Friday, May 19, 2023

"The Anime" Anime Stars Profiles (1980)

Mitsuko Horie (January)

数多くのアニメソングを歌い、DJや声優さんとしても活躍中のミッチ。21歳にしてありとあらゆるジャンルのアニメ主題歌を歌うこと、なんと300曲!若手ながらもこの世界の大ベテランなのです。デビューは小学校の6年生。竜の子プ口の「紅三四郎」の主題歌でした。その後は「てんとう虫の歌」、「山ねずみロッキー・チャック」「野球狂の詩」等々、アニメファンならずともおなじみのメロディーを歌い続けてきました。そして最近では、週3本のDJ、舞台、声優と広い範囲で仕事をこなすミッチ。でもその素顔はこんなスーパー・ウーマンらしからぬ女の子。気どらず、優しさいっぱいに、楽しい話をしてくれました。ではアニメ以外で見せる堀江美都子ミッチにアターック!!

小さい頃は体が弱かった遊びにかけては大のオテンバ!

まず堀江美都子という名前、もちろん本名だ。神奈川県大和市で生まれた。彼女のバースデーは昭和32年3月4日、魚座である。「とり年で魚座生まれって気が多いんですって。異性に対してだけじゃなくって、仕事でもなんでもいろいろな事をやってみたくって、いろんな物が好きになっちゃうんですって。気が多いっていう所なんか当ってるみたいですね。小さい頃のミッチは身体が弱い、わりと大人しい子だったが、それでも外で遊ぶのは楽しい事の一つだったらしい。「近所に同じ年くらいの女の子が少なかったんですよね。だか男の子と遊んでいる時の方が多かったみたい。田舎だったから近所から木を取ってきてチャンバラやったり、三輪車を馬がわりにして“ローンレンジャーだぞ"なんてピストルふりまわしたり。わりとおませだったから、年上の人とばかり遊んでいたようです。その分、今遅れていますけど(笑い)」小さい頃の話をする時のミッチは、まるで子供になった様に大きな目をクルクル動かして語ってくれる。病弱だった彼女を元気発らつなミッチにしてくれたのは、瀬谷小学校の時の担任、宮地先生だった。「宮地先生は私にとって初めてのスパルタ教育をする先生でした。体育がにが手で身体の弱かった私をビシビシ鍛えてくれたんです。飛び箱を飛べないと放課後まで残されて練習したり、冬の寒い日に裸足でサッカーやったりしたんです。そのお陰で健康な子になれたんです。その先生は彼女が初めてのど自慢コンクールに出ることになつた時、夜遅くまで練習に付き合ってくれたり、きびしいだけではなく、優しい目でミッチを見守ってくれた、よき彼女の理解者だった。「今でも私が先生のご近所でお仕事している時なんか、お子さんを連れて遊びに来てくれるんですよ。彼女の人間を大切にする心は、こんなあたたかい人達の中で育っていった。

小学校の頃までは(?!)優秀な成績。それでも、アニメエージ真只中の彼女はテレビもよく見た。アニメ世界に皮膚感覚で反応していく彼女のセンスはこの時代から培われてきたのだろう。そんなミッチの子供の頃の夢はバイオリニストだった。習い始めたのは小学一年生の時から。両親ともクラシック、特に、バイオリンの音色が好きで、音楽好きなミッチに習わせてみようと思ったらしい。彼女もバイオリンが気に入り、おケイコにはげんだそうだ。「ずっとバイオリニストになりたかったんです。だから学校も、あの高校にいって、あの大学にいって、ドイツかオーストリアに留学したいな、なんて大胆にも考えていたんですよね。両親もその気だったようです。親と子どものいっしょの願いでありました。(笑い)」バイオリンの練習は中学3年までの9年間続けられた。しかし、レギュラーが入った頃からアニメ歌手としてのプロ意識を持ちだし、発表会でソ口を演奏したのを最後にバイオリニストの道はあきらめたという。もしこの時、歌の世界に入らなかったら、今頃バイオリニスト・ミッチ"の姿がTVで見られたかもね。

彼女が歌の世界に入ることになったキッカケは、小学4年生の時「ちびっ子のど自慢」に出場し、優勝したことだった。この番組に出場することになった理由というのがオモシロイ。「東京に私の叔母がいまして、その人は懸賞でもなんでも、出すと当たっちゃう人なんですよね。私が歌を好きなことを知っていて、私の知らないうちに応募のハガキを出したらしいんです。だから、いきなり家にオーディションの通知が届いたもんで皆んなビックリ。でもまあ思い出にもなるし、出てもいいんじゃない、ってことになり出てみたんです。その時歌った曲は『ドナドナ」。その後、この番組が優秀な子を人選して作った合唱団に入り歌の世界へ。

ですから、今でも叔母さんを大切にしているんですよ(笑い)。」この合唱団は、優勝した子などを中心に有能な子供たちをスカウトし育てるために作られたもの。少しでも芸達者なチビッ子が現われると、すぐ大人たちの仲間入りをさせ、ギチギチのスケジュールを組み、人気が落ちると、ハイ、ごくろうさん、といった芸能界にあって、この合唱団は異例の存在であった。そこで彼女は歌の基礎を2年間じっくり学ぶことができた。今『ピンポンパン』をやっている大野カナちゃんも同じ合唱団にいた。バートが同じだったこともあり、よくいっしょに遊んだ仲よしだと言う。ミッチの初めてのお仕事は、小学6年生の時。NHKテレビ『うたはともだち』へのレギュラー出演だった。「このレギュラーは一年間やりました。そこで知り合った作曲家の先生がコロムビアを紹介して下さったんです。でも私がいた世界は芸能界の雰囲気なんて全然なかったみたいですね。彼女が芸能界で仕事をすることに対して、両親はどう思っていたのだろうか。「最初はやっぱり両親とも反対でした。父は厳粛っていうのかな、やっぱり芸能界っていうものに偏見があったんでしょうね。それまでは歌謡曲も全然きかなかったようです。クラシックばかり聞いていましたし。でも私が仕事と学校を両立できるのがわかってきて、仕事ものつてくると、かえって父の方が応援してくれました。

小学校卒業とともに、彼女の家は大和市から現在の横浜へ引越した。環境の変化、そして自己というものの芽ばえを体験していくミッチは、自分の性格を意識し始める青春時代へと入っていく。「今の私からは想像もつかないかもしれませんがおとなしい子だったんですよ。(笑)どっちかっていうと陰の方だったと思います。言葉もあまり喋らなかったし。でも中学に入ったころから、小さいながらも、〝これじゃあいけない"と気づいて、それから180度性格が変ったみたいですね。性格が変ったと同時に頭の中身まで変っちゃいましたね。小さい時は、これでも点がよかったんですが(笑い)。」ガ然活動的になったミッチは、学業と仕事を両立させながら、サークル活動にも参加した。一年生の時には英会話クラブに入り、文化祭ではもちまえの美声と感性を発揮して、オリバーツイストの英語劇をやった。二年生になってからはソフトボールクラブに入部。「ソフトボール部に入ったら、どこでも好きなポジションになっていいと言うので、一番カッコイイピッチャーになりました。でも手が小さかったので、先生が特別のボールの持ち方を教えてくださいました。別にドリームボールじゃなかったですけどね。出ると打たれるという具合でしたが、とっても楽しかったですね。「中学生になって、ミッチは現在も所属しているコロムビアの学芸部に入る。『紅三四郎』の主題歌がアニメ界へのデビュー第一号だった。合唱団時代に磨いた歌唱力と天性の器用さで、『魔法のマコちゃん』「はくしょん大魔王』等、又アニメソング以外でも、TVの人気番組「美しきチャレンジャー』『金メダルへのターン』『コートに賭ける青春』『魔女先生』などのテーマソングと、コンスタントに手がけていった。『陽気なフォスター』という、フォスターの曲にかわいい詩をのせた楽しいLPレコードもこの頃発売されている。この時代のミッチは仕事に対してどう感じていたのだろう。「歌のお仕事はとても楽しかったですね。でも中学生の頃は職業意識つてあまりなかったから、〝たまの日曜日に仕事してヤダなー、なんて手前勝手ですが思う時もありましたね。」その頃好きな男の子はいた?「居ましたね。同じ学年の子ですごくいいお友だちでした。エツ、でも私の方が全然気持ちに発展性がなくなっ……………。それに日曜日っていうとほとんど仕事でしたし、遊びにも行かなかったし……。他の質問には理論整然と答える彼女だが、アレアレ?だんだん声が小さくなってしまった。とにかく、多感なお嬢さんだったようですが。

趣味はスプーンあつめ舞台にもアタックしたいな

さて、子どもの頃の話をしてくれる現在のミッチはーと言っても、とてもひと言では言い表せない。そこで趣味やら夢やらの話を聞いてみよう。「趣味ですか?スプーン集め!今200本近く集まつたんです。見る?」と言って出してくれたスプーン。あるわ、あるわ。色々な形や模様のデザイン、色と、それはもう、スプーン屋さんの店先もまつさおのコレクション。「最初、気にいつたのが1本だけあったんですけれど、その後も目についたものを買い集めていったら、いつの間にか増えちゃった。お仕事の休み時間とか、お休みの日に買ったのがほとんどですね。お気に入りのスプーンにかこまれているミッチを見ていると、なるほどミッチらしい趣味だとひとりで納得してしまうから、なんとも不思議ではある。スポーツの方は最近ゴルフをはじめたとか。ところで、ペットはいる?「いますよ。キャンディつてオス犬。でもペットというより、家族ですね。つい先日も階段から落ちて、足を折つちゃったんです。私、一晩中心配で泣いちゃった…。犬が足を折ったと心配して泣くなんて、またミッチフアンが増えそうなお話。かわいそうなキャンディは、今では元気いっぱい、時々ミッチのお散歩におつきあいするほど(念のため!)今、ミッチはミュージカルに燃えている。今年の夏も「ああ野麦峠」を公演。これからもチャンスがあれば、どんどん出演したいと夢を語る。スーパー・ウーマン、ミッチがんばれ!!!堀江美都子新・LP・シングルが発売されるよ!

Kazuhiko Inoue (February)

横浜生まれ横浜育ちその甘いマスクは子供の頃から……!?

井上和彦ー 自他ともに認めるハンサム・ヤング。 声 優としては「サイボーグ009」の島村ジョー、「キャ ンディ・キャンディ」のアンソニー役で大活躍中。定評 のあるその美声は、1月1日発売のシングル「PS・ア イラブユー」 を生み、歌手としてのデビューも飾りまし た。俳優への夢は、目下上演中の舞台劇「王様の耳はフ ァンタジー」出演で実現。つねに前進あるのみの彼の眼 には、希望という光に彩られた実り多き未来が映し出さ れているようです。 人気少女漫画家いがらしゆみこさ んとのおしどり夫婦ぶりも板につき、今、和彦クンは順 風満帆、インタビューにもすごい熱の入れようだ。 和彦クンは昭和2年3月26日、横浜の中華料理店の長 男として誕生した。現在は身長173センチ、体重67キロと いう堂々たる体格の持ち主だが稲利台小学校、岩井原中 学校の時代には、身体が弱く、ガリガリのやせっぽっち だったと言う。 「腕立て伏せが10回と出きませんでしたからね。気管が 悪かったんです。丈夫になったのは高校へ入ってから。 身体が図々しくなってきたんでしょうね(笑い)」 これには理由がある。彼は中学校頃から弓道に打ち込 み、高校1年のときには県大会で個人優勝を成し遂げた ほどの実力者なのである。毎日3時間の練習はきつかっ たが、ひとつの事に燃えているという自覚が、それを素 晴しいものに変えてくれた。今でも、この高校時代がい ちばん楽しかったという。 「矢を放った瞬間、弦がビィーンと鳴るんです。的に吸 いこまれてゆく矢が見える。そして、当った瞬間のスパ ーンという小気味良い音。これがたまらず弓に打ち込ん できたような気がします」 テレビに歌に舞台という、現代の最前線をとびまわる 和彦クンには、日本古来の武道が培った古風な横顔があ る。それがナウな彼を支えているのかもしれない。 成績は小学校時代は良かったのだが、中学へ進むよう になってから、序々に落ちてきた。大人しいばかりで、 近所のガキ大将にしょつ中いじめられていた和彦少年に も反抗期がやってきたのである。 「今流に言うと、〝つつぱつた"んですね。教室で先生 と渡り合ったりしてね。〝高校なんか行かねえぞ!" つ て、先生の眼の前で怒鳴っちゃいました」 好きな科目は美術。絵を描くというよりも、デザイン 関係に興味があり、ショー・ウインドーなどのデザイン をやりたかったが、軽い色弱であったため、この世界に 進むことを断念した。 苦手な科目は英語と商業簿記。そのくせ英文タイプが 得意といった変わった少年だった。 和彦クンの高校は横浜商業高校。就職希望者二百数十 名のところへ、求人募集総数は千名以上という。売り手 市場”の学校でもあった。 その気にさえなれば好きな会 社への就職も容易だった。 「でも、サラリーマンにだけは絶対なるまいと決めてい たのです。それで、新聞広告をみてボーリング場のフロ ントになりました。当時、ボーリングが得意でパーフェ クトを出した経験もありました。アベレージもを少し 下まわるくらい。190でプロテストに合格できましたの で、ゆくゆくはプロになろうと思っていました」 しかし残念ながら、プロボウラーの夢ははかなくも消 えた。彼がとびこんだ頃に絶頂期をむかえていたボーリ ング業界は、それから一年足らずのうち、信じられない 速度で衰退の一途をたどり、勤務先のボーリング場も閉 鎖されてしまったのである。それから喫茶店のウエイタ ーを経て、日本テレビの大道具係の仕事についた。

永井一郎さんとの出会いが プロ根性を教えてくれた

和彦クンの本格的な人生航路は、同じ大道具係の友人 に誘われて銀座の「テレビタレント・センター」の試験 を受けた時にスタートする。 どういうわけか、張本人の 友人が落第し、さして乗り気でもない彼が受かったのだ。 試験内容は簡単な筆記テストと、セリフの朗読と面接。 せっかく合格したのだからと実家を手伝いながら通うこ とにした。 授業は週5日制で、朗読やナレーション、早口言葉の 練習など、まあ当り前の内容。けれど彼の人生にとって、 決定的な影響を及ぼしたのは、一年の養成期間の後半を 担当した永井一朗氏と巡り合ったことである。当時、永 井氏から聞かされた言葉は、今も和彦クンの胸に生きて いる。 「永井先生から教わったことは、一生心の中にとどめて おくような根本的なものでした。それはクェスチョン 役者としての自分に対する問いかけでした。先生は授業 が終わってから、2、3時間も僕らとつき合い、色々な ことを話してくれました。ひとつのセリフがあったら、 必ず『何故』という問いかけをしてみなさい。 「何故そ ういうのか』『何故そのとき、そういう動きをするのか』 自分のもつ感性をストレートに、そのままぶつけてみろ とも話してくれました。僕は今でも、これらの教えを実 残しつつ、ひとつひとつ確実に自分のものにしてゆきた いと思っています。そのせいか、人見知りのひどかった 性格もずい分明るくなり、自分をさらけ出して他人にぶ つかってゆけるようになりました」 センター在学中、 和彦クンに強烈な印象を与えたもう ひとりの人物は緒形拳氏である。緒形拳・主演の時代劇 「八州犯科帳」のロケに加わった和彦クンは、そのとき の印象をこう語る。 「僕は丁稚の役だったんです。向うから緒形さんの馬が くる。そこへ駆け寄って〝八州さまあ”とひと言、頭を 地にすりつけるんですけど、全速力で走るからカツラは ずれる、初めてなものでセリフはまちがえる、しょっち ゆうNGを出されました。ところが緒形さんは嫌な顔ひ とつせず、“うん、うん"とうなづきながら、ニコニコ 見守っていてくれるんです。おかげでこちらも気が楽に なり、なんとか済ませられました。本当にやさしい、抱 擁力の塊りみたいな人でした。もちろん憧れましたね。 男が男に惚れるって、こういうことなんでしょう。とに かく大きな人だと思いました」 そんな緒形氏とは、とうとう個人的な会話を交わすこ となく番組を終了してしまった。おこがましくて口がき けなかったのである。 ロケの出演料は、ひと言とはい えセリフのある役だというので9 千円。当時のエキストラが3千円 だから大したものである。 風景の 一部でしかないエキストラと、た とえひと言なりとセリフを口にで きる役者との違いを如実に見せつ けられた和彦クンは、ついに一度 たりともエキストラに加わること はなかった。 にたかった 「死んでもやりたくなかったですね。お金のないときに、 やっちゃおうかなと心が動いたけど我慢しました。これ で顔を覚えられちゃいけないなって」 永井一朗氏が見込んだのは、内気で気弱そうな彼の底 にあるこうした意志の強さだったのかもしれない。 1年 間の授業を終え、「別に行くあてもなかった」彼に、永 井氏は「青二プロ」へ入ってみないかと声をかけてくれ た。 1年間程度の勉強では何にもならないとわかっていた 和彦クンは、それだけに嬉しく、本格的にこの世界へと びこむ決意を固めるが、両親はさすがに反対した。 「長男だったから、家を継げと言われましてね。 でも話 し合ったら、最後には、やりたいことをやれとわかって くれました。両親ともやりたいことができなかったそう だから、僕を同じ目にあわせたくなかったんでしよう。 17歳の弟がいるんですが、こいつが変わり者で、中学を でるとすぐ、店を喫茶店に改造して営業を始めました。 彼が僕の代わりに店を継いでくれたんですね」 青二プロは声優専門のプロダクションである。和彦ク ンの初仕事は「ゲッターロボ」の兵士の役であった。 続いて「魔女っ子メグちゃん」、「猿の軍団」、どんな役柄 を演じたのか今では記憶にもない。兵士AとかBとかが 多かったというこの時期、彼が声をあてた番組はざっと 見渡してもこれだけある。 「グレンダイザー」「ダンガ ードA」「ジェッター・マルス」「グランプリの鷹」 「ア ルプスの少女ハイジ」etc......。東映製作の番組はほと んど出演しているというから、かなりのハッスルぶりで ある。特に印象に残っている番組は 「やつぱり 『サイボーグ009』の島村ジョーですね。 あとは『ギンガイザー』の白銀ゴロー、「キャンディ・キ ャンディ」のアンソニー。 久保と東とプラグとハンスを 演じた「ダンガードA』、それから『一休さん』」 去年の夏から、和彦クンは「ぷろだくしょんバオバブ」 に移った。心機一転というわけではないが、声優以外の 分野にも積極的に進みたいという希望からであった。 そ の手始めが、1日発売されたレコード「PS・アイラブ ユー」である。なにげなく、ただの友だちのつもりでつ き合ってきた女の子に、ふと「愛」を感じる若者の心を 歌った美しい曲だ。レコーディングもいい経験になった。 「A面とB面の3曲を吹き込むのに4時間もかかりまし た。アフレコよりずっと難しい。歌手ってすごいなと 思いました。でもね、前の日にカラオケをもらって、ひ と晩中それだけを聞き、次の日録音でしよ。先生もレッ スンもない。難かしくって当り前かな。歌に自信はない けれど、そうも言えないな。すがすがしい恋の雰囲気は 良くでているし、覚えやすい良い歌です。ぜひ聞いて下 さい」 歌の中にちょっぴりキザなセリフがあって、これはス ラスラ言えた。担当デレクターいわく 「おまえ、セリフになるとイキイキするな」 恋のセリフがうまく言えるようになるまでの過程は、 男にとってひとつの歴史だと言った文学者がいたが、こ こで少し横道にそれ井上和彦の“歴史"を聞いてみた。 初恋はいつ? 「小学校5年生のときです。相手はクラスの女の子でし た。みんなに好かれてた、明るくてコロッとした女の子 でした。意志表示はなにもしませんでした。ですから相 手も僕の気持ちなんかまったく知らなかったと思います。 今、どうしているのかなあ?」 中学のときもオク手だった。手を握ったのも、デート をしたのも高校へ入ってから。ひたすらプラトニックな 恋それが和彦クンにはふさわしくもあった。 「この頃好きになった子は、小さくて風にそよぎそうな 感じでした。 テニスコートをはさんで校舎が建ち、ふと 向いの校舎の窓に眼をやると、彼女がいる。眼は釘づけ になり、身動きできませんでした。手紙というより、メ モに何か書いて彼女の机に入れといた記憶があるから、 僕が好きだということは知っていたでしょう。何を書い たかは覚えていません。割りに冷たかったのかなあ。誕 生日にはプレゼントをあげたような気もしたけど、それ も記憶にないし。ひょっとしたら、知らないうちに、相 手を傷つけていたかもしれませんね。」 友だちにおせつかいなのがいて、和彦クンには内緒で 彼女を誘いグループで遊びにいったこともある。朝、教 室へ入ると、ふたりの名前を並べた相々ガサの絵が黒板 一杯に書かれていて、あわてて消したこともある。 すべ てがさわやかな思い出となって苦しい時の彼を微笑ませ る。 奥さんとは、どうして? 「いやですよ(笑い)。レコードが売れなくなっちゃう。 営業妨害だ(笑い)。年収1億のあのいがらしゆみこが、 月収8万円の井上和彦と結婚したなんて、週刊誌に書か れたことがありましたよ(笑い)」 青二プロへ入った当初は、特に役者になろうとは思っ ていなかったが、今は違う。かといって、声優としての 自分が、そのためのワン・ステップにすぎなかったとい うわけでもない。むしろ声優として大成するために役者 をめざしているのだ。 「今、ものすごくお芝居がしたい。出発は声ですが、これを磨くためにも、声だけに執着せず、色々なところから栄養にな るものを取り入れてゆきたい。 少しでも進歩したいんです。結局、 自分の存在を確かめたいという気が強いんでしょう。会う人会う 人がみな先生になっちゃう。たくさんの人から、本当に多くのこと を盗んできました。 自分の中で大切にしていきたい人っていっぱい います。向うはどう思ってるか知らないけど(笑い)」 仕事をはなれての趣味はオートバイである。昔は矢をとばしたが、 今は自分が風を切ってとぶ。さっそうと生きる彼の姿にふさわしい イメージではないか。愛車はヤマハの650と、友人3人と資金を 出し合って買ったトライアル125。 忙しくて乗りまわせないのが 悩みの種だ。ストレス解消というわけでもあるまいが、よく映画を 観る。 「でも、やっぱり忙しくて昔ほど観てられない。最近、涙がでて止 まらなかったのは『チャンプ』です。なんとかして観たいのは「ロ ツキー2』 と『がんばれ!タブチくん!!!」舞台が終わったらまとめ て片づけます」 この本が発売される時には、彼はまだ舞台の上に立っている。 全 身から存在感を発散させて、さぞや生き生きとファンタジーの世界 を泳ぎ抜いていることだろう。 まだ見ていない人たちは急いで駆け つけよう! 役者をめざす上で目標となる人物は?と尋ねたら、ひと言「生き てるって感じの人」という返事が返ってきた。それから渥美清さん、 緒形拳さんの名前もあげた。 「ああいう大きな人間をめざしたいんです。僕の性格をひと口にい えば鷹揚、無頓着。仕事もマイ・ペースでやり、他人の事、小さな 事を気にしない。 アメリカ的というか、北海道の平原的というか、 そういう人間になりたいといつも願っています」 持ち前のガッツで80年代をスパートする和彦クン、いつか僕らを あっと言わせるような姿を見せてくれるだろう。それが舞台か、歌 か、スクリーンか、あるいは、そのすべてにおいてか、楽しみに待 とう!

Keiko Han (March)

〝声の世界"にはいって、3年。〝イーピン"こと恵子サンは、今 日もスタジオからスタジオへと、忙しく飛びまわっています。 「超人戦隊バラタック」のユリ、「女王陛下のプティ・アンジェ」 のアンジェ、「未来ロボ ダルタニアス」の早苗、「機動戦士ガン ダム」のララァ・・・・・・そして、現在も「こぐまのミーシャ」のナター シャ、「トム・ソーヤの冒険」のベッキーと、数多くの役にアタッ する恵子サン。もちろん、舞台演劇に対しても積極的。去年も、 「羅生門」という舞台に立ちました。 さて、そんなステキな20歳”の恵子サンと、お話ししてみま しょう。

玉子焼きを食べすぎてイーピンになったのかな?

「昭和年4月5日生まれ。だいたい20歳ですよ(笑)」 ありゃりゃ、最初からはぐらかされてしまった。とも あれ、恵子サンは東京は新橋生まれ。新橋烏森通りに店 をかまえていたおスシやさんの末っ子でした。 「姉が3人いるんです。上から順に不美人になってるの。 いや~ね~。(笑)」 そんな! 恵子サンすてきだよ・・・・・・あ、お店にはよく 行ったの? 「幼稚園の帰りに、よく寄りましたよ。 お店のいちばん 奥に、私専用の席があったの。 板前さんがネタの玉子焼 きを1本ドサッと出してくれるのよ。(笑)」 え?ひょっとして、あのでつかい玉子焼きを切らずに 食べたの?!?! 今「イーピン」と呼ばれているのは玉子を 食べすぎたせいかな。でも、小さい頃の恵子サンは、と つても体が弱かったらしい。手術をするような大病には かからなかったけど、しょっちゅうお医者さん通い。小 学校3年生の時には、小児ゼンソクで半年以上も休んじ やったんだって。 「それで算数がまったくわからなくなっちゃった。だか ら、成績はもうガタガタ!」 そんな恵子サンだったから、外で遊ぶことなんてしな かった。家で絵を描いたり、ぬいものをする毎日。 御両 親もほとんどお店にかかりっきりで、顔を会わせること が少なかったそうな。 「内気な女の子だったんです。人前に立つのが大の苦手 で、教科書の朗読もできなかったんですよ。」 内気な女の子に、お芝居なんかできるのかな。なんで お芝居をやるようになったの? 「中学3年の文化祭がきっかけなんです。 そのときの出 しものは〝奇跡の人”あれ、セリフがなくて、うーう ―うなるだけでしょ。内気な私を見かねた友だちがさそ ってくれたんです。こんなにすばらしい世界があったつ て、感激しちゃった。」 それからお芝居にとりつかれたのか。高校の時は、〝劇 団四季の試験をうけたというから本格的だね。 「でもネ、セーラー服で受験したら、みごとに落っこっ ちゃったの。(笑)」 大学は日大芸術学部の演劇科。いよいよ本腰を入れて 演劇に取りくんだわけ。 「だけど、なぜか学校はおもしろくなかったの。それで、 お芝居もやめちゃおうかと思った。」 ありゃりゃ、いくら多感な青春時代といえあっさりし すぎてるね。 「それまでコツコツ描きためたイラストを持つて、 水森 亜土さんに見せに行ったんです。ところが、水森さんは メキシコにでかけていていらっしゃらない。どうしよう かと思っていたら、水森さんが参加している“未来劇場 " で、お芝居の試験をやってたんです。なんとなく受けて みたら、合格しちゃった。(笑)」 やれやれ、恵子サン、 かなり流動的なんだね。とにか く、それからは未来劇場にかかりっきりで、大学なんて 半分も行かなかったというから、かなりの熱中度。 研究 生としてすぐに舞台 (ムッシュ・ランバンの哀しい殺意) に立った後、TBSラジオの「ラジオマンガ」に出演する。 "ラジオマンガ"がおかねをもらったはじめての仕事です。 でも、ゴハンたべて交通費はらったらぜーんぶなくなっ ちゃいました。(笑)」 そのほかにも、サントネージュ、リッカーミシン、共同 石油のコマーシャルフィルムに出演。テレビ映画では「非 情のライセンス」 「江戸の旋風」などのゲスト、得意な 英語を生かして 「英語教室」のレギュラーをつとめた。 ところが、恵子サンの不思議なところで、また演劇を やめようと思っちゃう! 「お芝居やめちゃえ、と思って、大学を卒業してすぐにカナダに行ったことがあるんです。カナダには、中学時 代に私をお芝居に引きこんだ張本人(秋吉さんという友 だち)がいまして、彼女に相談しようと思ったの。でも ネ、街を歩いていると、ふと目についた映画館にはいつ ちゃうの。それがまた楽しいのよね。けっきょく、お芝 居をやめるか続けるか、決めずじまいで帰ってきちゃっ たの。

「めぐりあいってほんとにヘンですね・・・」

そんなこんなでなやみながら帰国した恵子サン、未来 劇場の舞台を見ていた三国連太郎氏に声をかけられた。 ところが、間取りもっていた女性マネージャーが出産 のためお休みで、恵子サンはますます考えちゃう。そん なとき、三国氏の奥さん、野村道子さんと出会った。 「めぐりあいってヘンなものですね。それまでほとんど 話をしたこともない野村さんから突然電話がかかってき て、声の仕事をやらないか。っておっしゃるの。それで 2カ月後に青二プロに入社しました。」 すごく簡単にものご とを決めちゃうんだね。 「ふつ、と人に出会った瞬間に、がらっとか わってしまうもの……人間って、そんなんじ ゃないかな……」 笑いをたやさなかった恵子サンの表情が、 一瞬かわった。" めぐりあい" か。 青二プロでの恵子サンの活躍は、多くのファンの知る ところ。はじめてのアフレコは? 「サザエさんのゲストキャラクターでした。ただひとこ と〝大根ください”っていうだけ。でも、ブルブルふる えちゃった。だって、まわりのみなさんが大ベテランで、 私だけが新入だったんですもの。」 そして、すぐにレギュラー出演である。 「超人戦隊バ ラタック」のユリ。たちまち実力を認められて、「女王 陛下のプティ・アンジェ」では主役を務めた。その後も 「未来ロボ ダルタニアス」の早苗、「機動戦士ガンダ ム」のイセリナとララァと、多くの役を演じている。声 の世界にはいって、まだ3年もたっていないのに、よく これだけの役がこなせたね。 「アニメって、私と合ってるみたい。テレビ映画はカツ トごとに、演じることがまったくちがうけれど、アニメ は流れがひとつでしょ。そういう意味では、お芝居に近 いんですね。だから、私にもやっていけるのかな。 話はかわるけど、初恋はいつ? 「私ね、小学校から中学校、高校と私立の東洋英和女学 院にかよってたの。だから、身近に男の子なんかいなか つたし、ちかくの男の子たちには年中いじめられたから、男の子がすごくこわかった。そういうのに目覚めたのは大学にはい つてからですね。それまでとまるっきり男の人に対する見方が変わ つちゃった。大学に入ってからはすぐ結婚をしたくてしょうがなか つた。それから今まで、しょっちゅう異性にひかれてます。(笑)」 なに? じゃ、現在恋人はいるの? 「残念ながらいないのよ(笑)」 いや、これはいいことを聞いちゃったぞ。ムフフ ところで、 好きなタイプは? 「そうね。大きな古時計みたいな人がいいな。私のことをだまつ て見守ってくれる人。やっぱり大人がいいな。あとね、私ジョ ームス・ディーンが大好なの。」 そんな要素をぜんぶ持ってる人はいるのかな。嫌いなタイプは? 「陰がある人ってやだな。人間はだれでも二面性を持ってるけど、 マイナスの面は人に見せない方がいい。軽薄な人はイヤですね。」む かしは、28歳くらいで結婚しようと思ってたの。でもね、その歳 に近づきつつあるのよね。(笑) 30歳ぐらいまでは、独身でいるんじ ゃないかな。でも、いつ相手と出合うかわからない。 明日出会う人 と結婚しちゃうかもしれないし…………… わかりませんね。」 そういう話はこれくらいにして、趣味なんかあるのかな。 「ちょっと前からヨガにこってます。劇団をはなれてから、ぜんぜ ん運動してなかったら体がかたくなっちゃって、それではじめたん ですよ。週二回はかよっています。あと、ジョギングね。週に1度 は走ってます。おかげでやつともとどおりになりました。以前はフ アッションに気を使って、毛皮のコートなんぞを着てたんですけど、 体がじょうぶになると、そんなものにたよってまで外見を良くしょ うなんて思わなくなっちゃった。」 へえ、ヨガっていいね。ところで、これからどんなことやりたい? 「とにかく、舞台をやりたいですね。今でも年に1度は舞台に立つ けれど、もっとワアッとやりたい。声の仕事をやっているといって も、声だけ"なんて考えていません。レギュラー出演が切れたら、 ドッと舞台をやりたいな。」 なるほど。やはり、目標は舞台か。 「うーん。でもね、突然お芝居やめちゃうかもしれない。もっと自 分にあった道があるのなら、行きたい方にいっちゃうだろうな。」 えー、またやめる話! ホント、このヒトわからないなァ。 「けつきょく、何をやっても私の人生でしょ!"と思っちゃうの。 とにかく、なんでもやってみたいな。」 うーん、その考え方に、潘サンの魅力があるのかもしれない...。 だけど、恵子サンはきっと、明日も舞台を夢見るだろうな。

Ichiro Mizuki (April)

ごぞんじ「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」の挿入歌「妹たちよ」である。作詞・保富康午、作曲・平尾昌晃のこの美しい詩も、水木一郎の歌があってはじめて、われわれの耳にとどき、聞くものの心に何かを残す。数多くのアニメソングを歌い続けている水木さん、現代のアニメソングのトリプシンガーなのだ。そのすばらしい方は、ファンの心をとらえて放さない。また、歌手だけでなく「宇宙空ブルーノア」では飛鷹翔役としてアニメの声優にチャレンジ、ラジオ関東の深夜放送主ッドナイト・プラザ」のワンコーナー「水木一郎のアニ大橋線局」でDJを務めるなど、現在いろいろな分野で舌謹いだ。2月9日、東京、赤坂の日本コロムビアで待ち合わせ。と、言にデーンと、まえるコロムビア本社ビルの前を、レザーのトレンチコートをなびかせた男ひとりさんだ。「おはようございます!」

毎日発声2時間ー今でも続けていたらスッゴイだろうね!?

昭和23年3月17日、東京の世田谷生まれ。クリーニング屋の3男として水木さんは誕生した。きびしい父親とやさしい母親のあいだ、二人の兄と一人の姉を持つ末っ子だ。実家は戦前レコード屋を営んでいたという。戦災でレコードが焼かれたために、クリーニング業に転業したそうだ。そんな環境だから、家族全員が音楽好き。水木さんは、ごくふつうの元気な少年として育っていった。「小さいころはワンパク坊主だったね。忍者ごつこをしていて、車の屋根に飛び降りてへこませちやつたとか、近所の子どもたちとなんとか団"っていうのを作ってホラ、よくやるでしょ、グループにわかれて戦争ごっこ。それでほかのグループとパチンコで撃ちあうの。あとね、近所の子の自転車をかってに乗りまわしたり。とにかく、ワルガキだった。だから、親父にはしょっちゅうお目玉をくらってました(笑)。」どこにでもいるような、元気な少年だが、音楽にも小さいころから親しんでいた。「いちばん上の兄キがオーディオ好きで、主にクラッシック音楽を聞いてましてね。ちょうどそのころ、プレスリーがはいってきた。家にも彼のレコードがあってね、それで、ガキながらもカブレてしまった(笑)。」水木少年の、音楽に対する熱はどんどんふくらむ。「ギターがほしくてほしくてしょうがなかったんだ。見かねた姉キがウクレレを買ってくれてね。

毎日弾き語りのマネゴトをやってましたね。中学にはいった水木さんは、声楽を学びはじめる。朝晩1時間ずつ発声を練習した。たった1時間と思うなかれ。ためしに1時間ぶっとうしで歌ってみるといい。かなりしんどいことだとわかるはずだ。「今でもそれを続けてたら、もうスッゴイだろうね(笑)。」高校に入学してから、水木さんは本格的に音楽にとりくむ。クラッシックの発声はもちろん、ジャズ、ポピュラー、フォーク、シャンソン、カンツォーネなど、あらゆる音楽を勉強したのだ。やつていないのは浪曲と民謡くらい、というからたいしたもの。なんでも憶えられるティーンの時に学んだことは、すべて栄養になるものだ。水木さんの現在の実力も、それらを勉強すればこそ身についたものなのだろう。水木さんの高校は、私立の世田谷高校。曹洞宗のきびしい学校だ。「当時は〝岡田プロ”という事務所に所属していたんです。休日や夏休みになると、ジャズ喫茶に出演しましてね。それがはじめてお金をもらった仕事かな。そのころからですね、プロ意識を持つたのは。」やろうと思えば何でもできる高校時代。水木さんも、いろいろなことをやったそうだ。「クラスの仲間でバンドを作って、ビートルズなんか演奏しましたね。それから、みんなで養老院を慰問したこともある。その時はね、落語をやったんだ。水中亭源五郎"なる芸名をつけてね。ちゃんと着物もそろえたんだ。」スポーツにも熱中した。はいったクラブはバレーボール部と柔道部。それだけいろんなことをやると、学校で勉強するひまがなくなるのでは?と思うとさにあらず。「学校は好きだったな。別に勉強が得意だったわけじゃないけど、とにかく楽しかった。欠席なんて、ほとんどなかったよ。」高校生活の3年間はあっというまに過ぎ去り、いよいよ人生の選択のとき。水木さんはまよわず音楽の世界に進んだ。「事務所に行くと、仕事が待ってる。だから、もうこれで食べていける、と思って大学に行こうなんて考えなかった。それに、高校のときから勉強よりも歌に対する情熱の方が大きかったから。」そんな有望な水木さんを、レコード会社がほつておくわけがない。日本コロムビアから声をかけられ、いよいよデビュー!

3年間にシングル3枚売れなかったあの時代

レコード会社は、発売するレコードのジャンルによって、いろいろなセクションに分かれている。水木さんがはいったのは、日本コロムビアの文芸部。いわゆる、歌謡曲をあつかうところだ。まず、ステレオセットの試聴レコードを吹き込んだ。曲名は「シェナンド」アメリカのミズリーを流れるシェナンド川を歌った、有名なカントリーウェスタンだ。これは一般発売にはなっていない。市販された初のシングルは「君にささげる僕のうた」。昭和44年7月発売のこの歌が、水木さんのデビュー曲だ。しかし、その曲は売れなかった。「売れない」。このことが、水木さんの心を圧迫する。いわば、水木さんのいちばん暗い時期だ。「あのころは、音楽生活なんて言えるもんじゃなかった。レコーディングもごくまれで、文芸部にいた3年間でシングル盤を3枚しか出さなかったし…まわりの人だって、そんなぼくをあまりよく見てくれなかったんだ。そうなると、音楽の勉強だってままならない。でも、歌そのものはすてられなかった。そうしたら、ぼく自身に対して負けを認めることになるから。」そのまま行けば、現在、水木さんにスポットライトがあたることもなかったかもしれない。そして、昭和46年11月、大きな転機がやつて来る。それは「原始少年リュウ」のレコーディングだった。きっかけは、アニメソングのプリンセス、ミッチなのだ。「そのころ、ミッチの歌の練習を手伝っていたんです。ピアノで伴奏してたわけ。そうしたら、学芸部の大村部長がぼくに声をかけた。アニメの主題歌をやってみないか、とさそつてくれたんです。」それまでは、自分がアニメの主題歌を歌うなどとは思ってもみなかった水木さんだが、とにかくやってみよう、とチャレンジした。「とにかく、いい気分でレコーディングできたんです。そして、歌謡曲の吹きこみ以上に"なにか"をつかめた。そして自分というものに自信を持つた。男としての、やりがいのある仕事にめぐりあえた喜びがありました。」それからの水木さんの活躍はファンの知るところ。「マジンガーZ」「超人バロム1」「ロボット刑事K」「仮面ライダーX」「がんばれロボコン」「アローエンブレム・グランプリの鷹」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「北の狼・南の虎」「仮面ライダー(新)」など、数多くのアニメ・特撮ソングを歌い続けている。では、水木さんにとってアニメソングとは何なのだろうか?「アニメソングは、ぼくの柱です。ぼくを守つてくれるものだし、ぼくが代弁して他人の心を伝えられる。もちろん、アニメっていうのはたくさんの人たちが集まって作るもので、ぼくはその中のほんの一部を受けもっているにすぎない。だけど、責任重大です。その、限られたセクションの中で、いかに番組の雰囲気を盛り上げるかぼくにとって、本当にやりがいのある仕事です。」

人恋しのさみしがり飲めばついワルノリ

どんな質問にも、気どらずに淡々とした口調で話してくれる水木さん。お酒なんて、飲む人だろうか?「けっこう飲む方ですよ、ぼくは。仲間といっしょにワイワイ騒ぐのがだいすきでね。これは高校生のときからです。あのころは、喫茶店に集まって、夜中の1時ごろまでさわいでいた。人恋しさのさみしがりやなんですね。で、飲むとワルノリしちゃう。」ファンから聞いた話酒を飲んで、新宿の交差点で「炭鉱節」を踊ったそうな。それだけならまだしも、近くを歩いていたカップルに「いっしょに踊りませんか」と声をかけたらしい。これ、ホントかな?「そんなのはマシな方で(笑)。こないだ札幌に行ったときなんか、大通りを歩いていて、10メートルごとにバンザイした(笑)」。陽気な性格ですね、というと、「客観的に言えば、あいつはわりとジメジメすることがあるし、すぐにめげちゃうんだ。それさえ直せばいい男なのに(笑)。」ちなみに、よく飲みに行く友だちは、石丸博也さん、井上真樹夫さん、ささきいさをさんたち。今度ぜひごいっしょしたいものだ。さて、現在やりたいことは?「やつぱり、コンサートがやりたいですね。あまりハデハデじゃなくて、本当に歌の好きな人だけを集めて、じっくりぼくの歌を聞いてもらいたい。あと、芝居もやりたいし、映画もつくりたいし、本も書きたいし……でも何をやっても、結局歌につきてしまう。「ブルーノア」の声をやっていることも、あくまでも歌がふくらむんじゃないか、今までと違う面から歌をながめられるんじゃないかと思つたから。やつばり歌手なのね。それを磨きたい。アニメの歌だけじゃなく、ぼく自身が作った歌も聞いてほしいしね。」この3月、水木さんの新しいLPレコードが発売される。すべて水木さんが作詞作曲したオリジナルだ。どんな歌を聞かせてくれるか、じつに楽しみではないか。そして、やはり水木さんにはアニメソングを歌い続けてほしい。ファンならこう思うはずださんの歌が流れないブラウン管なんて、信じられない、と。がんばれ、男、水木一郎!

Makio Inoue (June)

必要から生まれたものそれがいちばんステキなんだー!!

一生大切にしたい―ハーロック 男なら、死ぬと判っていても行動しなけ ればならない時がある 銀河銀道999 キャプテン・ハーロック の名せりふである。ハーロックといえば井上 真樹夫さん、いや、真樹夫さんあってのハー ロックかな?ともあれ、ハーロックと真樹 夫さんは切っても切れない仲なのだ。 「ハーロックっていうのは 一生だいじに したい役です。ぼくの出会った最高のキャラ クターが彼だから......。あれだけのすばらし い役にめぐりあうことは、役者生活全体を通 してもまれなことですよ。だから僕は 幸 せ者なんですねえ」 花形満、ミスター神宮寺、ピート・リチャ ードソン、十三代目石川五ェ門、トリスタン、 ユルゲンス二枚目役ならまかせとけ!の 真樹夫さん。 いうまでもなく人気声優のひとりである。 「今、アニメ・ブームということで、僕たち の仕事にも興味を示していただいて そし て今回のように雑誌のかたすみをうめるよう になったけれど、僕にとってはまぶしすぎる ことですね。ただ、この歳までずっと演劇を 続けてきた。それだけなんです。僕なんかス ター"になれない、いや、ならなくていい。 そんな風に思ってやってきただけだから、僕 にスポットが当るなんて、むしろ不思議でし ようがない(笑)。」 ずっと役者を続けてきた。そのことだけで いいと真樹夫さんは言う。現在のブームも、 かなり冷静に見つめているようだ。 「本当に、偶然にサイクルが合っただけです ね。アニメ・ブームっていうのは、僕の人生 の中で、小さな、でも楽しい事件だったなつ て思ってます。」

ワープ? 未来へ!過去へ!!

さて、長年つきあってきたアニメーション に対して、真樹夫さんはどう接しているんだ ろう。 「言ってしまえば メシのタネなんです。 その中で、より職人的になってこそ、良い作 品が出て来るんじゃないですか。単に遊びで 作ってるんじゃなく、やはり"メシのタネ" から人の心に残る作品が生まれる。つまり 必要から生まれたものは1番ステキだと思う んです。」 メシのタネと言いながら、真樹夫さんは心 底アニメを愛しているんだな….....。だから、 真樹夫さんの演ずる役は〝光ってる"んだ! 「わあ、てれくさい(笑)。それはね、日本の アニメってのがすばらしいからですよ。日本 のアニメ文化は世界一だって、誇りを持って いいんじゃないかな。 ただね、女学生ファンの中で、それに気づ いてる人がどれくらいいるかなって思ったり する。ファンであることに対して、もっと自 信を持っていいんじゃないですか。私はアニ メが大好きだって、みんなが胸をはれる時代 が来てほしいな・・・・・・。 ダージリング・ティーを飲みながら、真樹 夫さんは淡々と語ってくれた。ふっと真樹夫 さんは遠くの方を見た。 「僕は、ときたまワープしちゃうんです。そ れが、未来に翔ぶときもあるし、過去にもど つて少年時代を思いだしたり、古本や骨董品 をながめたりする。ま、夢を見てるのかな。 ロマンチストで努力家で、しかもクールと いろんな面を持つ真樹夫さん。きっとこれか らも、アニメーションの画面を通して、我々 に語りかけてくれるだろう。これからもヨロ シク、真樹夫さん!

中学時代に見た児童劇にショックをうけて——

真樹夫さんは山梨県甲府生まれ。小学5年の時に東京に移った。 その頃は内気で、人前に立つことが大の苦手だったという。役者に は不向きな性格なのに、なんで芝居をはじめたんだろう? 「当時はね、娯楽がほとんどなかったんですよ。僕みたいに外で遊 ばない子は、やることがなかったんだ。中学時代にたまたま児童演 劇を見て、〝ガーン!"となってしまった(笑)。そこに救いがある ような気になったんですね。それですぐに演劇部に入ったんですが、 それでドロ沼に足をつっこんじゃった(笑)。」 そして高校時代も演劇部で活動、その頃からすでにプロの仕事を 受けていた。劇団にも入団し、"北の会""表現座""草の会""蟻の会" などを経験したという。 「テレビにも出ましてね。〝公開もの"の実験番組に出てたから、 テレビとはその黎明期からつきあってることになる。 しかし、経済的には決して楽な生活ではなかったそうだ。いつも 「やめよう」と悩んだが、そのたびごとに奮起し直したという。 「20代後半まで、親に眉をひそめられながらもこの世界をウロウロ して、自分でも先行きどうなるかわからなかった。でも、自分のよ うにありふれた人間は、とにかく続けることしかないんだ 生きるためには仕事を取らなければならない。真樹夫さんは回転 がきくアテレコを選んだ。アテレコ第1回は〝ドビーの青春”とい う作品。 「一般公募を受けたら、どういうわけか主役をもらっちゃって(笑)。 ところがこれがむずかしい。どうしても口が合わないんですねえ。 それでノイローゼ気味になっちゃって、もう二度とアテレコなんか やるもんか!って思ったんだけど・・・・・・なんだかんだで結局今まで続 けてきちゃった(笑)。」 アニメもアトム”から脇役で出演していたという。〝所員A" とか〝警官B"という、それこそ名も無い役だった。 その後はアニメで大活躍。 二枚目敵役”の草分け的存在、巨 人の星”の花形満を筆頭に、 男どアホウ!甲子園”の藤村甲子園、 さすらいの太陽"のファニー、〝原始少年リュウ"のリュウなど、 数多くの役を演じている。〝リュウ”の放映中に、現在真樹夫さん の所属する青二プロダクションに入ったのだが、その経過がおもし ろい。 「柴田秀勝さんの店(スナック)によく飲みに行ってたんですが 今も年中飲みに行ってるけど(笑)- 今度声優のプロダクションを 作るよって聞いてたんです。その時は、あつそう、てな感じで何気 なくうなずいたけど、少したったら役者がそろってこないんだ、 どう?やらない?"ってさそわれて、それじゃヤルヤルってアッサ 受けちゃった(笑)。トントンと話が進んで、久保進社長と知り合 つて……………もう、かれこれ10年以上たってるんだよね。ありゃりゃ、 いつのまにか僕も古狸になっちゃった(笑)。」 そしてミクロイドS"のヤンマ、 ジャイアンツ”の眉月、 勇者ライディーン"の神宮寺力(ファンにはミスターと言った方 がいいかな?)〝大空魔竜ガイキング"のピート・リチャードソン、 "キャンディ・キャンディ"のアルバート、そして“宇宙海賊キャ プテン・ハーロック"のハーロックを演ずる。 「ハーロックでただひとつ残念なことは、二回病気で休んだことで す。以前の〝佐武と市捕物控〟では、病気で倒れた富山敬さんの代 役を演ったんですけど、〝ハーロック"でそのときの敬ちゃんの気 持が痛いほどわかった。役者として、あれほどつらいことはない。 泣いても泣ききれなかったな......。

Eiko Masuyama (July)

イロッポイ峰不二子からかわいいキャンティまで・・・・・

「ルパぁ~♡」 おなじみ〝ルパン三世 峰不二子 ちゃんのイロッポイせりふだ。あのゾクッとするような 魅力的な声にメロメロになってる人が多いんじゃないか な? 不二子ちゃんといえば増山江威子さん。そういえ ば、〝キューティーハニー"でも、お色気たっぷりのハ ニーを演じた人だ。もうゼッタイにイロッポイ女性だと 勝手に思いこんで、ワクワクしながら待ち合わせ場所の 青二プロダクションへ ところが、実際の江威子さ ん、シックでとても上品なのだ。 「おはようございます。電車こみませんでした?」と、 こちらを気づかってくれる とてもやさしいのね。な んか、お母さん” みたい……。不二子ちゃんの江威子 さんというより、“天才バカボン"のママがイメージに 合うのだ。 「ママさん役は、ラジオドラマの〝名犬ロン"からです ので、ずいぶん演ったことになりますね。アニメでも〝 リスの風”や“少年徳川家康" "一休さん"もお母さ ん役ですから……。とくに〝バカボン"のママは、いち ばん私に合っているのでしょうね。 もちろん、カワイイ女の子の役もたくさんある。〝悟 空の大冒険”のタツコちゃん、"アンデルセン物語”のキ ャンティ、〝山ねずみロッキーチャック"のポリーも江 威子さんの役だ。かなり多彩な役がらですね。 「どの役も、それぞれの面白さがありますね。私は役に なりきっちゃう方だから、そのときそのときに“演じる” ということがすごく好きなんです。 さて、江威子さんはもちろん舞台演劇の出身。新児童 劇団から劇団山王、そして劇団四季と経験している。四 季では石井伊吉さん(毒蝮三太夫) ウルトラマン" のアラシ隊員でおなじみ といっしょだったそうだ。 舞台も「12年目の若者」など多数、テレビ時代にはいつ てからは、生放送に出演している。 「でもね、テレビのVTRを見てショック受けちゃった んです。もう、ゼンゼン美しくないんですね(笑)。 だか ら、それからは声のお仕事ばつかり(笑)。 そんなことはないですよ!とてもス テキなのに……………。ともあれ、そういうわ けでアニメにも出演。〝アトム"からと いうからもう大ベテランだ。 「アニメーションの魅力というのは、や はりいろいろな役ができることですね。 それこそ子どもからお母さんまで慣れる のですから……これはすごくステキなこ とです。このトシになってちっちゃい子 ができるんですもの(笑)。 江威子さんは「このトシ」とさらりと 言っていた。実際、多くのアニメファン にとって“お母さん”くらいの年代なの だ。 「仕事仲間のうちで、私がいちばん大き い子を持っているの。女の子なんですけ ど、あと数年もしたら結婚して子どもが できて......あら、そうしたら私はオバア チャンって呼ばれるわけね(笑)。 子持ち で子どもの声をやるなんて、おかしいで すね(笑)。 と実に楽しそうに笑う。江威子さんの ようになれるのなら、トシをとるのも悪 くないもんだなァと感じてしまった。 ところで、江威子さんといえば歌のほ うでもおなじみ。"一休さん"の挿入歌 てるてるぼうずのうた”では、とても きれいな歌を聞かせてくれる。そして、 7月にはファーストアルバム〝江威子抄" キングレコードから発売されるのだ。 江威子さんファン、声優ファン必聴のア ルバムですぞ! そもそも、江威子さんが歌うようになったきっ かけは? 「私、歌ってまったくダメだったんです。NHK の人形劇"ひょっこりひょうたん島”のテケ役を やってたとき、とつぜん譜面を5枚渡されたんで すね。〝きょうはこれを歌ってください"って言 われて...... 「台所がだいすきさ」という楽しい 歌なんですけど、レコーディングが朝の4時まで かかっちゃったんですよ(笑)。ひ ょうたん島”は5年くらい続いたの で、歌もたくさんうたいました。は じめのころはガタガタふるえちゃつ たけど、そのうちにずぶとくなって (笑)歌が楽しくなったんです。 "ひょうたん島”の音楽は、宇野誠 一郎さんの作曲。江威子さんは「宇 野先生のおかげで歌えるようになり ました」と言っている。同じ宇野さ んの曲で、LP「はだしとはだか」 を俳優の江守徹さん、斉藤明子さん と共に出し、ビクターレコードから 賞をもらったというから、歌のキャリアもたいし たもの。今回の"江威子抄”は歌を中心に人 ミュージカル”もはいっているというからおたの しみ! まず、前述の〝てるてるぼうずのうた” をはじめ、〝アンデルセン物語" から "キャンテ イのテーマ”、そして、江威子さんが出演したア ニメから〝さるとびエッちゃん""夜霧のハニー" ルパン三世"の"ラブ・スコール"を歌う。さ らにナレーションと歌でつづる〝星のオンディー 「ファンの方から"増山さんのLPが欲しい!と いうお手紙をたくさんいただきまして、私の"集 大成”としてまとまったものを出したいな、とキ ングレコードさんに相談したんです。そうしたら すべてをOKしてくださって、こうして出せるよ うになりました。スタッフの方たちとファンの人 ぜんぶに感謝したいですね。 江威子さんの歌には"心"が感じられる。その やさしさ、あたたかさはやはり江威子さんの人が らから来るものなのだろう。アニメ・ソングにか ぎらず、これからもステキな歌を聞かけてほしい。 もちろん、あのステキな声も......。

食べ歩きに文楽が大好きなの!

主婦、お母さん、声優と大忙しの江威子さん。それでもスケジ ユールのすきまを見つけて旅行するのが好きという。そのほかの趣 味は文楽鑑賞と食べ歩き。 「文楽というのは、アニメーションとどこか通じるところがあるん です。もちろん、文楽はお人形さんですし、表現も違いますけど、 "心"をふきこんでいのちを与えるのは同じですものね。ですから、 文楽はなるべくかかさずに見るようにしているんですよ。あと、と にかく食べることがだいすきで(笑)。したがつてお料理もすきです ね。お料理はぜったいに人間のデリカシーに通じると思いません? おなかいっぱいになればいいってものじゃないんですよね。自分で 創り出して研究して、 それにはおいしいものを食べあるかなきゃ。 ところで、どこかおいしいお店知りません?(笑)」 演技というものは、演ずる者の内面の重みがあってはじめて光る ものだとだれかがいったが、江威子さんの声がステキなのも、日ご あらゆることに対して興味を持ち、研究するからではないかな。 「そんなに研究ばっかりしてるわけじゃないですよ(笑)。でも、こ のお仕事はやはり、経験と勉強がたいせつですものね。いま、声優 になりたいという人が多いそうですけれど、わりと安易に考えてい る方もいるみたい。私は声優をめざして来たわけではなく、舞台を やって、テレビドラマをやって、という段階を経てるわけです。 声 優になりたいという人は、まず劇団などで基礎から勉強した方が、 私はいいと思います。 現在活躍している方たちも、きちんと段階を 踏んできた方が多いんですよ・・・・・・。 これは声優志望者への貴重なメッセージ。また、ひとりの母親の 立場から、ファンに対してこういっている。 「学生さんたちが、私のファンクラブを作りたいっていってくださ るんですけど、学生はやはり学校の勉強がだいじでしょう。ファン クラブを作って本分がおろそかになってしまったらタイヘン。アニ メを一生懸命見るのもいいですけれど、ちゃんと勉強もしてくださ いね。」 ああ、江威子さんはやっぱり"ステテキなお母さん"なんですね。 これからも、あの暖かい声を、ボクたちに聞かせてくださいね。お ねがいします 江威子ママ!

Mitsuko Horie & Akira Kamiya (August)

ミッチとアキラの 誌上ディスクジョッキー

ミッチ、1位なんて初めて ぼくなんか万年2位だモン

「アニメ声優ベストテン」―愛読者のみんなが選んでく れた、声優さんのトップ・スターが決定した。 ミッチと アキラこと 堀江美都子さんと神谷明さん。もうファン だったら「バンジャーイ」なんて叫んじゃうかな!? 堀江美都子さんと神谷明さんといえば、知る人ぞ知る、 ニッポン放送をキー・ステーションにしていた「ミッチ とアキラの底抜け日曜拳銃」(放送終了)の名パーソナ リティではないか。よし、それなら「誌上ディスクジョ ッキー」で、この1位の感激!を語りあってもらおう。

Horie. ウワーイ、やった、やった(笑)。

Kamiya.1位ってぼくなんか初めて。万年2位だったも のね、今まで(笑)。

Horie. ミッチもよ。 かけっこだって1等賞はとった ことないもン(笑)。でも、この対談の の発表のころになったら、順位がひっくりかえっていた りして...... (笑)

Kamiya. そういわれると…不安だなあ(笑)。 2人ともそんなに不安にならないで。ちゃんと1位に なったんだから胸をはって!

Horie. でもミッチなんか予想外よ。歌手の部門なんて いうのならもう、うれしい!なんだけど、声優で1位な んていわれると、とまどっちゃう。

Kamiya. そりゃ、よくわかるよ。ぼくだってもし万が一、 歌手の部門なんかで1位とっちゃったら、もう絶対ダメ (笑)。どうしていいか、わからなくなっちゃうね。アタ フタして(笑)。

Horie. だからきっと、ミッチを応援してくれる人は、 歌手としてのミッチとか、DJのミッチとか、声優のミ ツチとか、全部をまぜたミッチを応援してくれているん だと思うの。そういう人たちの投票で1位になれたのね。

Kamiya. でも最近のミッチの肩書きは〝声優・堀江美都 子"になっちゃってるんだね。こわいね、肩書きって。 ミッチ ミッチはぜんぜん気にしてないの。だって声優 として仕事をする時には「私は声優です」って言いたい し、やる以上は一人前になりたいもの。

Horie. 同じ声優をやるんだって「私は歌い 手ですから……」って言うのはイヤ。やつぱ り「今日は声優の堀江美都子として来ました」 って言いたいもの。それで歌を歌っている時 は「歌手だなァ」って言わせたいしね。

Kamiya. それはもちろん。でもこないだ大阪 へ行った時、舞台のうしろに"中高生のアイ ドル・コロムビアアニメ歌手・神谷明"つて 書いてあったのね(笑)。

Horie. キャー、ホント!?!?!(笑)。

Kamiya. ホラ、笑うじゃないか。それでね、 ぼくは前ばかり見てるから、うしろは見えな いでしょ。ぜんぜんそんな事が書いてあるつ て、知らないわけ。そしたら「アニメ歌手!」 って言われたのね。「何言ってんのよ、冗談 言って」と思ってたら「うしろに書いてある よ!」(笑)もう大変!自分で笑っちゃった。 今ではギャグとして使っているものね(笑)。

Horie. でも神谷さんの場合は、アニメ歌手 じゃなくて、神谷明としての歌をうたうでし ょう。だからミッチたちとは、ちょっと違う んじゃないかな。

Kamiya. でも、ぼくもここ1年、ラジオをや ってきて、それでずいぶんぼくを個人として わかってくれる人がでてきたよ。

Horie. そう! ミッチもラジオをやってい てプラスになったのは、やっぱりそういう個 人としてわかってくれる人ができたことね。

Kamiya. 自分を最大限に伝えることができる ものね。

Horie. たとえばラジオって、 顔も見えなければ、名前さ え言なければわからない でしょう。でもその時の声を聞 いてくれた人が、今度はミッチ の歌を聞いてくれて、「ああ、あの 人は、こんな仕事もしてたのか」っていうよ うな、昔とは逆の知り方をする人もいるの。

Kamiya. そうだね。やっぱりラジオでぼくな り、ミッチなりを知ってくれて、それからミ ツチの歌やぼくのアニメを知る ―そんな逆 輸入的なことって、すごくうれしいんだ。

Horie. うん! 一番うれしいねエ。

Kamiya. ラジオで世界が広がったね。

Horie. ミッチなんかは、まだまだこんなこ と言えないんだけど、パーソナリティみたい なのを認めてくれた上で、その人の他の仕事 見てくれる人ができたのよね。

Kamiya. だから今までは、アニメのキャラク ターとか、ミッチなら歌のイメージとかだけ で評価されていたのが、人間・神谷明が、人 間・堀江美都子が、役者として歌手として仕 事をしているって見てもらえるんだよね。今 までは、わりとゴチャゴチャした部分で見ら れてたような気がするなあ(笑)。

コンサートができるなんて 思ってもみなかった― そういった小さなうれしいことが、たくさ ん集まって、今の堀江美都子さんと神谷明さ ん――いや、ミッチとアキラがいるんだね。

Kamiya. 昔は、コンサート開くなんて、考え てもみなかった。今は数が多いけどね。だか ら最初は不安だったよ。受け入れてもらえる のかどうかつて。だって「キャー、ひびき洸」。 とか「バビル2世!」とか言われても、いざ 本人が「えー、神谷明でございますよ」な んて出ていったら、「なーに、あれ」(笑)つ ていわれないかつて考えたもの。

Horie. やーだア(笑)。

Kamiya. いや、いわれかねないという不安は あったよ。でも、このままでファンの前に出 ていってもだいじょうぶだって気持ちもあっ たしそれで、それを天秤にかけてやろうって 結論になったわけ。だめなら、もうしょうが ないよ。

Horie. ミッチの場合は歌い手だから、そう いうこわさはなかったけど……でも、ミッチ コンサートなんてできるとは思わなかった。 それも自分のための、なんて...。

Kamiya. できるとは思わなかった、というの は本当だね。ぼくなんか、特にそう(笑)。で も、できるとは思わないということと同時に、 何かを作り出せるんじゃないかって気持ちも あったね。

Horie. 作り出したかったもの。

Kamiya. そうだね。機会さえ あれば、つてね。

Horie. ミッチはね、いつ も頭の中で、機会があったら ああしようとか、こうしようと かたくさんのアイデアのストックが あったの。でもまだまだ、そんな機会がなか つたしね。そうしたら、去年あたりから、今 まで考えていたものが、どんどん出せる場が でてきたの。だから、もう最高!!!(笑)

Kamiya. そういうことができるというのは、 自分の力も、もちろんだけど

Horie. ぜーんぜん。自分の力じゃないもの。 まわりの人たちにやってもらえるという環境 だと思うけど。

Kamiya. そうだね。

Horie. 自分の考えが生かせる場があるって いうのは、本当に幸せよね。だから、今年は すっごくいいチョーシ(笑)。

Kamiya. 今のミッチの話から、自分のことを 振りかえると、やっぱり同じことが言えるわ 自分がこうしようと思うと、まわりの人 がさせてくれる。コンサートやりたいと思っ ても、歌うたいたいなって思っても、思っ たってできるものじゃないよね。いくら思っ つてみても、そういうことを求めてくれて、 また認めてくれる人がいなければ、コンサー トも歌もできやしないもの。

Horie. ミツチなんか、コンサートはかけだ しでしょう。だからこそいいものをやろうつ て思うの。そうでなかったら、作る人も作っ てくれないし、だいいち、来てくれる人がい なくなっちゃうもの。そういう意味では、今 が一番こわい。 もうアニメ歌手としては1年にもなるミッ チ、やはり演技の世界にとびこんでから10年 になる神谷さん。その長い経験を生かして、 すてきなステージを見せてほしいな。

Kamiya. そう、ここ1年半ぐらいかな。すっ ごく変化があった。何もかもガラッと変わっ ちゃった。

Horie. とてもいい変化だよね。 そうなの。それまでは、仕事といっ ても山手線の内側ばつかり(笑) でやってた わけ。それが今や日本全国をかけまわって いる なにか信じられないな。

Horie. そしてね、いい状態にいる時ってい うのは、自分がどんなところにいるのかつて いうのがわかるし、ファンの人たちの状況と いうのも見えるのよね。それでファンの人た ちの間では「どうしてミッチが、声優をやる の?」なんて意見もあって、賛否両論なの。 神谷さんの場合だって「なんで歌うたうの」 っていう人もいると思うの。

Kamiya. うん。

Horie. でも、自分でちゃんとした目標があ るのなら、そこへ行きつくまでに、チャンス を生かして、数多くのことをやるべきだと思 うのね。ただ、ひとつだけ自分自身で注意し なくては、と思っていることがあるの。それ は「歌手だから」という逃げ場を作らないこ とね。

Kamiya. こんな言い方すると、少しカッコよ すぎるんだけど

Horie. いいよ。今日はなんたって1位だも ン!(笑)

Kamiya. よーし、言っちゃう(笑)。ぼくは、 芝居もDJも、全部自分のメッセージだと思 つてる。それはおのおの技術的な違いはある けれど、全部が自分からの生きたメッセージ として伝われば、最高だと思うな。だから、 これからも、あらゆるジャンルを使って伝え ていきたい。

Horie. 表現方法が違うということは、また 違った角度から自分を表現できるってことだ し、受けとる人も違った角度から見てくれて、 受け入れてくれるってことだもの。

Kamiya. 歌をうたっているのだって、ただ調 子にのってうたっているのではなくて、やは そ 何かを伝えたいからうたってるん だ。

そうなんだ。みんなも何かが伝わってくる からこそ、ミッチや神谷さんのファンになる んだ。そして、これからもたくさんのメッセ ージをもらえることを願っているんだ。そし て2人は、きっとそれに応えてくれるだろう。

喜こんでくれる人が いることを信じて―

Kamiya. でも驚いたね。1等賞だよ(笑)。

Horie. よかったねエ。ミッチさんも一緒だ よ(笑)。

Kamiya. 同じ仕事やってるってだけでも、う れしいよ。たとえば「日曜拳銃」なんかで、 ドラマ・コーナーやってると「ミッチは声優 もやったらいいのに」って思ってたわけ。そ れが実現するってことは、「やっぱりまちがい じゃなかった」って、すっごくうれしくなる ね。

Horie. ミッチだ って、うれしいよ (笑)。でも、最初 の「ダイケンゴー」 の時なんか、ぜん ぜん注意されない の。ベテランの方 たちは、色々注意 うけてるのにね。 もう、これは見放 されたかなって思 つちゃった。それ でもう終わりの方 で、「今日はよかつ たよ」って言われ た時は、すごくう れしかったなァ。あれでまた、やりたくなっ ちゃった(笑)。「ダイケンゴー」のクレオの 時は、がんばらなくっちゃつて思って、すご 力が入っちゃったのね。本当に、よくおろ されなかったなあ(笑)。

Kamiya. ぼくだって「バビル2世」の時は、 よくまあ、やらせてもらえるなと思っていた もの(笑)。

Horie. 「大恐竜時代」に出た時なんか、1時 間半のスペシャルアニメだったから、もう ドキドキよ。 こまったもんだ、ミッチさんも (笑)。

Kamiya. しかし、100年なんてアッという間だ つたね。まだぼくなんか、新人のつもりだよ。 もっとも先輩からは「そんな新人のつもりで 「どうする」って言われるけど(笑)。

Horie. でも新人の気持ちも大切よ。 10年た つた人の気持ちと一緒になって、はばができ るんだもの。

Kamiya. ぼくはずっと、何かを信じてやって きた それはやっぱり、喜こんでくれる人 のことを信じてきたと思うのね。つまりこの 1位をくれた人たち のことを、信じてた わけ。それがこうい う形になって現われ た もう、最高ね。 こんな嬉しいことは ないよ。

Horie. うん。本当 そうね。

Kamiya. だって今ま で「喜こんでくれて るかな?」って、考 えながらやってきた でしょう。それが形 になったんだもの。 ミッチ 今は2人で 「よかったね」なん てやってるけど、本当はミッチのためにはが きを1枚書いて投票してくれた人と「もう、

Horie. は最高、うれしいよー」って言って喜 こびあいたい。

Kamiya. ぼくがやってた「オールナイトニ 「ツポン」の最終回に、たくさんのはがきをボ ツにしてごめんねって言ったのね。番組が続 けられたのは、そのボツはがきの上に立って いるからだと思うんだ。それで、今までは言 葉だけだったけど、ぼくのサインでよかった ら全員にプレゼントするよって放送したの。 そうしたら、全国から1万5000通も往復 はがきが来た。今、シコシコやってるんだけ ど ぼくは、それと同じ気持ちを、ぼくに 投票してくれた人たちに送りたいね。それで、 つねにその気持ちで仕事していきたいな。今 はまだ形で返せるけど、いつか返せなくなる 時が来ると思うんだ。でも、その時でも、ぼ くは変わらない、同じ気持ちなんだと思って ほしいな。

Horie. それは むずかしいなあ、でもね、 今、ミッチや神谷さんを応援してくれている 人も、時間がたてば離れることだってあると 思うの。ミッチが色あせて、他の人が輝いて 見えることもね。でも、それでいいのね。ふ と振り返った時、「あの人を応援していて、楽 「しかったな」と思ってもらえればステキよ。

Kamiya. うん。たとえば10年、20年たってか ら、まだぼくがやっててさ。「あ、あいつ、 まだがんばってくれてるな」って思われたら これは最高ですよ。それと、1等賞なんかも らっちゃうと、そこで花が咲いたように考え がちだけど、ぼくはこれは一時期のことだと 思いたい。

Horie. そうなのね。これは過去の10年、そ してこれから先の10年、20年の流れの中の断 片なのよね。そこのところを切ったら、1位 になったミッチがいるの。

Kamiya. こう言うと絞切型なんだけど、この 1等賞を次のステップにして、できることな らまた1等賞になりたいね。

Horie. だからミッチは、生意気なようだけ 「ジ・アニメ」で1位になった瞬間には、 もうずっと上の方を見ていたいそう思っ ているの。うれしいというのは、もう本当に うれしいんだけど、ここだけでうれしがるだ けじゃだめだもの。 アキラ ぼくはさっきも言ったけど、万年2 位なのね(笑)。でもその時は、1位という目 標があった。今はもう目標にされるだけだよ ね。だから、つらいと思うのね。

Kamiya. でも、やっぱりパワーを持続させて、がんばっていくよ。

Horie. ミッチは、神谷さんよりちょっとだけ若いじゃない?(笑)

Kamiya. ちょっとな、ちょっと(笑)。こだわろうっと(笑)。

Horie. 神谷たんだと、目標にされるって考えられるでしょ。でも、 ミッチはまだ自分のことしか考えられないのね。 うことは、考えた方がいい······ネ?(笑)

Kamiya. ぼくの場合、過去の10年は、ただやみくもに突っ走った10 年。でも今後の10年は、そうはいかなくなると思うんだ。

Horie. 今までより、もっとつらいことの方が多くなると思うわ。

Kamiya. この1等賞っていうのは、もちろん演技力でもらったんじ ゃない。もっと原点 人間的な賞だと思うんだ。だって演技力だ つたら、ぼくなんかまだまだだし、毎日悩んで奈落の底におちこん でるんだから。そこからはい上る作業を、続けているんだもの。

Horie. じゃ、じゃあ?、ミツチなんか、どうなんの(笑)。でも、 最初に言ったけど、本当にそうなのよ。声優というので見たら、も ちろん1番なんかにならない。自分でよくわかってるもの。ひとり のパーソナリティとしていただいたんだ、と思っているの。

Kamiya. そう、やはりぽくとミッチのパーソナリティへの賞だね。

Horie. うん。もちろん声優の演技でいただいても、うれしいと思 うけど、今はそっちの方がとてもうれしいな。

Kamiya. よし。がんばろう。今の気持ちを大切に!

Horie. もつちろん。また2人で1等賞をもらっちゃおうね(笑)。

Yū Mizushima (September)

代しかしさは、今最高潮!? 全国なとびまわってます。


さ、おまたせしました! ジ・アニメ名 ・アニメスター訪問、今回のターゲットは 若手声優人気ナンバーワン、水島裕クンです。 ホント、裕クンの人気ってスゴいんですよ。 編集部にもゴッソリ手紙が届くもの 「ア ニメスター訪問で、水島裕さんをやって!」 とか、なかには「裕ワンをのせないと、ジ・ アニメを買わなくなっちゃうから!」なんて、 脅迫めいたものまであるんです。ところが、 裕クンったら、ムチャクチャ忙しいんですよ ね。アニメに、洋画に、ディスクジョッキー に、そして歌に大活躍でしょ。休むヒマなん かないのでは、と心配しちゃうくらい、大忙 がしのクンなんです。 さて、きょうの裕クン、スケジュールの変 更で、なんとオヤスミ。せっかくの休日をつ ぶしちゃうようで申しわけないんだけど・・・・・・・ じゃ、いっしょに遊びに行ってしまおう! てなわけで、やって来たのは豊島園。ここ 東京23区内にあるとは思えないほど、広く て、緑が多くて、とても感じのいい遊園地な んです。門の前で裕クンを待っていると、あ りや、雨が降ってきた。こりゃ困ったなァ。 「おはようございます。雨、降っちゃいまし たね。ぼく、シャトル・ループに乗れると 思ってたのしみにしてたのに、ついてないな アブツブツ・・・・・。 まァ、そう残念がらないでくださいヨ。雨 のプレイランドも、またいいもんです。でも、 憎らしい雨が本降りになってきたんで、先 にインタビューからいきますか。まず、近況 はどうですか? 「やっぱり、忙しいですね。アニメのレギュ ラーは"オタスケマン"のヒカル役だけです けど、海の救助隊レスキュー5"という洋 画(これは大阪・九州地区のみ放送。東京で も今後放送する予定です)を、曽我部和行さ んや、野島昭生さんたちとやってます。ラジ オは〝真子と裕のスマッシュ・ルンルン"と ロメロジュニア出発進行!"。あと、関 西テレビの〝宝塚テレビロマン"に出演して ます。レギュラーはそのくらいですが、ゲス 出演やイベントが多くなったんですよ。遠 いところにある放送局に行ったり、歌の発表 会なんかで飛びまわってます。」 うわ、それでは休みがないのもアタリマエ みたい。ところで、この世界に入ったきっかけは? 「じつは、ぼくの妹が、NHKの放送児童劇 団に入ってたんです。で、遠足とか課外授業 とかあって、たのしそうなんですね。だから 自分でもやりたくなっちゃつて、中学一年の とき、劇団若草に入ったんです。けっこうい ろんなことをやりまして、テレビ、ラジオ、 舞台、映画、はては、"笑点"のちびっこ大喜 利なんてのにも出ましたヨ。ザブトンはあま りもらえなかったけど(笑)。」 中学1年からこの世界にいるとなると、も う12年もたっているわけ。ということは、裕 クンの人生の半分は、演劇とかかわっている んですね。 「そうでもないですヨ。ブランクもありまし たから。高校2年のときにも、大学受験のた 休んでましたしね。 裕クンの入った大学は、日本大学芸術学部 写真学科。なぜ、写真などに進んだんだろう。 「ホントは、写真は大学に入るまでやったこ となかったんです。ぼくは高校も日大の付属 ですけど、先輩がみんな演劇科に行っちゃう んですね。でも、ぼくはどうも〝パターン" がすきじゃないし、それに、大学は学業の場 であって、プロの養成所ではないでしょう。 ま、ヘソ曲がりなんですよ(笑)。で、そんと き、特殊写真の展示会を見て、これは性に、 合ってるんじゃないかと、カメラも持たずに 受験したら 受かっちゃったんですね、こ れが(笑)。」 もちろん、裕クンは演劇から離れたわけで はない。 大学2年から、青二プロダクション に所属し、いよいよ本格的に取り組むことに なる。 「それ以前も、一休さん"のゲストなんかや りましたが、アニメとの本格的なつきあいは 超人戦隊バラタック"のマック役からです。 プロダクションに入ったので、まわりの方は ぜんぶ大人。それにぼくの力不足もはっきり してたから、少しでもみなさんに迷惑かけな いようにがんばりました。 それからの裕クンの活躍は、みんなも知っ ているでしょう。"一球さん""バンダーブッ 花の子ルンルン""タンサー5"といずれ も主役クラスを演じています。そして、現在 バカウケの"オタスケマン"で大活躍! しょ?」 「アニメっていいですね。ぼくも"アトム世 代"なんで、小さいころからすきでしたし、 今後も続けていきたいですね。 と、聞いているうちに、どうやら雨も小 降りになったようです。さア、豊島園に入っ てみましょう。 霧雨を抜けると、大きなメリーゴーラウン ドがあります。これは外国から取り寄せた特 別製。さっそく裕クンと乗ってみました。 「これ、とてもキレイだなァ。ライトも夢が あるし……ねェ、あの光、流し撮りしたら絵 になるでしょうね。 さすが、写真学科出身ですね。目のつけど ころが違います。さて、次はおとなりの〝ミ ステリーゾーン" 「え、ミステリーつて、やっぱりコワイんで こわいけど、おもしろいんですヨ。 「だめッ! こういうの弱いんです。やめま しょ、やめましょ。心臓に悪い!」 ヘ工、そういう面もあるんですね。じゃ、 あっちの"オート・スクーター"はどうです か? 「わ、あれだいすき! 車をぶつけ合うヤツ でしょ。乗ろう乗ろう!」 と、記者とカメラマンも別の車に乗せられ ちゃいました。カメラマン氏はシメタとばか カメラを構えるけれど、記者は運転で必死。 や、裕クンの車が向かってきた… ガシャー ン!!う、やられた えい、裕クンのオ オート・スクーターにこりたので、今度は カメラマンが外から撮影できるものを と いうわけで〝フライング ボップ”に乗って もらいました。裕クン、なんとなく不安気な 顔つきです。 ボブスレーみたいなカーゴが、ゆっ くり回転を始めました。 「え、え、こういうの苦手だよッ!」 なんていってももう遅い。マシンは 無情にも回転速度をアップ! 「ヒエー! ウワー!アヘー!」 マシンが停止したとき、裕クンは ぐったりとシートにもたれかかってい ました。裕クンファンの人、ゴメンナ サイ。でも、乗らないでヨカッタ・・・・・・ あんまりイジめちゃ悪いので、これ くらいでやめましょう。近くのパーラ ーでインタビュー再開です。今度は歌 のことを聞いてみました。 「はじめてのレコードは"レインボー マン"の主題歌なんです。あのときは まだ高校生。今、聞き直すと寒気がし ます(笑)。」 え、"レインボーマン"を歌ったな んて知らなかった。そういわれてみれ ば、裕クンの声ですね。なかなか迫力 ある歌い方ですよ、あれは。 「オリジナルは星空の抱擁"がデビ ユー曲です。なんか、ひょっこり出ち やったって感じですね。 というと? 「ぼくの前に、富山敬さんがレコード を出しましたよね。そのディレクター だった、キングレコードの小川卓さん のところに遊びに行ったら、とつぜん 歌ってみないか?"と譜面を渡さ れたんです。びっくりしたけれど、そ れがとてもいい曲で、ぜひ歌わせてく ださい、ということになったんです。 すごく、ラッキーでした。 歌を始めたことで、何か変わったこ とは? 「とにかく、ぼくのいろいろなものが 広がったんです。たとえば、ファンの みなさんと交流できるようになったし いっしょにたのしめるようになりまし たからね。ラジオもそうです。 ラジオ っていうのは、芝居抜きで自分自身を 出さなきゃならないでしょ。そして、 その反響がありがたいほど伝わって来 るんです。とにかく、今年ほどラッキ ーな年はなかったですね。歌とラジオ というすばらしい世界に入れたのです から。」 裕クン、今、24歳。なにをやっても 光ってます。そんな裕クンだから、フ アンの人たちも熱心に応援するのでし ょう。 "ひょうきんポンポン"なんて アダ名があるけれど、素顔の彼はいつ も真剣です。星空の抱擁の歌詩ではな いけれど熱くなれ!" を地で行って いるようなホットな男です。 「いろんなことをやるからには、自分 自身に何かないとだめなんだ、と思い ます。いまは、悩む前にとにかくやつ つてみようと思っています。そして、 すべてのものが、ぼくのなかで関わっ ているんです。 けっきょく、常にひと つの仕事を、一生懸命にやることがた いせつなんですね。演技者としての実 力、魅力を深めることをいまは、 前進あるのみです。 この本が発売される当日 8月10 日、裕クンはミュージカルの舞台に立 ちます。きっと、新しい魅力を見せて くれるでしょう。翔け! 水島裕! (文・加山俊男)

Yūji Mitsuya (December)

とにかく、三ツ矢雄二という人はファンをびっくりさせるこ とが多い。春の新番組ラッシュのとき、レギュラー番組をひと つも取らず、アメリカへポーンと4日間のひとり旅をしてきた のは、ファンなら記憶に新しいこと。で、去る9月1日で、そ れまで所属していた〝ぷろだくしょんバオバブ"を離れ、フリ ーになってしまった。レギュラー番組がなければそのぶん収入 が減っちゃうし、ましてフリーならなおさらである。なんとま あ、工工根性しとるというか、スゴイ!というか......。 そんな 三ツ矢クンとじっくり話してみたいのだ。 まず、三ツ矢クンの経歴から-。 「小学生のころから、合唱やクラッシックを習っていたんです。 クラシックをやるなら、芝居をやったほうがいいと先生にいわ れたので〝国際児童劇団”に入りました。そうしたら、すぐN HKの少年ドラマの主演になれましてね。 〝海から来た兵太 という番組です。 歌のほうもずっと続けていて、高校ではやは 先生についてポピュラー・ボーカルをやり、大学ではクラブ でジャズを歌っていました。ドラマではNHKの“中学生群像" のレギュラーに続けて出ました。そのときは竹下恵子さんなん かといっしょであ、戸田恵子もいっしょだ。あのひとがセ ーラー服着て、髪がズーツと長いころから知ってるんだ。なん か、今いっしょに仕事してるのが不思議みたいね(笑)。」 書き忘れたけど、三ツ矢クンは名古屋の出身。高校を卒業し てから上京している。そのころは〝マイプロモーション"に所 「バオバブに入って、しばらくイロイロやらせてもらうと、今 度は逆に、自分が声優というワクにとらわれていたような気に なったんです。冷静に考えてみたら、声優だと意識しないのに いつのまにかそうなっちゃったという状況で... じゃあ、自分 が本当にやりたかったことは何なのサって、さぐってみたくな ったんです。 その第一歩が、先にも書いたアメリカへの旅だそうだ。 「ニューヨークでいろんな芝居やミュージカルを見て、そして 多くの人と接したときに気がついたんです。まだ自分というも のが何も確立されていないのに、いろんなことをやりすぎちゃ つたことを…」 アメリカから帰って約2か月、三ツ矢クンはフリー"にな る決心をした。 「たまたまぼくが〝コンバトラーV" をはじめたころから〝ア ニメブーム"がおこって、どんどん上昇してますよね。そのブ ームに意識しないうちに流されちゃったような気がするんです。 逆にいうと、ブームがあったからレコードやステージなどの場 を与えてもらったのだから、ありがたいと思います。そのチャ ンスを生かしたいとは思うけれど、場を与えられて感じること は、本当の自分の力がどれだけなのか把握できないんですよ。 声の仕事がイヤだというのではなく、自分自身を追いつめなけ ればいけないんじゃないか。そう考えて、フリーになりま した。

さかだちすると何が見えるか-!?

属していた。 「東京に出て来てすぐに、NHKの"フルルくん"という人形 劇に出ました。 2年くらいたったころ、永井一郎さんのすすめ で〝コンバトラーV"のオーディションを受けたんです。そう したら、ナゼか主役に選ばれまして(笑)。」 それからは〝声優”として活躍している。〝バラタック"の ユージ、キャンディ・キャンディ"のアーチー、〝ルーベン カイザー"の俊介、 "宇宙戦艦ヤマト2"の新米 "タンサー 5" の夢人、〝ゼンダマン"のテッちゃんなどだ。洋画のほう は "SOAP" のオカマのジョディが有名! 「知らないうちに声の仕事が多くなってきたので、中途半端に やるよりは、自分に向いているかもしれないので」青二プロへ 移った。そしてバオバブの独立に参加している。近ごろでは、 歌手"として大活躍だ。 フリーというと、とてもカッコ良さそうに聞こえるが、じつ はプロダクションに所属しているよりも、何倍もたいへんなの だ。いったい、そこまで自分を追い込む必要があるのだろうか。 「たとえば、ぼくはモダンバレエをやっていたので、みんなか ら踊れるものと思われてるんです。 先日、踊りをはじめたばか りの人と踊る機会があったんですけど、あきらかにぼくは体が 動かせないんですよね。もう2~3年レッスンから遠ざかって いるし、体を動かすことを要求されたわけじゃないので慢心し てると大マチガイなんです。歌にしてもそうです。多少クラッ シックなどをやっていたのに、いざ歌ってみると思った音が出 てこない。音域だって挟まっている。 低下しているんです よ。このままほっといたら、もっともっとダメになっちゃう。 向上どころか、現状をキープすることもできなくなっちゃう。 今のうちに、もう一度勉強し直さないとヤバイんじゃないかつ て思うんです。 勉強するには時間がいる。だが、その時間を作るためにはフ リーになるしかない 「ぼくは完全主義者ではないけれど、ある程度の水準を自分で 作っているような気がします。声優さんがレコード出すからこ んなもんだろう、とか、ステージでもこれくらいっていうのは すごくイヤなんです。10月16日でまたひとつトシをとっちゃつ たけど、30歳まではまだまだ間があります。その間に自分がい 思っているレベルまで達せればいいと思うんです。どうして も声優というワクじゃないところに要求があるので、フンギッ ちゃったんですよね。 しかしまあ、なんとも思い切りのいい人だ。三ツ矢クンとい う人は、ウジウジと思い悩むことなんかないみたい。 「天秤座だからかもしれないけど、二者択一にせまられると困 つちゃうんですよ。でも、まとまっちゃうと思い切りよくなる ようですねえ。それに いろんな人に出会わなかったら、今 のようなことはしていなかったと思います。じゃあ、何をした かつて考えると、何もなかったかもしれない。生活すべても変 わるだろうけど、元がそうならフンギッちゃってもいいんじゃ ないかと思いましてね。声優というのがイヤだというんじゃな くて、生き方”としての問題なんです。わがままだと自分で も思いますけど・ ・ね。ぼくは一度思いたつちゃうと、もうダ メなほうで、かまうこたあない、やっちゃえということが多い ですねえ。人は思慮がないといいます(笑)。こういうことが、 いいことなのか悪いことなのかは ぼくにはよくわかりませ ん。 見たところは、小柄でメロウつぽいシティ・ボーイ風なんだ けど、どっこい内面はまったく違うのよね、これが! 三ツ矢 クンのような生き方は、やっぱりいろいろメンドくさい部分が 出てくると思う。だけど、チンタラチンタラただ何となく日々 を過ごすよりは、よっぽど歯ごたえのある たのしい生きか ただと思う。それに、三ツ矢クンなら、これからもうまくいく はずだ。ところで、フリーになった実感はどうなんだろう。 「正直いって、不安はあります。ひとりきりになったのだから、 その中で方向性を決めるのはぼく自身でしかないでしょう。ま あ、こういった世界の人は、つきるところは個人個人でしかな いんですけどね。ひとりになったいま、自分に何があるのかと いうのを確認したいです。ひょっとすると、今後どこかのプロ ダクションに入るかもしれないけれど、現在ひとりでいる自分 自身の感覚は忘れないと思うんです。いまつていうのは、ぼく にとってすごく自由な部分があり、半面不安もあるという両極 端の状態ですよね。そのときの感情の大きな〝振幅"は、とて たいせつです。この気持ちは、いつも持っていなければいけ ないなって思います。感情の振幅が狭いという生活に慣れちゃ うと、どうしても危機感がなくなっちゃう。そうすると、自分 自身がどんどんマンネリ化しちゃう。そうなったら、イヤです ものね。 三ツ矢クンってものすごくシビアなんだろう 自分という ものに対して。そして、いつでも“上”を見ているって感じだ。 そのせいかな、三ツ矢クンってきれいでしょ? 男がこういう こと書くと誤解されるかもしれないけど、ヘンな意味ではなく きれいなのだよ。(DO YOU UNDERSTAND?) 11月23日、新宿のミュージックスポット〝ルイード"で、小 さなコンサートを開くという。三ツ矢クンにとっては、とても たいせつなステージなのだろう。 「アニメとか、声優というワクを超えたところで、ぼくという 人間を見せたいって思います。 三ツ矢クンの歌を間近で聴きたい人は、ぜて行ってほしい。 夢中になれることうけあい! そして、あなたはきっと、三ツ 矢雄二という人間の、新しい魅力を発見するに違いない。そん な、たのしみなステージなのだ。 ここまで書くと、三ツ矢ワンは完全に歌のほうにかかつちゃ つて、アニメをやめちゃうんじゃないかというファンもいるん じゃないかな。だけどご安心。 「アニメはとてもすきだし、ま ぼくに合っていると思います。これからも、どんどん演りた いですね」といっている。アニメがすきといっても、三ツ矢ク ンはちょっと変わっていて、「いなかっぺ大将がだ〜いすき」 なんだそうだ。あの番組だけは、必死になって見ていたそうな。 これからは、三枚目の悪役というのを演りたいとのこと。 ちょっと話を変えて、いままでに演じてきたキャラクターの ことを聞いてみた。まず、三ツ矢クンといえば"コンバトラー V"の葵豹馬が頭に浮かぶ。 「アニメーションははじめてだったので、右も左もわからない 状態でスタジオに行ったんですよ。そうしたら、画面の前にマ イクが4本並んでいて、ヘエ、こういうところでやるのかと感 心したりして(笑)。ディレクターがヒジョーにきびしいので有 名な長浜忠夫)さんでしたから、シゴかれましたよ。同じセ リフを2回も撮り直したこともあって、次の日に筋肉痛で悩ん だりして(笑)。 けっきょく、ナニガナンだかわからないうちに 一年くらい演ったけど、その無我夢中さが豹馬というキャラク ターに合っていたのかもしれません。それに、共演した富田耕 生さんや野沢雅子さんたちにいろんなことを教わって、とても プラスになりました。」 「バラタックはたのしく演れた作品です。水島裕ちゃんとか、 潘恵子ちゃん、石丸博也さんと若い人が多かったですからね。 みんなでワイワイガヤガヤとさわいでました。ぼくのやったユ ジという役は、いちおう主役らしかったけれど、なんか毎回 "おかあさーん"つて叫んでばかりみたいだった(笑)。 キャン ディ・キャンディのアーチーは、ふつうにしゃべつて芝居がで きたから、演りやすかった役です。 ルーベンカイザーの俊介は、 もう二度とできないであろう超二枚目男性的な役です(笑)。事 実、あれからドンドン二枚目が少なくなって(笑)。現在は、ス ーパーアニメラマ"Xボンバー"に出てるんですけれど、PP アダムスキーというロボット役なんですよ。三枚目はだいすき なんだけど、二枚目にも未練があったりして(笑)。わりとレギ ユラーが続いてましたし、役もかなりバラエティーがあったの で、とても勉強になりました。ラッキーなんですよね。ぼくが 今まで歩いてきた道 といっても、そんなに長くないんだけ れど――を見ると、すごくラッキーなことが多いんです。アニ メにしてもそうで、他動的な部分でサジェストしてくれる人や チャンスを与える人がいてくれたんですね。いまでもすごく感 謝してますし、また、それに甘えずに与えてくれたことに答え たいって思います。 洋画吹き替えでは、ナンといっても "SOAP" のオカマの ジョディー! そのことを聞いたら、「あれは一生忘れられな い役です」と意味ありげに笑ってた。どういうことなのかなー。 そういえば、去年の"がらくた工房"の公演でも、オカマの蘭 丸という役だったなー。こりゃーやつぱし: ・あんまり書くと ファンに石を投げられるのでヤメとく。 さて、三ツ矢クンは今後どういう道を歩むのだろうか? 「いま思っているのは、ジャズ音楽の学校に行って本格的に勉 強することです。レコード出したでしょう。やはりもうひとつ 先のレベルに行きたいですよ。根本的には、板の上でなにかや りたい。歌にせよ芝居にせよ、そして声の仕事でもレベルアッ プしたいと思います。そのためのステップを自分の中でプログ ラミングしなきゃいけませんよね・・・・・・ できるなら、来年あたりには製作のオフィスを持ちたいです ね。製作といっても、先立つものがないので(笑)ステージの企 画をやろうと思っています。自分というものをたいせつにしな がら、クリエイティブなこともやりたいんです。そのための下 準備をそろそろはじめなければ。幸い、ブレーンになってくれ る人たちがいるので、ヘンに組織だった感じではなく、同人団 体のような形でいきたいな。現にいま、ひとつ企画を立ててる んです。来年はムリかもしれないけれど、さ来年には舞台でや りたいですね。」 取材を終えて感じたのは、三ツ矢クンはたぶんまたファンを びっくりさせるようなことをするだろう、ということ。考えて いるという舞台の企画も、きっと実現させるだろう。そんな三 ツ矢クンには、ファンの応援がなによりのやすらぎだと思う。 これからも見守っていこうよ! そこには、ぜったいいいこと があるはずなのだから。 (文・加山俊男)

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