのだ。が、あまりにも大学での闘争がはげしかったため、その後彼は学校を中退しなければならなかった。教師”への道は絶たれた。とはいえ、いまさら北海道へ帰る気にもなれなかった。そして東京へ行けばなんとかなると考えた彼は、弘前を後に東京へ向かった。

「初任給は3万円だったですね」

東京に着いた彼は、まず仕事を見つけなければならなかった。新聞の求人欄をかたっぱしからあさった。だが彼がいまできる仕事といえば、多少器用な手先を生かす仕事でなくてはならない。そんななかで、赤羽にある二葉印刷や池袋の広告会社など5~6社の面接をうけてはみたものの、どうしても自分の仕事ではないと感じた。そして半月後、やっと腰をおちつけたのが江古田にある一軒の写植屋だった。最初は当然、オペレーターの見習いである。疲れる仕事ではあったが、見習いとしては給料もよく、3万円を手にした。だが、それは「創造性を見い出すことのできない仕事」だった。彼は、その写植屋を3か月後にやめている。そんなある日、また新聞の求人欄に彼の目がとまった。そこには「虫プロダクション」の名があった。

Interview Portion

かくれたる安彦ファンであったマンガ家の和田慎二さんは、安彦さんとは今日が初対面。そのなかをとりもったのが、高千穂遙。「クラッシャージョウ」の原作者、高千穂さんとイラストを担当する安彦さんは、仕事を通しての友人なのだ。ともあれ、座談会スタート!! AM. いわゆる”安彦アニメ”のなかで、とくに印象に残った作品はありますか。

Shinji Wada. やっぱり『ライディーン』。ほかのロボットものとは一味ちがっていましたね。

Haruka Takachiho. あれはロボットがよくできていたね。あの組みあげができたから、ほかのロボットの組みあげが可能になった程みごとだった。

Yoshikazu Yasuhiko. あれはスポンサーから鳥型にしてくれといわれましてね。何とかでっち上げたわけです。

Takachiho. でも、鳥型にしたいといわれて鳥型に描ける人は、安彦さんを除いてそうはいない。

Wada. わかりますね。 でっちあげを生かしていくという、あの〝感"ですよね。

Takachiho. それにまた『コンバトラIV』のロボットがすごかった。スポンサーが作った最初のデザインをあそこまで動く形に仕上げて、あれがいちばん衝撃的だったね。なによりも、見て、不快感を感じないように完璧にしてくれた。あれはよかったなあ。長浜さん以下、みんな感動したね。

Yasuhiko.「コンバトラーV』は、設定も東映とスポンサーがやっているんです。 サンライズ、 創映社というのは、その設定をいただいて脚色を加えるんです。

Wada. ところで『ザンボット3』はどうだったんですか。

Yasuhiko. 富野さんが自由にデザインさせてくれましてね。 キャラクターには愛着があるんですよね。

Takachiho. あのときぼくは、キャラクター・デザインに協力したんです。 キラー・ザ・ブッチャーのモ デルとして、プロレスラーのアブドラ・ザ・ブッチャーの写真を提供したんだから......。 AM. それは裏話としてもたいへんおもしろいですね。ところで、キャラの話になったので、ついでに聞きたいんですが、 現在、安彦さんというのは美形キャラの創造者ということで、すごい人気を得ているんです。そのへんのお話を。

Yasuhiko. 美形キャラの創造者はぼくじゃないですよ。顔立ちのいいの描けっていわれたら、だれだっていっぱい描けますよね。シャーのときにいわれたんです。美形キャラを一人出そう、おまえは元祖だから美形を一人作れってね。美形はみんな描きつくされてしまって描きようがない。原作も何もないから、どんな役者かわからない。じゃあマスクで顔を隠してしまえってことでああしたんです。これとったらえらいイイ男だよといって(笑)、シャー作ったんです。だからマスクは当分、とるまいと思っていたら、2話で勝手にとられちゃった(笑)。

AM. 美形の元祖は何でしょうか。

Yasuhiko. 手塚漫画じゃないですか。

Takachiho.「ビッグX』のハンス・エンゲルスだっていわれているよ。でもいちばん最初に悪役で顔のいいので人気の出たキャラは、なんといっても「バンパイヤ』のロック。これはまちがいない。

Wada. でも、やっぱり元祖はシャーキンでしょうね。ぼくはそれほど興味なかったんですが、うちの女房なんかはベタぼれでしたね(笑)。もうカッコイイの一語につきるそうですよ(笑)。

Takachiho.シャーキンてのは案外不細工なんだよ。なんといっても、親父似だからね(笑)。

Wada. やっぱり悪の魅力だよね。

Takachiho. いや、やっぱり顔でしょう。人気の根源は、ストーリーよりも、まず、そこにある。

Yasuhiko. 初稿はアホキャラだったんです。ズッコケのアホ殿で、黒ずくめの衣装でスペードのもようかなんかがついていたんです。それ代理店の人のところに持っていったら『プリンスがこれですか』っていうわけ(笑)。で、二稿があの形になった。だから、初稿でとおっていたらピエロです(笑)。



アニメの絵は、あくまでも演出の道具なわけですよ。

AM. 安彦さんの絵の魅力というのは、なんなのでしょうか

Takachiho. いちばん最初に目についたのは線"ですね。安彦さんはすごいと思いましたよ。ほかのアニメーターと根本的にちがうんです。ボクは原画みてるから声を大にしていいますけど、紙の上で線が息づいているんですよ。それが動いてどうのこうのということになると、専門すぎてわからないけど、まず一枚絵として見られる絵なんですね。それは非常に重要なことですよ。画面の上で動いて発表されてアニメーターの仕事というのは完了するんだけど、そうじゃなくて、一枚の絵として抽出し売ることのできる、唯一のアニメーターという感じがしましたね。

Wada. そうね、アニメーターで一枚絵でも見ていられるという人はめずらしいですよね。

Takachiho. 一人しかおらんよ。めずらしいといったらあかんのよ(笑)。

Wada. そういう意味で、やっぱり貴重な方だと思います。

Yasuhiko. アニメの絵というのは演出するときの道具なわけですよね。絵を使って演出し、映像をつくる わけです。だから一枚絵で見られるというふうにほめているけれども、アニメーションの絵は、もともと一枚絵のためのものじゃないわけですよね。一枚絵っていうことで演出的にも邪道がどんどん開けてしまうし、だからあまり心が けたくもないし、ちょっとおもゆい部分でもあるんです······。

AM. ところで、安彦さんの描く女性の絵についてはいかがでしょうか。

Wada. 先ほど印象に残った作品は『ライディーン』だといいましたけど、理由はもう一つあるんです安彦さんの描く女性が私の好みでして......(笑)、そういうところから安彦さんのファンに入っていったんです。

Yasuhiko. このあいだ「アニメージュ」の人から、レムリアと桜野マリの顔が似ているようだけども、これはどのような意味あいがあって・・・・・・と聞かれまして、ボクはたいへん困ったわけです。女の顔なんて、どうしてもワンパターンになっちゃう。そんなにいろいろ描けるかってね(笑)。本人が『変えてるぞ』という程度の微妙な変化は、アニメーターの手にかかると、 消し飛んでしまうわけですよ。

Takachiho. やっぱり和田さんも苦労してるでしょう、女のキャラでは。

Yasuhiko. いま『ガンダム』で困るのは、富野さんが女のキャラが好きで、 ワサワサ注文を出してくるん です。女、また女と。おまけにブスは困るというし(笑)。「クムクム」 は安彦氏の代表作?

「ハイジ」を見て「クムクム」を作る気になった。

Takachiho. もう少し全体にわたって演出に気を使えば、もっとおもしろくなった作品じゃないの。

Yasuhiko. 和田さん 「クムクム」はすぐ目につきました?

Wada. ええ、1回目から。

AM. 安彦さんの代表作といえば、原作・演出・脚本・作画とひととおりこなされた「クムクム」があるんですけど、その魅力についてお話いただきたいんですが・・・・・・。

Wada. う〜ん、さあなんていおう。

Takachiho. でも、裏番組の「ライディーン』も見てたんでしょ。あのビデオ持ってたっけ?

Wada. 持っていなかったけど。で本放送で見てたよ。 結局、ぼくが『クマさん』というシリーズを持ってて、それが「クムクム」に近いものだったんですよね。

Yasuhiko. これは和田さんもお好みだと思うんですけど「クムクム」が決定的に影響を受けたのは、じつは「ハイジ」なんです。あれを見て「まいったなァ、テレビでこういうものも作れるのか」と思いまして、あの年に企画書を書いたんです。「クムクム」でいちばん印象に残っているのは、どのお話でしょうか?

Wada. 何の回か知らないけど、 山の上へ行って雲をつかむ話があるんですよね。それがえらく印象に残っていますね。

Yasuhiko. 「クムクム」の場合には両極端があるんです。 徹底的にホームドラマ的に日常的に仕立てたやつと、徹底的に荒唐無稽にしたやつですね。


Wada. どっちが描きやすいですか。 Yasuhiko. ああいう設定ですし、ぼくは最初は荒唐無稽でいこうと思ったんです。ところが制作しててりんたろうさんと話しているうちにわりと日常面のほうが出てきちゃって、そっちのほうに思い入れていったきらいがあるんです。 「ハイジ」の影響なんかもあるし、日常芝居のほうがおもしろいし、キメもこまかくできるし、ということもあったんです。

AM. ところで、テレビ局に1本売るためには、たいへんなお金がかかるらしいですね。

Takachiho. 局はもうかってますよ。

Yasuhiko. えらいお金が動くことは事実なんですよね。たとえば「クムクム」がひょんなことで売れてし まったときには、正直いっておじけづいてしまった。あれはグリコがスポンサーだったね。

Takachiho. グリコの社長が怒った話知ってる? 視聴率悪いわけよ。で、社長がどういうことだ、見 るから持ってこいっていったんだって。そしたら、こんないい作品の視聴率が悪いのは、宣伝が悪いせいだって怒ったっていうんだよ。感動的な話だったね。

Yasuhiko. もうちょっと前に聞いておけばよかった(笑)。

3コマ打ちのアニメでだってできるんです。

AM. とくにいま、こういうのをやってみたいという希望のようなものはありますか。

Yasuhiko. それはやっぱり、ちょっと恥ずかしくてファンタジィをやりたいとは言えないので......。なんていったらいいんだろう。ただ、いろいろやってみたいとは思うけど、やっぱりアニメがメインという流れは、もうできちゃったみたいね。そりゃもう、漫画描いたら漫画家になっただろうしね。だから、ぼく名刺を持たないけど、名刺を作るとしたら、肩書きはやっぱりアニメーターって書くだろうなぁ。

Takachiho. アニメに対する希望は、脚本をもう少ししっかりやってほしいってこと。 結局、安彦さんが絵の面で完璧に押さえていても、シナリオなんかを絶対に押さえる人がいなければ、作品というのは話にならんわけですよ。

AM. 安彦さんのアニメに対する姿勢をお聞きしたいんですが......。

Yasuhiko. 姿勢といえるかどうかわからないけど、アニメにかかわらずテレビでは、しょせんながら族が 相手なんだという口実がありますよね。しょせんは子どもだからというのと同じ理屈だと思うんです。

Wada. よくわかります。

Yasuhiko. だいぶ前に放送作家の方がコラムに書いてたことがあるけど、ながら族が相手だから、ボケーっと見てもわかる程度の内容で書きゃいいんだというのはおかしいんで、ながらで見られるようじゃもう負けてるんじゃないか。ながで見ている人を、いつのまにか画面にべったり引きつけてしまわなきゃいけないんだ。そのために努力すべきなのに、なんでながらが前提になるんだ"といういい方をしてたけど、まさにそうだと思うんです。 しょせんは子どもむけだからというのは、やっぱりまちがっていると思うわけね。

Takachiho. いい脚本構成が必要なんだな。倉本聡さんクラスのライターがアニメ界にもう少し......。

Yasuhiko. 結局、個人的にはぼくはやっぱり絵描きにこだわりますね。でも最近思うんだけど、とくにテレビシリーズのリミットの場合、デリケートな部分の表現というのを、アニメーターも演出家も、早あきらめすぎるって気がしますね。 デリケートな表現ができる作画能力は、いまはあるんです。 あるのにあきらめてしまう。

Wada. 過去のアニメではデリケートな部分なしでストーリーを書いて、それでもちゃんと成立してきたんですよね。

Yasuhiko. あきらめてないのは高畑勲作品とか『コナン』だけなんですよね。ところが、デリケートなことをやりたかったら実写でおやりとか、フルアニメでおやりとかっていうのが、非常にわかったようなセリフとして横行している。 そんなことないわけですよね。三コマ打ちのアニメでだってできるんだと言いたいんですよ。

Wada. できます。 できるはずなんですよね。

Yasuhiko. というところで、三コマアニメーターの居直りというところで、閉めにしましょうか(笑)。

Festivals Feature Part 2

アニメージュ10月号にひきつづいて、 アニメフェスレポート第2弾!!今回は花やかな舞台の表情と、それぞれのフェスの特徴を演劇レポータ一・鈴村由美子さんに徹底取材してもらった!! (編集部)

「アニメ主題歌フェスティバル・歌手・声優大集合!!」

新劇出身者が圧倒的に多い声優界のこと、声優さんを中心とした芝居の自主公演は、昨今ではさしてめずらしい現象ではないが、この夏、ま1週間という異例の長さで昼夜公演を打つという冒険に挑んだのが、神谷明さんを中心とする「フォーインワン」なるグループ。メンバーは、神谷明、福沢良、内田直哉、中尾隆聖の4名。芝居をともにやろうというグループにしては冗談みたいだけど、この4人、もともとはマージャン仲間がこんな形に発展したものだという。このぐらいの期間の公演だと、客の入りぐあい、舞台の出来ばえとも、もっとも客観的に判断しやすい楽日前日の24日夜、池袋に出かけた。当日の天候は雨。夜7時開演、主要観客は女子高校生・・・というような条件を考えあわせると、まさか、劇場前の長蛇の列なんてことはある。い、タカをくくって出かけたのだが、ガクッ。午後6時半、会場に到着してみれば、文芸坐前の路上は手に手に傘をさした女の子で黒山のひとだかり。しかも、これがほとんど前売券を持ったお客というのだから、これビックリである。池袋文芸坐は、ちょうど10年前、「網走番外地」「昭和残侠伝」など高倉健主演の東映ヤクザ映画のオールナイト公演を打ち、そこへ当時の東大生をはじめとするおよそヤクザ映画とは縁のなさそうな大学生たち連日殺到したためマスコミの脚光をあび、アングラ文化、若者文化発祥の地の一つとして、いまもその名とどめる由緒ある劇場だ。その地下2階にあったボイラー室改造して、ことし、キャパシティ100人の小さな小さな劇場を作った。名づけて文芸坐ル・ピリエ。80年代の若者文化の牙城たらんとのねらいで、採算を度外視して作った劇場である。この夜の神谷さんたちの舞台がここ。劇場は、幕なしの小さなセリ出し舞台を中心に、扇状の階段になって客席が囲むという構造。客は、その階段につめられるだけお尻をつめて順に並んでいく。ぎゅうぎゅうづめにしてキャパ100人。この日も、もちろん、消防法限度いっぱいの超満員だ。「初日からずっとこの調子です。昼間が、北海道から九州・沖縄まで地方からかけつけてきたファン中心。夜は、ファンの年齢層もあり、ちょっと心配したんですが、ごらんのとおり東京近郊のファン中心に満員」この種の演劇公演としては異例の大入りつづきに、ほとほと感心したという口ぶりのプロデュース担当、堤孝夫ラウンドハウス代表の話だ。夜7時、いきなり会場のあかりがぜんぶ消え、文字どおり漆黒の闇の世界へ。「ザ・バースディゲイム」の開幕だ。「痛いっ」ドスン、バタ「痛てぇなァ!!!!」「チクショー」またドスン、「うるせえ!!!」本当になにも見えないうち、舞台とおぼしき方向から聞こえてくる声と、音だけの世界が、いやが応でも観客の神経をとぎすまさせる。まっくら闇に放置されること約3分、客のガマンギリギリのところでパッと会場が明るくなり、神谷さん以下4人の出演者のこんがらがりあい、もつれあった姿が、いきなり、ガーンと視界に入ってくる。なんとも斬新で、鋭角的な演出法客席の最後列で、見おぼえのある顔が、腕を組み、ぐっと舞台を凝視している。曽我部和行さん。この芝居の演出者である。「ザ・バースディゲイム」は青井陽治さんのオリジナル脚本。アキラ(神谷)リョウ(福沢)ナオ(内田)。たぶん、なに不自由ない家庭に生まれ、その親の、暗黙の保障のもと、一軒のアパートを借りて同居している3人の若者が物語の主人公。その部屋に大財閥の御曹子であるミルク(中尾)がちん入してくる。このミルクをエサに、誘拐を装い、300万円搾取を狙った3人は、彼に有閑マダムの母、アイドル歌手の恋人、ミルクの出資で事業をやっている友人と、つぎつぎと電話をかけさせるが、全員に鼻であしらわれるばかり。絶対、自分を守ってくれると信じていたものたちから裏切られ、しだいに蒼白になっていくミルク。そのミルクに同情しはじめると同時に、ふと、自分の家族もと、不安のよぎりはじめた3人は、今度は順に被誘拐者となって、それぞれの近親者に電話を入れるが、返るはミルクの場合と同じ。絶対の存立基盤と信じきっていたものの崩壊により、やさし奇妙な連帯感が4人をつつむ。その連帯感の中で、彼らが考えついたのは…そういうストーリーである。演劇公演の成否を判断する最大の目安は、舞台上で展開する世界にどれだけ観客の目と心をひきつけ、作られた演劇空間の中にお客を引きずり込んでしまうかということだ。正直いって、前半30分ぐらい、客席は個々の役者をみていた。神谷さんがひと言セリフをいい、舞台の上でひっくり返るごとに「ワー、キャ」と黄色いかん声。30分を過ぎたころから、ピタリそれがなくなった。客席全体がひとつの黒いかたまりとなってかたずをのんで、舞台を凝視しはじめた。コミカルなシーンで爆笑するほかは、文字どおり、コトリとも音がしない。それだけ、役者、演出家、脚本家一体となって芝居の燃焼度が高かったということだ。シラケと熱狂、不安と恍惚、そういうさまざまな要素が雑然と錯綜す若者の世界をみごとに描ききったすばらしい1時間半の舞台だった。幕が降り、興奮さめやらぬ会場をあとに、楽屋をのぞいてみた。楽屋といっても6畳分あるかなしかの、穴ぐらのごとき、殺風景なコンクリート空間。神谷さんが立ったまま、上半身ハダカで、一生懸命、ドーランをおとしている。関係者全員が入っているから、立ってるだけでいっぱい。おじぎでもしようものなら、即、隣の人の体にぶつかって●まうくらい。「ウン、なかなかよかった。だんだん、ゼニのとれる芝居になってきたヨ」慰問にきていた福沢さんのおとうさんの大声。入口に立っていた曽我部さんが、その声を聞いてじつにうれしそうに笑った。「後半になって、だんだんアニメフアン以外の一般のお客もみてくれるようになったし、同業の人たちもだいぶ見にきてくれました。それがいちばんうれしい」言葉少なに語る曽我部さん。たしかに、声優さんの余業扱いにするにはもったいない出来の舞台。ひとつ、新しい宝物をみつけたようなうきうきする気分で、夜の池袋の街へ向かった。

ボイス・ボイス・ボイス・イン・ナゴヤ

8月26日(日)には、ヤングのメッカ栄(名古屋市内)にある中日劇場で人気者の声優さん16名が「ボイス・ボイス・ボイス・イン・ナゴヤ」のステージをくりひろげた。公演は正午からと午後3時30分からの2回おこなわれ、1500人入る会場はどちらも女子中高生のファンで満杯!!!得意の声の演技を披露する第1部・アニメの世界、にぎやかで華麗な舞台の第2部バラエテ•ィーショー”ある芸能学院の1日"の両ステージに熱い拍手と歓声がおくられていた。しかし、この花やかな舞台が作られていくまでには、いったいどんなドラマが進行しているのだろうか。このレポートでは、その裏側の世界を第2部のリハーサル風景にスポットをあてながら、報告してみよう。「カム・オン・ザ・ドリーム」もうおなじみのあの歌詞が耳にとびこんできた。「ああ、リハーサルがはじまった」とその歌声が聞こえるほうへ歩きだす。時刻は25日午後9時20分。劇場のガラスを通して見える名古屋の街はもうネオンが美しい。歌声はステージからでなく劇場のロビーから聞こえてきた。舞台はセットを組んでいる最中なので、ロビーでバンドの人と音合わせ、ということになったらしい。歌はもちろん神谷明さんといいたいところだが、なんと水島裕くんであった。神谷さんは東京での舞台(フォーインワン)の25日はこられず、あすぶっつけ本番のステージとのこと......。で、水島さんがピンチヒッターで音合わせというわけらしい。水島さんは、ほかの人の歌だというのに歌詞はバッチリおぼえていて、リズミカルに歌いついていく。「はい、オーケー」ということでつぎは松島みのりさんと三ツ矢雄二さんのデュエット「アンとアンディ」。二人は、ジュースのかんを片手にリラックスしたかんじでハモる......。こんなぐあいに「魅せられて」の杉山佳寿子さん「星空の抱擁」の水島裕くん、タップダンスのはせさん治さん、最後は全員集合で「狼少年ケン」「鉄腕アトム」「ホップ・ステップ・ジャンプ」と順調に音合わせは進行した。一区切りついたところで、いよいステージにあがっての舞台稽古だ。客席用のあかりもなく、幕はまだ降りたまま。光といえば幕のすきまからもれてくるものだけ。舞台のそでを裏方さんがヒタヒタと動きまわり、暗い客席では後半の出をまつ柴田秀勝さんや井上真樹夫さん、脚本の辻真先さんら関係者があちこちで黒いシルエットになって黙ってすわっている。午後10時30分、演出の狩野健司さんが合図すると幕があいた。舞台は芸能学院の一教室。この教室にやってきた講師に生徒たちが自分たちの特技を披露する形で舞台は進行していく。学院長役の野沢雅子さん、講師の肝付兼太さんをはじめみんな台本を見ずに、長いセリフをスラスラとしやべっている。いつおぼえたのだろう。野沢さんに稽古のあと聞いてみた。「稽古は東京で1度できょうが2度めなんですよ。でも、私の場合、1度台本を見ながら練習したら、セリフはそれで入ってますね。歴史の年号をおぼえるように、ひとりでぶつぶついったりはしないわ。セリフっ相手役と相対していなきゃ、身に入ってこないものよ」なるほど!!でもやっぱりこれは、ある程度才能の問題だと思うのです舞台は2時間目へ。用務員役のはせさんが、「休憩でーす。1時間目の休み時間でーす」舞台へ消えようとしたところで狩野さんから声がかかる。「はせさん!!!!ここは教室なんで、ドアから出てください。ドアから」舞台稽古はこういったミスがでないようにするために必要なのでしょう。このあと、麻上洋子さんのスライドを使っての絵物語の朗読、杉山さんのギニヨールを使っての愉快な歌など、この名古屋が初公開の出し物を中心に稽古は進んで、一応の通し稽古が終わったのが、午後11時55分。しぜんに拍手が湧いてだれかれともなく”お疲れさまー"の声がかかった。ところがところが、ソロの歌があ柴田、井上(真)、藤田淑子さんから、ぜひもう1度歌っておきたいと声がかかったのだ。とくに柴田さんは、彼自身が作詞し、作曲を藤田さんに頼んだという歌(道化役者)だけあって、ぜひ成功させたいという意気込みはたいへんなものだ。今度はなんと、楽屋でリードギタの人がつきあっての練習がはじまった。藤田さんの「雪女のテーマ」は4月の日劇以来歌っている歌なのでもうほぼ完全なあがりだ。井上さんの「ありがとう手紙」はまだ歌いなれないらしく、途中でテンポがずれてしまう。柴田さんも語り"が入るむずかしい歌で、でだしがうまくつかめないらしい。ギターの人が、そのポイントを何度も何度もひいてどの音を聞いたら歌いだせばいいかを根気よく説明してくれる。10回も歌ったろうか、やっと各人が納得の表情を浮かべた。誰かが、時計を見た。時計の針は、0時40分をさしていた。

NHK 子どもサマーフェスティバル

われらがアッキーこと神谷明さんが“NHKホール"に出演したことを、きみは知っているだろうか!?!?!8月18日「NHK子どもサマーフェスティバル」がNHKホールで開催され、それに白地にスパンコールまるで王子さまのような衣装で出演し、NHKで放映中の人形劇「プリンプリン物語」の挿入歌「今こそ」や「カム・オン・ザ・ドリーム」「マイ・ウェイ」を堂々と歌ったのです!!!それになんと、ベルトにはさんであったハンカチをまるでプレスリーばりに、客席に向かって投げたりもしたのです!!!神谷ファンが喜ばないはずがありません。後方の席からワーッと前のほうへ駆けてきたりして、その人気のすさまじさに、NHKスタッフは目を白黒といった感じ......。ちなみにこの「プリンプリン物語」神谷さんは“ボンボン"の声をあてているのです。人形たちもとてもユニークな出来ばえですから、一度見てみると、また一味違った神谷さんの声のお芝居が見られると思います。さて、話をもとにもどすと、このフェスの第3部では、NHKの人気アニメ「未来少年コナン」「キャプテ・フューチャー」「マルコ・ポーロの冒険」に出演の富山敬久松保夫・富田耕生・小原乃梨子・広川太一郎・肝付兼太・麻上洋子・野沢雅子・吉田理保子・井上和彦・三ツ矢雄二の豪華メンバーがせいぞろい。得意ののどを披露してくれたのです。とくに、マルコ出演スタッフが見せてくれた寸劇は大傑作!!!!というのも、富山さんはマルコ少年のような民族衣装に帽子という若がえった(失礼)衣装を着、ミリアム(マルコ第1話に登場)役の麻上洋子さんと恋を語るうちに、いつのまにか古代進くんと森雪さんのセリフになっていったりして・・・・・・。場内はそのサービスぶりに大拍手!!!さてラストは、めったにステージをもたないことで有名な小椋佳さんが、マルコの主題歌「いつの日か旅「する者よ」を歌いながら登場!!!これはプログラムにも知らされていなかったのでみんなビックリ。「声優さんたちだけじゃなくって、小椋さんの歌も聞けるなんてすごく得したかんじ!!!」と隣席の女の子がつぶやいた。小椋さんはこのあと、来年自分の手で上演する子どもだけのミュージカルの出演者(踊りが抜群に上手な外人の少年少女たちと、ステキなおしゃべりと歌を聞かせてくれて、舞台は花やかなフィナーレへ.....アニメーションでは、やや後発のNHKが声優さんを中心に組んだはじめてのイベントでした。

「機動戦士ガンダム」上映会

アニメの上映会というのは、だいたいにおいて、放送を終了した過去の作品を改めて鑑賞しようというのがふつう。そのふつうをくつがえし、現在、テレビ朝日系で放映中の(キ局、名古屋テレビ)「機動戦士ガンダム」を、はやくも再鑑賞の対象にしちゃおうという、超えてる上映会が、8月27日、東京・芝のABCホールで開かれた。主催はなんと当のキー局である名古屋テレビ。上映会開催のねらいも、まことに単刀直入で、「視聴率がいまひとつふるわない。中・高校生を中心にした高年齢層からは熱烈に支持されているのだが、低年齢層の人気がいまひとつ。周知のようにテレビアニメというのは、おもちゃを中心とした関連商品が売れないと商売にならない。中・高生じゃダメなんです。そこで、チビッ子層にもっとアピールして、視聴率倍増、ついでにおもちゃの売り上げも倍増を」と企画したのがこの催し(広告代理店創通"スタッフの話)ところが、客席400の当日の会場はとみれば、満員は満員だが、期待した小学生以下のチビッ子など、100人いるかいないか。あとは、みご「無敵超人ザンボット3」からダイターン3、そしてガンダムへとつづくこのシリーズの生みの親・富野喜幸総監督の熱狂的ファンを中心としたヤングばっかり。「見向きもしてくれませんワ」とロボットやら、プラモやら、ズラリ並べた関連商品の陳列コーナーを前にスタッフは撫然たる面持ち。しかし、主催者の思惑はずれにちょうど反比例するように、会場に集まったファンにとっては、この日の催しの中味は充実度満点。見逃した人が多いという”ガンダム"の第1話、第2話のほか“ザンボット3"の最終回、それに“ダイターン3"の第22話とおまけもついて、上映作品がつごう4本。また、古谷徹(アムロ)池田秀一(シャア少佐)鈴木清信(ハヤト・小林)と3人の人気声優さんが登場してのアフレコ実演では、3人ともノリ過ぎて、台本を終わっても引っ込まず、あげく「富野さんってウルさいんだよネー」「オイ、富野さん、会場に来てるんだぞ」等々、楽屋ウラ情報まで暴露におよび、会場は爆笑の連続。白石冬美さんほか、共演者のテープメッセージ、さらには紙袋いっぱいにつまった商品が当たるクイズ大会などなど。そして、いよいよ真打ち富野総監督の登場だ。「作っているプロセスで、それについて話すことはなにもない。作品をとおして話すことが本筋であり、こういう場所で話すのは邪道だと思う」というピシャリと決まった挨拶でしめくくり、約2時間半中味があふれだしそうな盛りだくさんな出しものがつづいた。いい忘れていたが、入場料はもちろん無料。帰りには全員にプラモやポスターの入ったテレビ朝日の紙袋が1個ずつ、おみやげにつくといういたれりつくせりのおモテなしぶり。それもこれも、名古屋テレビの重役氏が冒頭、アイサツした理由による。「テレビ局はなんといっても視聴率が第一です。スポンサーで成り立っています。どうぞ、きょうは親せき、知人、弟、妹さんに商品を買って帰ってください。そして、ガンダムをみるようすすめてください」なお、この催しにはわが「アニメージュ」も〝後援”しました。

紅三四郎一拳上映会

中・高校の夏休みが明けた9月2日の日曜日、昭和44年、フジテレビ系で放送された竜の子プロ作品「紅三四郎」の一挙上映会が東京・目黒区公会堂で開かれた。何度か再放送されているから、ご存じの方も多いだろう。「紅三四郎」は、謎の義眼男に、柔道紅流の総帥だった父を殺された少年三四郎(声・西川幾雄)が、父の仇を求め、真紅の柔道着を肩に孤児のケン坊(雷門ケン坊)犬のボケ(大竹宏)ともども世界各地を放浪してまわるという2回連続作品。アニメがカラー化した直後に出た作品であり、当時としては、その色彩の出し方が驚異といわれ、カラー賞なども受賞している。今回の上映会は、全国のファンが実行委員会を作り、竜の子プロに申入れて実現したもの。なにしろ、昭和44年当時のアニメ視聴者だ。実行委メンバーのほとんどは、いまや立派な大学生や社会人その昔、恐ろしかった教育ママ連にもはやなんの遠慮がいろう。同じ見るなら、一挙に2本を堪能するまで見ちゃおうというわけで、朝9時20分から夜10時近くまでぶっとおし上映するというハチャメチャ(?)スケジュールを設定した。目黒公会堂のキャパシティは約1000席。入場料1000円也を払い、開演時間までに結集したファン約200名。まったくマスコミ告知をせず、ファン同士が口コミで伝達しあっただけだから、主催者によれば「よく集まったほう」。1000の座席に200人。その少なさが実にいい。主催者挨拶やら出演者のメッセージやら、そういう前置きいっさいなし。9時20分が来るといきなり、あかりが消え、第1話「あらしの風雲児」のタイトルがブワァー。観客のほうは、一人で6つも7つも座席を占領しちゃっていナっからサンダルやスニーカー脱いじゃって、ヒザの上にゃおセンベの袋やお弁当広げて気まま放題、リラックスし放題。国鉄の〝銀河鉄道ロマンの旅”やら何やら、目いっぱいの熱狂というか混雑の中で開かれたこの夏のアニメ関連イベントに数数つきあった身にとっては、この閑散たるふんい気は、アニメ愛好家の催しの原点をみる思い。逆に、きわめて新鮮な印象であった。第1話がはじまるや、午後1時と5時過ぎに2回、30分程度の休憩あるのみ。トイレなどへは1~2分のステブレを利用し、アタフタとかけ込むという、いささかお尻の痛い上映会ではあったが、作品をじっくり味わうという本来の目的には、またとない環境のロンゲスト・イベント。ただ1点、1000円×200人、会場賃貸料やらフィルム借り出し代やら、果たして採算とれるのかナァと、あらぬ心配をしていたら、「公会堂なので、会場費もそう高くないし、トントンか少し赤字。それでいいんです。今回の反響がよければ、過去のいろんな作品をこの形式上映して反響をみていきたい」(竜の子プロスタッフ)商魂のみがハダカ踊りする催しものが少なくないなか、この精神は、"いうことなし"のさわやかさだった。

石丸博也FC&森功至FC合同イベント

去る8月7日、東京の中野公会堂でひらかれた石丸博也FC&森功至FC合同イベントでの「天狗女房」(原作・竹内勇太郎)のあらすじとシナリオを一部紹介しよう。▷登場人物もん・大杉久美子。彦さ・森功至。天狗・水木一郎。力丸・塩屋翼。長者・石丸博也。▽あらすじある村にもんと彦さという二人の若ものが住んでいた。二人は親も認めた婚約者。ところが、長者がもんを女房にするために、やってくるという。困った二人が考えだしたのは、長者は前に天狗にひどい目にあっている。だから、彦さが天狗のかっこうをして長者に「天狗が夫になる人だ」といってあきらめさせるという策略だった。彦さは天狗の衣裳をさがしに町へ。そこへやってきた長者と手下の力丸。もんにせまる長者と逃げるもんを力づくでおさえようとする力丸。もんは彦の化けた天狗をよぶ。ところが、やってきたのは本物の天狗。彦さだと思っているもんは、うちあわせどおり「これが、おれのおかかになるおなご」といわせる。長者はしぶしぶその場を去る。そのあと、本物の天狗だと知ったもんは恐怖におびえるが、何もせず去っていく天狗。少しおくれて天狗の衣裳をつけた彦さ登場。ウロウロしているところへ長者と力丸が銃をもってあらわれる。本物の天狗だと思っている長者は銃をつきつける。なんとか命ごいをする彦さは、ひどいこ長者にいわせられる、そこへ本物の天狗があらわれ、二人を救う。そして、二人にむかって、仲よくくらすようにというのだが、あんなこという彦さにあいそをつかしたもんは天狗を追いかけていく。以下のシナリオは芝居の中でのヤマ場だが、長者に命を助けてもらおうとする彦さの場面からはじまる。

SPECIAL TALK TOGETHER: Three Popular Manga-ka

Panel:

Keiko Takemiya
Nanae Sasaya
Shinji Wada

AM. 秋の新点検ということで、6本をそれぞれごらんになっていただいたわけですが、まずはみなさんのいちばん気に入った作品をあげていただきましょうか。

Keiko Takemiya. むずかしいですね、ひとつだけあげろというのは...。単にすきだというのだったら「ゴーディアン」ですね。むかしの少年漫画のプロローグという感じのところが気に入ったし、期待がもてそう。ま、1回目だけではまだわからないけど、巨大ロボットものにしてはキャラクター出てき方なんかが魅力ありましたね。

Nanae Sasaya. 私も「ゴーディアン」。 それに「ベルサイユのばら」。このふたつは別なタイプでしょ。ひとつにしばるのはムリだけど。 両方ともキャラクターがカッコいい。これはウケるだろうなとか、これは喜ばれそうだなっていうポイントを押えて作られていますね。そういう意味でこの2本は安心して見ていられた。とくに「ベルばら」はきれいだった話自体おもしろい。

Takemiya. きれいでしょう。私もどっちにしようかと思ったんだけど「ベル「バラ」は一応、話のほうは知ってるわけよ。だから、その期待度という点で「ゴーディアン」にしました。

Shinji Wada. ぼくはやっぱり「ベルサイユのばら」ですね。お二人がいわれたように、先を知ってるというか、あある程度話がわかっているんで、こんどはそれをどうやってアニメにするかとか、どう生かしていくかということに興味があるんですよね。 ま、一応そういう意味では満足させられ。

Takemiya.それに第1回は、原作にない部分を描いたということでおもしろかったですね。

AM. ところで、みなさんのアニメ体験というと、いつごろからアニメーションをすきになったのか、そのあたりを話していただけませんか。

Takemiya. 私はすきだといっても「アニメージュ」を読んでいるアニメマニアの人たちほどには、技術的なものなんかは全然知らない段階で、遠くの世界のものという感じで見ていたんです。 東映の劇場用アニメの「白蛇伝」 なんかね。テレビでは「鉄腕アトム」でした。

AM. 17年くらい前ですね。

Takemiya. そうなりますか(笑)中学2年だったと思うんだけど…。 それからちょっと見なくなった時期があって高校あたりでやめちゃった。 それからまた「ライディーン」「ヤマト」って見はじめた時代があるんですよ。

AM. とくにこれがすきだったというのは?

Takemiya. 私はやっぱりむかしの「西遊記」とか「白蛇伝」とか、あのへんのがすきだったんです。とくに「西遊記」のサルの女の子、リンリンちゃんに惚れこんじゃったんですね。それと、とにかく孫悟空の性格がすきだったんです(笑)。

AM. ささやさんの場合は?

Sasaya. だいぶむかしからディズニなんかがすきだったんです。 子どものころから「バンビ」とか劇場用のものを見ていましたね。

Takemiya. そういえばあのころ、ディズニーと東映動画と並行して見ていたな。

Sasaya. そう。私もそうだったな。「シンデレラ」とか「眠れる森の美女」とか、もうキャーキャーいって見てたわ。「白蛇伝」も見たし。だけど、惚れこんだというのは「長靴をはいた猫」を見たあたりから....。最後のピエールとローザ姫が抱きあうところなんか、どうしてもフィルムにおさめたくって、映画館にカメラをもっていってシャッターを切ったりしたくらい(笑)。

AM. テレビのほうは?

Sasaya. 「カムイ外伝」だったかなあのころは。でも私、絵もすきだっだけど、中田浩二さんの声にすごく惚れちゃったんです。いま声優さんにすごく夢中になる女の子たちが多いっていうけど、私なんか、そのハシリみたいなもんですね(笑)。

AM. 和田さんは、もちろん......。

Wada. 「ホルス」です(笑)。 高校3年のときに封切の初日に行って、それから狂い出しました(笑)。

AM. どこに狂ったんですか?

Wada. 要するにキャラクターが生きているというところにです。ふつうの日常生活を描いたドラマではなく、ファンタジーであってかつ日常性をもっているみたいなところに、徹底的にイカレましてね。 いまだに残っ一部自分絵コンテにしてますが、でたり、自分で何ページか書いてみたりしたんです。それでボクもアニメをやりたいと思って東京に来てから東映動画でアルバイトしたり...。19歳くらいかな。

AM. それでは各作品について批評していただこうかと思いますが 「ベルばら」の評判がいいので、このあたりから......。 先ほど、竹宮さんのほうから、原作にない部分の処理のしかたが非常にうまかったという意見が出たんですが......。

Takemiya. アニメらしい処理のしかたというのかな、決闘シーンとか剣の練習をしているシーンとか、アニメじやなくては迫力が出ないというところを最初からずいぶんうまく入れてつくっていた。そういうところがいいですよね。

AM.「ベルばら」はキャラ設定なんかでいうと、かなり原作に近いものでした。キャラ設定はよかったか悪かったかみたいなことでいうとどうですか?

Wada. アンドレとオスカルの相互の関係が原作とちょっと違うような気がする。二人の立場がえらく近いような気がして。もっと影のようにつき慕うというのが原作での設定だったと思うんですが。 そのへんがひっかかったくらいで、あとはそれほど問題はなかったように思うんですけどね。

AM ここはよくなかったというところはとくになかったですか?

Sasaya. たいしてさしつかえはないんですが、オスカルがアップになるとバックがキラキラッと光るのがね。ちょっと気になったわね。やたら星が散りばめられて耐えられなかったのね(笑)。

Takemiya.それは私も気になったわ。マレンガの場合はふんい気が出ないからしょうがなく入れる。けど、アニメはあれだけ色もついていてキラキラしてるし、動いているというだけでひきつけられるんだから、なにもそこまで星を入れなくていいよって思うのね(笑)。

Wada. ま、音楽もよかったしね。

Takemiya. 剣をあわせるシーンは印象的だったわ。

Wada. オープニングも凝ってたけどどっちかというと凝り過ぎだね、あれ(笑)。出た"ときギクッとしたもんね。いいのかなあと思ってしばらく見てたけど......(笑)。

AM. 「猿飛佐助」はどうでした?

All.ハハハ・・・・・・(笑)。

Takemiya. まず、最初に悪口がはじまったのよね、待ちあわせたときに。(3人は喫茶店で待ちあわせて、座談会場へ到着)

Wada. まず、歌が下品だね(笑)。

Sasaya. 話も子ども向けにしてはちよっと中途半端なところがある。

Takemiya.教育的な要素も、親切にわからせようというところもなく、全体に短絡なんてひどいということになった。

Wada. キャラクターはかわいいんだけど。

Takemiya.でも、ああいう作品なら「風のフジ丸」を再放送したほうがいいという感じ。 Wada. キャラに色っぽさがないね。色っぽさっていうのは魅力につながるからね...。

AM. 平面的な顔のキャラだったでしょう。いまのアニメは、みんな複雑に描いてあるんで、ああいうのもあっていいんじゃないかなという気はしたんですが......。

Takemiya.でも前にも、たとえば「徳川家康」とか「一休さん」とかかわいらしいのがあった......。つぎに「燃えろアーサー」に行きましょう。

Wada. 地味な感じだけど、じっくり見るとみせるんだね、わりと。でもいかんせんテンポがのろい。視聴率はどうなんですか?

AM. いいです。 時間帯のよさもあるかもしれませんが・・・。

Takemiya. 男の話だから、地味すぎますね。それに「円卓の騎士物語」 なのに現代的すぎるところもある。「ベルばら」

AM. が、あそこまでコスチュームを凝れるんだから、もっとしっかりやってもいいんじゃないかと思う。

Wada. やっぱり、テンポを速くすることでしょうね。それと、女性を出すこと(笑)。それと、全体の色のトーンを変えてみるのも一考してみていいんじゃないですか。色によって中世〟をだせると思うんです。

AM.「ゴーディアン」。これはさっき、評判がよかったんですけど。

Wada. キャラが魅力的ですね。

Sasaya. でも声がね。ちょっと気に入らなかった。顔とあわないような気がして。 ま、それは個人的な意見ですけど・・・。ただ、あの黒ヒョウがよかった。

Takemiya.私も(笑)。

Wada. そういえば、むかしよくあったもんね。 精悍な動物なんか連れてんの。

AM. 悪いところは......。

Takemiya. やっぱり、少しテンポがのろいのかな。

Sasaya. そうね。 ようやくゴーディアンが出てきたときに、これは絶対味方よって思ったところで終わったでしょ。困るわね、ああいうの。

Wada. それで2回目を見てようやく話がわかったという感じでね。1回目に2回目の分も一緒にぶちこむべきでしたね。メリハリがもう少しほしかった。

AM. つぎに「こぐまのミーシャ」はどうでしたか?

Sasaya. あのテーマが気に入らなくて、のけぞって見てたわ(笑)。〝いじめてくれてありがとう”っていう場面ではバタッと倒れたの。ホント、押しつけがましくっていやだった。

Takemiya. 無理やり楽しませてるっていう感じだったわね。

Wada. テーマの生かし方がなってないんだよね。教訓でしめくくるのは、あまりにも……だね。全体にやたらとおとなが出てきてね、出過ぎだよ(笑)。そもそも“トンデモ村" の設定があまりよくないんだよね。

AM. 絵はどうでした?

Wada. ちょっとアメリカナイズされてる感じで、ぼくはあまり入っていけなかったんだけど。

Takemiya.害がなさすぎて、ひきつけられないという感じ。

Sasaya. ただ、キツネかなんかの子が4匹そろって同じ格好してるのあれがカワユかったわね。こんどの新番組中、一番気にいったキャラよ、あれは。

Wada.Takemiya. ネコかと思ったけどね(笑)。

Sasaya. キツネでしょう、あれ。

Takemiya. ネコよ、ぜったい!!(笑)

AM. あとで調べて写真を手に入れ、本にのせます(笑)。

Wada.Sasaya.Takemiya. お願いします(笑)。

AM. 最後に大型番組「宇宙空母ブルーノア」。2時間ではじめるという画期的な試みだったんですけど・・・。

Wada. 意欲は買えるんだけど、わァ・・・という感じでしたね。

Takemiya. きついいい方をすると、あれは2時間やって見せ場が一か所もなかった。ヤマトがあれだけよかったので、期待はずれでしたね。

Wada. とにかく、キャラクターに魅力がない。それでコスチュームが泥くさい。それでいてストーリーは「ヤマト」に似ている・・・。

Sasaya. あの音楽、あれ「ヤマト」のイントロじゃないかと思ったら、途中で曲が変わって倒れそうになっちゃった(笑)。

Takemiya. なにからなにまでヤマトに似ていますね。それをいいはじめると。

Wada. 主人公に動きがなかったしね受け身だけで。それに都市の背景がちょっとひどいような気がした。

Wada. ただ一か所だけ、土門ケイという女の子がはじめて出てきたところの彼女の顔がやたらよかった。

Takemiya. あの顔は、すごく新鮮だったわね。

AM. が、一般に、原作のある作品をアニメ化する場合、ファンのあいだに賛否両論あるんです。原作のイメージをこわすからけしからんという意見と、ストーリーがわかっているからつまらないという意見の否定論が圧倒的に多い。竹宮さんの場合はどうですか? こんどの「地球へ」のアニメ化の場合は!!

Takemiya. やっぱり、ファンのあいだには否定派が多いですね。イメージをそこねる、という意味で。私が描くんならいいけどほかの人にまかせてはダメ、というような・・・・・・。でも私自身は、やはり仕事として未知の可能性に賭けたい気持ちがあるんです。

AM. アニメじゃなく、実写の監督恩地日出夫氏)がやられることの不安感はありませんでしたか? Takemiya. ありません。むしろ、どんなのができるんだろうというような期待感のほうが大きいですね。たとえば、宇宙の描き方なんか、すごく奇妙な、映画監督でなきゃ出せないというようなやり方で作っている。

Wada. おもしろそうだなあ。

Takemiya. そう、声なんかも新劇の人に声をふきこませたあと、それにあわせて絵を描くとか、恩地さんならではの方法でやっていらっしゃる。

AM. 映画化される場合、演出家の人の意図がその作品の中に注入されてくると思うんですが、そのへんはどうお考えですか?

Takemiya.ですから私、たとえば登場人物の体の動きひとつにしてもクセなどちゃんとおさえて監督に伝えてあるんです。でも、できれば、もう少しこまかいところまで口だししてみたいですね。それに、とにかくイメージが狂ったらイヤだということで最初は断わっていたんですが、 東映のほうが一生懸命なんでOKした。ま、賭けてみようということで。 それと、恩地さんが監督ということもあり、あの人ならまかせられると思ったんです。

AM. チェックする条件は入れたわけですね。

Takemiya. 松本零士さんと同じように、ということで。たとえば、キャラ設定なんかいちいちこまかいところをいっていますが、 ぜんぶキチンと伝わっているみたいですね。

AM. 話は戻りますが、この秋の新番組をごらんになって、総体的にどうでしたでしょうか。過去のアニメ作品なんかとくらべた場合は!?

Wada. 上向きとはいえないですね。企画そのものに、疲れがみえています。結局、やっぱり「ゴーディアン」はロボットものでしょう 「猿飛佐助」はノスタルジア 「ブルーノア」は「ヤマト」の路線ですよね。「ミーシャ」っていうとカワイイあの感じだし。「ベルばら」だけがちょっと異色でしたけどね。

AM. みなさんもそうですか。意欲を感じた作品としては。 Takemiya. 1回や2回じゃわからないけれども、だいたいそうですね。

Sasaya. そうですね。どっちかというと日生スペシャルアニメとか、あっちのほうがいいのがあったりする。「とんでもネズミ」なんかかわいかったしね。

Takemiya. すごく基本的なギャグなんだけど泣かせる場面があった。

Wada. トラなんかじつによかった。

Sasaya.カエルとかオバケも... カワイイのよ。ノスタルジアかな。でも、いい意味のなつかしさよね。

Takemiya. いまは、もうああいう作品は全然ないものね。あれがアニメの世界なのよねほんとうは、むかしからあったファンタジーの世界だけど。

Sasaya. 私はあと「ラスカル」とか「ペリーヌ」が好きだったなあ。

AM. そこで、こんごどんなアニメ作品が作られていったらいいか、具体的におきかせください。 Takemiya. 陽性のアニメーションということで「狼少年ケン」 みたいな、理屈なしに子ども向けの世界の作品。あれは、ファンタジーだったし...。

Wada. それと胸のワクワクするようなものがほしいな。テーマソングにしても最近、バラード調が多いけど、子ども向けじゃないと思いますね。たとえばむかしの 「バビル2世」 みたいなワーッという感じで盛り上がる作品がいい。

Takemiya. 「コナン」でもまだ不足ですね。もっともっと陽性に!

Sasaya. 私、男の子と女の子の中間をとったようなカワイイ絵が出てほしいな。

AM. 最近の傾向として、非常にリアリティのある作品というかナマナマしい話が多いんですね。

Takemiya. やっぱり、もっと突飛なことをやらなくちゃダメなような気がする。だいたい、人間自身がそうなんだけどね。原始的なところがなさ過ぎてイヤなのよね。だから「ゲゲゲの鬼太郎」とか「妖怪人間ベム」のようなのも見たいと思うんだけど・・・。

Sasaya. とにかく、アニメ界の人にがんばってほしいな。 Wada. けど、ぼくたちもがんばらなくっちゃ。このままだと、まんがの領域をおかされそう・・・(笑)。

70 Years of Anime Films: Roundtable Discussion

Panel:

Akira Daikuhara
Taiji Yabushita
Yasuji Mori

1. アニメーションを見たくて、も危険度が高くてがなかった......。

AM. きょう集まっていただいたみなさんは、日本初の本格長編カラーアニメを手がけ、現在も前に倍するエネルギーをアニメ製作し後進指導に注がれているお三方。そこで、みなさんがアニメ界にはいられたときの状況や動機、作品制作時のご苦労や抱負などを裏話をまじえながらお話しいただければと思います。

Taiji Yabushita. 私がアニメーションに関係したのは戦後のことで、年齢的にいってずいぶん後輩なんですよ。昭和2年に私は松竹にいたんですけど、文部省が教育映画の製作を始めることになり、いってやってくれというもんだから、そこでいろんな映画をつくりはじめたんです。それで、アニメーションのプロダクションを見に行ったり、つくり方を教えてもらったり、手伝っているうちに仲よくなったわけですが、戦争になって官庁は現場仕事をやらないということになり、そんなことじゃつまらないからということで、私は文部省をやめたんです。そして、戦後になって東宝に紹介され、はじめてアニメーションの仕事にはいったわけです。だから、アニメーションの技術があるとか、熱病みたいに好きだとかじゃなくてはいったものですから、20年近くやった文化映画の経験で映画のまとめ役ということで、アニメにかかわったわけです。

Daikuhara. ボクは新聞広告ではいったんです。ボクも藪下さんと同じようにアニメーションなんて知らなかったわけですよ。何か絵の仕事がないかって……。 絵が好きだったもんですからね。

AM. 大工原さんというと、幼いころに、「少年少女譚海」とかの雑誌で、お名まえを知りました。

Daikuhara. あれはアニメーションにはいってからです。ボクは体が弱かったから、とにかく絵で食べていける仕事だったらなんでもいいと思っていましたら、新聞に鈴木宏昌漫画映画製作って載っていまして、ちょっと行ってみようと思い、行ったんです。そしたら、芦田厳さんがボクより5、6歳年上だと思うんですが、友だちみたいな感じで、ここなら勤めていけるなと思って、そこにはいったのがキッカケです。

AM. 何歳ごろですか。大工原戦前......。

Yabushita. 3人の中でいちばん古いんじゃない(笑)。

Daikuhara. いや、古いって…だってセル洗いから始めたんですよ。それからディズニーの作品を見て、絵を描くのがいやになったりしたんですが、芦田さんが兵隊に行ってしまったので、困ったなと思っていたら山本早苗さんに誘いをうけて、山本さんのところへ行ったんです。戦争中は山本さんが、村田さん、政岡憲三)さん、鈴木(宏昌)さんの4人で海軍省教育局の教材映画研究所っていうのを作り、そこで仕事をしていたんですが、終戦になって、日本漫画映画株式会社というのができて、そこに移ったのです。で、日動(日本動画株式会社)が分かれたわけです。ボクは山本さんのところにいたもんですから、義理もあるので、しばらくして日動へ行ったんです。

AM. 森さんは、いかがですか?

Yasuji Mori. ボクは藪下さんより、ちょっとあとぐらいです。戦後なんですけど、学校で建築を勉強していまして......。図面を描くのがうまかったもんで、卒業まぎわのアルバイトで歌舞伎座の復旧工事を手伝ったわけです。そうしましたら、屋根ガワラを一つ一つ描きましてね。学校出てこんなつまんないことするのかと思いましたら、ちょうど政岡さんの知り合いのかたがいらして、藪下さんがいらっしゃ日本動画社にたずねていったんです。その前に浅草で漫画映画を見ていまして、これはおもしろそうだと思っていたんです。それで、政岡さんにお会いしたら”やめろ”っていわれたんです。アニメじゃ食えないし、建築のほうがいいって。しかし、どうしてもやりたいといいましてね・・・・・・。

AM. 当時のアニメはどうだったんですか。 子どもじゃなくて、おと感心して見たように聞いているんですけど。

Mori. たしか、漫画映画を16、18歳で感心して見ていたら、バカにされたような時代だったと思います。ボクも、やっぱり親戚の子どもを連れて行ったような気がします。

AM. それは自分から見たいという形じゃなくて。

Mori. もうろうとしておぼえがないですが、やっぱり興味があったから「行こう」といったんでしょうね。

AM. そのころの映画館のようすはどうだったんですか?

Yabushita. 映画館には、あまり出なかったんだよね。たとえば政岡さんの「くもとちゅうりっぷ」とかは松竹でやりましたけど、アニメ以外の映画、ニュースなどとくっつけて上映されるんです。

AM. アニメが小屋がけされるにしても、そえ物ていどだったわけですか。

Yabushita. その当時は映画館自体が、採算価値がないということでとり上げなかったんですね。だから、やるからには長編にして、トリの作品に使えるようなアニメーションが考えられたわけですが、それに手を出す会社がなかったんです。危険で......。

AM. そうしますと、アニメを見ようにも上映館を捜して歩かなければ見られなかったわけですか。

Yabushita. 特にアニメーションを見たいといって、歩きまわる人も少なかったですからね。まあ、見せられればおもしろいとはいえましたけど、だいたいはアメリカ映画が多かったですね。

2. 原画を何枚描いたかじゃあなて、1日何寸描いたと紙の厚さで仕事の量をはかった人もいた。

AM. いちばん最初におつくりになった作品というと?

Yabushita. 私ははじめ日動という会社で、カメラをやっていたんです。昭和22年ぐらいかしらね。 コマ撮りの撮影をやってね。何をやったかなあ、忘れちゃったな。

AM. 最初はカメラですか。

Yabushita. ええ、コマーシャルの仕事なんです。いまでも日本TVのオープニングタイトルがあるでしょう。ハトがパタパタしてる..。あれがいちばん最初にやった作品で、日テレは開局以来使っています。

Daikuhara. ボクは漫画よりさし絵のほうが好きだったんです。ですから、アニメーションそのものより背景に興味があって、そっちのほうに10年ぐらいいました。村田安司さんが背景はうまかったですね。もちろんカラーじゃないですから、白と黒の使い分けというかコントラストが非常にむずかしく、村田さんが描くのを見て勉強しました。エアブラシなんかなかったですから、空なんか塗るときはカラ羽毛で濡れているうちに乾いた羽毛でバーッとぼかすんです。そうすると、きれいな雲ができるんです。そういうのを見ていて、非常に興味がわいてずいぶんやりましたね。

Yabushita. 東映動画の長編だって、大工原さんが試しに描いたのを、みんなマネしたりしたものね。

Daikuhara. 政岡さんの「トラちゃん」もので、はじめてアニメーションを描いてみろっていわれ、政岡さんのお宅へ行って原画をもらって描いたところが、政岡さんがヘタでダメだっていうんですよ。それでシャクにさわるから、背景よりアニメーションをやってみようと思って、本格的にやったの日動へ行ってからですね。

AM. 雑誌の仕事が多くなった時期もありましたね。

Yabushita. あの時代、みんな映画じゃえないから・・・ね。

Mori. それとやっぱり、日動も1回解散しちゃったりして、スタジオがないもんですから、ペンキ屋へ働きに行ったり、デパートに行ったり、雑誌の仕事をやったり。

Daikuhara. 探偵小説の「宝石』に描いたり、山川惣治さんや小松崎茂さん、岩田浩昌さんなんかやっておられた「七日会」に入れてもらったり、さし絵はずいぶんやりましたが「譚海」の会社がつぶれちやって、40万円ぐらいの手形をイにしたり.....。

Mori. いまだったら何千万じゃないの大工原さんが自殺したなんてウワサがとんでね。

Daikuhara. ボク、そんなことで死にやしないよ(笑)。絵描き連中の集まりに行ったら「あっ、大工原さんが来た。幽霊じゃないか」なんてこちらがビックリしました。

AM. 非常につらい時代だったわけですね。

Mori. 熊川正雄さんも雑誌を多くやられましたが、瀬尾光世さんは、「王様のしっぽ」を最後にして雑誌に移られましたね。

Yabushita. あの人は馬力があって、アニメを1日に何枚描いたかじゃなくって、厚さ何すとかで仕事量を計っていました。

3。森さんや大工原さんのもとで、腕の達者な原画アニメーターが育っていた。

AM. みなさんも、それぞれの持ち場で、たくさんの仕事をされてきたわけですが"ここは自分の作品だ"という部分をお持ちだと思うんですが。

Yabushita. 私の場合はやっぱり「白蛇伝」が、いちばんつくりやすかったですね。あのころは、つくるほうも見るほうも、あまりアニメっていうのがよくわからなくてね。文句も出ませんでした。

AM. 中国の伝奇に題材をとったのは、なぜだったんでしょうね。日本のものも企画にあったと思うんですけど。ただ、あのころ「白夫人の妖恋」という実写ものがありましたね。

Daikuhara. 池部良なんか出て......。あの企画が出たとき、ボクは中国のさし絵を見たんです。

なまなましいヘビとか裸の女なんかがあって、これで漫画映画になるのかなあ、という感じだったですね。 Mori. 「白蛇伝」が長編映画になるなんて、ボクは作っていても信じられなかったですね。

Yabushita. それは、はじめてだからみんながそうだったんだよ。

Mori. こんなのが映画になるのかしらと思っていましたよ。

Yabushita. 脚本ができてこないんだもの、最後まで。

Mori. そう。絵コンテもスタートしたときはなかった。

Yabushita. 毎日毎日、絵コンテづくりですよね。このへんをウンとおもしろくして「森さん、頼むわ」とかいってね。

Mori. ボクの班は大工原さんにまわったんですが、大工さんのところで何やってるかわからないんです。

Daikuhara. ボクは背景を10年やってたでしょう。背景が気になってしようがないんです。で、自分で行って描き出したりね。みんな、わからないから、水張りとかカラ羽毛を教えたりね。

AM. 水張りというのは?

Daikuhara. ケント紙にいきなり描くと、ゆがんじゃうんですよ。それで濡らして角を押さえて張りつけておくと、ピッとするわけなんです。それでやると描きやすいし、できたあとキリッといくんです。

AM. そんな状態で、よく1年くいでできたものですね。

Daikuhara. アニメーションのほうは森さんがいるからね。

Yabushita. スタッフがみんな集まってディスカッションするというような時間はなかったですからね。だから、絵コンテも創作というより製造業者みたいだった。

AM. 絵柄がダブったりというようなことはありませんでしたか。

Yabushita. それはなかったですね。というのは、こういうシーンは森さんにやってもらうとか......。

Daikuhara.自然に分かれていくんですよ。ボクはだいたい動きの大きな、オーバーなところが好きなんです。そうすると悪役専門みたいな形になってくる。森さんは森さんで、情緒的できれいなシーンとなることが多かったですね。

Mori. だけど、大工さんてうまいなあと思ったこと、ずいぶんあるな。自分のところがいいとうれしいんだけど、むこうの班のほうがいいときは、何かしゃくにさわってね(笑)。

Yabushita. あのころは原画と動画にはっきりした区別がないんですよ。だから、森さんや大工原さんのもとで、達者な人がだんだん原画を描くとかね。大塚康生)くんなんかそうだよ。

Daikuhara. 大塚康生というのは、素質はある人ですね。動かすことに素質があるのね。

Yabushita. どんどん伸びていったというのはだれだろう。

Mori. 布勢くんはいま、シンエイ・プロの社長になっちゃったけど。

Daikuhara. 奥山(玲子)さんもいた。

Mori. 彼女はずっとあとですよ。 虫プロに行った中村和子さんがいた。

Daikuhara. 勝井 (寺千賀雄)さん、それから石山(元明)くんがいたでしょ?

Mori. 勝井さんは、セルをかかせたら、虫プロ・ナンバーワンですね。そのほか坂本雄作っていう人が、いまはCMなんかやっていますね。それから紺野修司さんが武蔵野美大の講師をやっていますし、喜多真佐武さんは東映のデザインセンターにいます。この人は、だいた原画のほうをやっていました。

Yabushita. 動画をてがけ、だんだん原画になっていけばいいんだけど、そういう育ち方というのは「白蛇伝」のときくらいなもんでしょう。

Daikuhara. アニメの場合、その人の感じというのが出ますから、逆にいえば、この人にこういうものをやらせたらいいだろうという感じでね......。

AM. そのへんも計算に入れて!?

Daikuhara. ええ。それで、いまはそんなことなくなってますが、女性に男性を描かせると、どこか女っぽくなっちゃうんですね。 内股で走るとか、ケンカのシーンでもこう(腕を外側に構え、たたくマネ)なっちゃったりね。中村和子さんにしても、佐助が内股でパッパッパッという感じだったですね。

AM. 大工原さんは、どのへんがいちばん記憶に残っていますか。

Daikuhara. たくさんありますけど、やっぱり「白蛇伝」の印象が強いですね。

Yabushita. 無我夢中でやったからね。よくがんばったよ、みんな。

AM. 森さんはいかがですか。

Mori. 「白蛇伝」というのは、大工さんとふたりで作画を担当したようなもんですから、やはり印象的ですよ。あとの作品は大勢でやるようになりましたからね。

4まじめに取り組んだ作品は、何回みてもいいですが、ふざけものはあとで自分がイヤになる。 AM. 冒険した場面なんていう記憶はありますか。

Daikuhara. それは森さんはあるでしょうね。ボクはあんまりないなあ。

Mori. キャラクターでいえば「わんぱく王子の大蛇退治」 はずいぶん冒険したと思いますね。あんなのは、いまではつくれないと思うんですよ。

Daikuhara. 森さんは、苦労していいものを作ろうとする姿勢があるんですよ。その点ボクは、自分でたのしんでつくっちゃって、あとで後悔するんです。こんなものつくっちゃってというぐあいに。

Mori. 大工さんは、動かしながら自分で笑ってるんですよ(笑)。

Daikuhara. ひとつやり終えると後悔して、森さんのようにちゃんと計画立ててやるのがほんとうだろうと思うんだけれど、つぎはまた同じことをくり返す(笑)。

AM. しかし、たのしんで描いたほうが見る時にもたのしめるということはあるんじゃないですか。

Daikuhara. どうなんでしょうね。恥ずかしいですよー、とにかく。まじめに取り組んだものは、何回見てもいいですけど、ふざけてやったものは、1回はいいですけど、2回3回と見ると自分でイヤになってきますよ。わかるでしょう、そういうの。

Mori. やっぱり手を抜いたところは自分で見られないですね。

AM. そのお二人を操縦していたのが藪下さんというわけですが、何かご苦労はありましたか。

Yabushita. いや、こっちはまかしておけばいいんですから。それでも「白蛇伝」のときは、1時間20分のアニメーションなんて、いったいどうなることかと思ったですね。

AM. それまでですと、どれくらいの長さだったんですか。

Yabushita. 10分か15分くらいですよ。15分くらいのアニメーションが、映画の配給会社としてはいちばん売りやすかったんです。

Daikuhara. 藪下さんで偉いと思うのは、怒ったことがないのね。怒られたことある?

Mori. 1回あるような気がするな。

Daikuhara. ボクなんか、相当ムリいっても通してくれるでしょう。それで、ずいぶんわがままいってね。

Yabushita. 実際に描く人に描いてもらわないことにはね。

Daikuhara. でもボクは、「少年ジャック」では藪下さんに悪いことをしたなと思っているんです。あのときにいた小山くんというのが、性格的に突飛でグロテスクなものが好きなんです。ものすごく青い顔にしてみたり。それであのときはボクも乗っちゃって、これはグロにしたほうがいいとかいって、主役の顔も青くしちゃったんです。最後はふつうの顔色になるんですけど、やっぱり主役というのはあんまりグロでやると、作品が暗くなっちゃってよくありませんね。

Yabushita.いや、いいにしろ悪いにしろ、そういう冒険をしないとね。いつも同じようなものでやっていたんじゃ、おもしろくないし。

5. 劇映画の監督は、できたものを見て選べるが、アニメーションでは一発勝負なんです。

AM. 演出法で学ばれたというか、参考になったことはありますか。

Yabushita. いや、参考といったって、ボクに演出法を理解させてくれた先生はいないですからね。みんな自分でくふうしてやったんだから。いま、劇映画の監督なんかが演出論を書いていますけど、あれ読んでもどうってことないもの。要するにハウ・ツウじゃないけど、どうすれば何ができるかというようなことじゃないんだから。

AM. やっぱり、現場に行かせてガタガタやってつくらせたほうが早いですか。

Yabushita. ええ。私、松竹にいたことは話しましたけど、アニメーションやりだして、特に長編をやるようになって思ったのは、実写ものの監督はラクだなあということですね。俳優に自由に注文するでしょう。「こんどは怒ってるところを撮りたい」といって、怒らせておいて撮影する。それでちょっと反省させたほうがいいかなと思ったら、それを俳優にやらせる。最終的にそれをつないで、いいほうをとるわけです。ところがアニメーションじゃ、そんなことできませんよ。このカットはちょっと不安だから、もう一つつくっておこうなんて一つのカットを二つつくるなんてわけにはいかない。そんなことをしたら、たいへんな日数がかかってしまうし、だから一発勝負なんです。その点、劇映画の監督はできたのを見て、選べるんですからね。 Daikuhara. たしかにそうだと思いますね。それで、アニメーターのクセとか性格。そういうことをほんとうによく知っていないとできませんね。どういうものをどういう目的でつくるのかということまで説明できないと、思いどおりのものをかかせることはできないですからね。

Yabushita. それは劇映画の監督が俳優を知るのと同じだけどね。

Daikuhara. しかし、いくらベテランアニメーターだといっても、知らない人と「さあ、つくろう」ったってできないですよ。

Yabushita. そうそう、ニューフェイスを集めて、いっぺんにやろうったってムリでしょうね。いろんな演技をやらせて、これならできるということをたしかめてやることになるでしょうが、動画の場合は、それだけのことをやるよゆうがないですからね。そういう意味では、森さんも大工さんも日動時代からいっしょにやって、同じカマのメシ食っているんだから気心もしれているし・・・

Daikuhara. それでも、じれったい思いをしたことはあるんじゃないですか。

Mori. あるでしょうね、それは。

Yabushita. いや、それよりも問題は新しい人が入ってきたときですね。たとえば「安寿と厨子王丸」のとき、あれは全体の基調がリアルな時代劇調でしょう。どっちかというと美術的な映画ですよ。それで、清水寺かなんかで水がちょろちょろするのを月岡貞夫さんに描いてもらったんです。月さんが原画にはいったころなんですけどね。

Daikuhara. 熊川さんの担当シーンじゃなかったですか。

Yabushita. そうだったかな。で、月さんはおもしろい水を描くんですよ。おもしろいとは思ったんだけど、どうしても全体の調子に合わないんです。それで、結局やりなおしてもらったんだけど、知らない人とやるときは、そういうことが起こるんですね。(下写真は「安寿と厨子王丸」より)

6 実写みたいじゃないかといわれたって、ほめられたことにはならないんだ。

AM. これからアニメを志す人になにか一言ありませんか? それぞれ、お師匠さんに教わったことも踏まえて。

Mori. 技術的にはうまい人がいますね。

Daikuhara. ボクなんかがちょっと物足りないのは、アニメーターのことではなくて、企画ですね。アニメーションの本質というか、人間を表現するのでも、人間そのものではなくて、もっと人間の心の中をデフォルメして表現してほしいと思う。たとえば、悪魔のような人間がいたとしたら、ただ悪魔みたいに恐ろしい顔つきで目をつり上げるというのじゃなしに、顔を青くするとか、うんとデフォルメして現実にはないような手法で表現するということですね。そこまで、行かないと、アニメの本質に近づかないと思うんですね。なんか、劇映画と同じような感覚のものが多いと思うんですけど。

AM. そのへんは森さんどうですか。動きがリアルでありさえすればいいという一般的な意見と反するように思うのですが。

Daikuhara. うん、ボクがいいたいのは、劇映画の動きをなんでそのまま絵にする必要があるのかということですね。絵と写真の世界は違うんですから。「指輪物語」なんかは、あれはどういうやり方をしているか知らないけど、見世物的なものでしかないと思うんです。

AM. デフォルメが足りないのかな。

Mori. あれなんか見ると、まったく写真の上からトレースしたという感じがしますね。アニメーターというのは何をかいても、そこに個性があるし、アクがあるし、デフォルメも入ってくる。そこが伝わるから見るほうもたのしいわけです。ところが、あれにはまったくそういうところがなかった。ほんとうに実写をみているようでしたね。

Daikuhara. たとえば絵画でも、最初は勉強のために模写からやりますよ。だけど、それではまだ作品じやないということですね。

Yabushita. 実写のほうがきれいなことあるしな。 ほめるとしたら、せいぜい実写みたいじゃないかということしかないんだけれど、それではほめられたことにならないよ。

Daikuhara. それから声の出演もそうですね。昔、佐久間良子とか、いろんなスターばっかり集めてやったことがあるけど、やっぱり声にはキャラクターの性格があって、新人であってもぴったりの人がいると思うんです。 それを使わないでスターを持ってくるというのは安易だし、ちょっと違うんじゃないかと思うんですね、作品として考える。

Yabushita. 声もそのデフォルメという問題なんだけれど、アニメーションはデフォルメできるんだということは、勝手気ままに変型しちゃってもいいということじゃないんですよね。 実写では表現できないこと表現できるという特権をもつと行使しなくちゃいけない。二人の人間がいて、片方が怒ってて一方がキューンと小さくなってしまえば、片方が威圧して片方が恐縮しているという表現になりますね。こういうデフォルメは遊びではなくて、表現の誇張、強調なんです。そういうことができるのがアニメーションだと思うんです。

Daikuhara. 話は変わりますけど、い声のデフォルメといいましたが、たとえばカッパが、水の中でしゃべっているように、ナマの声を機械にかけて変えることはできるんですかね。

Yabushita. できますよ。うちの学生なんかが作る作品は、ナマの声を入れているなんてないですよ。みん次元の違った声というか、フィルターを通したような声なんです。しかし、ことばは約束だから、何をいっているのかわからないようじゃ困るんです。そういうことで感するのは、声は生徒が自分でやっているんですが、しゃべりが日常的なナマの言葉なんですね。それが気になるんですね、アニメーションにふつうの言葉が入ってしまうと。

Daikuhara.でも、テレビでもそういうのが多いんじゃないんですか?

Yabushita. テレビもナマだなあ。少し強調してるけど。

Daikuhara. ジャングルブック」だったかで、ヘビのシュッシュッシユッという音をそういう声でやっていましたね。ああいうのが好きなんですがね。

Yabushita. それで性格とか感情が現わせられるんだから。

Daikuhara. 森さんは動物がうまいんだから、声のほうもなにかそういう方法をやったらいいんじゃないですかね。

Mori. フィルター使ったりという方法は、いまのシステムではむずかしいんでしょう、時間の制約とか。

Yabushita. いまは、録音スタジオに集まって、ワーッとやってそのまま入れちゃうんだからね。

Daikuhara. テレビではむずかしいけど劇場用ならできますよ。

7. アニメーションには、まだまだやれることがある。だけど、もっと社会的な認識が必要だ。

AM. いまの劇場映画というと、結局「銀河」であり「タブチくん」でありという感じで、オリジナルのストーリーを見つけ出せないという状況ですね。

Yabushita. アニメーションがどういう方向へ行くべきだとわかっていても、それに対する実験がないでしょう。

Daikuhara. いまは早いんですねえ、徹夜徹夜で追い込んで。すごい迫力というか。

AM. 1時間ぐらいのものなら、半年でつくっちゃいますよ。

Daikuhara. ボクらにはとてもできませんよ。たいへんですね。

Yabushita. だけど動画をかく人も、かき手というよりマシーンみたいになってね、もう機械生産ですよ。

AM. そのへんは淋しさを感じますか?

Yabushita. ウーン、ちょっと淋しいですね。いまのアニメーションだったら、人間が参加しなくても機械がやってくれるから。作家に何も反映してこないんじゃないかな。

AM 各パートで主張できるんですかね、中割り描いてる人も。

Yabushita. できないでしょうね。原画を描く人が、ひとつの目的のもとに原画を描きますね。 それをまわりの人に伝えて、伝えられた人はその狙いにそって忠実に守らなきいけないと思うんです。アメリカでは、原画を描くのがアニメータで、中割りを描くのはアシスタントとはっきり区別していますね。

Daikuhara. アメリカでは、動画というのはクリーン・アップ程度でしょう。中割りっていうのは、どうしても機械的な動きになるらしいですよ。間を機械的に割っていくわけですから順に描いていかなかったら、手と足の動きっていうのは全部バラバラですからね。

AM. すると、いまの作家はラクだといえるんでしょうかね。

Mori. これは、たくさんの人がやる場合、原画、中割りという流れ作業ですからね。そうしないと仕事がスムーズにすすまないということがあるんです。アニメーターがみんなベテランで、原画も動画もできるようなら手分けできますけど、新人にやらせるようなときは、中割りを飛び飛びに間をかいてもらうよりしょうがないですよ。

Yabushita. それにいまの原画家は忙しいから、自分のイメージをまわりの人に伝える時間がないんです。

Mori. もう、原画家と動画家とのつながりは全然ないですね。

AM. 「白蛇伝」 みたいに、やってくれる人の性格を考えてなんてことはやっていられない。

Mori. かきながら見ることもできないし。下だから、どんなねらいで原画がかかれているのかなんてことは考えないで、機械的にダーッと行くんですね。3枚かけばいいということになれば、と3枚かくという感じですね。

Daikuhara. たとえばコスチュームも体が先にググッといくでしょう。そうすると、あとからくっついていくんですからね。

AM. そうすると、SFものなんかいちばんラクなんですかね。ロボットが出てきたり。

Daikuhara. あれはあれなりにむずかしいところがあると思いますよ。

Yabushita. あれでむずかしいと思うのは、機械なんか直線が多いでしょう。それで定規を使わなきゃいけないとかね。

AM. これからのアニメでやってみたいとか、こんなのが出てきてほしいというようなものはありますか。

Daikuhara. ボクはさっきもいったように、劇映画ではできないようなもの、たとえば「日本昔ばなし」なんか見ると、夢があるなと思いますね。

AM. 大工原さんはどうしても動きのおもしろさですね。

Daikuhara. それから、人間よりも動物のほうがいいと思うんですが。

AM. そのへん、森さんはどうですか。

Mori. 動物ばっかりやると、今度は人間がほしいということになるでしょうけど。・・・・・・特別ねえ。

Yabushita. アニメーションにはまだまだやれることがあると思うんだけど、それを実験して社会的にも認められるようになるには、どこの国でも同じでしょうが、まだまだ時間がかかるんじゃないでしょうかね。見る側の意識も変わってこなきゃいけないだろうし。

AM. 見る側がテレビアニメに流されちゃってるという面もありますしね。ところで、先日、アニドウ主催の「政岡憲三の夕べ」で政岡さんの作品をみたんですが、アニメ・フィルムの保存には問題があると思いました。 杉本五郎さんが孤軍奮闘でコレクトされているというんですが、このへん、どうですか。

Yabushita. たしかに大工原さんがいわれた白黒のコントラストなどは全然みられない。フィルムが現存してなくて、コピーをさらにコピーしたものだからしかたがない。私は、もともと日本人の文化意識が低いとは思わないんですけど、経済優先というのがネックだと思うんです。

Daikuhara. 自分のものとなると、困るような気がしますけど、よい作品、これもだれが選ぶか問題なんですが、後世に残したいフィルムは大切に保存してほしいですね。

Mori. ボクも自分の作品の上映会なんかには行ったことがないんですが、同感ですね。

AM. ありがとうございました。

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