Friday, November 11, 2022

Hisashi Katsuta's "Intro to Voice Acting" Column 1979 (Animage)

January

昭和53年も終りを告げる。小生にとっ ては、思い出多き年となりそうだ。声優 生活満30年を迎えた年であり『アニメー ジュ』に「声優入門」を連載できた年で あり、念願の「声優への道」を出版する ことができた年だからである(おかげさまに て「声優への道」発売以来、一ヶ月足らずのうちに 初版があらかた売れてしまった。 誌上をかりて厚く 厚く御礼申上げまーす)。 出版でひとくぎりつけたので、79年は 初心に帰って新たなスタートをきりたい ととしをもかえりみず、ずうずうしく考えている。

30年前の初仕事

小生が初放送を体験したのは昭和23年 春のこと。もちろん、テレビなどという ものは出現していなかったし、民間放送 も誕生してはいなかった。放送といえば NHKのラジオしかなかったころのこと である。テープレコーダーもまだなかっ たので、放送時間にマイクの前に立って のナマ放送ばかり。 その初放送の仕事は、中国文学「三国 「志」をラジオドラマ化したもので、小生 の役は「九紋竜史進」という武将の役。 中国ものだけにやたらとむずかしい漢文 調のセリフの連続。体はガタガタ、台本 持つ手も震え、顔は耳まで真っ赤。 呼吸 はハアハア荒くなり、舌ももつれて四苦 八苦、苦悶して失神しそうになったので 「苦悶流失神」と、いまだにこのときの 役名をおぼえているという次第。 さて、この初仕事の感動を『アニメー ジュ』ファンの中から何人が味わうこと ができるだろうか......。 一人でも多くと念願するが、プロとし て登場できる人数はごくかぎられる。そ れにくらべて、声優志望者は全国に何万 万そし 人いることやら・・・・・ 現在、高校生の数は全国で430万人、 その1%が声優志望者としても4万30 00人、キャンディーズのサヨナラコン サートで後楽園球場を埋めつくした若者 の数と同じである。 あの群衆の中から、 ひとにぎりのものしか声優にはなれない のだ。きみのまわりはライバルだらけ、 ガンバラナクッチャ! 7年はぜひとも きみの年にしてほしい。

コドダドのデダド!

アテレコ初期のころ、西部劇に初出演 の某君、アガリにアガって「オレはコロ ラドの出だぞ!」と叫ぶところを 「オデ はコドダドのデダド!」と絶叫してしま った。ナマ放送だったから、並みいる先 輩からは白い目でニラマれ、すっかり意 気消沈、死にたいほどつらい思いをした という。 トチラないようにするには、どうした らよいのだろう。秘訣なんてありはしな い。一にも二にも発音、調音の訓練を積 むしかないのだ。若山弦蔵君、矢島正明 君、滝口順平君などはまずトチるという ことがない。きっと、調音訓練を他人の 何倍もやったのだろう。努力のたまもの に違いない。

調音を早口ことばで練習

一つ一つの標準音は、口膣内の軟口蓋、 硬口蓋、そして舌や歯などを利用して作 られる。これらの器官によって、いろい ろな音を作りわけることを調音というの である。調音の訓練ができていると歯切 れもよくなり、トチリも少なくなるのだ。 ではさっそく、調音の練習にかか? まず、西部劇調から......。

February

初笑いにも幸運があった!!

全国の声優志願者諸君!お正月はいかが過ごされたかな?お年玉もたっぷり入って『ルパン三世』など映画館に見に行き、ゲラゲラ初笑いをしてきたかな2.あるいはアニメファン数多集い、アニメージュの記事などさかなにして大いに飲み食らい、そして興にのってアニメソングなんぞ高吟し、ヒーローやヒロインの声色なんかもやったりして、ヘラヘラヒクヒク抱腹絶倒したのではなかろうきょそう.......あのときかのとき、きみは何をしていたか。ただ大口あけて、ゲヘラゲヘラ笑っていただけなのだろうか。・・・・・・だとすると、きみは大損をしたことになるのだ。「笑う」ということはどういうことなのか、そのときの心理は?生理は?表情は動きは?…等々、自分や他人を観察するのに絶好のチャンスであった?のだ。その貴重なときを無駄にしたとなると、大変な損失をしたことになるのだ。もしあのとき、ただ笑うだけでなく、「笑い」について冷静に観察してデッサしておけば、ある日、突然「笑う」役がまわってきたとしても、きみはあわてふためくこともなかっただろうに、惜しいことをしたものだ。

人間観察が第一歩

声優を志すものは、笑っても泣いても怒っても、イヤ恋をしても、つねに自分や相手の心理、生理の動きを観察しておかなければいけない。いつも冷ややかでいろというのではない。泣くときには思いきり盛大に泣いてけっこう、怒るときには大いに怒れ、そして恋をしたら酔いしてよいのである。……………しかし、しかしである。(ここがスゴーク大切なところなのだ)…もう一人の自分がつねにおのれの、相手の、心理・生理をジーッと観察することを怠ってはならないのだ。それが声優を志すもののつとめであり、宿命なのである。きょうからは泣いても笑っても、怒っても、その時々の人間の心理・生理を観察し、とらえておくことだ。人間生活のすべてが、われわれにとっては研究の素材となるのだ。初笑いからも、いろいろなものをつかむことができるのだ。

人間創造こそ声優のいのち

声優がアニメの登場人物を演じるということは、台本のセリフを読みあげるということではない。画面の人物を創造することなのである。人物を創造するには、まずその人物の性格を知る必要がある。つぎにその人物のおかれた環境、そのときのその人物の心理、そして生理の状態をつかんで、はじめて創造することが可能となるのである。テレビを見ていてアニメの人物が生き生きとして迫ってくるのは、声優たちのそうした演技があればこそなのである。

感情をこめた笑い

痛快な笑いにせよ、さびしげな笑いにせよ「笑い」は生理的には横隔膜を振動させ、呼吸を声帯に送りこみ、振動させることによって発せられる。横隔膜とは、お椀を伏せたような形で胸腔と腹腔をへだてている随意筋が膜状に集まったものである。シャックリのとき、胸のあたりでヒックヒックするところが横隔膜なのだ。この横隔膜を振動させながら、ハ、ハハ、と発音していけば一応笑っているように聞こえるのである。そのときどきの感情をこめて、たとえばウハハ・・・・・・とかダハハ······。気弱に力なくハハ・・・・・・。また、卑屈にヒヒ・・・・・・。鼻先きの笑いはフフ…。うす気味悪くへへ・・・・・・。レディはロに手をあてホホ・・・いろいろな笑いができる。いままで聴いた数々の笑いの中で、もっとも強烈に印象に残っているのは『ブラック魔王とケンケン』の神山卓三君の演じてくれた「ケンケン」の笑い声だ。音を使わず、横隔膜を振動させ、声帯を振動させただけのフェフェ・・・・・というマカ不思議な笑い。おんどこの地方の行事だか忘れたが「笑い相撲」というのがある。紋付はかまで正装した二人の力士が行司をはさんでハハ…………と笑い合い、その長さを競い合うのである。横隔膜を振動させハハハ、ハハハで登場力士はみなたくみに笑い合うが、われわれ役者が聞くと何か物足りなさを感じる。...oそこに人間的ナマナマしい感じがこめられていなければ、笑いも虚ろとなってしまうのだ。(つづく)

March

エモーションが心を打つ!

いま、小生は言葉ではいいつくせぬ喜 びにひたっている。寒いあいだ、原稿書 きの仕事は書斎から和室のコタツへと移 動するが、コタツのぬくもりを楽しみな がら「声優への道」の読者からの礼状を ひもときひもとき、悦に入っているので ある。声優についての知識が得られ、ど うしたらなれるのか方法もわかり、目標 も定まって、一段と意欲がわいてきたと いうものばかりである。どれを読んでも、 希望に胸ふくらませ、ファイトを燃やし ているようすが痛いほど伝わってくる。 「......やってよかった・・・・ と思わず つぶやく。迷いに迷ったあげく、出版に 踏み切った本が、こんなにたくさんの人 人にこんなに喜んでもらえた んて著者 としては最高の喜びである。 諸君! 若いうちは二度とないのだ。 ドンとやってみようぜ! 人間の喜怒哀楽、その他もろもろの感 情をエモーションと呼んでいる。いま、 小生がコタツの中でつぶやいた 「......や ってよかった…………」の底には深い満足 感がみなぎっている。ただ口先だけで「ヤ ッテヨカッタ」といったのとは大いにこ となる。その、違っている部分がエモー ションなのである。そのエモーションが、 心からの喜びを表現してくれることにも なるのである。 福山の佐土井康子さんからの手紙 「... ・・・なにはともあれ、この本により私は多 くのことを知ることができ、ただただ感 謝の気持でいっぱいです。本当にありが とうございました」の文面には喜びが満 ちあふれていて、とてもサラッと読み捨 ててしまうことはできない。その底に流 れている彼女の感動が、ヒシヒシと伝わ ってくるからである。 もし、この文面をそのままセリフとし た場合、彼女の深い喜びがそこにこめら れていけば「生きたことば」となってく るのである。セリフは「生きたことば」 として表現できたとき、聞く人の心をう ち、感動させることができるのである。

町田声優コンテスト大成功

1月5日、東京の町田市民会館で、市川治君のプロデュースによる「BIG声優コンテスト」が開催された。ゲストとして、井上真樹夫、神谷明、曾我部和行古川登志夫、田中秀幸、飯塚昭三、上田みゆき、野沢雅子、松島みのりの諸君、それに市川治君、浜忠夫監督、そして小生が参加してそれはにぎやかな舞台となった。~開会に先立ち、朝九時から出場者の予選が行なわれたが、北は北海道、南は沖縄からかけつけた熱心な声優志願者二百数十名で場内はムンムン。飯塚君、長浜監督と小生で手分けして一斉スタート。課題は5~6行のセリフ。だが、出る人出る人のほとんどが与えられたセリフを棒読みに読みあげるだけで、エモーションなどまさにどこ吹く風、三人ともとたんにガックリ。予選で30名ばかりの人がのこされ、前記のベテランたちがお相手して本番となった。いずれも、原稿用紙3枚ほどのミニドラマ。音楽効果入りで進められていもちろん、台本は本番直前に手渡されたものだ。プロはいつものことだから別に動揺もしないが、出場者たちは目を白黒、ノドがカラカラになって水を飲みにいき、出番をトチッた子もいたな。台本は出場組数だけ用意され、15種類もあるのでご紹介することができないがコメディあり、SFものあり、時代劇ありでバラエティに富んでいた。さて、みごと入賞した7名の演技はなかなかのものであった。怒るところは腹の底から怒り、泣くところは涙もこぼれんばかりでエモーションたっぷり。人気者の井上真樹夫君や神谷明君を相手に打発止、堂々たる応戦ぶりであった。最優秀演技賞を獲得した埼玉の井上美子さんなど神谷君を相手に「或る別れ」と題した男女の微妙なやりとりを、実に落ち着きはらい、相手にピタリと呼吸を合わせ、適当な色気までただよわせて熱演してくれた(神谷君、ご苦労さんでした)。審査員の長浜監督、野沢雅子君、小生の採点はともに最高点、文句なしの最優秀賞。将来が期待できる人といえよう。時代劇「お俊捕物帖」でお俊を演じた港区の佐脇君枝さんもいかにも女親分らしくてよかったが、マイクに近づき、ロートーンだけしか使わなかったのが惜しかった。声を張ってイキなところも見せたら、かなりお俊が描けたと思うのだがいずれにしても素人ばなれしていた。

April

特番 「ヤマト」ラジオドラマ

2月10日、ニッポン放送『オールナイトニッポン特別番組深夜4時間ナマ放送ラジオドラマ、さらば宇宙戦艦ヤマト』に出演した。『ヤマト』と小生とはこれまでまったく無縁であったが、スケジュールのつごうでレギュラーの某君の出演が危ぶまれたので急拠、一人でスタンバイすることになったのである。生来好奇心旺盛、貪欲な小生のこと、深夜労働も何のその、ノコノコと出かけていったのだ。そこは……おおなつかしの第1スタジオ。昭和30年から4年間、連続放送したあの『少年探偵団』の録音スタジオであった。「ボボ、ボクラは少年探偵ダー!」。なつかしいなァ…思えばあのときボクは28歳、幸運にも主役の明智小五郎をやらせてもらい、しかも大ヒット、日々緊張の連続であったなァ….....。スタジオには、富山敬、麻上洋子、仲村秀生、永井一郎、神谷明、佐々木いさお、小原乃梨子、大塚周夫、伊武雅之、納谷悟朗、市川治、曽我部和行、上田みゆき、木村幌、小林修君ら、おなじみのメンバーが続々と集合、大きな第1スタジオにパッと一時に花が咲いたよう、百花撩乱のにぎやかさ......。午前1時、ナマ放送は開始された。レギュラーの面々はもう手なれたもの、役づくりは十分にできている。トチルこともなく、スムースに進行していく。おミゴト!さすが、ベテランぞろい!そもそも、SFをモチーフとしたメルヘンなのに、それが少しも作り話に聞こえてこないのは、だれのセリフにも真実がこめられているからだ。思い出のよみがえる一夜だった。わが家に熱心な声優志望者からカセットテープが送られてきた。仲間と組んでアニメのセリフを録音したから聞いてくれというのだ。じつは某人気声優さんに送ったのだが、何の批評もしてくれなかったので、ぜひ批評してほしいという。小生は何だかイヤな予感がしたが、聞かずに返すのもと思い、ついつい聞いてしまったのが運のツキ、イヤ驚いたのナンノ、寒けはしてくる、目まいはしてくる、ムカムカ吐き気はしてくる、まさに殺人的なシロモノなのだ。ガラスを引っかくがごとく、ブリキカンを叩くがごとく、あるいは演歌のごとく、ご詠歌のごとく、各人各様テデンバラバラにうめきたて、ガナリたてているのである。とても、セリフなどといえるものではない。もちろん、ドラマにもなっていない。そのうち、一同何がおかしいのかへラヘラ笑い出したりもしている。聞かされた某君も、さぞや驚いたことだろう。批評が得られなかったはずだ。怒られなかっただけでもメッケモノなのだ。怪奇を好むヨコミゾ先生でも、きっとこう批評するだろう。「私はこのアニメごっこだけは、録音にしてほしくなかった……………」

セリフは思わず口をつく

セリフの練習をしたいので、アニメの台本を送ってほしいとよくたのまれる。セリフの基礎訓練にそんなものは必要ない。まず一言のセリフ、一行のセリフがいえるように毎日心がければよいのだ。寒い日には「お~~寒い」暑い日には「お~~~暑い」これでよい。暑さ寒さを実際に感じて、もしもこの言葉が自然に出て来たら、それがホンモノなのだから、それをすばやくキャッチしてよーくおほえておくことだ。暑さ寒さを肌から感じて、全身が凍てつくように感じたとき、汗がドッと吹き出るように感じたときに思わず口をついて出た「お~~~~寒い」や「お~~暑い」がホンモノのセリフなのである。ちかお田中千禾夫先生の「物言う術」という本の中に「科白(セリフ)とは真実の表白である」ということばがある。そこに真実がこめられていてこそ、セリフといえるのである。「アニメごっこ」の諸君のは底に何の真実もなしにただ台本を読みあげ、ガナリ立てているだけの「セリフモドキ」にしか過ぎない。『ヤマト』出演の諸君のは、一言一言に真実を探り、それをあますところなく表現している。そこに違いがあるのだ。(つづく)(小生著『声優への道』の購入方法についてのお問い合わせをたくさんいただきました。自費出版のためご迷惑をおかけしています。お近くの郵便局から振替で東京8-91877勝田久まで1400円ご送金下さい。お送りします)

May

この本の『声優24時』に今月は横沢啓子くんが登場するとの話を聞いた。感慨ひとしおである。彼女を某学院からスカウトして俳協附属養成所へ入れたのは、ほかならぬ小生だからである。早いものだ、あれからもう何年たっただろうか......。おかげで、小生はその某学院の講師はクビになってしまった。だが、彼女はいま俳協の次代をになう有望な新人として期待を集めている。

感性の開発こそ上達への道

さて、この声優入門も回を重ねること今回で10回目、もうそろそろ演技各論に入ったら――と編集部から注文があった。実際にアニメのセリフでも取りあげて、このセリフはこんなふうに、こうしたセリフはこんなぐあいにと、具体的なセリフ表現術をという要望なのである。そこで小生は、ハタと当惑してしまったのである。まだ、言語表現の基礎の固まっていない人たちに、それを試みたところで果たして何になるだろうかという思いが先にたってしまうからである。セリフの上達は、紙上で論理の展開をしてみたところで望むべくもない。直接に面と向かい合い、肌と肌を触れ合い、たがいの息づかいを感じ合うなかでこそ可能なのである。そうすることによって感性が開発され、ハートがゆれ動き、ほんもののセリフがいえるようになるのである。小生はかつて学生時代に、演技の何たるかを知ろうとして、スタニスラフスキーの『俳優修業』を読んだことがあった。しかし、それはもののみごとに惨敗であった。まるで内容がつかめず、チンプンカンプンで終わってしまったのである。後年、実際に仕事につき、日々演技をかさね、いろいろ経験した時点でふたたびそれを読んだとき、その一言一言が胸につきささるように迫ってきた。俳優としての感覚が目ざめて、はじめて先輩のことばの一つ一つが血となり肉となることを知ったのである。

感情をあらわすだけでも2~3年

俳優修業に入り、五官がとぎすまされ、人間の喜怒哀楽の感情表現が、求めに応じて即時に自由にできるようになると、同時にセリフの表現も豊かになるのである。養成所の新人を指導して経験したことだが、この単純な基本的な感情を表現できるようになるのに、どうしても2、3年はかかる。セリフのこまかなニュアンスが表現できるようになるのは、まだまだその先のことなのである。声優を志す諸君のなかには、じつに安易に簡単にセリフがいえるようになり、すぐにでも仕事ができると考えている人が多いようだが、あまりにも実態を知らなさすぎるといえよう。新人といわれる神谷明くんにしても、もうすでに10年近い芸歴の持ち主だし、小さな役に取組んでいる人たちでも、少なくとも5~6年の芸歴は持っている。すすすすすすすすすすすすすも主要な脇役ともなれば、20年以上のキャリアのベテランが固めているのである。まさに、ローマは一日にしてならずなのだ。

心理生理をとらえる能力

少女まんがにでてくるような、きらびやかなカッコウをしてあらわれた友だちがいたとしよう。「わあっーステキ!」あるいは「オーカッコイイ!」などのセリフが、思わず口をついてでてくるにちがいない。このセリフを的確に表現するには、どこを強く、どこを高くなどと研究することは、まったく無意味である。友だちがよく似合うステキな洋服を着こんであらわれたので、この人はハッとして大きく目を見開き、おどろいたことだろう。そして思わず息をのみ「わあっとさけび、目を輝かせ、吐く呼吸と同時にほとばしり出たことばが「ステキ!」なのである。つまり、セリフとは、常に生きた人間のハートをゆり動かして、その生理状態のなかから発せられているものなのだ。俳優にはまず台本から、それら人間としての心理生理の変化をとらえることのできる能力が必要なのである。読解力と感性である。日常生活でわれわれは、喜ぶ、悲しむ、怒る、そして驚く、そのときどきの心の動き(心理)体の状態(心理)を探り、とらえておくことが、やがてはセリフ上達へとみちびいてくれるのだ。(つづく)

June

目標のある青春若葉の季節。俳協付属俳優養成所にも、4月8日には約100名の若葉のような新入生が、希望に胸ふくらませて新加入、ホールをうめつくした。『太陽にほえろ」で木之元亮くんがデビューしたこと、アニメでは横沢啓子くんが活躍しだしたこともあって、映像俳優志望、声優志望の若者が殺到して受験者数はいままでの最高となった。その難関を突破して、みごと合格した諸君たちの晴れの姿である。目標をさだめえて生命の充実感にあふれ、瞳を輝かせて集まってきた若者たち、それはただひたすら明日をのみみつめる青春の群像であった。若い"ってことは、すばらしいなァ......。入所式のあと、在校生を中心とするモダンダンスグループの発表があった。つぎつぎと展開するエイトビートのスピーディな動きの激しい群舞。赤→青→紫とかわる照明がそれを追う。アンコールは「サタデイナイトフィバトラボルタにはおよばないまでも、みな、それぞれに衣裳をこらして(意外と祭りぼんてんがよく似合う)の熱演であった。

漢字の読めない受験生

新入生はみな圧倒されたようであったが、とくに声優志望で入所した連中はドギモをぬかれたらしい。合格者とはいえ、彼らの入試成績はサンタンたるもので、厳密な審査をしたら入所できる人間は10名以下となっただろそこで今回は彼らが受けた入試について、ざっとご紹介することにしよう。ざっと、ということは、あまり具体的には発表できない事情もあるからである。(才能を観察するテストなので、毎年ほぼ似傾向の出題となるからだ)第一室は演技テスト。まず、体の動きとリズム感をテストされる。メトロノームに合わせて歩く......ただこれだけのことができない人がいたりする。意外と体の硬い若者が多い。つぎにパントマイム。課題を無言で演じていくわけだが、ジェスチャーゲームと間違え、立ち木や机を手で説明する人がいたりして、審査員を思わず苦笑せる。第二室は音感テスト。聴音テストと歌唱テスト、歌は小学校唱歌のようなものでもよいのだ。第三室は朗読、セリフ、そして面接。(ここは小生の担当)。まず、入室すると漢字を読まされる。今年の問題は、浴衣、台詞、所作、紛糾、抑制の5つ。浴衣、台詞、と一字ずつバラバラに読んだ受験生がいてビックしたが、正解ゼロが10%以上、正解1が20%以上もいて、これまた驚かされた。これでは新聞も読めないではないか。

陰と陽を表現できるか?

朗読はごく簡単なもの。たとえば、「雨がしとしとと降っている」(昨年「空がカラリと晴れ上った」問題この2行を読むだけのことである。小生著『声優への道』読者は、すぐおわかりになったと思うが、読解力とエモーションがテストされるわけだ。ほとんどの受験生は、なんと簡単にスラスラと読むだけ。それも小声で。いま、俳優としての素質をテストされているのだということは考えないのだろうか。この2行は、陰と陽の二つの異なる世界を描いているのだ、と気づいたものは約20%にしかすぎない。どうして、こうも読解力がないのか。審査員にいわれてはじめて「ああ、そうですか・・・」と気づくものが多い。この2行を朗読するには、まずこの二つの異なった世界に気づくこと。つぎにそれを肌で感じなければ、つまりその状態におかれた人間の心理や生理に自分自身がなっていかなければなし得ない。そうしなければ、とうてい、この二つの世界を演じ分けることはできないだろう。これができたのは、受験生の5%程度であった。セリフも同程度の問題で、決してむずかしい出題はない。こうして3倍の激戦を勝ちぬいて合格しても、2年後卒業できるものは2、30名どまり。そしてさらに、プロとしてデビューできるのはそのうち何名となることか......。まことにきびしいものである。(つづく)

July

声優にもある二枚目、三枚目富山敬、井上真樹夫、神谷明の三君を声優ご三家とファンは呼んでいるそうである。それに新たに山田康雄君が老骨にムチ打って(ヤスベエ君、怒るなかれ)わりこんでしまって、いまやご四家。ゴヨンケは語呂が悪いな。女性のほうはというと、小原乃梨子、増山江威子、麻上洋子、上田みゆき、杉山佳寿子君あたりが人気があるから、さしづめご五家かな。しかしゴケとは縁起が悪い。もう一人ふやすとご六家、ゴロッケではコロッケのようでこれもぐあいが悪い。最近、ちょくちょく声優志望の若い人たちに会うチャンスがあってきいてみると、かならずこのご四家、ご五家の名まえが出てくる。将来、ああいう声優さんになりたいというのである。声優の中には雨森雅司、大竹宏、神山きん卓三、肝付兼太、八奈見乗児、和久井節緒君ら、一声、声を発しただけでお客さんを笑わせてくれる珍優奇優の諸君がいるのに、若い人たちの口からは、そうした名優の名まえはさっぱり登場してこない。つまり声優志望の諸君の多くは、二枚スターさん志向なのである。二枚目も必要だが、三枚目や脇役の人たちがいてこそ、その二枚目ぶりが浮き出されてくるのだ。三枚目や脇役のほうがはるかにむずかしいんだぞ。ヴェテランでなけりゃつとまらんだのだ!と叫んでもみたくなるのである。もっとも、ご四家、ご五家とも日常生活やスタジオでは、いずれも常に名脇役ぶりを発揮して、周囲の人たちを楽しませてくれているのですくわれる。......そのへんのところが、もてるのかな?...やっぱり。ぼくも30年前には······いやそんなことはどっちでもいい。

憧れ族では声優にはなれない

芸能界志望の多くは「なれたら族」だといわれている。あわよくば、なれたらなりたい……という人種である。小生のところへ来る手紙の主のほとんどがこれである。「声優になれるかどうかわからないのですが、できたら声優のような仕事がしてみたいのです」という内容のものが多い。「声優のような仕事」とは何じゃい。そんな仕事があるのか?と問いただしてもみたくなる。「声優のような」なら、家でテレビのアニメ番組を見ながら、自分の口の前にほうきでも立ててマイクロフォンのつもりで、うっとりしながら二枚目役でもやってりゃいいのだ。声優になりたいのなら「どうしてもなりたい、たとえ端役であってもいい絶対になってみせる」といわなくっちゃ。そのくらい強固な意志がなけりゃ、なれるものではない。ただ「なりたい」という「なりたい族」でもダメなのだ。ましてや「なれたら族」や、それ以前の「憧れ族」として、ウジウジしている人間に、声優になれるチャンスなどめぐってこようはずがない。「絶対なってみせる」と自己をふるい立たせ、強固な意志と行動力を兼ねそなえた「なる族」に変身しないかぎり、声優への道は開けてこないだろう。まずスタートラインに立てあいかわらず小生のところへ「アニメふうドラマ」のセリフを録音したテープが送られてくる。かならず返事をすることを習慣にしているので、やむを得ず聞だが、とたんに気分が悪くなるのもあいかわらず。発音アクセント、それにドラマなどの基本的な訓練ができていない人たちが、自分のフィーリングだけで勝手気ままに演じているからだ。そんなムダなことをするな、と叫びたくなってしまう。正しい標準語がしゃべれるようになることが、まず第一歩なのだ。そこが声優への道のスタートラインなのだ。若者は大いにデッカイ夢を持つべし。しかし、ただ夢を抱いて、毎日夢ばかり見ていても前進はあり得ない。その夢を実現させるための行動力を持たなければいけない。それも、一歩一歩階段をふみしめながら昇る堅実な思想をともなった行動力である。(おことわり…日本放送教育協会々長は5月一杯で辞任しました)

August

毎月10日の夜になると、ぼくの部屋から、ケケ...と引きつったような奇っ怪な笑い声がもれてくる。ギョッとしてほくは鏡をのぞく。なんと! それは・・・ぼくの笑い声なのだ。『アニメージュ』をあけ、山田康雄くんのルパンのつぶやき〟を読んで転げまわっているぼくの笑い声なのである。

芸は盗みとるもの と、3月号にヤスベエくんは書いている。じつにいいことを書いてくれたと感激していたら、なんとぼくのところへ「盗めということですが、どうやって盗むのですか、盗み方を教えて下さい」なんて質問して来たのがいる。おっちょこちょいもいいところだ。聞くんならルパンに聞け!盗みの専門家だぞ、ルパンは!盗みに方法や方程式なんぞあるものか。ヤスベエー・ルパンも書いているではないか。「いまの若い人は常に待っている。与えられようとしている。みずから求めようとせずに、与えられるのを待っている。それじゃダメだ」与えてくれるのをボケッとつっ立って待って、盗みなんぞできるか。もっと目を光らせろ!泥棒のほうが、まだ自分の生き方に真剣だといえそうだ。ぼくは石川五右衛門やルパンではない。盗みの師匠ではないのだ。いや、盗みに師匠はいるまい。

芸は盗んでも罪にはならない

アトムも、レオも、鬼太郎も、ハイジも正ちゃんも、すべておとなの女性が演じているのだ。それも、もういい年のご婦人ばかりだ。(はっきりいうと、オバさんたちなのだ!)彼女らは、なぜあんなに上手に子供を演じられるのであろうか。日常、学校や公園や街角で子供の生活や行動を観察し、その特徴を盗みとっているからなのである。マイクの前に立って演じているときの彼女らの姿は、いきいきとしており、手を振り、跳びはね、実際の子供以上に子供らしく、生命力にあふれている。子供を執ように追い求め、貪欲に吸収し、盗みとって演じているのである。彼女らの名演技は、日常の観察の勝利、盗みのたまものなのである。

美形キャラは歌舞伎の二枚目

『野球狂の詩』のオーナーの役がぼくにまわってきたとき、ぼくは一瞬、とまどった。キャラクターの設定に迷ったのである。やたらにすごい顔してどなりまくるけど、決して悪人ではなさそうだ······。いくら怒っても、どこかに善良さがうかがえる。銭亡者かと思うと、決してそうでもなさそうだ。根は善人なのだが、無教養なるがゆえに、単純に怒り、単純に喜ぶ。根が小心でケチなるがゆえに、でかいこといってみては急にシブチンになる。いうなれば単細胞の人間であろうと結論づけた。見まわしてみたら、かっこうの実在の人物がいた。モデルはこれだ!その男の一挙一動にいたるまで観察した。デフォルメするため、かつて悪役として映画で活躍した、いまは亡き名優・上田吉二郎のあの呼吸法を盗ませていただき、演じることにした。さいわい、これはスタッフからも喜んでもらえ、面目をほどこしたが、これも盗みの成果といえる。アニメのヒーロー、ヒロイン、美形キャラを演じる声優たちも、その役づくりのうえで、実在の人物や先輩の演技を盗むことはしばしばである。市川治くんの美形キャラの発声は、たぶんに歌舞伎の二枚目のそれを盗んでいるようである。芸はいくら盗んでも罪にはならない。先輩の芸を盗んでも、それ以上の芸を身につければ、恩返しをしたことになるのである。「闘将ダイモス』の神谷くんの「ファイヤーブリザード!」や「烈風正拳づき!」なんて、スゴーク気迫のこもったあの叫びは実に音楽的でもある。語尾がキュ~ンと上ったりして、実にここちよい。あれは、何から盗んだのかなァ。古川登志夫くんの「ダルターニアス!」は、ファンのあいだでモッパラ「石焼き~イモ~」によく似ているという評判。女の子の大好きな石焼イモに目をつけるとは、サースガ。そういわれてみると、おいしそーな感じもする。(つづく)

September

声優”の語源は・・・・・・

ぼくの『声優入門』もいよいよ終わりちかくになってきた。このコーナーを担当してから、たくさんの方々からあらゆる種類の質問をいただいたが、その全部にぼくはご返事してきたつもりだ。だが、仲間からの「なぜ、声優ということばを使うのか」という問いにはまだこたえていない。今回はそのことについて述べることにしよう。声優のあいだに、とくに若い人たちのあいだに「声優」ということばをきらう人がいる。「おれは俳優だ」「私は女優よ」と叫ぶ人たちである。いずれも真実の叫びであり、その心情もよくわかる。まったくそのとおり、声優は俳優である。俳優が“声の仕事"をしているだけなのである。つまり、俳優の仕事の一部と(声優護)して声の仕事”が存在し、その声の仕事"をしている人を指して、世間さまが「声優」と呼んでいるだけのことなのである。正確にいうと、昭和16年、NHKはラジオ専門の俳優を一般から募集して、養成をはじめた。その声の俳優たちのこと当時、読売新聞芸能記者であった故小林徳二郎氏が「声優」と名づけた。その後、いつしか「声の演技をする俳「優」はすべて「声優」と呼ばれるようになっていったということなのである。現在、このことばは、新聞雑誌などの紙面にしきりに登場してくる。マスコミに登場しはじめてすぐに38年、いまさらこのことばの存在を否定することはできない。仕事をするものの側からいえば「おれは俳優」ということになるが、ジャーナリストや視聴者側から見れば「声優」ということになるのであろう。ともあれ、呼び名はどうでも「声の演「技」をしている人たちは、俳優なのであという事実を知っていただければ幸いである。

声優に学校はあるのか?

高校3年の諸君は夏休みがあければ、いよいよ進学進路を決定する大詰めの段階を迎える。きっと夏休み中も、先生の顔がチラついて、のん遊んでもいられないことだろう。・・・・・・とい・・というわけで、ぼくのところへも相談の手紙がどっとふえるのである。声優になるには、どこの学校を受験したらよいか・・・・・・という質問が多い。声優になるにはまず俳優になることである。俳優になるには学校は必要ない。大学の演劇科や専門学校に通ってみたところで役者になれるというものではないのだ。俳優は学問を学んでなるというものではない。言語、身体で表現するすぐれた才能を有するものが訓練を経てなれるものである。日本の大学は学問の府である。学問を研究する機関として制度化されている。欧米の大学の演劇科のように、卒業するまでに規定のステージ数をふんで、その成果によってプロの劇団へ進むことができるというふうにはなっていない。だから、声優になるために大学の演劇科へ進もうと考えている人があったら、かどまずお門違いだということをアドバイスしておこう。

すぐに望みはかなわない

俳優になるには、俳優としての基礎訓練(肉体訓練・話法など)をつみ、芝居のけい古をし、実際に舞台に立ってみるしかない。そうしたことの可能な劇団や研究所に入って、演劇人としての生活を日々送ることによって、俳優としての感覚が目ざめ、研ぎすまされ、やがてプロの俳優へと成長していくのである。俳優としてひとり立ちできるようになると、舞台以外にカメラを通しての映像演技に対する適性があるか、マイクを通してのオーディオ演技に対する適性があるか、はっきりしてくる。その時点で、声優への方向性が定まってくるものである。声優志願者が急激にふえてきている。声優を志し、夢をみるのは結構だが、短絡的にその望みをかなえようとしてもムりというものである。まず、すぐれた言語感覚をもった俳優になることを第一の目標としてスタートするほうが、現実をとらえた堅実な考え方といえるだろう。(つづく)

October

やる気だけではムリ

広島の今井美智代さんから「昼間働い夜間養成所へ通うつもりですが、せっかく希望に燃えて上京しても、そんな生活をつづけていたら、きっといつかは体をこわして声優への道を断念せざるを得なくなるにきまっています。本人のやる気だけではムリなのでは……」との手紙をいただいた。たしかにおっしゃるとおり、やる気だけではムリがくる。健康を害し、学半ばにして故郷に帰った人も多い。しかしそれ以上に、精神的に敗北感に打ちひしが帰っていった人の方が多い。意気揚々と上京してきても、自分の周囲にいかに数多くの才能ある若者がいるかを知らされ、劣等感にさいなまれ、生活に疲れ果て、逃げるようにして故郷へ引き揚げていくのである。アルバイトをしながらの声優修業には、まず体力が必要であろう。しかしそれ以上に強靭な精神力を必要とする。そしてそれをささえてくれるのは、何よりもご両親の暖い援助であることを知っておくべきであろう。東大阪市の岡本裕子さんからの手紙。「私は今までさんざんわがままにやってきましたので、もうこれ以上両親に苦労をかけさせたくないのです。大学(日大芸術学部)か、養成所へも自分の力でいきたいので、今からお金をためて両親の負担を軽くしようとがんばっています。私にはどちらが向いているか教えて下さい」ぼくはどちらにも向かないのではないか......とお返事しておいた。ご希望の大学へ入学するには、お小遣いをためた程度ではとても足りはしない。養成所へ通うにしても足りなかろう。いやそれ以上に現実を無視したあまりにも少女趣味的な思考に不安を感じたからである。親に金銭的な苦労をかけさせたくないということであれば、大学や養成所なぞへ行かずに、高卒と同時に役所へでも銀行へでも、おつとめした方がよい。その方がずっとすっきりする。いやむしろ賢明な生き方であるともいえる。

バカだけがこころざせ!! 声優になる前には、長い長い修業生活が待ちかまえている。いつプロになれるという何の保証もないバカげた修業である。その期間が10年だった人もいる。声優修業の入り口は、大学であろうと、養成所だろうとどちらでもよかろう。まず目標を定めて合格することに専念すべきである。金のことなど考えるな、学費はご両親が心配してくれる。高校生にとって、上級校への進学時こそ、もっとも親のお世話になるときなのだ。これからの長い人生の針路を定め、社会人としての基礎を固める重要な時だからである。このときにこそ存分にわがままをいい、お世話になるべきだ。17、18の少女が親に経済的な負担をかけさせません・・・・・・なんていうのは、少しも健気なことではないし、美談でもない。青年らしい謙虚さ、素直さがないともいえるだろう。両親の前に手をついて、深々と頭を下げ、最後のわがままをお許し下さいとお願いするのだ。両親もきっと、きみのことばに耳を傾けてくれるに違いない。あとは受験勉強に専念し、合格するための最大の努力をはらうべきである。小遣いなど貯めるな、そんな金があったら参考書をどんどん買って勉強せよ。大学にせよ、養成所にせよ、ライバルはゴマンといるのだ。親孝行は一人前のプロとなれば存分にできる。温泉旅行でもヨーロッパ旅行でも何でもしてあげられる。若いうちからケチな根性を持つな、大志を抱け。そんなバカだけが声優を志せばよい。今回で編集部とのお約束の最終回となった。かなりきびしい表現もとってきたが、現実を正しく認識してほしかったからにほかならない。声優を志すということは、たいへんなことだからである。決声優を志す諸君の夢見る心を傷つけようとしたわけではない。どうか声優を志すということは、どういうことなのか、現実を直視して行動してほしいと願うばかりである。声優の仕事には、ロマンが満ちあふれている。だが、夢をおうだけでは声優にはなれない一年有余にわたるご愛読ありがとう。心から感謝いたします。

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