January
My Anime Life: Osamu Dezaki
「最初はプロ漫画家
志望で、在学中に
貸本漫画作家に・・・」■道路が画板 「小学校 三年ぐらいの時だったか な、白墨とか蠟石で道路 にいたずら描きをよくや りました。 兄貴 (出崎哲) もうまかったが、近所にも 上手な子がいて、それがくやし くて・・・。弟の私は兄貴よりも負けず ぎらいだったものですから、なんと かうまく描けるようになりたいと思 っているうちに、絵を描くのが好き になっちゃったんです」
■漫画家への決意 「その頃は手塚 漫画のブームで、それを見たりしな がら、子ども心にみんなからうま いな”と言われてみたいと。 それで 描いているうちに、兄貴のほうとは まったく関係なく、自然にのめりこ んじゃったんですよ。小学校の三年 だったと思いますが、学校で先生に 将来は何になりたいと聞かれた時、 "漫画家になりたい”と答えたことを 今でもおぼえています。自分で墨汁 なんか買ってきて、押入れで漫画描 いたりしていました。ストーリーが あって、ちゃんとコマ割りもして、ふし ぎに現在も、それが残っているんで すよ。 "タイトルですか? ま つ、それはいいじゃないですか"」
■投稿少年から貸本屋作家に 「あ の当時は、テレビもなかったし、漫 画、漫画で育ちました。そういう意 味で、漫画についてはかなり早熟だ った。『イガグリくん』なんかがお もしろくて…。 それで「漫画少年」 (学童社)が廃刊になる頃、たぶ ん僕が小学校五、六年だったと思 うんですが、 応募したり していました。 そして高校一、二年 の頃は貸本漫画 に描かせてもら ったりしていた んです。(稿料 は)かなり安かっ たんですけど、ずい ぶん描かせてもらって いました。秋田書店にも持ち込みを やったりして、いまだにおぼえてい るんですけど、織田さん(現在、本 誌編集長)から漫画のカットなんか を二ページ見開きで描かせてもらっ たりしました」
■就職 「この調子でうまくいけば、 なんて思っていたんですけど、高校 二、三年の頃になるとつきあう友だ ちも悪くなるし、貸本なんかも下火 になって、もう漫画もだめだなと思 って描かなくなり就職しちゃったん です。それも単位が危なくて先に就 職が決まってしまえば大丈夫だろう、 先のことはそれから考えようと、そ のまま東芝に入社したんです。 ところが、仕事をやっていてもま ったくおもしろくないんですよ。普 通科を出たもんですから、わからな いですしね。一応、研修やったり現 場に連れていってくれたりしたんで すが。まっ、しょうがないから図面 の整理でもやっ おれということで、 図面の整理みたいなことをやりなが ら、いたずら書きばかりして…」
■虫プロに入社 「それで一年ぐら い勤めて、その間、家にもあまり帰 らなかったんですが、たまたま実家 に帰った時、新聞広告で虫プロが募 集していることを知ったんです。そ の時は、まさか将来アニメの仕事を やるだろうとは思ってもいませんで した。しかし、すこしでも漫画に近 いところにいたい、虫プロならば手 塚先生もいることだし、絵の仕事も できるんじゃないか、と応募したら 受かったんです。それで、たしか九 月一日に入社したんじゃないのかな。 まっ、アニメについては、その年 の正月だったと思うんですが、ちょ うど 『鉄腕アトム』の第一話をちら っと見て、虫プロがアニメ製作の会 社だということは知っていました。 ディズニーの作品なども知ってはい ましたが、当時はそれほどおもしろ いとは思っていませんでした」
アニメでは兄貴の先輩。作画兼任のフリー演出家に・・・
■アニメよりも実写映画 「話は前後しますけど、 高校の頃は映画がものす ごく好きでした。当時は 板橋にいたんですが、 近 くに三本立ての洋画館があ り、映画がかわるたびに見てい たくらいです。だから、当時は漫画 を描いている時も、ほとんど映画を 創るつもりでやっていたという感じ でした。かといって、漫画に魅力を 感じなくなっていたというのではな く、フィルムに対して、ものすごく おもしろいものだなと思っていたん でしょうね。 想いでに残って いるのは『誇り高 き男』とか『OK 牧場の決闘』とい ったダイナミック なウェスタンもの です。黒沢明とい うのは、一体、い つ見始めたのか、 まったくおぼえて いないんです。と いうのは、あまり 何回も見ているから...」
■最初のアニメ作品 「虫プロに入って最初に やらされたのは『鉄腕ア トム』の動画です。 歩き とか中割りをやらされて ・・・。ところで、こんなこ というと叱られるかも しれませんが、最初に動画をやら された時、”なんて簡単なものだ ろう”って思ったんです。いわ ゆる結びがあって、そ れの間を埋めていく わけでしょ、"そ んなの新しくな いや”と。しか し、簡単にどん どん描けるわけで、 それでおもしろくな ってきました。 一年ほ ど経った頃、第二原画というシステ ムができました。つまり、原画家が いて、第二原画家がいて、動画があ ったわけです。第二原画というのは、 動画の部門に入り、ラフを入れたり する…そういう意味で簡単だったと いうことなのです」
■アニメでは兄貴よりも先輩「ぼ くが虫プロに入って一年ぐらい経っ た頃、杉井(儀三郎)さんという方が アートフレッシュという独立プロダ クションを創ったんです。といって も、虫プロの傍系会社として現場制 作をやるというかたちでスタートし たんですが、そこへぼくも参加した わけなんです。 兄貴のほうは、その頃、まだ東芝 に勤めながら法政大学に通ってまし て、なにか世の中おもしろくないみ たいな感じで・・・。 "それじゃあ、こ っちに来いよ"と呼んだんです。だ から、アニメについてはぼくのほ が先輩なんですよ」
初演出作品 「最初のものは『鉄 腕アトム』ということになっていま すが、正確に言うと『ビッグX』で す。東京ムービー作品なんですが、 それはアルバイトでやったものです から。 ギャグ・アニメの『悟空の大冒険』、 これはアートフレッシュと虫プロの 提携作品で、杉井さんが総監督でぼ くが演出をやりましたが、第一話な どは作画監督も兼任でやったんです よ。その頃になって作画監督という システムも生まれてきたわけですが、 まだ、その役割が定着していなかっ たし、演出といっても『悟空の大冒 険』の途中では、絵コンテなんかも描 くということをやっていました」
フリー 「この後でフリーになっ て、「わんぱく探偵団』や「どろろ (と百鬼丸)』なんかの演出を担当さ せてもらいました。演出家とはいっ ても、自分で絵コンテを描き、原画 を描くんですから、なかなかスケジュ ール通りにはいかず、大変でした。 たとえば、自分で描いた絵コンテ をもとに、一カ月で作画にあたり、 また、つぎの一ヵ月をかけて絵コン テという具合だったんです。そうい うのが自分のためにもいいんじゃな いかと思っていたんですよ」
「分が一時間にも感ずる状態にしてアイデアを練る・・・ 『あしたのジョー』 「これはぼくにとって最 初の総監督の作品なんで す。当時、『巨人の星』 がテレビで大当たりして いましたが、あれを見て、 なにが劇画だ"と思ったんで 劇画というのはこういうもんじ やない、もっと映画としてのおもし ろさとか筋立てとかを工夫しなけれ ば・・・と思いました。 『あしたのジョー』をやるときに、 "これが劇画なんだ〟といえるには、 アニメにするからといって、子供も 観るが、もっとそういうところから 離れなくてはいけないと考えました。 テレビのブラウン管にのった時は、 実写のものものるわけですから、そ れと見比べてみても遜色のないもの を創ろうと思いましたね。 たとえアニメだといっても、生の 人間みたいなものは出てくるわけだ から、そのへんを強く打ちだしてや ろうと...。それだけに、これまでは 歩きは三枚、腕は五枚で動くパター ンになるけれども、そういうパター ンはいっさい忘れ、新しいパターン を創ろう、色を塗る人が塗りやすい ような色分けをするようなことは無 視しよう、つまり、フィルムとして の迫力を出そうということでやった んです。人間ジョーの内面なりを描 こうとするには、やっぱりフィルム としての語り口を持っていないと、 出るわけがありません」
■名作ものに対する心構え「ぼ くは技術的な問題は、結局は後か らついてくるものだと思うん です。つまり、最初は何 を描こうかというこ が的確でないと、 技術も生まれな いし、駆使でき るわけがない。 たとえば、「家なき 子』。あれは世界で初 の立体テレビアニメと いうことで話題になりました。 しかし、この作品は、そ れ以前に、旅をしていく リアリティみたいなもの がありまして、それをい かに出すかということが 先決の問題でした。 なに も、それは草木を一本ず つリアルに描くことでは ないんです。主人公が旅 をする中で、美しいと思 う風景や厳しいと感ずる 景色を目にした時の心の 動き、寒い、暑いと感ず る気持ち、そういった内 面を描くことが重要なテ ーマでした。だから、主 人公の目から見た、そう いう主観みたいなもので、全ての情 景を追っていくかたちで創ったんで すよ。これから大人になろうとする 少年の心の中から見た世界を描く ・・・それが創れたということで、僕が いちばん好きなのは、この『家なき 子』なんです」
■演出作法① 「たとえば絵コ ンテを描くという作業の中で、 どうしようもならない局面に 無理に追いこんでしまいます。 そうすると、その時にこんな ことは本当にできるかなと思 えるようなことが、意外とい ろいろなアイデアになってゆ きます。そういう緊張感がな いと、だれでも考えるような ことしか生まれないんですよ。 リラックスしていても、一分 が一時間にも感じる世界に入 り込めば、いろんなものが生まれて くる。もちろん、後で冷めてみれば、 たいしたこともないアイデアであっ たということもあるでしょうが、そ のつながりが楽しかったということ は多いものです」
■苦痛 「そういう状態になれない 時は、とにかく苦しいです。 そんな 時ほど仕事から離れられないもので すけど、無理に寝てしまったりして しまいます。かえって寝つけません けど・・・。あとは、気分転換のつもり でゴルフに行っちゃったりします」
「なんとかアニメ化したいルナールの名作『にんじん』・・・」
■演出作法② 「ぼくの 創りかたというのは、ス トーリーに矛盾が出てく るとするでしょ、その矛 盾を出すようなかたちで、 どんどん追っていくんです。 そうすると、最後にとんでもな いものが出てくるはずなんです。 そ の後、どう演出するかというところ ではじめて、いろんなパターンを乗 り越える手だてがあるものなんです。 ふしぎなことに、それを乗り越えさ せてくれるのは、創ろうとしている 世界の中のキャラクターなんですよ。 それはシナリオの段階で考えてい ても絶対に出てこない。画面を追っ て、音を想定して、またフィルムを 追いながら考えて、そこのところが おもしろくて、それで創っていっち ゃうんです。おそらく実写ものの監 督さんでも、そうなんじゃないで しょうか。現場に入って、作品の 意味などを察していくうちに、ど うしようもなく”違うな"とい うことがあると思うん です。そして、それ を乗り切ったとき に、はじめて作 品ができてくる...」
『あしたのジョ−2」 「ぼく自身 がファンであるという 部分が、どうしても乗り越えられな かった。やはり原作のすばらしさと いうか、完璧さというか、本当はフ アンである立場を壊さなければいけ ないんですが、それができなかった。 もうひとつは、作品が山を越えた 後の部分、そういう面でのむずかし さもありました。たしかに世界戦 たいな大きなヤマ場はあるんですけ ど、それはジョーの落ちていく姿で、 そこら辺でどうしようもない苛立た しさがありました。だから、出来あ がったときは、やたら疲れてしまい ましたよ」
■他人作で好きな作品 「現在のと ころでは、好きなものはあまりあり ません。 過去の作品としては『アル プスの少女ハイジ』とか『赤毛のア ン』などです」
手がけてみたい作品 「劇画をや ってきた反動があるの もしゃ けれど、すごく香りのある作品が好 きなんですよ。高校時代には文学関 係のものをずいぶん読んだのですが、 その中で、下村湖人さんの 「次郎物 語』とかルナールの『にんじん』 いずれやりたいと思っているんです。 特に、『にんじん』はぜひやりた いんですが、なぜか、あの作品は母 親との関係が暗いんです。本当はリ アリティがあっていいと思うんです が、そのへんでいまひとつ通らない んですね。また、メルヴィルの『モ つくりたい。あれは波が大変ですけ ど、海とか山とか出てくるのはいい ですよ。 宇宙の星々まで行っちゃう と、どうも淋しさしか感じなくて、 どうもいけない・・・」
「登場人物が勝手に動きだすと、僕はハッピーになる...
■実写ものへの興味 「許されるならばやりた いですね。ただ、ぼくは 実写でできることはすべ てアニメでもできると思 うし、逆もまた言えるわけ です。そういう意味で、実写と アニメという区別がぼくの中にはあ まりありません。ぼくはたまたまア ニメという職業しか知らないし、そ の技術しか持っていないので、それ でやるしかないのです。 たまには役者の肌ざわりで創るこ とも考えることもありますけれど、 それをなんとかアニメの中でやって みようと思います。そのうち、アニ メならではの表現方法も出てくるだ ろうと...」
■演出作法③ 「どんなすばらしい 原作があっても、その中に登場する キャラクターは、 "お話どおりに はいかないで"というスタイルで 出てくるのが当然だと思うんです。 流れに逆らうようなかたちで、 すべてが出てくる、そ れがお話をつくって いくものではない でしょうか。だか ら、原作に逆ら えば逆らうほど 原作に忠実になり、 生かしていくという 論理も残りたつ。それ だけに、演出の立場からみて、登場 人物が勝手に歩きだすと、すごくう れしいですね。"こっちの手にはの らないぞッ〟という雰囲気がわかっ てくる・・・」
好きな言葉「別にありません。 ただ、いつもぼく自身は一二〇%で 対する努力はもっています。 キャパ シティもないし、たいしたこともで きるわけではないのですが、ぼくに 一二〇%の能力を出しきれる仕事の 部分はあるはずなんです。だから、 八〇%で仕事をやっているつもりが あったら、それはぼくにとっては仕 事になっていないということですよ」
趣味 「そのつど変わりますけど、 熱中できればいい。たとえば、ゴ フなんかでもおもしろいなあなんて 思ったりすると、矢も盾もたまらな くなる。おもしろいと思わなければ しなくなる。現在は、ゴルフのスコア がよくないので、趣味にはなってい ません(笑い)。 漫画は何年か前に、絵本のさし絵 として描いたことがありましたけれ ど、それ以来あんまりやっていませ ん。たまにアニメ雑誌に頼まれて描 くことはありますが、それが趣味と 言えるかどうか...」
嗜好 「タバコは自分でもわから ないくらい吸う。一日五箱吸う時も あるし、仕事をやっている時は毎週 四〇箱ずつ買っているんですが、そ れで足りなくなることもあります。 酒はまったく飲まないと同じです ね。誘われたり、みんな で話す時に飲む程度で、 自分から飲みに行ったり ということはありません から。 食事というのは、結局 緊張感をゆるめてしまう ので、仕事に入って調子 がでてきたら、まったく 摂らない。摂るとどうし ても眠くなっちゃうし、 今、ぼくの血の中に流れ ているのは、タバコとコ ーヒーです(笑い)。コー ヒーは一〇杯以上。ただ し、喫茶店のは濃いので あまり飲みません。家で はお茶代わりに・・・」
睡眠 「外的条件で寝 られないこともあります が、戦闘的に寝るようにしています。 ふつうは眠れるだけ眠るようにして。 だから、十分に寝ているほうです。 明けがパッと起きて、仕事を始め て夜の一〇時くらいまでで半パート くらいをやってしまう。 昔は夜しかやらなかったけれど、 夜というのはどうしても疲れが出て くるんです。いいものがあまりでき ないんじゃないでしょうか。ポーッ とするくらいだったら、寝ちゃいま すよ」
「画面と対話できるような人が本当のアニメ・ファン..」
仲間たち 「やっぱり、 少なくとも今までやって きた仕事で付きあってき てくれたスタッフはすべ て。みんな本当に一所懸 命やる人たちなんです。そ ういう意味で、今、共同経営し ている杉野昭夫さんなんかも、長い 付きあいになります。彼がいるとこ あに集まってくるい人たちはどう いうわけか根がま じめな人たちが多 くて、ぼくもよか ったとつくづく思 います」
仕事の上での信条「みんな仕事 でつながっている わけですけれども、 仕事に対してスタ ッフがうしろ向き にならないように、 それをいちばん気 にしています。 なんとかみんな が新しい仕事がで きるような、おもしろい仕事ができ るような雰囲気づくりを考えていま す。ただ、ぼくの場合、おもしろい 仕事といえばスケジュール的にメチ ヤメチャになって、苦しいところへ 追いこんでしまうことになるわけで すが、それでも今おもしろいことを やっているんだという風に、自分に も言いきかせているんですよ。そ のためには、真剣にものを創って いくしかありませんけど」
量産体制 「いい作品がいっ ぱい創れるなら、それ にこしたことはない ですね。ただ、こ わいことは、仕 事に追われる かりで、それに 若いスタッフが流 され、こんな程度で いいだろうと拙速な仕 事に落ちこんでいくと困るんじゃな いでしょうか。忙しすぎると、いく らしつかりしているでもらやん とした姿勢を保っているのがむずか しくなるという危険性が、常にある と思います」
視聴率 「ぼくみたいに視聴率の 上がらない作品をつくっているもの もいますが、それでも一〇〇人のう ち一〇〇人がおもしろいというので はなく、五人でもいいから観てくれ て、画面と対話できるような、そう いう人が何か本当なのではないかと いう気がしますがね。 もちろん、わかる人だけわかって くれればいいということではないの ですが、それでもいいという気持ち はあります。本当はすべての人に観 てもらいたいと思いますが・・・。 創るほう、観るほうがある意味で 五分と五分で話しあえたら最高なん です」
金 「それはあまり苦労していま せん。ない時もありますけど、それ は別にしようがありませんから。そ の代わり作品創りでは、苦労の連続 で、素寒貧ですよ(笑い)。
Free Talk
Guest: Mitsuki Nakamura
「どんなにうまくても、最低一週間は
ポスターカラーの平塗りだけ!」 アニ
メ美術の雄、中村光毅さんのスタジオ
は、新人教育の厳しさでも有名だが、
そのアニメに賭ける情熱はいったいど
こから来ているのだろうか。以下は氏
が語る"アニメ美術と歩んだ我が足跡"。アニメを天職と定東映動画へ入社
Takachiho. この業界に入られて、も う何年ぐらいになりますか?
Nakamura. えーと、二十一年くらいで すね。
Takachiho. 最初はどちらで?
Nakamura. 東映動画です。もともと絵 を描くのが好きで、勉強が大嫌いだ ったものですから、中学を出て、す ぐ東映動画に入りました。十六歳ぐ らいのころですね。
Takachiho. それは募集で入ったので すか?
Nakamura. いえ、中学のときの恩師の 知り合いに東映の課長さんがいらっ しゃって、その縁で運よく入れたん です。ちょうど「白蛇伝」や「少年 猿飛佐助」が終わって、 「西遊記」の 製作に取りかかっていたころです。
Takachiho. その当時からアニメがお 好きだった…?
Nakamura. ええ、もう自分の仕事は動 画しかないと心に決めていましたか ら。しかも動画の中でも背景を、ぜ ひやりたいとー。 キャラクターを描く自信がなかっ たこともその理由の一つですけど。
Takachiho. すると、すぐに背景のほ うに回されたわけですか?
Nakamura. いえ、最初は見習いという か、小間使いのようなことをさせら れました。具体的にいうと、絵具の 管理部門というのがありまして、絵 具をいつもきらさないように管理す るといった仕事ですね。 それから仕上げの部門に回りまし た。
Takachiho. 仕上げというのはセル塗 りのことですね。
Nakamura. そうです。あのころは仕上 げとは言わず、トレースと彩色とい うふうに呼んでいたんです。今と違 ってトレースの線が細かく大変でし た。もともと僕はあまり器用なほう じゃなく、女性が十枚塗るところを、 やっと一枚といった具合で......。
Takachiho. それは美術とはまだ無縁 のものだったんですね?
Nakamura. ええ、無縁です。当時は、 まだ無我夢中だったので、とにかく 与えられた仕事をこなすだけで精一 杯。で、結局、三年ぐらい仕上げに いました。この間に、自分で仕上げ たものを背景を描いている方に見て もらって、アドバイスを受けたりし て勉強しました。 最初は相手にされ なかったんですが、とにかく一所懸 命持ち込んだので、相手のほうもひ とつ美術の部門に連れてこようかと いう話になったんです。
Takachiho. それで念願叶って美術の ほうへ移ることができた。
Nakamura. いや、移れなかった。かな そのきざしがあったんですけど・・・。 なぜかというと、仕上げというセク ションは、あまり人が入らないもの ですから、私が抜けちゃうと、次に 入ってくる人の補充がつかない。で、 なかなか放出してくれないわけです。 仕上げには女性は八十人ぐらいいま したが、男性はわずか五、六人。 それで、その当時、設立まもない 竜の子プロダクションがスタッフを 募集していることを知り、東映動画 を出たわけです。
「宇宙エース」で美術のナンバー2
Takachiho. 今度こそ、美術ですか?
Nakamura. はい、そうです。当時、竜 の子プロの背景をやっておられた方 の紹介で移ったんです。
Takachiho. そのころ竜の子プロの美 術は何人ぐらいだったのですか?
Nakamura. 入った当時は、年配の方が 一人だけおりまして、私とあわせて 二人だけでした。竜の子プロはもと もと漫画のプロダクションで、スタ ッフも漫画関係の人が多かったんで すけど、美術の年配の方も少年雑誌 の漫画を描いておられた方でした。
Takachiho. すると、中村さんは入社 早々、美術部門のナンバー2になっ たわけですね(笑い)。 それで、最初は何をされたんです か?
Nakamura. 竜の子プロのアニメ第一作、 「宇宙エース」です。 入ったころは、 まだオン・エアが決まってなくて、 準備段階だったんですが、背景の描 きだめをしておこうというので、私 たち二人で一カ月ぐらいかかって必 死で描きあげました。それまで本格 的に美術をやったことはなかったん ですが、東映時代に学んできたこと を見様見真似でなんとか·····。
Takachiho. 放映が決まってからも二 人でするとなると大変でしょうね。
Nakamura. ええ、始まってからは二人 じゃとても間にあわないというので、 バタバタとスタッフを集めましてね。 それで結局、終わったころには五、 六人になっていました。
Takachiho. やはり先に入ったほうが 偉いわけですか? すか?
Nakamura. ええ、まあ。あっという間 に部下ができちゃって(笑い)。 「宇宙戦艦ヤマト」のTV第一作 で美術をされた、あの槻間(八郎) さんもこの時の入社組です。
Takachiho. 中村さんは二十ぐらいで
Nakamura. そうなりますね。
Takachiho. 二十ぐらいでチームを背 負うなんて、今じゃ考えられません ね。
Nakamura. 背負うつもりは全然ないん ですけど(笑い)。いつの間にかそう なってしまったんです。
Takachiho. 当時は今ほど美術をやっ ている人が注目されなかったと思う んですが、どんなかたがほかに活躍 されておられましたか?
Nakamura. そうですね。椋尾(篁)さ んとか、半藤 (克美)さんなんかが おられました。特に手塚作品、虫プ ロの「鉄腕アトム」の美術をされて いた半藤さんにはお世話になりまし た。というのは、そのころの私のお 手本が「鉄腕アトム」などの虫プロ 作品だったんです。聞こえは悪いで すけど、かなり盗ませていただきま した。
Takachiho. 「宇宙エース」は、 か白黒だったと思いますが、あのモ ノクロトーンで美術をするというの はどうでしたか?
Nakamura. 難しかったですね、表現が ・・・。カラーの場合は色で情感が出せ ますけど、モノクロだとグレーの中 で描きわけることになりますから 今、モノクロでやれと言われたら、 ある意味では苦しいでしょうね。 それと、あのころはシーンの切り 替えなどに、全然、動画を入れず背 景だけ見せるという手法が盛んでし て、背景だけで持たせないといけな いわけです。絵にしてさまになるよ うな場面ならいいんですが、単なる 壁だけでこれをやると描くほうも非 常にしんどいんです。
Takachiho. セル画なしで背景を見せ るということですか?
Nakamura. そうです。それと”壁ボケ" だとか丸ボケ"というのも手を焼 きました。これは当時、どのアニメ でもそうだったんですが、セルの背 景を遠近感を出すためにボカして描 くことを言うんです。
Takachiho. それはスプレーか何かで 描くわけですか?
Nakamura. いえ、筆でやるんです。た っぷり水を含ませておいて、滲ませ るんです。スプレーだと、かえって 描きづらい。
Takachiho. マルチプレーンで二重撮 影すれば楽にできるんじゃないです か?
Nakamura. ええ。でも、あれをやると 撮影のほうが大変なんですね。 手 が相当、かかりますから....... で、最初からボカして描いちゃう んです。いちばん多いときには、一 本の作品で三分の二ぐらいがそうで した。
Takachiho. 動画の技術自体が、まだ 全然、進んでいませんでしたからね、 当時は。
Nakamura. そうです。だいたいあのこ ろは、〝ロパカ、目パカ”といって、 口や目だけ動かしていればなんとか なる、なんてやっていたわけですか ら、ひどいもんです(笑い)。 オーディオカタログで、メカデザイン
Takachiho. 二本目が「マッハGO、 GO、GO」になるわけですか?
Nakamura. そうです。「宇宙エース」 をやっていたころ、もう虫プロのほ うでは「ジャングル大帝」とか「リ ボンの騎士」をカラーでやっていた んで、それに追随して、うちでもカ ラーをやろうということで始まった んです。初めてのカラーですから、 何がなんだかわからないうちに始ま っちゃって……。
Takachiho. そのころはメカも舞台設 定もいっしょだったんですか?
Nakamura. ええ、最初のころはメカデ ザインも全部いっしょくたになって いたんです。今考えればちょっと信 じられません。
Takachiho. すると動画を描く人もデ ザインをしていたわけですか?
Nakamura. 機械物は全部、動画という 原作者が描いていました。舞台設 定はもちろん、こちらのほうですが、 それよりも絵コンテがわりとできあ がっていたので、それに沿ってすべ てのデザインを決めていくという感 じですね。ま、「科学忍者隊ガッチ ャマン」あたりになって、現在のか たちに近くなったみたいですね。
Takachiho. ところで竜の子プロの作 品はメカなどの設定が綿密で、 ファ ンもそこに魅力を感じていると思う んですが、中村さんはメカニックな んかの知識はどうやって得られたん ですか?
Nakamura. 最初は全然、知識はなかっ たんで、コクピットやインスツルメ ントパネル(計器盤)には苦労しま した。 で、考えたのがオーディオの カタログ。これを手あたりしだいに 集めました。スイッチなど、黒いパ ネルに白い線がレイアウトされてい る、そのパネル部分を切りぬいて、 組み合わせて使ったこともありまし た。ちょうどそのころ、黒地に白と いうのが主流だったんですが、なか なか好評だったと思います。
Takachiho. 竜の子プロの美術という のは、どうやって進行していたんで すか?
Nakamura. だいたい一本のテレビシリ ーズを三班構成で順番に受けもって いました。「マッハGO、GOGO」 以降は、仕事もグンと増えたので、 どうしても自分のところだけじゃ描 けなくなり、外注に出すわけですが、 それを総括してチェックするような 仕事が美術のおもな仕事になったわ けです。
Takachiho. そうすると、設定段階で つくる鉛筆で描いたデザイン画、い わゆるペンデザインを竜の子プロで つくって、あとは外注に、というこ とですか?
Nakamura. そうです。素材となるもの はすべてこちらでつくるわけです。 で、私はそのすべてにからんでいた ので、背景を描く作業よりも、ペン デザインのほうがめちゃくちゃに忙 しくなってしまった。多いときは、 月八本ぐらいは抱えていましたから。
Takachiho. よくごちゃごちゃになり ませんでしたね。
Nakamura. ええ、訓練の賜物だと思う んですけど、別に混乱することはな かったです。ただ、かたや「ガッチャ マン」、かたや「みなしごハッチ」と いうふうに、違いがはっきりしてい たことも楽といえば楽でしたが。 高千穗 「みなしごハッチ」とい えば、自然というか、花や虫たちの 世界ですが、一方でメカニックなも のをされて、違和感みたいなものは なかったですか?
Nakamura. やはり花なんかは難しいで すね。たとえばチューリップでも本 物そっくりに描くと非常につまらな くなっちゃう。デフォルメしないと ダメなんですが、私を含めて、それ をうまく描く人がなかなかいないん です。 ディズニーなんかと同じよう な素材なんですが、あらためてディ ズニー映画のすばらしさを見直しま したね。
逸材・大河原氏とコンビをくんで独立
Takachiho. 「みなしごハッチ」とい い、その後にできた「ポールのミラ クル大作戦」といい、竜の子プロの 作品というのは、すごくアメリカナ イズされた、いかにも本当のアニメ ーションらしい企画が多いと思うん ですけど。
Nakamura. ええ、それはやはり社長の 吉田竜夫さんに負うところが多いん じゃないでしょうか。 いつも企画の 段階でいっていました。アニメでし か表現できないものを作ってこそ、 価値があるんだと。だから、美術設 定なんかもリアルになっちゃまずい んです。吉田さんという方は、そう いう点でたしかに大変な人物だと思 いますね。僕も吉田さんからアニメ に関するもろもろのことをずいぶん、 吸収させてもらいました。
Takachiho. それで竜の子プロは何年 までおられたんですか?
Nakamura. 今から六年前ですから、昭 和五十年までです。 ちょうど「ポー ルのミラクル大作戦」が終わった段 階でやめました。
Takachiho. で、独立された動機は何 だったんですか?
Nakamura. そうですね。いろいろと動 機はあったんですが、まず第一には、 自分たちで素材づくりから始めたく なったことでしょうね。それまでは 絵コンテやシナリオ段階で、素材は ある程度、できていて、それを単に 構成していくだけの作業でしたから。 それともうひとつ、ちょうどあの ころは美術だけで独立しても、まあ、 なんとか食っていけるという自信み たいなものがありましたね。
Takachiho. さんを前にしていうのも変 ですけど、スタジオぬえさんもそう いう美術設定だけのプロジェクトで やっておられた。ま、ぬえさんには 遠く及ばないけれど(笑い)。 違った 分野をめざせば、それなりにやって いけるんじゃないかと、安易に考え たわけなんです。 で、同じ竜の子プロにいた大河原 (邦男)さんと組んで、今の事務所 メカマンを始めたんです。
Takachiho. 大河原さんとはいつごろ お知りあいになられたんですか?
Nakamura. 昭和四十七年ごろ、彼が竜 の子プロの背景に来たときからです。
Takachiho. すると、メカニックデザイ ナーとして入ってこられたわけでは ないんですね。
Nakamura. ええ、最初、彼は背景にい たんです。それで基礎訓練というか、 丸ボケなんかの修業をして、一応、 すべてこなしたわけです。そのころ 私は「科学忍者隊 ガッチャマン」の 初期のメカデザイ ンも抱えてまして、 非常に忙しかった んですが、どうも 他の仕事が進まな い。で、あまり遅 れるものだから、 入って間もない彼 に、ちょっとまか せてみようか、と いうことで始まっ たんです。ま、あ まり期待もしてい なかったんですが、 それがどうしてど うして、大変な逸 材でして(笑い)。 それ以後、彼は竜 の子プロで初めて のメカニックデザ イナーになったわ けです。
Takachiho. フリー になって竜の子プ 以外の仕事をさ れて、いかがでし たか?
Nakamura. 最初、サンライズの仕事を したんですけど、竜の子とは全然、 仕事のサイクルが違うんですね。は じめは、やはり水が合わないなと思 ったんですけど、それもだんだん慣 れてきて別に気にもならなくなりま した。 そもそも、フリーになったときの 気持ちの中に、竜の子プロ以外の外 の世界を見たい、経験したいという 気持ちが強かったものですから。竜 の子プロにかぎりませんが、どうし ても組織の中にいると、別の世界と は交流しにくい、あまり派手につき あうと、陰でそこの仕事をしている だろうという目で見られますからね。 私にとって、他の世界とおおっぴら に勝負できる気持ちのほうが、強か った。
絵具と筆に馴染むまで最低一、二年
Takachiho. それで今はどのくらいの 規模になっているんですか?
Nakamura. 総勢九名です。
Takachiho. やはりメカデザインと美 術・背景の二本立てですか?
Nakamura. いえ、どちらかというと背 景のほうがほとんどです。最初は大 河原さんと二人で組んで一年間ぐら い、いろいろな仕事を、メカデザイ ンも含めてやったんですが、彼がメ カ専門で独立しちゃったんで、今で は背景美術がほとんどです。ただ大 河原さんを目指す意味で、大学を卒 業したての若いスタッフにメカの修 業をさせてはいるんですが......。
Takachiho. 美術志望の若い人は多い ですか?
Nakamura. ええ、多いですね。うちは 特別に募集しているわけじゃないん ですが、絵を見てくれとか、どこか に紹介してくれとかいうので、来る んですね。それで紹介するところも ないものだから、そのままうちにい ついちゃう(笑い)。
Takachiho. どうですか、ご自分の若 いころに比べて、今の若者は?
Nakamura. やっぱり、今の人はうまい ですね。何というか覚えが早い。 第 一、来る段階から、ある程度は描け るんです。自信というか、それなり に皆さん勇気を持って来られます。 僕なんか、全然描けなかったし、自 信もなかった。
Takachiho. 最初は、どういうふうに 教えるわけですか?
Nakamura. まずポスターカラーや絵具 に馴染むことから始めていきます。 フラットに塗ること、そのための筆 の使いかたから教えていきます。 最 初の一週間はそればっかりやらせる んですね。それでまいっちゃうのは もうダメです。 次には水加減。これを教え込むの が大変なんですが、これも自分の体 で覚えないと、いつまでたっても思 い通りの色が出せない。口で言って も絶対、わかりませんから、とにか く試行錯誤でやるしかないんです。 で、ある程度、絵具と筆に馴染める まで一、二年はかかります。もちろ ん、それだけじゃ食っていけません から、なれないなりに簡単な仕事を 与えていくわけです。
Takachiho. じゃ、一応、背景が描け るようになるまで、どのくらいかか りますか?
Nakamura. 人にもよりますけど、五、 六年は必要なんじゃないでしょうか 描けるようになるまではそれほどか かりませんが、その絵が様になるに は、やはり五、六年は。
Takachiho. 結構、難しいものですね。 しかし、素人から見てますと、よく あんなきれいな色がまざらずに塗れ ますね。
Nakamura. ええ、あれは長年やってま すと、どの色がどういう性格かって いうのがわかるんですね。覚えこん でしまうんです。だから、ポスター カラーはひとつのメーカーのもの以 外は使わないんです。同じ名前の色 でもメーカーが違うと全然、別の色 になっちゃいますから。
Takachiho. うちの連中も同じことを 言いますね。 ターナーのデザイング ワッシュをうちは使っていますが。
Nakamura. それはどこのメーカーも同 じなんです。私のところはニッカー のポスターカラー。これはビンの口 が大きいので、平筆でも気楽に突っ 込めるので愛用していますが、だい たい一ヵ月に四十本から五十本はな くなるみたいですね。 ほかから見れば、かなり贅沢に使 っているようにみえますが、商売道 具ですから、けちったりしません。 筆も平描けの五、六、七号あたりを 使うんですが、これなどもずいぶん 消耗しますね。
大画面の背景は見せかたで手を抜く
Takachiho. 今、TVを見てますと中 村さんが手がけている作品は、相当 多いように思うのですが。
Nakamura. いや、実際はそれほどでも ないんです。というのは企画段階で 舞台設定をして、あとは僕の手から 離れるものまで一応タイトルクレジ ットに入るわけで、そういったもの を除くと、それほどでもありません。
Takachiho. ただ、企画の段階から入 って名前が出る人となると、美術畑 ではそれほど多くないんじゃないで すか?
Nakamura. そうですね。前にも言いま したけど、「銀河鉄道999」の椋 尾さんとか、「ムーミン」の半藤さ んとかぐらいじゃないですか。 皆さ ん、入りかたはそれぞれ違いますけ ど、だいたい僕と同じぐらいの年数 キャリアを踏んでいるんじゃないん でしょうか。
Takachiho. 映画の大画面で美術を担 当されたのは、あの「機動戦士ガン ダム」が最初なんですか?
Nakamura. 大画面を予測してやったの は、「機動戦士ガンダム」じゃなく て、「ニルスの不思議な旅」のほう が先です。一般にはあまり知られて いないんですが、ニルスは劇場用の ものをつくったんです。公開はいつ になるか、まだわかりませんが。 「機動戦士ガンダム」は、いわば、 TVのプリント起こしが主で、その 間のつなぎだけですから、大画面用 の絵は少ない。Ⅱ、Ⅲではかなり増 えてましたが・・・・・・。
Takachiho. やはり大画面となると、 描き込みの密度がさらに細かくなる わけでしょうか?
Nakamura. 主観の入れかたて、ずいぶ ん見せているんですね。皆さん、よ く描き込んでいるなあと思われると ころでも、実はそれほど描かない。 描き込んでいるように見せるという 方法がありましてね。たとえば、 るく輝いているところだけ、細かく 描き込んでおき、あとの暗いところ は逃げちゃうとか。ま、それでも全 体を見れば、なんとなく均一に描い てあるように見えるものなんです。 そういうところで、我々は手を抜 いている・・・(笑い)。
宇宙では見えないはずの星空を描く矛盾
Takachiho. ところで、今、中村さん には僕のアニメ「クラッシャージョ ウ」の美術をお願いしているわけで すけど、宇宙空間を舞台にしたSF アニメというのは、美術ひとつとっ てもずいぶん変わってきましたね。
Nakamura. そうですね。スペースシャ トルとかNASAのフィルムが実際 にテレビで見られるようになってか ら、ずいぶん修正せざるを得なくな りました。中でも地球を宇宙から描 く場合はかなり変わりましたね。昔 なら、蒼い海と島や大陸を描いただ けでしたが、今は雲がその上を覆い 隠すように描かないとダメですから。
Takachiho. それに星の見えかたも問 題だと思いますね。本当に、地上で 見るように、〝星がいっぱい見える のだろうか?"とか。
Nakamura. ええ、自分の肉眼で見ない かぎり皆目、わからないと思います ね。アポロなんかも相当、写真は撮 っているんですけど、窓から宇宙を 見たカットはありませんよね。です から、本当はあまりよく見えないん じゃないか、だから写真を撮っても しょうがないーなんて勝手に解釈 しているんですが(笑い)。 ただ、どうしてもアニメの宇宙空 間を描くときには、いちばん本物チ ックにしなきゃならないので、本当 は全然、星が見えなくても、やはり 星の粒々は描かないわけにはいかな いんです。
Takachiho. あの星の粒々はどうやっ て出すんですか?
Nakamura. あれは筆にホワイトをたっ ぷり含ませておいて、定規かなにか の縁に筆の甲をたたくようにして出 すんです。あと、ブラシというか金 の網に硬い筆をこするという方法も あります。一般的にはこの二つです が、もっと違う方法もあります。た だ、それはちょっと企業秘密になっ てますので(笑い)。
Takachiho. ところで、先ほどのSF の話に戻りますが、僕が最近、非常 に興味を持っているテーマに、果た して宇宙空間に人間が裸で放り出さ れたらどうなるか? もちろん死ん じゃうわけですけど、一体どういう ふうに死んじゃうのか。SFの巨匠 アーサー・C・クラークは三十秒ぐ らいは生きられるとかいってますけ ど、どうも本当のところはわからな い。血液が沸騰するとか内臓破裂、 つまり爆発しちゃうのか、凍りつい てしまうのか。僕なんかの興味から すればNASAのスペースシャトル で、こういった実験をやってほしか す。 った (笑い)。ま、実現は不可能でし ょうが、そういう最新のデータをど んどん作品に生かせたらと思うんで で、現在進行中の「クラッシャー ジョウ」の中にもそれを反映させて いきたいと思っているんです。
Nakamura. ええ、今度の作品ではその へんをいろいろ工夫して、たとえば 惑星なども最新のデータや写真をも とにアイデアを練っているところで す。具体的にはまだ、この場でいえ ませんけど、SFファンの期待に十 分応えられるようなものにしたいと 考えています。
Takachiho. 僕もそのへん、おおいに 期待していますので、どうぞよろし くお願いします。
Information Party
「ジョン&パンチ」のファンのキ
ミならば、1月15日、東京・新宿の
PUKAPUKAで行われた"CH
IPS の集いに参加したかな!?!?!
当日は、日本のジョンパンである田
中秀幸氏と古川登志夫氏も参加。 本
物のジョンパンに勝るとも劣らない
息のあったコンビぶりを見せてくれ
た。また、水野晴郎氏がスライドを
映しながら、CHIPSの活動を紹
介するコーナーでは、かっこいいオ
ートバイやパトロールカーに、CH
IPSファンから歓声があがった。
さらに、CHIPSのいろいろな制
服のファッション・ショーが行
た。もちろん制服も注目を集めたが、
ワッペンやバックルなどの付属品が
大人気。それに、腰に下げたポリス
マンズ・クラブやモデルガンの模擬
ショーも行われ、CHIPSファン
の熱い視線を一身に受けての大熱演
がくり広げられたのだった。最後に
ゲームコーナーではプレゼントもあ
り、ファンには最良の1日であった。MOJABONのレコード、早くも話題集中
東映のオリジナルキャラ クター、MOJABONを 知っているかな!?!?! 今、流 行に敏感な女の子たちの間 で大人気のこのキャラのレ コードが、絶賛発売中なの だ。Kikiという素顔を 決して見せない女性歌手が 歌う、A面「なぜかMOJA BON」、B面 「パハップス」 を聴いてみてほしい。 すで に、都内東映直営館で休憩 時間にこの歌を流したとこ ろ、大反響となったことか レコード発売にまで発展 したわけ。ファンシー商品だ けじゃなく、いろいろな分 野でファンを集めそう!!
ギャグも連発、「マンザイ太閤記」完成パーティー
新説か奇説かで注目を集める「マンザイ太 閤記」の公開に先がけて、1月16日、東京の 銀座で完成パーティーが行われた。会場には ザ・ぼんち、今いくよ・くるよ、コント赤信 など、出演者をはじめ、澤田隆治監督や椛 島義夫作画監督などの制作者も続々とつめか け、盛大なパーティーとなった。ほとんどの 出演者がアニメの声優は初体験で、意欲満々 で新分野に挑んだため、画面からあふれでる 熱気を、きっとキミも感じたはずだ。記念す べき大ブームとなったマンザイと同じように、 アニメでも山藤章二氏デザインのキャラクタ ーがブームを呼び起こすように、全員が心を 一つにして祝った完成祝賀パーティーであっ た!!
人形アニメの最高峰がついに日本へ上陸!!
人形アニメで独自の特撮技術「ダイナメー ション」を作り出したレイ・ハリーハウゼン 氏が、正月映画「タイタンの戦い」のキャン ペーンのため来日した。この「タイタンの戦 い」は、ギリシア神話を題材にして主人公ペ ルセウスとアンドロメダ王女との愛を中心に、 数々の試練を克服していくファンタスティッ クな大冒険ドラマなのだ。「ギリシア神話の世 界にある象徴や、ドラマ性の深さなどが好き です」と語るハリーハウゼン氏。この映画、な んと4年間にわたる制作年数と、46億円とい う莫大な費用がかけられているというから、 ハリーハウゼン氏の熱意が、いかにすごいも のであるかわかろうというものだ。 この映画 は12月19日からCIC配で公開される。 11月14日、東京・六本 木の日活スタジオで、「象 のいない動物園」のアフ レコが行われた。象の飼 育係の三吉役の常田富士 夫氏、少年ヒデ役の野沢 雅子さんが、昭和18年、 食糧難のため死を余儀な くされたかわいそうな象 の物語を演じていた。
杉山佳寿子さんの『寝子を起こせ!!』で起床!!
杉山佳寿子さんのファーストアルバム『寝た子を起こせ !!』のレコーディングが、10月27日東京・護国寺のキング レコードで行われた。A面はパロディー特集で、「与作の娘」 「お婿ルンバ」など、かつてのヒット曲をもじった曲が入 っていて実に楽しい。ところが、B面はラブソング特集で、 彼女の大人の魅力がムン ムン。ファンには待望の ゴキゲンなLPだ!! 月21日、キングレコード から発売だ!!
Nachi Nozawa Feature
昭和三十年のクリスマス、日本中
が狂ったように沸き返っていた。戦
後最大の好景気を迎え、街には商品
があふれ、札束が飛びかい、人々は
これを神武以来の好景気=〝神武景
気〟と呼んだ。
銀座も新宿も渋谷も、東京の盛り
場という盛り場は、札束を抱えた人
々で賑わい、ジングルベルの曲に煽
られて物は飛ぶように売れ、歓楽街
はどこも人でいっぱい、キャバレー
では高額のチップが湯水のようにバ
ラまかれ、ホステスさんやボーイさ
んを喜ばせていた。
新宿のあるキャバレーのバンドで
ドラムをたたいていた野沢那智の懐
も、家出を決意した時の予想とは違
って、かなり豊かであった。東京・
目黒に借りた三畳一間のアパート暮
らしも、住めば都でけっこう楽しか
った。
一人暮らしのノン気さにひたって
いた時、新宿の街角でバッタリ、都
立白鷗高校時代の友人に出会った。
つい懐かしさのあまり、アパートへ
連れ帰り、現在の快適な暮らしぶり
などを自慢して聞かせたりした。だ
が、自慢話はほどほどにするもの。
その翌日、噂を聞きつけ駆けつけた
二人の兄にしっかりとガードされ、
二度と帰るまいと思った我が家に連
れもどされてしまった。
彼の顔を見て、それまで何もいわ
ずにソッポを向いていた母の目に、
涙がキラリと光っていた。心なし以
前よりやつれて見える、その母の横
顔を見たとたん、彼はいっぺんに全
身の力が抜けて、ヘタヘタとその場
にすわり込んでしまった。
もう、早大の入試は終わっていた
ので、大学進学だけは免れるだろう
と思っていたが、どっこいそうはい
かなかった。兄が、まだ入試の終わ
っていなかった国学院大学の願書を
取り寄せており、すぐに提出できる
ようになっていたのだ。大学に行っ
たって、学生として演劇活動はでき
る、と兄にくどかれ、シブシブ受験。
スンナリ合格を決め、大学生活に入
ることになった。
だが、講義に出席したのは七、八
回だけ、後は演劇部の部屋に入りび
たりとなり、一年そこそこで中退し
てしまった。
その後しばらく、アルバイトなど
をしてブラブラしていたが、大学の
先輩に劇団四季"の関係者がい
て、その研究生にという話がトント
ンと進んだ。しかし、ほぼ内定とい
う時に、〝四季〟の研究生たちの公演
に誘われるままに参加したところ、
これがなんと劇団には無断で、勝手
にやった公演だったため、代表者の
ゲキリンにふれて、彼も内定取り消
しの処分を受けてしまった。
その時知り合った演出家の駒形俊
一と彼は、行き場を失ってしまった。
しかし、二人の財布を開けてみたら、
五千円ほどの金が残っていた。そこ
で、「よし! 二人で劇団をつくろう
!」と即決、劇団”城〟が結成された。
そして、ラシーヌとコクトーの作品
で旗上げ
とになった。
ところ
が、初日
の幕をあ
けてみた
ら客席は
パラパラ、
客の数は出演者の数よりも少なかっ
た。その後も、借金をしては公演を
何回か試みたが、いずれも客が入ら
ず、とうとう劇団は解散ということ
になってしまった。負債の三百万円
が、ズシリと彼の肩に重くのしかか
っただけであった。野沢那智、二十四
歳の時のことである。
二年半にわたる〝城"での苦闘の
後、彼は劇団”七旺会”の演出部に
移った。劇団代表の高城淳一が彼の
苦闘の歴史を知り、温かく迎え入れ
てくれたのだ。
ちょうど運よく民放テレビ局が相
ついで開局、若い俳優たちの出演の
場も広がり、チャンスが急激にふえ
てき、彼もNHKドラマ「事件記者」
や「徳川家康」などに、端役で出演
できるようになった。
アテレコの仕事が入るようになっ
たのも、このころだ。彼はどういうこ
とをやるのか
よくわからな
いままに、スタ
ジオに行って、
驚いた。
真っ暗なス
タジオ内で、
耳にレシーバ
ーをあて、スク
リーンの画を見ながらセリフを当て
ていく奇妙な仕事。 これが役者の仕
事なのかと、彼は異様なものを感じ
たという。
先輩たちのマネをして懸命にやっ
てみるが、どうしてもスクリーンの
人物の唇と合っていかない。いくら
操り返してやってみても、出遅くれ
るのだ。見かねて“七会”の先輩
の肝付兼太が、肩を叩いて合図をし
てくれた。その合図をキッカケに、
彼は自分のセリフを演じたこともあ
った。
二年半ほどの"七会"所属の後、
彼は劇団を退団、また”城"を復活
させた。しかし、今回も失敗。しかた
なく、ファッション・ショーなどの演
出を手がけて、なんとかその日その
日を過ごす生活となってしまった。
そんなある日、街角で、スタジオ
で顔なじみだった八奈見乗児に出会
った。遊んでいるならアテレコをや
らないかと、八奈見は自分の所属す
る俳協〟に紹介してくれた。"俳協"
にも、野沢那智の苦闘史は知れわた
っていて、彼の顔を見るなり、「わか
っているよ、まず借金を返さなくち
ゃね」と声の仕事をどんどん入れて
てくれた。それこそ、朝から真夜中
までビッシリと働かせてくれ、わず
か半年で、例の三百万円の借金をそ
っくり返すことができた。
借金が返せたら、とたんに、またま
た芝居の虫が騒ぎだし、抑えきれず
におそるおそる、演劇の世界にもだ
してほしい、と〝俳協"に願い出た。
「OK。ただし、このオーディショ
ンだけは行ってね。どうせもう、この
役は愛川欽也に決まっているんだけ
ど・・・・・・、これが最後のご奉公だと思
って行ってくれ」と言われるまま、
彼もこれが〝俳協〟での最後の仕事
と思って出かけていった。
オーディション会場に顔を出した
ところ、彼の顔を一目見るなりディ
レクターは、「君が野沢那智か。うむ、
決まった。君に決まったよ。新番組
『ナポレオン・ソロ』のイリヤ役は
君だ。録音は来週からだ・・・・・・」と告
げた。彼はビックリして声も出なか
った。おれはからかわれているんだ
ろうか、まだ一言も声を発していな
いのに、決定だなんて。
事実、イリヤ役は愛川に内定して
いたのだが、愛川は裏番組に出演し
ていることがわかり、急きょ、配役を
変更することになったのだ。その後
任の選出を、夜おそく額を集めてや
っていたところ、ちょうどその時、
つけっぱなしだったテレビが深夜映
画をやっており、聞きなれない声優
の声が流れてきた。若々しい二枚目
の声である。プロデューサーとディ
レクターは、思わず顔を見合わせて
叫んだ。
「これだ。この声だ! この声はだ
れだ、いったいだれの声なんだ!!!」
やがて映画は終わり、エンディン
グに“野沢那智”の名を発見した。
彼らは、万才
! な叫び、
深夜のテレビ
局で祝杯を上
げた。
野沢那智が
会場に現れる
前に、実はこ
れだけのイキ
サツがあった
のである。「ナ
ポレオン・ソ
ロ」は放映が
開始されると、
たちまち人気
番組にのし上
がり、彼の人
気も、ファン
からサイン攻
めにあうよう
にまでなった。
昭和四十年の
ことである。
翌四十一年
十月、NET
(現、テレビ
朝日)では、
「日曜洋画劇
場」をスター
トさせるにあ
たって、それに先だち、外国映画のス
ターたちの声を吹き替える声優をフ
イックス(固定)して、〝声のスター・
システム"を確立することにした。
そして、人気俳優アラン・ドロン
役は野沢那智に決定。日本にはドロ
崇拝者が多く、それと相まって、
野沢のファンが急激にふえた。 アラ
ン・ドロンが野沢那智か野沢那智が
アラン・ドロンか、画面を見て、
時にわからなくなることがある。そ
れほどに、この配役はみごとなもの
であったといえよう。
彼の名声は日に日に上がっていっ
たが、まだその仕事のギャラでは食
ってはいけず、バーテンなどのアル
バイトをやっていたことを、はたし
て何人のファンが知っていたであろ
うか。一回の出演で得られるギャラ
が二千七百円、一か月に手取り一万
円にもならぬギャラを手にして、彼
は暗澹たる気分になったという。こ
の低賃金の苦しみは、昭和四十八年
の声優のストライキによって出演料
が引き上げられるまで続いた。アニメの仕事は「狼少年ケン」(昭 和38年)が最初であり、この時は動 物役であったが、その後、二枚目野 沢那智の評価が高くなるにつれて、 アニメでも急に二枚目役が転がり込 むようになってきた。「どろろ」「エー スをねらえ」「ベルばら」などの二枚 目役で活躍するようになる。「悟空の 大冒険」の三蔵法師も、初めは二枚 目として登場した。しかし、ある日、 この二枚目法師が赤い蹴出しをチラ チラさせて駆け出した。そこで思わ ず「あら、イヤ~」とアドリブを演 じたところ、それが意外にうけ、三 蔵法師は三枚目役になってしまったという。
どんなに声の仕事で忙しかろうと も、彼の心はいつも舞台の方へと駆 り立てられている。今、彼の目指し ているものは、ミュージカルを日本 に定着させること、そして彼の率い る〝薔薇座〟をその一流の劇団に育 てあげることにあるようだ。 それが演劇青年・野沢那智の夢で あり、彼はそのことにこれからの半 生を賭けている。 野沢那智の巻・了 (文中敬称略)
February
My Anime Life: Shunsuke Kikuchi
年齢不詳 「生年月日は言わない
ことにしているんです。大体ね、い
い加減年を食っているということは、
自分がいちばんよくわかっているん
で……。言ったっていいんだけど、な
んとなく若くありたいという気持ち
があるんでしょ。そのへんについて
は、長男が高校三年生だということ
で、勝手に想像してください」りんごで育つ「(青森の)弘前 市で生まれ、そこで昭和二十七年ま で育ちました。りんごの町でしたか ら、戦争中もひもじさをおぼえたこ とはなかった・・・。食べものがなくな ると、在の知りあいの家に行って分 けてもらったものです」
流行歌の好み 「小学校や中学校 のときは、流行歌が好きだったんで すよ。それでいい気になったのか、 中学校の後半から高校にかけて、好 みがちがうものになって、やっぱり 生意気だったんでしょう、高校のと きは演歌が嫌いになっていたんです。 どうも、その時代、その年代で音楽 に対する好みが変わってくる(笑い)。 このごろでは、演歌のいいのを聴く と、"うん、いいなあ"と思うし…・・」
工業高校 「親父は商売をしてい たんですが、子どもにはなるべくサ ラリーマンがいいだろうと。それな ら国鉄に勤めさせたい、当時の地方 で国鉄というのはすごかったですか ら、いいところという意識があった んじゃないですか。だったら、工業 高校がいいだろうというわけで、僕 自身、そういう方面には興味も湧か なかったんだけど、親の意を汲んで 機械科に入りました。 ところが入ってみてびっくり。い ろいろ作業がありましたけど、どれ 嫌いだし、できないし・・・まったく 往生しましたよ」
我流の作曲 「子どものときから 音楽だけは好きだったから、高校で もコーラスばかりやっていました。 唱ったり、ただ聴いているうちに、 音楽を作ってみたくなったんですね。 当時、友だちから中古のギターを千 円で譲ってもらい、最初はそれで曲 を作ったんです。簡単なメロディー だけです。後年、そのメロディーを僕 はテレビに使ったんですけど、わり とよくできていたんだなと思いまし たね。このころの作曲が第一作にな るのかな。 その頃、当地の大学に、阿保先生と いう人がいまして、セロをやり作曲 もやっておられた。 もう八十歳を越 したかな、今でも活躍している人な んですが、弟子はとらないと言うの を無理にお願いして、ハーモニーな んかを教えてもらいました。 一週間 に一度か二度行って宿題もらって、 また書いて持って行くわけです」
学生合唱団 「高校のときは第九 (交響曲)なんて唱ってましたよ。 もちろんドイツ語が読めないからカ ナをふって。意味はもちろんわかり ません。医大や教育大学の学生にま じって唱ったことがあります」
初めて買ったレコード 「学校で は音楽部でレコード鑑賞をやってい たんだけど、当時同級生が買ったレ コードというのはベートーベンとか バッハなんですよ。ところが、僕の 買ったのはガーシュインの『ラプソ ディ・イン・ブルー』だったんです 二回目に買ったレコードがグロ スウェイの「グランドキャニオン』 だったんです。だから、初めから持 っていたレコードが仲間とは違って いたんですよね。その後でリストの 『前奏曲』、それからチャイコフスキー の『一八一二年』といった具合に、変 な買いかたをしていました」
洋画志向 「とにかく活動写真が 好きで、親に叱られても映画館に駆 けていったほうです。過去に観てい る映画、それも洋画の種類というの は、かなりいい線いっているんじゃ ないですか。 小学校に入る前から映 画ばかり観ていました。もちろん戦 前の話です。 戦後になってからはフランス映画 とミュージカル。ミュージカルは、 おそらく日本にきたものは全部観て いるんじゃないかな・・・。あっ、『ルン バ』というダンス映画、 これは、そ のころ軟派じゃなきゃ行かないとい うんで、それだけは観ていません」
印象に残っている映画音楽 「シ ュバリエの『王様」。小さな国の国 王、それがシュバリエで、フランス の夜の社交界で『あなたの国では女 を口説くときはどうするんだ』とい われ、『ウィー、タッタッタン・・・』と口 説きの歌を唱うシ ーンがあった。それは 映画を一回観て、すぐおぼえちゃ ました。 また、音楽でいちばんすごいなと 思っているのは、エノケンさんの『猿 飛佐助』で、九字を切るときの音楽 ね。『タカタッタッタッタ、タッタタ ッタター』という調子で、これがい まだに耳から離れない。これだけで、 エノケンが術をかけた音楽だという ことがわかるんですから、あの作曲 家は、すごくすばらしいということ です。 それと、戦後の映画音楽でいちば ん感動したのは、新藤兼人監督作の 『裸の島』の林光さんの作品で、 こ れは国際的に通用するものと思って います」
漫画映画 「漫画といえば、その 頃、映画館に行くと、大東映画か極 東映画では、チャップリンの小作品 がついていたんです。それで、昔の 日活のほうへ行くと、ポパイとかべ ティさんがついていた。本編に対す る短編映画といった程度の思い出で、 僕はアニメーションより映画音楽が 好きだったんですね」
"これが最後〟と 賭けた劇伴で独立。
ショック「昭和二十七年、東京 に出てきて、日大の芸術学部に入っ たんですよ。弟もいっしょに下宿し ていたんです。ある日、下宿に帰っ て「ただいまっ』って言ったら、『あ らっ、菊池さんさっき帰っていたん じゃないの?』って、下宿のおばさ んが怪訝そうな顔をしましてね。 そ れで僕は『いや、今、帰ってきたん です』と言ったら、『あら、歌声がき こえていたもんだから」。それは弟だ ったんですが、あんまりそっくりだ ったので間違えてしまったというわ け。とにかく弟はすごく唱が下手で、 僕は自分ではもっと唱が上手いと思 っていたものですから、それからす っかり唱えなくなってしまったんで すよ。これは笑い話になるんですが、 やっぱりショックでした」
無料奉仕で作曲修業 「日大の芸 術学部といっても、作曲のほうは七、 八名の小世帯でしたが、みんな優秀 で、NHKコンクールなんかに入っ てね。僕だけが、一次で落っこちて しまい、すごく恥ずかしい思いをし ました。ただ、さっきも言ったよう に、映画が好きだったものですから、 同じ学部の映画科の連中が映画をつ るとき、(み なカネがないから) レコードの選曲なんかをやっていた んです。"このシーンには、このレコ ードが合うな"というようなことを やっていたから、自分なりの下地が わりと早くできていたような気もし ます。もちろん、無料奉仕で、演劇 部の人ともいっしょになって芝居の 曲を書いたり、その間に探り探りで したが、自分なりの方法論を考えて いたようですね」
プロの作曲家になるまで 「卒業 してからもコネを探して作曲の手伝 いをさせてもらったり、写譜なども ずいぶんしました。つまり、手伝い をさせてもらいながら、ものをおぼ えていく、まったくの徒弟制度です。 しかし、何度も言うように映画が好 きでしたから、その中にいるという だけで、苦労というものは感じませ んでした。 初めから弟子として入ったわけだ から、何日間でも「これを書け」と 言われたら、閉じこもって書かなけ ればいけないんです。だから、たま たま東映に、先生のほうから『彼を 使ってみたらどうか』と申し出たら しいんですよ。それで使ってもらえ たから、運が向いてきたんでしょう。 それがなかったら、助手で一生終わ ったということです」
デビュー曲 「その時(昭和三十 六年)は、だいぶ年にもなってきて いたし、芽が出なくて堅気の商売に 移ろうと思っていました。勤める先 も日劇の渉外に決まったんです。そ 東映でやらないかって話が持 ちあがり、生涯の想いでに、「俺もか つて一本だけ、映画音楽をやったこ とがあるんだ』ということがあって もいいんじゃないかと、開きなおっ てやったんです。それが「八人の敵』 という社会派の映画でした。主演は 梅宮辰夫と筑波久子、監督は佐藤肇 さん。作曲をまったく自分ひとりで 完全にやったのは、これが初めてで す。佐藤さんも喜 んでくれて、この つぎもと言われま した。 その後、『昭和遊 俠伝』だったか『日 本侠客伝』といっ たか、嵐寛さんが はじめて東映のや くざ映画に出演し た作品がありまし たが、その作曲を 担当してから、や くざものばかり四、 五十本はやりましたよ」
七転八倒の苦労「僕が最初にや らしてもらったやくざ映画のとき、 締切りの日の明け方までテーマがで きないで、そのときばかりは「あっ、 俺はこれでこの商売終わりだな」と 本当に思いました。ともかく、明け 方から車が迎えにくるまでなぐり書 きで曲を書き、現場に行ってからも 書いていました。それで音が出たと き、それまでの苦労を忘れて、『う まくいった」と思ったですね。それ を三年ぐらい経ってからテレビでや っているのを観たら、「こんなに下手 だったのか』と思って。意外と迫力 がなかった。 しかし、書けないときは本当につ らい。つくづく子どもの寝顔を見ま したよ。ちょうど試験ができない夢 を見るのと同じで、それのもっとひ どいのが現実です」
僕には唱いにくい歌が、作れない・・・
曲のイメージ設計 「僕の場合、 まずキャラクターを見て、詞を読ん でからです。昔、古賀政男先生が、 『詞は姉であり、曲が妹である」と 言っていましたが、いいお姉さんが あって、妹も一所懸命お姉さんみた いになろうと思えばいい姉妹になれ る。だから、いい詞があって、それ にスーッと入っていけて、いい曲が 書ければ、いい作品になると思うん ですよ。特に主題歌の場合、その詞 のテーマを主人公のテーマにするこ ともあるんです。アニメーションの 場合は、歌は詞からで、それがテー マになることが多いですね」
アニメの音楽 「映画を助けるた めに音楽は使われるわけですから、 気分よく、その中の感じをとらえて、 よりおもしろくできなければ、音楽 というのは効果がない。現実音のほ うがいい場合もあります。アニメー ションの場合は、楽しく楽しくとい ったようなことを考えれば、現実音 が入ったほうがいいんじゃないでし ょうか」
リズムかメロディーか「僕の曲 は、まずメロディーなんです。わり とわかりやすく、あんまりこまかく やらない。唱いにくい歌というのは 創れないんです。先にメロディーさ え書いておけば、コードは変えられ るんですよ。それで面白くなければ、 節も変えられる。この手順でいけば、 思いきったことが結構できます」
アニメ第一作「いちばん最初に やったのは『宇宙パトロールホッパ』 です。ジャンプ、ステップ、ホッ パー・・・と、子どもが唱ってくれるの を聞いたときは、その子どもの頭を 撫でてやりたいくらい嬉しかったで すよ。そのときは歌を書いててよかっ たなとつくづく思いました。劇伴と は違った喜びです。まっ、これはあ まりヒットしませんでしたけど」
自作品について 「前はアニメー ションはマーチでやってたんですが、 「タイガーマスク』はウエスタンで やり、 その後、『仮面ライダー』で初 めてロックを使いました。 この二作 がドーンといって、それから子ど も向けのものがおもになったんです。 パリまで唱い手を探して録音に行 った。『ラ・セーヌの星』なども、僕 にとっては忘れられない作品で、 う まくいったほうだと思う。なんのか んの注文されても、作曲が得な点は 自分でつくっちゃって、『僕にはこれ しかありません』と言えることでし ょうね」
曲づくりの発想 「僕は詞をもら うと、それに手をつけないんです。 よく、こう変えたほうがいいという のはあっても、やっぱりこの人はこ ういった気持ちで完成させているの だから、よほどのことでないかぎり 字句の入れ替えはしない。作品とし てきた以上、その人が一所懸命やっ たんだから、僕が手を加えたら悪い ことだと思います。なるべくその詞 に合った曲を作る。また、その詞が 入れ替ったら歌も書き換えますね。 大体、僕はパッと詞を見て、まず サッと曲を書いてしまう。 それから それを手直ししていき、時間があっ たらもう一度見なおすとか、一日寝 かせておいて考えなおすと、やっぱ りこれていいんだというのが出てきます」
アニメ一本で創る音は、最低六十曲。
行きづまったとき 「それはもう 待ってもらうしかありません。テー マを頼まれるときはピアノスケッチ ですからね、一、二日はなんとか延 ばしてもらえる。それでどうしても 駄目のときは、全然書けないという ことはありませんから…。昔はよく メモをとっていたんですよ。たとえ ば、学生のころは映画館の暗い中で、 ここはこういう節で、こういう楽器 でやればいいというのを、映画を観 ながら書いた。実際にはメモという のは意外に役立たなかった。 メモし たことで安心して、いつのまにか忘 れてしまうんですよ。それよりいっ ぱい聴いて、あれが好きだ、これが 好きだと言っているうちに、メロデ ィーというのが自然に身についてき たんでしょうから…」
作品で最低六十曲 「曲数から いえば六十っていっても他愛ないん です。三十分もので一話に二十曲ぐ らいはすぐ使いきっちゃうんです。 だから、場合によっては足りなくな ってしまう。明るくというのは、な んとなく明るく、爽やかにっていう のは、飛んだり跳ねたりみたいのもの とか、十ぐらいはすぐいっちゃうん ですよ。その他コンマみたいに”ボコ "、"チャン”っていったのがあるでし よ。”ピョンタカタカタカタンッ”で 一曲だとすると、すぐ足りなくなっ てしまう。だから、五、六十曲という のは、アニメでは短いやつで、そん なに驚くことでもないんですよ」
劇伴家 「視聴者はテーマソング とかエンディング・テーマ、挿入歌 といったものだけが強い印象で耳に 残るわけですが、僕はもともと劇伴 から出発した人間なんです。映画と いうのは主題歌ではなく、劇のバッ クグラウンド・ミュージックという 風にやってきたものですから、コロ ムビアで最初 『タイガーマスク』 の音をやったときに、「この人、何を やってきた人だ」って、わからなか ったですよ。いわゆるレコードの世 界の育ちではなかったものですから」 作曲の喜び 「映画の劇伴専門の 一本作りあげて、ダビングが 終わったときっていうのは、徹夜で 書きあげた疲れがなんとも言えぬほ ど嬉しくて、そのまま徹夜を続けて 麻雀してもいいというくらいの気持 ちになりましたね」
作曲数 「もう、どのくらい創っ たかわからないです。劇場用の映画 では、『宇宙円盤大戦争 (東映)』がた しか百本目だったんですが、『仮面ラ イダー』をやった頃ってのは、作品 自体の数がそんなにありませんでし た」
作曲の時間 「歌の場合で、早い ときは、詞をもらって、その場で仕上 げるときもあります」
愛唱歌と好きな歌手 「歌は人前 では唱わなくなりました。 なんとな く口から出てくるのは、昔懐かしい クロスビーのものです。 好きな歌手 はクロスビーやフランク・シナトラ など。『ワイキキの結婚』という映画 の中でクロスビーが唱った『ブルーハ ワイ』。あれで僕は本当にいい気持ち になっちゃいました。 クロスビーの サインの真似をして、書いてみたり ....(笑い)」
やってみたいこと 「そんな欲が なくて、みんなが唱ってくれる歌を 書き、書いた以上は唱ってもらいた いですよ。 作曲家になって本当によ かったなあと思ったのは、自分で作 った歌を子どもたちが口ずさんでく れることですから」
好きな作曲家 「渡辺岳夫さんな んか独特な節回しで好きだし、うま いなあと思ったのはラベル、ドビッ シー。それに富田勲さんにはもっと アニメ音楽をやって欲しいと思いま す。 まだお会いしたことはないが、あ こがれている作曲家としては、松村 禎三さん。池野成さん。この人にもア ニメの世界で活躍して欲しいですね。 僕がこの世界で、いろいろと教えて もらった人としては、鍋木創さんを 忘れることはできません」
一所懸命にやって後はケ・セラ・セラ
二十四時間 「ひまなときは主に テレビを観ています。仕事になると、 それに没頭。今は、映画の仕事で『こ ういうものを聴いておいてくれ』と 言われているので、レコードを聴い て調べたりといったところ」
作曲の場所「最近はピアノの前 が多いですね。昔は音はなくて作っ たものですが。一度頼りだしたらだ めで······もっとも、あまり弾きませ んが。メロディーを書いて、コードを 書いて、それからリズムを聴けば大 体わかりますが、それでいいのかと、 確認に使うわけなんです」
現在の仕事 「映画では 五十七年一月に公開の『青 春の門』、テレビでは『新海 峡物語』。今度始まるのは「ひ まわりの詩』です」
健康法 「これまで病気 したことがないものだから、特にし ていません。仕事に入っちゃうと、 それに夢中になってしまうし、そう でないときは無理をせず、のんびり して、つぎの作品にあたるときにい を書きたいなと思うぐらいで」
趣味、特技など 「ゴルフも麻雀 も下手になりました。 なるべくゆと りをもたなければいけないんですが、 仕事がたてこんでくると、ちょっと したことで怒りますね。家で仕事を しているから、家族には悪いと思い ます。曲のイメージがいつ湧きだし て、いつ考えているか、子どもたち にはわからないわけですよね」
家族 「子どもが、たまたま『仮面 ライダー』を聴いていて、「あっ、こ れは『変身忍者嵐』の音楽だっ」っ て言ったことがあるんです。 選曲の 人が同じなので、足りなくなった曲 を回すことがある。子どもたちはパ パが手を抜いて回したと思ったんで しょう。選曲の人もかわいそうなん で融通してやるんですが、一般のフ アンからも投書があるそうですよ」 好きな言葉「あまりないですね。 あっ、好きな歌で『ケ・セラ・セ ラ」つらいこともあるけど、一所懸 命やっていたら、必ずなんとかなる という気がします。好きな言葉とい うより、あの気持ちですよ」
若い作曲家志望者に 「余談にな りますが、最近、僕のところにBG Mの作曲家になりたいが、どんな勉 強をしたらいいかと電話がありまし た。 一応、音楽学校に行くのがいち ばんいいでしょうと言っておいたん ですが。僕も学校で勉強したけど、 自分でどのくらい書けるかわからな いし、書いても音にならないんです よ。今は自分で書いてお金をもらえ るけど、そのころは自分がお金を出 して、自分で聴くしかない。しかし、 そんな余裕がないから助手をして自 分で勉強した。 だいぶ前には学校の紹介できた人 は、『手伝うとお金をいくらくれます か』って言うんですよ。それで、「どの くらい書けるの、書いたことがある の』って聞いたところ、まったく書い たことがないと答えました。 やっぱ 気質が変わってきたんですね。ま ず、先に作品を作らなければいけま せん。発表する場はなかなかないで しょうけど、ニューミュージックみ たいにグループでやって、そこから 一本立ちしていく。あれもいいと思 うんですが、まず書くこと。書けな い人がいくらしゃべってもだめですょ」 作曲家冥利 「作った本人が、こ れはイケルなと思っていたのがソッ ポを向かれちゃったこともあります が、この作品にはこういう歌がいい んだなあ、こういう節を作ってやっ たほうがいいんだなあと考えて作っ たのが、大体受けている、それが幸 せですね」
We're Anime People: Shigeru Kimiya
僕はいろんなことに興味を抱いて、熱中しやすいタイプみたい・・・・・・子供のころはちょうど「仮面ライダ ー」の全盛期で、アニメファンという よりもテレビ世代ですね。子供番組は ほとんど見てました。中学3年ぐらい の時に「ヤマト」を見たのかな。僕は バイクが好きで、高校は工業高校なん です。だから、アニメの仕事をしていな ければエンジニア関係に進んでいたと 思います。ところが、浪人の時に「さ らば宇宙戦艦ヤマト」を見まして、す っかり影響され、アニメの仕事をした いと強烈に思い始めて、東京デザイナ 学院のアニメ科に入ったわけです。 ちょうどそのころ、19歳の時なんです けれど、「ルパン三世」のストーリーを 一般公募していまして、それに出して みたら見事入選して、30000円の 賞金をもらいました。それが第1回に 放映されたのですが、見てみると自分 が作ったのと全然違うんですよね。そ れでガッカリしまして、これは現場に 入って作るしかないなと思って、〝日本 アニメーション”に入ったんです。
制作進行はすごくきつい仕事だけど、演出への過程だと思って!!
日本アニメーション"では、「トム・ ソーヤの冒険」で見習い進行、「ふしぎ な島のフローネ」で制作進行をやりま した。その後、このパンメディア”に 来て、今は「ハットリくん」の演助・ 進行をやっています。とにかく演出を やりたいので、今はしゃにむに進行作 業に取り組んでいます。この進行とい う業務は大変というか、もうむちゃく ちゃ忙しいの一言につきますね。制 作の各部門のスケジュール調整なんで すけれど、考えだすと夜も眠れないし、 スケジュールがラクな仕事ってほとん どありませんからね。もうずっと夜は 遅いし、精神的にも圧迫感があるし、 つらい仕事です。今やっている「ハッ トリくん」もきついスケジュールでや ってるからドタバタですよ。
テレビアニメの第1回は、見て自分なりの価値判断をしておきたい
夢っていうのかな。とにかく、ジャン ルを問わずアニメ作品を作ってみたい ですね。アニメは娯楽作品だと思うか ら、とりあえず見終わった後に、「面白 かった」という言葉が出るものを目ざ したいです。まあ、今は仕事に追いま くられていますけれど、テレビの新番 のアニメも、第一回だけは見のがした くないですね。忙しいからどうしても ダメな時もあるけれど、第一回を見て おくと、自分なりに価値評価ができま すよね。時間の余裕ができれば、バイ クに乗ったり、「レーダース」見たい!! 見たい!!!
Free Talk: Akihiro Kanayama
ロボットアニメのオーソリティー・・・金山
さんを語るときに、まず浮かぶ形容詞
だが、意外にもご本人は大の動物好き。
フリーの劇画家、虫プロ・アニメ作監
そして今年、漫画に再挑戦と活動範囲
を広げる意欲的なマルチ人間に、その
バイタリティーの秘密を聞いてみた!電車賃にも、こと欠いた劇画家時代 x高千穂 お久しぶりですね。たし か「闘将ダイモス」でごいっしょし て以来ですね。 x金山 はい、そうですね。もう二年 ぐらいたちますか。「超電磁ロボコン ・バトラーV」で僕が作画監督をし ていたころ、高千穂さんがうちのス タジオに来られたのが最初だったん じゃないですか。メカ設定でいろい 協力していただきましたが、とに かく単刀直入にものを言われるとい うか、自分の意志を通すために、絶 対、黙っていない方だというのが第 一印象でした(笑い)。 x高千穂 あれはロボットメカの設 定で、スポンサーのおもちゃ屋さん がいろいろむつかしい注文をつけて きたからなんです。 ところでアニメの世界に入られた のはいつごろなんですか? x金山 今から十六、七年前になり ますか、たしか昭和四十年に虫プロ へ入社したんです。 x高千穂すると「ジャングル大帝」 のころですか。 x金山 ええ、「ジャングル大帝」の 第三話をやったのが最初でした。 x高千穂 かつて漫画も描かれてい たと聞いていますが、それは虫プロ 入社前になるわけですか? x金山 そうです。漫画家生活はそ の前に五年ぐらい。で、漫画の前は ふつうのサラリーマン。ボイラーマ ンというか、釜焚きをやっていまし た。高校を出たてのころですが・・・。 今でもエアハンマー使ったり、釜焚 きなんかできるんです。 x高千穂では、最初のころはアニ メとか、漫画にはまったく、無関係 だったんですね。 x金山 だいたい学生時代は勉強が まったくだめで、漫画は好きだった んですが、そうかといって漫画家に もなりたくない、アニメーターにな るなんて、考えてもいませんでした。 とにかく平凡なサラリーマンになり たかったんです。で、ヒマなときに 絵でも描いておれたらと 二年ぐらいですか、そういうこと でサラリーマン生活を続けていまし たが、どうもあきっぽい性分で、つ まらなくなって一念発起。 劇画家佐 藤まさあきさんの門をたたいて、ア シスタントになったわけです。 昭和 三十五年ごろというと、第一次の劇 画ブームで、さいとうたかをさんな んかが貸本で世に出た時期なんです。 日当が百円。それでいて一日 タ塗り八十枚ぐらいやらされて、 う滅茶苦茶に働きました。 大藪春彦 さんのハードボイルドものが多かっ たですね。 x高千穂 当時の物価はわかりませ んが、一日百円でよく生活できまし たね。 x金山 いや、いや。全然足りない。 当時、僕は、四谷のおじの家から、 新宿・角筈の事務所まで国電で通っ ていたんですが、その電車賃だけで 往復二十円。下宿代と食費四千円も 払わなきゃならないんで、独自に単 行本も描いたりして、なんとか食い つないでいたんです。 x高千穂 単行本というのは、貸本 屋向けの、「街」とか「影」でしょ。 あれはみな、名古屋に版元があった と思うんですが、原稿は名古屋に送 るんですか。 x金山 いや、僕が描いてたのはセ ントラル文庫というんですが、こっ (東京)の石切橋にあったんです。 で、行くだけで五円。その五円もな いときがあって、歩いて原稿料をも らいにいったんです。そしたら、あ 半月待ってくれって(笑い)。どう やって生きていったらいいのか、も う、そのときは目の前がまっくら。 本当、今考えてもいちばん苦しい時 期でしたね。 x高千穂すると、漫画は単行本中 心だったんですか? x金山 ええ、最初の二年間は、今、 言ったようにアシスタントと単行本 の描きおろしをしていました。それ だけでは、どうにも食べていけない んで、少年向けの漫画雑誌の連載の 仕事を三年ぐらい続けたわけです。 高千穂それは何という雑誌で? x金山 講談社の「ぼくら」という 雑誌です。あそこで原作つきの漫画、 僕個人は今でも原作つきっての は大嫌いなんですけど「秘密戦 艦男爵艇」というメカものをやりま した。真珠湾攻撃のときに、特殊潜 航艇というのがありましたよね、あ れが現代にもずっと生きのびていて、 いろいろと神出鬼没の活躍をすると いったストーリー。 連載を始めたころは人気もあまり なかったんですが、回を追うごとに だんだんよくなっていって。「タイガ ーマスク」の辻なおきさんなんかも、 「ぼくら」に連載をしていたんです が、そういった、当時、名の売れた 漫画家の作品に混じって、読者の人 気投票で四位ぐらいには入るように なったんです。それでモノクロから 二色の常連へ。今でも同じだと 思いますが、人気が高くなると二色 ページをもらえる。で、僕もこの調 子でいけば、一年以上は連載が続く ものと甘く考えていたんです。 ところが、編集者から描き直しの 注文があんまり多いもんだから、あ るとき、カーッときて「馬鹿野郎!」 って、怒鳴っちゃった。つい、ハズ ミで言ったんです。そしたら、もう 翌月で連載、終わり(笑い)。 とにかく、若いころは気が短くて、 長く続いたためしがない。 漫画の仕 事も、一年一作といったペースでした。 それ漫画じゃ食えなくなったの で、虫プロへ移ったわけです。たし 二十六、七歳のころです。
母親譲りの心臓で七日目に原画マン x高千穂 当時は、漫画からアニメ に移った人が多かったですね。 真崎 守さん、荒木伸吾さん、 出崎統さん。 x金山 そう、みんな漫画描いてま した。荒木さんなんか、新人の中じ や、大スターだったですね。熱狂的 なファンがいて、ものすごく人気が あった。 x高千穂 虫プロは最初、養成所か 何かに入られたんですか? x金山 いや、即、現場へ。虫プロ は、もうその当時からたいへんな人 気企業で、三、四百人に一人が合格 するかどうかぐらいの狭き門だった んですが、僕の場合は、東映に知り 合いがいて、その線からの裏口入社 組。ま、試験受けてたら、おそらく 滑っていたと思うんですけど x高千穂 漫画はペンでやってたわ けでしょう。急に鉛筆に変わって違 和感なんかなかったですか? x金山 いや、ありました。漫画の コマって、小さいでしょ。それがア ニメのほうだと、こんなにですがい わけ。アニメーションで、想像以上 に大変なものだと入ってから気がつ 年とで た。 ず嫌い 原 原画も 年間は動画。 する う気が強いというか、 入って一週間 た らきれ まあ原画 れた た当初は仕組みも 強引にやらせても です 漫画や はずはない 相当なツワモノ て たオレに 虫 したから、 てね。「生意気な野郎だ」「いつかぶっ とばしてやる」なんていう険悪な空 気が漂って・・・・・・(笑い)。 x高千穂 虫プロでもケンカしたわ けですか? x金山 短気なところは直らなかっ たんですが、不思議と手を上げたこ とはなかったですね。気ばかり強く 車をつかまえてはスタジオの 便所の選 裏で、ガンガン絞め上げたこ とはしょっちゅうありました。 るぐらい、男まさりの性格。たぶん、 僕が短気なのも、遺伝みたいなもの だと思うんです。 x高千穂 作画監督みたいな立場に なったのはいつごろですか? x金山作監は入って二年目ぐらい だったと思います。「わんぱく探偵 団」(西歩)が最初でした。 これは 宮本貞雄さんが作監をする予定だっ たんですが、話がまとまらず、結局、 虫プロ内部で作監を立てることにな り、ストーリーが劇画タッチだとい うこともあって、かつて劇画を描い ていた金山がいいんじゃないかって ことで、なったんです。 x高千穂すると虫プロがだいぶ傾 きかけてたころですね。サンライズ には、虫プロ倒産後、すぐ移ったん ですか? x金山 いや、倒産する寸前まで組 合のほうをしてまして、社長を吊し 上げてた(笑い)。それから三年ぐら いは竜の子プロの仕事を手伝ったり、 エイケンの仕事をしたり…。 それでサンライズのほうから「ラ・ セーヌの星」の作監でこないか、と いう話がきて、移ったんです。ただ、 「ラ・セーヌの星」では作監じゃな 原画をやりました。
いい演出家は、頭よりからだが動く x高千穂 長浜(忠夫)さんとか、 安彦良和)さんと仕事をしたのは サンライズに入ってからですか? x金山 安彦さんは虫プロ時代から よく知ってました。 とにかくキャラ づくりの天才でしたから。僕もよく 彼のキャラを真似たりして。そうい えば、「コン・バトラーV」の作監してた とき、ロボットや怪獣の描きかたが わからなくて、彼に聞きにいったこ ともありました。 ただ、いっしょに仕事をしたのは 少ないんです。「ラ・セーヌの星」が終わ って、安彦さんがシナリオ書いた「わ んぱく大昔クムクム」の原画―――た しか十六話だったと思うんですが それを僕と清山 (滋宗)さんがした ときぐらいですか。でも不思議と話 が合うというのか、たまに飲んだり しているんですよ。 それから長浜さん、彼とは「コン・ バトラーV」の仕事が初めてです。 x高千穂 怖いというか、すごく迫 力のある方ですよね。 x金山 そう、怖い人(笑い)。キャ ラクターなんか、安彦さんの模写を して出すと、彼は絶対にOKしない。 ヘタでもいいから自分でシナリオ読 んで考えろ!って言われる。何回で も描き直しをさせる。ガンコなまで、 こだわる人ですね。 ま、だいたい優秀だといわれてい る人は、表現は悪いですが、人間的 な意味でどこか欠如している人が多 い (笑い)。容赦しないところがあり ますからね。 x高千穂 もちろんケンカした? stopped here 金山 当然です(笑い)。でも、そ んなタイプの人のほうが、結果的に はいいものができるそれ いうひっかかる人が現場にいると、 自分にもプラスになりますね。 x高千穂 僕も「闘将ダイモ ときに長浜さんと仕事をして いった感じ、よくわかります 中でもえらい人だなあと思っ さん は、二節根というカンフ る武器をメカキャラに使った したに とき すね。あの当時は、カンフー で、アニメにもヌンチャクなんかが さんせつこん よく使われてたんですが、三節根 見たこともないし、実際、使おうと 言った僕も正確な型演武はできない。 で、長浜さん、凝り性だから、東映 のスタントマンにお願いして、棒術 の演武とかを実際にやってもらい、 それをビデオに撮って、ライブアク ションの参考に使ったんです。 のはたいしたことは のど 僕も昔、出崎統さ あ をゆうこと あ がわからなくてよ キャの 中の人が キロの人を殴 ると、 ほう 顔が アルブル震える るあ 瞬間は本当は腕が曲 ないか、とかね 通期的 メだって言われま 基本的1 は物理の法則通りな り、頭の中だけでやるとい できないみたいです 高千穂 考える前に、 いちゃう、とにかく何でも実地にや ってみる人って、だんだん少なくな りましたね。すごく淋しいと思うん ですが、アニメーションの作業がど だが動 うか、監督でこちらがアッ!と思う 人が少なくなりました。 安彦 んも書いてましたけど、〝顔がない" 演出家が多すぎる。見ていてイライ てきますね。 れた演出家って、やはり頭で 考えないで、からだが自然に動くタ イプだと思うんです。僕の知ってい る範囲では長浜さんもそうだし、ス タイルは違いますが、富野(喜幸) さんもからだが動く演出家ですね。 高千穂 富野さんは自分でコンテ を切って、シナリオも書き、色まで 自分で塗っちゃう。結局、作品に対 して持つ責任感というか、姿勢の問 題じゃないですか。 で、金山さんは演出はしないんで すか? 金山 いや、僕はしません。えら そうなことを言って、他人のケチを つけるのが大好きなんです(笑い)。 だいたい僕は作監にも向いていない と思っているんですから。作監って、 原画なんかパラパラ見て、気にいら ないところをリテークだしたり、 正するだけですから、仕事そのもの は楽ですけど、つねに緊張感を維持 しなけりゃ務まらない。それが僕に はできない。せいぜい三カ月も続け ばいいほう。だから年間通して作監 なんて本当は無理なんです。それで も六年間、サンライズで作監してる ってことは、どこかで適当に息を抜 いてることになる(笑い)。 高千穂でも金山さんの絵って、 いつ見てもすぐわかる。 キャラクタ 設定が別の人でも、アニメになる と、金山調になってるのは、息を抜 いていない証拠じゃないですか。 金山 僕自身では、個性がないと 思っているんです。年がら年中、絵 が変わりますからね。ただ、そうい う風に、微妙な味つけは、やはり作 監をしている以上は出てくると思い ます。個性といえば個性でしょう。 それと、キャラクターの中にはそ のままアニメにしにくい絵がある。 TVシリーズだと、最初から最後ま で、キャラクターが同じというわけ にはいかなくなるんです。だから、 僕はストーリーを重視し、それに合 わせてキャラクターにも手を入れま す。「ボルテスV」の四十話なんて、 キャラクターをまったく変えちゃっ た。通しで見ると似てませんが、それ はそれで構わないと思いますね。 高千穂 コンテなんかはどうです か。漫画をやってらしたから、当然 ストーリーの組み立てはお手のもの じゃないんですか? 金山コンテ切ってもおかしくな いと思うんですが、一本通しでやっ たことはないんです。だいたいコン テはテレビのシリーズ三十分ものだ と百二十ページぐらいになるんです。 それなら百二十ページの漫画、描い たほうがマシだって思っちゃって。 そうそう、最近、また漫画のほう も始めました。 新人のつもりで、 少年漫画に再挑戦 高千穂 それはまた、どうして? 金山 先ほども言いましたけど、 最近のアニメ見てて、すごく欲求不 満になってきたこと、それともうひ とつ、今までぬくぬくとやり過ぎた という反省がありまして。 もちろんアニメ に熱意がなくなっ たわけではないん です。僕は欲ばり だから、ここらで ひとつアニメと漫 画をガムシャラに やってみようとい うことなんです。 で、今まで寝室 で寝てたんですけ ど、最近は仕事部 屋に布団を敷いて、 目が覚めたらパッ と机に向かって漫 画を描く、という 雑誌か何かに連載するんですか? 金山 東京新聞です。一月三日か ら始まるんです。「スーパードッグ・ ゲン」というタイトルで、内容はバ ンパイヤもの。僕はアニメではロボ ットものが多いんですが、本当は動 物が大好きで、漫画は自分勝手にで きるから動物ものを描いたんです。 高千穂 若いころ漫画やっていた とはいえ、ブランクなんか感じませ んか。十何年ぶりだとなると・・・・・。 金山 漫画なんて、半年やってな かったら終わりですからね。十六年 も間があいちゃうと、新人と同じ。 昔の勘を取り戻すまでが大変なんで す。 連載の話にしても新人と同じで す。漫画家としては名前が売れてま せんから、オーディションを受けた んです。どうせ漫画で食っていこう とは思っていませんでしたから、チ ャレンジャー精神でぶつかってみた。 そうしたら受かったんです。今でも 信じられないんですが、オーディシ ョンの会場には現役のプロのかたば かりでした。 今、永田(竹丸)さんが連載して 高千穂 漫画とアニメの二足のわ らじを履いてみて、やはり、まった 別の世界だと思います? 金山 ええ、まったく違います。 たとえば若いアニメーター見てて、 すごく恵まれてると思うんですよね。 漫画だったら、百枚描いてもそれが 売れなかったら一銭にもならない。 ところがアニメなら、顔のこんな小 さなロセル百枚書いても、ちゃんと 給料がもらえるんです。こんな恵ま れた世界はないんじゃないかと思う んだけど、若い人って、給料が安い からすぐよそへ行っちゃう。 それともうひとつ。お金の話ばか りで申しわけないんですが、たとえ ば人気アニメーターで、百万円稼い でいる人がいるとする。で、もう一 方で二十万円しか稼げない人がいる としますね。アニメの世界だと、二 十万の人が百万の人に遠慮して何も 言わない。本当は言えないんですが、 漫画の世界は別ですね。年間三十万 しか稼げないヤツが、平気で三百万 の大家をこきおろすみたいな雰囲気 がありましたね。それが当然のよう クセで、あの手塚先生の悪口を平気 で人前でしゃべってた(笑い)。 また当時、虫プロはそんな漫画家の 集団みたいな雰囲気もあったんです。 だから僕みたいに漫画をやって、 途中で食うためにアニメに来た人間 にとっては、この独特な空気には馴 染めないところがある。アニメータ ーにもなりきれないし、漫画家にも なれないというジレンマは今でもあ ります。 高千穂 僕なんかが見ててもアニ メ特有の雰囲気は感じますね。でも、 それもだんだんと変わってきてはい ると思うんです。新しい時代の転換 期に、今さしかかっているんじゃな いでしょうか。 金山 それは言えます。本当に実 力のある人が、それなりに認められ てきている。僕はそういった若くて、 力のある人でも、不思議とわだかま りなくつきあえるんです。互いに、 認めあえるみたいな感じで。 それと、僕はアニメの公開講座み たいなのを名古屋でやってたんです けど、行くとものすごく生徒さんた はくらべものにならないぐらいマジ メなんですね。これには驚きました。 高千穂信じられない。私も名古 屋なんですが(笑い)。 金山 いや、本当です。やっぱり 東京だと、いつでもアニメーターに 会えるし、話も聞ける。でも地方だ と、そうしたチャンスはほとんどあ りませんからね。だから純粋だし、 真剣なんです。 地方出身の人は漫画 でもアニメでも違いますね。頑張り 屋が多い。もう見てていやになるぐ らい頑張るんです。その点、東京 っぽい。アニメ界 を見回してみても、 手塚先生にしろ、 竜の子プロの吉田 さんにしろ、みん な上京組。あれは やっぱり、上京す るとき、駅なんか で旗振られて、 う絶対、売れなき や故郷に帰れない みたいな気持ちに なるんじゃないで すかね(笑い)。 高千穂 僕は故 郷から逃げ出した。 ですから、そのへんは何とも言え ませんが、やはり上京するってこと は一種の悲壮感というか、決意はあ るんじゃないでしょうか。 本当の夢はアニメ トレー 界の健康管理人・・・ 高千穂 ところで、スポーツとい うか、ウェイトトレーニングがお好 きだと前に聞きましたが? 金山 ええ、僕はアニメーターの 中では珍しく体力ってのを重視して いるんです。本当かどうか知りませ んが、ピタゴラスがレスリングやっ てたって話がありますよね、あれと 同じで、昔から基礎体力だけは鍛え てました。 虫プロ時代でも、仕事のほうはあ まりしなかったんですが、マラソン は結構やりましたし、上半身の筋肉 を鍛えるために、江古田(がった^^) のボディビルセンターに二年間、 (当時、虫プロのスタ) もそのメダルは大切に持っています。 高千穂 銅メダルとはうらやまし い (笑い)。僕なんか、自宅で通信教 育のボディビルをしていたんですが、 メダルはもらってない。 金山 それとプロレスなんかも大 好きなんです。高千穂さんのプロレ ス狂いも有名ですが(笑い)。僕なん かそれ以上じゃないかと内心、自負 してるんです。 高校時代に、二百七十ページのプ ロレス漫画を描いたぐらいですから。 高千穂その話は、以前金山さん からお聞きしました。あの「タイガ ーマスク」のストーリーによく似て たとか、リキパレスのプロレス道場 まで取材に行ったとか。ま、プロレ スの話を始めちゃうと、いくら時間 があっても足りませんから、また別 の機会にということで(笑い)。 金山 僕は常々、思うんですけど、 絵を描いてる人って、体力が弱って くると、線にそれがもろに出てくる。 過労がたたって倒れる前の安彦さんの 絵って、あれぐらいの名人でも、色使 いなんか、どこか調子が悪かったです よね。だから、こういう商売は、ま ず健康でなきゃ絶対ダメだっていう 一種の信念があるんです。 高千穂 ただ、逆の意見もよく聞 くんです。藤子不二雄さんが健康な 生活を送りたくて、空手の極真会に 入門したんです。大山倍達)さん の手ほどきを受けて、メキメキとか らだの調子がよくなり、メシもうま くなったんですが、その代わりアイ ディアが全然、湧かなくなっちゃっ た。まあ、そのへんは人それぞれで 使いきっちゃうとアイディアが出な くなるってのは事実だと思います。 ただ、本当に強い人って、 スポ ツなんかしなくても、コーヒーと酒 と寝不足でも、ヤル気になったら、 ちゃんとできちゃう。それが本物だ と思うんです。だからこそ、僕は常 日ごろからからだを鍛えている。運 動神経は鈍いけど、体力だけはだれ にもひけをとらないと思ってます。 実を言いますと、ここだけの話で すけど、アニメも漫画もやめちゃっ て、スポーツジム建てて、トレーナ ーをしてみたいんです。アニメータ ーで優秀な人の健康管理の仕事、 レーニングメニューを考えてやる うな仕事をぜひしてみたい(笑い)。 高千穂 僕もまったく同じことを 考えてたんです。この前も知りあいの 漫画アシスタントにトレーニングメ ニューを考えてあげたんです。本当 T すごく効果的なプランだったようで、 もう一カ月で筋肉なんか見違えるよ うになっちゃった。トレーナーって のは、僕の夢でもあるわけです。 金山 ひとつ、あの安彦さんにも トレーニングメニューを考えてやっ てください。あの人、健康管理はあ まりしていないようだから(笑い)。 高千穂 いや、それは資格がない から無理です。それより、金山さん がトレーニングジム建てることにな ったら、ぜひ僕にも声かけてくださ い。すぐに仕事ほっぽって馳せ参じ ますから (笑い)。 金山 よくわかりました。考えて おきます(笑い)。 高千穂 今日は、どうも有意義な お話を聞かせてもらいまして、あ がとうございました。
Nobuo Oyama Feature
声優には美声の持ち主が多い。し
かし、そうでない人もいる。その代表
ともいえるのが、大山のぶ代である。
美男美女ばかりがゾロゾロ登場し
てきたのでは、ドラマはつくれない。
アニメだって同じこと。さまざまな
キャラクターが、さまざまな声を発
して登場してこそ面白いのである。
ドラえもんのあのキャラが、もし、
鈴をコロがすような美声で演じられ
ていたとしたらどうだろう。あれほ
どの人気は出なかったに違いない。
ドラえもんの声が、あのなんとも愛
敬のあるハスキーな声であったから
こそ、見る人々にイキイキと迫り、心
をとらえることができたのであろう。
大山のぶ代は生まれながらにして
ドラ声であった。幼稚園の入園式の
時、「オオヤマノブヨさーん」と呼ば
れて、「ハ~イ!」と返事をしたら、
並みいるお母さんたちが一斉に立ち
上がり、彼女に視線を注ぎ、「やっぱ
女の子なんだワ…………」と思わず驚
きの叫びをあげたというほどの、ア
ッパレなドラ声であったという。
ドラ声のぶ代ちゃんはそんなこと
には全く無頓着、小学校に入ってか
らもドラ声をはり上げ、校庭いっぱい
に駆け回っていた。 二年生に上がっ
た時、太平洋戦争も日本の敗色が濃
くなり、都会の児童たちは山村地帯
に疎開させられることになった。 彼
女も福島の山深い農村に疎開するこ
とになり、生まれ故郷東京を離れた。
農村といえども疎開者に与えられ
る食料はわずか。毎日毎日が空腹を
かかえての生活であった。特に甘い
物にはこと欠いた。 お菓子屋さんの
店頭ににぎやかに並ぶアンパンも、
キャラメルも、チョコレートも、都
会ですら手にすることはおろか、そ
の姿さえ見ることができなくなって
いた時代、のぶ代ちゃんは毎日、ど
んなにか甘い物に憧れたことか。
山村で見る夜空はきれいであった。
見上げれば雲一つない夜空に、無数
の星がまたたいていた。一つ、二つ
と流れ星……………。 流れ星を見たら、そ
の光の消えぬうちに、三つの願いを
三回唱えるとかなえられるという。
彼女は必死に叫んだ。「アンパン、キ
ャラメル、チョコレート。アンパン、
キャラメル」。いくらやっても、
二回半くらいのところで、その光は
消えた。悲しかった。
だが、アンパンもキャラメルもチ
ョコレートも、とうとう手にするこ
とはできなかったが、お星様は彼女
に早口を与えてくれた。
ドラ声で早口ののぶ代ちゃんは、
中学校に入ったころ、自分の声が周
囲の友達とあまりにも違うことに気
づき、愕然とした。思春期になり、
周囲のもろもろが気にかかり始めた
からであろうか......。
女の子らしくないひどい声・・・・・・、
彼女はコンプレックスに陥り、口を
貝のように閉じてしまい、突然、自閉
症になったのかとみんなを驚かせた。
しかし、そんな彼女を見て、事も
げに明るく言
ってくれた母
の一言が、彼
女を立ち直ら
せてくれた。
「声なんか気
にしないで、
どんどん使っ
てごらんなさ
い。そのうち、
きっといい声
になってくる
から。使わな
きゃ退化しち
ゃうのよ。モ
グラを見てごらんなさい。真っ暗な
地面の中ばっかり歩いているもんだ
から、目が見えなくなっちゃったじ
ゃないの」。この母の言葉がなかった
ら、今日の大山のぶ代は存在し得な
かったろう。
元気に立ち直った彼女は、演劇部、
放送研究部に籍を置き、思う存分に
声をはり上げ、胸を張って堂々と中
学、高校時代を過ごした。 友達相手
によくおしゃべりもした。いくらガ
ンバってみても、ドラ声は美声には
ならなかったが、彼女の性格はみる
みるうちに明るさを増し、陽気に朗
らかにゲラゲラ笑う、だれからも好
かれるのぶ代ちゃんとな
っていった。お母さんの
おかげである。
そのやさしいお母さん
が、彼女が高校二年生の
時、病を得て、わずかそ
数カ月の後、彼女をおい
てこの世を去った。ガン
に侵されていたのである。
まだ四十二歳の若さであ
った。
高校生の彼女にとって、
それはあまりにも大きな
衝撃であった。
「ガンは遺伝しますか?」
と、涙を押さえつつ聞いた彼女の問
いに、主治医は戸惑いながらもこう答
えてくれた。「ガンそのものが遺伝す
るということはありません。しかし、
ガンにかかりやすい体質は遺伝する
ということは考えられますね…………」
この言葉を聞いた時、彼女はこれ
からの自分の生きる道を考えた。こ
の悲しみを自分の子には味わわせた
くない。私は一生、結婚すまい。私
は一人で生きていこう。自立できる
人間になろうと。
さて、自立してやっていける職業
は何か。十六歳の少女は、全知全能を
ふりしぼって考えてみた。「私は頭が
いいほうじゃないから医者はムリ、
弁護士もムリ······、そうだ! 女優
になろう。女優なら一生続けられる仕
事だし、今すぐにでもその世界に飛
び込むことができる・・・・・」。しかし、そ
こでハタと行きづまった。「映画女優
になるには、ニューフェイスの試験
を受けなくてはならない。あいにく
と私は美人というほどではないし、
ラジオに出るには声がよくなくては
ダメだし、やっぱし、女優には......」
だが、人に連れられて行った新劇
の舞台を見て、いっぺんに今までの
心配が吹っ飛んだ。舞台の上では、
さほど美人というほどでもない女優
さんが大活躍をしていたのだ。
よし、これだ!というわけで、
高校三年の春、折よく募集していた
"俳優座"の付属養成所を受験した。
面接で、高校を卒業してからと言わ
れたが、彼女はねばりにねばって、
学業と演劇を両立させることを条件
に合格させてもらった。
養成所六期生としての生活が始ま
る。しかし、体は二つなし、朝は学校、
昼は養成所では、とても両立などで
きるものではなかった。どうしても
高校のほうは休みがち、とうとう翌
年春には卒業あずかりの身となって
しまった。 学友たちが卒業した後も
補習を受け、やっとその年の秋に卒
業した。
晴れて養成所活動一本に打ち込め
るという時、 ないしょにしていた女
優修業が父親にバレ、家にいられず、
下宿で一人暮らしをするハメになっ
てしまった。
部屋代は安かったが、ものすごい
家であった。雨が降れば部屋中雨も
で、押し入れの中で寝なければな
らなく、風が吹けばユサユサ揺れて
船酔い?した。
一人で生活しなければならないと
なると、生活費を生みださなければ
ならない。そこで、お金になることな
らと、アルバイトならなんでもやっ
た。養成所で「アルバイトをやりた
い人・・・・・・」と募られると、いつも真
っ先に「ハイ、ハイ、ハイ」と手を
上げるのが彼女だった。それが自分
にできるかどうかわからなくても、
とにかく真っ先に手を上げた。公演
のポスターを胸と背にぶらさげて、繁
華街をウロウロ歩くサンドイッチマ
ンなどはざら。先輩女優の和服の着
付け係の募集の時は、ついついお金
ほしさに引き受けてしまってから途
方に暮れた。和服なんか、自分のだ
って着られやしないのに、舞台に立
つ先輩のを着せられるわけがない。
彼女は叔母さんの所に駆けつけ、や
っつけの即席着付け教授を受け、な
んとかやってのけ、先輩を喜ばせた。
養成所二年目の時、幸運にもNH
Kのテレビドラマ「このひとみ」に
レギュラー出演することができた。
この時、これまたテレビ初出演の富
士真奈美と知り合った。仕事の帰り
に彼女の下宿に立ち寄った真奈美は
居心地が良かったのか、そのまま居
候。 のぶ代と真奈美の奇妙な同棲?
生活が始まった。それが喧嘩もせず
に四年半も続いたというのだから、
よほどウマが合ったのに違いない。
もっとも、二人にとって極貧時代。
二人が寄り合い、助け合い、はげま
し合ったからこそ、その苦境時代を
乗り切れたのかもしれない。大晦日
に、借金取りの訪ねてくる声に恐れ
ながら、雨戸を閉め切り、二人で息
をひそめて元旦を迎えた思い出も、
今となっては懐かしい。
昭和三十三年、養成所卒業。同時に
TBSの外国テレビドラマ「奥さま
は多忙」に声優としてレギュラー出
演、「名犬ラッシー」でも、ポーキー少
年の声で活躍した。そして、NHKの
人形劇「ブーフーウー」のブー役と、
想像もしていなかった声の仕事が次
次と入ってきた。どれも男の子の役
ばかりであり、それは生来のドラ声
のおかげだったといえよう。
四十一年の「ハリスの旋風」では、
彼女の演ずる国松君のユニークな腕
白少年ぶりが大いに話題となり、四
十六年にも続編が作られるほどの大
ヒットとなった。
彼女の演ずる少年は活力に満ち、
好奇心の固まりのようであった。そ
れは取りも直さず、大山のぶ代自身
のパーソナリティーであるともいえよう。幼少のころのハングリーな生活体 験からであろうか、彼女は食べるこ とにも、生きることにも、いや、生活 のすべてに対してガムシャラな執着 心を持つようになっていた。 それが創造する心をはぐくんだの だろうか、テレビ番組でもユニーク なアイディアに満ちた珍名珍料理を 披露、昨年の春にはそれを集めた本 も出して、その豊かな創造性をのぞ かせてくれた。 大山のぶ代は悪声ともいわれるド ラ声を、その持てる豊かな創造性に よりうまく料理して、チャーミング なキャラクターをつくり上げた。 彼女はその創造性を生かして、女 優、声優、そして、料理の上でも成功 させていったのではなかろうか。
また、彼女はとても子供好きであ る。昭和三十九年二月に俳優の砂川 啓介と結婚した時も、披露宴は二人 で相談して、〝お子様連れでどうぞ" という形式にし、引き出物をおもち ゃにしたほどだ。今、二人に子供は いないが、ファンの子供たちにかこ まれ、幸せな生活を送っている。 (文中敬称略)
Information Party
「エロイカより愛をこめて」レコーディング完了!!怪盗エロイカとそれを追う軍人少 佐の不思議な関係、男と男の友情 ジョークのきいたセリフと華麗な音 楽を実にうまく織り込んだレコード が、この「エロイカより愛をこめて」 なのだ(日本コロムビアより発売 予定)。ドラマ部分の豪華な男性声優 陣の話題(次ページ参照)もさるこ とながら、前田憲男、大野雄二両氏 による音楽、水木一郎のヴォーカル などでも冴をみせるアルバム。早速 スタッフにインタビューしてみた!!
ヴォーカルは水木一郎氏!!
「ヴォーカルとして、レコーディングの時に注 意したことは、 当然、 原作のイメージを壊さな いことが大前提ですが、 主人公のだれかれが歌 っているという感じじゃなくて、自分自身を歌 ってみようという点なんです。 原作は男と男の 友情がメインの作品ですし、 ボク自身、 一人の 男として歌うことによって、 原作の持っている 淡いホモセクシャルや、たぶん、女性がうらや ましくなるような男と男の友情が歌い込めるの では そう思って頑張ってみました」
ディレクターは、アニメレコードでおなじみの小暮一雄氏!!
「このLPは『007』的なスパイ アクションがベースになっているイ ンテリアサウンド集として、気軽に 聴けるだけではなく、レコードのド ラマ化を目指しました。 当然のこと ながら、コミックのイメージも根強 い作品『エロイカ』 が、 音楽とドッ キングされた時、誌面以上に行動的 な躍動感を持つと思うんです。そう いう意味で、 『エロイカ』 本来が持つ 世界、魅力の幅を広げられる音楽作 りを目指したんです。 幸いにも、音 楽、声優、 ヴォーカリストと、3拍 子そろってベストナンバーにめぐま れましたので、ボクとしてはとても 満足のいくLPに仕上がりました」
「エロイカ」のラブソングは、あのスーパースター、大野雄二氏の手で!!
「まず、 キャラクターを一人ひとりしっかり理解しようと思 って、原作をひと通り読みました。 今回書いた3曲のうち、 『背 中にグッドラック』 が、 最初にできあがったんです。 詞の ほうが先にあがっ てきたし、ボクの 持っていたイメー ジに近かったせい でしょうね。 あと の2曲については、 『ルパン』で水木さ んと一緒に仕事を したこともあり、 彼の音域に合うこ とを意識しました。 いろいろ冒険でき て楽しかったです」
前田憲男氏が華麗なメロディーラインで語る "エロイカ愛の世界” !!
「今回の仕事で苦労した点 といえば、 ボクがイメージ して書いた曲とファンがイ メージしている『エロイカ』 というもの、この二つがど れだけ近づけるか、という 点ですね。どうしても、『エ ロイカ』のイメージはコミ ックのほうが先行しますか らね。 二つのイメージが、 ピ ッタリ重なってくれるよう なことがあれば、もちろん、 ボクとしてはベストの結果 なんです。 その辺が心配で あり、 また楽しみですね」
「エロイカより愛をこめて」 キャストは!?
人気コミックと同タイトルのL Pレコードドラマ部分のキャスト を見てみよう! まず、主人公の エロイカにはあの野沢那智さん、 少佐に中田浩二さん、ジェイムズ に古川登志夫さん、Zに森功至さ ん、ミーシャに森山周一郎さん、 ナレーターに小川哲也さんといっ た顔ぶれだ。以上のキャストの面 が一丸となって、男のドラマを 作り出していく。その中には男性 しか出せない色気もあったりして ......。2月の発売が待ちどおしい。
「タオタオ」に注目!! 初の日中合作アニメ!!
「寅さんシリーズ」で知られる山田洋次氏の 原案監修で、かねてから話題になっていた初 の日中合作長編アニメ「シュンマオ物語 タオ タオ」がついに完成、12月14日、東京・築地の 東劇で特別招待試写会が開催された。当日、 会場には大人から子供まで詰めかけ、ほぼ満 員の盛況だった。なお、この「タオタオ」は12 月下旬より松竹系で公開されている。
勝平の声でおなじみの真弓ちゃんも熱演してた「地下は天国」
喜劇の小劇場として 定評のあるテアトル・ エコーが、'81年のしめ くくりとして「地下は 天国」(第63回公演)を 12月13日まで上演した。 熊倉一雄、沖恂一郎と いったベテラン陣にま じり、われらが勝平の 田中真弓ちゃんも大熱 演。これからも期待し てますヨ、真弓ちゃん!!
ウッソオー!! あのペンギン村が銀座4丁目に引っ越した!!
だれもかれもが驚い た。アラレちゃんをは じめとするペンギン村 のメンバー全員が、銀座 のソニー・スクエアに 出現したのだから。実は、 これは年末の共同募金 キャンペーンなのだ。 コインを鈴に当てると 全員が顔を出して「ア リガトウ!!!」。さて、キ ミはいくら献金した?
スーパー・ギャグ・マンガの「パタリロ!」がLPに!!
ギャグの面白さで人 気上昇中の「パタリロ !」がLPになった(キ ングレコード2月5日 発売予定)。 レコーディ ングは初体験という原 作者、魔夜峰央氏も参 加しているという話題 のレコードなのだ!!
ラジカセとヘッドフォン持ってコンサートへ行った!!
12月8日、ニッポン放送の新しい公開スタ ジオの完成記念イベント「ヘッドフォンコン サート」が開かれた。この「ヘッドフォンコ ンサート」は、従来のコンサート形式とは違 って、音楽をFM電波にのせて発射、観客の ラジカセで受信、各人がつけたヘッドフォン から音が出るというもの。だから、ヘッドフ ォン以外から音楽は聴けないから、会場は無 音状態になるのだ。当日はヤングアイドル歌 手によるコンサートのほかに、潘恵子さんや 戸田恵子さんらによる「1000年女王・ラ ジメーションドラマ」も行われ、会場のアニ メファンも熱心に聴き入っていた。
March
My Anime Life: Tetsuo Katayama
映画狂いが嵩じて報知新聞〝日活番"シナリオライタ志望 「小さいころ から小説を読んだり、 モノを書いたりする ことが性に合うとい うか、わりと好きだ ったですね。学校の勉 強は大嫌いでしたけど、 本はよく読みました。 それから映画ですね。高校から大 学にかけて、実によく観てました。 おふくろには今でも内緒ですけど、 大学に入る前に一年間、浪人しまし てね。その間、勉強はそっちのけで 毎日、映画館がよい。当時は週ごと にプログラムが変わるんですが、そ れでもたぶん日本で公開された映画 はぜんぶ観たはずです。 それで将来の夢というか、具体的 な職業として頭に描いていたのがシ ナリオライターなんです。 実際、大 学のころはプロの映画監督のところ ヘシナリオ修業のコ ツを聞きにいったり、 習作を見てもらった こともありました」
■報知新聞 「でも 大学を出るころにな って、自分には創作 能力がないんじゃな いかという気がしま してね。脚本はあき らめたんです。で、も ともとモノを書くのは好 きだったから新聞社を受けま した。それもスポーツが売りものの 報知新聞社。受験者の大半は運動部 志望なんですが、ぼくは文化部、特 にテレビ関係を志望しました。 スポ ーツ新聞では文化部はどちらかとい うと日陰もの。しかも本放送が始まっ て、まだ七、八年しかたっていない テレビをやりたいっていうんで、面 接のときにいろいろ聞かれたことを 覚えています。まあ、理由は単純な んですね。 映画なら、いくら観てて も、ぼくよりはるかに詳しいベテラ ン記者ばかりでしょ。その点、テレ ビなら放送の始まった高校二年のこ ろからぼくも見ている。だから新聞 社に入っても、すぐにベテランにな れるんじないかって。 まっ、目のつけどころがよかった のか、うまく入社できました。 なに 学生時代は、映画、映画でまとも に勉強しませんでしたから」
■日活番「最初の一年間は、そう いうわけでNHKの記者クラブ詰め。 それから映画担当に移りました。当 時、日本には映画会社が五社ありま して、映画記者もひとり一社ずつ受け 持つわけです。洋画のほうは、いま映 画評論家として活躍しておられる深 沢哲也さんがカバーしていました。 ぼくは日活の担当。 いまじゃ映画俳 優っていっても、それほどパッとし ませんが、あのころは国民的なスタ ーでしたからね。われわれ映画記者 も芸能レポーターみたいに役者さん に密着取材したりしたんです。石原 裕次郎とか小林旭とか......。 そうそう、"マイトガイ" 小林旭が 美空ひばりと離婚して、当時話題に なったでしょ。あれはぼくが抜いた (スクープした) んです。たしか会 社から金一封をい ただいたのを覚え ています」
一配置転換「ま つ、もともと映画 が好きだったし、 これが仕事にもな だから楽 たですね。 三本続けて観 たり、特別何もな い日には映画会社の試写室を回って 歩いたり……………。 しかし、そう現実は甘くない。東 京オリンピックを前にして、スポー ツ面を強化しようという社の方針で、 ぼくも運動部へまわされたんです。 学生のころ、バスケットをやってい たからスポーツは嫌いじゃなかった んですが、それはぼくの本意じゃな い。 ふつうなら文化部から運動部へ 移るのは栄転なんでしょうけど、ぼ くはいやだったですね」
高校教師から再度、映画にカムバック
まわり道 「それ でオリンピックの前 にスッパリやめま た。 義父が福島市内 で学校高校とか 短大、専門学校です けど―を経営してお りまして、その企画開発 の仕事を手伝うということで。 学校の企画開発というと、ちょっ と耳慣れない言葉でしょうけど、要 するに短大に特色のある学科を増や すとか、高校に調理師免許や準看護 婦の受験資格などがもらえる学科を 新設することなんです。私立の学校 経営ってのは、そういうふうに特色 を出していかないと、なかなか生徒 さんが集まらないんですね。 ただ一年中、そればかりをやって いるわけにもいきませんので、週に 五時間ぐらい商業科で経営を教えた り、秘書実務という講座で社会常識、 電話の応答のしかたとか、文書の作 りかたみたいな を教えていたんです」
若者を知る 「そ れからバスケット部 のコーチもしました。 家が学校の隣だった から、部員を呼んで はうちで合宿したり して......。クラブの合 宿って、生徒と教師 でも、わりとフランク につき合えるでしょ。そ れで彼らと寝食をともにする うち、ぼくもいろんなことを吸収し ました。それまでまったく関心のな かった漫画やアニメのことなど、若 い人の興味の中心を知ったんです。 いま振りかえってみると、このと きの十五、六から十七、八歳ぐらい のヤングと接して得た知識が、現在 の仕事に唯一プラスになっているん じゃないかという気がしますね」
■東京ムービー「学校の仕事とい うのは生徒を募集する三月までは忙 しいんですけど、それ以後はヒマと いうか、単純な生活なんですね。新 聞社の生活に慣れた身には耐えられ なくなる。そんなとき、たまたま記 者時代の古い友だちで、ぼくが報知 に入ったとき、ライバル紙のスポニ チに入社した川野泰彦君が訪ねてき ましてね。彼はいま、三協映画のプ ロデューサーなんですけど、そんな にヒマなら、ひとつ映像の仕事をし てみないかって、いまのウチの社長、 東京ムービーの藤岡豊に引き合わせ てくれたんです。映像の仕事といっ ても、コマーシャルフィルムを制作 することだったんですが、やはり映 画が好きだったんですね、こりや、 おもしろそうだっていうんで、東京 ムービーにお世話になりました」
■家なき子 「ウチは今も昔もアニ メーションの会社ですから、コマー シャルフィルムはメインじゃないん ですけど、たまたま立体アニメの、 『家なき子』をやっていましてね。 本邦初の本格的立体アニメ番組だか ら、コマーシャルも立体でいこうと いうことで、やったんです。これが アニメとの初の出会いなんですよ。 それまでアニメはおろか、映画の製 作は未経験だったんですが、いざ仕 事が始まると、これがおもしろくて ね。気がついたら、いつの間にか全 身、どっぷりとアニメ色に染ってい たというわけなんです(笑い)」
■中途半端 「ですから、ぼくには これといった専門がないんです。ぜ んぶ中途半端。映画もテレビも学校 も中途半端。いま一応、アニメのプ ロデューサーをしてますが、これも 途中からひょんなことで始めたわけ で、専門とはいいがたい。 ただ、大学では経営を専攻してい ましたし、学校の経営にも携わって いましたから、いわゆる管理、経営 は得意なんです。 ひとつだけ専門を いえといわれれば、それだけですね。 それから、いろんな世界におりま したから、平衡感覚”は知らず知ら ずのうちに身についたと思っていま す。専門家でもないぼくが、アニメ の世界でもなんとかやってこれたの は、この平衡感覚だったと思います」
先行投資が実った「カリオストロの城」
「アニメプロデュース 「いちばん最初 にプロデュースした 作品は『ルパン三世』 の劇場版。これのア シスタントプロデュ ーサーをやりました 結構おとな向きの斬新な アニメだったんで、作品の評 判もよかったし、興行収入も十億近 くいきました」
ファミリーアニメ 「そのときに 得た結論なんですが、アニメだって 企画を選べばおとなの鑑賞にも十分 耐えられるはずだと思いましたね。 この世界に飛びこんだころは、実 写ものにくらべてアニメは一段、低 く見られていた。アニメイコール漫 画、すなわち子どもという図式がで きあがっていました。ぼくは『ルパ ン三世』を手がけながら、そういう ものを壊していきたいと考えたんで す。もちろん子ども向けのアニメが あっていいんですが、子どもだけじ ゃなくて、おとなが見ても楽しめる 作品ですね、ファミリー向けアニメ といってもいいんでしょうが、そう 間口の広いもの をつくっていきたい と思ったんです。 こ の気持ちはいまでも 変わりません」
■銀座四丁目 「社 長の藤岡がよくいう んですけど、アニメ のマーケットは世界 中だと狭い日本の 中でこだわっていたら、 いつまでたっても世界一 にはなれないって。この考え かたにぼくも共鳴するんですよ。 は っきりいって、いま日本でつくられ 実写映画では世界を制覇すること はまず不可能です。しかしアニメに はその可能性が十分にある。 なぜな 世界中、見回してみても、技術面 ではいまや日本がトップですからね。 だからぼくらアニメに関係している 人たちは、もっと自信を持ってもい いんじゃないかと思うんです。 たと えは悪いですけど、かつて路地裏で こそこそ商売していたアニメが、や っと最近、街の表通りに店を張らせ てもらえるようになった。このまま いけば、銀座六丁目の角ぐらいはい けるでしょう。ぼくはそれをもう一 歩、銀座四丁目の目抜き通りにまで もていきたい。そのためにも自信 は持たなければな らないし、世界を 相手にするぐらい の企画を立てねば 勝負にならない。 いつまでも人気漫 画の焼き直しや、 どこかの下請け仕 事ばかりやってい ては絶対にダメな んです」
■若手に期待 「だからこそ、若い人にどんどん伸 びてもらわなければならない。ウチ のような中小企業で、分不相応だと いわれるんですが、養成所を別個に もうけ、かなり計画的に訓練してい るのも、その一環なんです。つまり は先行投資ですね。 この養成所─テレコムは、今年 の三月で四年目になるんですが、は っきりと成果があらわれているんで す。たとえば『ルパン三世 カリオ ストロの城』です。毎日映画コンク ール、アニメ部門賞の大藤賞をいた だいたんですが、これも養成所で育 った若手が大塚康生、宮崎駿という 大ベテランのもとで大いに力を発揮 してつくりあげたものなんです。 こ の前アメリカのアニメ専門家に見せ たら、舌を巻くというか、もうびっ くりしておりました。 いくぶん手前 味噌になりますけど、こういう若手 がどんどん伸びてきたことは、われ われの誇りでもありますね。そして 彼らが現場の最前線に出てくる十年 後が楽しみなんです」
仕事を任せた以上、信頼するのが流儀
■じゃりン子チエ① 「おとなも子どもも 楽しめる作品という ことで、ここ数年、 続けてきたわけです。 『ルパン三世』『がん ばれ!!!タブチくん』『じ やりン子チエ』『マンザイ 太閤記』といった一連の作品 が、それですね。 かでも『じゃりン子 チェ』はプロデュー スした本人がいうの もおかしいですが、 すごくおもしろいと 思うんですよ。 子どもが観ても子 どもの見かたで楽し いし、おとなが観た っておもしろい。大岡 昇平さんが「文学界」っ て雑誌に書いておられました stopped here が、孫の持ってたのを取り上げて読 んでみたら、すごくおもしろかった、 日記風に一気に読み終えてしまった というんですね。井上ひさしさんも 朝日新聞の文芸時評で絶讃されてる わけです。ぼくも最初にあれを読ん でて、こんな漫画があるのかって、 すごく興奮しましたね。これこそ、 ぼくの考えてるアニメにピッタリだと 思いました。スタッフも、みな同じ ように乗り気だったので、これはま すますイケルなと自信を持ったんで す」 それぞれおもしろさのポイント が違うんです。 テレビ局のほうでも 全部で十 二局ぐらいが原作を買いにいったそ うですが -着眼点がバラバラなん です。結局、映画もテレビもウチでり 製作することになったんですが、 んなに見かたが違う、つまりはおも しろさにバラエティーがある作品は 初めてでしたね。だから楽しめた。 ただ、台本をつくる段階ではバラ バラじゃストーリーになりませんか ら、どうしても一本の線にまとめて いかなけりゃならない。これはプロ デューサーの役割ですから、作業そ のものは苦労させられました」 ■プロデューサー論「この作品を つくりたいと決めたら、自分の全精 力を傾け、資金がなければどこから 調達してきても百パーセント自分 の思うかたちに仕上げるっていうの が本当のプロデューサーなんでしょ じゃりン子チエ ( ト フアニメーターの をして、あとは若いアシスタン トプロデューサーにすべてまかせて しまう。ぼくの役割は、そこで終わ るんです。無責任というか、作品に 愛着がないっていわれれば、 そうか もしれませんが、他人にまかせた以 上は、それはその人を信頼する以外 にない。悪い結果が出たとしても、 選ぶ目を間違えたんだから、自分で 責任をとればいい。 ぼくはそういう意味では、制作に 全然、口を出さないんです。まあ、 プロデューサーですから、金の流れ はチェックしますけど、予算の範囲 内であれば、何もいいません。だ て横でゴチャゴチャいわれたら、 れに打ち込んで、夜も寝ずにやって いる人に悪いでしょ。まかせた以上 は、まかせっきりがぼくの流儀です」 ■裏方志望 「ただ、ぼく個人とし ては本物のプロデューサーになりた いとは思いません。なぜなら、この (笑い)。なりたくないんじゃなくい なれないんですね、実際は。 こうやって見渡すと、いいプロデ ューサーって、いっぱいいると思う。 ウチの三十代のアシスタント連中で も優秀なのがそろっているんです。 そういう人たちと組んで、彼らが自 も才能がない人間がやるよりも、早 才能のある人たちにバトンタッチ したほうが世の中のためになるでし よ (笑い)。 だから、こういうインタビューに 登場するのも、どちらかといえば本 意じゃないんです(笑い)」 アニメといえども、 商慣習は絶対守る 怒鳴る 「口を出 さないから、現場の 人は幸せだと思われ るでしょ。ところが、 どうして、どうして。 現場じゃ煙たがられ ているんですよ。それ はよく怒鳴るから。内容 がどうのこうのじゃなくて、 締め切りのことで怒鳴るんです。 仕事 アニメだって立派な“商品”です ます も、 el 「題だと」 からね。約束した期 日までに納品するの はあたりまえ。 この 商取引の慣行を破っ たら、大袈裟にいえ ばアニメの将来はな いんです。だから作 品の質よりも、スケ ジュールにあわせる ことのほうが絶対命 辛い 「ぼくだって現 場を見ていて、こんな過酷な 仕事は他にないんじゃないかと思い ますよ、ええ。三週間も家に帰れな くて、ヒゲぼうぼうになってもまだ やらなきゃならないんですからね。 でも、やはりスケジュールの遅れは 遅れとして、怒鳴らざるをえない。 プロデューサーをやっていて、ほん とに辛いのはこんなときですね。 まっ、口には出さないけど、いま無 理してもらった分は、必ず将来なん とかして返そうと。つまり、そうい 現場のスタッフがまともに働ける 環境づくりをしていくことが、ぼ らの役目だと思うんですよ」 合作に賭ける 「そのひとつの回 答になるんじゃな いかと期待してい るのが国際的な合 作アニメですね。 いま、ウチで三本 の合作シリーズが 進行しているんで すが、これは将来 的にも有望です。 日本から資金の半 分を出し、外国か ら残り半分を持っ てくる。そして製 無趣味がまねいた 24時間仕事中毒症 ■バスで漫画を読み たい 「休みの日は 漫画の読みだめをし ています。 『ジャンプ』 とか『マガジン』『マ ーガレット』なんか を一週間分、まとめて、 寝ころがって読むわ けです。でも、ほんと のことをいえば、漫 画雑誌は往復の通勤 時間に読んでみたい。 バスの中で『マーガ レット」 なんか読め たらって、つくづく 思うんですよ。とこ ろがごらんの通り、 髪も真白ですし、漫画 ない。誰が見ても、あの人、 ちょっとお んじゃな いかと疑われるのがオチで す。まさか、これは私の商 売ですって札をぶらさげて と おくわけにもいきませんか らね(笑い)。 休日ぐらい仕事から離れ て、もっと別の本を読むと か、趣味に打ち込めたらい いんですけど、ダメですね。 漫画にしても仕事だから読 むので、あまり気分転換に はなりません。それに最近、年のせ いか視力が衰えてきて、ピントが合 わないんです。これはなんとも悲し いですね」 ■仕事中毒 「あと、家にいてする ことといえば、テレビをぼんや 眺めるぐらいかなあ。バスケットも からだが動かないからダメ。お酒も 医者に止められているからダメ。ま あ、たまに馬券を買ってストレスの 解消をするぐらい......。 ゴルフはします。この業界ではヘ タで有名なんですよ。ただ、好きでや るんじゃなくて、熟睡するため。 ぼ くらの職業は二十四時間、何か考え ごとをしてますでしょ。だから自分 じゃ熟睡しているつもりでも、ほ とはあまり眠ってい (S55年) まことちゃん かずお ▼まことちゃん 疲れたか らって、早めに床に入っても、夜中 の一時ごろには目が醒めちゃ して仕事のことをアレコレ考えてし まい、ますます疲れるんですね。そ の点、ゴルフしたあとは、もうぐつ すり眠れる。これがたまらなく嬉し いんです」 絶対、ウソはつかない。それから自 分でできることは何でもしようと思 ってます。たとえば、どんな些細な 打ち合わせでも、時間が許すかぎり 自分で足を運びます。モノを創る能 力がないから、とにかくマジメにや るしかないってことですね」 アニメファンに 「じゃりン子チ エはヤクザの映画だっていった人が いましたけど、ぼくはそういう一 だけを見たとらえかたは恐いと思う。 たしかに『じゃりン子チエ」にはヤ クザが出てきますし、『ルパン三世』 だって、ドロボウの映画なんですね。 しかし、ぼくはどこが悪いんだ" っていいたい。おとなも子どもも、 いっしょになって楽しめ、それでい で心に何か考えさせるものが残ると いうアニメだと思うんですよ アニメファンの方にお願いしたい。 のは、そういうまわりの雑音を気に せず、自分たちが見てほんとにおも かずお までも大切にして ほしいということ です。今の若いみ なさんも、やがて はおとなになり、 子どもを持つ親に なるわけですね。 そういうときに、 アニメをひとつの ワクにはめて見な いでほしい。ぼく らもできるかぎり 作品の質を高めて いくつもりですけ ど、それには限度が ある。やはりアニ メを支え、方向づけをするのはファ ンの側なんです。 素直に悪いものは 悪いといってほしい。無責任ないい かたですが、アニメがこれからも伸 びつづけるかどうかは、ファンのみ なさんにかかっているんです」 ■夢 「そうですね。さっきもいい ましたけど、なるべく早くプロデュ ーサーから足を洗って、裏方にまわ りたい。ぼくは何をやるんでも、そ Lの仕事を覚えるまでが好きなんです。 アニメはどうやってできるんだろう って、一所懸命その仕組みを覚えて たころのほうが楽しかっ いまは別の仕事、特にこれだという 希望はないんですけど、新しい未知 の分野の仕事がしたいなあ。 ただ、いずれにせよ、仕事をせず にボンヤリと暮らしたいとは思わな い。根っからの仕事中毒というか、 損な性分なんですね。 これから先も、 何か仕事をし続けることになるんで
April
We're Anime People: Mayumi Tanaka & Mizuho Tsushima
小学生のころから、もう学芸会のスー
パースターでした。自分
でも天職だと信じこ
んでいたので、
将来俳優
になる
ことに
決めて
あかね
いました。ただ、体が小さいことから、
いつも子供かおばあさんの役しか回っ
てきませんでしたね。中学、高校時代
もずっと通して演劇部ばっかり。この
ころになると、目標もより具体的にな
って、舞台俳優になりたいと思ってい
ました。好きな女優さんは当時から今
も通して、中村メイコさん、木の実ナ
ナさんですね。
アニメ作品は子供のころ、「鉄腕アト
ム」「狼少年ケン」「鉄人28号」などを見
た記憶がありま
す。仕事での出
会いは、「激走ル
ーベンカイザ
―」での高木
良子役が初めてです。この役は
主人公の俊介の恋人で、18歳の
少女なのですが、私にすればた
った1本の年相応の女の子の役
なんです。「森の陽気な小人たち」
のリルビット役、そして、勝平
役と続きました。私はネが暗い
タイプなので、芝居をやるとな
るとウンと飛んじゃわないと演
じられないんです。だから、勝
平はほんとに体当たり演技で、
思いっきりハチャメチャにやっ
てるんですよ!!子供のころからマンガ狂!です。ア ニメもマニアといえます!!!! 「ジャング ル大帝」「新造人間キャシャーン」「忍風 カムイ外伝」を見て育ちました。その 中でも、カムイに関しては恋をしまし た!! カムイ大好き!!!高校時代に入 っていたマン研で、会誌を作ったり、 イラストを描いたりしてたんですけど、 今でも暇を見つけてはイラストを描い たりします。 少女マンガ風かな!?!?こ の3月に日本大学芸術学部映画科を卒 業。映画女優を目指しています。好き な女優さんは小川真由美さん、市原悦 子さん、岸田今日子さんです。4月か らは某ラジオのD Jもやるんですよ、毎 日10分間の番組なんだけど。 アニメの声優もこのあかねちゃん役が 初めてのレギュラーだし、いろいろな ことに次々とアタックできてとても楽 しんでいます。このあかねちゃん役の お話を聞いた時は、『少年サンデー』で ずっと読んでいたので、今までは読者 の立場にいたのが、急に自分とかかわ りを持ってきて、うれしいような、困 ったような複雑な気持ちが交錯しまし たね。それで、また原作に目を通した り、ファンの人たちの持っているイメ ージを壊しちゃまずいかな………なんて いろいろ考えたんですけど、もう地で いってもいいんじゃないか、と割り切 って、そのままの私にややブリッコを プラスする感じでやっ ています。だいぶ番組も回を重 ねて、リラックスして演じられ るようになったけど、これから もいろんなことを体験してうま くなりたいな!!
May
We're Anime People: Reiko Kitou
姉と二人で声を出してマンガを読みあった子供のころ・・・・・・。小学校のころだったと思うんです けど、テレビで「マリリン・モンロー の声優オーディション」をやってい て、見ていたのですけれど、何かみん なあまりうまくないように感じたん ですよね。そのころからか、私も声優 になりたいなって思ってましたから、 いつか、そういうオーディションを受 けたいなと思ってました。私は姉と二 人姉妹なんですけれど、二人でマンガ を声を出して読みあいをすることが多 かったんですよね。一人が読んでるの を聞いてたり、二人でセリフのかけあ いをしたりとか・・・・・・。だから、声優の 仕事はこういうことなのだろうと、だ いたい見当はついてましたね。まツ、 後になってずいぶん大変なことだと実 感はするのですが......。姉は、そのこ ろは歌のほうが好きだと言ってたよう な気がします。アニメは「レ インボー戦隊ロビン」「タイガー 「マスク」を見ていました。 中学に入ってから はマンガ家になり たくなって、描く のも読むのも、 少女物のラブロ マンス一色の時代 でした。高校では、演劇部に入りまし て、私も出演した創作ミュージカルが、 札幌地区で入賞したこともあるんです よ!!! 高校からは、役者になりたいと 思い始めていました。それで、東京に 出て来て、俳優小劇場の研究生になっ たわけです。
今はモチャ役に全力でぶつかってます!!
半年後、今の楡プロダ クションに移り、アニメ の声優として「ヤットデタマン」のマ リア、「ダイオージャ」のアー坊といっ たゲストキャラをやりました。レギュ ラーは、今回のモチャ役が初めてです。 少し時間がとれると芝居を観に行きま す。アニメでは「ダッシュ勝平」「アラ レちゃん」を見ています。面白いです し、演技の参考にもなりますので。こ れからも番組を盛り上げるキャラを演 じていきたいと思いますが、当面はモ チャ役に全力投球します!!
Yoshiyuki Tomino VS Misao Minamida
劇場アニメ「ガンダム」は、ベント"だ。監督とすれば、ぜんぶ撮り直したい心境!
Minamida. はじめ まして。
Tomino. お手柔らかに。
Minamida. 今回は「ガンダ ム」から「イデオン」へ の流れをふまえたお 話をうかがおうと参 ったわけです。ガン ダムⅢ/めぐりあい宇宙>、大変すば らしい出来映えでしたが、富野さん から見ての感想をまず・・・・・・。
Tomino. 言うべきことはまったくない んです。言いわけをするか、自己採 点論になるか・・・・・・。先日、武田鉄矢 さんと「刑事物語」の監督さんとの 対談を読んでいましたところ、その 監督さんがまだ助監督のころ、監督 が初号フィルムを見て「ああ、ぜん 撮り直したい!」と言っていたの がわかる、と発言されていたのです が、僕としても言ってしまえばそれ につきる部分があります。
Minamida. ありますか?
Tomino. ありますよ(笑い)。まさにそ れです。少なくともその気分はよく わかります。物を作るとき、映画やテ レビなど他の人の手がどうしても入 るとき、小説家ほどには自己陶酔で きませんね。いくら役者に惚れ込ん でいても、その役者のすべてを認め ることはできません。その役者その ものが他人ですからね。 で、実際、映画はテレビ以上に割 り切りが効かないものですから・・・・・・ テレビなら週1回のペースで、まあ こんなものだな、と納得しうるとこ ろがあるんですけどね(笑い)。
Minamida. 大きな印象として、1本目と 2本目、3本目との間に格段の変化 失礼ですが進歩"を感じたのです けれど、そこらへんの意識は?
Tomino. 1本目、2本目、3本目、皆 違いますね。 映画の体裁がわかって くればくるほど、最初の監督の言葉 が痛烈にわかってくる。 ボルテージ が高まるんです。
Minamida. 3本目(Ⅲ)の素直な印象、修 飾を取り払った感想を述べれば、テ レビ版と同じ”というところなんで すが、そこらへんは?
Tomino. 作品に付随したコメントは、 ごらんになった通りで、それ以上が あるとすれば、テレビ版と大きく離 れた「ガンダム」を作ったでしょう。 それがないから、テレビ版の通りに まとめたわけです。 南田: 先ほどボルテージ"という 言葉が出ましたが、それは”意欲” の高まりと受けとってよろしいで すか?
Tomino. 一般のファンの方にわかる言 葉ならば、ええ、意欲はありましたと いえますし、3本のイベントをやら せてもらったと、その言い方を認め ることもできます。
Minamida. 映画をイベントというそのニ ュアンスは?
Tomino. 全部をイベントとは言いませ んが、イベントに類似しています。 映画というその実態が見えれば見え るほど、テレビ版以上の意欲があっ たとは、言えないほうが正しい。け れど決してそれは、なげやりという ことではない。「ガンダム」という1 本の作品は、テレビという構造の上 でまとめられたものであり、今回は 映画、映画館という構造なのです。 ある一つの理想的な「ガンダム」と いう作品を作ろうというのと、違う 部分でやっていたわけです。
Minamida. 劇場アニメとしての、という ニュアンスですか?
Tomino. アニメーションというものを アピールしていくためのイベントな んだ、というニュアンスです。それ 大変明快な意識で持っていたから です。 作品にのめり込んで作ることはで きない。だから、その意味での意欲 はもともとなかった、と言ったほう が正しいでしょう。
アニメのある状況論の中で
Tomino. じゃあ、そんなもんなんです よ、と開き直って言えるかといえば、 ぜったい言えない。つまり、ここま でもってくだけでも、一歩先のことに こだわる以上に、全体の状況論の中 で「ガンダム」をどういうふうに持 ち上げていくのか、と考えていたわ けです。これは、1年間の業務とし て考えていたときのしのぎというの は、一個人の監督が納得するような 作品を作ればいい、というほど簡単 なものじゃなかったんです。つまり、 監督個人の思いのままに作るだけで いい作品ならば、ああは作らなかっ た(笑い)。
Minamida. すると「ガンダム」はアニメ の、いや映画におけるアニメといっ 状況論の中から、まず大方針が構 成されていったわけですね。
Tomino. そうでなければ「ガンダム」 みたいな映画の作り方はしません。 1本の作品としてではなく、1年間 の事業計画として、それをどう維持 して、どう世間に認知させていくか ということが、「ガンダム」のいちば んの大命題だったわけです。
Minamida. 「ガンダム」の世間への認知 という点で、やはりプラモデルの様 々な問題が出て来ますが......。
Tomino. プラモデルは本当に予定外の 事実だったわけですけれど、正直な ところ言って、本当は助かったと思 います。あれがなければもっと辛か った。つまり、それらによって「ガン ダム」という知名度が高くなった。 知名度が高くなったことがうれしい んじゃなくて、ようやくこの時期に すっきり言えるんですけれども、た かがダイジェスト版の映画を3本も 作れたそのアニメというものは、い ったい何なのかということを、一度 アニメ専門誌の人でも、アニメファ ンにでもなく、世間一般の大人が、 どう思うか どういうものなのか はてな? という風に見て欲し いという、まさにそこに対しての狙 いがあったからです。
Minamida. とすると、その場合、画面で ニュータイプなどがかなりわかりよ く整理され、僕などは「ああ、子供 たち(小学生)を対象にまとめ直した のか」みたいに了解していたところ が、実は”何も知らない。世間の大 人を対象にした映画を作ろうとして いた――ということなのですか。
Tomino. 「ガンダム」という映画とい う事業に、つまりイベントに関して 言えば、そのためだけにやりました。
Minamida. とすると対象は、子供たちで はなく、大人だったのですね。それ で納得がいきます。
Tomino. つまり大人に見てくれという ことではなく、事実としてこういう ものが成立するんだ、ということを 見せたかったわけです。だから、イ ベントと言ったわけです。だから”映 画〟を作るという1年間の事業があ ったとすると、「ガンダム」はそれを 維持するための素材だったんです。
Minamida. なるほど、その意識は最初か らあったのですか?
Tomino. もちろんそうです。先ほど、 ⅡとⅢより、ⅠとⅡに大きな差を感 じると言われたことは、現実問題と “慣れ”がありますが、作品を作 っていくという意識、作るんじゃな くてまとめていくとき、いまみたい なことを考えながら、それを常に意 識しながらやっていったわけです。 先ほどの質問に戻りますが、意欲 というものは皆無ではありません。 それは僕なりに、かなりあったつも りです。で、そういう部分をつけ加 えることができたから、それほど恥 じてはいません。今回のへめぐりあ い宇宙>にしても、極度に恥ずかし い作品だとは思っていません。 事業 論、イベント論、そこまでを含めて、 個人として、監督としての意欲は、 人後に落ちないつもりです。
映画ということ
Tomino. じっさい、「ガンダム」は3本 もやらせてもらって、大変ありがた かった。というのも、1年近く松竹 さんを通じて日本の映画界を近くに 知って、いろんなことがわかりまし た。 もし1本だけだったら、本当の意 味のお祭りになり、白井さんの言う 同窓会で、ワーッと騒いで終わって しまった。アニメーションを認知さ せたいという気負いがあればあるほ ど、今後も含めて、どういうふうに アニメを提供していくか、興行サイ ドに対して認めさせていくか、とい うメカニズムを見ようとして、必死 になっていたわけです。
Minamida. 映画”ということで、もう少 しお話をうかがいたいんですが、特 に〈ガンダムⅡ/哀・戦士〉は富野さ んの構成そのものが、そして、めぐ りあい宇宙> では安彦さんによる絵 の表現が、圧倒的な印象だったんで すが...。
Tomino. 哀・戦士>は、言ってみれば 演出家のロジックしか見えないと思 います。映画にしてもテレビにして も、ロジックではなく表現という形 で見えなければ…。 本来、安彦君 がもっと浮上してこなければおかし いし、演出家はバックにいなければ ならない。また、表現ということな ら最低限、めぐりあい”がなければ ならない、とも思っています。
Minamida. まず構成のレベルをクリアし、 そしていま、表現のレベルも......。
Tomino. いみじくもIは、ダイジェス トの練習版であり、Ⅱはそれをふま えて、と作業形態のあり方が端的に わかっていったわけですね。 特にその顕著なものが、Iなんで すが、テレビのオンエアを見て最初 の1時間くらいで「もっと映画っぽ 作ったのにな」と(笑い)。<めぐり あい宇宙>の0号と初号を見たあと だったので、そういう意味で参りま したね。 Iには、シーンごとに隙間〟 あるんです。これがわからなかった。 そこでⅡは、単純に圧縮のパワーを かけて、かなりゴリ押しした。だけ そうなると、僕の持ってる”映画" の気分とは違ってくる。それは表現 としての言葉”が見えないんだな、 ということで、今回の作業にまで来 た、ということが言えます。
Minamida. 作業をなさっていてのご苦労 などは?
Tomino. なぜ、昔の映画が1時間40分 だったかが、作業上の実感としてわ かりましたね(笑い)。つまり、編集 をしていくとき、3本目のロール、 1時間分ぐらいは確実にわかる。4 本目、1時間20分くらいから、前の ことがかすかにわからなくなり、 時間40分をこえると、あっ、ヤバイ ! (笑い)。前が見えなくなるんです。 1時間50分をこえると前のロールを ひっくり返さないとわからなくなり、 2時間をこえると前の2ロールくら いが落っこちるわけですね(笑い)。 だから、1時間40分。
Minamida. 観客の側からすると、映画が 始まって最初に時計を見るまでの時 間みたいなものですか。
Tomino. まさにその通り。フィルムの グロスの量としての把握が、できな くなるんですね、1本目が特にそう。 まん中ぐらいをやっていて、4ロー ル前がドーンと落ちる、前を振り返 ると4ロールくらい先がバーンと落 ちる。これで、哀・戦士>のとき「え えい、かまうものか! 途中なんか 知るか!頭と先はこうなんだ、ここ だけつかんでればいい!」と、ワー とやってしまったわけです。
Minamida. 哀・戦士>を見ての感想は、 "これは作れない!"。けれどへめぐ りあい宇宙>は、レイアウト的に同 じで、表現があそこまで高まってい る。すると次に意識は、「なるほど、 富野さんの演出の個性はこうか。け れど僕はこうだな」みたいなところ にまで達していくわけで、まさに”映 画〟の域にまで達したと思うんです。
Tomino. その感じ、わかります。それ はすべてIのあのスカスカの感じか らなんです。論理的にはいいのに、 なぜ? それはやはり、映像を長い 時間強制して見せるという物語論が、 テレビのそれとは違うということです。
Minamida. 先ほどからロジックという言 葉が出ていましたが、その裏にある のは感性ということですか。
Tomino. 映像でロジックを伝えるとい うのは、日本の映画人は誤解してい ると思うんです。映像で伝えるロジ ックは感性の累積のはずなのに、な ぜ“言葉”になるのか、という気が します。アニメの場合は特に、"これ でいける!"という絵が、どれだけど ういうふうにほうり込めるかにかか ってくるわけですね。つまり、リア ルタイムの演技でなくてもいいとい う部分で......。
初公開! 宮崎論
Minamida. やはり“映画”ということで すね。これはその対照にアニメ映 画”というニュアンスなんですが、 つまり、アニメ映画〟の傑作として 「カリオストロの城」があるとき、 それは"アニメ的な面白さ”と”映 画のすばらしさ”が同じくらいだっ たわけなんですね。「ガンダム」の場 合、このアニメ的な楽しさ”は、 "アニメはメディアだ"という方向が より強く打ち出されているような気 がするんです。アニメを俳優の代わ りに使うプロセスとしている、と受 けとって……………。
Tomino. それでかまいません・・・・・・。 はやはりアニメは撮れません。これ は自分でも困ってるんです。やはり、 宮崎さんの真似はできないんです。 構造論としてできない。 言ってしまうと「カリオストロの 城」は大好きなんだけど、面白いの ? と自問するところがあるんです。 映画とは違うんだな、アニメーショ ンなんだよなあ、という部分を感じ ます。好きなんだけど、自分のセオ リーの中では好ましいと思えない。 認める部分が違うんです。「カリオス トロの城」も、「ルパン三世」も大好き です。けれどそういった点からは、 「コナン」のほうがより好きです。 「コナン」のあれだけの長さを維持 していくためには、宮崎さんがいち ばん苦手としているかもしれない”世 界の構造”を、どうしても作らねば しのげない。それが見えるから、僕 にとってはいちばん面白く感じられ るわけです。
Minamida. なるほど、特に「カリオスト ロの城」は、宮崎さん一流のフィク ションへの引き込み、つまりオープ ニングの部分とラストの部分で、「こ れはルパンのお話ですけど、いつも のとは違います。普段ではない、あ 世界へと入ったルパンのお話です よ」と言ってしまってるわけですね。 するとそこはもうおなじみの”国"" お姫様〟がいて〝悪い魔法使い" がいる。見る者を自分の土俵へ引っ 張り込んじゃうんですよね。
Tomino. そう言われるとわかることが あるんだけど、フィクションの世界 を提供する方法にコツがあって、そ の方法は、僕には好きになれないわ けです。 ああいう人がそばにいてやってく れたら、僕は困っちゃうな、という 部分がありますね(笑い)。
内容的に見れば・・・・・・
Tomino. 「ガンダム」をやって困ったこ とは、この感じ方、考え方は作家や 監督のものじゃないな、というとこ ろがあったわけです。
Minamida. 作品"ではなく"状況論" の中でしかとらえられない.....。
Tomino. そう。そうでなければ作ると いうインパクトが出ません。しかし 作ってみたとき、核にあった「ガン ダム」という作品を、自分がどう扱 ったか?という問いになると、い ろんな意味で偽善的だったと(笑い)。
Minamida. では内容について、少し触れ させて頂きます(笑い)。
Tomino. 気が重いです(笑い)。
Minamida. 特に気になったのが、ニュー タイプが表面に出すぎたということ。 見ていて「ああ、うまく説明したな あ」というのがありましたね。
Tomino. ハハハハッ、ありますね。
Minamida. ただそのときは、子供たちの ためだと思ったんです。けれど......。
Tomino. 大人なんです、むしろ。既製 概念という言葉を持っている大人の ほうがよほどわからない! これは 本当に実感なんですが、日本の映画 界についても言える。そうでなけれ ば日本の映画界がこう長い間、低迷 を続けていませんよ。
Minamida. その通りですね。
Tomino. ただ純粋に映画という形態を 認知して、どういう話をどうまとめ、 どう生かしていくかという点から見 れば、「ガンダム」はどう甘く見ても 60点しかつけられない辛さがありま す。シコメは生まなかったけれど、 美人も生めなかったという辛さです ね。
Minamida. しかし、作品内容的なレベル で言うのなら、少なくとも僕は、「ガ ンダム」の映画化を聞いたとき、「何 をいまさら、いまは『イデオン』だ ろう」と思っていたのですね。
Tomino. 僕もそうです。だから、先ほ どの状況論の中からという大テーマ なして「ガンダム」3本なんか作れ ませんよ! アホらしくて。 やってみて言えることは、特に古 いファンにわかって欲しいことなん だけど、さっきのニュータイプの話 もその例で、あれだけ言葉をつくし ても、「世間てそんなものよ」という ことです。世間を渡っていくとき、 これだけ口移し的に説明しても、聞 きのがす人がこーんなにいるってこ とです。「ガンダム」をやってきたこ とがムダではなかったと言えるなら ば、これからの中で、ファンの人た ちが自分の仕事をやるときに、それ を覚えていてくれたらということ、 逆にいえば、世間はそれくらいした たかですよ、ということです。
Minamida. それじゃあ、ラストテロップ の "anticipation" は、明らかに、 e"xpectation"とは変えたという意 図をもって・・・・・。
Tomino. もちろんそうです。それがな ければ、テレビシリーズを3本も劇 場用になんかできませんよ。
Minamida. 先ほどから“映画”という視点 で話題が展開していましたが、確か にその“革新”に目を奪われていた わけです。けれど「ガンダム」とい う内容を見ると、少しもテレビから 昇華されてない。わざわざ映画にし 富野さんはこれで良しとしてい るのだろうか? と思ったわけです。 れどもうラストテロップを見て愕 然とし、そうか、この映画は、アニ メの映画となりえたテクニカルな部 分だけを楽しみ、堪能すればいいの か!と納得したわけです。
Tomino. ありがとうございます。本当 にうれしいし、そう言ってもらうと 助かるんです。 現状況の中で見て言ったとき、や はりそうなんだよね、という部分が 痛切にあったからべめぐりあい宇宙> に55点しかつけられなくても、19 82年に発表されたものだという保 証が、自分の手に入れられたことは 確かにあります。 けれど「ガンダム」という〝作品” の全体像からは、これはもう無残な のよね、という部分が間違いなくあ ります。ですから、この部分への指 弾には返す言葉もありません。
Minamida. いや、少なくともいままでの お話ですべて了解できます。なによ り劇場アニメそのものが、少なくと もこのへめぐりあい宇宙>のレベル、 最低でこれでなければ、という道標 になったことは間違いないでしょう。
Tomino. そう言えるようにして欲しい わけです(笑い)。
「イデオン」のリリース方式
Minamida. 次の期待は、すべて「イデオ ン」に集まっています(笑い)。
Tomino. 「イデオン」を1・2部同時公 開という方式の大きな理由は、「ガン ダム」が3本公開され、言ってしまえ ばたかがアニメのために、1年間に 5千円なり1万円なりのお金をファ ンに要求するということへの反省で す。 「イデオン」をそういった商業ベー スで泳がせたくないというのではな く、ファンにそれがあたりまえだと は思って欲しくなかったのです。こ れは日本サンライズの方針としても そうです。子供を育てる我々が、そ んなことをしていいのか、というこ とです。 そして結果として”ヤマトスタイ ルガンダムスタイル"に続き、"イ デオンスタイル"という方式ができ、 今後の劇場アニメへの規範となった わけです。じっさいそこまで考えま した。マーケットを考え、作品のボ リュームをはかり、アニメのアピー ルだけでなく、プロデューサー・デ イレクターとまではいかなくても、 一個人がどこまでいけるか、社会人 として試してみたかったところがあ ったのも事実です。それはもちろん、 非常に作家的でない部分ですね・・・・・・。 けれど、そこまで考えていいんじゃ ないか、と思うわけです。
万丈は思い入れがあって......
Tomino. 「アニメ界の捨て石なのよね」 といってるほうが、楽な部分もある んですね。そもそも、日本人という のは、みずからプランニングしてそ れを着実に実現していく、というの が苦手でしょ。それに僕は気が小さ く臆病でいながら、やる以上は何か かすめ取ってやるぞ、みたいな野心 があるわけですよ・・・・・・(笑い)。
Minamida. 僕個人としては、ぜひ映画化 して欲しいものに「ダイターン3」 があるんです。あれをオリジナル新 作で、とはお考えになりませんか?
Tomino. ジャンル論としても、やはり まだ時期尚早だと思いますし、僕自 身、主人公の万丈にこだわっている 部分があって、映画化は・・・・・・。
Minamida. こだわりとは、〝思い入れ”と いうことですか?
Tomino. そうです。うかつに動かすよ りは、ファンの記憶の中で美化して もらったほうがいいですよ。 万丈復 活のルートには、まず映画のポテン シャルの上昇がなければ。万丈を迎 え入れてくれる土壌ができるには、 まだ2、3年は必要でしょうね。そ れに現在は、ブリッ子や根暗といっ たものが若い子の中で受け入れられ てるわけで、「ガンダム」は受けたけ ども…………というところがあるわけで す。万丈のためには、もう少し世間 にシャイになってもらわなければね ...(笑い)。 「イデオン」の次となると、とにか くもう、物理的に疲れてますよ。「ザ ブングル」「ガンダム」「イデオン」で しょ、僕はそんなにタフじゃああり ませんよ(笑い)。
Minamida. 十分、タフですよ(笑い)。
ポスト・イデオン
Minamida. それでは、ポスト、「イデオン」 の構想は?
Tomino. いろいろな意味で、僕はマニ アではありません。そんなところか ら、特に書きたい作りたいという ものはないんですね。けれど、また 劇場用で、という想定ならば"ファ ンタジー”をやりたいですね。
Minamida. 具体的には?
Tomino. ファンタジー"というのは、 夢物語でもお伽ばなしでもないんで すよね。ファンタジー"というのは 倫理の反映〟なんです。
Minamida. うかがいたかったことなので すが、富野さんは英文学の方面にか なり造詣があるのではありませんか "ファンタジー”の把握も、い ま、シェイクスピアを中心に"ファ ンタシー"としてとらえなおされて いる意味で、かなり深いものと合 致しているようですし......。
Tomino. いや、僕はぜんぜんダメなん ですよ(笑い)。
Minamida. まさか!!!
Tomino. 本当です。英語がわかったら もっといろいろなものが書けるだろ うな、と思うんですが......。
Minamida. でも、お調べにはなりますね。
Tomino. ええ。そこでは一つ確信みた いなものがありまして、これはだん だんわかってきたことなんですが・・・ 人間の物の考え方は、言葉とし 表われるおのおのの癖はあるけれ ど、情緒的ないちばんの根本のとこ ろは、みんな同じじゃないかという ことなんです。
Minamida. ニュータイプ論ですね。あれ はやっぱり富野さん自身の考え方だ ったのですか!?!?!
Tomino. 人間のいちばんのもとにある ものは、つきつめてしまえば"エロ スとイデ〟だと思うんですよ。それ を哲学事典ではなしに、言葉のレベ ルで、ボキャブラリーの表現として は違う各国の言葉となっても、情念 としては同じだと思うんです。根は 単純なものであり、ニュータイプも 「ああ、人間というのは、言葉が違 うだけで、考えていることは同じな んだな」という実感から出てきたの です。 梅原猛さんの古代史解明のプロセ スも同じなんですね。アカデミズム の史実が、本当にアカデミズムか? というものですが、これは言葉すべ てが作った既製概念によって飾りた てられ、おおい隠されているわけで すね。そしてそれが語源的に正しく さかのぼれないだろうか、というこ となんです。 あごんぎょう 例えば〝お経"ですが、あれだっ 本当はお釈迦様のわかりやすい言 葉が初めだったわけで、「阿含経」な どはそのメモ書きという性格が強い ものですね。ところがそれが学者の 手にかかると......。
Minamida. 結局は訓話に堕する。
Tomino. それがアカデミズムの衣なん です。でも、いまよりもはるかに生 活状況の厳しいお釈迦様が生きてい たころを思いやり、お釈迦様の気分 に自分を落とすと、「阿含経」の言っ ていることはわかるわけです。
Minamida. 正しくわかるわけですね。
Tomino. そういうことです。
「イデオン」への道
Minamida. それでは「イデオン」への転 換は、内面的な意味でどのようなも のがあったのでしょうか?
Tomino. ものごとを難しく、わかりに くくしているのが、既製概念ですね。 一生懸命やったんだから認めろ、と いうのもそれで、やはりそうじゃな いと思うんです。わかるかわからな いか、そのほうがより上手にわかり あえていくのではないでしょうか。 日本人には特に、生理的、肉体的に 頑張れば嘘も認めるみたいなところ があるわけですよね。けっきょく、 何よりも価値基準、すなわち を持ちすぎているんです。それを捨 てていかなきゃいけません。そ お釈迦様の言ってる道であるわけで すが、それはいわば「ミイラになり なさい」というのと同じ方向なんで すね。けれど、そうなってみて魂が 救われるか?となると、これには 解答はありません。これほど悲劇的 なこともありませんよね。〝安心立 命”を願うのに、決してそうはなれ ない。 そんなとき、僕は、ちょっと思い 込みすぎなんだよね、と考えるわけ なんです。何かをどう解決するにも、 人は現状を捨てねばならない。けれ どそれは認めたくない。嫌いにはな れないんです。そこで繰り返しがお こる。不幸になるんです。 だから「現段階を認知したらどう なのさ?」という問いかけがあって みると「イデオン」のあの両種族の滅 亡、生きとし生ける物が死に絶えて しまう結果が出てくるわけです。 でもそうなったとき、イデという 超エネルギー体の意志が、それでは さびしくってしょうがない、もう一 度、何億年か待ってみようと思うん じゃないでしょうか。
Minamida. ....
Tomino. ここまで作ってしまうと、こ れからは“世すぎ”ですよ(笑い)。 やりすぎじゃないかと思いもしまし たが〝すぎ”を気にしすぎて終わっ た人が多いと思うんですよね。
Minamida. ぜひにも、その位置に立って みるべきです。必ずさらに次がある と思います!
Tomino. そこからは自分の中の問題で すものね(笑い)。 じっさい、「イデオン」に突入せざ るを得ない状況が、ある本を読んだ んですが、あの当時あったわけです。 たかがアニメーションじゃないか、 という意識、場合によっては見過ご してくれるんじゃないかという方便 も立つ。それじゃ一つの観念論とし ていってみよう、ということだった のです。 それで、やっていくうちに、個人 の命題としてから、宗教不在につな がる部分へ、そしてそういう部分を 日本の中に見いだしてゆくとき、も はやなりゆきの中で止められなくな っていき、 完全な真剣勝負となった のです。特に映画の「ガンダム」が 準備され、それをフロック(ツキ) にしたくなかった”業"がいちばん 危険になっていくわけです。つまり、 お体裁を言っていたら「ガンダム」 にスポイルされてしまうぞ、という 危機感だったんです。 本来は個人の段階ではないコンテ ですが、「イデオン」のラストは、個 人として生かさせてもらおう、うか つな概念づけはやめよう、と一人の 作家としてやらせてもらいました。 そしてじっさい、映画の接触編は、 おととしの暮れに切ったコンテのま まです。あの3本のコンテがなけれ ば、ひょっとしたら、「ガンダム」で、 もう少し作家的な発言をしていたか もしれないと思います。 何度もいっていますが、いくらこ うやってマスコミの目がスタッフに 向けられて来ているとはいっても、 それでもあまりにもマイナーまみれ のスタッフが多すぎるんです。なら ば僕からでも、という意識は確かに あります。けれど、そこで「有名に なりたいのよね」といってしまうと ころが、あるんですよね(笑い)。
Minamida. お忙しいところを、長時間、 ありがとうございました。 今日はお 会いできて本当に光栄でした。「イデ オン」「ザブングル」そしてその次も 今後ともがんばって下さい。 僕 も、僭越ながら書かさせていただき ますので(笑い)。ありがとうござい ました。
ファンの声 映画「ガンダムⅢ」を見て...
今回の作品は「ガンダム」を知りつくしたフ ァンにとって、とくにうれしい出来だった。 ソロモンを死守する旧ザクや、ツノ飾りのつ いたノーマルザクに、3機のガンキャノン。 さらに、セイラのヌードなど、ファンにとっ て目の離せないシーンの連続だったし、15% の新カットが、とにかく画面を新鮮なものに した。とくにララァとの出会いのシーンは、 3部作中、最も美しいシーンとなった。そし てそのタイトル通り「宇宙」での過酷な戦い の中で、さまざまな「めぐりあい・別れ」を 通し、一気に戦争の終局を迎えた。さらに何 より気にかかる続編はというと、グワランに 引き上げられたシャアのシルエットにより、 その可能性を大きく残してくれた。続編がダ メなら、ルウム戦役から戦争の始まりを描く <番外編>を期待したい。とにかく「ガンダム」 には、「ヤマト」にならない程度、THE END が出るまでやってほしい。 東京都 竹内克己(16歳)
一言にいって感動しました。正直いうと、 <パートIX<パートⅡ>は、あんまり「ああ、 こんなものだな」というぐらいにしか感じな かったのですが、今回のへめぐりあい宇宙>は、 ストーリーはテレビとほぼ同じでも、演出と 音楽のせいか、とてもすばらしいものでした。 人間関係も良くでていたと思うのです。アム ロとララァがお互いにわかりあえたのに、ラ ラァはやはりシャアを守って死んでいき、普 段、ぜんぜん涙を流さないあのシャアが涙を 流した時です、私の胸にジーンとなんともい えない気持ちが込み上げてきたのは......。 映画の前に舞台に上がった富野さんが「み んなの期待に添えるかどうかわからないが・・・ ・・・」ということを言われましたが、私は十分、 良い作品を作ってくれたと感謝しています。 「ガンダム」を見て、涙を流した人は少なくな いと思います。なにをかくそう、私も泣きました。 東京都 薄井正美(17歳)
<めぐりあい宇宙> は、「ガンダム」のしめく くりとしてふさわしい作品であったと思う。 画面は、とてもきれいだし、人物の心の状 態をあらわすような微妙な動きもよくでてい た。テレビと同じ場面だが、違うセルをつか っているところは、とてもよかった。とくに シャアとセイラの出会いや、シャアとキシリ アのやりとりで、シャアの手の動きがシャア の気持ちをよくあらわしていた。音楽もとて もよかった。 しかし、もっと感じたことは、戦争の悲惨 さである。一部の人たちは、「ガンダム」は、 子供たちが戦争にあこがれる、ということで 批判している。しかし、私は、めぐりあい宇 宙>を見て、むしろ戦争をやってはいけない と感じた。 私は、ララァやジオン軍の兵士たちの死ぬ シーンで涙が出た。もし、戦争がなければ、 ララァたちは死ぬことはなかったであろう。 めぐりあい宇宙〉は、「ガンダム」の完結編と してふさわしく、また、戦争の悲惨さを私に教 えてくれた、とてもすばらしい作品であった と思う。 東京都 石塚桂子(17歳)
サイコーでした。最初、キャラクターの声 が大人びていて違和感を覚えましたが、映画 に引き込まれていくと、かえってその声のほ うが自然な感じがしてきました。内容はもう、 テレビの第2回から見ているのでわかってい たんだけど、何度見ても新鮮さがありました。 <パートⅠ><パートⅡ>よりも絵がきれいで、 そのためキャラの声と同じように、大人っぽ い雰囲気をかもしだしていました。 テキサスの場面でマ・クベさんのシーンを カットしたため、ちょっとストーリー的に、 こじつけのような感じがしたのが残念でした (マ・クベさんとシャリア・ブルさんがカッ トされたのが痛い!! ついでにワッケインさ んも)。だけど時間を考えると仕方がないでし ょうね。 「ガンダム」は終わりを迎えたけど、ずっと 心に残るでしょう。終わったからといって気 を落とさず、「イデオン」を見に行きましょう。 東京都 井上真幸(17歳)
「機動戦士ガンダム」、この物語の何が、人々 をこんなにひきつけるのだろう。しかし、一 ファンとして言えることは、ただのロボット アニメとしては見てほしくないことだ。たし かにガンダムは強いし、アムロのニュータイ プとしての能力も大変なものだから、それだ けでも面白い。しかし、それだけの話なら、こ んなに反響を呼ぶだろうか? 僕はこの物語 に、"死"という人類最大のテーマが描かれて いるのでは、と思う。死があるから、人生を 精いっぱい生きよう、それが現在の死に対す 考え方だと思う。いや、死があるから、生 きがいを感じるのかもしれない。これに対し 戦争は、お互い長生きしたいはずなのに、殺 しあい、たくさんの死をもたらす。この愚か な行為を避けることができるのが、ニュータ イプなのだ。 めぐりあい宇宙>では、これについて描い ていると思うし、ひいてはこれがアムロやラ ラァの考え方なんじゃないかな、とも思えた。 神奈川県 霧生肇(15歳)
「ガンダムⅢ/めぐりあい宇宙」を見て 今回のめぐりあい宇宙>も、ストーリーに ついてはテレビと変わらなかったため、強く 印象に残ったところはとくにありませんでし た。でも、表現上の工夫が見られたように思 います。 その表現上の工夫と思った一つは、絵がテ レビや前作のガンダムに比べてきれいだった こと。とくに、サイド6でアムロとララァが 出会い、そして別れる時に太陽の光が二人の 顔を照らす場面、ほんとうにすばらしかった と思います。 また、表現上の工夫と思ったもう一つは、 キャラクターの動きが細かく、そしてその動 きから、その人物の感情がうまく表われてい たことです。サイド6入港時のブライトのし ぐさ、ア・バオア・クーでのキシリアの目な どが、とくに印象に残りました。 これらのことは、作者と異なった考えかも しれないけれど、私の感じたことです。 「宇宙」はどうなるか! 神奈川県 荻野克好(15歳)
今回のガンダムは<パートI><パートⅡ>よ りさらに迫力や絵の動きが立体感を増し、主 題の方も、要所要所をうまく訴えていたと思う。 戦争のさ中での運命的な悲しい出会い、そ して別れは、死へと変わっていく。こうした 時代の中を戦い、生き抜いてきた少年たち・・・ ・・彼らには青春は無かった。テレビ版の第2 話で、ワッケイン少佐が、「さみしい時代だと 思わんか!」と言っていた。その「さみしい 時代」が、いつしか来るのではないのだろう か!。 近年、世界の人口はふえ続け、食糧がなく なれば即戦争となるだろう。やがて大人たち は死に、昔の学徒出陣のようなことがおこり、 もしモビルスーツに乗るとしても、それはカ ッコイイではすまされないのだ。それこそ、 「さみしい時代」ではないだろうか! 映画を見た後、小さな子供が言っていたの を聞いて、そう思いました。 東京都 岡 利之(17歳) 自分を守って死んだララァに対して、シャ アはどう思っただろうか。戦いにまきこんだ ことを後悔しただろうか。それとも、アムロ に対抗するニュータイプがいなくなってしま った、という絶望感だけだったのだろうか。 以前、私がもっていたシャアのイメージは、 冷徹な心の持ち主(ガルマを殺したし......) と いうものだった。だから、テレビシリーズで は、ララァを戦いにまきこんだシャアが憎ら しかった。しかし、映画の涙を流したシャア を見て、不思議に憎らしいとは思えなかった。 「私には、大佐を守っていこうという情熱が あります」そういうララァの気持ちがここで 証明され、今まで何事にも動じなかった彼の 心は、ここで大きく揺れたのではなかったの だろうか。たとえ、今までララァを武器とし か見ていなかったとしても、愛する者を守る ために戦うララァの姿を見て、シャアは彼女 に魅かれていったのだと思う。シャアって、 意外と純情なんだな??? 東京都 松本みどり(13歳) <めぐりあい宇宙>は、このシリーズの中で いちばんよかったです。僕は3作とも見に行 ったが、正直いって初めの映画を見たときは ガッカリしました。ほとんどテレビと変わり ばえしなかったからです。そんな点も含めて、 今回の作品は最高だった。 僕が初めて「ガンダム」をテレビで見たのは、 第5話の〝大気圏突入〟でした。いちばん初 めに感じたことは、現実離れしていないとい うことでした。今までのロボットアニメ、つ まり地球の平和を守るために空を飛び、敵を けちらし、主人公もまた強い、というワンパ ターン化していたものと違っていて、それが ものすごく僕らには新しかったのです。 小学生には難しいと思われる設定も、僕ら 高校生には、ガンダムの数多い魅力の一つと いえます。また安彦先生のキャラクターも、 「ガンダム」の新鮮さをひきたてて、個人的に はララァが大好きです。最後に、こんなすば らしい夢と希望を与えてくれたことを、心か ら感謝してます。 東京都 出水祐志(17歳)
June
Haruka Takachiho Interviews: Keiko Han
舞台美術志望で訪問した劇団で
舞台俳優に。アフレコ現場に行き、
今度は声優に。歌に、踊りに、星
占い・・・マルチ・タレントとして、
大活躍中の潘恵子さんに声優業の
面白さ、楽しさを聞いてみた!!舞台の発声と違い、アニメでは朗々と声が出せない......
Takachiho. ずいぶん多いですね。今、 何本あるんですか?
Han. 録音しているのは四本くらい。 前は急激に十何本になったことがあ りました。
Takachiho. 全部主役?
Han. そんなことないです(笑い)。 ただ、土・日もキャンペーンで地方 を回っていたんですよ。だから、時 間がなく、ちょっと気が狂いそうに なったこともありました。
Takachiho. 地方ではステージにも立 っていたんですか。
Han. ステージもあれば、記者会見 みたいなのもありますね。
Takachiho. 全部「1000年女王」の?
Han. そうでした。
Takachiho. あれは、いつから入った んですか。
Han. 録音に入ったのが去年の三月 初旬で、その前の年の夏からイメー ジソングつくったり、やったりして ましたから、もう足かけ三年。
Takachiho. テレビのほうは、もう終 わったんですか。
Han. ええ、終わりました。あとは イベントがひとつ残っているくらい で、今はお芝居の稽古。今度、薔薇 座で「グリース」やらせてもらうん です。
Takachiho. 薔薇座で!?
Han. みんな若いからもう大変(笑 い)。ついていけないくらい。
Takachiho. アニメの前は何をやって いたんですか?
Han. 未来劇場という劇団にいまし た。そこにいながら、ヨガとか踊り やっていたんです。歌も習っていた んですけど、アニメのピークになっ てからもう四年ぐらいになりますけ ど、それからは、まるっきり行けな くなりました。今度、薔薇座のレッ スン受けたら・・・・・。
Takachiho. からだがかたくなってい るでしょ
Han. もちろんかたいし、声は出な いし。
Takachiho. 声優さんていうのは、声 が出なくなるんですか。
Han. そんなことはないんですけど、 朗々とは......(アニメだと)マイクが 音を取ってくれるという観念があり ますでしょ。
Takachiho. 舞台の隅々まで届くとい うのとはちがうわけですね。
Han. だから、この一年間、遊んじ やったのとはちがうけれど、「ああ、 もっと動いていればよかったなあ」と。
Takachiho. それは身につまされる話 です(笑い)。
Han. でも、実際に時間があるかっ ていうと、全然ないんですよね。忙 しすぎるのもいけないし、かといっ て、お仕事ないと食べていけませんし。
スケッチを見せに行った先で、俳優養成試験を受ける
Takachiho. そうですよ。僕ね、二十 歳から三、四年ボディビルやってい たんですよ。だから、まだその余韻 がある。
Han. わあっ、余韻にしないでくだ さい(笑い)。私、(からだは)年代に 関係ないと思うんです。やりつづけ るか、途中でやめるか・・・・・・。
Takachiho. そうです。やりつづけな ければだめだとわかっているんです けれど、なかなかね。ところで、劇 団に入られる前は、何をしていたの ですか。
Han. 中学のとき、六本木のカタカ タというパンとか紙粘土のお店に、 髪の毛や毛糸のクズを切り刻んで、 それにポスターカラーとニスを塗っ たものをつくり、それをアルバイト で売りだしたんですよ。そしたら、 何ヶ月かで何十万なんて。
Takachiho. 入っちゃったの?
Han. 一個七十円で売ったんですも の。それがあっという間に・・・・・・。
Takachiho. すごいなあ、才覚がある というか......。
Han. 絵も好きだったし、やっぱり この世にないものをつくるというのが..。
Takachiho. クリエイトする楽しみと いうことですね。
Han. でも、美術のときに、いつも 先生に「大変うまい、センスもある、 だけど(つくるものが小さい」っ て。三センチくらいかしらね。だか ら、人には描けない目とかが描ける わけ。
Takachiho. 米粒に字を書くとか?
Han. そうそう、あれも私できるんですよ。
Takachiho. それだったら、舞台は大 きいから、えらいこっちゃ。 潘だから、いつも心配されるの。 背もちっちゃいし、声もちっちゃい から。でも、何ヵ月か稽古がすんで、 いちばん最後に「よかったね」って 言ってもらったとき、そのうれしさ ってないですね。
Takachiho. 未来劇場は養成所かなに かあったのですか。
Han. あったんですよ。でも、昔、 私はドモリで、しゃべれなくなるた ちだったんです。国語の教科で朗読 というのがあるでしょ。私たちミッ ション高だったものですから、聖書 の朗読というのがあるわけ。それが すごくむずかしいんですよ。汝・・・・・・ とか、知らないことがいっぱいでて くるし。
Takachiho. 今、口語訳というのが出 ていますけど。
Han. 私たちのときはなかった。 旧 訳聖書などのときは、もう真っ赤に なっちゃって、もうそれがある日は 休んでいたくらい。それぐらい嫌な のね、人の前で立って読んだりする のが。
Takachiho. それでよく高校のとき) 演劇部に入ったですね。
Han. それは演劇部にすてきな女性 がいたから。その人に憧れて。
Takachiho. 宝塚みたいですね。
Han. 藤村志保さんていらっしゃい ますね、あの方みたいな......。
Takachiho. それで入って、あいうえ えおあお、とかやってたわけですか。
Han. いやでもその人がいると思う と精いっぱいやるのね。そうやって いるうちにおもしろいと思うわけ。 そして役つけてもらったりして、だ んだん、芝居はいいもんだなあと。
Takachiho. きっかけとしては面白い ですね。それで潘恵子という声優さ んがいるわけですから。
Han. ですから、未来劇場に入ると きも舞台美術でいきたかったわけ。 未来劇場は水森亜土さんのだんな様 である里吉重實さんが主宰されてい るんですが、私、高校時代は演劇部 に入っていたといっても、絵も描い ていたものですから。
弁当の差し入れに行って、声優業に興味が湧いてきた
Takachiho. 水森亜土さんの絵に憧れ た?
Han. 私、ああいうコケティッシュ な絵がとても好きだったから、水森 さんに見てもらおうと思ってスケッ チブックをたくさん抱えて行ったん です。あの人は、そのときメキシコ に行っていたのかな、それで、たま たま俳優さんの試験もやっていたも のだから受けちゃったんです。そし たら受かっちゃったんです。それか らですね、お芝居やりだしたのは。
Takachiho. それで、舞台をずうっと やっていたんですか。
Han. 舞台やって、TV映画「非情 のライセンス」っていうのに出まし た(笑い)。
Takachiho. 何の役を?
Han. 年、わかりますね。
Takachiho. 女子中学生とか(笑い)。
Han. そうです。誘拐されるの。あ のとき、小池朝夫さんが犯人役で本 当に殺されるんじゃないかと思った くらい......それがTVでのデビュー だったかなあ。
Takachiho. 声優としては?
Han. 未来劇場の先輩の内海賢二さ んが、「こういう仕事もあるんだよ」 って言われ、私、ピクニックみたい にお弁当詰めて持っていったんです よ。
Takachiho. 何年くらい前ですか。
Han. 五年くらい前じゃないかしら。 なにしろ、私それをやりたいと思っ て行ったんじゃなく、遊びに行った のね。ここで「アニメーションやっ てるからおいでよ」って言われて。
Takachiho. ともかく差し入れに行っ て、やってみようと......。
Han. おもしろそうで、楽しそうだ ったんです。みんなが!
Takachiho. それで、オーディション かなんか受けたわけ?
Han. 受けません。そのまま事務所 のほうに紹介してもらったんですが、 「女の子はいらない」って言われた の。
Takachiho. なんと冷たい!
Han. でも、そのときそうは思わな かった。当然でしょ、何もわからな い子、「お願いします」と言われたら、 だれだってやっぱり困りますよ。
Takachiho. それが今の事務所?
Han. そう、青二です。私、舞台や っていたから、舞台のしゃべりかた しか知らないわけでしょ。それから 内海さんの奥さまのところに、週に 一度、半年ぐらい通ったかなあ。そ れでマイクに向かってしゃべる方法 を身につけました。半年目に、初め てアニメで「プティ・アンジェ」の 主役をやらせてもらいました。
Takachiho. それはオーディションで なくて?
Han. いえ、オーディションです。
Takachiho. オーディションていうの は、どうしてもこの役をとろうとし て行くわけでしょ。かなり緊張する んじゃないですか。
Han. だんだん欲が出てくるとそう なるかも知れませんけど、私なんか そう思うと力んでだめになる。「これ 絶対やるんだ」と思って取れる人と、 「どうでもいいわ」と思って行った ら、欲のなさでかえってよかったと か、人それぞれじゃないですか。
声は同じでも絵が変わればイメージも変わるのが魅力
Takachiho. 「プティ・アンジェ」はお もしろかったですか。
Han. 始めて半年目でしょ。だから、 やっていて精いっぱいでした。
Takachiho. 主役だしね、最初はNG がいっぱい出たとか。
Han. もちろんですよ。NGが出な かったときはないですね。
Takachiho. 監督はだれだったんです か。
Han. 小松さんです。今、「スラン プ」の音響監督をやっていらしてま す。
Takachiho. やさしくNG出してくれ ました。
Han. ええ。私、こわい人だめなん です。おだてられているってわかっ ていても、やさしくわかりやすく言 ってもらわないと、馬鹿だからわか らないのね。
Takachiho. でも、シナリオはその場 でもらうわけじゃないんでしょ。
Han. その場でもらうんですよ! だから慣れるまで大変でした。だっ て、舞台の役者さんて二ヶ月かかっ て、やっとあがっていくんだから。 私、とてもこんなことできないって 言ったら、毎日脚本を読んでれば、 そのうちどこが大切なところかわか ってくるって、それがいまだになか なかわからない(笑い)。
Takachiho. 舞台とアニメをやる場合 の大きなちがいはなんですか。
Han. 舞台で何が大切かというと、 寸前にその役になれる肉体をもって なきゃいけないんです。いつ、どん な役がくるかわからない。ピーター パンの役がきたら、そのときにピー ターパンになれるような肉体をもっ てなきゃいけないと思うのね。
Takachiho. 肉体を使っているわけで すからね。
Han. アニメーションの場合は、肉 体が変わらず絵のほうが変わってく れるわけでしょ。声は同じでも、絵 が変われば、みんなのイメージが変 わるんだもの。こんなにすてきなこ とはないですわ。
Takachiho. 舞台やると声優というの は、ずいぶん楽だったなあと思うわ け?
Han. この一年間、アニメに没頭し てきて、本音を言えば「自分で何を やってたのかなあ」と思っちゃうと きもあるのね。声を使う仕事ならば、 それだけ動いていなければならない と思うの。それを最近反省していま す。
Takachiho. 歌のほうはどうですか。 この間、『ハン・タスティック』 というレコードを出させてもらった んです。ふつう十曲ぐらいですけど、 十二曲で二五〇〇円だからお買い得 なんです(笑い)。
Takachiho. 歌は得意なほうですか。
Han. いや、私はただ歌っていれば楽しいの。
Takachiho. ステージで歌うのも? 潘ええ、楽しいですね。おっか ないけれど楽しい。
Takachiho. 踊るほうも?
Han. 踊ることはそんなにないけれ ど、踊って歌うと声を出しやすい。
Takachiho. ホントー! へぇー。僕 は出ませんね。
Han. 私、前にね、日本放送の方だ ったかしら、「楽しそうに歌っている ね」って言われて、それから自分で も本当に楽しいんだなあと。ただ、 うまく歌おうとまったく思わないか ら、歌っているとき圧力を感じない んです。
Takachiho. それは仕事として歌って も、そうでなくても? 付く。
Han. たとえばコンサートでも、み なさんにお金いただいているわけで すが、そのときでも楽しくてしょう がないんですもの。
私は魚座・・・だから目標に向かって、努力を重ねてゆく
Takachiho. ところで、潘さんは魚座 じゃないですか?
Han. 魚座です(笑い)。魚座の女性 って、優柔不断でかわいいでしょ。 男の人は魚座で優柔不断っていうの ではちょっと大変かなあって気もす るけれど、社長さんの中でいちばん 多い星座を調べてみたら魚座なんで すよ!
Takachiho. そうですね。
Han. 周りでワァーっと言われたと きに、ドーンと上まで持ちあげる・・・ それだけ自分の夢がはるかにふつう の人より大きいわけですよね。
Takachiho. そういう手がある。フフ フフッ。
Han. うん、私たちどうしても獅子 座がいちばんだと思うわけです。と ころが魚座が多いっていうのは、お だてられて天まで昇って、あとは努 力ね。最後まで自分を痛い目にあわ せながら......。
Takachiho. 魚座の人には、いい人が区。
Han. そうですね。危なっかしいか ら、支えてくれるんですね。
Takachiho. わかるような気がします よ。危なっかしいあたりは(笑い)。
Han. 高千穂さんは何座ですか。
Takachiho. さそり座です。
Han. さそりは、今年の秋が最高で すね。知ってますか、今年はさそり に木星が入っている。
Takachiho. 知りません。
Han. 木星は幸運の星でしょ。 土星 は試練の星で、それがいっしょにな っても幸運が先だって、それくらい 強い星です。
Takachiho. じゃあ、秋まで原稿書く のを差し控えるか(笑い)。
Han. とことんやったほうがいいわ。 いいときにいいことをすることです よ。粘りづよいでしょ?
Takachiho. むしろ、しつこいほう。
Han. さそりの最後の毒というのが 人を殺すというくらい、さそり座に 憎まれるとこわいです。ねちっとい じわるされるから(笑い)。でも、そ のねちっこくやるバイタリティを仕 事に傾けると、大変にいいんですよ ね(笑い)。
Takachiho. 全然向いていない。仕事 ぐらいしてないものはない。ただ、 クリエイターとしてやっていくのが いちばんいいんですけどね。人間、根 が無責任ですから......。
Han. さそり座は無責任じゃないん ですよ。
Takachiho. そうですか。
Han. 責任感ありますよ。根性もあ ると思う。さそり座と魚座には憎ま れるなっていいますから。
Takachiho. 最後に、今後の目標みた いなものが、いまありますか。
Han. まだ、はっきりと決まってい ないんで、なんとも言えないんです 七、八月に舞台があるんです。 それを自分なりにこなしていくのが 最終目的です。なにしろ、今は全部 出しきっちゃったあとで、ちょっと 人からいろいろ吸収したい。私の好 きな人に、「若いんだから、もっと勉 「強しろ」と言われたんです。それを 信じてやってきたら、たまたま最近 その人にお会いしたんですよ。街角 でぱったりと。そうしたら、「年とっ たな」って言われてガックリ。これ までガツガツやるのは嫌いでガツ程 度だったんですね。それが「若くな いから無理するなよ」って言われま した。
Takachiho. 何か趣味はあるのですか。
Han. 乗りものでは飛行機。足が地 上から離れた、その瞬間がなんとも 言えず・・・好きで好きで、地上から見 ているだけでもいいんです。
Takachiho. 飛行機が趣味とは驚いた。
Han. 男の子みたいですけど、空を 飛んでいる夢をよく見ますよ。